第七十三話:簪の行方
さやは自分の
行李の中にはそれほど多くのものは入っていない。それでもさやは、着物の布と布の間まで探したが、やはり簪は見つからなかった。
四年前の冬、神楽舞を踊るときに
まさか、盗まれた――!?
ざ、と全身に鳥肌が立つ。行李は紐で縛られているだけで、鍵がかかっているわけではない。やろうとおもえば中の物を盗むのは可能だ。
(いや、でも!)
さやは頭を振る。同じ里の人間を疑うのは良くない。もしかしたら、なにかの手違いで、別の行李に簪が紛れ込んだのかもしれない。限りなく確率は低いが……。
さやは天恵眼で部屋にある他の三つの行李の中を透視した。念入りに見たが、どの行李にも簪は入っていない。部屋の中全体も透視したが、どこにも簪は隠れていなかった。
さやは他の部屋にも移動し、簪を探す。
隣の部屋では三人ほどの男女がたわいもないおしゃべりをしていたが、いきなり襖を開けたさやに驚き、「ど、どうした?」と男の子がさやに問いかける。
「簪を探しているの。梅と桃と桜の花が咲いている、これくらいの……」
「いやあ、俺は知らないな」と男の子は答える。
「あたしも」
「俺も見てないな」
三人の答えを聞き、さやはその部屋も透視したが、三人の男女の着物の中はもちろん、部屋の中も、部屋に置いてある行李にも簪はなかった。
さやは必死になって他の部屋も探す。途中で人に会えば簪の行方を聞き、地下牢を含む一つ一つの部屋を丁寧に透視したが、結局火の一族の屋敷からは簪は見つからなかった。
小さな納戸まで調べても見つからない……。となると簪は外にあることになるが、簪が自分の意思で行李から逃げ出したわけではない。やはり誰かが簪を行李から持って行ったのだ。
(でも、一体誰が……?)
ふと、さやの脳裏に、阿国の意地悪な笑顔が浮かんだ。
どうして阿国が私を嫌っているかは分からないが、あの子なら――
「……決めつけはよくないな」
ふう、と息を吐き、さやは自分にそう言い聞かせる。忍びは感情に飲まれてはいけない。感情で決めつけるのでは無く、論理的に考えるんだ。
他に考えられる可能性……例えば、あの簪に何らかの不具合があって、忍具制作班の誰かが持ち出した、あるいはお千代さんが何らかの理由であの簪が必要になったとか? だとしたらお千代さんは私に無断で行李を開けて持って行ったということになるが……。
とりあえず、忍具制作班のところへ行ってみよう――さやは心の奥がざらつくのを感じながら、速歩で歩き出した。
※
※
※
だが、さやはすぐに簪を見つけられた。
糧食班の近くの木々で、
見間違えるはずが無い。梅・桃・桜の花が咲き、それぞれの花が三房垂れ下がっている、お千代さんにもらった、私の大切な簪。
一瞬の衝撃のあと、さやの頭の中は怒りで埋め尽される。
頭の片隅で、冷静になれ、阿国にもなにか事情があったのかもしれない、と囁く自分がいた。
忍びは感情に飲まれてはいけない。
常に冷静であれ。あらゆる状況を想定し、最善の行動をとれ。
散々紫月から教わった忍びとしての教訓が、頭の中で響く。
しかし頭の血がざあ、と音を立てて引いていく。それは阿国が、簪を自分の髪に挿して得意げに笑ったのを見てしまったからだ。
さやの足が、早歩きから徐々に全速力へと移行する。
――事情? 勝手に人の行李を開いて、物を盗む事情?
んなもん――
「知るかボケ!!」
さやは助走をつけて跳躍し、阿国へと全力の跳び蹴りを食らわす。
蹴りは阿国の顔に見事に当たり、阿国の小さな身体は吹っ飛ぶ。
その衝撃で、阿国の頭に挿していた簪は抜け、簪の二本の歯がポッキリと折れてしまったが、さやは怒りで気づくことはなかった。
※
※
※
休みを貰い、家で横になっていた紫月だが、身体は大分回復した。怠さもましになり、鉛のように重かった手足も今は普通に動く。
身繕いを終えた紫月は、部屋の中を掃除する。しかし狭い部屋はあっという間に片付いてしまい、仏壇に線香と水を供えて手を合わせたあとは、完全にやることが無くなってしまった。
前に休みをもらったのはいつだっただろう。それは紫月にも思い出せない。どんなに過酷な任務の後でも、どんな深い怪我を負っても、半日も休めば完全に復活するような身体は火の一族どころか里でも随一の頑健ぶりであり、一体どんな修行を積めばそんな風になるんだ? とよく聞かれたが、特に特別な事はしていない。気がついたらこんな身体だったから、紫月にも原因はわからない。
しかしいくら頑健とはいえ、鍛錬を怠ればなまってしまう。紫月は片手で腕立て伏せを行いながら、さやは今日きちんと修行できただろうかと考えてしまう。
さやはもう十六。子供ではないと分かっていながら、どこかまだ心配だった。お千代が付いているのだから問題は起こさないと思うし、さやだって決して頭の悪い子ではない。それなのにこうして考えてしまうのは、俺が子離れしていないのだろう。
右手の一〇〇回を終えて、今度は左手で腕立て伏せをしながら、さやの年齢がもう十六という事実を反芻する。
通常、大名の姫などの高い身分の者は、十五、六が結婚適齢期だ。早ければ十二、十歳ほどで輿入れというのも珍しくない。
坂ノ上清宗は言った。さやを次代の子が生まれるまで守り抜け、と。その命を遂行することに変わりは無い。だが、坂ノ上家の次代の子を作るには、さやを誰かに娶らせるか、あるいはさやが婿をとらなくてはいけない。しかしどうもさやはそっちの方面にあまり興味を示していない。そんなことより鍛錬、というように、毎日汗を掻いて身体を鍛えている。
恋愛、というか男女の色事にあまり興味を示さないのは、もしかしたら自分に似たのかもしれない。
もちろん大名の姫だったので、性教育は乳母から教えられているだろうし、ここ月の里でも房術は人形相手に一通り教えられている。女子の教えは具体的には良くわからないが、春画や張り型を使って教わっているはずだ。
それでも、さやから恋愛の話など聞いたことがないし、お千代に尋ねても、特に好いている相手がいるわけでもなく、房術の授業でも、さやは春画を見て「こんな曲芸みたいな姿勢とるんだ」と不思議そうに首を傾げ、張り型を触れば「こんなのが殿方にはついているんだ」と面白そうに呟いて、その言葉に色気はお千代には感じ取れなかったらしい。
(ううむ、いかんな)
色に溺れろとはいわないが、さやは色事にもう少し興味を持った方が良いだろう。勿論、坂ノ上家の再興の為だ。
しかし、どうやって教えれば良い? その前に相手はどうやって選ぶ? お家の再興を目的とするなら、それなりの家に嫁がなくてはいけない。だが、国を持たない、家族もいないさやを娶りたいと思う大名の子息がいるだろうか?
さやがどこぞの男と夫婦になる――そう考えると、紫月の顔が不機嫌そうに歪む。
色事を教えなければと思っているのに、いつかはさやは何処かに嫁ぐだろうに、それを考えると胸の奥がなんだかムカムカしてしまう。思いっきり矛盾している。
やはり、子離れ――いや、弟子離れか?――が出来ていないな、と紫月は口の端を上げてそっと嗤った。
腕立て伏せを終え、柔軟をしていると、家の外が何やら騒がしい。
夕餉の支度にしては変だ。紫月は戸を開けて外に出る。何人かの大人の怒声と、女児の泣き声が聞こえる。
「あ、おい! ひのえ!」
ちょうど家の前を通った火の一族の男が、紫月の姿を見て怒ったように叫ぶ。
「なにがあったんだ?」
紫月の問いに、男は怒鳴った。
「お前は弟子になにを教えてるんだ!? さやが阿国と取っ組み合いを始めやがったぞ!」
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