第八十話:聴取、そして任務へ

 朔が目覚めたので、さやは大急ぎで医療班員を呼び、彼の状態を診てもらった。

 さやや紫月と同じように、医療班員達も朔の白濁した目を見て息を呑む。


 班員は、朔の目の状態を詳しく診る。蝋燭の光を近づけて瞳孔の対光反射を見、視力があるかどうか調べる。

 その結果、光にわずかに反応したものの、朔はほとんどのものが霧がかかったように見えなくなっていた。


「角膜に異常はないですが……瞳が白濁する病気といえば白底翳しろそこひでしょうか」


 白底翳しろそこひとは、現代では白内障という。眼球の水晶体のタンパク質が何らかの原因で変性し、瞳が黄白色、または白色に濁る眼病である。

 原因は老化がほとんどだが、先天性や代謝性、外傷性や栄養不足などでも発病することがある。


 ほんの数日前まで彼は天恵眼を発動出来ており、通常状態でも視力は普通であった。

 となると、伊賀の忍びに傀儡くぐつの術で操られた衝撃で、白底翳になってしてしまったのだろうか。


「白底翳なら、鍼を使う「墜下法」、または角膜を切って水晶体の核を摘出するか……」


 医療班員がどうするか悩んでいる。


 白内障の手術の歴史は古く、なんと紀元前八〇〇年にはインド亜大陸のスシュルタという学者が、はりを眼球に刺し、水晶体を脱臼させ硝子体内に落とす「墜下法」を医学書に記している。

 この墜下法は十四世紀半ばに中国から日ノ本に伝来し、十八世紀まで使われていた。

 十九世紀にオランダの医師シーボルトが白内障摘出術を伝授。その後論争の果てに摘出術の成功率の高さが立証され、ドイツのグレーフェが、線状切開法により白内障手術を飛躍的に前進させ、現在ではわずか三ミリの切開で済む小切開術が主流となっている。ただし白内障手術のあと、眼内レンズを装着しなくてはいけない。


 医学が数百年進んでいる月の里では、墜下法の他に切開法も確立されているが、どちらもリスクが高い。角膜を切開して水晶体嚢を残して水晶体を取り出したあと、分厚い眼鏡をずっとかけなくてはいけない。しかし眼鏡は超高級品で、豊臣秀吉がやっと貿易で手に入れられるかという代物である。

 里長などの身分の高いものならともかく、朔のような忍びでもない子供のために眼鏡を手に入れることは不可能といっていいだろう。


「あ、あの……」


 さやがおずおずと手を挙げる。医療班員と紫月はなにごとかとさやの方へ視線を向ける。


「私が見たところ、朔は白底翳しろそこひではないと思います」


 班員が眉を寄せて「どうしてそんなことがわかるんだ?」と問う。


からです。朔の目の角膜、結膜、水晶体、網膜、眼軸、視神経、どこにも異常は見当たりません」

「天恵眼で見えたって……それはつまり……」


 紫月の言葉に、さやは苦々しく頷く。天恵眼は発動者の身体は透視することができない。だが、今の朔の身体をさやは。それは即ち、ということだ。


「……だとすると、視力が失われているのは一時的なものか? やはり傀儡の術の負荷のせいか……」


 朔は大人たちの言葉を聞いて困ったようにキョロキョロと辺りを見渡すが、やはり見えていないようで、傍にいるさやの顔を捉えることはなかった。


 ※

 ※

 ※


 その後、医療班の長である疾風はやて党の党首と、瑞乃ミズノと部下である尋問担当忍がやってきた。朔の状態と、巻物の映像と肖像を消したときのことを聴取するためだ。


「これは見える?」


 瑞乃が蝋燭を朔の顔に近づける。朔はまぶしそうに目を細め顔を背けた。

 蝋燭を三本に増やして、今度は二尺(約六〇センチ)程離して、これは何本あるかと尋ねても、朔は何か光っているのはわかるが、本数はわからないと答える。


「この人の着物の色は?」


 今度は瑞乃がさやの柿色の着物を指さして質問する。けれどここでも朔はわからないと答えた。朱色や浅葱あさぎ色、山吹色など視認性の高い色の布を目の前にかざしても同じだった。どうやら色の識別もできないらしい。


「うーん……天恵眼のさやの言う通りなら、眼球に異常はない。だとするとやはり精神的なことから来ているのか……?」


 疾風党の党首・伊吹イブキが推測する。神経質そうに髪をいじりながら、その小男は朔を凝視する。伊吹が見る限り、この子供が失明のふりをしているようには全く見えない。まだ操られているわけでもなさそうだ。


「とりあえず、清眼膏せいがんこうを処方しよう。気休めにしかならんだろうが」


 伊吹達が薬庫に向かっている間、瑞乃達が朔を聴取する。


「あの夜のことを覚えているか?」


 尋問担当忍に問われ、朔は首を傾げる。


「お前は実験室に近づいて、天恵眼を発動させて巻物の情報を消したんだ。これは覚えているか?」


 朔は首を振り、「わから、ない」とか細く言った。朔が覚えているのは、夢の中で白い忍びの声が聞こえ、ぼんやりと療養所を抜け出したことだけ。それ以降の記憶はどうしても思い出せないらしい。


 横に控えたさやは、朔の身体のどこにも異常が見当たらないのを再び天恵眼で確認する。紫月に撃たれた左足の銃創は治りかけているし、瞳も角膜が白濁している以外にやはり異常はない。

 その後、いくつかの質問をしたが、朔は前に記憶潜入したときに見た以上の白い忍びの情報は知らなく、もちろん自分に傀儡の術の印が付けられていたことも知らなかった。まだ意識が混濁しているのか、言葉も覚束おぼつかなく、朔は下を向いてぼんやりとしている。

 傀儡の術とやらに操られたものは、こんな風になってしまうのか、とさやは怒りを噛み締めた。


「朔の視力は戻るんでしょうか?」


 天恵眼が失われても、せめて視力は回復させてあげたい。清眼膏を朔に注している伊吹にさやは質問したが、「今はなんとも言えない」と伊吹は返した。


「だが、この子供を操った伊賀の忍びなら、もしかしたら視力の戻し方を知っているかもな」

「それって、七日町なぬかまちの花街に潜伏しているという、大きな熊みたいな男ですか?」


 伊吹が首肯する。その男の調査は、既にお千代と阿国、さや、紫月に下されている。花街で謎の動きをしている男。そいつの正体を探り、可能なら捕縛、排除するのが任務だ。



(朔のために、あの男を絶対捕まえてやる……!)


 さやは、白濁した目のままの朔を見て決意する。利用されて失明するなんて、そんなのあんまりだ。必ず朔の瞳に光を戻してやるんだ――。


 ※

 ※

 ※


 翌日。お千代、阿国、さや、紫月の四人は、支度を整え任務へ向かおうとしていた。


「お千代姐さん、行っちゃうの?」


 お千代のもとに、二人の童女がすがりついてくる。同じ顔のその童女達は、双子のうめももという。

 この時代、双子は畜生腹と忌み嫌われ、男女の双子の場合は男児を残して殺してしまうが、二人共同性だった場合、一人を残すか、二人共するかのどちらかだった。

 梅と桃のいた村では間引きは禁じられていたが、やはり多胎児というのは縁起の悪いものとして村人から迫害され、両親を亡くし瀕死の重傷だったところをお千代が救って里に連れてきた。


 梅と桃はまだ七歳で、修行中の身であり忍びにはなっていない。忍びでないものは任務につくことが出来ない。

 お千代は二人をそっと抱きしめる。


「連れていけなくてごめんね。でもちゃんと帰ってくるから。それまで代わりの姐さんの言うことを聞いて、きちんとお稽古するんでありんすよ」

「……あい、姐さん」


 気丈に二人は答えるが、本当は寂しいのだろう。七歳といえばまだ親に甘えたい盛りだ。

 さやは、自分が七歳のときはどうだったか思い出そうとして、あまり記憶がないことに気づく。それは記憶喪失ではなく、単に覚えておくだけの良い思い出がないのだろう。

 自分と梅と桃を比べても出自が違いすぎるが、私はあの年頃のとき、母や乳母に抱きしめられたことなどあっただろうか……?


「……さや様」


 紫月に呼ばれ、さやははっとする。きっと自分はおかしな表情を浮かべていたのだろう。紫月が心配そうにこちらを伺うほどに。


「大丈夫。さ、行こう」


 さやは荷物を背負って、そっと歩き出す。その後ろに紫月と、お別れの挨拶が済んだお千代、阿国が続く。

 梅と桃が見送る中、四人は任務のために里を出る。


 目的地は、山形城城下、七日町――。

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