猫の塔、嵐の女王

デッドコピーたこはち

窮奇が見た夢

 超高層ビルの屋上に座り込み、闇夜に空中投影された千変万化の広告用立体映像アド・ホロを見るともなく見ていると、不意に、私の拡張視野に文字列が表示された。

『依頼番号:KR-1389-8567 依頼者:Qiong91 依頼内容:窮奇チオンジーの殺害 業者指定:kasha22 契約成立:2208/9/7 00:12』

「やっときた」

 私が傭兵互助会のマッチングシステムを通して、自分自身に五千万クレジットの懸賞金をかけてから三時間、やっと火車カシャが依頼を受けた。すかさず、自分宛の依頼を確認する。新しい指定依頼が一つ来ている。

『依頼番号:KR-1389-9103 依頼者:kasha22 依頼内容:火車カシャの殺害 業者指定:Qiong91』

 火車カシャもまた、自分自身に五千万クレジットの懸賞金をかけている。もちろん、業者指定は私だ。迷わず、依頼を受ける。これで『決闘』は成立する。

 私は、脇においてあった得物を手に取った。私の得物はスフェリコン・アームズの可変口径狙撃銃ヴァリアブル・キャリバー・スナイパーライフル、Sp-VC08Sだ。造形弾頭を採用しており、状況に合わせて最適な弾丸を自動で設計、つど印刷プリント・アウトし、最高の狙撃を実現する。

 観測手代わりの高度なAIと観測装置を備え、火器管制を行う銃など山ほどあるが、造形弾頭まで採用しているのはこの銃だけだ。その性能の高さはいままで受けてきた殺しの依頼で証明済みだ。最新鋭エッジ技術テック。古い時代を打ち砕く象徴に相応しい銃。死に損ないの婆さんとは正反対。

「さて、やろうか。火車カシャ


 法の力の届かないこの街の裏社会にもルールはある。たとえば、傭兵同士での『決闘』の作法だ。まず、自分自身に懸賞金をかけ、決闘したい相手を指名する。相手が決闘に応じるつもりがあるなら、その依頼を受け、同じように自分自身に懸賞金をかけるのだ。こうすることによって、お互いに、先に相手を殺した方が懸賞金を手にできるようになる。

 『決闘』は様々な意図で行われる、復讐、売名、興行、危険中毒者リスクジャンキーの暇つぶし。私の場合は売名だ。私は駆け出しだが、伝説的狙撃手、火車カシャを殺すことができれば、私の名はこの街に轟くだろう。


 火車カシャ、本名はアンナ・モリス。三十年前の都市間戦争で、二百人以上を殺した狙撃手。一発の弾丸で三人殺したとか、対空用レールガンを使って10km先の敵を狙撃したとか、眉唾物の伝説は数限りない。しかし、それ以上に驚くべきことは、都市間戦争の時点で彼女は五十八歳であり、八十八歳になった今でも現役の狙撃手であるということだ。

 アンチエイジング技術が発達し、いくらでも身体を機械置換できる世の中だ。肉体の老い自体はなんとかできるかもしれない。だが、二十歳で軍に入隊して以来、半世紀以上の間、殺し合いの場に身を置き続けているのは正気の沙汰ではない。都市間戦争終結後、フリーランスの狙撃手となってからも、その高名さゆえに顔も名前も割れているのにも関わらず、問題なく仕事をこなしている。その精神力、実力、幸運。どれをとっても伝説的だ。

 だからこそ、私は火車カシャを殺したい。生きた伝説。老いた死神。火車カシャが得た栄誉を、私がすべて奪ってやるのだ。


 狙撃手同士での『決闘』において、もっとも重要な点は相手の居場所を知ることだ。先に相手の居場所を掴んだ方が勝利すると言ってもいい。その点、私は抜かりがない。街中に放ったマイクロドローンの一群が、すでに火車カシャの居場所を掴んでいる。火車カシャがいるのは、全長330mの超高層ビル、サン・ジャックタワーⅡの屋上だ。

 マイクロドローンと一部視覚を共有する。ソバージュの白髪頭に、しわだらけの顔、特徴的な鷲鼻。くすんだえんじ色のロングコート。低解像度だが、確かに火車カシャだ。

 サン・ジャックタワーⅡは辺りの200m級高層ビルよりも一段と高い。検索してみると、建築物の高さ制限が緩かったころに建てられたものだかららしい。陣取るには合理的な場所だろうが、目立ちやすいのが仇になったようだ。

 私は光学迷彩を起動後、移動を開始した。目指すのは、サン・ジャックタワーⅡ近くのカストディアンビルだ。周辺のビルでは、サン・ジャックタワーⅡに次いで高く、火車カシャへ射線が通り、Sp-VC08Sの有効射程圏内にあるビルだ。カストディアンビルまで行くのに、サン・ジャックタワーⅡから射線が通らないルートを使えるのも、狙撃位置に選んだ理由の一つだった。光学迷彩を起動している以上、私の接近を悟られることはまずないだろうが、念には念を入れたい。


 超高層ビルの屋上から飛んで、また屋上に着地する。ここからだと、地上にいる人々が豆粒のように見える。下界の人間たちは私の存在など知る由もないだろう。

 生身の人間を遥かに超えた身体能力は、全身の機械置換によるもの。脳以外の肉をすべて捨て去って、洗練された戦闘機械と化すのは素晴らしい体験だった。無力ななまの肉体のことなど、思い出したくもない。


 屋上を渡りながら、カストディアンビルまであと100mに迫ったところで、火車カシャに動きがあった。銃の二脚を展開して、狙撃姿勢に入ったのだ。私の位置がバレたのかと一瞬焦ったが、私の居る方向と火車カシャが銃を向けている方向は、数度ズレているし、そもそも私と火車カシャがいるサン・ジャックタワーⅡの間には、カストディアンビルが建っていて、射線が通っていない。

「ビビらせやがって」

 失ったはずの心臓の高鳴りすら錯覚してしまった。冷静になって考えれば、こちらは光学迷彩を使っているのだ、先手を取られるはずがない。しかし、たまたまとはいえ、こちらの方を向かれているのは面倒だ。万一の可能性もある。狙撃位置を変えよう。

 そう考えて、狙撃位置の第二候補へ向かい転回する。再度の跳躍のために踏み切った瞬間、火車カシャが発砲した。

 火車カシャはなにを撃ったのか。空中で困惑する。なにかを私と誤認したのか。それとも、私との決闘中に、他の仕事を受けていたのか。わからない。

 数秒間の跳躍の後、着地姿勢に入ろうとしたとき、胸に衝撃を受けた。

「ぐっ!」

 バランスを崩し、高層ビルの屋上へ転がりながら着地する。凄まじい痛み。痛覚をカットする。身体が半ば無意識的に動いて、屋上に設置されている広告用立体映像投影機アド・ホロ・プロジェクターの陰に身を隠す。電子戦闘訓練パッケージのインストールによって叩き込まれた戦闘教義が役に立ったようだ。

 胸を見ると、短い矢のようなものが胸に突き刺さっていた。胸に刺さった矢を引き抜く。ずっしりと重い。重金属合金か。どうやら矢やボルトの類ではなく、フレシェット弾のようだった。三重の防弾繊維とチタン合金製の胸郭を貫通して、主電源部にまで到達している。驚くべき貫通力。副電源があって助かった。電力を消費し過ぎないように、光学迷彩を停止させる。

「ちくしょう。なんなんだ」

 このフレシェット弾は火車カシャが撃ったものなのだろうか。それはあり得ない。フレシェット弾はその形状ゆえに風に流されやすく、狙撃には向かない弾種だ。ビル風吹き荒れる高層ビル群の中で、フレシェット弾を用いた狙撃は不可能だろう。

 そもそも、いまも私と火車カシャの間には、カストディアンビルが聳えているのだ。こちらを撃てるはずがない。なにかのトリックだろう。火車カシャはこちらを撃っているフリをしているだけで、実際には別の狙撃手が近くにいるのだ。おそらくそうに違いない。

 そう考えている間に、火車カシャがまた発砲した。

 今回の狙撃で、トリックを見破るほかに勝つ道筋はない。私は脳に精神加速剤を投与して、思考を加速させた。

 時間の流れがタールのように鈍化する。街灯がチカチカと点滅し出し、空気中の埃の一つ一つの流れを目で追えるようになる。私は拡張されたすべての感覚器を動員して、辺りを警戒した。

 初めに捉えたのは、空気のわずかな歪みだった。清涼飲料水の広告用立体映像アド・ホロ、そのロゴマークが歪んでいる。ロゴマークの歪みをズームすると、フレシェット弾が横滑りしながらこちらへ向かっているのが見えた。

 フレシェット弾は確かに風に流されている。しかし、それによって曲線を描きながらこちらに向かってきている。私は気づいた。火車カシャはフレシェット弾が風に流されやすいことを逆に利用して、してきているのだ。

 私は頭から横っ飛びに飛んで、迫りくるフレシェット弾を回避した。フレシェット弾は広告用立体映像投影機アド・ホロ・プロジェクターを貫通して、一瞬前まで私がいたところを通り過ぎていった。

「いいぞ……」

 タネは半分わかった。どうやって、光学迷彩を使用中の私の位置を特定したかは謎だが、もうそんなことはどうでもいい。問題は、どうやって反撃するかだ。火車カシャ相手に遮蔽は意味をなさない。先ほどから動きも読まれている。副電源での限られた活動時間で、奴の射程外へ逃れることは不可能だろう。

 私は立ち上がって、走り始めた。また、超高層ビルの屋上から屋上へと跳躍する。とにかく、射線を通すことだ。でなければ、一方的に撃たれるだけで、話にならない。幸いにして、こちらは火車カシャの発砲を知ることができる。

 ビルからビルへの跳躍のために踏み切った瞬間、火車カシャがまた発砲した。

 狙ってくるのなら、このタイミングだとわかっている。空中ならば回避ができない、そういう考えだろう。また、フレシェット弾が横滑りしながらこちらへ飛んでくるのが見える。

 私はSp-VC08Sを構えた。瞬時に、フレシェット弾の迎撃に最適な弾丸が印刷される。私は飛来するフレシェット弾の弾道予測コースに銃口を向けて、引き金を引いた。

 私の放った弾丸はしばらく飛んだあと自壊し、その破片が散弾のようにフレシェット弾に降り注いだ。フレシェット弾は弾道をずらされ、明後日の方向に飛んでいく。

 どんな方法で不規則なビル風を捉えているかは知らないが、曲射するのに都合がいい風が吹くかどうかは運しだいなはずだ。そう連射はできまい。これはチャンスだ。

 私は最後の跳躍をした。空中でSp-VC08Sを構える。火車カシャの頭を吹き飛ばすのに最適な弾丸が印刷される。カストディアンビルの向こうに、サン・ジャックタワーⅡが見えてくる。あとコンマ数秒で、火車カシャへの射線が通る。

 私の人生はまだこれからだ。老いたお前を殺して、これから私はもっと良い人生を歩む。お前は生贄だ。死ね。私は生きる。

 火車カシャへの射線が通った。スコープカメラ越しに、こちらに銃を向ける火車カシャが見えた。

「くたばれ」

 私は引き金を引いた。


 周囲に展開した『猫のヒゲ』——総全長300kmに及ぶ60本のナノフィラメント感覚器——が複雑なビル風と周囲の環境の様子をつぶさに伝えてくる。窮奇チオンジーの放った弾丸が突発的強風に煽られて逸れ、私が放ったフレシェット弾が強風に運ばれて飛び、窮奇チオンジーの頭部を炸裂させるのを感じる。これで終わりだ。

 窮奇チオンジーの敗因は、明確な経験不足、そして不運だった。電子戦闘訓練パッケージは確かに有用で、一晩にして素人を兵士へと変えることができる。だが、画一化された規格で生み出された兵士は、それゆえに行動のクセを読みやすい。

 浮遊している『猫のヒゲ』を格納する。銃身上部に設けたセンサーユニットへ、肉眼では見えないほど細い繊維が吸い込まれていく。右眼窩のターミナルに差し込んだ端子を外して、銃との直結を解く。拡張された感覚と肉体の感覚のギャップで一瞬めまいを感じる。

 ガンケースに自分の得物をしまう。ヴェスパ2200。ボルトアクション式、標準のボックスマガジンで装弾数は5発。世にも珍しいフレシェット弾使用の狙撃銃。無理やり増設したセンサーユニットのために、やや不格好になっている。ミワ・オニキス工業が200丁だけつくり、さっぱり売れなかった銃だが、物は使いようだ。

 仕事を終えたが、高揚感も安心感も感じない。ただ、自分の欲に負けて、決闘を受けてしまったこと、年端もいかない少女を殺したことへの後悔だけがあった。

 窮奇チオンジー、哀れな女だった。年は十五、六歳だろう。駆け出しにしては分不相応の武器、装備、サイバネティックス。大方、想像は付く。おそらく、どこぞの企業に与えられたものだ。自分が新製品評価試験のための使い捨ての駒だということを知らずに、利用されたのだろう。親に捨てられ、名も持たないような子どもたちが、企業に拾われ、名と武器を与えられて、死んでいくのを何度も見てきた。

 そうでなくとも、傭兵稼業に身を置いたものの末路は大抵ろくなものではない。遅かれ早かれ、まともな死に方はしない。だが、窮奇チオンジーのそれは早すぎたし、私のそれはあまりにも遅すぎる。

「ああ、また死に損なったな」

 私はケースを担いで、屋上を去った。

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