第五十三話:桃が語る思い出
六年前。一五八八年。さや、十歳の時。
さや付きの忍びになったひのえこと紫月は、
乳母が目を離した隙をついて、さや姫がいなくなったという。
城内はちょっとした騒ぎになり、夏風邪で寝込んでいる正室に気取られることのないよう、姫を探してこいと紫月は命じられた。
ちょうど自分が当主に呼び出されていたことも相まって、さや姫はほんの少しの間一人になってしまった。その隙をついて誰かが攫ったのか、はたまた姫がどこかに駆けていったのか……。
あの抑圧されている大人しい姫が一人で城外に出て行くわけがない、と紫月は考えたが、
門番の男に話を聞くと、姫は当主から城下の村を見てこいと命じられた、と言い、門を開けさせたらしい。
「それで、姫はどこの村に行くと言っていた?」
「確か、さくら湖の近くの村ですね。ほら、桃が盛んな村ですよ」
三鶴に来て日の浅い紫月には、どこの村か分からない。とりあえずさくら湖を目指して馬を走らせる。
季節は八月。三鶴城城下のあちこちの村で桃が収穫されている。収穫された数少ない桃は坂ノ上家に献上される他、形の悪い桃は農民が食べたり行商で他国に売られたりする。紫月はソハヤの足跡を追いながら、しかしその足跡が途中で途切れていることを知る。足跡の途切れた場所を見渡してみると、近くの木にソハヤが繋がれている。
何故こんな所に……と紫月が馬を下りソハヤの首筋を撫でてやると、さや姫の小さな足跡がソハヤの周りから奥の森へと続いている。紫月は慎重にその足跡を追った。
木々を抜けると、日の当たる小高い丘へとたどり着く。そこには一本の桃の木があり、実がいくつも実っている。
その桃の木の下で、誰かが蹲っている。紫月が近づくと、その人物がはっとしたように顔をあげた。
「見つけましたよ。姫様」
「紫月……」
さやの目が赤い。恐らく泣いていたのだろう。一人でここまで来てしまい寂しくなったのか。
「奥方様や皆が待っております。早く帰りましょう」
紫月がさやの手を引っ張ろうとすると、さやは手を引っ込めて下を向く。一体何だと
「帰りたくないんですか?」
「……違う」
じゃあなんで、と紫月が問う前に、さやは木の上を指さした。そこには桃がいくつもなっているが、一番高い所に見事な黄金色の桃がなっていた。
「前に聞いたことがあるの。黄金色の桃を食べると、どんな病気も治るって」
さやが呟く。
もしかして、さや姫は寝込んでいる正室にこの桃を食べて欲しくてここまでやってきたのか?
「そんなこと、私や他の家人に言ってくれれば良かったものを」
「……私がとってこないと駄目なの。だって、私は次の当主だから。これぐらい出来ないと……」
他の家臣達に笑われてしまう。そうさやは言う。
紫月は少し意外に思った。確かに今坂ノ上家では、跡目を誰にするかで静かに争っている。当主はさや姫を後継者に指名していたが、それに反対している家臣の方が多かった。さやはそのことに不満も嬉しさも何もこぼさず、人形のように大人しかったから、まだ自分の頭で考えられるほど意思が強くない子供だと紫月は感じていた。
だが、今回の突発的な行動と、涙を浮かべながら口を真一文字に結ぶさやからは、頑固とも言える強い意思が窺えた。
この方はなにも考えていないわけではなかったのだ。むしろ色々と感じ、次代の当主として相応しいよう強くありたいと考えていたのだ。だから自分一人で行動し、ここまでやってきた。
大人しい人形のようだと思っていた自分の主人が、実は自身の意思で行動出来る強気な方だと知り、紫月は少しだけ嬉しさを覚えた。加えて他者を思える優しい心も持ち合わせていることも知り、小言をいう気もすっかり失せてしまった。
ぽん、と紫月はさやの頭に手を置くと、軽く跳躍し木から黄金色の桃をもいだ。高くてとれなかったそれを見て、さやの目が大きくなる。
「さ、早く帰って奥方様に食べてもらいましょう」
「……うん!」
その時、初めて紫月はさやの笑顔を見た。子供らしい無邪気な笑みを見て、そうやってもっと笑っていればいいのに、と紫月は思った。
その後、三鶴城に帰投したさやは、乳母にキツく説教されたが、母である正室は、黄金色の桃をさやが自分のために取ってきてくれたことを紫月から聞き、嬉しそうに桃を食べた。
桃の効力なのか、翌日にはすっかり熱も引いて、正室はさやに桃の礼を言い、しかし今後黙って城の外に行くことを禁じた。
「今後城外に行く場合、紫月を伴いなさい。あなたは次代の坂ノ上家当主なのですよ。なにかあったらどうします」
「はい、母上」
固く頷くと、さやは後ろに控えていた紫月と目を合わせた。二人だけの時間を共有出来て、以前より親密そうな色がさやの目に宿っていた。
紫月はそれに答えるようにそっと頭を下げたのだった。
※
※
※
(そうだ、あの時から、俺はこの方を守ろうと決意したんだ)
桃を食べ終えて、紫月は桃の花が象られた「現在」を意味する宝刀を手に取り、回想を終えた。
最初は他人の心の動きを知るためにさやを見ていたが、あのちょっとした事件を経て、紫月の中でさやは明確に主人として認識された。
あの時から、さやが他人のために行動出来る優しく強い方だと俺は知っていた。それは六年経った今でも変わっていない。それどころか、むしろさやはどんどん心身共に強くなった。彼女は決して殺戮を心から楽しむ人ではない。
この方は、俺とは違う。殺人に快楽を求めたりしない。もし間違った道に歩もうとしたのなら、俺が手を取って直してやればいいのだ。
(だから、早く目覚めてくれ――)
紫月はそっと宝刀をさやの枕元に置いた。すると、さやのまぶたが少しだけ震える。
長いまつげが震え、ゆっくりと瞳が開いてくる。
「!」
紫月とレラが驚きで顔を合わせる。さやは、ぼんやりとした瞳で天井を見ると、次に横にいる紫月達の方を見る。
「紫月……? レラ……?」
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