第二十六話:三鶴城、潜入
三鶴城への隠し通路を慎重に歩いていた紫月は、当主の間に繋がる扉まで来て、息を殺し扉の向こうの気配を探る。
数瞬、耳をそばたててみたが、誰の気配も感じ取れない。紫月はゆっくり扉を押す。ギイイ、と思いのほか大きな音が鳴り、紫月は体中の筋肉に力を入れて警戒したが、壁一面が真っ黒に焦げた広間にはネズミ一匹いやしなかった。
そっと床に足を乗せると、僅かに床板がきしんだ。床に穴が開かないだろうかと心配しながら周りを見渡すと、大きな血溜まりの跡が二つ、床を黒く染めていた。
ここで、さやが目から血を流し倒れており、他に乳母と忍びの者が絶命していたことを思い出す。本来あるべき「過去」を象徴する宝刀も既に無い。紫月は感傷に引っ張られそうな心を抑え、辺りを見渡し、耳を澄ませて人の足音やしゃべり声を探る。
音に集中してみても、奥からは隙間風の音しか聞こえない。ここより数部屋離れた場所が三鶴の奥の院だ。そこでは正室や侍女、重臣達が自害し火を放ったとのことで、奥の院は一番燃え方が激しく、当主の間までは既に住居としての機能を失っており廃墟と化している。
人の住めない廃墟に警備の者を置くわけが無い。足音や人の声は、やはりここより東側の本丸方面から聞こえてくる。
外の
城の守りにしては少なくないか? と紫月は思ったが、半焼してしまった三鶴城を、芦澤家はさほど重要視していないのかもしれない。相馬、二本松などの周辺国も傘下に収めた今、三鶴を攻めようとするものなどいない。戦略的に見ても今の三鶴城を攻める意味はあまりない。
かつての主人であった坂ノ上清宗の寝所は、本丸の一番奥にあり、最も侵入が難しい場所にある。もし現・三鶴城城主である清宗の弟が場所を移していなければ、同じ寝所で寝ているだろう。と、いうかあそこ以上に寝所に適した場所はない。特に損壊してなければ同じ部屋を使っているはずだ。
(そうでなければ困る)
外に出て厩に近づきながら紫月は思った。これで別の場所に対象がいたら、探すのは困難になる。仮にも城主たるものが物置で寝ているわけはないだろう。
紫月は厩の影に潜み、厩番の男を観察する。幸いにと言うべきか、今夜の厩番は紫月と背格好が似ている。入れ替わっても闇夜では一目で気づかれまい。
うつらうつらと舟をこぎ始めている
男は目を見開き、くぐもった呻き声を漏らすが、毒の塗られている鍼を更に奥に刺され、男はことぎれる。
紫月は男の死骸を隠しながら、素早く着物を剥ぎ取り入れ替わる。顔に土で汚れをつけ人相を分かりづらくし、笠を被る。
眠りについていたはずの馬が、一頭目を覚ます。人間より環境の変化に敏感な馬は、変装した紫月に気づき怯えたように立ち上がる。
「……悪いな」
紫月はそっと馬に語りかけ、火打石を取り出すと、飼い葉に火をつけ始めた。
※
※
※
「火事だ!」
「厩が燃えているぞ!」
男達の叫び声と、飼い葉が燃える煙と馬の
寝所の守りを仰せつかっている二人の忍びの男達は、お互いの顔を見比べる。普段なら少しの騒ぎがあったとて、持ち場を離れることは無い。自分達の任務は城主の護衛なのだから。
しかし男達の叫び声はどんどん大きくなっていき、僅かに煙の匂いまで鼻腔に届く。どうやら厩の飼い葉が燃えており、三鶴城の者総出で消火活動に当たっているらしいが、火が消える気配はなく、それどころかどんどん廊下に煙が充満してきている。
「……なあ、やはり俺たちも行かぬか?」
「馬鹿。もしかしたら敵の罠ということもあるだろ」
「だが城が燃えちまったら……」
押し問答を続ける忍び達の元に、どたどたと荒い足音を立てて一人の男がやってくる。余程急いできたのか男は息を荒げながら「おい! お前らも火を消すのを手伝え!」と忍び達に怒鳴ってきた。
「お前、ここをどこだと思っているんだ」
「お前らこそ何が起こっているのか分かってるのか!? このままじゃ馬も城も燃えちまうぞ!」
煤と土で顔を汚しながら、笠を被った男が忍び達に怒鳴りつける。馬の嘶きが酷くなり、廊下の煙が濃くなってくる。今の三鶴城には最低限の人員しか配置されていない。女衆もたたき起こされ消火活動に当たっているらしく、女と子供の悲鳴まで聞こえてくる。
寝所の守りに就いていた忍びは、仕方なく一人を残してもう一人が消火のために外へと出る。薄汚れた男は、残された忍びの横に立つ。それは滑るように、なんの足音も立てず。
怪訝そうな忍びの顔を掴んだかと思うと、男は忍びの顔を無理矢理一回転させる。ごり、と首の骨が折れる音がして、忍びは目を回し、口から泡を吹いて絶命した。
(たいした忍びではないな)
男――紫月は笠を外し忍びの亡骸を抱きながらそう感じた。消火に向かったもう一人の忍びも、佇まいからしてそれほど実力のある者ではないと紫月は思った。月の里でいえば、「
仮にも城主の寝所という重要な場所の護衛を任された忍びが、この程度とは。芦澤家が三鶴をどう扱っているか再確認した紫月は、寝所へと繋がる襖を少しだけ開ける。
十畳はあろう広間の真ん中に、
(小姓すら付けさせてもらえないのか)
紫月はあまりの警備の杜撰さに呆れながら、再び耳を澄ます。外からの雑音は無視して寝所の気配を探る。簾の向こうの城主の寝息以外に人の気配は感じない。他に忍びすら潜んでいる様子はない。
「……?」
紫月は違和感を抱いた。いくらなんでも警備が薄すぎやしないか? 城主の寝所の守りに、襖の外に忍び二人だけなどあり得ない。いくら三鶴城を軽視しているからといって、これは不自然だ。
そこまで考えたとき、紫月の首の後ろに生暖かい風が当たる。
紫月の呼吸が一瞬止まり、ざっと全身が総毛立つ。
キイイン!
紫月のクナイと、相手の短刀がぶつかり派手な金属音を奏でる。
短刀が紫月の後ろ髪を数本切っていく。
確かに誰もいなかったはずだ。音も、匂いも、一切の存在も感じなかった。
なのにこいつは、一体どこから現れた!?
紫月はクナイを握りしめ、目の前の相手を睨む。
そこには、髪も肌も白い長身痩躯な忍びが、虚ろな紫の瞳で紫月を見て笑みを浮かべていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます