第一〇五話:疑惑の村にて

 稲荷神社を通り、三鶴の大桜を通り過ぎ、問題の滝ノ平たきのひらの村に芦澤正宗一同が着いた時、村人達は跪いて全員頭を下げた。


「よい、楽にせよ」


 馬上から正宗が下知しても、村人は頭を下げたままだ。人からかしずかれた経験があまりない正宗は少しだけうろたえたが、すぐに背筋を伸ばし前を向く。


「こちらにおわすお方は、新しく三鶴城城主補佐についた芦澤正宗様だ」


 家臣の一人が朗々とした声で村人達に告げると、村人達はわずかにざわめく。


「芦澤……あの芦澤家か」

「前のお殿様はどうした?」

「年貢を取り立てに来たのか?」


 顔を寄せ合いヒソヒソと小声で狼狽する村人達に対し、正宗は静かに馬から下りると「それがしは、芦澤正宗。城主補佐としてこの村の視察に参った。村の代表者はどこか!」と声を張り上げる。

 すると、身なりの良い男がこちらにやってきて跪く。どうやらこの村の村長らしい。


「そなたがこの村の長か」

「へえ。村長の滝ノ平五郎と申します」


 滝ノ平五郎は恰幅の良い五〇くらいの男で、村の長に相応しく眼力強く正宗を見つめる。その視線には、我が村に危害を加えに来たのではあるまいな、という疑惑の念が込められていた。


「そなたが、年貢の減免の嘆願書を書いたものか」

「へえ。嘆願書に記載したとおり、我が村は湖の氾濫により畑が被害を受けまして、稲穂が全く実らないもので、村のものが食うに事欠いておりまして……」


 正宗は村人達と村の様子を見渡す。確かに皆痩せており、食うものに困っているというのは本当らしい。上半身裸の子供のあばらの浮いた腹を見て、正宗は顔を悲しげに歪ませる。


「では、村の様子を見て回りたい。案内を頼む」

「お、お殿様御自らが!?」


 村長の五郎は驚いたが、正宗からすれば自らの領地を視察することに何の疑問もない。しかし通常は城主または城主補佐の命を受けた役人が視察を行うもので、補佐自らがやってくるということは、村に年貢を誤魔化している嫌疑が掛けられるなど余程重要な事態でもなければ行わない。

 しかし今回着任した若い城主補佐は、それらの常識もなんのその、自らの目で確かめたいと参った。無気力な城主よりやる気のある補佐の方が好感がもてるとはいえ、村長はやはりなにかあるのではないか、という疑念を隠せない。


 とりあえず、正宗一行は村の中を案内される。なかなかに大きな村で、あちこちに畑や小屋が集まっている。そのうちのいくつかの畑は土がひどくぬかるんで、確かに作物の育ちようがなさそうだ。

 村人に会うたび頭を下げられ、正宗達は村長の屋敷へと向かう。

 村長は村で一番大きな屋敷に住んでいて、うまやまで持っていた。中では馬が一頭だけ繋がれており、藁の寝床で横になっている。

 そして厩の横に石造りの倉庫が立っていた。


「立派な倉だな。なにが入っているんだ?」


 正宗が尋ねると、村長が目に見えて狼狽える。


「い、いえいえ、中にはたいしたものは入っておりませんで。使わなくなった家具などをしまっています」


 額に汗を浮かべながらそう説明する村長を見て、正宗は眉を顰める。家臣達も不審に思い動揺している。


「……一応、中を改めさせて貰おう」


 正宗がそう言って家臣に目配せすると、家臣達は頷いて倉庫の鍵を開けようとする。村長は必死になって「お殿様! お止めくださいまし!」と両手を広げ阻止しようとするが、家臣達は村長を無理矢理どかし、鍵を開けようとするが、頑丈でなかなか壊せない。


「皆、どいてろ!」


 正宗は下知し、す、と腰の太刀を構える。無銘の刀だがよく磨かれているその刀を、正宗は興福寺で習った槍術で鍵穴を突く。

 すると鍵は壊れ、倉庫の中に入ることが出来た。家臣の一人が重い門扉を開く。

 外からの光で、奥にいたもの達の姿があらわになった。


「……お前達」


 家臣が絶句しているところを、正宗は身を乗り出し倉庫へと入る。


 そこには、が座っていた。

 年齢が十に届かない子供から、壮年の域に入った男、髪を乱している女など二十人ほどが倉庫の隅で座っていた。

 共通しているのは、泥だらけのみすぼらしい格好と、腰と手に繋がれた太い縄紐である。


「村長! このものたちはなんだ!」


 正宗が激高し村長を問い詰める。問うておきながら正宗には倉庫の中にいるもの達の素性は大体掴めてしまった。

 このもの達は、のだ。どこぞの戦火に焼かれた村などから人買いに奴隷として捕まり、ここの村の村長が彼らを買った。

 村の人足として買われたのか、村長の家の家人とするためなのか、理由などどうでもいい。人身売買は太閤である豊臣秀吉が一五八七年に禁止令を出している。これは外つ国とつくにへ日本人を奴隷として連れて行かれるのを防ぐために出されたが、無論、それは国内にも適応されている。


「奴隷を買うのは禁止されているだろう!」


 家臣の厳しい問い詰めに、村長は頭を地面にこすりつけ、「お許しください……」と蚊の鳴くような声で呟いている。

 倉庫に入った正宗は、奴隷達の疑心暗鬼に満ちた視線を受け、悲しみと、そして怒りが身体の内奥からこみ上げてくるのを感じた。


「このお!!」


 正宗が太刀を振り上げ、そのまま下ろす。

 ざしゅ、と肉がちぎれる音がして、村長の首が地面へと転がる。転がった村長の顔は、自分がなぜ斬られたか理解していない疑念に満ちた表情で固まっていた。

 正宗の初めての殺人であったが、その感触に嫌悪感を抱いたり快楽を感じることはなかった。

 正宗は自らが殺人を犯したことに気づかず、ただ怒りで肩を震わせ、返り血で汚れた手と頬に構わず、そのまま倉庫内の奴隷達の方へ歩を進める。奴隷達はその怒気に満ちたその姿に酷く怯えた。


 奴隷達の繋がれた腰紐を刀で全て切る。逃亡防止のため一人一人繋がっている紐を、正宗は刀で一つ一つ切っていった。


「怖い思いをしただろう。下手人はこの手で処刑した。さあ、お前達はもう自由だ!」


 最後の紐を切り、正宗は両手を広げ明るく声を上げた。倉庫の扉は開かれた。これで奴隷達は虐げられることなく元いた国に帰ることが出来るだろう。


「……ざけやがって」


 奴隷の一人が暗い声を上げる。ん? と正宗が首を傾げると、奴隷の男達がゆらり、と立ち上がる。

 男達からは解放された自由への喜びは感じず、ほの暗い怒りの炎を揺らめかせている。


「ふざけやがって! せっかくこの家に雇ってもらえるのによ! なんで主人を殺したんだ!?」


 え?


「あたしら国を追われてさ、やっとこの地に収まりそうだったのに! これからどうやって生きていけばいいんだい!?」


 女達も声を上げる。狼狽えている正宗へ、残りの子供達もすごい形相で睨んでくる。


「せっかく美味しいご飯をくれる主人に買われたのに……俺たちもう帰る家がないんだよ! この悪党! 主人を返せ!」


 正宗は動揺のあまり動けない。

 だって、人身売買は悪いことだろう? 奴隷として虐げられるより、自由になった方が……


「殿!」


 呆然としていた正宗を、家臣達が身体を引っ張り倉庫の外へと脱出する。

 わっと襲ってきた奴隷達を倉庫の扉で押さえ、なんとかかんぬきをして施錠する。扉は奴隷達の叩いてくる衝撃と罵声でびりびりと震えている。


 倉庫の外へ出た正宗は、そこで血に汚れた手と刀に初めて気づく。


「なぜ、だ……? 俺は、間違ったことをしたのか……?」


 すがるように、正宗は家臣達の顔を見つめる。

 目が合った家臣達は罰が悪そうに視線を外す。誰も、正宗の問いに答えてくれるものはいなかった。


「なぜ……おれは……」


 地面に転がっていた、先ほど手打ちにした村長の首と胴体が視界に入ってきた。この男は命令に背き人身売買に加担した。だから首を刎た。なにも間違っていない。

 なのに……なぜ……


「今回のの行動は、ですなあ」


 ふいに、倉庫の影から面白がるような男の声が聞こえた。

 正宗他芦澤家の家臣達は、驚いてその男を凝視する。暗い影で跪いているその男は、頭巾に白髪をしまい、口当てをして紫色の瞳をこちらに向けている。


「お前は……才蔵、か?」


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