第三章:一五九〇年・開眼

第十話:開眼

 三鶴の領地の、さくら湖の近くの大桜。満開の桜の花弁が雪のようにさやに降り注ぐ。


 さやはまるで祝福を受けるかのように、目を細め、心地よさそうに手を広げる。


 手のひらに花弁の一つが落ちる。薄紅色のそれは、しかし次の瞬間に形が変化し、どろりとした赤黒い液体へと変わる。

 驚いたさやは、何かが燃える焦げ臭さを感じ、周りを見渡す。


 そこには、炎に包まれ、逃げ惑う人々で溢れかえっていた。


 必死の形相で逃げる三鶴の領民は、しかし殺され、首を切られ、家に押し入られ、金品を略奪され、女子供は陵辱され、奴隷として縄で繋がれ連れて行かれる。血と炎で辺り一面真っ赤に染まる。

 やめて! ――そう叫んだ途端、視界が変わる。


 今度は戦場のようだ。槍を持ち、阿久利アクリ号に跨がい、寡兵で奥州討伐軍の本陣に向かう父の姿があった。


 父上!


 しかしさやの声は届かない。鉄砲の鉛玉を左肩に受け、敵の槍の穂先で額を切られ、満身創痍の父は決して歩みを止めない。馬上で敵と斬り合い、落馬しても大将首を狙い走る。しかし父の身体に、刃が深く刺さる。

 父の目が見開かれる。どんどんと拡大していく瞳孔に、さやの身体が吸い込まれる。


 暗転。そして次に目にしたのは、三鶴城の当主の間。

 そこには、喉をかっきられ、血溜まりを作り絶命している乳母と忍びの者の骸が二つ床に転がっている。


 部屋の中心には、髪も肌も全てが白い忍びが、薄く笑いながらこちらを見ている。


 白い忍びは、手に坂ノ上家の「過去」を意味する宝刀を握っている。梅の花が象られている鞘を、白く長い指が確かめるように撫でる。

 それを返せ! そうさやが怒りの声を上げると、忍びの身体がぐにゃぐにゃと変化し、何匹もの白蛇に変わったかと思うと、蛇たちはさやに絡みつく。

 身体を蛇に締め付けられ、さやは呼吸ができなくなり、酸素不足で目の前が徐々に暗くなっていく。


 視界が開かれると、目の前には母のむくろがあった。

 首の頸動脈から出血し、眉を寄せ目を固く瞑りながらもう絶命している母を中心に、城の守備に当たっていた重臣と、母の侍女達も自害していた。


 母上! 


 さやの悲痛な叫びは、母にはもう届かない。白蛇の身体の締め付けが一層酷くなる。痛みに耐えているさやに、白蛇が耳元でこう告げる。


 まなこ、と――


 すると、さやの脳内に凄まじい情報が流れ込んでくる。


 父である坂ノ上清宗が当主に就いた日、跡目争いに負け寺に出家した父の弟。相馬から輿入れした、さやの母であるお北の方の純白の花嫁衣装。家臣達の疑心暗鬼な瞳。敵に四方を囲まれながら、それを撃退する坂ノ上家。母の妊娠、そして出産。産まれた自分を抱く父と母。乳母と母に行儀作法を教えられ、緊張しながら食事する自分。側室達に弟妹ていまいが産まれ、その子達を抱き姉になったと自覚する自分。しかしその弟妹達は死んでしまい、側室達も亡くなり悲しみに浸る家内。笑えない自分を叱る乳母。男の子おのこを産みたかったと言う母。父である当主の意向に反対派の家臣達のヒソヒソ声、三鶴の大桜を初めて見たときの感動、そして紫月との出会い。寡黙な紫月、優しい果心居士、三鶴の民の笑顔、室町幕府の滅亡、九州平定、小田原城攻め、采配を奮う豊臣秀吉――さやが知らないはずの現象や人物の顔、匂い、声、全てが虹色の洪水となって、さやの眼球から脳に情報が流れ込んでくる。


 脳の容量を遙かに超えた情報は、光の波となって襲って、夜空に光る星々となり、次には日の本全体を俯瞰し、そして青い惑星を見、銀河系を飛び出し膨張し続ける宇宙へと認識が拡がった。


 あまりの広大さに、さやは耐えきれなくなり叫ぶ。すると今度は一気に世界が圧縮される。


 急激な縮小は、宇宙の始まりから人類の誕生、そして今までの歴史を、もの凄い速さで巻き戻して再生していく。一人の人間が知覚できる量を遙かに超える情報を押し込まれ、さやの脳が破壊されそうだ。

 さやは悲鳴を上げ、手を上げる。当主の間に飾ってあった宝刀を持ち去ろうとしている、白い忍びを捕まえようと追いかけるが、しかしその小さな手は何も掴めず宙を舞い――


 ※

 ※

 ※


 さやは、自らの甲高い悲鳴で目が覚めた。

 最初に目に入ってきたのは、見たことのない天井に伸ばされた自分の腕。


(……夢?)


 まだ夢の残滓ざんしが身体に残り、激しい動悸に呼吸を荒げていると、さやの手を誰かが握った。

 ごついその手は、果心居士のものだと分かった。居士が顔を覗いてくる。周りにいたおそらく居士の従者達も、次々と自分の顔を覗きこんでくる。

 横たわっていた身体を起こす。と、両目に鋭い光がまたたき、思わず目を押さえてしまう。


「姫……?」


 果心居士が心配そうに声をかける。まぶたの裏の光の点滅が収まった頃、ようやくさやは目を開ける。


「……!?」


 が、そこには異様な光景が広がっていた。


 傍に控えている居士や、お付きの僧侶達、全ての人の身体の中が。骨に筋肉、内臓、神経、身体を走る血管、それぞれの身体の全てがさやには見える。

 見えるのは人の身体だけではない。仏殿に飾られている仏像や各種仏具、それらが透過され仏殿以外の部屋まで見える。納戸なんど、そこにしまわれている物や、隣の小さい部屋に寝かされている紫月の身体の中まで、さやには


「姫! !」


 居士の驚愕の声に、お付きの者の軽い悲鳴が続く。途端、視界がぎゅんと広がった。


 視界は寺院の中だけじゃなく、更に外まで拡がる。


 人間の視野は、個人差はあるが、両目で同時に見える範囲が成人だと左右約一五〇度。しかしさやが今見えているのはそれより広い。そして全てが透けて見える。人も、物も、建物も全て。

 寺院の外の、見慣れた桜の大木を視認した時、視覚から得られる情報が脳の処理容量をオーバーして、さやはまた気を失った。


 ※

 ※

 ※


 気付け薬のツンとした刺激臭を感じ、さやは再び目を覚ます。

 目を覚ましたさやの視界が、またしても広がり、そこに映る全てのものが透過され、目の奥が凄く痛い。酷い頭痛にまた意識が遠のく。

 が、目の前に火の付いた蝋燭が現れる。果心居士が差し出したもので、蝋燭に視線が集中した。


「姫、いいかい? この蝋燭の火だけを見なさい。視界に映る他のものは無視して、この火だけ見るんだ」


 瞳を光らせながら、さやは荒い呼吸のまま目の前の蝋燭の火だけを見た。蝋燭を差し出した居士の手と顔の骨や脳、血管、神経がやはり透けて見える。


「認識できる範囲を狭めていくんだ。この蝋燭だけに意識を集中して」


 肩で息をしながら、さやは言われた通り蝋燭だけ見るよう心がける。すると拡がった視界は縮まり、蝋燭と、それを持つ居士だけが視界に入る。

 果心居士は、蝋燭をさやから徐々に離していく。三寸、一尺、四尺、五尺、六尺……さやの呼吸が整ってきて、七尺(約二一〇㎝)ほど離れたところで、さやの瞳の発光が収まっていく。


「姫。今、視界に何が見える?」


 激しい動悸を押さえるように、単衣の胸元で拳を握りながら、「……居士と、火のついた蝋燭……」とさやは絞り出すように言った。

 果心居士はその答えを聞き、安心したように長く息を吐く。


「さっき目を覚ましたとき、君の瞳は確かに光っていた。今は光っていないけど、先ほどは何が見えていた?」

「わからない……全部。居士の身体の中と、寺の納戸や仏像の裏や、外の桜の木と……」


 居士に問われ、さやは答える。と、また視界が広がった。居士と横にいるお付きの者の身体の中が透けて見えてしまい、こめかみが痛くなる。


「おっと、また目が光っているぞ。蝋燭の火だけ見て。集中」


 言われ、さやは蝋燭の火だけ見るよう意識を集中した。揺らめく火を暫く見ていると、視界は通常通りになり、周りの物も透けて見えなくなった。

 そのまま続けるように、と居士に言われ、さやは座禅を組んで呼吸を整えていく。何度も視界が広がりかけたが、その度に火へと意識を集中させていく。


 そうしてどれくらいたっただろうか。果心居士がさやの横に座り、そっとはまぐりの貝を差し出す。中に何か入っているようだ。


「応急処置として、清眼膏せいがんこうを作ってみた。水はここにある。これで目を洗ってごらん」


 清眼膏せいがんこうとは、今で言う目薬のことである。薬剤を軟膏にして、二枚貝の片方に入れ、もう片方の貝で軟膏を水で薄めて目に入れる。

 さやは蛤の容器を受け取り、片方の貝から軟膏を少しだけ掬い、それをもう片方の貝に水を入れ軟膏を溶かす。

 あとはこの貝の水を目に入れればいいのだが、清眼膏など初めて使うさやにとって、目に何か入れるというのは怖い。戸惑いながら、傍の果心居士の顔を見る。その時の居士の顔は透けていなく、優しそうな笑みを浮かべ、大丈夫、というように頷いて見せた。


(ええい!)


 さやは右目を瞑り、まず左目に蛤の貝をあて、中の水を目に入れる。すると眼球に凄い刺激が走り、思わず目を瞑り苦悶の声を漏らした。

 数秒、数十秒経ち、やっと眼球から刺激が無くなり、左目を開ける。数回しばたたかせると左目の視界は元通りになり、お付きの僧侶の身体も透けて見えなく、まるで未知の物を見るかのような表情を浮かべている彼らの顔がしっかりと見えた。

 続いて右目も洗うと、完全に視界は元に戻る。居士達とさやはほっと胸をなで下ろす。

 と、そこで、初めて自分の髪が短く切られているのをさやは知った。


「髪が! 私の髪が!」

「すまない。死にかけていた君を救うため、髪が大量に入り用だったんだ」


 知らぬ間に断髪され、動揺するさやに居士が申し訳なさそうにそう言う。さやは、よく磨かれた銅製の仏像でその姿を確認し、雑に切られた短髪の自分を見て、無性に泣きたくなった。


「あー……、さや姫、髪はいずれ伸びるものだよ。伸びるまでかもじをつければいいと思うよ」


 それより、と居士は居住まいを正し、さやに目の前に座るよう命じた。ショックから立ち直れていないさやは、ふらつきながら居士の前に正座した。


「三鶴城が落城してから、今日で四日経った。君と紫月がここに逃げてきた、その後のことを儂は話さなくてはならない」


 落城、と聞き、さやの顔が強ばった。

 そして密偵代わりのお付きの者から、三鶴のことを全て報告された居士が話した内容は、髪を切られたことなど問題にならぬほどの、酷いものだった。


 ※

 ※

 ※


 半焼した三鶴城に踏み込んだ討伐軍は、自害した正室・お北の方と重臣、侍女達を確認。

 そのなかに、さやと着物を取り替えられ、かつて行儀見習いとしてさやと遊んだあの侍女が、さやの着物で一緒に死んでいたので、、と討伐軍は処理した。


 三鶴城から逃げてきた領民達は、ほぼ全ての者が兵の乱取りに合い、殺された。坂ノ上家の菩提寺ぼだいじに逃げ込んだ領民は、和尚が命を懇願したにも関わらず、寺を燃やされ、和尚を初め領民達は火に巻かれ死亡。逃げた領民も殺戮・略奪された。

 討伐軍の本陣で討たれ、紫月が施した術式が発動し、業火に身を焼かれ髪の一本すら残さず死んだ当主以外の討ち死にした重臣の首は、討伐軍の本拠地であった会津黒川城の前に並べられた。

 三鶴他、抵抗を続けていた大名や在地領主を沈静化し、討伐軍は鳥谷ヶ先とやがさき城へ入城し、奥州平泉へと北上。小田原の役に参陣しなかった葛西氏、大崎氏他大名は改易。逆に早くから豊臣秀吉に恭順し小田原にて活躍した最上氏、南部氏は所領安堵が言い渡された。


 一五九〇年、八月。まだ火種があちこちにくすぶっているが、ここに奥州は平定され、豊臣秀吉は天下を統一した。


 奥州にて最も気高き血筋の、三鶴の坂ノ上家は、僅か七日で滅亡したのである。


 ※

 ※

 ※


「う、げえ!」


 果心居士から全てのあらましを聞いたさやは、耐えきれず嘔吐した。

 居士は困ったように眉を寄せながら、吐瀉物を雑巾で拭く。


 頭がくらくらする。あまりにも急すぎてついていけない。


 父は討ち死に、母も死んだ。城を守っていた重臣、そして無理矢理影武者にされた、かつて一緒に遊んだ侍女まで、私の代わりに死んでいった。


 私を生かすために、何人の人間が死んでいった!?

 私が守るはずだった三鶴の民まで殺され、何故私は生きている!?

 しかも、三鶴は芦澤家の領地となり、新しい城主は父の弟が還俗げんぞくしてなり、その後見に、父を裏切り討ち取った大定綱義おおさだつなよしがついたというではないか!

 こんな屈辱を受け、何故私は生きている!?


「さや姫、また目が光っているぞ」


 果心居士が諫めるように言う。が、さやの気持ちは収まらない。怒りのあまり呼吸が荒くなる。


「それから、君と会ったという白い忍び……恐らくは芦澤家に雇われた伊賀の忍びだね」

「……なぜ、そんなことが分かるの?」

「その光る瞳……風の噂で聞いたことがある。千里を見通せ、人や物の構造を見通す、伊賀にて開発された術だ。しかし、その術をかけられた者は誰一人として開眼せず、禁術に指定されていたはず。なのに何故……」


 何故自分がその禁術をくらい開眼してしまったか、そんなのはどうでもいい。さやにとって、三鶴の民が殺され、さらに先祖代々が守ってきた土地と宝刀の一振りまで敵に奪われてしまった、その事の方が重要だ。


 守れなかった。私は何も。


 さやの顔から怒りが消え、瞳の光も消える。顔から全ての感情が消え、一瞬呆けたようにみえたが、次にさやは、着ていた単衣ひとえの袖口を爪でひっかく。数度ひっかくと、袖口の布の間から、小さい剃刀カミソリの刃が落ちてきた。

 さやはそれで首の頸動脈めがけて深く切ろうとする。が、すんでのところで居士がさやの手を掴み阻止した。


「なにをやっているんだ!」

「離して! 何故止める! 私は死ななきゃいけないの!」


 尚も暴れるさやを取り押さえるため、居士の他、お付きの者数名がさやの小柄な身体を押さえる。それでもさやは暴れた。


「さや姫! 何故母君が君を逃がしたとお思いか! 君に生きて坂ノ上の血を継いで欲しかったからだろう! 母君も、父君も、今は気を失っている紫月も、君の死など願っていない!」


 居士のかつを受け、さやの目が大きくなる。そのまま弱く暴れ続けたが、やがて体中から力を抜き、顔を伏せたまますすり泣く。

 笑いもしなければ泣きもしない、地蔵のような子であったさやが、十二歳の子供らしく嗚咽混じりにボロボロと涙を流す。


「父上……母上……」


 もうこの世にいなくなってしまった、父と母、乳母に重臣達、共に遊んだ侍女、三鶴の民を思い、さやは泣き続ける。涙を零しながら、鳶色の瞳を光らせる。感情が昂ぶると制御出来なくなるようだ。


 まずこの禁術の性質を深く知ることと、自由に制御できるようさやを指導しないと、と果心居士は思った。

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