第一〇二話:いざ、三鶴へ

「嫌だ! 離して!」


 里の外へと駆け出そうとするさやを、見張りの忍びが取り押さえる。裸足のまま力の限り前に出ようとするさやの体は地面に押さえられ、それでも必死に抵抗するさやに忍び達は苦戦し応援を呼ぶ。


「勝手に里の外に出るのは掟破りだ。おとなしくしろ!」

「でも! でも三鶴が! 三鶴で一揆が起こりそうだって!」


 力いっぱい抵抗するさやであったが、大人の忍び達数人に力では叶わない。それでもさやは立ち上がろうと手足に力を入れる。修行で鍛えられた体はすごい力を発し、忍び達は舌打ちしながら必死でさやを押さえ続ける。


 さやの脳裏に三鶴の大桜が浮かぶ。坂ノ上家が守ってきた歴史ある美しい桜。桜の花びらが舞うと、領民達の笑顔が浮かんできた。鍬を振るい畑を耕す男、井戸の周りで遊ぶ子供達、赤ちゃんをおんぶしながらあやす女達……一人一人が三鶴の宝であり、桜とともに坂ノ上家が守らなければならないものだ。


 その宝物が、また戦火にまみれようとしている。三鶴の美しい土地が、血で汚されてしまう。

 そんなことはさせない。三鶴は私が守らなくては。もう二度と、民の笑顔は失わせない! だから、行かなくちゃ、三鶴に、今すぐ――!


「失礼」


 低い声がさやにそう話しかけると、次の瞬間ぱん、と肉を打つ音が耳の横で鳴った。

 遅れてやってきた痛みに頬を叩かれたのだと気づいたさやは、目の前に静かに立っている紫月を認識した。


「落ち着いてください。まだ情報が不透明です。おとなしく里で待機しましょう」

「で、でも……」


 紫月の言葉とともに、有無を言わせない強い視線を浴びたさやは二の句を飲み込む。言葉こそ丁寧だが、紫月の表情は険しく、これ以上さやが暴れたら彼は実力行使も辞さないだろう。


 差し出された手をおとなしく握り、紫月に手を引かれてさやは火の一族の屋敷へと向かう。

 とぼとぼと歩くさやは、石川五右衛門の言っていた情報を頭の中で反芻する。


 三鶴で大規模な一揆が起こるかもしれないこと、三鶴城城主補佐に、赤熊退治の時山で出会った芦澤虎王丸がついたということ、そして、彼が坂ノ上家の宝刀の一振り、梅の花が象られた刀を持っているということを――


 ※

 ※

 ※


 石川五右衛門がその情報を口にしたのは、澄党ちょうとうの尋問の最中であった。


 尋問担当忍は、五右衛門の精神と同期し記憶野に潜っていく。これで七度目の記憶潜入であったが、やはり見られる記憶は限られていて、伊賀の機密が保管されているであろう深部には頑丈な鍵がかかっていた。


 無理矢理解錠すると五右衛門が死亡してしまうので、担当忍はゆっくりと時間をかけて鍵を緩ませていく。忍びはあらゆる場所へ侵入出来るよう、開器かいきという忍具をつかって鍵を開ける訓練も施されている。

 記憶にかけられた術も、何度かに分けて刺激を与え鍵自体を壊していく。しころ問外といかきといった開器でピッキングし、目的地に侵入する時のように。


 何度目の刺激か、鍵が少しだけ緩み、担当忍は施錠された記憶を少しだけ見ることが出来た。

 その記憶は酷いノイズがかかっていて、映像、音声ともに不明瞭であったが、担当忍は白い男と梅が象られた刀、隻眼の少年と大きな桜、そして修理中の城を認識した。

 白い男の口から発せられた言葉で、かろうじて聞き取れたのは四つの単語だけであった。


『三鶴』『還俗』『元服』、そして『虎王丸』――


「ぐああああ!!」


 五右衛門が絶叫し、精神の同期が遮断される。澄党党首である瑞乃ミズノは尋問を中止し、五右衛門の頭から兜を取る。

 大きな体を限界までのけぞらせていた五右衛門は、術が解けると口から血を吐いた。

 待機していた忍び達は五右衛門を死なせないために脈や血圧、瞳孔の反応を確かめ、手当を施す。差し出された桶に胃の中のものを全部吐いた五右衛門は、息が荒いもののなんとか意識は保っている。全く、呆れるほど頑丈だ。


「記憶は抽出できた?」


 瑞乃が尋問担当忍に問いかけると、担当忍は顔を顰める。

 巻物に抽出された記憶の映像が映し出されるが、画質が非常に悪く、かろうじて人らしきものが映っているのがわかるが、その他の場所は墨を落としたかのように黒く濁っていた。


 やはり、駄目だったか。瑞乃はがっくりと肩を落とし、次に寝台に横になっている五右衛門の方へと視線を向ける。

 血を吐いたが、ぱっと見た感じでは顔色が悪い以外に重傷を負っている様子は見られない。首輪を付けられ、右手と両足を拘束されている五右衛門を見下ろしながら、瑞乃は「気分はどうかしら?」と問いかける。


「見りゃ分かるだろ。いいわけがあるか」

「あら、そう? でも鍵が少し外れたから何か思い出したんじゃない?」


 五右衛門の荒い息が段々と落ち着いてくる。ふう、と息を吐くと、五右衛門はにやりと笑いながら頷いて見せる。


「全部じゃねえがな、思い出したよ。あの白子野郎が、芦澤虎王丸という芦澤家の次男にを渡したこと、その次男坊が寺から還俗して三鶴城の城主補佐につくこと、そして三鶴という地で、一揆の起こる兆しが見えていると言っていたこともな」


 ※

 ※

 ※


 火の一族の屋敷の道場で、さやは木刀を一心不乱に振っていた。

 素振りが終わると突き、横に薙いで、縦に振るう。習った剣術を何度も繰り出し、頭の中の邪念を振り払おうとする。しかしいくら型を決めても、脳裏には三鶴の桜が焼かれ、三鶴城も燃える幻覚が浮かんでしまう。


「――っは!」


 息を吐いて木刀を横に大きく薙ぐ。ひゅん、と空気の切り裂く音が収まると、道場にはさやの乱れた呼吸音しか響かなくなった。


 五右衛門から澄党越しに情報がもたらされ二日以上が経過している。上層部からはなんの命令も下りてこない。一刻も早く動きたいのに、さやは屋敷で待機しなくてはいけない。


 何も出来ない苛立ちを押さえ、さやは去年の冬に最終試験で会った、芦澤虎王丸のことを思い出す。


 さやと同じくらいの背の小柄な隻眼の少年。今は芦澤家当主に就いている兄・芦澤正道の弟で、どこぞの寺に出家させられたと聞いていたが、いつの間にか還俗し、あろうことか三鶴の城主補佐につくとは。

 今の三鶴は芦澤家の領地になっており、三鶴城城主にはさやの父方の叔父がなり、後見人兼城主補佐に大定綱義が就いていた。が、皮肉にもさやが大定を殺したことから、今度は虎王丸が城主補佐に就くことになった。


 叔父上はさやが生まれる前に出家していたので面識はないが、二十年以上俗世から離れ寺で過ごした叔父は政治に明るくなく、城主補佐の大定が三鶴を実質治めていたらしい。

 今度新しく補佐に就く虎王丸も、事実上三鶴の新しい領主となる。あんな坊やが三鶴を治められるのか? とさやは疑問に思っているが、それ以上に懸念しているのは、その虎王丸が才蔵という白い忍びから坂ノ上家の宝刀の一振りを貰ったということ、そして三鶴で大規模な一揆が起こる可能性があるということだ。


 五右衛門は、才蔵がそう言っていた記憶を尋問で思い出したらしい。どうして伊賀の白い忍びの才蔵が虎王丸に宝刀の一振りを渡したのか、三鶴で一揆が起こるというのは確かなことなのか、疑問が多々あるが、動きようのない今の自分の状況がとても歯がゆい。


「さや様」


 道場の入り口に、紫月が現れた。さやはなにか動きがあったのか、と期待したが、紫月の表情からして特になにか報告に来たわけじゃないというのがわかり、少し落胆してしまう。


「剣筋が少し乱れていました。もっと重心を低く保ってください」

「……そんなこと言いに来たの?」


 紫月は黙ってさやの前に立ち、木刀を取り出す。


「まだ上からの連絡はないですが、明日までにはきっと命令が下るでしょう。それまでの待機中、私が稽古に付き合います」


 す、と紫月が木刀を構える。無駄な力の入っていない自然な体勢が紫月の強さを物語っている。

 さやは木刀を構え直し、ふ、と息を吐いて体を前にし、紫月へと打つ。紫月はさやの攻撃を流すようにかわし、さやは体をひねって木刀を突く。


「そういえば、こうやって稽古するの久しぶりだね!」


 さやが次々と攻撃を仕掛けながら紫月に話しかける。紫月はさやの攻撃をかわしながら無言で頷く。

 七日町から里へ帰投してから、任務報告や五右衛門への尋問など色々あって稽古は中断されていたが、こうして体を動かしていると悶々とした邪念が晴れていく。一人でやるより二人でこうして打ち合っているほうが効率的だし、余計なことを考えなくていい。


「先ほどより筋は良くなってきましたね」

「そんな余裕かましてていいの!」


 さやの攻撃が紫月の顔を狙うが、紫月は木刀を振りその太刀筋を変える。そして少し前のめりになったさやの木刀を力強く下へと打ち付ける。あまりの強さにさやは木刀を落としてしまう。


「あっ!」

「勝負あり、ですね」


 木刀の先をさやに向け、紫月が言う。さやは悔しそうに頬を膨らませながら落とした木刀を拾い前髪をかき分ける。

 紫月との稽古で額にうっすらと汗が滲んでいた。


 三鶴のことは気にかかるが、紫月がいてくれるなら、どんな難しい任務もこなせそうな気がする。

 今の自分はいくつも任務をこなして、四年前より確実に強くなった。紫月さえ傍にいてくれれば、三鶴の問題だってなんとかなる――そう思わせてくれる優しさと強さを持っているのが紫月という男なのだ。


 こうしてその日一日、さやは紫月と稽古に明け暮れた。

 そして次の日、やっと上層部からさやと紫月に命が下された。


 それは、芦澤領三鶴の偵察任務であった。


 三鶴で不穏な動きが本当にあるのか、現地に潜入し情報を集め、可能なら才蔵という忍びを捕らえよ、というのが主な内容であった。

 さやをこの任務に入れるかどうか、上でも議論が交わされた。三鶴という土地はさやの一族が治めていた国である。あまりの因縁に、さやが感情的になり暴走する可能性も高いとみなされ、さやを外すべきという意見も少なくなかった。だが逆に考えれば、さやは三鶴という土地のことをよく知っているので、情報収集のための道案内としては最適である。


 最終的に、三鶴への偵察という名目で、決して余計な動きをしないよう釘を刺した上でさやを参加させることになり、里長は紫月とさやに任務を下したのだった。


 ※

 ※

 ※


 任務に旅立つその日、さやの胸はまだどきどきしていた。

 四年前、奥州仕置きで攻められ、坂ノ上家が滅亡してから三鶴には帰ったことが無い。いつの日かきっと坂ノ上家を再興して帰るんだと決意していたが、こんなに早く三鶴に向かうことになるとは。


 四年間。長いようで短い歳月。その間日の本の情勢は大きく変わり、さや自身も変わった。三鶴も四年前とは大きく変わったのだろうか。


(本当に……もう一度三鶴の地を踏めるなんて……)


 そう思うと感慨深い気持ちになるが、今回はあくまで偵察任務だ。余計な戦いや勝手な行動をとるのは許されない。特にさやには上役や党首から耳にたこができるほど言い聞かされた。

 かつての自分の国だからといって感情に呑まれてはいけない。それは自分だけではなく紫月や里のみんなを危険にさらすからだ。


(……うん、きっと大丈夫)


 さやは旅支度を整え、途中医療班の療養所に寄った。朔の様子を確かめるためだ。

 五右衛門特製の清眼膏を注している朔は、段々と瞳の白濁が薄まり視力が戻ってきた。残念ながら天恵眼は失われてしまったが、視力が回復してきたのは喜ばしいことだった。


「あ、さやお姉ちゃん」


 寝台で梅と桃とともにおしゃべりに興じていた朔が、さやの姿を見つけて声をかける。もうこちらを視認できるほど視力が回復しているのを実感して、さやは嬉しくなった。


「お姉ちゃん、任務に行くの?」

「どこに行くの?」


 梅と桃がさやの元にやってきて両手をぐいぐいと引っ張る。さやは苦笑しながら「お姉ちゃんはね、三鶴っていうところに行くんだよ」と教えてあげた。


「みづるー?」

「それってどんなとこ?」


 双子の問いに、さやは「三鶴はね、梅と桃と桜の花が一斉に咲く、綺麗なところなんだよ」と答えた。


「梅と桃と桜が一緒に咲くの?」

「すごく綺麗そう!」

「いいなあ、おいらも行きたい!」


 子供三人が目をキラキラさせながらさやを見つめる。さやは朔の頭を撫でながら、「……そうだね、いつか連れて行ってあげたいな」と微笑みながら答える。


 この子達が大きくなったとき、私は三鶴を手に入れているだろうか。坂ノ上家は再興できているだろうか。戦乱の世は終わりを告げ、三鶴の桜をこの子達に見せることができるだろうか――?


 明るい未来をもたらすため、私は任務を遂行しなければならない。


「準備はできましたか?」


 療養所を出ると、紫月がアクリを胸に抱いて待っていてくれた。アクリはまん丸な目でじーとさやを見つめている。


「うん、大丈夫」


 アクリを撫でながら、さやは手甲と脚絆を付ける。すでに準備は万端だ。


「行こう! 三鶴へ!」


 亡国の姫とその忍びは、四年前に後にしたかつての自分たちの国へと歩みを進める。

 その先に待っているのは、いかなる試練か――この時の二人はまだ知らない。

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