第一〇一話:清眼膏作り、そして新情報

 元・伊賀忍である石川五右衛門を月の里に迎える条件として、紫月が提示したのは、朔の視力を取り戻すことであった。

 正確には紫月が五右衛門を里にかくまうように上層部に掛け合う条件、であるが、五右衛門はやる気になり、まず朔の瞳を診させてくれ、と言ってきた。


 さやは五右衛門を朔に会わせるのはすごく嫌だったが、確かに朔の状態を診ないことには視力の戻し方を考えることはできないだろう。

 五右衛門は術式が書かれた首輪を付けられたまま地下牢を出される。怪我をしている両足にも枷を付けられた五右衛門は歩くことができないので、紫月とさやを含む大人数人で彼の大柄な体躯を持ち上げ地上に運んだのだが、これが結構な重労働で、さやは息を荒くしながら額に汗をかいた。

 そのまま車椅子に乗せられた五右衛門に対し、紫月がもしおかしな真似をしたら右手も潰すぞと脅す。五右衛門はへらりと笑いながら頷いた。


 医療班の療養所から連れ出された朔は、実験室で五右衛門と対峙した。と、言っても朔は未だ失明状態なので五右衛門の顔を認識できない。しかし自分が知らない大きな大人に診られているのは分かるようで、朔は不安げにキョロキョロと首を動かし眉を下げ泣きそうに顔を歪める。


「大丈夫だよ、朔」


 さやが朔の手を握ってやると、ようやく朔は落ち着いたようで顔を前に向ける。五右衛門の太い指が朔の柔らかいほっぺたに触れ、まぶたをめくり眼球の様子を見る。周りに控えている紫月や他の忍びは、少しでも五右衛門が不審な動きをしたら取り押さえられるよう体に力を入れ様子を伺っている。


「ほう。本当に白く濁ってやがる。白底翳しろそこひではないんだろ?」

「うん。それは間違いない」


 一通り朔の眼球を見終わった五右衛門が問いかけ、さやが答える。任務に行く前より濁りが若干薄くなったものの、依然朔はものがはっきり見えない失明状態にある。光には反応し、大まかな形や視認性の高い色はなんとか判別できるが、顔の造作や細かい文字などは分からないらしい。


「視力が戻るかどうか分からねえが、伊賀で眼病にかかったときに使う清眼膏せいがんこうを調合したことはあるぜ。それを投与し続ければあるいは……」

「じゃあ、その清眼膏の調合方法を教えて!」

「あせんなよ。もとよりそのつもりだ」


 五右衛門は、清眼膏に必要な材料を言う。

 真珠、石決明、芒硝、烏賊骨ウゾッコツ、牡蠣、竜脳、辰砂、黄連……どれも非常に高価なものだ。さやは医療班員とともに薬庫に向かい、複数ある薬棚を片っ端から開ける。

 真珠は真珠散として天恵眼の清眼膏で使うので在庫はあったが、他のはどれも稀少なので少ししかなかった。


 そしてそれらの材料を言われたとおりの分量に計り、薬研やげんで挽いたり湯通ししたり、蜜蝋を湯煎して溶かしてその中に材料を入れて水溶性の軟膏を作る。その軟膏を希釈して真水に溶かせば完成だ。


「これでいい?」


 さやが五右衛門に作った清眼膏を見せる。五右衛門は「ああ、これでいいぜ」と笑みを浮かべる。

 それらのやりとりを見ていた紫月は、まだ五右衛門のことを信じていなかった。この調子のいい抜け忍の言葉を簡単に信じれば里が損害を被る可能性だってある。

 だが今回は紫月は静観の姿勢をとった。それは五右衛門を信じたからではなく、たとえあの清眼膏が毒だとしても、被害に遭うのは朔一人だけだ。これが里長や天恵眼のさや、甲忍きのえにんの党首に投与するものだったならもっと慎重にならざるを得ないが、朔は里の忍びでもないただの子供だ。里の損害になりえない、という残酷で現実的な計算があるからこそ、紫月は五右衛門の口を塞ぐことなく好きに発言させていた。


「朔? これからお薬を注すからね」


 さやが清眼膏を朔の目に注そうとすると、朔は怯えて車椅子に乗せた体を限界までよじる。どうやら朔は見えていないので、注射を刺されると勘違いしているようだ。


「やだ! おいら痛いのやだ!」

「痛くないって! 清眼膏だから! 何回も注しているでしょ!」


 さやが諭しても朔はいやいやと顔を振る。これでは目に清眼膏が注せない。なまじ見えていないから余計に恐怖が増しているのかもしれない。


「……どうしよう」


 さやが紫月にすがるように問う。五右衛門はにやにやしているだけで役に立たない。紫月は顎に手を当て少し思案した後、「ちょっと呼びに行ってきます」と実験室の扉を開く。


「呼ぶ、って、誰を?」

「朔が言うことを聞く相手ですよ」


 ※

 ※

 ※


 少しして、紫月が実験室に戻ってくる。朔は相変わらず顔を手で覆ったままだ。


「朔ちゃん?」

「何しているの?」


 朔の耳に、聞き慣れた二人の童女の声が聞こえた。


 同じ顔の童女は、お千代の弟子である双子の梅と桃だ。


 朔が視力を失う前、梅と桃はよく療養所にやってきて朔とおしゃべりしていた。朔は八つ、梅と桃は七つで一つしか年が違わないが、朔は梅と桃に対しよくお兄ちゃんぶっていたのをさやと紫月は何度か目撃していた。


「朔ちゃん、お薬怖いの?」


 梅が傍にやってきて朔にを掛ける。桃も反対側から「清眼膏怖いの?」と問いかける。


「こ、怖くなんかないやい!」


 朔はやっと顔から手を離した。そしてどっかりと腕を組んで精一杯強がっている。

 そんな朔を見て、さやは紫月と顔を合わせてこっそり笑う。


(お兄ちゃんは大変だな)


 そしてさやは、朔の震える瞼を開かせ、清眼膏を一滴眼球に垂らす。


「うっ!?」


 途端、朔が目を押さえ呻く。

 謀られた!? さや達は一斉に五右衛門を睨んだが、本人はどこ吹く風といったようにあっけらかんとしている。


「あんた! 騙したね!」


 さやが五右衛門の胸ぐらを掴むと同時に、朔が「……お、お姉ちゃん……」とさやを呼ぶ。

 さや達は朔の瞳を見て、息を呑む。清眼膏を注した右目の白濁がかなり薄まっていたからだ。


「朔! 見えるの?」

「ま、まだ全部は見えないけど、さっきよりは……」


 さやは左目にも清眼膏を注してやった。すると数秒後、左目も白濁が薄まっていた。

 さやのみならず紫月や医療班員達、梅と桃までわっと喜びに湧いた。まだ油断はならないが、この清眼膏に効果があったことが証明されたのだ。このまま清眼膏を注していけば白濁が無くなり朔に視力が戻る可能性が高い。


「へへ、どうだい? これで俺のこと信じてくれたかい?」


 五右衛門が、車椅子で自慢げに胸を反らしてみせる。

 さやと紫月はまだ五右衛門の全部を信じ切ってはいないが、約束通り五右衛門をこの里にかくまうことを上層部に打診することとなった。


 ※

 ※

 ※


 里長を含めた上層部の会合は、何日も続いた。無論、伊賀の石川五右衛門をこの里に受け入れるか否かということについて議論が白熱していたのだ。


 抜け忍の言うことなど信用できん。だが伊賀の機密を手に入れれば里に利益をもたらすぞ。あの男が本当に伊賀を抜けてきたのかわからない、伊賀の命令で抜け忍の振りをして里に潜入したいのかもしれん。しかし奴はあの子供に視力を戻して見せたではないか。云々かんぬん……


 喧々囂々けんけんごうごうと議論は激しさを増していったが、三日経っても答えは出なかった。そうこうしているうちに、丙忍ひのえにん・紫月から新しい報告がもたらされた。


「石川五右衛門が話した情報によると、芦澤家十八代目当主、芦澤正道の実弟の芦澤虎王丸が還俗し、三鶴城城主補佐についたとのこと。そして三鶴方面で大規模な一揆が起こる可能性があるとのこと。それから……芦澤虎王丸が、坂ノ上家の宝刀の一振りを持っているかもしれない、とのことです」


 この報告を聞いた里長は、思わず持っていた杖を落としてしまった。


 そして、紫月から先にこの話を聞かされたさやは、驚きのあまり天恵眼を発動させ、里の外へ駆けだしていき、見張りの忍び達に取り押さえられたという――

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