第七十四話:捕縛と取り調べと

「なにするのよ!」


 阿国が蹴り倒されたのを見て、取り巻きの女児がさやを張り倒そうとする。

 だが、毎日紫月にしごかれ、そして天恵眼で優れた動体視力を持つさやは、簡単にその攻撃を避ける。

 二人の女児の攻撃を難なく避け、さやは女児達の腕をとり、足を払う。女児達は地面に倒され、更に右腕の関節を決められているので立ち上がることができない。


「う、うぅ……」


 蹴りで吹っ飛ばされた阿国が、どす黒く内出血している頬を押さえながら半身を起こす。鼻血が出て、更に蹴られたときに首の筋をおかしくしたのか、首元をさすりながらさやの方を睨む。

 が、さやの怒りの視線に気圧され、阿国の顔は恐怖に歪む。そのままさやが一歩踏み出したのを見て、阿国は怯えながら後ずさる。


「阿国……あんた……!」


 言い終わる前に、大人達がやってきて、「なにをやっているんだ!」と叱責の声を上げる。ち、とさやは舌打ちし、阿国はこれ見よがしに泣いて見せる。取り巻きの女児達まですすり泣く。

 何も知らない者から見れば、さやが阿国達に暴力を振るったように見えただろう。実際間違ってはいない。大人達はさやの腕を後ろ手に締め上げ、地面に押さえつける。


「里での私闘は禁じられていることくらい知っているだろう!?」


 私闘? これは喧嘩ではない。こっちは勝手に簪を盗まれた被害者なのだ。盗人から簪を奪い返すために攻撃して何が悪い!?


 僅かに顔を動かしたさやは、視界の端に簪を捉えた。地面に転がった簪は泥まみれで、さらに歯が二本ぽっきり折れている。それを見て、さやの顔が悲しみと怒りに歪む。


「どうしたんね!?」


 お千代が騒ぎを聞きつけ小走りでやってきた。拘束されているさやと、頬を腫らして鼻血を垂らし、しくしくと泣いている阿国を見比べ、お千代は阿国の方へと駆け寄り、鼻血を手ぬぐいで拭ってあげる。

 さやは少しだけ傷ついた。確かに阿国の方が重傷だし、阿国はお千代さんの直弟子だけど……。


「阿国!? なにがあったのさ?」

 お千代の問いに、阿国は泣きながら答える。


「姐さん……さ、さやさんが、いきなりあたしに跳び蹴りしてきて……う、ううう~」


 涙をぼろぼろ零しながら痛そうに(実際痛いんだろう)呻いてみせる阿国と、険しい顔で阿国を睨んでいるさやをお千代は目を大きくして見比べた。


「さやさん、阿国の言っていることは本当?」

「…………はい、本当です」


 苦々しくさやが答えると、お千代をはじめ、周りの大人達はさやに非難するような視線を向けた。だがさやは気圧されたりせず、真っ直ぐ前を見る。


「……とりあえず、あっしは阿国を医療班のところへ連れて行くね。事情はあとで聞くわ」


 阿国を抱き上げたお千代は、そのまま医療班の診察小屋まで連れて行く。途中で紫月と出くわしたが、お千代は顔を沈めたまま、無言で横を通り過ぎる。

 怪訝そうに首を傾げた紫月は、さやが縄で縛られて連行されるところにやってきた。さやは特に怪我を負っている訳では無く、ただ、眉を寄せたまま何も喋らず無抵抗で大人達に引っ張られていく。


「おい待て! なんでさや様を連れて行く!? 状況の検分もまともにしないで!」


 するとさやを引っ張っていた男が、片側の口の端を上げながら嘲笑うかのように答える。


「検分もなにも、このお嬢ちゃんが阿国に跳び蹴りを食らわして重傷を負わせたことを自ら認めたんだぜ」

「なっ!?」


 紫月は思わずさやの顔を凝視する。しかしさやは表情を変えなかった。怒っているかのように口を真一文字に閉じているこの表情、紫月は何度も見てきた。これは、さやが感情を抑え自分の我を押し殺している顔だ。

 さやが、なんの理由もなく阿国に攻撃するわけがない。私闘は御法度だが、これは単なる喧嘩ではないと紫月は感じていた。

 しかし紫月の訴えは聞き入られず、さやは地下牢に連れて行かれる。紫月は師として、さやが本当に悪いのか、なぜ阿国に跳び蹴りなど食らわしたのか、きちんと状況を把握するために行動することにした。


 火の一族の屋敷に歩を進めようとする紫月の足に、何かが当たった。拾ってみると、それは簪だった。さやがお千代からもらった、梅・桃・桜の花の簪。泥で汚れているそれは、二本の歯が折れてしまっている。


「……何故、これがここに?」


 ※

 ※

 ※


 強い力で押されたさやは、地下牢の床に膝をついてしまう。

 戸を閉めた男は、「お前は何度問題を起こせば気が済むんだ?」と呆れたように言う。


「…………」


 さやは何も言い返さず、むしろの上に座る。男は舌打ちし、戸から離れていく。


 荒くなる呼吸を押さえ、前にここに入れられたのはいつだったか、記憶を探る。

 そうだ、思い出した。四年前にこの里に来たとき、私は監視の忍びを振り払い、更に抵抗して暴れたため拘束され、同じく座敷牢で暴れた紫月と処分が決まるまで入れられたのが最後か。

 地下牢に入れられるのは今回で二度目だが、さやはこれまで小さな問題をいくつか起こしていた。例えば父と母のことを馬鹿にした悪童を張り倒したり、おかずを取られて喧嘩になり、掃除した場所をわざと汚されたりし、その度にさやは相手と口論になったり、時には手が出たりした。

 罰として飯を抜かれたり、厠掃除を命じられたりしたが、今回のように相手に大けがを負わせたのは初めてだ。しかしさやは全く悪いとは思っていない。むしろその程度の怪我で済んだんだから感謝して欲しい。


 今頃阿国は治療を受けているのだろうか。あの性悪娘のことだから、お千代さんや焔党の党首に全ては私が悪いと泣きながら主張しているだろう。そして実際に阿国は怪我を負っている。心証はこちらの方が悪い。


 お千代さんは阿国の味方をするのだろうか? 当たり前か。阿国は自分の弟子だもの。弟子を信じるのが師の役目だ。

 では、紫月は? さやは途端に不安になった。ここに連れて行かれる前に見た、疑念に顔を歪めていた紫月の顔が脳裏に焼き付いている。弟子の罪は師の罪でもある。紫月まで罰せられてしまうのだろうか。それは嫌だな、とさやは膝を強く抱いた。


 視界が滲む。さやは思わず浮かんできた涙を乱暴に拭う。

 親切だったお千代さん、沢山の事を教えてくれて、また従者として傍にいてくれた紫月、もう二人とは今までの関係には戻れないのか。そう考えると、少しだけさやの心に罪悪感が生まれる。

 最悪、里を追い出されるかもしれない――そう思うと、心が寂しさや悲しみで一杯になり、拭っても拭っても涙が溢れてくる。もう二度と、あの簪を髪に挿して踊れる日は来ないんだ。


 泣いていることに気づかれぬよう、声を出さず静かに涙を零していたさやだったが、数刻もしないうちに戸が開いて、男が「出ろ」とさやに告げる。


 まだ一日も経っていない。一体なんで? と思っていると、後ろで縛られた阿国が引っ張られて、別の牢に入れられるのを見てしまう。

 解放されたさやは、屋敷の広間に行くように命じられた。少し緊張しながら向かうと、広間には焔党の党首、紫月、そして悲しそうに眉を下げているお千代がいた。


 ※

 ※

 ※


 さやの行動の裏付けは簡単にとれた。


 紫月は阿国の取り巻きの女児や、火の一族他里の者に簪を見せながら証言を集めていった。

 すると、さやが簪を必死になって探していたこと、どうやら簪が何者かに盗まれてしまったこと、そして簪を盗んだのが阿国であることが皆の証言により分かった。


 取り巻きの女児達は、最初さやが意味も無く攻撃してきたと言ってきたが、周りの者との証言の食い違いを指摘すると、阿国がさやの行李から簪を盗んで自慢していたことをあっさりと白状した。

 次に紫月は、医療班から治療を受け終わった阿国にも詰問した。思いっきり蹴られた頬は痛々しく腫れ、痛めた首にも湿布が貼られている。阿国は泣きながら、友達と遊んでいたらいきなりさやが乱入して蹴ってきた、どうしてかはわからないと目を腫らしながら訴えたが、歯が折れた簪を見せ、その友達とやらが阿国が盗みを働いたと言っていたと紫月が詰め寄ると、阿国は泣くのを止めて下を向いて小刻みに震えた。


「ひのえ……それは本当でありんすか?」


 お千代が信じられないといった風に尋ねてきたが、紫月は阿国を見下ろしながら「ああ」と答える。


「すでに皆から証言も得ている。さや様が目を光らせて必死に簪を探していたこと、簪はこいつが盗んだこと、全て裏がとれている。暴力を振るったさや様に全く非がないわけではないが、盗みを働いたこいつはもっと重罪だ」


 余程凄い形相だったのだろう。阿国は紫月の怒気に怯え、何も言えずガタガタと身体を震わしている。


「阿国? さやさんの行李から簪を盗んだのは本当かい?」


 お千代が阿国に尋ねる。その声は動揺に満ちていた。

 お千代の問いにも阿国は答えない。苛ついた紫月はもう一度詰問しようとしたが、「……あいつが悪いんだ」と阿国は小さく呟く。


「お千代ねえさんの弟子でもないくせに、姐さんにベタベタして……あんな短い髪で、踊りも下手くそなのに、あいつにこんな簪、つける資格なんて――」

「阿国!!」


 お千代が怒声と共に阿国に平手打ちをかます。凄い力で張り倒された阿国は、頬を押さえながら信じられないという風に目を大きくさせお千代の方を見るが、お千代は怒りで呼吸を荒くしていた。


「あっしはあんたをそんな風に育てた覚えはないよ! その簪はあっしがさやさんにあげたもの。勝手に盗んでいい理由などありんせん! 阿国、あんたは破門だよ」


 破門、と聞き、阿国の顔が歪み、次の瞬間わあ、と大泣きし始めた。先ほどの嘘泣きとは違う、本当の悲しみからくる泣きであった。

 お千代は複雑そうな顔をしているが、拳をぎゅ、と握りながら、紫月に阿国を地下牢まで連れて行ってくれと頼んだ。紫月は無表情で阿国を縛り、無理矢理立たせ、歩くよう促した。


 屋敷に着いて牢番に引き渡すまで、阿国はずっと泣いていた。目を真っ赤にして鼻を啜るその姿を見て、さや様の方がもっと泣きたいだろうよ、と紫月は心の中で冷たく突き放した。

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