林檎を剥く

 電話が切れた。それと同時に2年と3ヶ月が思い出になった。最近は何となく彼の気持ちが離れていることに気がついていたし、他の人の影にも気がついていたから、前置きのない話にも驚きはなくすっと納得した。


 悲しい気持ちにはならなかった。それどころか、感情はまったく揺れなかった。ただ、彼の紡ぎ出した言葉に私がうんと答えたときの、彼のほっとしたような「ごめん」と「ありがとう」が頭の中でぐるぐると廻っていた。


 別に顔は好みのタイプではないし、身長も物足りない。声は少し好きだったけれど、話はちょっとくどかった。優しいけれどたまによく分からないところで機嫌を悪くする、掴み所のない人だった。冷静に考えれば彼より良い人に出会うのは難しいことじゃない。


 私の心は悲しみもなく、怒りもなく、凪の中で漂っていた。だが、身体を動かすエネルギーも生み出さなくなり、私はソファから動けなくなっていた。呑気に食べようとしていたインスタントのカップスープはすっかり冷め、動けない私に救いを求めていた。


 時間だけが流れ、気がつくと外は暗くなっていた。停止した心とは裏腹に身体は生命活動を続けていて、危機を感じ私に空腹を伝えた。

「…何か食べないと」

見えない天井に向かって呟いた。


 キッチンにたどり着いた私はカップスープを捨て、冷蔵庫を開け、目についたからという理由だけで林檎を手に取った。そのまま齧りついても良かったが、いつからか皮が嫌いになったので剥くことにした。


「痛っ…」


 指を切ってしまった。左手の親指の先をほんの少し、だけど、すごく痛かった。


「痛い…」


 傷口からじわりと血が滲む。私は傷を押さえることもせず、ぷくりと溢れてくる血を眺めていた。


「痛いなぁ…。そもそも、皮が嫌いなのあいつだったのに。なんでかなぁ、なんでかなぁ…」


 ぽつり、ぽつり、雫が落ちていく。小さな傷が肩を震わせるほどズキズキと痛かった。

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