第七話:三鶴VS奥州仕置き軍
一五九〇年、八月。
当初、三鶴の
が、当主他昔ながらの重臣達は、豊臣秀吉がそんな甘い男ではないことを知っていた。
秀吉は自身に反対する不穏分子は徹底的に潰す男である。彼の蛮行は奥州にも知れ渡っていた。最もそれは、全国を平定するため、やむを得ない面もあったのだが……。
しかし全国平定のため、三鶴が生け贄にならなくてはいけない道理はない。たとえ領民と城の者と妻と娘の命を嘆願し、それが形式上は受け入れられても、口実を見つけ約定を放棄し、見せしめのため一族郎党皆殺し、領民も兵の乱取りにあい悲惨な結末を迎える可能性が高いと当主は睨んでいた。現に三鶴は何度も裏切られ、他国から攻められてきたのである。豊臣秀吉の後ろ盾を経た芦澤家ならなおのこと、これを期に三鶴を手に入れようとするだろう。
もう後には引けない……坂ノ上家には戦うしか道が残されていなかったのである。
こうして討伐軍と坂ノ上家の戦いが始まった。
坂ノ上家は同盟を結んでいた、相馬・二本松に応援を要請。が、この二国はそれを拒否。同盟も一方的に破棄された。
巻き添えを食らって自国を潰されては叶わない。国を守るための至極真っ当な答えではあったが、坂ノ上にとってはたまったものではない。特に相馬は正室の実家だった。なのに国を守るため、嫁いでいった娘を棄てる決断を下したのである。
先祖由来の土地、三鶴とそこに住む領民、そして家族を守るため、当主は
坂ノ上軍は、会津、二本松、相馬の各方面から攻めてくる討伐軍に対し、兵を三つに分け軍を展開した。
圧倒的物量を誇る討伐軍と、僅か三鶴一国のみの坂ノ上軍……戦いはすぐに決着がつくと思われたが、寡兵の坂ノ上軍は粘り強かった。
陽動であった東の相馬軍を打ち破り、北の二本松と西の会津からの軍相手に、互角以上の働きを見せた。他国に攻められるのには慣れており、防衛戦に関してだけいえば、坂ノ上家はこの日の本でも五本の指に入る戦上手といえるかもしれない。
しかし物量の差は大きい。本戦が一日経ち、二日経ち、三日経ち、七日目に入る頃には、兵に疲れが見え、兵站も潰され、ついに二本松方面に展開していた軍が破られてしまった。
その事を、
さや付きであった忍び、紫月は、忍びにはあまり必要とされていない戦闘能力がずば抜けて高く、その能力の高さから今回の攻防戦にて当主付きに一時的に戻され、偵察や当主の護衛、果ては槍働きまでこなしていた。本来の主であるさやには、別の里から来た忍びが代わりに護衛についている。
ついに二本松方面の北の軍まで落ちてしまった――当主の顔が歪む。残る軍はここ郡山の本陣と、三鶴城の守備隊のみになってしまった。やはり豊臣軍の力は巨大だ。九州平定の際、薩摩の猛将・島津家を大軍で攻め傘下においたのは伊達では無い。
家臣からは、今からでも投降し和睦を結ぶべきだとの声も上がった。だが、もう遅い。討伐軍筆頭の芦澤家はこちらを潰す気でいる。現にここまで攻めてきているのに、向こうから和睦のための使者は一度として来ていない。
恐らく討伐軍は三鶴を見せしめにしたいのだ。豊臣秀吉に逆らう者はこうなると奥州の民に知らしめるため、我が家を人身御供の
ここで膝を屈するわけにはいかない。それは坂ノ上の名を汚すことになる。当主は、自ら先頭に立って、刺し違えても敵の大将の首を取ってきてやると声高に宣言した。
無論、家臣達は猛反発した。大将が敵陣に突っ込むなど愚の骨頂、負けが確定したなら潔く腹を切るべきだ、いやいや三鶴城に戻り再起を果たそう、等の反対の声を押し切り、当主は自らの美学に殉ずる事を選んだ。
「儂に続く者だけがここに残れ。反対の者は三鶴城に戻るのも良し、敵に投降するも良し、どのような行動をとろうと自由だ。儂は決して咎めぬ」
そう言われ、家臣達は暫くお互いの顔を覗き合い、困惑した様子を見せる。陣の中がざわつき、一人、また一人と当主に頭を垂れ、皆どこかへ消えてゆく。
最終的に残ったのは、当主と信頼の厚かった先代からの重臣、約五十名。そして紫月だけだった。
「紫月。そなたは三鶴城に戻れ」
坂ノ上家に代々伝わる名跡の名馬、
「お館様、なにゆえそのような事を! それがしは共に戦います。どうか最後までお供させて下さい!」
紫月の必死な訴えに、当主は静かに首を振る。
「そなたに最後の任務を与える」
言いながら、当主は
「この刀を、次期当主たるさやに渡し、坂ノ上の血を途絶えさせるな。いいか、そなたはさやを守り抜け。次代の子が生まれるまで任務放棄は許さぬ」
宝刀を受け取りながら、紫月は深々と頭を下げた。任務をこなすこと。それは忍びにとって絶対的な存在価値である。任務のためなら死すら恐れない、
今の自分に新しい任務が下された。それは、さや姫を守り抜くこと。そして、坂ノ上の血を絶やさぬ事。今まで受けたどんな任務よりも重く感じられ、紫月は一瞬目眩を引き起こした。
「それと、もう一つ、そなたに頼みたいことがある」
「……何か?」
近う寄れ、と当主は紫月に命ずる。近くに寄った紫月に当主があることを耳打ちする。その言葉に紫月は目を大きくした。当主の命とはいえ、それは里の掟に抵触するのではないか?
しかし、当主の瞳は真剣である。この方はこれから死地に赴くのだ。これも彼なりの美学なのだろう。ならば、自分はそれに応えるまで。
そうして当主を先頭に、最後の坂ノ上軍は敵地に突入していった。
僅か五十名の兵達が、雄叫びと共に敵陣地に向かっていったのと同時に、紫月は三鶴城の方向へ駆けていった。幼い主人の顔を思い浮かべながら、宝刀を守るように抱え、敵の目を掻い潜りながら彼は走る。
やがて
三鶴城が燃えている――紫月は端正な顔を歪ませ、城に到る地下通路の入り口へと入った。三鶴城には三つの隠し通路があり、そのうち二つは敵によって既に潰されていた。ただ一つだけ、坂ノ上家の血縁の者と、近しい者しか知らされていない秘密の通路を使い、彼はひたすらに走る。
(奥方様、さや姫、どうかご無事で!)
紫月が当主から預かった宝刀が、僅かにリン、と鳴った。まるで主を失い、刀が泣いているかのようにも聞こえるその金属音は、しかし必死な紫月の耳には届かなかった。
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