第五十一話:誤った力の使い方

 さやを探して森の中に入っていった紫月とレラに、いきなり棒手裏剣が飛んでくる。


「!」


 紫月はレラを庇いながら横へと飛ぶ。暗い森の中に、数名の気配を紫月は感じた。

 この気配の消し方からして、相手は芦澤家の忍びだろう。数は十人程か?

 自分一人だけならこいつらを瞬殺できる自信があるが、後ろに非戦闘員であるレラがいる。彼女を守りながら戦わなくてはいけない。


「レラ。俺の傍を離れるな」


 紫月の言葉に、レラは無言で頷く。再び襲い来る棒手裏剣を、紫月は装束に書いた収納術式から取り出した大刀だいとうで全てはじく。

 長い柄の先に湾曲した刃が取り付いたそれは、大陸の武器である青龍偃月刀せいりゅうえんげつとうによく似ている。自分の背丈より大きいその大刀を、紫月は苦もなく回し、飛びかかってきた忍びを切り捨てる。背後からレラを狙ってきた忍びは、振り回された大刀の柄で顔面を粉砕されことぎれる。レラは紫月の後ろにぴったりとつき、身体を震えさせながらその様子を見ていた。


 大刀を構え、紫月は内心苛立っていた。こんな奴らの相手をしている場合ではないのに! 早くさや様の元へと行かなくてはいけないのに!

 焦る紫月はレラを脇に抱え、片手で大刀を振るいながら走る。大刀で斬り、蹴りを食らわせ、飛来する手裏剣をかわしながら紫月は着実に敵の数を減らしていく。


「どけ! お前らの相手をしている暇はないんだよ!」


 ※

 ※

 ※


 月下の野原で、さやは大定綱義と邂逅していた。互いが互いを認識し、暫しの沈黙が流れる。沈黙を破ったのは大定であった。


「姫様……生きておられたとは……」


 大定が両手を拡げさやに近づこうとする。しかしさやは大定に向けて宝刀の切っ先を向ける。歩みを止めた大定に向けて、さやは静かに問う。


「大定……何故、父上を、坂ノ上を裏切った?」


 静かに発せられたその言葉には、堪えきれない憎しみの色が窺えた。大定は舌打ちしながら腰の刀に触れる。

 どうやら自分が坂ノ上清宗を討ったことをこの娘は知っているようだ。この四年間どこに隠れていたのかは分からないが、何も知らないか弱い姫であれば良かったものを。何も知らなければ痛い目に合わずにすんなりと捕縛できたのに。


「何故……か。それを貴女が知ってどうなります?」


 大定は腰から太刀を抜き、さやに向かって一閃を浴びせる。さやは後ろに飛び退き宝刀を構える。


「手間をかけさせないで下さいよ。貴女だって痛いのは嫌でしょう? 大人しく捕まってくれれば、芦澤家も命までは取らないでしょう」


 ひゅん、と大定は威嚇するように刀を何度か振って見せた。その素振りは堂に入っており、武芸に優れているという噂に違わぬ剣筋であった。


「もう一度聞く。なぜ、父上を裏切り、芦澤家に下った?」


 苛つきながらさやが再度問いかける。問いかけながらさやにはなんとなくその理由が読めていた。大定は私を次期当主にすることに反対していた。後継者を巡って父と対立し出奔。とてもありふれた陳腐な理由だ。

 だが、さやは出来るならその言葉を大定から直接聞きたかった。それはきっと、彼女の中に根付いた武士の教えの元、目の前の敵を斬る大義名分が欲しいからだろう。


「分かりきったことを聞きますな!」


 大定が一気に距離を詰めて刀を振り下ろす。さやはそれを避けるが、大定の猛攻は続く。一閃、二閃。攻撃を受ける度打撲した左肩と右ふとももに痛みが走る。


「坂ノ上清宗はなあ! 当主の器じゃなかったんだよ! あいつのせいでどれだけの血が流れたと思っている!? 暗愚な主人など見限って何が悪い!」


 大定の豪腕から繰り出される剣筋を読みながら、さやは巧みに回避する。避けながら自分の顔がどんどん険しくなっていくのをさやは感じた。同時に身体の内奥から煮えたぎる怒りがわき上がって、体温と鼓動を高くする。


 父が為政者として凡夫であったとか、大定との間に確執があったとか、そんなのはさやには関係ないことだ。さやにとって清宗は厳しくも優しい父であり、そんな父が守ろうとした三鶴という国をさやは愛していた。その三鶴を間接的に滅ぼし、父を殺した大定はさやにとって芦澤家と同じくらい憎い仇である。こいつを討たなければ、死んでいった父や母達が浮かばれない。


 今の私なら、こいつをやれる。私は強くなった! 仇を討てるくらい強く! 芦澤家であろうが、豊臣秀吉であろうが、今の私なら誰にだって勝てる!


 いつの間にか、さやは打撲の痛みを感じなくなった。大定の動きが全て分かる。次の動きも予測できる。

 大定が刀を上段に構えたところを、さやの宝刀が素早く孤を描く。すると大定の太い左腕が、スパッと綺麗に切断される。

 大定は自身が斬られた事に気づいていない。血飛沫を浴びながら、さやは今度は両足に狙いを定めて刀を振ると、大定の両の太ももは骨ごと切断されぱっくりと割れる。


 一瞬のことで、大定は何が起きたか分からずに姿勢を崩す。遅れてやってきた激痛と大量の出血で、自分が目の前の小娘に斬られたことを知った大定は、痛みと狼狽で顔を歪ませる。


 足と左手を切断され、原っぱを転げ回る大定が目にしたのは、月を背に血まみれの裸身を露わにし、嗜虐的な笑みを浮かべている憎き坂ノ上清宗の一人娘、坂ノ上さや姫であった。


「こ、この!」


 大定は残った右腕で刀を振るうが、それも容易く弾かれ、同時に右腕も斬られる。

 絶叫。血飛沫。それらを浴びる度さやは気分が高揚して笑みを浮かべながら、もっと血がみたくて刀を動かす。大定の身体が切り刻まれる。まるで魚をさばくかの如く。


「た、たすけ……」


 瀕死の大定が懇願してくるが、それはさやにとって神経を逆なでする言葉でしかなかった。

 父や母、三鶴の民はそんなことも言えずに殺された。こいつが裏切ったせいで、自分は全てを失った。奥州討伐軍筆頭の芦澤家、坂ノ上を裏切った大定綱義を初めとする裏切り者の家臣達。みんなみんな殺さなくては。私がこの手で討たなくては!


 父上、母上、三鶴の皆。見てて。今、私がこの手で、こいつの首を皆への手向けに跳ねてやるから――


 瞳を光らせながら、さやは宝刀を大きく振り大定綱義の首を跳ねた。

 胴体と離れた首は何度か地面を跳ね、そしてそのまま何も言わない肉塊と化した。


 その時、紫月とレラがやっと原っぱに到着する。

 野原は辺り一面血で真っ赤に染まっていた。レラは小さく悲鳴を上げ、紫月は全身血まみれのさやが、笑いながら大定と思われる死体を切り刻んでいるのを見て、急いでさやの腕を掴んで止めさせた。


「いや! 離して! 邪魔するな!」


 紫月に羽交い締めにされても、さやは手足を大きく振って暴れた。凄い力に苦戦しながら、紫月はさやを地面に押し倒す。


「坂ノ上さや姫!!」


 紫月は思い切りさやの頬を殴った。肉を打つ鈍い音が辺りに響き、殴られたさやのみならず、レラも息を呑んだ。


「自分が何をしているか分かっているのか!?」


 紫月が大声で叫ぶ。

彼が今までにないほどの憤怒の表情を浮かべて自分を見下ろしているのを知ると、さやの熱くなっていた身体が急速に冷えていく。殴られた頬が痛く、口の中に血の鉄臭い味が広がる。


 正気に戻ったさやの鼻腔に血腥い匂いが届く。呆然と顔を横に向けると、草花は血に染まり、大定綱義だった肉塊は、体をなます切りにされていた。


「……さや? これはおまえがやったのか?」


 レラが怯えたように問う。何か言わないと。でも言葉が出てこない。

 さやの身体を押さえていた紫月が立ち上がり、転がっていた宝刀を手にする。「現在」を意味する坂ノ上家に伝わる太刀は、白銀の刀身が血で真っ赤に穢れていた。


 上体を起こしたさやは、血に染まった自分の手と、切り刻まれた大定の遺体を見比べて、自分の犯してしまった罪を認識し、身体が震え、呼吸が荒くなる。


「あ……あ……」


 痙攣し瞳を光らせるさやを見下ろしながら、紫月は渋面を作る。

 この戦乱の世で人を殺めるのが罪だとは言わない。復讐を望むならそれは避けては通れない道だ。だからさやもいつかは自ら敵を手にかけなくてはいけない、いつまでも自分が盾になるわけにはいかないと紫月は考えていた。


 だが、今回のはだ。殺人に快楽を覚えてはただの殺戮者である。それは強い力で弱者を蹂躙するのと同じ、誤った力の使い方だ。この日の本で起きている数多の殺戮と戦乱の源となる憎しみの暴走。力を持つものが決して陥ってはならない所業にさやは手を染めてしまった。


「……父上……母上……ととさま、かかさま……? 私、頑張ったよね? 私、強くなったよ? 私、わたし、仇を討ったよ? 間違って、間違ってないよね?」


 焦点の合わない瞳で、さやは辺りを見渡す。まるで父と母を探す幼子のようにきょろきょろと首を振る。が、当然父と母は見つからず、さやは身体を掻き抱く。


「わたし、強くなったの。ととさまとかかさまより強く。なのに……どうして……どうして褒めてくれないの? どうして頭を撫でてくれないの?」


 狂ったように、さやは二の腕に爪を立て掻きむしる。幼児返りしたかのようなさやの言動に、紫月とレラは絶句し一言も発せずにいる。


 目の奥が熱い。頭が痛い。嫌だ。嫌だ。お願い。誰か。私を褒めて。私を助けて。私を認めて。私は、わたしで、わたしが――


「あ、あああ、ああっ――!!」


 さやが頭を押さえ絶叫する。目を押さえ天を仰ぐと、さやはそのまま倒れる。紫月がその身体を受け止めるが、さやはすでに気を失っており、苦悶に満ちた表情で涙を流していた。


「さや姫……」


 血に塗れた野原に、さや、紫月、レラ、そして首を跳ねられ惨殺された大定綱義の遺体が月明かりに浮かぶ。


 騒ぎを聞いた最上家の者が来るまで、レラは泣きそうな顔で口元を抑え、紫月は血まみれの主人を抱きながら、この蛮行を止められなかった自分をずっと責めていた。

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