第三十七話:山形城を出た後
駒姫と最上義明との謁見を済ませたさや達は、山形城を出て
蝦夷の里は、現在の秋田県の山内の旭川上流にあるらしい。最上川を北に進み、新庄で後ろからついてきていた護衛の二人の忍びと合流する。この時初めてさやは紫月以外に護衛が付いていたことを知り、その二人と顔合わせをした。
一人は「
もう一人は紫月と同じ「
二人の名はこの任務の為に与えられた偽名であり、二人の任務は、さやと紫月を蝦夷の里まで護衛することだ。伊賀の忍びに狙われているさや達は二人だけの行動は許されず、必ず護衛を一人以上付けなければいけないという上役達の命からだった。
四人は班を組み旅の芸人に扮して山道を抜け、湯沢につく。四月中には蝦夷の里につきたい。辺りには日の当たらない日陰などにはまだ雪が残っており、朝晩は冷え込む。野宿に
大規模な一揆や反乱の爪痕はまだ少し残っており、田畑の収穫のための働き手が足りなかったり、家が半壊していたりする村も少なくなかった。
さや達は一宿一飯の恩として、畑を耕したり、壊れかけている家を修理したりした。天下統一がなされ元号が変わっても、人々の営みが大きく変わることは無い。唯一検地と刀狩りが行われ、そこかしこの村々で田畑の面積を測っていたりする役人の姿があった。武士以外の帯刀も許されず、刀や武器は全て没収されていた。さや達の武器は、衣装の裏に書いた術式空間に収納されており、身体検査をされても宝刀やクナイなどが没収されることはなかった。
道具の収納術式は情報深度「壱」にあたる初級忍術なので、さやももう習っており、装束の裏に自らの血で式を書いて発動させて「現在」を司る坂ノ上の宝刀を仕舞ってある。
月の里の忍術は、陰陽道と呪術、修験道などが複雑に絡み合って形成されている。式、つまり術を発動させるための計算式が合っていれば、理論上誰でも術は発動でき、高等な術ほど式が複雑になってくる。そして発動には触媒として血液が必要だ。
しかし術の効果は、その者の素質と能力によって大きく左右される。新米のさやだと、先ほどの術を発動できても収納出来るのは宝刀一振りが精一杯だが、熟練の忍びである紫月は同じ術でも収納出来る数が桁違いだ。
素質は天賦のものだが、修行により能力を伸ばすことが出来る。紫月は肉体活性の術の素質はあるが、以前発動した高等忍術であり禁術すれすれの「縮地の法」では、大きな身体が
術を発動させるための式は当然里の機密であり、高等忍術ほど門外不出となる。忍びの里ごとに式の算出方法が違い、さやの瞳の天恵眼も伊賀の術であるため、詳しい式が分からず今のところ再現ができていない。
(伊賀の白い忍び……やはり私の瞳を狙ってきているのか)
この旅籠では個室を二部屋取っている。通常相部屋で見知らぬ他人と部屋を一緒にしたりするのに、個室を二つも取るなんてとても贅沢なのだが、四人の班の長たる紫月の決定だった。年頃の女であるさやを男と相部屋させるわけにはいかないとのことだ。さやが寝る部屋と、その部屋の前に見張りが一人と、もう一人は旅籠の外の見張りを、残り一人は隣の部屋にて仮眠を取る。三人の男で交代でさやを護衛する。さやはもう自分は姫じゃないのに、いくらなんでも過保護すぎやしないか、と思ったが、伊賀の忍びがさやを狙っているとなれば話は別だ。悔しいがさやは自分一人の力で白い忍びに勝てるとは思えなかった。
護られるだけじゃなく、みんなの力になりたい――そう思っても自分はまだまだ弱い。忍びとして位をもらったのに、未だ自分は庇護されるほど弱いのだ。こんなので
ふと、駒姫の濡れた瞳を思い出した。今回の任務にてさやが護らなければいけない方。相馬野馬追にて芦澤家に勝たなければ駒姫が奪われてしまう。自分より三つ年下の姫の
異母弟妹達をみな
姉は弟妹を守るものだ。月の里の忍びとして、年長者として、同じ女性として、駒姫を守らなければいけない。その為に蝦夷の里で強くならなければ。
再びその決意が心を満たし、さやは宝刀を抱え直し、ゆっくりと目を閉じた。
※
※
※
襖越しにさやの寝息を確認して、紫月はようやく眠ったか、とゆっくり息を吐く。
横になったほうが疲れも取れるし熟睡できると紫月が言っても、さやは決して横になることはなく、壁や木にもたれかかって眠る。体調を崩して横にならざるを得ない時を除いて、さやはずっとあのように寝ている。まるで戦場にでているかのように。
自分の真似だろうか、と紫月は考える。紫月も横になって寝ることはしない。長いこと忍びとして護衛任務に当たっている中で身につけた特技だ。弟子は師に似ると聞くが、このような特技をさやに身につけてほしくはなかった。
ひた、と廊下の奥から誰かがやってくる。紫月は反射的に筋肉を強ばらせるが、やってきたのが雀であったので警戒を解く。
今の時間は、紫月はさやの警護、
「……どうした、厠はあっちだぞ」
紫月が小声で言うと、雀はか細い声で「ひのえさん……」と呟き、ごく自然に紫月の隣に座った。そしていつの間にか紫月の手と自らの手を重ねていた。
驚いて紫月が手を払いのけると、雀は少し傷ついたように眉を下げた。
「なんだ、いきなり」
雀から少し距離を取って紫月は手をさする。もし雀が敵だったなら指をやられていたかもしれない。警戒する間もないくらい自然な体裁きだった。
「ひのえさん、僕、眠れなくって」
しなを作りながら上目遣いでそう言う雀に対し、紫月は睡眠をとらないと任務遂行に支障がでると考え、「何か悩みでもあるのか?」と返す。
「僕……心臓がドキドキして、身体も熱くて……」
「風邪でもひいたのか?」
紫月は真面目にそう答え、懐から
「ひのえさん、僕のことどう思ってます?」
「芸達者な優秀な忍びだと思っているが」
またしてもごく自然に距離を詰められた紫月は、後ろに下がりながら真顔で答える。この体裁きはたいしたものだな、と感嘆する。
「もう! そういうんじゃなくて!」
壁際に追い詰められた紫月の胸板を、雀の白魚のような手が円を描くように撫でる。
ここまでされて、やっと紫月は理解する。
――こいつは、男色か
戦国時代、男色は武士や僧侶の間で嗜みの一つとしてごく普通に行われており、自身の稚児・色小姓や家臣と忠義の証として身体を合わせるのは日常茶飯事であった。
有名なのは織田信長と前田利家、森蘭丸、武田信玄の
月の里では、男も女も異性相手への房術を習う。異性を色仕掛けで篭略し情報を手に入れるために学ぶのだが、男性は同性相手への房術も習う。それはこの戦乱の世にて、先述のとおり男色がごく普通に行われていたからだ。
忍びも主人のお眼鏡にかかれば男色の相手を務めることもある。基本的に主人が念者を務めるが、選ばれるのは華奢な中性的な男ばかりなので、紫月のような色黒で大柄な男を相手に選ぶ奇特な者はいなかった。
雀は水の一族だが、色小姓になり主人を護衛する任務が多かったらしい。そこで男色の味を覚えて、今、紫月に迫っている。
(……どうする?)
着物のあわせを必死に守りながら紫月は考える。
煩悩が溜まっているなら、吐き出さないと任務に支障が出る。性欲を女性であるさやに向けられてはたまらない。
男を抱いたことはないが、もしこいつとやるのであれば、年上の俺が念者だろうか? やり方は習ったが、女相手とは勝手が違うし、下手を打って相手を怪我させてしまうのでは……。班長として、部下の欲を吐き出させるのも務めか? いや、しかし……
雀が紫月の手を掴み、怒張している雀の股間へと持っていかれそうになってようやく紫月は我に返り、雀の手を振り払った。
そして無言で懐から路銀の入った袋を取り出し、雀の手に乗せる。
「俺は不調法ものだから、上手く出来ない。ここの旅籠の主人なら男色の心得があるから、俺より上手く抱いてくれるだろう。銭はこれで足りるはずだ」
袋を握りしめながら、雀は顔を真っ赤にしてぷるぷると身体を震わせる。華奢な身体も相まって、その仕草は下手な女性より色っぽい。
しばらく紫月を睨んでいたが、雀は足音けたたましく外へと出て行った。
恥をかかせてしまったか? と紫月は頭を抱えるが、抱くならやはり柔らかい女のほうがいいな、と思った。雀に魅力がないわけではないが、頭にお千代の柔らかな肢体が浮かんで、どうしてもそちらと比べてしまう。
今の会話をさやに聞かれただろうか? と心配になり襖に耳を当てたが、さやの規則正しい寝息が聞こえてきたので、紫月は胸をなで下ろす。
さやとて武家の姫だったのだから男色については理解しているだろうが、やはり先ほどの痴情のもつれの会話を聞かれるのは恥ずかしいし、彼女の情緒にも悪いだろう。
少しして、外から鷲が交代にやってきた。紫月はこいつも雀とそういう関係なのか? と疑いの目を向けてしまう。
「ひのえ? どうかしたのか?」
「いや……別に」
雀に迫られたことを言うべきだろうか、と一瞬迷ったが、なんと言っていいか分からず紫月は外の見張りへと向かう。
あいつは今頃ここの主人に抱かれているだろうか、と考えながら、紫月は配置につく。自分の選択が合っていたかどうか悩みながら、少しだけ興奮している自分の身体を鎮めるために、頭の中で経を読み始めたのだった。
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