第八十三話:情報収集・女郎屋にて
武士とその小姓に化けたさやと紫月は、伊賀の男に対する情報を集めるため、その男の相手をした女郎のいる見世へと入る。
紫月がその女郎を指名すると、見世の
下等な
「お客さん、この見世は初めてですね? どこのお家のお侍さんですか?」
「楯岡城城主・
見習い女郎に酒をつがれながら、紫月は山形城で決めた偽の設定と名を述べる。同音異字の家臣はかつて最上家にいたが、既に亡くなっている。最上義康公の許可を得て、今回の紫月の任務名として使わせてもらっている。
「まあ! お偉い方なんですね! 今日はどうして
「山形城でのお勤めが一段落したので、殿から花街でも行ってこいと言われたので来た。この見世の松風という女郎は、
少しぎこちないが、紫月はすらすらと嘘をついた。忍びにしては口下手な紫月だが、ある程度の取り繕いはできるようで、見習い女郎は紫月のややぶっきらぼうな固い言葉遣いと、その容姿に惚れたみたいだ。見習いは頬を染めて、ええ、松風姐さんは最近流行っている三絃がすごく上手くて、それが聞きたくてやってくるお客も多いと嬉しそうに喋った。
さやは、ひとまず紫月が疑われなくて良かったと胸をなでおろす。花街では話上手でやや
「でも、松風姐さん、最近ちょっと調子がおかしくて……」
「お
お葉と呼ばれた禿は、見習い女郎に叱られ口を閉じる。思わず口が滑ったようだが、その情報こそ知りたかったのだ。
「ほう。詳しく聞かせてもらおうか」
「お、お侍さま! こんな子供の言う事を真に受けちゃいけません。松風姐さんは、まえに少しだけ調子の悪い日がありましたが、今はもう元気になりまして……」
あたふたと見習い女郎がフォローしていると、男衆が襖を開けて、「お待たせしました。松風の支度が整いました」と紫月を呼びに来た。禿と見習い女郎はさ、と横に下がり、紫月は盃を置いて立ち上がる。
「
紫月は遮那王ことさやにそう言うと、男衆と共に松風の待つ部屋へと上がっていく。
小姓として頭を下げたさやは紫月を見送ったあと、部屋に禿と二人っきりになった。見習い女郎の方は、おそらく別の座敷に手伝いへと向かったのだろう。
「えっと……」
まだ幼い禿は少し落ち着かない様子でキョロキョロしている。幼いなりに客を楽しませなくちゃいけないと思っているのか、なにを話したらいいか迷っているようだ。
「君、年はいくつ?」
さやが尋ねると、禿は「七……今年で八つになりんした」と指を折りながら答える。八つといえば朔と同い年だ。
「いつからここにいるの?」
「あい。去年見世に来んした」
「お父さんとお母さんは?」
「見世に来てからは会ってません。きっと畑を耕しています」
そこまで聞いて、さやはこの子が両親に売られたことを悟った。別にそんな話はこのご時世珍しくない。言葉も通じぬ遠い異国に奴隷として売られなかっただけまだマシだ。だけどさやは聞いてはいけなかったな、と思い「ごめんね」と頭を下げた。
「お侍さん、頭を上げておくんなんし。あちきはこの見世に来て良かったんです。姐さんは親切だし、綺麗なべべも着れて、おまんまもお腹いっぱいに食べれるから、とても幸せです」
「幸せ?」
「あい」
肩口で切りそろえられた黒髪を揺らしながら、禿は嬉しそうに頷いた。無理して嘘を言っているようには見えない。
さやの価値観では、親に売られるなんて酷いことだと思っていたが、この子はそう感じてはいないようだ。親が死んだり殺されたりして、浮浪児となって道端で死んだり奴隷としてこき使われる子供がいることに対し、さやは胸を痛めてその思いを歌に残したこともあった。感情を歌や詩にするのも姫の手習いの一つだったからだ。
さやは三鶴が滅んで忍びの里に来て修行していくうちに、今まで習った価値観がたくさんひっくり返っていった。忍びの世界では嘘を付き人を騙すのはもちろん、場合によっては殺人だって称賛されることを教えられた。
戦乱の世で殺人が悪だとは教わらない。戦場で人を殺めるのは宿命であるし、全力で戦わなければ無礼に当たる。そして討ち取った首を洗い清め、死化粧を施し、誇り高く死んだ敵へ敬意を込めて首桶に納める。そうした役目も正室や姫の仕事だった。
しかしそれはあくまで武士としての教えである。忍びは正面を向いて直接戦闘などほぼしない。暗殺の依頼がくれば闇夜でだまし討ち、毒殺など当たり前。もし任務の邪魔になりそうな者がいれば殺しても構わない。上手く嘘をつくこと、情報を手に入れるためなら相手を
まるでさかさまの国へ来たようだったが、そのような奇妙な感覚は一年も過ぎれば無くなり、今のさやは姫であった四年前と違って色んなことを知った。
己を律し、必要以上の無駄な殺生をしないということは武士も忍びも同じだが、さやは忍びの修行中に世の中の汚い部分や人の卑しい部分を知ってしまい、その分自分の世界が広がったと思っていた。今の自分はたくさんのことを学んで身につけたと自惚れていた。
しかし大定の一件や、酒田の広大な海に浸かって、自分は未熟でまだまだ世の中を知らなかったんだと思い知らされた。
今だってそうだ。目の前の禿を勝手に不幸だと決めつけてしまった。親が揃っていても不幸せな子もいるし、貧しさで女郎屋に売られて、逆に衣食住を保証され教育も受けさせられて幸せな子もいるのだ。まだまだ自分は見識が狭い。
「あの、お侍さん?」
禿が心配そうに声をかける。そこでさやははっと我に返った。私が黙り込んでしまったので、この子は粗相があったのかとオロオロしている。
「いや、大丈夫だよ。ありがとう」
さやは禿の頭にぽんと手を置いた。柔らかそうな髪を撫でながら、前に紫月が私にこうやってくれたな、と思い出す。
今、自分が他者を慰める立場に変わったことに気づき、なんだかおかしくなってさやはつい笑みを浮かべた。
「君を買うことは出来ないけど、一緒に遊ぶことならできるよ。ここには何があるの?」
「あ、あい! 双六に貝合せに、碁と将棋、えっと、折り紙もありんす」
「なら、折り紙で遊ぼう」
禿が綺麗な柄の紙を一生懸命に折る姿を見ると、今は目が見えなくなっている朔を思い出してしまう。朔のためにも伊賀の男を捕らえなくてはいけない。
さやは慣れた手付きで鶴を折りながら、今頃紫月は女郎から情報を聞き出せているのだろうか、と考え、やはり床入りを果たし、房術で篭絡させているのか、殿方のはどんな手管を使うのかと想像しようとしたが、男女の睦み合いを知らないさやには、紫月が女性と寝ている姿を想像できなかった。
(やはり、私はまだまだだな)
鶴や桜、椿や蛙などを禿とたくさん作って、折り紙がなくなる頃、ようやく紫月が戻ってきたのだった。
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