第五十五話:力を持つものの責任

 紫月に呼ばれた月の里の医療班は、目覚めたさやの容態を診察する。

 寝室の前に見張りを付けて、さやの脈、呼吸、天恵眼の様子などを診ていく。班員によれば、身体には問題はなく、開きっぱなしの天恵眼も硝酸銀を希釈した清眼膏を注せば治まった。


 問題は、さやがずっと怯えていることと、宝刀が抜けなくなってしまったことだ。


 さやが震えながら宝刀の柄を握り鞘から抜こうとしても、刀は抜けなかった。桃の花が象られた宝刀は、坂ノ上の直系の血縁者で、尚且つ宝刀が認めた相手でないとその刀身を見せない。さやは十二の時月山神社で神楽舞を奉納し、宝刀に認められたはずだ。あれからずっとさやの相棒であった優美な宝刀は、どんなに力を込めても決して鞘から姿を見せない。


(拒否されている?)


 さやの目には、宝刀が心を閉ざしているように見えた。

 自分が、あのような蛮行にこの刀を使ったから? 人を沢山殺してしまったから? 私が、殺戮に愉悦を感じてしまったから?


 呼吸が荒くなる。身体がまた細かく震える。胃が痛み吐き気を催してしまう。目の奥が熱い。

 ――私は、坂ノ上当主に相応しくない?


「さや様、呼吸が乱れています。ゆっくり吸って、倍の時間をかけて吐いて下さい」 


 いつの間にか紫月が傍にやってきて、私の背中をさすってくれる。紫月の端正な顔を見ると、あの夜の彼に殴られた頬の痛みと、憤怒の表情、そして辺り一面血まみれの野原を思い出す。


「あ……」


 さやは呼吸が出来なくなり、瞳孔が収縮する。身体の震えが大きくなり、酸素不足で目の前が暗くなる。


「さや!」


 レラが叫ぶ。紫月が背中をさする力を強めてもさやの状態は良くならない。見かねた医療班の班員がさやの身体を横にし、過度の緊張がほぐれるよう手足をさすったり、柴胡さいこ甘草かんぞう茯苓ぶくりょうなどを配合した鎮静作用のある薬湯を作りさやに飲ませた。


 そうして半刻一時間もすると、さやの状態は落ち着いてきた。呼吸も整い、視界も戻ってくる。脈を測っている班員を横目に、さやは心配そうにこちらを伺うレラと、眉間にしわを寄せている紫月へと視線を移す。


「……ごめんなさい」


 乾いた唇を震わし、さやが謝罪の言葉を口にする。その言葉は自分に向けられたものだと紫月は分かった。


「何に対して、謝っているんですか?」


 紫月は表情を変えずさやに問い返した。さやは一瞬だけ泣きそうに顔を歪めたが、視線を落としながらゆっくりと答えた。


「あの時、大定他刺客の殺戮に走ってしまったこと、紫月の手を煩わせてしまったこと、えっと、それから……」


 さやが口ごもる。この複雑な気持ちを上手く言葉に出来ないのだ。元々さやは自分の気持ちを言葉や表情に変換することが苦手な性格であるが、この問いには真摯に答える必要があると感じていた。

 紫月は真剣に私に問うている。なら私も茶化したりしないできちんと答えないと。


「初めて人を殺したとき、どう思いました?」


 紫月が再び問うてくる。人を殺したと言われて、さやの鼓動が大きくなる。こめかみに響いてくる心音を感じながら、さやは「……最初は、楽しい、と、思った」と正直に答えた。


「私は強くなったって。芦澤正道を負かせて、襲ってくる敵を斬って、自分は強いんだ、だから仇である大定だって殺せる、って気分が良かった」


 だけど、とさやは続ける。


「紫月に殴られて、やっと自分の犯した罪が分かった。あんな風に人を殺めるのは間違っているって。そう思った時、凄く嫌な気持ちになった」


 一言一言を発する度に、心の内側がざらついてくるのをさやは感じた。本当ならまた叫んでこの場から逃げ出したかった。あの時のことを思い出す度、自分はなんて愚かだったのだろう、なんて幼稚だったのだろうという自己嫌悪感が溢れてきて、今すぐ身体を掻きむしりたい衝動に駆られる。

 震える手を押さえながら、さやは紫月の次の言葉を待った。医療班の班員や、レラも成り行きを見守っている。


 そうして少しの静寂が寝室を満たし、紫月が無言のまま手を上げる。

 殴られる! レラ達は思わず息を呑み、さやは目を固く瞑り身体を強ばらせる。しかし紫月の大きな手はさやを殴ることなく、頭にぽんと置かれた。


「合格です」


 え、とさやが目を大きくする。紫月は構わず続ける。


「忍びは、殺戮に悦びを感じてはなりません。命を奪うからこそ、命の重さ、尊さを知り、殺人という行為の責任の重さを知らなくてはいけません」


 紫月はかつて自身の師である焔党の党首に言われたことを、今度はさやに伝える。この時の紫月はさやの従者ではなく、忍びの師として言葉を発していた。


「それが分からず、力に溺れる者が沢山います。特にこの乱世では。力を持つものは力を行使する責任が伴います。強さの意味をきちんと知らなくてはいけません」


 静かに語られる紫月の言葉にさやは目を白黒させながら、心の奥が少しだけ熱くなってくるのを感じた。

 力を持つものの責任。命を奪うからこそ命の価値を知り、己を律しなければいけない。そうでなくては忍びはただの殺戮人形になってしまう。他者を蹂躙し、強さで押しつけることは間違っている、と紫月は言っているのだ。


 では、本当の強さとはなんだろう? さやは紫月に問いかけようとして止めた。それはさやがこれから自分自身でわからなくてはいけない。紫月もさや自身に答えを見つけて欲しくてわざと言の葉に乗せないのだ。


 さやは枕元にあった宝刀を再び手に取る。やはりまだ刀は抜けないが、先ほどと違い強い拒否は感じなかった。


「あ―……お二人さん、お話の最中悪いんだけど、里から指令が来てるぞ」


 医療班の班長が気まずそうにさやと紫月に話しかける。さやは不思議そうに首を傾げる。紫月も聞かされていなかったらしく、「新しい任務か?」と問いかける。


「ちょうどお前達が山形城にいるんで、ちょうど良いとのことだ。最上義明公からの連続依頼だ。山形城下の村が仮面を付けた謎の盗賊に襲われているのでそいつらの排除と、それから……」


 班長が収納術式から細長い物体を取り出して見せた。それは銃のようだが、今まで見てきた火縄銃とは微妙に細部が違う。


「これは根来衆から奪ってきた新型の銃だ。これの性能実験も兼ねて、盗賊共を撃退しろ」

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