第八話:三鶴城、落城

 当主達が敵の本陣に駆けていった、その二刻前(約四時間前)。


 丘陵きゅうりょうに建つ三鶴みづる城は、四方を討伐軍に囲まれ、完全に身動きが取れなくなっていた。

 城への小荷駄こにだ隊が敵に潰されはや四日。城は討伐軍によって兵糧攻めにあっていた。

 水・食料・弾薬その他生活必需品は、城にある程度備蓄があったとはいえ、三鶴の領民を限界ギリギリまで受け入れていた城は、あっという間に食糧不足になってしまった。

 城を囲む討伐軍から大筒の攻撃を受け、それが食糧庫の一つに当たってしまい、保存されていた食糧が駄目になって、三鶴城内は飢饉に陥っていた。

 このままではどんなに節約しても、あと三日もつかどうか。加えて同盟を結んでいた相馬・二本松が同盟を破棄したとの知らせが届いてから、城の守りを任されている正室は顔を歪ませ、更に二本松方面の坂ノ上軍が破られたと聞いたとき、正室はを決めた。


 正室は、別室に離れていたさやを呼び寄せる。


 さやは、鎧を脱ぎ白装束に身を包み、短刀を傍らに置く母を見て、何を言わんとしているか察してしまった。


 ――母上は、死ぬつもりなのだ。


 城を敵に包囲されるのは、さやにとって初めてのことではない。覚えている限り今までに二度、他国から攻められ籠城ろうじょう戦を強いられたことがあった。

 その時は父親と家臣団・更に城の守りを務めていた母親率いる守備隊によって、敵は撃退された。


 だが、今回はその二度の戦とは規模が違う。母も、城の守備を任されている家臣達も、皆苦渋の面持ちで、かつて無い緊張感が城内に漂っていた。


 さやは、着物を侍女のものに着替えさせられ、いつでも領民に混じって逃げられるよう母から離れさせられ、父に徴集された紫月しづきの代わりに新たに護衛についた忍びの者と、城の一角に避難していた。

 その自分が母に呼び出されるということは、戦局が大きく動いたということなのだろう。それが良い方向なのか、悪い方向なのか……さやは母の顔色で察してしまった。


「さや、お前は逃げなさい」

「嫌です!」


 思った通りの言葉を聞き、さやは瞬時に反発した。母に逆らうなど今までの自分からは考えられなかった。が、母がこれからとるであろう行動を感じ取ってしまい、思わず反論してしまった。

 母は一瞬驚いたように目を大きくさせる。が、すぐに眉を寄せ厳しい面持ちのまま、さやに叱るように告げる。


「お前が生き残らなくては、誰が坂ノ上の血を守るのです。既に城は敵に囲まれています。“当主の間”からの隠し通路はまだ潰されていません。そこから城外へ出られます。それを使って乳母と――」

「嫌です、嫌です! 私も母上と共にここで死にます! 私一人だけ生き残るなどそんなこと出来ません! 私とて武士の子、死ぬ覚悟はとっくに……」

「さや!」


 ぴしゃりと、母が大声で怒鳴った。その気迫にさやは言葉を失う。


「……心配ありません。母もすぐに後を追います。これから領民達の命の保証を敵に嘆願し、それが受け入れられ領民達が避難した後、母はお前と合流します。一時の別れではないですか」


 嘘だ。母は嘘を言っている。


 母の実家の相馬が同盟を一方的に破棄し裏切ったとの知らせが来てから、母は自刃じじんするつもりだったのだろう。相馬と三鶴が同盟を結ぶために母が輿こし入れしたのだ。いわば相馬から人質としてやってきた母は、生家が裏切った場合潔く死ななければならない。それが大名の妻の役目である。

 そして子であるさやにも、何かあった場合に確実に死ねる方法を母より教わっている。生きて虜囚りょしゅうはずかしめを受けず。自刃の作法も、大名の子女には伝えられていた。


 さやは、一人だけ生き残ることなど考えていなかった。皆と共に死ぬ覚悟など、この籠城戦が始まった時よりとうに決めている。

 なのに母に生きろ、と命じられている。生きることより死ぬことの方が美徳とされたこの時代、負けて逃亡し生き残る事は恥だと教えられたさやにとって、それは屈辱を背負え、と言われているに等しい。


 そうこうしている内に、外からの砲撃が始まった。近くに着弾したのか、部屋全体が揺れ轟音が耳を聾する。傍に控えていた忍びの者が、さやを頭から庇う。

 母は顔を一掃険しくし、「早く連れて行きなさい!」とさやの忍びと乳母に命ずる。さやの小柄な身体が持ち上げられ、無理矢理母と引き離される。


「母上! 母上!」


 さやは全身でめいを拒絶し、母の元へ行こうと身をよじる。それはさやにとっての最初で最後のわがままであった。最後まで父と母の傍にいたい。たとえどんなに怒られようと、それだけは譲らないつもりだ。


 母がさやを見、悲しそうに笑って見せた。その時の母の顔は、さやが今まで見たことがない程優しい笑顔だった。


 坂ノ上家の正室・おきたかたは、さやが完全に視界から消えた後、お付の者に城の領民達をさやの後に逃がし、その後火を城に放つよう命じた後、小刀で喉を突いて自害した。


 彼女の傍に居た城の守備隊の中核の重臣達は、領民を逃がした後に腹を斬り、侍女達は同じく自害した。


 お北の方は、最後までさやの身と、三鶴の者の安全を祈りながら死んでいった。

 坂ノ上の正室に恥じない、見事な死に様であった。


 ※

 ※

 ※


 さやは、忍びの者と乳母と共に当主の間に連れて行かれ、そこに飾られていた「過去」を象徴する宝刀を手に取った。

 梅の花が象られている、黒漆のみやびなその刀は、今落城らくじょうしようとしているこの城にあって、最も美しく存在していた。


 その宝刀を胸に抱くと、これまでの三鶴城での日々が、さやの脳裏を走る。


 初めて父と狩りに出かけたこと。同盟国であった相馬で行われている、野馬追のまおいの甲冑競馬や神旗争奪戦しんきそうだつせんを見学しに行ったときの興奮。初めて三鶴の大桜を目にしたときの感動。城下町を父と共に視察に行ったときに見た、この民の笑顔を今度は私が守らなければいけない、という覚悟。紫月と桜の木の下で初めて会ったときのこと。疱瘡で死の間際にいた時、果心居士に救われたこと。居士との庵での語り合い……全てが走馬灯のように流れていく。

 さやは、その思い出のあまりの重さに、身体が耐えられなくなり、宝刀を抱いたまま床に膝をつけてしまった。


「姫様……?」


 さやのおかしさに、乳母が動揺し声をかける。床の間の掛け軸の裏が隠し扉になっており、紫月の代わりの忍びの者が、隠し通路を先に見に行き、通路がまだ敵に見つかっておらず生きていることを確認し終えて戻ってきた。

 忍びの者は急ぐよう、さやと乳母に目で訴えた。さやは乱れた呼吸を整え、乳母に強引に立たされ、隠し通路に行こうとした。


 その時。生暖かい風を頬に受けた次の瞬間、視界が赤く染まる。


 それが、乳母と忍びの者の喉から吹き出す血の噴水の色だと知ったとき、さやの目の前には見知らぬ人物が立っていた。

 薄い紫色の、焦点があっていない虚ろな目、殆ど色素がない白髪、色白を通り越した、青白い肌――


 全てが白い忍びは、血に塗れた短刀を、今度はさやの方へ向ける。


 まるで白蛇のよう――


 さやは、一瞬敵方の忍びに見とれてしまったが、その忍びの足下に、血まみれで目を見開きながら絶命している乳母の姿を認識したとき、宝刀を鞘から抜き放っていた。

 警戒と、動揺が入り交じり、刀を握る手がカタカタと震える。敵の侵入を許してしまったか。


「な、何者か!」


 精一杯の恫喝の一声を、白い忍びに向ける。声が震えてしまった。

 白い忍びは首を傾げ、さやの身なりと、宝刀を見比べる。


「……ああ、成る程。君は……」


 敵の忍びがこちらに近づいてくる。さやは間合いをとるため後ろに下がった。そこで、同じく喉から血を流し、床に血の海を作っている護衛の忍びの亡骸が足に当たり、さやの顔がますます歪んだ。


「うん、そうか。。なら……」


 敵の白い忍びは、一瞬で間合いを詰め、さやの顔を掴む。成人の男らしい、大きくゴツゴツとした手に視界を封じられ、さやが苦悶の呻きを漏らす。


 次の瞬間、さやの視界に虹色の光がぜた。


 襲ってくる激痛。

 さやは目を押さえ悲鳴を上げる。


「君はまず死ぬだろうけど……生きていたら面白いことになるね。これは命令通り頂いていくよ」


 白い忍びは、さやが床に落とした宝刀を拾い鞘に収めた。それが坂ノ上家に伝わる「過去」を象徴とする宝刀だと確かめた忍びは、目から血を流して悶絶しているさやに面白がるような笑顔を見せ、その場から立ち去った。


 当主の間には、白蛇のような忍びに殺された、乳母と護衛の忍びの亡骸と、眼球から出血し、あまりの痛さに意識が朦朧としているさやが残された。


 さやは痛みに耐えながら、戦場に赴いている父、優しげに微笑んで見せた母、戦いが始まり三鶴城より避難させられた果心居士、いつも傍にいてくれた紫月の姿を思い出し、最後に自分が守るべき三鶴の民のことを思い、そして気を失った。


 ※

 ※

 ※


 暫く後、三鶴城から火が上がる。


 火に追い立てられるように領民が城から逃げ出すが、しかし正室・お北の方が望んだ民草への保護はされなかった。

 三鶴城から逃げ出してきた者を、討伐軍は坂ノ上側が懇願した領民の保護の申し入れを破棄して一人も討ち漏らさなかった。見るからに農民で助けを請うてきた者すら切り捨て、身ぐるみを剥ぎ、略奪・殺戮を繰り返した。


 民の悲鳴が三鶴の夜空に響き渡る。


 三鶴城の火を遠くから確認した紫月は、隠し通路を渡り、城内に侵入し、当主の間の隠し扉を開いた。

 黒い煙が立ちこめている部屋には、二つの死骸と、そして侍女の格好に身を包んださやが目から血を流して倒れていた。


「さや姫!」


 紫月はさやの身体を抱き、頬を叩く。しかしさやの意識は戻らない。首元に指を当て脈を計ると、僅かに脈はあった。

 部屋を見渡すと、当主の間にあるべき「過去」を象徴する宝刀がどこにもなかった。紫月は眉を寄せたが、ここはさやの身の安全の確保が先だ。

 意識のないさやの身体を抱え、紫月は隠し通路に入っていった。


 通路を走りながら、紫月はさやの無事を祈り、恐らく自害したであろう奥方の事と、敵陣に向かっていった当主の事を思った。


 さやを守り、坂ノ上の血を途絶えさせないこと。それが自分の今の任務。さやは、幼い主人の命は必ず守らなくてはならない。その為に、この死地から脱出しなくてはならない。

 紫月は走る。火に包まれる三鶴城を後にし、主人の安全が確保出来る場所に到達するまで、全速力で走る。


 死にかけているさやと共に抱いている、「現在」を意味する、代々坂ノ上家当主が佩刀出来る宝刀が、脈動するかのように微かに光った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る