第二部・第一章:一五九四年・初任務

第三十五話:試験を突破して

 時は遡り、一五九三年・瑞祥歴四年、初冬。


 奥羽山脈の、とある山に潜んでいた人食い赤熊を退治し、証拠として赤熊の毛皮と胆嚢を持ち帰ったさやは、試験に合格し、里の上役達と里長により一人前の忍びとして認められ、「つちのえ」の位を与えられた。

 月の里では、試験に合格した忍びはまず「戊」の位から始まる。それから任務をこなしていき、所属している党の党首や里長達が能力を認めると位が上がっていき、「つちのえ」→「ひのと」→「ひのえ」→「きのと」→「きのえ」の順番で昇級する。しかし外から来た客忍は最高で「丙」までしか上がらず、里で生まれ育った忍びは「乙」まで上がれて、一番上の「甲」は各党の党首しかなれない。なので党首は血筋のはっきりした者しか就くことができなく、今まで客忍が党首になった例はない。


 さやは、「つちのえ」の位をもらい、改めて月の里の忍びとして里長の前で宣誓し、一人前の忍びとして守らなければいけない掟などを教わり、起請文を更新した。そして首筋に特殊な染料で階級を書かれた。普段は認識できないが、自身の意思で階級を浮かび上がらせることができる。

 そして本来なら、月の里の忍びには生命反応が消えると内側から業火が発生し死体を残さない術を身体に施さなくてはいけないが、さやは特例で免除された。それは天恵眼てんけいがんが術から影響を受けるかもしれなく、どのような副作用が出るかわからないからだ。


 さやは今後、火の一族の焔党ほむらとうに所属する正式な忍びとして任務を受けることが許され、情報深度「弐」以降の情報が開示され、さらなる鍛錬と勉学に励まなくてはいけない。

 忍びになって終わり、ではなく、忍びとして独り立ちしてからが始まりなのだ。今まで教わらなかった火薬や薬の調合に始まり、秘伝の術を教わり、更に身体能力も向上させなくてはならない。


 さやと同時期に独り立ちした子は全部で五人おり、客忍はさやだけだった。月の里では戦災孤児を中心に外から素質のある者を積極的に迎え入れている。

 特に一五七八年から一五八一年の天正伊賀の乱が起こってから客忍の数が急増した。伊賀のような大国でさえ時の権力者によって攻められることがあると恐れた上層部は、里の強化のため才能のある者を多数迎え入れた。

 だが里の中には客忍をさげずむ者も決して少なくなかった。素性のはっきりしない者など信用できないというのが彼らの言い分だった。今では里の三割ほどが客忍であるが、前述のとおり、客忍は「ひのえ」までしか昇級出来なく、党首にも里長にもなれない。


 五人の新人の中で、さやは一番年上だった。最年少は十一歳で、彼は血統が確かな里で生まれ育った者で、三つから修行を積んできた。

位を授けられる為に里長の屋敷の広間に集まった時、ちらちらとさやに視線を寄越してきた。元・三鶴のお姫様が、たった三年修行しただけで自分と同格なのが許せないのだろう。


 このような目で見られたのも初めてでは無い。この三年間、口さがない者による冷遇を沢山受けてきた。洗う洗濯物の数を不当に増やされたり、おかずを無理矢理奪われたり、聞こえよがしに揶揄する言葉を投げかけられたのも一度では無い。時には悪童に囲まれ言いがかりをつけられたこともあったが、大抵さやは馬鹿馬鹿しくて無視していた。それが彼らの癪に障ったらしく手を出されそうになったこともあるが、紫月との修行で天恵眼の能力も向上し、動体視力に優れたさやには避けるのは容易かった。

 一度だけ、父と母を馬鹿にする発言をした悪童を張り倒したことがある。自分のことはともかく、父と母を侮辱するのは許せない。


 悪童ともみくちゃに地面でやりあって、二人は紫月や里の大人達によって押さえられたが、手をだしたさやの方が悪いと悪童は主張し、運の悪いことに悪童は里で生まれ育った子だった。外から来たさやの味方をする者は紫月しかいなく、罰としてさやはその日の食事を抜かれ、三日間のかわや掃除を命じられたが、悪童は夕餉を抜かされただけで済んだ。

 さやは忍びの世界にも生まれによる差別があることを再確認し、こんな奴らと同じにはなりたくない、と宝刀を握りながら決意したのだった。


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 月の里には、火の一族の焔党の他に、水、風、土の一族に分かれ党を組んでおり、この四つの一族が里を支えている。


「焔党」の火の一族は、主に身体頑健な者で構成されており、里で一番人数の多い一族だ。また「火」の一族だけに、火薬の扱いに長けている。

澄党ちょうとう」の水の一族は、忍術の開発を得意としており、頭脳明晰な者が多い。「水」の一族だけに、里の弥陀ヶ原みだがはら湿原の水の管理も担当している。

疾風党はやてとう」の風の一族は、医学薬学に長けており、医療班もここの所轄である。薬の開発や保管をまかされている。

磊磊党らいらいとう」の土の一族は、糧食・忍具の開発をまかされている。手先が器用な者が多く、鍛冶・鋳造班はここの管轄だ。


 客忍はそれぞれの適正により所属する一族を決められ、四つの一族は連携を取りながら里に貢献している。さやが火の一族の所属になったのは、天恵眼の発動者というのが理由だった。身体能力に秀でている火の一族は自分には相応しくないのではないかとさやは思ったが、紫月の所属する一族でもあるし、必然的に弟子である自分もここに所属するのが自然だそうだ。


 さやは天恵眼の解明のため、水の一族の忍術開発班や風の一族の医療班とよく関わった。天恵眼を長時間発動すると、目が疲れとても乾く。清眼膏せいがんこうの調合のやり方は、すでに果心居士によって教わっており、今日も医療班の薬庫に足を運び、清眼膏を作るための材料をもらいに来た。

 炉甘石カラミンから作られる皓礬こうばんを主成分とし、真珠貝と鯉の胆嚢から作られる真珠散、ハナノキの樹皮を煎じたものをよく混ぜて水溶性の軟膏にし、雨水を濾過した水に溶かして容器に入れると出来上がりだ。容器はなんと玻璃はりである。小さいとは言え玻璃ガラスは高級品である。医療班は、いくら禁術の維持のためとはいえ高価な材料を必要とするさやにあまりいい顔をしなかった。しかしこの清眼膏がなければ禁術が失われる可能性があるとのことで、里長から清眼膏作りに協力するよう医療班は命じられている。


 ただ清眼膏を作るだけで薬庫に籠もるのも気が引けたさやは、習ったばかりのセンブリやドクダミを煎じた薬を医療班に提供したりした。清眼膏を作るより簡単だったのでさやは自信満々だったが、医療班の班員はもっと精度の高い薬を作れるのであまりありがたがられなかった。

 仕方が無いのでさやは薬庫の整理整頓をし、掃除を行い、ガクアジサイの変種のアマチャを発酵させよくもんで乾燥させた葉から甘茶あまちゃを作って振る舞った。甘茶は灌仏会かんぶつえに仏像に注ぐので有名だ。その名のとおりとても甘いその茶は、数少ない甘味として里に重宝されていた。

 さやの作った甘茶はまだ苦みがあり完成度が高いとは言えなかったが、不器用なりになんとか里に溶け込もうとしている少女を見て、医療班の皆は少しだけさやを受け入れた。


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「ううむ……」


 火の一族の屋敷の広間で、焔党の党首と紫月が談義していた。

 紫月からの報告を受け、党首は渋面を作る。

 談義の内容は、最近奥州の各忍びの里を、何者かが探るような不審な動きを見せているということだ。


 奥州という地方は、元来排他的な気質がある。血筋と伝統を重視し、各大名は家同士の婚姻を繰り返して必ずどこかで血が繋がっている。戦乱の世なら珍しくはないが、奥州の血統は、まるで大河から別れた無数の河川のごとく複雑に絡み、全てを把握は出来ない。

 なので身内意識がとても強く、外から来たよそ者は冷遇され、新しいものを取り入れるのを嫌がる悪習がある。

 それは忍びの里でも例外ではなく、各忍びの里はそれぞれ対立し、時には争いが起こったりした。


 しかし天正伊賀の乱が起きてからは、奥州の忍びの里は、お互いに同盟を組んで協力しようという意識へと変わった。

 定期的に各里長達による会合を開き、情報を交換し、里同士の繋がりを強くしていった。

 なので不審者が現れれば、奥州の情報網に引っかかり、各里は警戒を強める。同盟を組んでいる別の里から情報が来たのが三月前。ちょうどさやが試験を突破し、忍びとして一人前になった頃だ。


「柳の里が捕らえた忍びは、伊賀の者でした。すぐに自害されてしまい目的を吐かせることは叶わなかったようですが、持ち物に暗号で書かれた歌がありました。解読したところ、目の光るさやという少女と、肌の黒い男を探し出し連れてこい、と書かれていたらしいです」

「やはり、さやが目的か」


 党首が苦々しく口にする。紫月の眉間のシワが深くなる。

 どこからさやの情報が漏れたのか。それは恐らくあの山で助けた芦澤虎王丸あしざわこおうまるからだろう。


 足を骨折した彼をさやが助け、あまつさえ赤熊を倒す時に囮として協力しともらった。その時さやが天恵眼を発動させ、瞳を光らせているところを目撃されてしまった。

 口封じに暗殺すべきだったか? と紫月は考えたが、仮にも奥州一の大名の嫡子を殺したとなれば、平定され小康状態になっている奥州がまた混乱に陥るかもしれない。


 不幸中の幸いと言うべきか、芦澤虎王丸は米沢の屋敷で幽閉されており、父である芦澤家の当主や兄である嫡男が彼に接触した様子はない。最低限の従者しか付けられてなく、虎王丸がさやのことを話したとしても信じるものがいるとは思えず、他家や芦澤家中枢にそのことが届いた様子はなかった。

 しかし念の為、さやにはこの冬の間里から出るのを禁じている。


「しかし……さやを狙うのはともかく、何故お前まで狙われているのか」

「それは……それがしにも分かりません」


 肌の黒い男、というのは恐らく自分のことだろう。

 禁術の成功例であるさやを探しているというのはまだ分かる。しかし自分が狙われる心当たりは無い。

 階級の高い忍びほど里の機密を知っているが、自分より高い「きのと」の忍びも多数いる。もし機密を手に入れるために攫うなら、力の弱い女子供を狙うのが定石だ。自分のような大柄な男を狙う意味が分からない。


 ふと、紫月のこめかみに痛みが走る。

 目の前が暗くなり、視界に白いものがちらつく。


「ひのえ? どうかしたのか?」


 様子のおかしい紫月に、党首が問いかける。紫月は「大事ありません」と頭を振りながら答える。今の頭痛はなんだったのか……?


「とにかく、お前はこれまで通りさやに修行をつけてやれ。向こうの狙いはお前とさやなのだから、暫くは里から出るのを禁ずる」

「は」


 紫月は一礼し、広間を後にする。

 伊賀の忍びと聞いて、紫月は三年前に三鶴城でさやに禁術をかけた白い忍びを思い出す。

 紫月も三鶴城に潜入した時にそいつとかちあっており、白い忍びのことは既に報告していた。今どこの城に仕えているのか行方は分からなかったが、芦澤家に雇われているそいつは恐らく、芦澤虎王丸と接触しさやのことを聞いたのだろう。瞳の光る娘と聞き、自分が三鶴城で禁術をかけたさや姫であることを悟った。だから配下を奥州に放ち、さやを探している。


(しかし、何故俺まで狙うのか?)


 一度刃を交わしたとはいえ、白い忍びが自分に執着する理由が分からない。

 禁術の成功例のさやを攫うつもりなのは理解できるが、いくら考えても自分まで標的にされるのが分からない。部下を殺された恨みか? しかし抹殺ではなく攫うのは何故か。恨みの深さ故拷問し処刑しようというのだろうか。


 いずれにしろ、さやは里にとっても紫月にとっても重要人物だ。紫月のあるじであり弟子でもある守らなければならない方だ。伊賀の者に奪わせはしない。

 これまで以上にさやを守り抜き、またさやにも強くなってもらわなければ。


 こうしてさやは紫月から一人前の忍びとしての修行を課された。忍術の仕組みや火薬・薬草の調合、五常五欲の理や陰行術、忍具の扱いや星のよみかたまで教えた。

 さやは水を吸収するかのごとくそれらを習得し、段々と強くなっていった。


 そして一五九四年・瑞祥歴五年の春。芦澤虎王丸が興福寺に出家していったのと同時期に、さやに初任務が下った。

 それは、さやの母であるお北の方の出身国である相馬で行われる、相馬野馬追への参加であった。

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