第二話:亡国の姫

 少年が謎の少女さやと邂逅した同時刻、ある青年が同じ山の中を彷徨いていた。


 六尺(約一八〇㎝)以上はあろうかという上背のある、浅黒い肌を持つ二十代後半くらいの青年である。

 雪焼けなどの日の光で焼けた黒さではない、身体を流れる血脈から生まれる肌の黒さが印象的な精悍な男だ。

 その青年も黒い合羽を身に纏い、合羽の首の後ろのたっぷり余った布で頭を隠し、見た目には頭巾を被っているように見える。まるで僧兵のような出で立ちのその青年は、手元にある道具に目を向けていた。

 東西南北全二十八方位の円が描かれた黒い鉱石の板の上に、針が浮かんでいる。針の先端は赤く塗られ、戌の方角――西北西を示している。


「……こっちか」


 一度止んだ雪が、またちらほらと降り始めている。青年は針の示す方向――彼の主人のいる場所へ向けて歩き出した。積もった雪の上を滑るように、その大柄な体躯に似合わない軽やかな足取りで。


 ※

 ※

 ※


 さやと、右足を折った少年はなんとか洞窟へとたどり着き、今は火をおこして落ち着いている。

 最初、少年は洞窟の中で熊が冬眠しているのではないかと危惧したが、さやと名乗った少女は、大丈夫、あの穴には熊も狐も今はいないと言った。


「何故そうといいきれるんだ?」

 少年は問い返した。が、さやはこう答えた。

「洞窟の中がから」と。


 少年は絶句し、さやの顔をのぞき込んでしまった。二町もの距離が離れている洞窟の場所だけじゃ無く、中身まで見えるなどありえない。やはり気触れものか、と先ほど抱いた疑念が頭を過ぎったが、二人が洞窟まで行くと、確かにそこには熊も狐もいなく、ただコウモリが数羽地面で冬眠していただけだった。

 さやは、懐から煙玉を数個取り出したかと思うと、玉の導火線に火付け石で火をつけ、洞窟に放った。すると洞窟内から酷い煙が発生し、さやは少年に煙を吸わないよう注意し、口元を布で覆う。少年も手で口と鼻を塞いだが、それでもほんのわずかに鼻を突くような刺激臭を感じてしまった。

 暫くし、煙が収まると二人は洞窟の中に入った。まだ煙たい穴の中で、コウモリは地面に突っ伏したまま動かなかった。さやはそれを見て、「死んでいる」とだけ告げ、死骸を穴の奥へと移動させ、軽く埋葬すると、洞窟の外で右足を庇いながら待っていた少年に肩を貸して中に入れた。

 そして雪に埋もれ落ちていた枝を何本か拾い集めて、手早く火をおこした。これで熊や獣が近づいてくることは無いだろう。

 それらのさやの手慣れた様子を見て、少年はさやが「忍ぶ者」と言っていたのを思い出した。


 ――忍び。


 それは、日の本の大名なら必ず召し抱えている者。透波すっぱ軒猿のきざる、草の者、と呼び名は色々だが、彼らの存在はこの乱世で生き延びていくには必要不可欠である。情報を集め、ときに敵方を攪乱し、時に主人を護衛し、時には暗殺まで請け負う忍びは、日の本各地の隠れ里から派遣され、その家に仕える。

 少年の家にも忍びは何人もいたし、彼自身にも専属の忍びが居たこともある。

 ……最も、今の彼にはお目付役の従者がいるだけなのだが。


「うーん……」


 添え木代わりに使っていた刀を少年の右足から放したさやは、その刀をまじまじと見てそう唸った。少年の右足には、拾ってきた太い木の枝が添え木として布でがっちりと結ばれている。これらの処置は全てさやが行った。


「なんだ、さっきから」


 折れた右足から伝わる、脈動する度に酷くなる痛みを堪えながら少年は問うた。さやは、三尺以上(約九〇㎝)ある太刀の鞘を軽く撫でながら答えた。


「どうもこいつ、拗ねているみたい」

「はあ?」


 意味のわからないことを言われ、素っ頓狂な声を出してしまったが、さやはそれに構わず太刀を膝に置いた。


「さっき、あんたと一回刃を交わしたのと、添え木代わりにされたのに腹がたっているみたい。こうなるとなだめるのが大変だなあ」


 母親が幼子の頭を撫でるように、さやも太刀に向かって何度も優しく撫でている。黒漆の鞘に桃の花が象られている優美な装飾が成されているのを見ると、あれは実戦用の刀ではなく、儀仗用の宝刀の類いだろうと少年は思った。


「なんだ? 忍びは刀とお喋りが出来るのか?」


 揶揄するかのように少年はさやに問うた。さやはその言葉に少しだけ睨み返してきたが、「……この刀は生きている。私にはの」と答えて、太刀を肩に立てかけた。


「……ふーん、そういう術があるのか」


 半笑いでそう言ってきた少年に、さやはもう答えず、黙って合羽を脱いだ。柿色の着物に黒い籠手が露わになる。左手の籠手がやや大きく、籠手を二重に装着しているようだ。なんだあれは? あんな籠手は見たことがない。

 その籠手は一撫でされたかと思うと、急に形状を変えた。蝶が羽根を広げるかの如く籠手が左右に二つに分かれ、その間を弦がピンと張り詰めている。まるで小さな弓のようだ。

 驚きに目を剥いたままの少年をよそに、さやは左手の弓の部分に棒手裏剣を矢のように装着し、そっと洞窟の奥へ狙いを定めた。


 ヒュン!


 風切り音が響いて、棒手裏剣は洞窟の壁に刺さった。かなりの速さである。少年は右足の痛みを忘れ、あっけにとられていた。

 そんな少年を横目で見、さやは、ふふんと勝ち誇ったかのような笑みを浮かべこう言った。


「忍びにはこういう忍具もあるの。私の任務は、この忍具の性能実験と、もう一つ」

 壁に刺さった棒手裏剣を引き抜きながら、さやはこう告げた。


「赤毛の人食い熊の排除。それが私の


 ※

 ※

 ※

 

 さやの籠手に仕込まれたのは、隣の大陸の国で「つち」、遙か西方の国のは「クロスボウ」と呼ばれている小弓を、独自に改良、小型化したものである。

 弩ことクロスボウの歴史は古い。明では千年以上前には既に実用化されており、西方では西暦一一九九年、英国イギリスの王リチャード一世がクロスボウの傷が元で死亡している。日の本でも九〇〇年代に武士が使っていたが、使い勝手の悪さや管理面の問題などで和弓に取って代わられ、長らく日の目を浴びてなかった武器である。が、誰でも容易に扱え、携帯性の高いつちは忍びの世界では重宝されていた。

 ただ欠点は、あまり小さくすると射程がとても短くなり、また連射が出来ないことである。

 この欠点を補完するため、忍びの里では忍具制作班により様々な形の弩を作り、そして実戦にて性能を試していた。


「要はただの実験台だろ?」


 籠手に仕込まれた弩を得意げに見せびらかしていたさやに、少年のキツい一言は効いた。図星をつかれムッとなったさやは、弩と棒手裏剣を籠手にしまいながら、つい言い返してしまった。


「……片目が見えないやつでも、これなら弓より簡単に扱えると思うけど?」


 途端、少年の瞳が羞恥にかっと見開かれたかと思うと、次の瞬間忌々しげに白濁した右目を押さえ、「おまえ!」と立ち上がりさやの胸ぐらを掴もうとした。が、骨折した右足のせいで立ち上がることすらままならず、悔しげにたき火の向こうのさやに石を投げる。さやはその石を軽く受け止めた。


「その右目……疱瘡ほうそうのせい? 少し痘痕あばたが右の頬に残っている……」

「うるさい! おまえに何が分かる!」


 今度は土を掴んで投げてきた。手でそれを庇いながら、火の向こうにいる少年が今までにないほどの怒りの表情を浮かべているのをさやは見た。


「お前みたいな忍びに何が分かる!? 右目が見えないせいで周りから疎まれる辛さが! 兄にまで嫌われてこの年まで元服すらさせてもらえない屈辱が! お前に分かるものか!」


 少年は、心に淀んでいた鬱憤を言葉に変え叫んだ。


 次男として生まれたせいで周りから何も期待されず、更に疱瘡の膿が目に入ったせいで右目を失明し、あまつさえ兄に毒を盛った疑いをもたれ、鍛錬の時以外は外に出して貰えない半幽閉状態に置かれている自分の惨めさが、この先おそらく自分は打首になるか、寺へ出家させられるか、腹を切らされるかの未来しかない、この悔しさが忍びの娘になどにわかるものか、と。


「……………………」


 だが、さやの瞳にはぞっとするほど冷たい炎が浮かんでいた。

 無表情の仮面の下から、軽蔑の眼差しを少年に向けている。その無言の圧力に、思わず少年はたじろいだ。


「………背負うものが無い、か」


 さやが、そう呟いた。相変わらず無表情ではあるが、その声には少しの苦悶の色が窺える。

 するとさやは立ち上がり、合羽を再び羽織り、腰に刀を差した。困惑した様子の少年に、「外へ行って、人を呼んでくる」と告げ、洞窟の出口に向かう。


「おい……」


 少年の戸惑いのかけ声に、さやは歩みを止め顔を後ろに向け、少年を見下しながら冷たく言う。


「羨ましいよ。そうやって自己憐憫に浸れる余裕がある奴って」


 そう言い、少年に背を向け、そしてこう吐き捨てる。


「私は、忍びのさや。そして…………国亡しくになしのさや、なのよ」



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