第五十話:坂ノ上の忘れ形見

 さやを探して林の中に入っていった紫月は、木の陰に何者かが蹲っているのを知り臨戦態勢をとる。

 警戒しながらその者の姿を見ていると、見覚えのある入れ墨が月明かりに照らされて露わになった。


「……レラ、か?」


 レラは、紫月の声に怯えたように顔を上げる。レラの顔には血が付いている。怪我でもしているのかと思い確かめるために頬に触れようとすると、レラはそっぽを向いてますます身を縮こませる。

 その時、彼女が全裸である事に紫月は気づく。

 紫月は上衣うわぎを脱いでレラの肩にかける。レラはかけられた上衣を震える手で握りしめ、「ニシパ旦那……」とか細い声で呟いた。


「一体何があった? さや様はどこだ?」

「さ、さやは……俺たち温泉に入っていたら、いきなり男達が襲ってきて……俺を庇ってさやが……」

「さや様が!? どうしたんだ!?」


 いきなり肩を掴まれたレラはまだ恐怖が治まらないようで、震えながら「さ、さやは、男達を斬って、俺に逃げろって……」と答えた。


「ご、ごめんニシパ。俺、怖くて何も出来なかった……さやを置いて逃げちまった」


 下を向きながら泣きそうな声でレラは呟く。顔に血は付いているがレラが怪我をしている様子はなく、血は恐らく敵の返り血だ。

 震えているレラの頬の血を拭ってやりながら、紫月は「謝る必要なんてない」と慰めの言葉を吐いた。


「俺こそ助けてやれなくてすまない。お前が無事でなによりだ。俺はさや様の方へ向かう。お前は義明公の元へ――」

「嫌だ! ニシパ、一人にしないで……」


 レラが紫月の手を掴みながら懇願する。それは神旗争奪戦で見せた勇ましい女武者のではなく、十四の少女らしいか弱い姿であった。

 最上義明公のいる宴会場までは距離があり、暗い夜道を上衣一枚しか羽織っていない少女が歩くには危険である。他にも刺客が潜んでいる可能性だってある。

 紫月は少し考え、「分かった。一緒に行こう」と言うと、レラを腕に抱き一気に走り出した。レラは落とされないよう紫月の首筋に掴まる。


 紫月達はあっという間に奇襲があった露天温泉にたどり着く。そこには首や胴を斬られて絶命している五人ほどの男達が湯に浮かんでいた。

 真っ赤に染まった湯から、血の跡が森の方へと続いており、その途中でも三人の男が倒れている。


「これを全てさや様が……」


 紫月は驚愕しながら周りを見渡す。死亡している芦澤家の刺客は、ほぼ一撃で急所を斬られていた。

 飛び散っている血は殆ど刺客のものだろうが、さやが傷を負っている可能性もある。血の跡を追って、紫月とレラはさやを探しに向かう。

 レラが心配半分、恐怖半分で囁く。


「さや……」


 ※

 ※

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 大定綱義は、憂鬱であった。


 せっかく坂ノ上家を出奔し芦澤家に下り、敵の大将である坂ノ上清宗を討ったというのに、芦澤家からはいい顔をされなかった。それどころか、かつての主人を裏切り討ち取るなど不忠極まりないと陰口を言われ、三鶴城を与えられたはいいが、城主として寺から還俗げんぞくさせた清宗の弟は、武芸はおろかまつりごとなど出来なく、仕方なく自分が後見に就いているが、それも結局はお飾りで、旧三鶴領のことについては芦澤家の許可なくしてはなにも出来なかった。


 そもそも大定が坂ノ上家から出奔したのは、先代が亡くなり後継者争いに清宗が勝ち、敗れた弟が出家したことに始まる。


 烏帽子親えぼしおやまで務めた清宗の弟は、大定にとっては我が子同然である。我が子が政争に負けて寺に送られて喜ぶ親がどこにいるか。

 清宗は確かに武芸に優れ、弟より闊達であったが、戦を好む清宗の性質は当主に相応しくないと大定は感じていた。反対派を強引に排除し、当主に就いた清宗は、大定の読み通り家中を上手くまとめ上げることが出来なく、正室のお北の方との間に子がなかなか出来なかったことも相まって、坂ノ上家は内紛状態に陥った。


 第一子にさや姫が産まれ少しだけ家中が落ち着いたが、それも長くは続かず、おまけに清宗はさや姫を次の当主にすると言い出した。大定や他の重臣は勿論反対し、さや姫を次期当主にする派、出家している弟君を還俗させ当主にする派、他家から養子を取り、さや姫の婿として当主にする派……と、坂ノ上家はいくつもの派閥に分かれ、後継者争いがまたも起こった。


 大定は当然、弟君を還俗させ当主に就かせる派であった。今度こそあの方を当主にしてみせる、と色々と裏工作も施した。なので清宗が後継者として指名したさや姫には良い感情を持てなかった。


 さや姫が七歳になったとき、当主である父や家臣の前で琴を披露したことがあった。子供が緊張して弾く曲に光るものは特に感じず、大定他家臣達は当主の手前、追従の言葉を述べ、儀礼通りさや姫を褒め称えた。

 だが、さや姫は面白くなさそうに口を真一文字に結び、にこりとも笑わなかった。姫は齢七歳にして、大人の嘘を見破っている感が窺えた。

 妙にさかしく可愛げのないその顔は、大定が敵視する清宗そっくりで、この姫を当主に就かせるものか、と大定は決意し、その数日後出奔した。


 前々から坂ノ上家と小競り合いを繰り返していた芦澤家に三鶴城の抜け道などの機密情報を持って寝返り、そして数年後、摺上原すりあげはらにて坂ノ上清宗を討ち、これで三鶴は弟君のものになる……そう思ったのに。


 ※

 ※

 ※


 不満を抱えたまま三鶴城の城主後見に就いた大定は、相馬国にて開かれる相馬野馬追に、芦澤家の嫡男、芦澤正道が出場するとのことで、その応援にと出向かなければいけなかった。

 三鶴は今や芦澤家の領地である。芦澤家の命令に逆らえるはずもなく、三鶴城城主代行として、野馬追に芦澤家の家臣として参加しなくてはいけなかった。


 どうやら野馬追の神旗争奪戦にて、芦澤正道と最上側で駒姫を巡りなにやら取引があったらしいが、大定にとってはどうでも良かった。形だけ応援し、早く三鶴城に帰ろう。この時まではそう思っていた。


 だが、神旗争奪戦にて、駒姫の名代の青葉という娘が芦澤正道を負かしたのを見て、大定は既視感を覚える。


 あの馬上で弓を構える姿、そして眼光鋭い鳶色の瞳……この手で討った坂ノ上清宗にそっくりであった。

 しかし清宗はもうこの世にいない。ならばあの娘は誰なのか。


 頭の中で浮かんだ可能性の欠片が、一人の姫を描き出した。父親と同じく


 半焼した三鶴城で、さや姫は正室や侍女達と自害していたはずだ。

 さや姫の遺体を確かめたのは唯一面識のある大定だったが、成長期の子供など数年経てば別人である。七つの時以来会っていない姫の顔などもう忘れており、着物と背格好から坂ノ上さや姫だと判断するしかなかったが、あれが影武者だとしたら? さや姫が密かに生き延びており、この相馬野馬追に参加しているとしたら? だとしたらあの娘は――


 神旗争奪戦は白軍の芦澤家の負けで終わり、屈辱ではらわたの煮えくりかえった芦澤正道は、大定を初めとする複数の家臣に、青葉という娘とアシリ・レラという蝦夷の娘の首を取ってこい、と命じた。


 ちょうど二人が温泉に入っているところを襲ったが、放った刺客達は青葉という娘に全て殺された。

 後方に控えていた大定は、娘の握っている太刀が、坂ノ上家の当主にのみ受け継がれる「現在」を意味する桃の花がかたどられた宝刀であるのを見てしまった。


 絶命するなり内側から青い業火を発生させ、骨すら残らず死んだ坂ノ上清宗は、あの宝刀を持っていなかった。三鶴城にもなかった。「過去」を意味する梅の花が象られた宝刀は既に芦澤家の元にあるが、坂ノ上家当主だけが佩刀できるあの宝刀は、この四年必死に探したがとうとう見つからずじまいであった。


 その宝刀を、目の前の娘が握っている。白い裸体を血まみれにしながら呆けたように月を眺めているその娘は、かつて琴をたどたどしく弾いて見せた、坂ノ上清宗の忘れ形見。坂ノ上の血を引くもう一人の後継者――


「さや……姫?」


 大定の声に答えるかのように、娘――坂ノ上さや姫はこちらを視認すると、鳶色の瞳の虹彩を光らせながら、鈴の鳴るような声で呟く。


「大定……綱義……」

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