きみのお仕事

浅瀬

第1話



 雨だ、とあづさが言った。

 店の窓を雫がいく筋も伝うのを、指でなぞりながら。


 床には割れた皿やグラス。激昂したまま出て行った客の青年は傘を持って行かなかった。


 あづさはため息を吐き捨てるように笑うなり、制服のエプロンを外して控え室に戻っていく。誰も何も言わなかった。

 櫻井が店の時計を振り返ると、閉店時間の9時をさしていた。


 誰もがたった今起きたトラブルから、最初に口を開くことをためらっていた。

 他にいた客も、トラブルの合間にそそくさと会計を済ませて帰っていた。


 櫻井が何も言わずにモップやゴミ袋を持ってくると、二人の店員はつられたように割れた食器の片付けを始めた。

「……ごめん、頼むね」

 ふらりと立ち上がって、櫻井は控え室に向かう。


 控え室のドアは開いていて、中ではあづさがぼうっとタバコを吸っていた。


「……私、今日で辞めるね」

「どうして?……クレーマーなんて珍しくないし、まあ今日のは激しかったけど、あづさが辞める必要までないんじゃない?」


 軽口を装って櫻井は言った。

 内心は、あづさが辞めてしまうのをどうにか引き止めないと、と動揺していた。

 あづさは髪をかきあげて、笑いながら煙を吐いた。


「あいつね、1番の太客なの」

「……もう一つのバイトの方の?」


 あえて生々しい職業の名前を言わずに聞くと、皮肉そうに笑ってあづさが頷く。


「……あいつはもう時間が残ってないから、焦ってるんだよ。私に当たってもしょうがないのに」

「あづさはさ、どうして……その仕事しようと思ったの? いや責めてるわけじゃなくて、その仕事、ほんとに好きでしているの?……やりたいからなの? もしそうじゃないならさ、無理しなくて……」


 遮るように、乱暴にあづさが卓上の灰皿を取り上げて、強く叩きつけた。

 それからタバコを押しつけて火を消す。


「……動機が知りたいって? なら言うけどさ、私もなんだよね。時間がないのは。もう差し迫ってるの。吸い取れるだけ吸い取るのが私の仕事なんだよ。だってそうしないと生きられないんだから」


 しゃくりあげるように息を吸って、なおもあづさは笑顔を保っていた。頬が震えていて、それでも。


「あっちだってそうだよ。他の奴から吸い取って生きてる。……死神なんて」


 そういう仕事じゃん、と吐き捨てる。

 あづさは前をしっかり見つめていて、震えている体とは逆にまなざしは揺らがない。


「……俺の命じゃだめなの?……」


 思わず声に出していた。

 あづさが泣いているように見えたのに、涙を流しているのは櫻井の方だった。



        おわり

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きみのお仕事 浅瀬 @umiwominiiku

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