四人の申し分なき殺戮オランウータン被害転生者

マツモトキヨシ

四人の申し分なき殺戮オランウータン被害転生者


 バン! バン!


 汚れた手が筐体を二度叩くと、ノイズにまみれた画面が息を吹き返した。画面にはピストルを構え、用心深く路地を行く男が映っている。


「行け! そこだ! 撃ち殺せ!」


 <長老>が拳を振り上げた。切り株に腰掛け、森の中に忽然と現れたように見えるブラウン管テレビに口角泡を飛ばしている。


「テレビ叩かないでいってるじゃん。なんで叩くの?」


 隣で地べたに腰掛けているのはこの森を住処とするエルフの子供だ。きらめく金髪に碧眼、純白のトーガといった出で立ちで、<長老>の汚い身なりとは比べるべくもない。しかしその眼は<長老>と同じく、ブラウン管の画面に釘付けになっていた。


「アイツの死ぬところが見られるんだぞ! 見逃してたまるか!」


「<長老>、うるさいぞ。黙って見ていろ」


 立木に寄りかかって画面を見ている<制服>が言った。その足がイライラと落ち着きなく地面を擦っている。


 居並ぶ三人の視聴者の前で、画面の中の男はじりじりと暗い路地の奥へと踏み込んでいく。銃の標準は前方にピタリと合わせたままで、標的へと徐々に近づいていた。カメラはそんな男を右正面斜め上から映している。


 やがて男の歩みに合わせてカメラの向きが変わると、銃口の狙う先があらわになった。路地のいちばん奥、行き止まりとなっているところにがいた。オランウータンである。身じろぎ一つせず、男を値踏みするかのようにじっと正面から見つめていた。一体何がそんなに気に食わないのか、ここに至るまでにすでに二人の人間を殺している。


 男はもう十分に近づいた。標的は目と鼻の先で、ここからであれば決して外すことはない。男は銃を構え直し、オランウータンの眉間めがけて引き金を引いた。画面に閃光が走った。


「よしっ!」<長老>は歓声を上げた。


 一瞬の間を置いて、銃を撃った男がばったりと倒れた。


「キーっ! キーっ!」銃声に驚いたのであろう。オランウータンは歯をむき出しにして倒れた男に威嚇した。しばらくそうしていたが、やがて男がもう動かないことに気づくと、弾かれたように駆け出して路地を去った。


 視点が変わり、カメラが上から倒れた男を映した。銃を持った手と無惨に焼けただれた顔から煙が上がっている。拳銃の暴発が男の命を奪ったのは明らかだった。


「クソが!」<制服>が悪態をついた。「クソッ!」


「…………あの時だ……」


 愕然と立ち尽くす<長老>の脳裏を以前目にした光景がよぎった。男がオランウータンを見つけた時、奴は何をしていた? 男の荷物を漁り、食べ物を物色していた。


「食べ物を盗んだだけじゃなかったんだ。奴は抜け目なく銃口に石を詰めていた……」


 言い終えた後で<長老>はガックリとうなだれた。<制服>は無茶苦茶に悪態を吐きながら周囲をウロウロし始めた。その間でエルフの子はつまらなそうに地面の草をいじっていた。


 十九世紀のフランスに突如として現れた殺戮オランウータン。その悪意と狡猾さは留まることを知らない。かつてその毒牙にかけられた男二人――<長老>と<制服>の前で、この日オランウータンはまたしても人一人の命を奪ったのだった。



 ひとしきり狂態を演じた後で彼らは近くの沢に向かった。死んだ男を迎えに行くためだった。下流から上流に向けてぶらぶら歩くと、やがて河川敷の一角に先ほどの映像の男が倒れているのが見つかった。死因となった手と顔の火傷は跡形もなく修復されている。


「やめろ」男の顔をつついたりつねったりしているエルフの子を<制服>が諫めた。男は気絶しているようだった。


 彼らは木の皮で編んだ担架に気を失った男を乗せ、元来た道を引き返し始めた。


「おい」男を運ぶ道すがら<制服>が訪ねた。「コイツはなんと呼べばいい」


「<狩人>だな」<長老>が答えた。


 テレビの前に寝かされた<狩人>はじき目ざめた。信じられないというような目で周囲を見回す。自分が死んだものと思っていたらしい。


「敢闘賞をやろう」<長老>が声をかけた。しかしその目は<狩人>を見ておらず、じっとテレビの画面に注がれていた。「あそこまでオランウータンを追い詰めた人間を初めて見た」


「ここはどこだ?」


「異世界だ」


 <狩人>は「はあ」としか言えなかった。それから次の問いを発した。


「何を見ている? その動いているのは」


 <長老>は答える代わりにちょっと脇にどいた。画面には民家の屋根の上で頭を搔いているオランウータンが映っていた。


「この箱はオランウータンを見張る目だ」<制服>が言った。「我々の時代の百年後の発明らしい」


 正確に言えばこのテレビは二十世紀から転生してきた死者が持ち込んだものだった。その人物はとうにこの地を去っていたが、遺棄されたテレビはエルフの魔改造を経て異界の景色を映すようになったのだった。


「コイツは<制服>。どこぞの制服を着ているからな。俺は<長老>だ。最初に奴に殺されたのが俺なんだ」


 その言葉を聞いて<狩人>はおもむろに立ち上がった。<長老>の方へ歩いていき、正面に回ってその顔を見た。


「信じられん。本当に被害者と同じ顔だ」


「本人だからな。そこをどけ。画面が見えん」<長老>はうっとうしげに手を振った。


「俺はあんたが死んだ事件を捜査してたんだ……となるとここはあの世か?」


「だから異世界だ」


 <長老>がまともに会話したがらないのを見かねて、隣でテレビを見ていた<制服>が横から口を挟んだ。


「あんたは警察だな。まだ発覚していないようだが、実は俺もひっそり奴に殺されていた。今ごろ沖から死体が上がってるかもな」


 しかしこの言葉も<狩人>の困惑を深めただけだった。彼はほとんど途方に暮れていた。<制服>はなおも続けた。


「異世界についてはあまり深く考えなくていい。奴に殺された者は皆ここへきてしまうらしい……まあそう悪いところではないさ。例えばこの森にはエルフがいる。森の外にはドワーフや大ウミヘビもいるらしい」


「実際に見たのか?」


「エルフの子供だけは見た。向こうから俺たちに接触してくるんだ。他は見てない。俺も<長老>も森の外に出たことがないからな」


 <制服>は寝転んで画面を眺める<長老>を指さした。


「俺たちは一日中ここにいるんだ。向こうの世界であのエテ公が死ぬのを心待ちにしてな」


 事実二人はこの世界の事をエルフの子からの伝聞でしか知らなかった。彼らのいるこの森はとある広大な大陸の西の端にある。古くよりエルフの治めるこの森は世界中に散らばるエルフたちのいわば故郷であり、精神的なよりどころとなっている。


 森の海に面した土地は入り江になっていたが、これは排他的なエルフ族の数少ない開かれた貿易港として知られていた。港へは各地より至宝とされる品が持ち寄られ、世界中の料理に舌鼓を打ち、信じがたいような魔術の数々に出会うことができる。


 ――と、ここまで聞かされてなお、二人はテレビの前から離れようとしなかった。彼らにとっては眼前に待ち受ける未知の冒険よりも、自らの命を奪ったオランウータンの行く末の方が大事なのだった。


「そうか」<狩人>はあいまいに返事をした。彼は内心自分が置かれた状況が飲み込みきれないのだった。「場所を開けてもらえるだろうか」


 <長老>と<制服>は距離を取って<狩人>がテレビを見る場所を開けてやった。エルフの子が住居から食べ物を持って来た時、三人は並んでぼんやりと画面を眺めていた。オランウータンに次の危機が迫るまで、彼らは何をするでもなく漫然と暮らしていた。



 向こうの世界の警察たちの動きは迅速だった。警官を殺された彼らは皆復讐に燃えていた。元々警察で勤めていたものの今は一線を引いた私立探偵を招き、大々的に殺戮オランウータンの駆除に乗り出した。


 オランウータンは身のこなしは俊敏で、追っ手をかけるのは困難だ。また隠れるのが上手く、そもそも居場所を探し出すのが難しい。エルフの改造したテレビには常にその姿が映っているのだが、<長老>たちには向こうの世界にそれを伝える手段がなかった。


 そこで向こうの世界にいる探偵は一計を案じた。毒餌だ。<狩人>の荷物を漁っていたことからもわかるように、オランウータンは食料を求めている。なので毒を注入した果物を町の中にさりげなく置いておけば、オランウータンが食いつく可能性は高い。理に適った計画だった。


「そこと……そこに置け。奴は知能が高い。半端な設置場所では勘繰られるぞ」


 探偵は自ら町を回り、警官の指揮をとった。悠然とパイプをくゆらせる姿はどこかこの状況を楽しんでいるようにも見えた。


「やり手だな」画面越しに探偵を見ながら<制服>が言った。


「<狩人>、お前は行けると思うか?」傍らにあるエルフの焼き菓子を口に運びながら<長老>が聞いた。


「大丈夫です。彼の名声は何度も聞いたことがあります。なんでも過去に厄介な事件を、相談に来た警官の話を聞いたその場で解決してしまったとか……ともかく上手く行くと思いますよ」


 <長老>は「そうか」と言っただけだった。また焼き菓子を口に含み、辺りはバリボリという咀嚼音で満たされた。


 それから数日が経った。どうも探偵は噂に聞くよりもずっと行動派だったらしい。彼は町中にある毒餌の設置場所に足げく通い、少し離れたところから双眼鏡でターゲットが来ないかを見張っていた。その熱心な姿勢には異世界の三人の心を動かすものがあり、彼らは段々と毒餌作戦に期待を抱き始めた。


「どう、今日は? 餌に食いつきそう?」ある日やって来たエルフの子が尋ねた。


「ああ、いいんじゃないのか。エテ公の奴、腹を空かしてやがるよ。罠にかかるのも時間の問題なんじゃないか」


 そう答える<長老>の声が弾んでいた。とにかくオランウータンが死ぬのが嬉しいらしかった。


「見ろ、奴が動いたぞ」


 <狩人>が画面を指さした。とあるアパートの壁の一角に身を潜めていたオランウータンが、空腹の限界とばかりに立ち上がり、移動を始めていた。向かう先はアパートのある通りに面した露店で、つやつやとした新鮮な果物が並んでいる。


 驚くべきことに、まさにこの露店が探偵の仕掛けた罠なのだった。並んでいる果物は全て毒が注入されている。そのことを知る三人は探偵の予測の正確さに舌を巻いた。


「食え……食うんだ……」次に訪れたのは興奮だった。始めに<制服>が身を乗り出した。<長老>もこうしてはおれないと画面の前に位置を変えた。オランウータンはじりじりと露店に近づいていく。


「おい、こいつはまた映らなくならないだろうな。アイツが死ぬところが見られなかったら許さんぞ」


「ええ……壊れるタイミングなんか知らないよ……元からボロだったんだから」


 <長老>の理不尽な物言いにエルフの子はあきれた様子だったが、これから起こる出来事を見逃したくないと思っているのはそう言うエルフの子も同じだった。


 オランウータンは露店の隅にあったリンゴを手に取った。顔に近づけ、クンクンと匂いを嗅いでいる。今やテレビの前は異様な熱気に包まれていた。


「食え! そうだ! 食うんだ!」


「これで終わりだ!」


「死ね!」


 <長老>も<制服>もテレビ画面に噛みつきかねない勢いだった。遠巻きに見守る<狩人>もエルフの子も目をらんらんと輝かせていて画面に見入っていた。


「食ええっ!」


 しかしオランウータンはリンゴを放り投げてどこかへ行ってしまった。


「だっああああ!」


 <長老>が思い切り画面を揺すぶった。今映った映像は嘘だ、本当のことを教えろと言わんばかりだった。けれどもその画面の中でオランウータンは街道を悠々と遠ざかっていくのだった。


 <制服>は頭を掻きむしり、むせび泣いた。そこまでではないまでも<狩人>も地団太を踏んで悔しがった。エルフの子はつまらなそうにしていた。期待をかけていただけに彼らのショックは大きく、特に<長老>はその後も夜通しぶつぶつと何かをつぶやきながらテレビの前に座っていた。



 翌朝、テレビの前にエルフの子が一人の男を連れてきた。<長老>は茫然自失とした精神状態から回復しておらず、相変わらずテレビの前で何かを言っていた。


「こんにちは」


 男が声をかけると、聞きなれないその声に<長老>が振り返った。


「お前もやられたのか」


「ええ。やられました。毒餌を巡回していたところを奴に見られていたらしい。夜中パイプを咥えたら血を吐きましたよ。いつの間にか毒を仕込まれていたようだ」


 声の主は探偵だった。彼は河川敷で目を覚ました後エルフの子に遭遇し、ここへ来るまでに一通り異世界について説明を聞いていたのだった。


「パイプか……そうか……迂闊だったなアンタ……ハッハッハ……」


 <長老>はもうどうでも良いという風に笑った。


「<長老>さん。大事なお話があります。聞いていただけないでしょうか」


 <長老>は何も言わない。代わりにエルフの子が答えた。


「ちゃんと聞いてるから話していいよ」


「わかりました。<長老>さんはあのオランウータンがどこから来たかご存じですか?」


「知らん。俺は家でくつろいでたところを襲われたんだ」


「東南アジアですよ。香辛料の買い付けに出たある船乗りが見世物にしようと思い連れて来たんです。しかしその管理たるや杜撰極まりないものだったようだ。さんざん手ひどく扱った末、港に着いたときに檻を破られ、その船員はオランウータンに殺されてしまったのです。最初の被害者というわけです」


 探偵の言葉に<長老>はビクリと身を震わせ、今度こそ探偵の方を見た。そこへ茂みを分けて今しがた起きたばかりの<制服>と<狩人>がやって来た。二人は探偵が異世界に来ていることにぎょっとした様子だったが、すぐに<長老>の態度への驚きがそれにとってかわった。


 <長老>は手近な石を手に取ると、血走った眼で二人の方へまっすぐに殴りかかってきた。


 エルフの子が慌てて<長老>を制止した。


「逃げないで! 皆はそこにいて!」


「<制服>! お前が奴を連れてきたのか! お前さえいなければ俺は今ごろここにいなかった!」


 <狩人>はエルフの子の言葉に従ってその場にとどまったが、<制服>は<長老>に恐れをなして一目散に逃げだした。今や向こうの世界から来た者は誰もが、<制服>の着ている服がとある貿易会社の制服であることを思い出していた。


 逃げ去る<制服>の背が見えなくなった後で、<狩人>は呆然と探偵に尋ねた。


「あんた<長老>に何を話したんだ?」


「オランウータンをフランスに持ちこんだ人間について話しました。<長老>氏はそれが<制服>氏のことだと気づいたらしい。私も道中エルフに<制服>氏の話を聞いて気づきました。ちなみに彼は例の河川敷におらず、森の中をさまよっているところをエルフが見つけたんだそうです。自分の連れてきたオランウータンに殺された<制服>氏が恐らく最初に異世界に来ていたのでしょう。そのことを誰も知らなかった」


 探偵がのんきにパイプをくゆらせて自分の推理を話すうちに、<長老>が隙をついてエルフの子の制止を振りほどいた。


「<制服>め! 殺してやる!」<長老>は<制服>が逃げた方へ脇目も降らず駆けていく。エルフの子もまたその後を追って茂みへと分け入っていった。


「私たちも後を追おう」探偵の言葉で<狩人>も後を追い始めた。


 三人はじき<長老>と<制服>に追いついた。これは追われる側の二人が日がなテレビの前にいて体がなまっていたためなのだが、ともあれエルフの子は<長老>に飛びつき、下草の伸びる地面に抑え込んだ。その時<制服>との距離は二十メートルまで縮まっていたが、<長老>が着いてこないと見るや<制服>はどんどん距離を離していった。


「何をするんだ! 放せ!」<長老>が怒りの声を上げた。


「これ以上はだめだ。あんたたちは奥に入り過ぎた」


 エルフの子が声を張り上げたちょうどその時だ。この日最後の驚愕が彼らを襲った。


 まず彼方より一本の矢が飛び来たり、前方を行く<制服>の胸を刺し貫いた。続いてもう一本。それからまたもう一本。胸に刺さった三本の矢はやがてまばゆい光を放ち、巨大な青い炎の柱となって<制服>を包み込んだ。


 周囲は木が鬱蒼と生い茂り、いずれも見上げるほど背の高い古木だったが、火柱はそれよりもなお高く昇った。それらは全て一瞬の出来事で、<制服>は断末魔の叫びをあげる暇もなく骨も残さず炭化してしまった。


「なんてこった」地面に押さえつけられたまま<長老>が言った。


「だからそこにいろって言ったのに……」エルフの子はうめいた。


 大陸の西の森は古来より多くのエルフが住む聖地だ。森に住むエルフたちは凝り固まった排外主義で知られ、その苛烈さたるやエルフ以外の種族が森に立ち入ろうものなら即座に命を奪うほどだった。この地のエルフたちは「殺戮者」、「森の人」と呼ばれ恐れられている。そして偶然にも同じ「森の人」を意味する名前の動物がオランウータンだ。言わば彼らはこの世界における殺戮オランウータンなのだった。


 エルフの子もまたこの森の住民だったが、右も左もわからない転生者を哀れに思い、ひとけのない森の外れにかくまってやることにした。というのも彼らが森を出るにはどうしてもエルフ達の居住区を突っ切る必要があったからで、エルフの子はテレビを直し、日々の食事を持ってきてやり、とにかく森の外に目が向かないように仕向けていたのだった。


 四人はほうほうの体でテレビのある森の一角に帰って来た。<狩人>と探偵はもはやテレビなどどうでもいいと言った表情だったが、<長老>は画面の前にどっかと腰を下ろした。画面の中でオランウータンは自分が始めに連れてこられた港へと舞い戻って来ていた。生まれ故郷の東南アジアに戻る船を探しているのかもしれなかった。


「なあ」<長老>はエルフの子に声をかけた。「オランウータンはもういい。うんざりだ。もっと面白いものは見られないか」


「わかった」エルフの子はこくりとうなずいて、次々に番組をザッピングし始めた。


おわり

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