第二章:一五九〇年・奥州仕置き

第五話:三鶴の姫と月の忍び

 遡ること十五年前。一五七八年春。


 南奥州、今の福島県のほぼ中央に位置する小国「三鶴みづる」の坂ノ上さかのがみ家に、待望の第一子が生まれた。


 生まれたのは女子で、さやと名付けられた。


 子宝に恵まれなかった坂ノ上家にようやく生まれたのが姫である。家臣団は落胆し、さやを産んだ正室も男子ではなく申し訳ないと当主に頭を下げた。

 しかし当主であるさやの父は、妻を宥め、さやをその手に抱いた。茶色い髪の毛を持ち、どこか気の強そうな顔立ちの姫を父は、坂ノ上の名に恥じぬ強い子に育てようと相好を崩しながら決意した。


 坂ノ上家の先祖は、ある高名な渡来系氏族である。

 平安時代に奥州にて活躍した武人であり、沢山の逸話が各地に残っており、武芸の神として崇められている。血筋だけでいえば、坂ノ上家は奥州にて最も気高い血筋といえる。


 しかし血筋だけではこの戦乱の世を生き残れない。周りを敵国に囲まれた坂ノ上家は徐々に衰退していき、現在は先祖由来の土地である三鶴を領地としている。


 三鶴みづる、とはこの地に伝わる神話より取られた名である。


 ある日、この地に三羽の鶴が舞い降りた。

 一羽の鶴が鳴くと、梅の花が満開に咲き、「過去」を象徴する一振りの宝刀へと鶴は変化した。

 二羽めの鶴が鳴くと、今度は桃の花が満開に咲き、「現在」を象徴とする一振りの宝刀へと変わった。

 そして三羽めの鶴が鳴くと、最後に満開の桜の花が咲き、「未来」を象徴とする一振りの宝刀に変わった。


 三羽の鶴は三振りの宝刀へ変わり、そして大きな桜を土地神として生み出したという。


 坂ノ上家には三振りの宝刀のうち、「現在」を意味する宝刀が代々の当主に受け継がれてきた。当主だけがこの刀を佩刀はいとうでき、また三振りの宝刀のなかで唯一の実戦用に打たれた太刀であった。

 もう一振りの、「過去」を意味する宝刀は、三鶴城の当主の間に飾ってある。ご先祖様が坂ノ上家を守ってくれるようにと丁重に奉られており、戦いに赴く際には、この刀の前で頭を垂れ手を合わせ、必勝を祈願するのが習わしとなっていた。

 そして最後の一振り、「未来」を意味する宝刀は、先祖が建立したという坂ノ上神社に奉納されている。これは五尺(約一五〇㎝)もある大太刀であり、神社の奥にて坂ノ上一族を見守っている。


 歴代の当主は血を繋ぎ宝刀を受け継ぎ、三鶴の地を守ってきた。それはさやの父も例外ではない。


 さやの父は猛将として名高く、特に寡兵での戦に定評があった。


 奇襲や野戦を得意とし、少ないが機動力にすぐれた兵で策を練り、周辺国を攻め、一時は今の倍ほどの領地だったこともある。

 しかし度重なる戦により、田畑が荒れ、農民も疲弊する。そうなると領地での収穫が見込めない。それに加えなかなか正室との間に世継ぎが生まれないことで家臣団の不満もあり、戦ではなく、周辺国と同盟を結ぶようさやの父は努力した。

 が、同盟を結んだはいいが難癖をつけられそれを破棄され、攻め込まれてくることもままあった。三鶴は馬の名産地でもあり、そして戦略上三鶴城を手に入れることは北から南下する際の重要な橋頭堡きょうとうほとなる。周辺国は何度も坂ノ上の領地を攻めてきた。

 そうしていくうちに手に入れたはずの領土はどんどんと減り、現在の小国三鶴が形成されていった。

 周辺国との諍いが断続的に続き、政情が不安定な坂ノ上家に生まれた子……それがさやである。


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 さやは、多くの大名の姫と同じく、母と乳母から坂ノ上家の名に恥じないよう厳しく躾けられた。


 行儀・礼儀作法、和歌、茶の湯、香道、書道、将棋、囲碁といった基礎教養から、時に台所に立ち、戦へと赴く兵達への糧食の作り方を学び、時に裁縫上手な母から、当主である父や家臣に贈る着物の縫い方も教わった。大国ではお針子や下女がやる仕事を、小国の坂ノ上家では正室が先頭に立って行う。特に当主のお召し物は、さやの母である正室が中心となって、お針子と共に一針一針気持ちを込めて縫うのが慣例となっていた。


 戦乱の世であるので、姫も武芸を仕込まれた。薙刀、小太刀、弓、他には鉄砲、馬術、槍術、六韜三略りくとうさんりゃく、兵法三十六計といった書から兵法も学んだ。


 これは当主である父の意向である。


 父は、当主としての資質を密かに見いだした唯一の子であるさやに家督を譲り、次の三鶴城の城主と坂ノ上家の当主にすると家臣達に宣言していた。


 この日の本で女性の当主・城主は、実はそれほど珍しくない。


 七歳で家督を継いだ立花山城主の立花誾千代ぎんちよ、島津家の十六回に渡る攻撃を退けた、吉岡家の妙林尼みょうりんに、東美濃の岩村城城主・おつやの方、忍城おしじょう城主として豊臣秀吉の水攻めから城を守りきった甲斐姫、遠江の井伊谷城の井伊直虎。

 自ら戦場に赴いた女武将なら、実在性は疑わしいが、伊予国の大祝鶴姫おおほうりつるひめ、木曽義仲の愛妾・巴御前。また今川氏の寿桂尼じゅけいには、正式には城主ではないが、夫、子、孫三代に渡り後見して実質的な当主として君臨していた。


 しかしながら家臣達はほぼ全員がその宣言に大反対だった。


 他家から男児を養子として迎え入れるべきだ、いや、さや姫を大国に嫁がせて、生まれてくる次男を当主にすべきだ、いやいや、重臣のなにがしの息子を婿入りさせ当主とすべきだ、さや姫が当主になるのはいいが後見として何某をつけるべき……と議論は白熱し、最終的にさや姫が当主になるのに賛成派、他家から養子を迎え入れる派、現当主の直近の男子であり、寺へ出家している弟君を還俗げんぞくさせ当主にすべき派、の主に三つの派閥に家臣団は分かれた。

 坂ノ上家は、後継者にいつも悩まされている家系である。現当主の男系の血筋の者は、出家した同腹の弟以外皆亡くなっている。


 さやの父とて、男児を得る努力を怠った訳では無い。

 彼は正室を愛していたが、さやが生まれた後二人の側室を他家から娶っている。側室達は二人の男子と、一人の女子を産み、一時はこれでお家は安泰だと皆安心した。


 だが、その三人の子供は、皆一歳を迎える前に夭折してしまった。

 一人の男児は疱瘡で、もう一人の男児は謎の不審死を遂げ、女児は身体が弱く流行病で亡くなった。


 家臣達は、当主が戦ばかりしてきた業の深さが子を殺したのだと噂した。

 追い打ちをかけるかのように、一人の側室は子が亡くなった衝撃で衰弱死し、もう一人の側室は悲しみから自害した。このことも、側室として嫁がせた国から強い反発を招くことになってしまい、坂ノ上家は外からも内からも敵だらけという緊張状態が続いていた。


 そんな誰が敵か味方かも分からない家の中で、さやは次期当主になるよう厳しく教育された。迂闊に言葉を発して言質げんちをとられ殺されることのないよう、感情を表に出すことも抑制され、食事の時は作法を間違わないよう、母か乳母が監視につく。少しでも作法を間違えれば叱られ、酷い時は食事を取り上げられることすらあった。出処の分からないものは口にしてはならない。一杯の水でさえ必ず毒味を通してから運ばれてくる。高い身分の者なら当然の事ではあるが、さやの場合徹底されてた。事実彼女の異母弟は不審死をとげているので、生存している唯一の子供であるさやには、食事を初めとする全ての行動は少しの隙もないよう監視されていた。


 そのように抑圧されて育ったさやは、いつしか泣くことも笑うこともない子供になっていった。


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 紫月に会ったのは、さやが十歳の時であった。


 三鶴の城下、現代のさくら湖の近くに、樹齢六〇〇年はあろうかという大きな桜がある。先の神話で三羽の鶴が土地神として顕現させたのが、この桜の大木である。この桜を守ることも、坂ノ上家の立派な仕事だった。

 さやは、父と共に馬で城を出て、城下町を視察し、そして桜の木へとたどり着いた。その時の桜は満開で、薄紅色の花弁が雪のようにちらほらと舞っていた。


 さやは、この桜が好きだった。いつもピリピリしている城から出て、唯一自分の心が解放される場所。それがこの桜の木の下だった。


 内情がバラバラの家の中でいつも緊張状態を強いられ、全く笑うことのないさやに、乳母は危機感を抱いていた。感情をダダ漏れにするのははしたない。が、全く愛嬌がないのも問題である。笑ってごらんなさい、と乳母が命じても、さやは表情筋が痙攣したかのような妙な顔にしかならなかった。おかしくもないのに笑えない。愛想笑いも出来ないさやに、乳母や母は叱った。これでは他国に嫁ごうが婿を取ろうが、相手に幻滅されてしまう。

 戦乱の世の姫に求められるのは心身の強さと行儀の良さ、忍耐強さ、信心深さ、そして愛嬌である。

 愛嬌のない、石のように固い表情の姫を誰が愛してくれるのか。坂ノ上家には、今やさやしかいないのである。さやが子を産まなければ血は途絶えてしまう。笑え、とどんなに叱りつけても、ときに手が出ても、さやは上手く笑うことが出来なく、母と乳母を落胆させてしまっていた。その負い目から、さやの顔からはますます表情が無くなり、目に映る全ての事柄から色彩が消えてしまい、灰色の無味乾燥な世界でさやは生きていた。


 そんなさやの世界で、唯一鮮やかに輝いていたのが、この桜なのである。


 桜を見ると、押さえつけられていた心が解放され、常に張り詰めていたさやの顔も僅かに綻ぶ。

 父は言う。この桜は三鶴の守り神、坂ノ上家が代々受け継いできた宝刀と同じく、未来永劫守り続けなくてはいけない。そう喋る父は、厳しくも温かい目で、腰にいている宝刀を撫で、三鶴の土地とそこに住まう人々を見ていた。


 いつか、私がこの桜と三鶴を守らなくてはならない――そう決意しながら桜の木の元に視線を移すと、そこには人がいた。さっきまでいなかったが、いつの間に現れたのだろう?


 その人は大人の男であった。子供の自分より遙かに大きい背、そして浅黒い肌。陽に焼けたのとは違う、内側からにじみ出ている肌の黒さがさやには印象的だった。奥州ではなく九州の生まれなのだろうか、と思案を巡らせていると、その人物はこちらにやってきて、蹲踞そんこの姿勢を取る。


「さや、こちらはお前の忍びだ。“月の里”から来た。以前は儂の元で働いてくれたが、今日からお前付きとなった。人を扱うのも上に立つ者には必要だ。この者はお前の手足となる。上手く扱いなさい」

「はい、父上」


 改めて、さやは忍びの青年を見る。肌の黒さにばかり注目していたが、青年は紫がかった髪を一つにまとめていた。自分の明るい茶色い髪とは違い、夜の空を切り取ってきたような美しい色だ。羨ましい。


「さや、まずこちらの忍びに名を付けてあげなさい」

「名が無いのですか?」


 さやは驚いて青年を見た。青年は何も言わず大きな身体を傾けている。


「儂に仕えていたときは別の名を与えていたが、今はお前が主人だ。月の里では主人が替わるごとに名を変えるのが決まりらしい。この者の名を付けるのがお前の最初の仕事だ」


 そう言われてさやは迷った。名前は重要だ。名は魂と結びつく呪いでもあり祝福でもある。いい加減な名は付けられない。名は本質を表すもの。どのような名をつけるか、父上から試されている。さやは必死に頭を回らせる。

 月の里から来た忍び、浅黒い肌、碁石のような固い瞳、紫紺の装束、夜空を映したかのような髪の色……


「しづき……」


 顔を伏せていた忍びの青年がぴくり、と反応した。父の視線が険しくなる。


むらさきの月、と書いて、紫月、はどうでしょう?」


 さやが恐る恐る進言する。父は顎を撫でながらううむ、と唸り、青年を一瞥する。


「なるほど。日輪の光を受け光る紫の月、か。音も優雅だ。紫は格調高く、気品に満ちた色。高貴なる月か。うむ、合格だ」


 紫月しづき、と名付けられた忍びは、その時初めてさやの顔を見た。僅か十歳の幼い主人を確かめるように。


「よろしく、紫月」


 紫月は蹲踞の姿勢のまま、再び深く礼をする。二人の間に言葉はまだない。


 坂ノ上さかのがみさや姫とその忍び紫月しづきは、満開の桜の木の下で出会った。


 時は一五八八年、足利義昭が征夷大将軍職を朝廷に返上し、室町幕府が名実ともに滅亡、豊臣秀吉が全国に刀狩りを命じ、着実に全国平定に向けて動き出している頃……

 奥州では三鶴の周辺国が秀吉への恭順を誓い、何やら不穏な動きを見せ、家臣団が分裂し、家中がきな臭くなってきている。


 坂ノ上家の滅亡はこの時から秒読み状態であった。

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