第五十四話:目覚め、そして後悔

 さやは、歩いていた。

 どこを? どこなんだろう? 一面白い霧に覆われていて、ここがどこか分からない。

 そもそも自分はなんで歩いているのだろう? どこへ向かおうとしているのだろう?


 ころころ、と地面に何かが転がっていく。それは、一つの桃であった。


 なぜ、桃が? 疑問に思いさやは桃を拾う。桃の甘い香りが匂ってきたと思うと、霧が晴れていく。

 霧が晴れた視界の先には、桃の花が全開に咲いていた。


(綺麗……)


 一陣の風が吹き、甘い香りと共に濃い桃色の花弁がざあ、と辺りの空気を掻き乱す。

 その風を心地よく感じていたさやの目の前に、一羽の鶴がいつの間にか現れていた。


「……鶴?」


 さやは思わず鶴を触ろうと手を伸ばす。しかし鶴は触られるのを嫌がるかのようにそっぽを向き、翼を拡げて飛び立ってしまった。

 待って――鶴の後を追おうとするさやの手に握られていた桃が、どろりと形を崩す。

 瑞々しい香りを放っていた桃は、赤黒い液体へと姿を変える。

 さやの手を汚していくそれは、人の血、であった。


 悲鳴をあげるさや。すると世界が変わる。


 満月の夜、血まみれの鬼が無邪気に月下の野原を飛び跳ねている。

 斬られていく。人が。沢山の人が、鬼の子の持った刀によって。

 その刀は、坂ノ上家に伝わる三振りの刀の一振り、「現在」を意味する桃の花を象った太刀だ。

 そして、それを振るっているのは――


 私?


 鬼は、まぎれもなく自分、坂ノ上さやであった。

 目の前の私は、芦澤家の刺客達を斬りながら笑っている。斬るのが楽しくて仕方が無いと言う風に。

 敵を斬り、裏切り者の大定綱義を斬り、鬼はさらに得物を求めて辺りへと駆ける。


 いつの間にか、また辺りが変わっていた。

 今度は燃える三鶴城だ。そこで鬼の私は、三鶴の民、家臣や侍女と乳母、そして父と母すら斬ってしまう。


 やめて! そう叫んでもう一人の私を止めようと手を伸ばすと、鬼は私と一体化し、私は血溜まりの中、死体に囲まれて立っていた。


 無数の屍の瞳がこちらを凝視し、呪詛の言葉を吐く。

 何故殺した、苦しい、痛い、辛い、痛い、イタイ――芦澤家の刺客達、大定綱義、三鶴の民、侍女達、乳母、父と母がはらわたを露出させ、さやを責め立てる。

 責められる度、心と体に焼けた火鉢を押しつけられたような激痛が走り、さやは頭を抱えて膝を付く。


 いや、嫌だ、こんな、わたしが、わたしが殺した? 父上や母上、三鶴の民まで、みんなみんな?

 そんな、わたしは強くなったはずだ。誰にも負けないくらい強く。強くなってみんなの仇を討ちたかったはずだ。ただ亡き父に、母に、みんなに認めて欲しかった。

 なのに、私がみんな殺してしまった。殺すことに快感を覚えてしまった。ちがう、ちがう。私が望んでいたのは、こんな力ではなかったはず。こんな強さは強さとはいえない。三鶴を一方的に蹂躙した奥州討伐軍と何ら変わりない、弱者をねじ伏せて楽しむ醜い強さだ。 


 身体が震える。震えながらさやは、声にならない叫びを吐く。


 誰か、お願い、私を、助けて――


 ※

 ※

 ※


 目を覚ましたさやの視界に入ってきたのは、見知らぬ天井だった。


 ここはどこだろう? 私は今まで夢を見ていたのか?


 天井から視線を横にずらすと、そこには浅黒い男と、不思議な文様の着物を纏った子供がこちらを見ていた。

 男と子供は、驚いたようにこっちを見ている。紫がかった月夜を思わせる黒髪。私の短い茶色の髪とは違う、美しい忍び――


「……紫月? レラ……?」


 喉を揺らして出た声は、自身の従者と友人の名を呼び、名を呼ばれた紫月とレラは驚きに目を大きくさせ、こちらへとやってきてさやの手を握った。


「さや姫……」


 紫月が顔を近づけてくる。と同時に、さやの脳裏にあの時のことが鮮明に思い出される。


 あの満月の夜。レラと共に芦澤家の者に襲われ、私が刺客達と大定綱義を殺して楽しんでいたところを紫月に殴られ、正気に戻った私は血に塗れ、辺りは切り刻まれた死体が転がっていたときのことを。


「あ……あ」


 呼吸が荒くなってくる。身体が震える。怪訝に思った紫月が手を差し伸べてきたが、その浅黒い手が夢で見た亡者達の死体と重なり、さやは瞳を光らせ叫んでしまう。


 甲高い絶叫は山形城の庭まで響き、叫びを聞いた最上家の家人達が何事かとさやの寝室まで走ってくる。

 家人達の足音を聞き、紫月は急いで手ぬぐいでさやの目元を縛る。天恵眼てんけいがんを隠すためだ。


「何事か!」


 寝室の襖を開け、家人の男が紫月に問う。手ぬぐいで目を隠されたさやを見て、男達は眉をひそめる。

 未だ震えが止まらないさやをレラに預け、紫月は男達に身体を向ける。


「いえ、こちらの青葉が目を覚ましたのですが、混乱しており思わず叫んでしまったみたいです。それより、待機している我が里の医療班の忍びを呼んできてくれませんか?」


 紫月の言葉に、家人達は別室に待機している月の里の医療班の元へと足を向ける。

 さやが倒れてから紫月は里へ医療班を派遣するよう文で要請し、昨日医療班の班員が三名山形城に到着した。いつさやが目覚めてもいいよう準備を整えているはずだ。


 さやの天恵眼を最上家の者に見せるわけにはいかない。紫月は目元を塞がれたさやの様子を見たが、これくらいの手ぬぐいなら視界を塞がれてもさやには辺りを視認・透視でき、自分やレラのことも認識出来ているようだ。

 さやは身体を掻き抱きながら、小声で何か呟いている。


 蚊の鳴くような声で、さやはしきりに「ごめんなさい」と何度も謝罪の言葉を唱えていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る