第三十六話:初任務

 相馬野馬追そうまのまおいとは、現在の福島県相馬地区にて、七月の吉日に合わせて三日間にわたって行われる神事である。

 始まりは千年以上前。平将門が下総国金ヶ原(現在の千葉県北西部)に放した野馬を敵兵に見立てて軍事演習に応用したのが始まりと言われている。

 馬を追う野馬懸のまがけでは、捕らえた馬を神馬として相馬氏の守護神である妙見菩薩に捧げ、甲冑競馬では馬の走行速度や騎手の馬術・作法の高さを競い、神旗争奪戦では相馬中村神社が空に放った旗を各々が取り合う、相馬氏の領地で行う大規模な祭りである。


 しかし一五九二年から始まった朝鮮出兵により、日の本の諸大名家は明軍と対決するため兵を出し、当主他男児が少なくなってしまったので、野馬追は取りやめになっていた。

 が、前年の一五九三年に停戦し、出兵していた大名達が帰国してきたことにより、今年から略式で再開されることとなった。


 規模を縮小し、相馬野馬追は神旗争奪戦のみ行うことになり、通常なら参加者を三つの軍に分け争っていたのが、今年は各家の個人戦とし、また女児の参加も許される。


 何故さやが相馬野馬追に出なくてはいけないのか。それは芦澤家の長男が、最上家の一人娘で東国一の美女と名高い駒姫こまひめを側室に出すよう最上家当主・最上義明もがみよしあきに迫ったことに始まる。


 今年十三になる駒姫は、天女の美しさとたおやかさを併せ持ち、神仏への信仰篤く、和歌や茶の道に優れている絶世の美女として、奥州だけではなく遠い京や大坂までその名は届いており、いくつもの家から婚姻の申し出がきたが、その中でも芦澤家は一際熱心に駒姫を欲しがっていた。

 以前に一揆を鎮圧するため、山形城に立ち寄った芦澤家の長男が、その時接待を受けた駒姫の美しさに惚れてしまい、以来最上家に高価な香炉や香木、朝鮮で手に入った珍しい織り方の着物などを贈って駒姫を側室に欲しがった。

 最上家としては、芦澤家ではなくもっと格の高い家に駒姫を嫁がせようと考えていたが、芦澤家の長男はしつこかった。本人は今年で十八。既に他家から正室を娶っており、側室も三人いる。子供はまだいないが好色で有名な長男は、駒姫を手に入れるため、なかなか首を縦に振らない最上義明にとある提案をした。


 それは、相馬で開かれる相馬野馬追にて、駒姫の名代みょうだいを出し、神旗争奪戦にて名代が勝てば諦め、もし芦澤が勝てば駒姫を側室にもらう、という事だった。

 ただし駒姫の名代は、でなくてはいけないとの条件付きだ。


 明らかに不利な条件であるが、これを飲まなければ強引に駒姫を奪われてしまうという危機感が最上義明にはあった。芦澤家の長男は短気で苛烈な性格で有名だ。十五の時初陣を果たし、攻め入った城の者全てを撫で切りにした残虐な実績がある。義明に贈られてくる文にも半ば脅迫めいた文章が並んでおり、姫を手に入れるためなら暴力も辞さない構えであることが窺えた。


「それで……駒姫様の名代に、私を、でありますか?」


 火の一族の屋敷の広間にて、党首から初任務の説明を受けたさやが疑問の声を上げる。隣では紫月が怪訝そうに眉を寄せている。

 納得がいかないのは紫月だけではない。さやも、何故自分が選ばれたのかが不思議でしょうがない。さやは今年で十六だが、里にはさやより馬術や弓術に優れている女児は何人もいる。失敗すれば駒姫は奪われ、最上家と芦澤家の争いにまで発展する恐れがある。「つちのえ」の位をもらったばかりのさやの初任務にしては難易度が高すぎはしないか?


「上役達の決定なのだよ」


 焔党の党首は苦々しく告げる。

 月の里のある月山がっさんは最上領にある。それ故最上家の干渉を受けることが何度もあった。現在では中立の里として独立しているが、過去には実質最上家専属の忍びの里となっていたこともある。里への依頼も最上家のは優先的に扱われ、また最上家も他家より多額の報酬を払ってくる。なので今回の依頼も必ず完遂させなくてはいけない。

 党首はさやではなく別の女の忍びを任務に就かせるつもりだったが、三人の上役達はさやに行かせろ、と党首に命じてきた。独り立ちしたばかりのさやにこの任は重すぎる。とても「つちのえ」の位の新米の忍びに授ける任務内容ではない。


 そのことは上役達上層部も分かっていた。それは天恵眼の持ち主であり、伊賀から狙われているさやのことを快く思っていない上層部の一派が、わざとさやが失敗するよう難易度の高い任務を強引に割り当てたのだ。


 さやと紫月を狙って奥州で不審な動きを見せている伊賀に対抗するため、上役達は紫月はともかく、さやは一生里に閉じ込めておくべきだと主張してきた。

 が、党首はこれに反対した。さやはもう立派な月の里の忍びである。里に閉じ込めておくなど彼女の成長が見込めない。幸いにというべきか、ここ二月ほど伊賀の忍びが奥州で動いている気配はない。まだ油断はならないが、さやの初任務を行うのは今がいいと党首は睨んだ。

 しかし上役達他一部の上層部はさやを認めては居ない。表面上はさやは里に受け入れられているが、禁術をかけられて伊賀に狙われている亡国の姫など里から追い出すか閉じ込めておくべきという声も少なくはない。さやの存在が里を脅威にさらしているというのが彼らの言い分だ。もし伊賀のような大国に禁術の成功例であるさやを奪うため攻められたら、月の里の存亡の危機である。

 里の安全を第一に考える保守派と、さやに期待を寄せている党首達の意見は対立し、最終的に里長が両者の言い分を飲み、さやが忍びとして働くことが許可された。ただし単独任務はまだ許されず、護衛は紫月のほかにもう一人以上付けることが条件だ。

 そこで保守派は今回の任務をさやに受けさせるよう命じた。彼女が任務に失敗すれば放逐、あるいは幽閉の口実となる。

 通常、何年もかけて育てた忍びが一度や二度任務に失敗したところで、里からの放逐や幽閉などあり得ない。だが保守派の上役達は、里長がさやを追い出すのを認める口実を欲しがっている。それがこの無茶な任務というわけなのである。


 「相馬野馬追まであと三月ある。その間にさやは紫月を連れて蝦夷エミシの里に行き、そこで弓術と馬術を習ってこい」

蝦夷エミシ……?」


 さやはその単語を以前聞いたことがある。蝦夷の一族。日の本の北に隠れ住み、独自の文化と言語を発展させている一族。かつて坂ノ上家の祖先と争い敗れた彼らは北の方へと逃亡し、奥州の北や、津軽の更に北にある大地に移住したと聞く。


「お前の赤熊退治の為のトリカブトとアカエイの毒を提供してくれたのも彼らだ。彼らは特に弓術に優れた一族だ。忍びの里ではないが、月の里とは同盟関係にある。そこで修行してから野馬追に参加するがいい」

「は」


 党首に頭を下げ、さやと紫月は広間を後にする。蝦夷の里は現在の秋田にある。蝦夷の里に行く前に山形城に行き、最上義明と駒姫に謁見し、相馬野馬追に名代として参加することを告げなくてはいけない。


 翌日、さやは紫月とアクリを連れて里を出て、月山を下りて寒河江に向かい、最上川を南に行って山形城に着く。途中誰かに尾行されていないか細心の注意を払ったが、怪しい者が後を付けている様子はなかった。

 紫月は、さやに伊賀の者から狙われていることは告げたが、自分も狙われていることは言ってない。さやに余計な心配をかけたくないというのと、伊賀の忍びが自分を狙う意味がわからないことが主な理由だ。

 もし紫月を狙ってきたとしても、紫月は自分一人なら返り討ちにする自信があった。狙うとすればさやの方だろう。弱い方を狙うのは戦術の基本だ。

 だが里長の命により、紫月とさやを護衛する忍びが、もう二人ほどかなり後ろに付いてきている。さやは気づいていないが、紫月はその二人のことを知っている。一人は「ひのと」の位のさやと同い年の少年と、もう一人は「ひのえ」の位のがっしりとした男だ。二人とも護衛任務を何度も受けている優秀な忍びだ。さやと同い年の少年が選ばれたのは、何かあったとき、さやを逃がすのに同世代の子が付いていた方が怪しまれずに済むという理由だった。


 三日後、無事に山形城に着いたさやと紫月は、月の里の忍びであることを首の階級を見せて知らせ、里長からの推薦状を最上義明に渡した。


 城の一室に通されたさやは、その時初めて駒姫と会った。


 鴉の濡れ羽色の長く艶のある髪に、雪のように白い肌。薄紅色の唇が微かに笑みを浮かべている。


(この方が、東国一の美女……)


 さやは、自分より三つ下の駒姫に相対し、成る程、確かに美人だなと感じた。だが天女のような、とか、光り輝くかぐや姫のよう、とは思わなかった。近寄りがたいほどの美女というのではない。彼女を美しくさせているのは、容姿よりも親しみやすい笑顔にある。まなじりを緩め、黒曜石のような瞳を細めて笑みを絶やさない駒姫は、確かに愛さずにはいられない存在だ。


 同じ女性として、さやは羨ましさと共に、ある種の劣等感を思い起こされずにはいられなかった。

 もし自分が駒姫のように美しく笑うことが出来ていたら、亡き母と乳母はきっと褒めてくれただろう。しかし笑うことが出来ない子供だったさやは、母と乳母から叱られた思い出しかない。叱られる度に自分の輪郭がどんどんなくなっていくような息苦しさを感じて過ごしてきた。今でも笑うのは苦手だ。笑顔は忍びにとって相手の警戒を解き牢略ろうりゃくする武器になるが、自然な笑顔を作ることはさやにとって難しかった。

 で考えても仕方が無いが、もし私が姫のように美しかったら、今とは違う人生を歩めていただろうか……?


「ふむ、そなたが駒の名代として出てくれるのか」


 最上義明の声で、さやはとりとめのない思考を中断した。駒姫と義明の視線がさやに集中する。さやは手を付き頭を下げる。


「そなた、名は?」

「……青葉と申します」


 青葉、というのはさやの偽名である。今回の任務は偽名で遂行する。それはさやを狙っている伊賀の者に気づかれないようにとの配慮だ。化粧を施し、短い髪はかもじを付けている。天恵眼で瞳を光らせなければ、相手に気取られることはないだろう。


「青葉様。この度はわたくしの名代として野馬追に参加していただけるとのこと、誠に嬉しく思います」


 駒姫が柔らかく言いさやに頭を下げる。相変わらず笑みを浮かべてはいるが、駒姫の瞳が僅かに揺れる。それは不安から来るものであった。

 自分の代わりに野馬追に出てくれることへの感謝と、芦澤家に強引に娶られそうになっていることへの不安が交じった目の色だった。東国一の美女とはいえ、まだ十三の少女なのだ。自分のせいで家が大きく揺らいでいることに心を痛めているのだろう。


「……姫様の代わりに、この青葉、必ず野馬追にて勝利を収めて参ります」


 再び深く頭を下げ、青葉ことさやは告げる。月の里の忍びとして、必ず任務を遂行し、この姫を守りたい。さやは心の底からそう思った。


 

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