7 怠惰兵士とハビットトラッカー

 ガキンッ! と、鉄がぶつかる音が聞こえる。アダムは同期のルイスの一振りに、剣を手放し尻もちをついた。


「今日も僕の勝ちだな」


ルイスは、見惚れるほど美しい笑顔を見せた。


ここは、シェステナ王国騎士団演習場。その中でも三番宮と呼ばれる、騎士を目指す下級兵士たちが訓練をする場所だ。

アダムも騎士を目指す、下級兵士の一人である。


「はあ、どうせお前に勝てるわけないよ。蒼三期生のエースなんだから」


アダムは立ち上がりながら、そう言った。


「まあね。なんせ僕は天才だから。このまま王宮騎士団に入るつもりだし。……君は、都市の巡回兵士でも目指しているのかい?」


そんなわけないだろ、と言いたかった。が、言えるわけがない。冷静に考えれば、そのうちそうなるのが想像できた。

どうせ自分は、才能もない一般人だ。

貴族の息子でもあるルイスに勝てるわけがない。


 夕食まで激しい訓練が続くが、アダムは特にやる気も起きずに日々の訓練をこなす。

夜になり、夕食を食べると短時間の巡回。終われば八時だ。アダムはベッドに寝転がり、干し芋をかじりながらぼんやりする。


俺の人生、こんなのでいいのかな。


ふと、そんなことが頭に浮かぶ。


「アダム。この前さ、自主練するって言ってなかったか?」


ルームメイトが上のベッドから顔を出し、聞いてきた。


「あー。そういやそんなこと、言ったっけ」


少しでも強くなりたいと、自主練をしようと意気込み四日が経つ。しかし行動に移したのはたった一日だった。

だって訓練きついし巡回ダルいし、と心の中で言い訳をする。仕方ないじゃないか、と。


「眠いし、今日はやめる」


シーツにくるまって、目を閉じた。


「おやすみー」


ルームメイトの声が聞こえる。鼻から期待していないという感じだった。

それが少し、寂しくもある。

今日も代わり映えしない毎日だった。

明日も同じ毎日だろうか。

俺の人生なんて、こんなもんだ。そう夢うつつの中で呟いた。決意は睡魔に負けて、泡沫の理想に消えた。


 そんなこんなで一週間が経った。なんだか自分が嫌になって、休みなのに鬱鬱していた。


 オルディーヌ通りを歩いていると、ルイスを見かけた。いつも通り爽やかな顔で、街を歩いている。アダムは、自然と、不思議と自然と、ルイスの後をつけていた。

理由はわからない。あのエリートの秘密でも握りたかったのか、何故あんなに強いのかわからないかとか、いろいろな理由が頭を駆け巡る。が、正確な答えは見つからなかった。


ルイスはオルディーヌ通りの一番端へ行き、とある店に入った。看板を見上げる。


「オーダーメイド手帳店、ハルtoナツ?」


手帳? とは、一体何なんだ?

ルイスは何故、この店に入ったのだ?


 アダムは店に入らずに、路地裏からルイスが出てくるのを待った。二時間後、ルイスがドアを開け出てくる。紙袋を大切そうに抱えて去っていった。

路地裏から出て、店の前に立つ。しばし迷って、ドアを開けた。


 カランカランとドアベルが鳴る。アダムは恐る恐る、店を覗いた。静かな店内に、本のようなものや、見たことのない商品が棚に並べてある。これだけでは、何屋なのかわからない。


「いらっしゃいませ」


東洋系の男性店員がやってくる。落ち着いた物腰で、表情は穏やかだ。話やすそうな人だな、と安心して聞いてみる。


「ここは何のお店なんですか?」


「はい。ここは、手帳と文房具のオーダーメイド店です。手帳とは、人生を形作るお手伝いをする品物です。自分の執事、または秘書と言っても良いでしょうか」


「人生を形作る……」


何故だか、その言葉に惹かれた。


「ウチの手帳はオーダーメイドです。その人の要望に合わせてお作りしますよ。何か、こんなものが欲しいなどという物はありませんか」


「うーん。そういわれてもな」


いざそう聞かれると、わからない。店員の目がキラリと光った。ように見えた。


「ならば、こうなるのは嫌だ、と思ったものありませんか?」


「嫌、か。このままの代わり映えしない巡回は嫌だな」


するりと言葉が出てきた。自分でも驚いて、だが、口は止まらない。


「騎士になる夢があるのに、何にも行動に移さず、三日坊主で、意思が弱いまま。そのままなんにもせずに、街の巡回兵士になるのは嫌だ」


そこまで言って、アダムは自分の気持ちを知った。そうだ。そうだった。騎士になるのが夢だったじゃないか。それなのに自分は、努力も行動さえも移さずにただ惰性で生きてきた。

そんな人生は嫌だ。心が叫んでいる。


「でも俺、意思が弱いし三日坊主だし、騎士になる自信なんてない……」


「お客様」


店内はハルと名乗った。兄弟でこの店を営んでいる店長らしい。ハルはこう言う。


「そもそも意思だけでは、自信はつきません。小さな努力の積み重ねが、自信を生み経験を作るのです」


「だからその、努力ができないんです。何やっても三日坊主だし、すぐ諦めてしまうし」


「なら、きっと努力……三日坊主にならない方法が必要ですね。まずはこちらの手帳を」


ハルは棚から一冊の本ーー手帳だろう、それを取り出すと、アダムに手渡す。

革のように見える表紙だ。フェイクらしいが、見た目も高級そうに見えて持っていたらカッコよく見える気がする。

中身をパラパラとめくる。日付と線が書かれており、書き込むようになっているようだ。


ハルが横からとあるページをめくった。

四角いマスのような上に、日付が書いてある。それが横に並んでいる。


「ハビットトラカーです」


「ハビットトラカー?」


聞いたことのない言葉だ。


「ええ」


ハルは懐からもう一つ、手帳を取り出した。それには「腹筋五回」、「朝起きて水を飲む」と書いてあり、日付の下のマスに色が塗ってあった。


「こうやって習慣にしたいことを書いて、できたらマスを埋めていく。毎日やったことが目に見えてわかるので、達成感と自信がついてきますよ。

習慣づけにもってこいのページです」


なるほどそう使うのか。アダムは感心したような顔でハビットトラッカーを見る。

自分にもできるだろうか? 使いこなせる気がしないが……。


「習慣化にはコツがあります。これを押さえれば、習慣が身につきますよ」


「え! コツですか!」


アダムは興奮気味に、勢いよく顔を上げた。そんなコツがあるなら、知っておきたい。

ハルはそんなアダムに苦笑する。がっつきすぎたかと恥ずかしくなるが、アダムはハルの言葉を待った。

彼は指をピンと上げて、口を開く。


「目標のハードルを限りなく下げることです」


「ハードルを、下げる」


「はい。私の習慣のページを見てください」


手帳を見て、腹筋五回というワードに気づく。


「五回って……いいんですか? そんなので」


「それでいいんです。とにかく始めるなら簡単なものにしてください。少しでもとりかかれば、意外と五回では物足りなくなって三十回とかするんですよ。一番初めのハードルを限りなく下げる。これが習慣漬けのコツです。まあ、騙されたと思ってやってみてください」


アダムは目の前の手帳を見る。そして、この店から出て行ったルイスを思い出した。


(もしかして、あいつもこうやって小さな努力をしていたのかもな)


「手帳、買います!」


心を決めて、そう言った。


 一ヶ月後。剣のぶつかる音が演習場に響く。アダムはいつのもように、ルイスに一本とられた。

だが、今までのアダムではない。懸命にルイスに食いつき、最近はルイスも苦戦するようになった。


「今日も僕の勝ちだな」


しかし、いつもの余裕ぶったルイスではない。

小声でこう言ったのだ。


「……でも、ちょっと危なかったかも」


アダムはそんなルイスを見て、歯を見せて笑う。


「そりゃ、俺だって毎日頑張ってるからさ。いつか一本とってやるよ」


「なんだか、変わったね、君」


ルイスは不思議そうにアダムを見る。確かに、今までのアダムではなかった。周りもそれを認め始めていたところだ。

訓練にも真剣になったし、こうやって模擬戦等では最後まで食いつくようにもなった。

毎日、自主練もしているとルイスは耳にしていたのを思い出す。


「実はさ、ハルtoナツで手帳を買ってさ……。ルイスも持ってるだろ?」


「え? 君もなのかい? なるほど、そういうことか。どんな手帳を使っているんだ?」


思いのほか、二人の会話が弾む。同じ店に通っているとわかると、嬉しいもの。

それから二人は距離を縮め、いつしかお互い騎士となりかけがえのない戦友へとなるのだが、それはまた遠い話。

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