第二章:一五九四年・夏・花街

第八十一話:潜入・花街へ

 月の里を出たさや達四人は班を組み、山形城城下にある七日町なぬかまちの花街へとやってきた。

 また山形に来てしまった。だが月の里は地理的に最上家からの依頼が多いのだ。今回も最上義明公からの依頼だったが、義明公は豊臣秀吉との会談などで多忙のため、長男の最上義康よしやすと次男の最上家親いえちかがさや達を山形城で迎えた。


「義康公。お久しゅうございます。紫月、青葉、お千代、阿国、以下四名。月の里より馳せ参じました」


 忍び四人は平伏する。青葉ことさやと紫月は相馬野馬追にて、義康公達と共に紅組で戦った。白組の芦澤家に勝ったのは先月のことなのに、もう何年も前のことのように思える。


「ふむ。相馬野馬追や盗賊退治では世話になった。父上も大層喜んでおったぞ」


 義康はさやと紫月にそう言い顔を緩める。そして横にいるお千代と阿国を見て、「その者達も、月の里の忍びか?」と問う。


「はい。今回の任務に付きますお千代と阿国です」紫月がそう答える。

「お初にお目にかかります。お千代と申します」

「阿国と申します」


 二人は優雅に手を付き一礼してみせる。その仕草を見て、義康はほう、と感嘆の吐息をこぼす。


「そちらの娘はまだ子供のようだが?」


 義康の横に控えていた家親が、阿国を見て不満そうに言う。

 次男の最上家親は今年で十二。ちょうど阿国と同い年の少年は、子供に潜入任務など務まるのかと言いたげだ。

 しかし兄である義康が家親を諫める。


「家親。月の里の忍びは皆優秀だ。お前くらいの年で忍びとして独り立ちしている者も多いのだぞ」

「おっしゃるとおり、こちらの阿国はまだ十二ですが、もう一人前の忍びです。とくに芸事に優れ、踊りでは阿国の右に出る者はいません。必ず今回の任務で役に立つかと」


 義康の叱責とお千代の説明に、家親は少しだけばつが悪そうに俯いた。

 さやはここに来る前、最上家の近況も聞いている。次男の家親は、来年には徳川家に奉公に出される予定らしい。

 戦国の世なら次男、三男が他家の養子になったり、奉公に出されるのは珍しくない。家親が徳川家康の近侍として仕える予定なのも、父・義明が徳川家康の天下人たる資質を見抜いて、繋がりを強固にしておこうという算段からだ。


 もう一つ、さやが聞いたがある。それは、あの駒姫に、関白である豊臣秀次が目をかけているらしいとの噂だ。


 豊臣秀次はそれまで子が出来なかった秀吉の養子になり、二代目関白の座まで受け継いだ。しかし前年に淀君と秀吉の間に嫡男が生まれると、どうやら秀次との仲が揺らいできているらしい。


 秀次に対する評価は、関白として善政を布いているとか、茶の湯、鷹狩り、能などに通じている文化人であるとか、はたまた女遊びがひどく、さらに癇癪かんしゃく持ちで喘息もひどく、心身が不安定だとか、両極端なものばかり月の里には伝わっていた。

 遠い大坂のことであるから、情報が錯綜しているのも仕方がないのかもしれない。しかし秀次は正室をもらって、側室も何人もいる。すでに嫡男も生まれており、次男、三男や姫もおり、跡継ぎには困らないはずだが、東国一の美女と名高い駒姫を側室に、と請うているらしい。


 女狂い、という情報は本当なのかもしれない。秀次は駒姫の美貌だけではなく、相馬野馬追であの芦澤家の長男・芦澤正道をにも惚れ、天女のような美貌と、巴御前のような強さを併せ持つ姫にすっかり興味を持ち、最上義明に何度も駒姫を差し出せと要求してきている。


(一体、なんでそんなことになったんだか)


 さやは義康から任務の説明を聞きながらこっそり嘆息する。相馬野馬追でなのに。駒姫は野馬追に来ていないのに。名代の私が勝ったという情報が、いつの間にかという風に伝わってしまった。

 豊臣秀次がどんな人物なのか正確な情報はまだ掴めていないが、どうにもがする。それは秀次と秀吉の仲が不穏であるというのもそうだが、あの駒姫が秀次に嫁ぐのがたまらなく不安なのだ。明確な理由はないが、さやはそう感じていた。それはきっと女性特有の勘、なのかもしれない。


 しかしさやは駒姫の処遇に口を挟める立場ではない。理由がないならなおさらだ。

 今の任務は、七日町の花街に潜入し、伊賀の忍びと思われる大柄な男の調査・捕縛だ。駒姫のことは気になるが、賢明な義明公がなんとかしてくれるだろう。


 説明を聞き終わった四人は、早速山形城を出て、城下にある七日町へと向かうのだった。


 ※

 ※

 ※


 七日町の目抜き通りである花小路に、「月華楼げっかろう」という大きな屋敷がある。月華楼は、実は月の里が情報収集のために建てた女郎屋であり、勤めている女郎や男衆おとこしは、皆月の里の忍びか現地協力者である。

 色と欲の集まる花街には、様々な人と情報が集まってくる。ここ七日町や月華楼で知り得た情報はすぐに月の里へと伝わる。

 ここだけではなく、奥州出羽のあちこちに情報収集のための施設が運営されている。月華楼のような女郎屋であったり、旅籠であったり、茶屋や反物問屋であったりと形態は様々だ。


「世話になるぞ」


 四人の班の長を務める紫月が月華楼の暖簾をくぐる。さやは、初めて入った女郎屋の大階段の眩しい朱色や、蝶々のように艶やかな着物で軽やかに舞う女郎達、白粉と香と女の体温が入り混じったような甘い空気に圧倒され、目を大きくして入り口に立ち尽くしていた。


「やだ。あんた女郎屋に来たことないの? 田舎者丸出しだね」


 呆然としているさやを阿国がからかう。さやはムッとして「阿国はあるの?」と聞いてみる。


「もちろんあるよ。ちゃんとお千代姐さんと遊び女あそびめとして潜入したこともあるもんね」


 得意げに平たい胸を反らす阿国に対し、「…………へえ」とさやは冷たく返す。

 潜入したことはあるだろうが、遊び女としてではないな、とさやは悟った。もまだの娘にお千代さんが客をとらせるわけがない。せいぜい下働きの下女か禿かむろとしてだろう。


「二人共、何してるのさ。早くおいで」


 入り口の土間で言い合っているさやと阿国に対し、屋敷の奥からお千代が催促する。以前に月華楼に何度も来たことのある紫月とお千代は、迷うことなく楼主のいる内所へと向かう。


「きゃあ! ひのえさん! お久しぶりです」

「ひのえさん、遊びにきてくれたの?」

「ひのえさん。あたしの部屋においでよ。お客が置いてった美味しい南蛮の菓子があるよ」


 光に群がる蛾……いや、綺麗な花に群がる蝶のように、何人もの女達が紫月の腕をとり、着物の裾を引っ張り、肩にしなだれかかったりして紫月を取り囲む。さすがの紫月もこう何人もの女に囲まれては動きようがない。


「はいはい! あっしらは任務でやってきたの! さあいったいった!」


 妻であるお千代が紫月に群がる蝶たちを追い払う。笑いながら離れていく女達は、「じゃあひのえさん、暇ができたらいつでも来てね」と、大階段から顔を覗かせ、紫月に蠱惑的な笑みを向けながら手を振る。お千代が睨むと、女達はきゃっきゃと騒ぎながら去っていった。


「紫月、ずいぶんモテるじゃない?」


 さやは揶揄するように紫月を小突いた。


「そんなんじゃないです。きっとあの女達はからかっているんですよ」


 真面目にそんなことを言う紫月に対し、お千代が困ったように肩を竦めてみせた。レラの時もそうだったが、紫月は自分に向けられる好意に全く気づかない朴念仁である。


 そんな鈍感な朴念仁と一緒に、さや、お千代、阿国は内所へと入る。そこには月の里の忍びであり、楼主でもある壮年の男が帳簿らしき書類に筆を走らせながら座っていた。


「久しぶりだね。ひのえ、お千代。そっちは見たことない顔だね。新しい弟子かい?」

「ああ。こちらはお千代の弟子の阿国。そしてこちらが……」

「知っているよ。千里眼のさやだろう? ここでもお前さんの噂は流れているよ」

「噂、ですか?」


 さやは初めて来たところで、自分がどんな風に噂されているのか気になった。私、そんなに目立ったことはしていないと思うけどな……。


「伊賀の忍びに禁術をかけられた亡国の姫、あらゆるものを見透かす千里眼の持ち主、相馬野馬追で名代として芦澤家を破った女武者……お前さん、月の里の忍びの中では有名だよ」


 褒められているのか揶揄されているのかわからず、さやはなんとなく恥ずかしくて顔を赤らめた。忍びなのに有名とは。喜んでいいのか悪いのか……。


 ごほん、と紫月が場をとりなすように咳をし、「そんなことより、頼んでいたものは?」と楼主に問う。


「ああ、それならもう用意してあるよ。言われたものは全部揃えてある」


 そう言うと楼主は男衆を呼んで、長持ながもちを持ってこさせた。

 紫月が長持の蓋を開けると、色とりどりの着物や結紐ゆいひもに組紐、簪に扇、三絃に琵琶や琴まで入っている。さやと阿国はその豪華さに思わず息を吐く。


「これがお千代と阿国の潜入道具だな」

「え? これ全部お千代さんと阿国の?」


 おそらく女郎と禿として潜入するための着物や小物だろうが、お千代さんと阿国のだけ? じゃあ私のは?


「さや様と私のはこれです」


 紫月は内所の隅に置いてあった行李を持ってくる。長持より小さいその行李を開けてみて、さやは中のものを取り出す。


「………なんで袴?」

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