第八十二話:化粧と変装

 お千代と阿国は別室に行き、長持ながもちの中に入っていた着物に着替える。


 お千代は下に肌小袖と萌葱もえぎ色の小袖を着て、上に花と扇模様の入った朱色の丈の長い絹の小袖を重ね着する。腰紐は名護屋帯で、綺麗に結われた唐輪髷からわまげに簪を挿す。シャラン、と簪のビラが涼やかな音を鳴らす。

 阿国はお千代と同じ朱色の小袖に、髪はお団子に結って玉簪を挿す。あくまでお付きの禿かむろとして、姐女郎であるお千代を引き立てるように、あねより派手にならず、しかしみすぼらしくないように着飾る。


 顔を洗い、収れん水をつけて肌を整え、鬢付け油を手で温め肌に下地として塗ると、白粉を顔はもちろん首から胸のあたりまで塗る。首の後ろと背中も塗るのだが、一人でむら無く塗るのは難しいので阿国が手伝う。

 頬から額を鼻を中心に放射線状に白粉を塗り、眉下と鼻筋は、立体感が出るように白粉に紅を混ぜたぼかし紅を塗り、鼻筋は更に濃く白粉を乗せる。

 眉と目尻を紅で描き、その上から真菰まこもから作られた眉墨を塗って眉を作り、最後に唇に紅を乗せれば化粧の完成だ。


 お千代の化粧を手伝いながら、阿国は自分の姐がすごい美人であることを再確認する。そしてこんな美女が自分の師であることを改めて誇りに思う。

 身支度と化粧が終わったあと、お千代は阿国の唇に紅を注してやる。


「うん、綺麗。これなら大丈夫ね」


 綺麗と言われ、阿国は照れで頬を赤くする。銅鏡で化粧の具合を見て、おかしなところがないか確認し、阿国はそっと後れ毛を直す。


「さあ、これから任務へ行くよ。おきばりなんし」

「あい。姐さん」


 部屋の襖を開けると、お千代の纏う空気が変わる。そこにいるのは月の里の気さくな女忍び、ではなく、容色に優れ、高い教養を身に着けた一流の女郎であった。

 滑るように月華楼の廊下を歩き、客の待つ部屋へと向かう。


「おまちどうさんでした。こちらが新しく入ったお千代です」


 男衆おとこしが襖を開けて、お千代と阿国を紹介する。二人は三指みつゆびをついて、深々とお辞儀をする。


「お千代です。よろしくお願いします」


 客の男が、お千代の顔を見て相好を崩す。

 あ、この客落ちたな、と後ろに控えていた阿国は思った。


 女郎としての潜入はひとまず成功した。あとは紫月達だが……。


 ※

 ※

 ※


 日が落ちて夜になり、七日町なぬかまちの花街は灯籠や見世の提灯などそこかしこに灯りが付けられる。まるで昼間のようだ。

 灯りに蛾が群がるように、花小路にはたくさんの客がやってきた。大半は男で、女は遊び女や禿、見世の関係者くらいしかいない。


 客に混じり、紫月とさやは花小路を歩く。一見するとただ見世を探しているにしか見えないが、二人はこの花街を外から見回っているのだ。


「………」


 さやは、客と歩く女郎の姿と、今の自分の姿を見比べて少し落ち込む。

 今のさやは、鼠色の小袖に上質な袴を穿いて、腰に刀(竹光だが)をさし、紫月のとして男装しているのだ。

 前を歩く紫月も同じく、藍色の小袖に縞模様の袴を穿き、腰に太刀と小太刀(こちらも竹光)をさした武士として変装している。こちらは最上家家臣、楯岡光直たておかみつなおの部下という設定だ。


 今回の潜入任務では、お千代と阿国が女郎として花街の内側から伊賀の男の情報を探り、紫月とさやは最上家の、花街の外側から情報収集と有事の際の戦力として見守る。


 ……うん、理屈ではわかるよ。花街の内側と外側から攻めるために、お千代さんと阿国を月華楼の女郎と禿として、私と紫月が花街を周って、朔を傀儡の術で操った伊賀の男を見つける作戦。

 立案した紫月らしいとても理にかなった分け方だと思うし、私は女子にしては上背があって、凹凸の少ないな身体で髪が短いから男装が似合うし、なにより私は天恵眼で花街の広範囲を監視できるしね。でも……


(私も綺麗な着物が着たかった……)


 今頃お千代さんと阿国は、新入りの女郎と禿として身支度を整え、客の前に出ている頃だろうか。きっとお千代さんは化粧と艶やかな着物で更に美しくなっているだろう。そして禿として傍に仕える阿国も美しく着飾っているんだろう。


 さやは、自分の着物を改めて見る。どこからどう見ても男にしか見えないその姿に、とても複雑な思いを抱く。


 今まで男装は何度もしてきた。この時代、女の一人旅などほぼない。そもそも女性が諸国を旅することがかなり珍しい。あるとしたら、旅の商人として男と共に、もしくは旅の芸人として、または歩き巫女としてなどがある。

 なので男装して紫月とともにあちこちを移動してきた。蝦夷エミシの里に行くときだって、すずめしゅうとともに旅の一座として袴を穿いて男として活躍した。むしろさやは女子の着物より、袴を穿いている時間の方が長い。下着も腰巻きではなくふんどし肌袴はだばかまをつけるようになった。この方が動きやすいし着物を汚さずに済むからだ。


 でも、さやだって女だ。美しい着物や化粧に興味はあるし、今回の花街の潜入任務を受けて、きっと自分は女郎として着飾って変装できるんだろうなと、密かに期待をしていた。

 でも現在、さやはとして歩いている。しかもその格好がのが悲しい。


「さ……遮那王しゃなおう、何をしている」


 前を歩く紫月が、とぼとぼ歩いている遮那王ことさやに声をかける。今回、さやは紫月の小姓ということなので、紫月があるじとなっている。なので言葉遣いもいつもと変わっている。


「すみません」


 小姓らしく頭を下げて、さや、もとい遮那王は小走りで主の元へ近づく。


「なにかあったのか?」


 紫月はさやの様子を見て心配そうに問う。女心など全く分からないこの男は、さやの落ち込んでいる理由など分からず、ただ具合でも悪いのかと検討違いな心配をしている。


「………ねえ、私の格好おかしくない?」


 さやが小声で問うと、紫月は「大丈夫。」と同じく小声で返してきた。その声はお世辞を言っているようには全く聞こえない。


「……そう」


 再び顔を暗くしたさやを見て、やはり何かおかしいと紫月は思ったが、さやの心の内などこの鈍感な男には分からなかった。

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