第六章:一五九〇年:九月・調査

第二十五話:坂ノ上神社にて

 里長から直々に「坂ノ上家の神楽舞についての詳細の調査」という新しい任務を授かった紫月は、月山がっさんの月の里を出て、元・三鶴領へと南下する。

 三鶴が滅んだのはほんの一月ほど前の事なのに、まるで何年も経ってしまったかのように感じられた。


 さやは里に置いてきた。三鶴は今や芦澤家の領地となっているので、坂ノ上の忘れ形見のさやを連れて行くのはあまりに危険だ。自分一人なら、片道七日もせず到着できる。

 正直、さやを一人にすることに抵抗はあったが、ちょうどお千代が報告の為に里に一時帰投していたので、彼女にさやを任せることにした。お千代なら大丈夫だろう。

 天恵眼の解明のため、そして紫月の罪を帳消しにするために、さやにはあらゆる検体の提出と実験への参加が義務づけられている。里がさやをどんな風に扱うかは不安であるが、まさか目をくりぬいたり、生きたまま腑分けされることはないだろう。天恵眼が発動しているのはさやただ一人なのだから。貴重な成功例を無闇に殺すことはしないはずだ。多分。


 紫月は薬売りに変装し、山を下り一旦米沢につく。以前と比べると、どうも周りの様子がピリピリしている。途中の茶屋で聞いた話では、奥州仕置きで改易された大名達が何やらきな臭い動きを見せており、討伐軍は反乱分子の取り締まりに精を出しているらしい。刀狩りや旅人の荷物調査などが以前より厳しくなっている。紫月もここに来るまで三度も呼び止められた。最も、調べられて困るものは、装束の裏に書いた術式に収納しているので、身柄を拘束されることはなかったが。


 荒い山道を通り、檜原から磐梯山ばんていざんの麓の摺上原につき、猪苗代いなわしろ湖を東に向かい、郡山こおりやまへとつく。ちょうど果心居士達と芦澤家の黒鍬組と共に死体を埋葬していった道を逆に通っている。

 阿武隈川の近くで野宿をしながら、紫月はもう一つ、党首から頼まれたことを思い出す。


 それは、坂ノ上清宗の弟であり、さやの叔父に当たる現・三鶴城の城主の髪と血を採取してくることである。


 禁術の発動条件に、血筋が関係している可能性も零ではない。さやと血の繋がっている者の検体も調べたいとのことだ。しかし坂ノ上家でさや以外に生存しているのは、芦澤家の要請により寺から還俗した、さやの叔父上しかいない。


 さやは叔父に会ったことが無い。さやが生まれたときには既に出家しており、面識はないそうだ。

 二十年近くを寺で過ごした男が、まつりごとなどまともに出来るはずが無い。今では形だけの城主となっており、後見に就いた大定綱義おおさだつなよしが三鶴を仕切っているらしい。


(坂ノ上を裏切った男が、三鶴にいるのか)


 かつての主人の仇が三鶴城にいる――そう考えると大定を暗殺したい気持ちになるが、紫月はそこまで感情に溺れはしない。今の自分の任務は、坂ノ上の神楽舞の詳細を調べてくること、そして可能ならさやの叔父の髪と血液を出来るだけ多く採取してくることである。


 神楽舞についてはともかく、さやの血縁者である現・三鶴城城主の髪と血液を採取するのは非常に難易度が高い。お飾りでも城主である。警備も厳重だろうし、武勇に優れた大定の目もある。なにより紫月は潜入任務があまり得意ではない。大柄な身体は潜入できる場所が限られてしまう。狭い天井裏に潜もうにも、紫月の体重では天井板が外れるだろう。

 だから、党首は、と言ったのだ。あくまで優先すべきは神楽舞の情報。検体採取はそのついでに、可能なら、である。


(まず、行くべきは坂ノ上神社。しかしどうやって行くかだが……)


 紫月は装束の裏から、宝刀を取り出した。坂ノ上家に伝わる「現在」を意味する桃の花が象られた太刀を膝に置きながら、頭の中で様々な計画を練りだした。


 ※

 ※

 ※


 坂ノ上神社は、桜川の近くに立っており、三鶴城の城下にある。入り口から鳥居の奥まで桜の木があちこちに植えてあり、春頃には満開に咲きとても綺麗だろう。


 芦澤家により燃やされてしまったかと思ったが、見る限り特に荒らされた形跡はない。紫月は参道までの石橋を渡り、仁王門を抜け、階段を上り本殿にたどり着く。

 賽銭箱に賽銭を投げて、手を合わせる。周りに人はなく、紫月は本殿の裏に回る。奥の方に社務所らしき建物があり、あそこに宮司がいるのだろう。

 さて、どうするか……。見た限り僧兵や警護の者の姿はない。三鶴城よりは潜入がしやすいだろうが、あまり事を荒げたくない。特にここに坂ノ上家の宝刀の一振りである「未来」を意味する大太刀が奉納されていることを思えば、神聖な場所で血を流すようなことはできる限り避けたい。


 思案の末、紫月は社務所の扉を叩く。

 扉の向こうから、「はあい……」という億劫そうな男の声が返ってきた。


「もし、旅の薬売りだが、薬は入り用か?」

「ああ、薬は間に合っているよ」

「あなたはここの宮司か?」

「そうだが?」

「ちょうど良い薬を仕入れてね、なんだが」


 扉の向こうで、宮司が息を呑む気配がした。紫月は構わず続ける。


と、この秘薬はとても相性が良くてな、これでが揃えば文句はないんだが」


 扉が少しだけ開かれた。壮年の宮司は怪訝そうに紫月に視線を寄越してくる。


「……桃の花はもう咲いていないだろう? それはどのような秘薬だい?」

だ」


 言いながら、紫月は合羽から少しだけ宝刀を覗かせた。その拵えを見た宮司は目を丸くする。なにか言い出しそうな宮司の唇に、紫月の人差し指が当たる。


「門外不出の秘薬ゆえ、他の誰にも見せたくない。宮司、人払いを」

「お、お前さん、一体……」

「怪しい者ではない。さるお方からこの神社に伝わるを貰ってきて欲しいと頼まれてやってきた」


 ※

 ※

 ※


 紫月が通されたのは、祭壇のある広間だった。


 宮司は紫月に言われた通り人払いをし、広間には宮司と紫月しかいない。紫月は他に誰か潜んでいるか、扉の向こうで人が耳をそばだてていないか気配を探ったが、特に誰もいないようだ。さやなら天恵眼で本当に誰も忍んでいないか視認出来ただろう。だが自分は感覚を研ぎ澄ませて気配を探ることしか出来ない。


「それで、あなたがその刀を持っているということは……」

「お察しのとおり、から頼まれてそれがしはやってきました」


 あえてさやの名を出さず、紫月は宝刀を目の前に差し出した。宮司は「拝見します」と言い、宝刀を検分する。拵えを確認し、鞘から刀身を抜こうとするが、どんなに力を入れても宝刀は抜けなかった。


「ううむ……確かに本物のようだ」


 宮司が宝刀を床に丁寧に置く。


「この刀を合わせた三振りの宝刀の前で、神楽舞を踊らないと持ち主として認められないと聞いておりますが」


 紫月は、坂ノ上という単語も、さやが生きているということも直接的に言わず、間接的な表現で神楽舞の詳細を教えて欲しいと頼んだ。そして三振りの宝刀の一振りである「過去」を意味する梅の花が象られている刀が芦澤家に奪われてしまったことも告げる。

 宮司は、ううむ、と唸る。


「奥州仕置きの際、芦澤家が坂ノ上の残党を探すためここに来たよ。荒々しく家探しされて、奥にある大太刀も奪われそうになったが、触れようとした者は皆、雷に打たれたかのように身体を震わせてへたりこんでいた。結局、芦澤家の者は大太刀を諦めて撤収したが……そうか、「過去」の一振りが奪われてしまったか……」

「三振りの刀が揃わなくとも、当主になることは可能でしょうか?」


 紫月の言葉に、またしても宮司が難しそうな顔で黙り込む。

 過去・現在・未来の三振りの宝刀を揃え、ここ坂ノ上神社で神楽舞を奉納するのが正式なやり方だが、さやをここに連れては来られない。神楽舞を踊るという派手な行為を芦澤家の領地になってしまったここで行えば、すぐに敵に感づかれ、さやは殺されてしまうか攫われるだろう。

 月の里で、坂ノ上家の当主に継がれる「現在」を意味する宝刀の前で神楽舞を踊り、宝刀に正式な持ち主と認めさせ、更に里の皆にもさやの存在を認めさせなければいけない。その為の案はないか、紫月は問いただす。


 宮司は暫く悩んだ末、渋面を作りながら「……一応、略式でもできないことは無いよ」と答える。


「略式とは?」

「こういう儀式に必要なのは、雰囲気なんだ。厳かな場を作り、対象に向かって真摯に祈れば、宝刀も認めてくれるだろう」

「つまり、場所が違えど、奉納の雰囲気を作ればいい、と?」


 宮司は頷いた。紫月は月山の頂上に神社があるのを思い出した。祀られているのは月読尊つくよみのみことだが、あそこなら奉納の為の神楽舞を踊るのにぴったりな場所だ。

 場所は見つけた。あとは宝刀と神楽舞だが……


「残念ながら、三振りの宝刀は揃えられない。ここに奉られている「未来」の大太刀は、勝手に動かそうとするとどんなわざわいが降ってくるか分からないし、「過去」の宝刀も芦澤家にあるからね。坂ノ上家の為に貸してくれなんて言えないし……」

「なら、宝刀はここにある一振りだけで、神楽舞を奉納すれば良いですか?」

「そうするしかないだろう」


 そして、宮司は立ち上がり、別の部屋にある神楽舞の資料を持ってきた。そこには、踊り場の作り方、神楽を舞う時の衣装についてと、舞の型について詳しく記載されていた。

 それによると、神楽は十二の型で一つの舞として数え、それを一〇八回こなさなければならないらしい。


「十二で一つとし、それを一〇八回も!?」


 紫月は心底驚いた。と、いうことは一二九六回も舞わなければいけない。十二の型を踊り終わるのを四半刻(約三〇分)だと仮定して、それを一〇八回続けると約三二四〇分。現代の表記だと舞が終わるのが五十四時間後。約二日と六時間もの間休み無くさやは踊り続けなくてはいけない。仮に十二の型を踊るのをもっと速くしても、最低でも一日中踊り続けなくてはいけない計算になる。

 里長がさやを認めさせるためにこの神楽舞を指定したのも納得だ。一人前の忍びでも相当キツいこの神楽舞を踊りきったなら、確かに里の皆はさやのことを認めざるをえないだろう。


 どうやら先代、つまり坂ノ上清宗の時は、烏帽子に白い狩衣、赤い奴袴ぬばかま、神楽鈴で見事舞ったらしいが、さやは女児なので、巫女装束の上に千早を羽織り、頭には花簪はなかんざし挿頭かざし折枝せっしなどの冠や髪留めを頭飾りとして飾る。さやの髪が短いのはかもじをつければいいだろう。これらの装束や小道具はちょうどお千代が持っているから問題は無い。


 神楽舞の資料を宮司から借り、最後に紫月はさやが生きていることを絶対に口外しないようキツく宮司に口止めした。宮司はもちろん誰にも言わないと誓ったが、紫月は完全に信じたわけではない。


(しばらく監視が必要だろうな)


 紫月は坂ノ上神社を後にしながら、イヌワシを術式から呼び寄せ、月の里から坂ノ上神社の宮司を監視する忍びを派遣してくれるよう要請の文を書き、足にくくりつけ飛ばした。

 高度の高い月山まで、特別に調教されたイヌワシなら飛べる。


「さて、次は……」


 紫月は、坂ノ上神社から丘陵に立つ三鶴城を確認した。一月前に後にした、かつて仕えた坂ノ上家の城。今度はそこの城主の血と髪の毛を採取してこなければいけない。

 神楽舞の詳細を調べるより格段に難易度が高い任務の前に、紫月は嘆息する。


 時刻はもうすっかり夜になっていた。細い三日月を背に、紫月は一月前に通った隠し通路まで行き、まだ生きていることを確認すると、そのまま通路を通り三鶴城へと潜入していった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る