風と水色

 少年は河原の土手の原っぱにひとり寝転びながら、軟式の野球ボールを陽の傾き出した空に向かって投げ、落ちてきたらキャッチする、という動作を繰り返していた。少年の近くにはかばんと上着が雑然と置かれ、ワイシャツの肩のあたりに草の色が薄っすらと染みていた。

 ふと手を止め少年は周囲を眺めた。見上げると、遊歩道を囲む桜並木の青々しい葉が、河原に吹く心地良い風にさらさらと揺られていた。見下ろした広場には、金色の大きな犬と、それと同じくらいの背丈の女の子が追いかけっこをしていた。その景色を少し眺めたあと、少年はひとりのキャッチボールを再開した。

「ユウちゃん、やっぱりここにいたね」

 ふいに声をかけられ、少年はボールを掴みそこねた。ボールがとんとんと土手を転がっていく。

「カナ!どうしてここがわかったの?」

少年は少女に返事をすると、急いでボールを拾いに向かった。少女はふふんと鼻を鳴らし、得意気に答えた。

「そんなの当たり前でしょう。ユウちゃんは子どもの頃から落ち込むといつもここに来るじゃない」

「子どもの頃からって、僕達は中学生、まだまだ子どもだよ。それに僕は別に落ち込んでなんかない。ここが好きだから、ここに来ただけだ」

「落ち込んでたから、好きな場所に来たくなったんでしょう。別に、強がらなくていいのに」

 ボールに伸ばした手が一瞬止まったが、少年は何事もなかったようにボールを拾い上げ、元の位置に戻るとまた寝転んだ。少女は少年の横に来て座った。スカートが揺れ、小さな風がふわりと少年の頬を撫でる。

「もう引越しの準備は終わった?」

少女が尋ねる。

「うん」

とだけ、少年は答えた。

「そっか」

少女も一言だけ返し、どこかへ飛んでいく2羽の鳩を見つめた。

「「あのさ」」

声が重なる。

「「あ、ごめん、先にいいよ」」

また声が重なる。2人はぽかんと顔を見合わせたあと、笑い出した。

「なにを話そうとしたか、忘れちゃったよ」

「ふふ、わたしも。でも、また今度でいいよ。離れたって、電話でもSNSでも話せるものね」

「そうだね、カナにすぐ会えなくなるのは寂しいけれど、友達でなくなるわけではないからね」

「…うん」

 少女の返事が突然素っ気なくなり、少年は理由が分からず戸惑った。

「はぁ…、まぁ、いいけど」

 少女はため息混じりに続ける。

「寂しくなっても毎日連絡してこないでよ?」

 陽はさらに傾き、子どもたちに帰宅を促すメロディが聞こえてきた。

「今日は最後の掃除を手伝わないといけないから、そろそろ帰らないと」

 少年の言葉に少女はまた「うん」とだけ応えた。二人は土手を登り、遊歩道で向かい合う。二人はそのまましばらく黙り込んでいた。メロディが鳴り終わる。

「…それじゃ、カナも元気でね」

「うん、ユウちゃんも、向こうでもちゃんと友達作ってね」

 少女の声は震えていて、困ったような笑顔をしていた。それを見て少年は視線を逸らした。少女は意を決した瞳で、少年を真っ直ぐに見つめた。少年も少女に視線を戻す。

「ユウちゃん!私…」

 その時、河原にまた風が吹いた。風は土手を駆け上がり、少女のスカートをふわりと捲り上げた。下着が露わになり、数秒間二人は停止し、スカートだけがゆっくりと元の形状に戻っていった。

「み、見た?」

 顔を赤らめながら少女が聞く。

「あ、え、えと、ご、ごめん」

 目に焼き付く水色を必死にかき消しながら、少年はしどろもどろに答える。

「ばか!」

 少女は逃げるように走り出した。少年が狼狽えていると、少女は少し離れたところで立ち止まり、すっと振り向くと精一杯の声で言った。

「わたしのこと!忘れんなよ!」

 少年も精一杯に応えた。

「うん!もちろん!」

 少女は大きく手を振り、駆け出して行った。少年は振り返り、空を見上げた。風が吹き少年の背中を押す。少年はゆっくりと歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

みじかいはなし 雨春 @AmeHaru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ