第十一話:生と死と
さて、
なんの戦いか。それは隙があればすぐに自害しようとするさや、そして自害をさせまいとする果心居士とお付きの者との対決であった。
居士に喝を受けたさやは、ひとしきり涙を流した後、呆然自失状態に陥った。体中の力が抜けうなだれるさやを、今は一人にしておいたほうがいい、と果心居士は判断し、ひとまず食事の準備をしようと少しの間席を外す。
それが戦いの始まりであった。
仏殿に一人取り残されたさやは、今度は
それでまた首を切ろうとしていたところを、お付きの者に見つかり、さやはまたしても取り押さえられることとなった。
居士がいくら怒鳴りつけても、さやは死ぬことを諦めない。着ている単衣の布と布の間にあらゆる物を隠しており、少しでも目を離すと何度も死のうと試みるさやに対し、居士は、乱暴だと思ったが、さやの単衣を無理矢理剥ぎ取り、掻い巻きでさやの身体をぐるぐる巻きにして縄で柱にくくりつけた。
単衣を調べると、数枚の剃刀の刃、数本の針、襟からは弦まで出てきた。こんな薄い着物によくもまあこれだけのものを隠し持っていたと居士は感心半分、呆れ半分の息を吐いた。
さやは、猿ぐつわを噛ませられ柱に縛られながら、居士達に怒りの視線を向けている。その瞳がまた光っている。無理矢理裸にされた屈辱と、自害を邪魔された怒りで、さやの顔は今まで見たことがないほど険しくなっていた。舌を噛んでも痛いだけで死ねなく、見苦しい姿を晒すだけとさやには分かっていたが、居士は念のためにと、悪夢によるフラッシュバックで、悲鳴を上げられ敵に見つかることがないようにと、彼女に布を噛ませていた。
柱に縛られたまま夜が明け、居士がさやの様子を伺うと、さやは一晩中泣いていたらしく目が真っ赤に腫れていた。
「少しは冷静になれたかい?」
居士の問いかけにさやは応じない。顔を下に向けたままなんの反応も寄越さなかった。今は夏だが夜と朝方は冷える。裸に掻い巻きを巻かれているさやの首筋で脈を測ると、脈は確かだが肌は酷く冷たかった。
「坊主は人を生かすのが仕事だ。目の前で死のうとしている命を放っておくわけにはいかない。それに何度も言うようだが、君の死を望んでいる者などここにはいないし、君を生かすため死んでいった父君と母君達に申し訳がたたない」
「…………」
「死ぬことが義務だと思っているなら、その考えは捨てなさい。君が今しなければいけないのは、生きることだ。それが死んでいった者への供養になる」
「…………」
さやの目の前に、果心居士は紫月が持ってきた宝刀を置く。それを見たさやは目を大きくする。
「紫月がお父上から預かってきたらしい。次代の坂ノ上当主たる君に渡したかったらしいが、今の君にこの刀を持つ資格はない。「
居士は宝刀の近くに、火のついた蝋燭を置く。
「今日一日ゆっくり頭を冷やしなさい」
そう言い残し、居士は部屋を出た。薄暗い小さな部屋には、柱に縛られたさやと、宝刀と、それらを照らす火の付いた蝋燭だけが残った。
宝刀を見ていると父の顔が思い出され、さやはまた泣いた。さやの頬を涙が濡らし、川のような筋を作る。泣いているうちにまた瞳が開眼したらしく、視界が広がり、部屋の外を透過する。右横の部屋には、未だ意識が戻らない紫月が寝ており、左側では居士達が何やら忙しなく動いている。
さやは視界を元に戻そうと蝋燭の火に視線を集中した。するとすぐ隣に置かれた宝刀を透視してしまう。
そこでさやは、無機物である宝刀に血管のようなものが流れており、そして脈動するかのようにその血管が微細に動いているのを視てしまった。
(生きている?)
暫く宝刀を視ていると、やはり脈動していた。気のせいか、どくん、どくんと心の臓が動いているかのような音まで聞こえる。
幻覚なのか、それともこれも禁術とやらの能力なのかは分からない。だけど確かにさやには、宝刀が生きており、更にどこか寂しそうなのをはっきりと感じ取ってしまった。
(そうだね、お前も悲しいんだね)
今、私が死ねば、この宝刀を受け継ぎ守る者がいなくなってしまう。三鶴の民を私は守れなかった。なら、せめてこの宝刀は守ろう。そして白い忍びに持ち去られてしまった「過去」を意味する宝刀をこの手に奪い返し、三振りの宝刀を揃えて、必ずや坂ノ上家を復興しよう。
死へと向いていたさやの意識が、その時初めて生きる方へと向き始めた。
死んでなるものか。坂ノ上の血は途絶えさせない。そして全てを奪っていった者達に、必ずや復讐してやる――
※
※
※
その夜、寺院に武装した
なんでも坂ノ上軍の残党狩りをしているらしく、彼らは強引に寺院の中に押し入った。
押し入られる前、果心居士がなんとか時間稼ぎをしている間、さやは柱から解放され、未だ意識の戻らない紫月と共に、寺院の和尚によって仏殿の床にある狭い収納空間に無理矢理押し込められた。
身動ぎすら出来ない狭い空間に、さやは息を殺して芦澤家の者が去るのを待った。
外から物を乱暴に動かす音が断続的に聞こえ、ついにさやと紫月が隠れている床の収納空間の扉が開かれた。が、さや達は底のさらに下、二重底の部分に隠れていたので、相手に見つかることはなかった。
寺院の中を乱暴に家探しした芦澤家の者は、残党がいないとわかると荒々しく去って行った。火をつけられなくて良かった、と居士は笑ったが、納戸の扉が開けられ中の物を全部外に出し、さらに仏殿にあった仏像まで倒していった芦澤家の坂ノ上軍残党への執念深さと乱暴さに、さやは怒りをこみ上げた。
坂ノ上軍は、父である当主が敵本陣に切り込むと決めたとき、決して少なくない数の家来達が軍から離れ、ある者は敵に投降し、ある者は三鶴城に戻り、ある者は帰農した。が、投降し命の保証を懇願した者達はほぼ全員が殺され、さらし首になった。
三鶴城に戻った者も、正室達が自害したと聞くと全員腹を切った。坂ノ上軍の中で生き残ったのは、武士の身分を捨て帰農したものか、能力を買われ芦澤家の家臣へと寝返った極少数の者だけだった。
敵に寝返った奴らは、恐らく以前から当主と後継者を巡り対立していた者達だろう。つまり、娘である自分が新しき当主に就くことを反対していた奴ら――私の姿を見ていつもヒソヒソと陰口を叩いていた、あいつらのいやらしい顔を思い出し、さやの怒りと嫌悪感が頂点に達する。
「姫。呼吸が乱れている。また目が発光しているぞ」
居士に指摘され、さやは片付けられた仏殿に灯された蝋燭の火を見ながら、呼吸を整えようと深く息を吸いそして長く吐く。それを何度も繰り返していると、少しは冷静になれて、視界も元に戻ってきた。
この瞳にかけられた禁術を上手く制御し使いこなせ、と居士は言った。いいだろう。なんで自分に禁術が発眼したのか分からないが、この瞳なら敵がどこに隠れていようと見つけ出せる。
裏切った家来達と、坂ノ上家を滅ぼした、奥州討伐軍筆頭の芦澤家の者を必ず見つけ、その首をとってやる――そう決意すると、気分が高揚し、視界が広がり全てを透視してしまう。
なんとか視界を狭め、透視を抑えようと努力するが、感情が昂ぶると制御不能になってしまう。落ち着け。今はこの目を使うときではない。呼吸を整え、心を穏やかにしようと試みるが、油断するとすぐに視界が広がって、人体や物の中が見えてしまう。
四苦八苦している間に、紫月が目を覚まし、さやが座っている仏殿に居士に案内されやってきた。
「姫、様……?」
彼の動揺した声に、さやが振り返る。その時、どうやらまた瞳が光っていたらしく、自分の顔を見て絶句する紫月の姿を見て、さやは居心地悪そうに肩をすくめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます