8 売れない画家とマスキングテープ
店のベルが鳴る。ハルとナツは同時に顔を上げ「いらっしゃいませ!」と声をかけた。
現れたのは、絵の具で汚れたシャツとパンツ姿の女性。少しズレていたメガネを直し、恐る恐るといった様子で店の中へ入ってきた。
「あの……」
「もしかして、メリダさんからの紹介の画家さんですか!?」
ナツはその容姿から、興奮気味に女性に詰め寄る。女性はびくりと肩を振るわせた。
「ひい! は、はい。シータと言います。よろしくお願いします……」
「わあ! 画家さんを近くで見たの初めて! 女流画家ってシェステナでは珍しくないらしいけど」
「こらナツ! 怖がってるだろ。少し落ち着け。……まあ、俺たちの国(異世界だけど)でも、今では女性の画家は普通だしな」
「で、ですけど、私、全然有名じゃないし、いつも生活カツカツの売れない画家だし」
声がどんどん小さくなっていく。
ああ、来ない方がよかったかなあ……とシータは後悔した。ことは一週間前から始まる。
○
「え? 画家を探してる?」
王宮図書館。シータが本を借りにやってきたところ、知り合いのメリダに声をかけられた。
ただの雑談かと思えば、とある店が画家を探していると言うのだ。一体全体何の為だろうかとシータは首を傾げた。
「そうなの。何でも、文房具っていうグッズを作るのに絵を描いてくれる人を探しているらしくて」
「どうして私なの? 有名でもないし、絵だって滅多に売れないのに……」
「ええと。小さな店だから、有名な画家は雇えないし、何よりその店の人があなたの絵を気に入ったのよ」
「ど、どうやって?」
滅多に売れない絵をどう見てどう自分だと気づいたのか。シータはますますわからなくなっていく。
「ほら。私に描いてくれた小さな絵があるじゃない! 水彩画の! それがとっても素敵だって気に入ったみたいなの!」
普段は油彩画を描くが、下描きやたまの息抜きに水彩画も描く。どうやらそれが気に入られたらしい。
「水彩画が気に入ったの? じゃあ依頼で描くのも水彩画かな。描けるのは描けるけど、私なんかでいいのかな?」
「向こうが気に入ったんだから、いいに決まってるって! シータはもう少し自信を持った方がいいわ。私も、あなたの絵が好きだもの」
「あ、ありがとう……」
赤面した顔が俯く。褒められるのは嬉しいが、滅多に褒められないので逆に恥ずかしかった。
「とにかく、一度行って話を聞いてみて。一番街の東にある「ハルtoナツ」っていう店だから。隣に小さな古本屋があるから。あ、メモしとく!」
「わ、わかった」
仕事をもらえるのは素直に嬉しい。自分には大きすぎる仕事じゃないかという不安もあるが。しかし、実際に会ったらがっかりされるのではないか……など不安が付きまとう。シータは根っからのネガティブ人間だった。今まで評価されなかったので仕方ないかとは思うが。
メリダがメモ帳に住所を書く間、最悪の展開を考えては打ち消していた。とにかく、メリダの紹介だし行ってみようとシータは決める。
評価されないのはいつものことだ。その時はその時、家で泣こう。もし気に入られたら久しぶりの依頼。少しでも明るい方に賭けてみようじゃないか。
シータは心を決めて行くことにした。数日間はネガティブ妄想から悪夢になりうなされることになったが。
そして時は今と成る。
「それで、本題なんですけど」
店のテーブルには、ハルの淹れたお茶が湯気を立てている。東洋にあるお茶らしい。緑なのが独特だ。
一口飲んだが、爽やかな口当たりが気に入った。どこで売っているか聞いてみたかったが、シータにはそんな勇気はなかった。
「えっと……水彩画を描いて欲しいとのことでしたよね。一応、今まで描いた絵を持ってきました」
シータはおずおずと、水彩画の束をテーブルに出す。
ハルとナツは屈んでその束を見る。すぐさまナツが束を手にとりページをめくって言った。
「わあ……! 素敵! この淡くて優しい感じがいいなって思ったんだ。マスキングテープにぴったり!」
「え、えっとあのお、マスキングテープって何ですか?」
「あ、えっとですねえ」
ナツは棚から何かをとりだすと、テーブルにそれを置いた。
丸いものがちょこんとテーブルに鎮座している。これがマスキングテープというのか。しかしシータには使い方がさっぱりわからなかった。
「ええと」
「あ。こうやって使うんです!」
ナツはシータの言いたいことに気づいたらしく、マスキングテープを手とる。束の部分が伸びて、ナツはそのままある程度の長さでちぎる。
「ハサミで切るのもキレイなんだけど、手でちぎって使うのもオシャレなんだよねえ」
ハルが本のようなもののページを開けると、ナツがそれにペタリとちぎったマスキングテープを貼った。
そう。キレイに貼ったのだ。
「こうやって紙モノに貼って、デコるんです」
「で、デコる」
「可愛く装飾するということです」
すかさずハルがフォローに入ったので、理解できた。つまり、こういった紙のものに貼って飾ってあげるということか。
「今まではチェックとかストライプとか、センスのいらないものは作れたんですけど。流石に可愛いイラストはあたしには無理で」
「この、マスキングテープに使う絵を描けばいいんですね」
「はい! お願いします!」
ナツが深々と頭を下げる。
「え! ええとお、わ、私なんかでいいんですか……」
「俺も、シータさんの絵が好きです、ぜひお願いします」
「す、好き!?」
男性にそんなことを言われたのは初めてだ。
いや、そういう好きではないのはわかっているのだが、それでもやはり。
「は、はい! 頑張らせてもらいます!」
言ってしまった。突然の「好き」に舞い上がってつい言ってしまった。
もう後戻りはできない。依頼を受けたからには、素敵な絵を描こう、と、シータは決心するのだった。
○
しかしすぐにその気持ちは砕けた。シータはアトリエ兼住居の作業台で、ため息を吐く。
目の前には、たくさんの水彩画が散らかっている。どれも自信が持てない。二人に喜んでもらえる気がしない。
「やっぱり辞めますとか言われちゃうのかも……」
滅多に依頼も買う人もいない自分の絵が、果たして売れるのだろうか。満足してもらえるのだろうか。
不安が心に付きまとう。そのうち断ろうかとも思いだしたところだった。
アトリエのドアが開いた。
「は、ハルさん!?」
ハルがひょっこりと顔を出したのだ。
「どうもこんにちは。メリダさんに、数日ここにこもって絵を描いているって聞いて。差し入れ持ってきました」
ナツの手作りだというクッキーと、ダージリンの紅茶をいただく。クッキーも紅茶も美味しい。
ずっと絵を描いていたので、いい気分転換になった。
ナツも来たかったそうだが、店番があるらしい。ハルもちょっとした買い出しのついでに寄ったようだ。
「どうですか、絵の方は」
うう、とシータは小さく唸る。
「その……本当に私の絵でいいんでしょうか。大して有名じゃないし、もっといい絵を描く人だってたくさんいますし」
「そうですね。余裕ができたら新しい絵を描いてくれる方も募集したいとは思っています。いろんなデザインがあると、選ぶのも楽しいでしょうし」
「それなら、やっぱり自分でなくてもいいと思います。どうして私なんかの絵を」
「シータさん」
ハルがじっとシータを見つめる。シータの心臓が跳ねた。真剣な瞳。真っ直ぐな視線。
心がドキドキしてくる。
「自分を信じてあげてください。シータさんの絵は素敵です。俺、本当に好きなんですよ、シータさんの絵」
「ひえっ! は、はい!?」
二回目の好きに反応してしまう。
「ナツと二人で貴方の絵を見た時、ビビッときたんです。これは是非ともマステにしたい。そう思いました。それくらい貴方の絵は、人を幸せに、ワクワクさせてくれる才能があるんですよ。もっと自信を持ってください。
そもそも、描いている本人が、大したことのない絵だって言うのは悲しい。……俺は手帳が大好きです。手帳を作るのも好きだし、自分がやっていることに誇りを持っています。お客さんも、俺が好きで誇りを持っているから、信頼してくれるんです」
ああ、本当にそう思っているんだな、とシータはわかった。ハルの目はキラキラと、そしてメラメラと熱く輝いていた。
確かに、手帳について話すハルは輝いていた。文房具を愛するナツもだ。
そうだ。自分だって絵が好きだ。描きたい絵があった。描いた絵は確かに素晴らしい作品だった。だから描いているんだ、今でも。
なかなか評価されなくて、すっかり忘れていた。
こうやって自分の絵を好きでいてくれる人もいる。ちゃんと自分の絵は誰かに届いている。
だったら期待に応えなければ。
○
それから一ヶ月後。
ハルとナツの店には、女性の客が多く通うようになっていた。
マスキングテープも人気なのだが、
「この便箋、本当に素敵! 手紙を書くのが楽しみだわ」
「このシールも素敵ね。知り合いに自慢したくなっちゃう!」
シータの描いた絵は人気になり、マスキングテープからシール、レターセットなどさまざまなグッズとして展開することになったのだ。
店で人気になってからは、画家としての依頼も多くなってきた。
「シータさん、ありがとうございます。これかも素敵な商品を作っていきましょう」
「は、はい! 頑張らせてもらいます!」
ハルtoナツにお抱え画家ができたのだった。
ちなみにどうやらシータはハルに思いを寄せているようなのだが、ハルが気づくことはなく、ナツは「こんな奴手帳バカのどこがいいんだろうか」などと思うだけなのであった。ナツだって文房具バカであるのだが。
「異世界手帳店ハルtoナツ」あなたにぴったりな手帳をお創りします! 子猫のこ @neko25
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