第一〇四話:城主補佐、着任
元服の議を終えた芦澤虎王丸、もとい芦澤正宗は、正式に三鶴城城主補佐の地位に就くと、まずは三鶴の米や野菜などの収穫量、主な出来事、領民の様子などを記録した報告書に目を通し、問題点、改善案などを練る。
この間まで寺にいた正宗には、政治のことなどほとんど分からない。なので後見人の宗忠や、三鶴に来た年寄り達に助言をあおり、正宗は必死に考える。どうすれば民が笑顔でいられるか、不足はないか、改善点はどこか、など。しかし良き為政者とはどうすればなれるのか。
正宗は興福寺にいたときのことを思い出す。僧名を
『果慶よ。人の上に立つものに必要なものを三つあげてみろ』
師にそう問われ、果慶である正宗は答える。
『一つ目は信頼です。下のものに信頼されてこそ、主君は成り立ちます』
『ほう。ではどうやって信頼を得る?』
『え、それは……』
果慶は頭を回転させ、正解を考える。まだ芦澤家にいた頃、師であった僧から帝王学など一通りの教養は習っていたが、それは基礎学問としてのレベルで、応用、実践には至っていない。
『威厳ある姿を見せる、とか……』
『渇。外側を取り繕っても、小手先までしか誤魔化されん。偉そうにふんぞりがえっている殿様など、民や部下はついてこない。よいか果慶。まずは行動だ』
『行動、ですか』
果心居士は頷く。色艶の良い禿げ頭が光っている。
『一番上に立つものは、一番下のものを基準として全てを考えなくてはいけない。では、下のものを知るにはどうするか。それは自らが下のものと同じ目線で行動してみることだ。下賎のものと同じところに住み、同じものを食べ、同じものを着てみる。それらは城にこもっていては決して掴めぬ。自らが体験したものでなければ血肉にはならぬ』
「……一番下のものを基準として、同じ目線で自ら行動してみる……」
果慶であった正宗は、報告書を読みながら師の言葉を呟く。
そこには桃の収穫量について書かれている。ここ三鶴では桃が名物であり、領主への献上品として良い桃が毎年贈られてくるが、バラ科の果実は病気やカビに弱く、場所によっては病で全滅、という年も珍しくないらしい。
今年は豊作であったが、とある村の桃が収穫率ゼロであった。その村はさくら湖の近くで、梅雨の時期に湖が増水し、桃以外の作物も駄目になってしまい、農作物全体の収穫率がかなり低くなっている。そのせいか年貢の減免を求める嘆願書がいくつも届いている。
「よし、まずはこの村へ視察へ行く」
「殿!?」
近くに控えていた家臣の一人、
「なにも殿自ら動かなくとも、部下へ視察を命じれば……」
「何事も行動してみなければわからない。年貢の減免を求めるのなら、村人は相当に困窮しているだろう。城主補佐着任を知らせるためにも、俺が行かねばならないだろ」
留守の間を頼む、と月舟斎へ告げ、正宗は合羽を羽織り着替え始める。太刀を小姓から受け取り、草鞋の紐を締めると、外で用意されていた馬へと歩を進める。
見事な栗毛のこの馬、まだ名前を聞いていなかったな。
「この馬、名はあるのか?」
正宗が
名前……良い名前……。こう改めて考えると名付けとは意外と難しいものだ。やはり親から一字もらうのが妥当か。
「倶利迦羅丸の子……やはり竜にまつわる名が良いか……ううん」
正宗は必死で考えるが、結局良い名は浮かんでこなかった。きょとんとしている名無しの馬の顎を撫でると、馬はヒヒン、と啼く。気難しそうな面構えだが、意外と人なつこい。
正宗は倶利迦羅坊(仮)に跨がると、目的の村へと並足で向かっていく。
季節は九月。蒸し暑い日も減っていき、からっとした晴天に恵まれ、正宗は日差しを浴び心地よさげに目を細める。
並足でゆっくりと周りを視察しながら歩いていくと、三鶴という土地がよく見える。桜の木々があちこちに植えられ、また寺も多い。奥州仕置きの傷からは復興しつつあり、どこからか赤子の泣く声が聞こえる。
子が元気なのは、良い土地の証拠だ。正宗は頬を緩めながら辺りを見渡すと、一つの廃寺が目についた。
「あの寺は?」
正宗が供についてきた家臣へと尋ねると、家臣は複雑そうに顔を歪ませ、「……あれは、坂ノ上家の
「
「はい。奥州仕置きで……その……当時の芦澤家当主が火を放って……」
言葉を濁す家臣に、正宗はああ、と理解した。
四年前の奥州仕置きの時、芦澤家が豊臣秀吉の名代として討伐軍筆頭となった。そのときの当主は、正宗と正道の父である芦澤正俊だ。
戦で負けた家の城や菩提寺を燃やすのは戦乱の世のならいとはいえ、燃やされたのをこうして目の当たりにすると、なんだか罰が当たりそうだ。正宗は一度仏門に入った身なので、神仏に関わることには敏感になってしまう。
三鶴城も半焼し、四年経った今もまだ立て直しが完了していない。燃えたのが政務にあまり関係ない奥の院ということも関係して、三鶴城再建の予算がなかなか回ってこなかった。
三鶴城修復とともに、この菩提寺の跡にも慰霊碑を建ててやろう。正宗はそう誓い、燃えた坂ノ上家菩提寺へ向かって、心の中で手を合わせ、そっと寺で習った経を読んだのだった。
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