2月27日(日)冬の終わり

 2月最後の日曜日の朝、私は近所の農産物直売所にいる。開店して1時間ほどにもかかわらず、駐車場は半分以上埋まっていて、店内は客同士がすれ違うのがやっとなくらい賑わっている。今日が休日の私は、大好物のミカンを安く手に入れるために、混雑していると分かっていながらもここに来た。珍しい品種のミカン数種類と鍋用のネギ、白菜、キノコをカゴに入れると、そそくさと店を出た。昔から、人混みは苦手だ。人酔いしてしまうから、花火大会会場には長らく行っていない。店を出た右手奥に直売所の別館があり、そこでは花や野菜の苗が販売されている。ガーデニングが趣味だった祖母の影響で、昔から花が好きな私は、なんとなく気になって、買ったミカンと野菜を車に置いて立ち寄ってみることにした。


 別館の入り口には梅や桃の木がたくさん置いてある。もうすぐひなまつりだからだろう。店内に入ると黄色の小さなふわふわした花が集合したミモザ、ピンクと白のチューリップ等々、店内はなんとなく春らしい優しいピンク色の空間だった。そんな中、私は店の隅にひっそりと置かれたバケツに入れられた、スイセンが目についた。猫の耳のような形の透けるような薄い黄色の花びらに、からし色よりも上品で明るい濃い黄色の口がついている。よくわからないけど珍しい色だと思った。私の知っている水仙は、500円玉くらいの大きさの白いまたは黄色花びらに濃い黄色の口がついているものだった。しかも、田んぼの畔など野生に咲いているものだと思っていたので、切り花として売っているのは初めて見た。7本が束ねてあり、透明のフィルムで巻かれてある。シールが貼ってあり、バーコードと値段、生産者が印刷されている。増田さんという方が育てたようだ。すぐにこのスイセンを手に取り、レジに並んだ。会計を待っている間に値段を確認し、財布から110円を出しておいた。順番が来て、レジ係がバーコードをスキャンしようと私のスイセンに手を伸ばしたが、私の方からスイセンを握りしめた右手を差し出した。左手で110円を渡し、すぐに出口に歩みを進めた。慌ててレジ係がシールをフィルムに貼り、レシートとビニール袋を渡してくれた。私は、このビニール袋はなんのためだろうかと思いながら、「ありがとうございます」と言って店を出た。


 今日は冬の晴れ間。優しくお日さまが出ている。私のものになったスイセンを自分の頭くらいまで掲げると、花びらから空が透けて見えた。カラーコンタクトをつけるとき、そっとレンズに触れるような感じで、私はスイセンの花びらに触れた。そして、茎の切り口から水が滴ってきて初めて、ビニール袋の役目にも気づいた。増田さんのお名前がついたスイセンは他にも何種類か置いてあったが、私の知っているスイセンはいなかったと思う。口がミカンのような色をしていたものもいたと思う。はっきりと覚えていない。他のものが目に入らないくらい、私はこのスイセンに一目惚れした。


 帰宅して私はスイセンを入れる花瓶を探した。あいにく、一人暮らしの我が家に花瓶はなかったが、先日飲んだ日本酒の空き瓶があった。青く透ける酒瓶だ。7本のスイセンたちは、なんとか酒瓶の狭い口に収まった。青い海からスイセンが噴水のように涌き出ているように見えた。そして私はそれをあまり片付いていない小さな食卓の端に置いて、しばらく眺めていた。


 スイセンに見守られながら昼食をとった私は、スイセンについて調べることにした。きっとこのスイセンはお宝のようなスイセンだろうと思った。

「珍しくてきれいなスイセンを見つけました」

 とSNSに投稿しようかと考えていた。たまには花の写真もいいかもと。


 私の住む街は、流行の最先端である東京や新幹線が止まるようなそれなりに大きな都市ではないので、私は決して華やかでおしゃれな生活はしていない。新卒で今の会社に入社して、もうすぐ2年が経とうとしている。農家だった祖父の影響で地元を離れた大学の農学部に進学したものの、地元に帰ってきて農業に関する仕事ができているし、労働に対してお給料もそれほど悪くないと思っている。高校時代から付き合っている彼とは、大学時代は物理的に離ればなれになったものの、なんだかんだ交際は続いている。医学部生の彼は医師の国家試験を終えたばかりで、もうすぐ地元の大学病院で研修医になる予定だ。彼はしばらく忙しくしているだろうけど、研修医の期間が終わったら結婚しようと話をしている。私は仕事も恋も休日もそれなりに充実していると思っている。しかし、東京にいる大学時代の友人のSNS投稿を見ていると、自分とは生きている国が違うのではと疑いたくなる。名札がついたお肉の焼肉や、夜景を眺めながら高級ホテルでのディナー等々。それでも、遠くに住む友人との生存確認のために、私は時々おしゃれなカフェを探して投稿をするようにしている。私の地元には、マンションなどの高い建物は無いけれど、少し高台にある海を一望できるカフェなら、私の街にいくつかあって気に入っている。


 最後に、ハッシュタグで花の名前を入れて投稿するつもりで、ついでにスイセンについて検索をしてみた。調べて分かったことをざっと要約すると、以下のようになる。


 水仙スイセンは学名をナルシスという。ナルシスの由来は、これまで誰も愛することができなかった美男子ナルシスは、水面に映る自分に初めて恋をし、恋し続けるが、永遠に恋は成就することなく、ついに水面に映る美しい自分にキスをしようとして、水に落ちてしまう。ナルシスの死後に水辺に咲いた花が水仙で、うつむくように咲くスイセンの姿と、水面を除くナルシスの姿を重ねて、学名がナルシスと名付けられた。といった風の神話がある。自己愛や自惚れを意味するナルシストは、このナルシスの性格からとったものと言われている。そしてスイセンの花言葉も、自己愛や自惚れである。

 すっと細くのびた茎と葉の先に1輪だけ咲く花は、やや下を向いて咲き、きゅっとすぼまった口のような部分がある。群れて咲くことが多く、花が少ない日本の冬を黄や白に彩る貴重な花である。毒を持っていて、ニラと葉の見た目が似ているので、間違えないように注意しなければならない。そして、1月頃の寒さが厳しい時期に咲くスイセンと、冬の終わりに咲くスイセンは品種が異なる。前者が私の知っていたスイセンで、後者がまさに今日、私が一目惚れして買ってきたスイセンである。


 私のスイセンは決して珍しい品種な訳ではなく、この時期にたくさん咲く量産型スイセンらしいのだ。それを知った瞬間、キラキラ輝く宝箱を見つけて、開けてみると中身が100均のおもちゃの指輪だったみたいな感覚を味わった。今から写真を撮ろうと思っていたけれど、SNSには投稿はしなかった。



 学生時代に就職活動の対策をしていたとき、面接でよくある質問集を詠んでいると、

「あなたの『挫折』経験について教えてください。」

 というページがあった。あったのは覚えているけど、すぐに答えが出せず後回しにしたままだった。そしてそのまま面接を迎え、運良くこの質問はされずに今の会社に内定をもらった。スイセンについて調べていくなかで、私はふとそれを思い出した。そうだ、私は昔からすこぶる運がいいのだ。


 昔のことを振り返ってみると、高校受験のときは、好きな人と同じ高校に行きたくて勉強頑張ったら運良く合格できたし、その好きな人と高校のときに付き合うことができた。彼と一緒に勉強頑張って、大学受験だって難関と言われる第一志望の大学に合格した。まだ失恋もしていないし、就職も最初にエントリーした会社に内定をもらい、すぐに就職活動を終えたのでお祈りメールはもらっていない。今は一緒に住んでいないが、愛情持って育ててくれた優しい父と母もいる。定期的に会える友人もいる。結婚を考えている恋人もいる。他人から見れば、順風満帆な人生に見えるかもしれないけど、自分でもそう思う。そんな自分のことは嫌いじゃない。

 もちろん私は完璧人間という訳ではなく、掃除は苦手だし、料理を焦がすこともあるし、それなりの大金を入れた財布を落としたこともある。そこそこ音痴だし、方向音痴だし、運動音痴だ。でも、そんな自分もかわいいじゃないかとさえ思っている。


「『挫折』ってなんだろう……」


 と呟きながら食卓に置いたスイセンを見つめた。スイセンと目があった。スイセンが

「あなたは自分のこと大好きだし、自惚れているんじゃない?」

 と訴えているような気がした。


 翌日会社に行くと、上司に明日から金曜まで出張に行ってほしいと言われた。遠方のお客さんのところでトラブルがあったようだ。バタバタとキャリーケースに荷物を詰め、4日ほど家を空けることになった。

 会社から東に400 kmほど車を走らせた所にある客先の近くの田んぼで、私のスイセンを見つけた。我が家でお留守番しているはずのスイセンがたくさん咲いている。私は絶望と不安を感じた。改めて私のスイセンが決して珍しい花ではないという現実を突きつけられたのと、留守番をさせているスイセンの水を変えられていないから枯れてしまっていないかという不安だ。自分にとってはこの世でひとつのお宝だと思えるこのスイセンも、誰かにとってはなんの変哲もないその辺に生えた花なのだと気付いた。


 出張を終えて帰宅すると、スイセンは枯れていた。柔らかく透けるような黄色の花びらはパリパリの茶色になっていたし、まっすぐ伸びていた茎はふにゃりと曲がっていた。悲しくてどうしたらいいかわからなかった。ぽっかりと胸に穴が開いたようだ。すぐに捨てることもできず、枯れたスイセンと数日過ごした。



 スイセンと共に過ごした時間は一瞬だけだったけれど、スイセンは私に大切なことを気付かせてくれた。今まではたくさんの人に与えられた愛のおかげで挫折知らずな人生を送ってこれた。例えば受験を乗り越えることができたのも、父が参考書代や受験料になるお金を稼いできてくれたおかげで、母が毎朝お弁当を作ってくれたおかげだ。勉強に専念できる環境を作ってくれたからだ。自分の努力ではどうすることもできない、周囲の人から与えられた愛のおかげで、ありとあらゆる目標は達成できたのだ。これまでたくさんの愛を与えられたのも、奇跡のようなことで運がいいことかもしれない。愛されることを失う可能性は当然ある。人は永遠に無条件に愛される訳ではない。だが、自分の命が尽きるまで確固としてあることは、自分で自分を愛してあげることだ。幸いにも、私は周囲の人の愛をたくさんもらったおかげで、自分で自分を愛することができる環境で育ってきた。しかし、このままだとナルシスの二の舞だ。ナルシスのように、自分だけを愛しすぎて大切なものを失わないようにしよう。そのためには、自分だけでなく人も愛することだ。私はもうすぐ25歳。十分に自分を愛してきた。これからは愛を与える側の人間に変わっていこうと決意した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

春は桜と言うけれど しの @Ayadonis

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ