第四十九話:禁断の快楽

 濡れた髪を手ぐしで整え、装束を着た紫月は、湯女ゆな達の誘いを鬱陶しそうに無視しながら、浴場から外の宴会場へと向かう。

 焚き火がいくつも焚かれたその野原には、酒で出来上がっている者がでたらめな踊りを披露したり、調子外れな唄を歌ったりしている。

 紫月はさやの姿を探したが、どこにもいない。自分が出てくるまでここから動かないようにと言っていたのに……。


「失礼します。義明公。さ……青葉が見当たらないようですが」

「ああ? そうだったかのう……」


 酒を浴びるように飲んだ最上義明は顔を真っ赤にし、ろれつの回らない声で曖昧に答える。紫月は横にいた最上義康に視線を向ける。


「青葉殿とアシリ・レラなら、身体の具合を見てくるとかいって、向こうの方に行きましたよ」


 義康が指さした場所は、灯りの届かない暗い林だった。

 紫月は舌打ちしたい衝動を抑え、義康に礼を言うと、林の中へと入っていった。


(全く、勝手に動きやがって!)


 神旗争奪戦が終わったからといって、安全ではない。負けた白軍の芦澤家が報復に来るかもしれないのだ。特に大勢の観客の前で負かされた芦澤正道が簡単に身を引くわけがなく、自身を負かしたさやに刺客を送ってくるかもしれない。

 任務は里に報告するまで終わらない。さやはまだまだツメの甘いところがある。やはりさやより先に入浴するべきではなかった。

 しっかり者のレラが止めてくれると期待していたが、まだまだ二人とも子供だな、と紫月は嘆息すると、途端、林の向こうから叫び声が聞こえてきた。

 複数の野太い男のと、そして少女の悲鳴――


「さや様!? レラ!?」


 紫月は悲鳴の聞こえた方向へと足を進める。

 くそ、俺も脇が甘かった。急がないと!


 ※

 ※

 ※


 林の木々から突然男達が走ってきたのを視認したさやは、咄嗟に温泉の湯を男達にかける。

 一瞬男達の動きが止まり、さやはその隙に宝刀を手にした。

 明らかに覗きではない武装した男達は、刀を抜いてさやとレラに斬りかかろうとする。


「おのれ! よくも我が家に恥を掻かせてくれたな!」


 傍にあった小刀マキリを鞘から抜こうとしたレラに向かって、刺客の男の一人が刀を振る。さやはレラを咄嗟に突き飛ばして宝刀で刀を受け止める。

 打撲した左肩に激痛が走り、姿勢が崩れてしまう。


「さや!」


 レラの叫びに答えるように、さやは男をそのまま受け流し、湯の中に放り込む。激しい湯しぶきが舞う視界に、もう一人の刺客が背後からレラを斬ろうとするのを、さやは天恵眼で見た。

 さやは高く跳躍し、刺客の腕を宝刀で切断する。

 ぴしゃり。顔と身体に敵の紅い血が付いた時、さやの鼓動が跳ねる。


 初めて人を斬った。血の匂い、切断した肉の感触、敵の悲鳴――


「レラ! 紫月の元へ!」


 残りの刺客へと刀を向けて、さやはレラへ逃げるよう指示する。

 恐怖で身体が動かないレラに、さやが瞳を光らせながら叱咤する。


「早く!」


 その声で、レラは飛び跳ねるように湯から出て必死に逃げた。レラを追おうとした刺客を、さやは背中から斬る。再び返り血がさやの顔につく。


 敵に囲まれながら、さやはぶるりと身体を震わす。

 それは、初めて人を殺めた嫌悪感ではない。芦澤正道との戦いで感じた――敵をねじ伏せ、負かせたい、自分が優位に立ちたいという欲望から来るものであった。


 血で真っ赤に染まったさやの顔は、いつの間にか笑っていた。


 ――私は、強くなった。芦澤正道を負かせるくらいに強く。もう惨めに隠れたり泣いたりしなくていい、怯えたりしなくていい、こいつらを正面からねじ伏せられるんだ!


 さやの光る瞳と、不気味な笑みに、刺客の男達はたじろぐ。

 白い裸を血まみれにしながら、さやは素早く動き男達を斬る。悲鳴、血飛沫、血の匂い、それらはさやの身体を軽くする。裸を見られるのが恥ずかしいという感情はとうに消え、さやは肉を斬る度、が体中に走る。


 それは、力で相手を負かす快楽。ねじ伏せる快楽。両親の仇を討っているという快楽。かつての自分が感じた恐怖を相手に味あわせているという快楽。敵を全面的に屈服させることの快楽からの痺れだった。


「この、鬼子が!」


 湯から出て走るさやを男達は追う。さやはくるりと舞い、男の首を斬り、腕や胴を斬る。月下の元、無慈悲に、容赦なく敵を斬るその姿は、血に塗れた夜叉が無邪気に踊っているようであった。


 最後の敵を斬り、その肩に足を乗せ、高く跳躍してどこかの原っぱにさやは足を付ける。

 目の前には、大きな満月が浮かんでいた。


 あの時と同じだ。四年前、雪の降りつもる月山がっさん神社で神楽舞を踊った時と同じ。あの時、この宝刀から認められ、里からも忍びの修行をつけることを認められ、試験を経て一人前の忍びになり、そして今日、仇である芦澤家の嫡男を負かした。


(長かった、な)


 ふ、と息を吐くと、体中から力が抜けて、さやは血に塗れた顔を満月へと向ける。

 呆けたように月をじっと見ていると、草むらから誰かが近づいてくるのを感じ、さやは虚ろな瞳をそちらへと向ける。


 そこには、顔の左半分を火傷した、かつて坂ノ上家を出奔し、今は芦澤家に下った、父の重臣であった大定綱義おおさだつなよしが呆然と立っていた。


「さや……姫……?」

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