第十二話:天恵眼
三鶴城が落城してから十日以上が経った。奥州仕置きが行われ、領地を没収されたり改易を言い渡された大名・在地領主が不満を抱えている中、
豊臣秀吉は奥州仕置きの途中で
髪を整えられているさやは、何も言わず無表情で前を向いている。
今は落ち着いているが、三鶴城が落城し、父と母、乳母に重臣達、三鶴の民が殺されたと聞いた時は酷く動揺したらしい。更に、敵の忍びに謎の禁術をかけられ、視力に異常をきたしたさやは、術を制御出来なくなり気を失うこともままあった。
まずは禁術の能力を知り、それを制御出来るようにさやを指導しないといけないと果心居士は言った。
「…………」
それにしても、居士は随分ばっさりとさやの髪を切ってくれた。以前は肩より長かった茶色い髪は、今では耳にかかるかどうかくらいまで短くなっている。
命を救う為とは言え、ここまで短く断髪されたさやの気持ちを考えると、なんとも心苦しくなる。
居士は、隣でお付きの者に頭を剃って貰っている。紫月は鋏を動かし、さやの髪の毛先を整えていく。ばらばらに切られていた髪が、なんとか見習いの尼僧くらいには見られるように整えて、さやに銅鏡で確認してもらう。
さやは少しだけ息を呑んだが、「これでいい」と言い、髪よけの為に首元から身体に巻いていた布を外す。無表情を装っているが、少しだけ顔が曇っているのを紫月は見逃さなかった。
「さや姫、もう少し待って。これが終わったら、術の性能実験を再開しよう」
頭を剃っている居士に言われ、さやは疲れたように長く息を吐く。次ので五回目になるだろうか。
紫月が目を覚ましてから、果心居士はさやの瞳にかけられた禁術の性質を知るため、さやに色々質問し、その術の能力をより詳しく知るため“性能実験”を行った。
例えば、人や物の構造がどこまで見えているか、どのくらいの距離までを視認出来るか、さやの心身の状態と術の精度は相関関係にあるか、等を様々な条件下で試していた。
居士は人体解剖図を手元に広げ、自分を対象に内臓や筋肉、骨の位置や形をさやに質問した。さやは筆をとり、居士の身体から見えた物を紙に描いていく。それは解剖図とほぼ同じであった。
それどころか、居士や紫月の身体の中を走る血管や神経らしきものまで見えているらしく、さやの描いた人体図には、ぐにゃぐにゃした線が体中に走っていた。さやの瞳には内臓も骨も血管も神経も、全てが等しく写っているらしい。
しかし自分の身体は見通せず、何も見えないらしい。
次に視認距離の限界を図る。居士はさやにどこまで見えるか、見えた先の物がどのように見えるか質問した。
居士に言われるまま視界を限界まで広げたさやは、半里先(約二km)にある稲荷神社の外観と中の構造を詳しく伝えて気絶した。
地図を広げて、稲荷神社の位置と外観が合っていることを確認した居士達は、感嘆と驚きの声を上げる。
現代でギネスに載っている視力の最高は、西ドイツのシュッツットガルト大学にて、一.六km以上離れた人物を誰であるか見分けられた女子学生が報告されている。他にも人類で最も視力がいいタンザニアのハッザ族は、視力十一.〇を記録。これは五五m先からランドルト環の一.四五mmの切れ目を認識できる視力である。
こう書くと、約二km離れた神社を認識し、更に中身まで透視したさやの能力の凄さがわかるだろう。
しかもさやが十二歳の成長期であることを考慮すると、この限界距離はまだまだ伸びる可能性が高いと居士は推測した。
人体だけではなく、さやは寺院の中を透視し、詳しい見取り図を書く。更に木々の茂みなどの障害物がどれくらい重なると視認に支障が出るかなどを調べた。
その結果、木々や茂みが濃いと精度は下がるものの、そこにある物や人を見ることはできた。さやは、近くの林の中に居士が待機させた紫月がいることをなんとか認識し、彼の疑惑に満ちた表情や、着ている着物の柄まで居士に伝えると、またしても居士は驚いてその結果を記録する。
次はさやに目隠しをして、どれだけの距離を透視できるか実験する。一枚なら視界が若干曇るが、それでも通常通りの視認限界距離を示した。
二枚、三枚と目隠しの布を増やしていく。五枚目でさやは視界が曇り、透視出来なくなった。
ある雨の日、同じように実験したところ、小雨ほどなら問題なかったが雨足が強くなり土砂降りになったときは、視認距離が狭まり透視の精度も悪くなった。
同じく近くにあるさくら湖の水をどこまで透視出来るか試したが、常に揺れている湖の水は、底まで安定して見ることは出来なかった。
そして五回目の性能実験。今回は視界が左右にどこまで広がるかの実験である。さやは仏殿に正座し、瞳を光らせる。
すると、視界がぎゅんと広がり、さやは見えた物を居士に報告する。左右のそれぞれの部屋に置かれた蝋燭の本数を数え終えたところで、さやは頭痛に襲われ目を押さえる。
通常の人の視界の平均より広い、約一八〇度まで広げたところで、酷い吐き気と頭痛を
視界から入ってくる情報が多すぎて、脳の情報処理能力を越えてしまい身体が不調を訴えたのだ。
さやは、居士が作ってくれた
「果心居士よ、少しやり過ぎではないか?」
紫月が顔を険しくして居士に忠告する。真っ青な顔色のさやに水と痛み止めを差しだしながら、紫月は居士を睨む。
「おお、そうだな。なら、今度はさや姫の心身の不調と視認限界距離の相関関係を調べよう」
「居士!」
たまらず紫月は叫ぶ。さすがにこれ以上さやを実験に付き合わせるわけにはいかない。
「………冗談だよ。これ以上はさや姫の負担が大きすぎる。今回はこの辺で終わろう」
言いながら、居士はさやの目の状態を記録した紙を束にしてまとめた。その時の居士はどこか楽しそうで、本当はさっき言っていたことを実験したかったのだろう。
今までの性能実験で分かったことは、視認限界距離と、視界の広さ、それから障害物による視認精度、そして術の負荷によってもたらされる、さやの健康状態である。
それらをまとめると、視認限界距離は、約半里(約二km)、透視能力は障害物が多いほど精度が低くなること、視界は左右一八〇度が限界で、背後は見えないこと、目を瞑ると術は一旦収まること、そしてこの術を多用すると視神経に多大な負荷がかかり、頭痛や吐き気を催すだけではなく、失明の可能性もあるということ。さやの感情にこの術は大きく作用し、術を収めても、感情が昂ぶると開眼してしまうということだ。
さやの禁術の能力は大体分かった。次はさや自身が術を制御出来るようにならないといけない。さやは、蝋燭の火を見つめ、視認できる範囲を任意にコントロールできるよう努めた。
紫月はそんなさやを見て、よく我慢できるな、と思った。
紫月とて目は決して悪くなく、
本来見なくてもいいものが強制的に目に映ったら、少しも狂わずにいられるだろうか。
居士によると、最初の頃はさやも酷くうろたえ、悲鳴をあげることもあったらしいが、今はだいぶ落ち着いている。生来の気質と並外れた忍耐強さが功を成した。黙って正座し蝋燭の火を見ているさやは、髪型も相まって、本当に僧侶のようだ。
が、さやの心の傷が完全に癒えた訳では無い。夜になり床につき暫くして、さやは三鶴城が燃えている悪夢を見て、悲鳴をあげて飛び起きることが続いた。
その時のさやは汗をびっしょりかいており、顔は恐怖で塗り固められ、瞳は発光していた。
最初の頃は、さやを落ち着かせるよう紫月は努力していたが、こう何度も悲鳴をあげられては居士達も眠ることが出来ないし、何より敵に気づかれる可能性もある。奥州平定が成されたとは言え、まだまだ不穏分子が潜んでおり、討伐軍もあちこちにいるのだ。
仕方が無いので、さやは布を口に噛んで寝ることにした。こうすれば悲鳴を上げたとしても声が籠もり、外まで響くことはない。
だが、布を噛みながら、さやが
いつまでもここにはいられない。なんとかしないと――
※
※
※
三鶴城落城から、約半月。果心居士は仏殿にて、なにやら忙しそうに筆を持ち紙に何かを書いている。
「ううむ………」
考え込みながら、筆を走らせ、それを横によけると、また新しい紙に書いていく。居士の周りには書き損じた紙が散らばっている。
一体何をしているんだろうと、さやと紫月は仏殿に入り、床に散らばった紙を拾う。
そこには、『
「よし! これでいい!」
筆を止め、居士が顔を上げる。さやは驚き、紫月は気でも触れたか? と首を傾げる。
「さや姫、君にかけられた禁術の名前を考えたよ」
「禁術の名前?」
さやが不思議そうに問う。確かこの術は伊賀にて発明された術のはず。術の正式名称が分かったのだろうか?
「伊賀でこの術がどんな風に呼ばれているかは分からないが、いつまでも名前がないのは不便だから、儂が今命名したぞ」
そういいながら、居士が得意げに紙をさやと紫月に見せる。
そこには、『
「天眼、とは千里眼。千里先を見通せる眼、という意味だ。恵眼、は物事の本質を見抜く眼。真理を認識する五つの能力、五眼の一つだ。この二つをくっつけて、天恵眼。どうだ? いい名だろう?」
「千里眼て……私は半里しか見えないし、この眼は本質が見えるわけじゃ……」
さやの戸惑いの声に、居士は首を振る。
「実際がどうかなど関係ない。君はせっかく常人には見えないものが見えるようになったのだから、これから成長して、世界中を見ることができ、真理すら見抜けるようになってほしい。これはそう願いを込めて付けた名だよ」
居士はそう言い、紙を無理矢理さやに押しつける。困惑して紫月の顔を見たが、紫月は何も言わなかった。
天恵眼……随分立派な名をこの瞳の術につけたものだ。不思議なもので、名を付けられると自分の瞳が特別なものに思えてきた。
名は本質を表す……紫月の名を名付けた時を思い出し、さやはありがたくこの名を頂戴することにした。
「果心居士!」
仏殿にお付きの僧侶が入ってきた。確かあの者は、居士に言われてこの辺りを偵察に行っていたのではなかったか?
「何事だ」
問われ、その僧侶は近くにやってきて何かを居士に耳打ちする。それを聞いた居士は「ほほう……」と顎をなでた。
「ううむ……これはいい機会かもしれんな」
居士はそう呟きながら、さやを見る。一体なんだというのだ。
「寺院の和尚にも急かされてたし、そろそろここも出なくてはならないと思っていたからね」
言いながら、居士はお付きの者に、
なんだ? 畑でも耕しにいくのか?
「さや姫、紫月。今すぐ着替えなさい。坊主の格好に着替えるんだ」
「何をしようとしてるんだ?」
紫月の問いに、居士が少しだけ笑って見せた。
「
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