第九話:摺上原の血戦、そして……

 さやの父である当主が率いる坂ノ上軍は、磐梯山ばんていざんの麓の、摺上原すりあげはらに本陣を置く芦澤あしざわ家率いる奥州討伐軍に突撃し、鬼神の如き強さを見せた。


 討伐軍側は、三鶴城が敵に包囲され、坂ノ上軍も多数の死者を出し、更に兵站へいたんも全て潰されているので、向こうからの降伏は時間の問題だと高をくくっていた。

 現に兵の大半が勝利したも同然と思い、武器を放り出して身体を休めたり、中には酒をくらい宴会を開いている者までいる。

 加えて今は真夜中である。死に体の坂ノ上軍が夜襲など仕掛けてこぬだろう……本陣の者までそう思っていた。


 しかし、彼らは坂ノ上家の気質を見抜けなかった。


 たった五十名からなる坂ノ上軍は、少数ながらの機動力を用いて、猪苗代いなわしろの兵を奇襲し、攪乱し、一撃離脱で本陣へと向かう。

 勝ったも同然と思い油断していた、猪苗代いなわしろの討伐軍側は、突然の奇襲に対応出来ずに殺され、他の陣への伝達もままならなかった。この初動の悪さが、更に坂ノ上軍を進撃させてしまうこととなる。


 摺上原の本陣にて、坂ノ上軍が奇襲を仕掛けてきたという物見からの報告を、討伐軍の大将である芦澤家の当主は、ただの誤報だと当初まともにとりあわなかった。

 だが、猪苗代方面の布陣が次々と破られ、夜の空に兵の悲鳴が響き、近づいてくる馬の蹄の音を聞き、まさか、と顔を青くする。


 もう坂ノ上軍に、まともに戦える兵などごく僅かしかいなかったはずだ。三鶴城も完全に包囲し、兵糧も底をついているはず。誰がどう見ても彼らの負けは確定しており、今頃敵は腹を切っているか、三鶴城に戻ろうとしているか、降伏のため使者と人質を差し出してくるか、のどれかの行動をとるだろうと思い、本陣でさえ三鶴をどうするかという、勝った後の評定をすでに始めていたというのに。


 負けが確定している軍の大将が、圧倒的な彼我兵力ひがへいりょく差を誇る敵陣に自ら攻め込んでくるなど、あり得るのだろうか? この戦乱の世で潔く自刃しない敗軍の将など、それこそ後世までの笑いものになるのだが――


 そこまで考え、複数の鉄砲の音が辺りの空気を揺らす。それが我が軍のものか、敵の騎馬鉄砲隊の音かはわからなかったが、かなり近くからそれは聞こえた。そして兵達の雄叫びもどんどん大きくなってきている。


 決死の覚悟で切り込んできた坂ノ上軍は、徐々に体勢を整えてきている討伐軍に、弓で打たれ、鉄砲で撃たれ、槍に突かれ刀で切られ兵の数を確実に減らしながら、それでも歩みを止めなかった。


 五十人いた兵が、四十、三十、二十、そして残り十名となったとき、ようやく本陣手前までたどり着く。傷ついていない者はなく、特に坂ノ上の当主は左肩に鉛玉を喰らい額から血を流していたが、決して馬を止めず、槍を振るい敵兵の身体を斬り、馬装が汚れようが鎧が破損しようがお構いなしに切り込んでくる。その形相はまさに血に塗れた鬼の姿である。


「大将首はここにあり! 芦澤! 覚悟!」


 当主の目には敵の大将である芦澤の当主しか映っていない。本陣の厚い守りにも坂ノ上軍はひるまず、一人の重臣は鉄砲の弾を頭に受け絶命し、二人の重臣は当主の後ろを守り、槍で脇腹と首を突かれ落馬したところを討ち取られ、更に二人の重臣が当主の脇を守り討ち死にする。

 そして大将である当主は、ついに馬上にて敵と斬り合う。その敵は、坂ノ上家から突然出奔した、かつて当主の弟の傅役もりやくを仰せつかり、先代からの家臣の一人であった大定綱義おおさだつなよしである。


大定おおさだ! 貴様! どこぞで野垂れ死んでいるかと思うたら、芦澤に寝返っていたか!」


 当主は憤怒の声を元家臣にぶつける。刀がぶつかり合う。一合、二合。刀身から激しい火花が散る。


 大定は当主の気迫に押されながら、「今からでも間に合う! ご当主、投降せよ!」と、かつての主人に声をかける。

 しかし坂ノ上当主は聞き入れない。斬り合いながら、部下より報告を受けた時に感じた、三鶴城の隠し通路が二つ潰された事への疑問が氷解した。

 先代の時より武勇の誉れ高き将であった大定なら、三鶴城の隠し通路を知っていてもおかしくない。


 こいつのせいで、三鶴城とそこに避難している民はなぶり殺しにあっている――そう確信した当主は刀を握る手に更に力が入り、大定をひるませるほどの剣技を見せる。大定の後ろで別の騎馬兵と戦っていた重臣は、落馬し槍で刺されてしまう。

 他の三名も、鉄砲にやられ、槍に突かれ、落馬して暫く戦っていた者も串刺しにされてしまった。


 そしてとうとう、当主も敵に囲まれ、数本の槍をその身に受けてしまう。


 当主は阿久利アクリ号を刺され落馬し、しかし血反吐を吐きながら刀を構え、本陣最奥の敵大将の元へと走る。が、大定が鎧の裂け目がある脇腹めがけて刀を刺し致命傷を与える。当主の目が見開かれ、大定は、刀を更に奥へと刺し心臓を貫く。

 当主の瞳孔が完全に開かれ、数瞬身体を痙攣させた後、彼はついにその場に崩れ落ちる。


「大将! 討ち取ったり!」


 大定が叫ぶ。それを受けて周りの兵はときの声を上げる。


 が、その時異変が起こった。

 坂ノ上当主の身体が青い炎に包まれる。


 本陣に切り込む前、紫月しづきが当主の身体に描いた術式から術が発動したのだ。


 月の里の忍びは、死ぬ際に身体を残してはいけないという掟がある。紫月他、里の忍びは皆この術式を身体に刻んでいる。生体反応が無くなると術が発動し、身体の内側から青い業火が発生し、骨すら残さない。様々な薬や術にならしている忍びの身体を切り刻まれて機密を奪われることがないようにと、月の里の忍びはその死に様を受け入れ、紫月は誇りにすら思っている。


 当主は、死んでも自分の首が敵に渡ることが無いよう、紫月に命じて術式をその身体に描かせた。

 本来なら忍びにしか適応されないその術は、当主の身体を業火で包み、骨も、髪も、一本たりとも残さず燃え続け、周りの兵も巻き添えにした。

 しかし、大定綱義おおさだつなよしはすんでのところで避難したので、身体の左側を火傷しただけでかろうじて生き残ってしまった。

 馬印うまじるしを伏せ退却の準備をしかけた、討伐軍大将の芦澤家当主は、その奇妙な光景に目を剥き、言葉が繋げない。


 こうして、坂ノ上家第二十六代目当主・坂ノ上清宗さかのがみきよむねは、敵本陣でその生涯を終えた。


 坂ノ上清宗……潔く腹を切らず、自分勝手な言い分で戦を長引かせ、多くの部下や三鶴の領民を結果的に死なせてしまった愚将か、それとも最後まで諦めず、大将首を狙い戦い抜いた猛将か、それは評価が分かれることであろう。


 だが、さやと紫月にとっては、良き父であり、また良き主君であった。


 ※

 ※

 ※


 その少し前、三鶴城の隠し通路から出た紫月は、虫の息のさやを抱え、敵の包囲網を突破しようと、桜川を越え、大滝根おおたきね川を越えようとしてその足を止めた。


 三鶴城が燃え、あちこちで殺戮・略奪が起こり、川は血の色に染まり、川上から死体がいくつか流れてきていた。

 この分では恐らく、坂ノ上家の菩提寺ぼだいじも燃やされているだろう。あそこに避難していた領民も少なくなかったはずだ。ほぼ全ての領民は殺されたか、兵の乱取りにあったか……。

 とにかく、大滝根川を越えれば、三鶴の大桜の近くにある寺院に行ける。そこにはこの戦いが始まって三鶴城から避難している果心居士がいるはずだ。居士に見せれば、目から血を流し意識を失っているさやを治療してもらえる。彼がそこから逃げていなければ、の話だが。


 しかし思った以上に敵の目が厳しい。隠し通路から出て敵の包囲網の薄い部分を狙い、敵方の忍びや見張りの者を最小限殺しここまでやってきたが、これ以上はさやを連れて進めない。とくに大滝根川付近の軍は大きく、見張りがとても厳しい。自分一人ならともかく、さやを連れて突破は不可能だろう。


(どうする……?)


 草むらに息を忍ばせ紫月は思案する。運びやすいよう大きな麻袋あさぶくろに入れたさやは相変わらずぐったりとしている。


 一つだけ、方法はある。が、それはを使う。成功率が低く、失敗すれば自分だけではなく、さやの命すら危うい。かなり身体に負荷をかけるので、この術を使用するのは本当に最後の手段である。

 だがここにいても敵に見つかり、さやと宝刀は奪われてしまう。危険な賭けではあるが、生きてここを脱出できるならその可能性に賭けるまで。


 腹をくくった紫月は、クナイで手を切りつけ、そこから出た血で自身の身体と、さやを入れている麻袋に術式を描いていく。それが終わった後、懐から割板わりいたを取り出し、そこに同じ術式を描いた。あとは、この板を割ると術が発動する。

 紫月は震える手を押さえ、桃の花が象られている「現在」を意味する当主から預かった宝刀と、さやが入った麻袋を抱えたまま、術式の描かれた板を割る。


 すると、身体がものすごく強く引っ張られるような感覚を味わう。

 世界がぐるりと周り、自分が宙に浮いているかのように感じると、次の瞬間には高所から地面にたたきつけられた。ドタン、と大きな音が狭い室内に響く。


 目を開けると、そこはどこかの納戸のようだった。床に、自分が以前ここに描いたのと同じ術式を見つけ、「縮地しゅくちの法」が無事に発動したことを確認する。

 と、音に驚いた果心居士がやってきた。紫月と、さやの入った麻袋に描かれた術式と宝刀を見て、「紫月! 縮地の法を使ったのかい!?」とこちらに駆け寄る。

 居士に応えようと、紫月は身体を起こそうとする。が、言葉を発する間もなく吐血した。術の負荷で内臓がやられたか。


「果心……姫様、と、この刀、を……たの……」


 最後まで言えず、紫月は気を失った。


 長い距離を「縮地の法」で瞬間移動してきた紫月は気を失い、麻袋から出したさやが仮死状態にあるのを確認した果心居士は、一刻も早く処置しなければさやの命が危ういと感じ、懐から小刀を取り出した。


「……悪く思わないでくれ」


 そう言いながら、さやの肩甲骨くらいまで伸びた髪を、ばっさりと切る。茶色い髪の束が床にこぼれる。

 居士はその髪を掴み、お付きのものにさやを仏殿まで運ばせた。そこで髪を媒体にし、処置の為の術を使う。長く、気を抜けないその術を、居士はさやを救うため必死で行う。


 ――どうか、間に合ってくれ


 ※

 ※

 ※


 紫月が意識を取り戻したとき、その大きな身体は横に寝かせられていた。


 誰かが自分の顔を覗いてる。

 そのことを認識すると、身体が勝手に動き、反射的に紫月は相手に手刀を繰り出していた。

 手刀をくらって、顔を覗いてた僧侶は横に吹っ飛ぶ。紫月は後ろに飛んで臨戦態勢をとる。が、視界が歪んで思わず手を床に付けた。

 自分にかけられていた掻い巻きかいまきを見ながら、意識を失ってどれくらいたったか、さやの生死のことを必死に考える。

 未だ頭痛が治まらない頭を押さえていると、果心居士が部屋に入ってきた。居士は床に倒れているお付きの者を見、そして紫月を見て微かに笑う。しかし酷く疲れているようで、目には濃い隈があり、肌のしわがますます深くなったように見えた。


「坊主を手にかけてはいけないよ」


 床で悶絶している僧侶の様子を見ながら居士は言う。紫月は思わず睨み返してしまった。そんなことが聞きたいのではない。


「わかっているよ。さや姫なら三日前に意識を取り戻した。お前は七日寝ていたのだよ」

「姫様は無事なのか!?」

「命はとりとめた……けどねえ……」


 語尾を伸ばし、何かを言いにくそうにしている居士の様子を見て、紫月は怪訝そうに目を細める。


「けど? なんだ? はっきり言え」

「……まあ、実際に会ってみたほうがいい」


 はっきりものを言わない居士に連れられ、紫月はこの寺の仏殿に通された。

 そこには髪が短い作務衣を着た子供が背を向けて座っていた。仏殿に灯された蝋燭の火を見ているようだ。


「姫、様……?」


 紫月の動揺した声に、髪を切られたさやがゆっくりとこちらを見る。


「……紫月……」


 さやの顔を見、紫月は思わず息を呑む。


 さやの

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