いざこざ純恋Knights

@b4ea

いざこざ純恋Knights

騎士団に所属する女はモテないとは、同期のやつらの言であるが、相手にされないことのやっかみもあるとアリウス・ガリフォルア知っている。

アリウスが所属する騎士団は、王国の守護を主任務としているが、その団員はほとんどが騎士学校の卒業生で構成されている。近年では女性騎士も増加傾向にあるが、基本は男所帯であっぴろげな傾向が強い。

男はニ人集まれば下品な話題に興じる生き物であるので、幼少からそんな連中を見てきた男と比べてちょっぴり成長の早い女が、「男子サイテー」となるのは当然のことだし、騎士団なんて組織に所属していい加減ふてぶてしく成長した女騎士達が、恋愛対象として同僚の男達を弾くのも当然といえば当然である。

それ故に、


「よく聞きなさい!騎士団の男どもに言い寄られても、誘いにのってはだめよ!お前達はまだまだ上玉を狙えるのだから、二つ三つ上の下一級以下の先輩騎士なんて論外よ!」


騎士学校の卒業生とはいえまだまだ初々しさの残る新人騎士(女性)に、団に所属して八年ぼちぼちで後輩たちへの指導も堂に入ってきた同期(こちらも女)が檄を飛ばす光景も見慣れたものになるというものだ。


「ひどすぎる……!」

「おのれ……俺たちの希望はもう後輩しかいないというのに!」

「先輩も、あの鬼教官に対して思うところないんですか!」


中庭から聞こえてきたあまりにもあんまりなその声に、ローテーションで昼食をとっていた部下たちは顔を手で覆ったり、膝から崩れ落ちた。

アリウスは苦笑いを浮かべる。


「逆に聞くけど、あの女に思うところあっても、言い返せると思う?」


女騎士どもは、非常に気が強く弁が立つ。文句のひとつでも言おうものなら、その百倍の罵詈雑言が返ってくるのは確実だ。

部下は、その光景を想像したのだろうか一様に肩を落とし、


「無理っすね…………特に教官──ディミトリア中一級に、言い返そうものなら」


ぶるりと身震いする。教導期間中の鬼のしごきを思い出したのだろう。


「あれ、でもアリウス先輩なら大丈夫じゃないですか?」


部下のうちの一人が、突然そんなことを言い出した。


「は?」

「だって、先輩とディミトリア中一級って、お付き合いしてますよね?」

「…………どうしてそうなった」


思った以上に弱々しい声がでて、アリウスは驚く。部下達も、上官のその様子にどうやら自分達の予想が外れていたということを理解した。


「え、でも」

「先輩、たまにディミトリア中一級と二人だけで食事とか行ってるじゃないですか」

「ああ、そういうことか」


アリウスは、安堵は決して表には出さず、苦笑いを浮かべる。


「お前ら、ブラッディー・バーパーティーの噂って聞いたことある?」

「あの、魔術師の騎士が酒の席で酔っぱらって周囲を死屍累々の山を築きあげたっていうあれですか?」

「今、そんな話しになってんのな。俺が新人の頃は、酒場全員に鼻血をふかせる魔術を誤射しまくったって聞いたんだけど」


いずれにせよ、騎士団に代々伝わる噂のようなもので、本当にそんな事件があったのかもわからない。


「そんな話を俺達にしたということは……まさか!」


変な誤解をしているようなので、首を振って否定する。


「俺が入隊したときに既に伝説だったから、当事者っていうことはないよ。でも、ディミトリアは自分が酔った時に、ブラッディー・バーの再来になりたくないらしいから、お目付け役で俺がパシられるんだよ」


アリウスはディミトリアに呼び出される時は結局、素面で隊舎まで戻ってくることになるのだ。


「先輩、良いように使われてませんか?断りゃいいのに」


当然の反応に、アリウスはひやりとしたものを感じつつ。


「まあ、同期だし、あいつの誘い断るのも怖いからな」

「ご愁傷さまです……」

「今度、合コン行きましょう!」


食事中の雑談は、すぐに別の話題に変わっていくのが普通だ。部下達も、どこの飲み屋がサービスが良いかという話題に花を咲かせている。

アリウスは、部下達にばれないようにこっそりとため息を吐いた。追求されなくて良かった。


アリウス達の班に割り当てられた休憩時間も、終わりが近づいてきた。

最後に、コップ一杯の水でも飲んでおくかと、アリウスが席を離れようとしたときに。


「アリウス!」


同じテーブルの部下達は、眼が合わないように一斉に視線をそらす。おそらく、鬼教官のイメージがずっと残っているのだろう。


「ディミトリア」

「今日の就業時間終了後、正門前に来なさい」


なにか尋ねる間もなく畳み掛けられる。優位に立つことに慣れているものの、基本戦法だ。


「俺、用事あるんだけど……」

「断って」

「段取りってものが──」


どうせ押し通されるのは分かっているのだが、部下の手前体面というものもある。

もう一言くらい、文句を言おうとして。

見えてしまった。

食事用のプレートを手に持つ彼女の、ちらりと見えた掌に爪の跡が幾つか。そして、少しだけ腫れた瞼。アリウスは喉まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。


「…………了解」

「遅れたら分かってるでしょうね」

「誘ってきたのはそっちなんだから、多少は譲歩して欲しいな」


ディミトリアは返事をすることもなく、アリウスに背を向けて、自分の席へと去っていく。


「ひ、ひでえ……」

「こんだけ羨ましくない食事の誘い方あるんだ……」

「先輩!上玉だけ集めた合コン今度開くので絶対に行きましょうね!」


部下達が労る言葉や視線を向けてくる。アリウスは、無言でそれらを受け止めて、


「じゃあ、ぼちぼち休憩は終わりで」

「「はい!」」

「俺、準備行きますから先輩はゆっくりきてください!」

「あ、俺も手伝う」

「俺も。先輩はこなくていいですから!」


部下達は、トレーを返却して駆け足で装備部へと向かう。

気遣いを甘受して、アリウスはゆっくりと歩くことにした。少しの間だけでも一人になりたかったのもある。


彼女の様子に気づいたものは、アリウスの他には余りいないだろう。少なくとも、男性の同僚達には、誰一人として。


(荒れるだろうな……)


ディミトリアが。そして、彼女のことを、ずっと、見てきた男の、内心も。

息を吐く音がひどく重いものになった。


「遅い」

「誤差の範囲ってことで許して欲しいな」


就業時間終了後、待ち合わせ場所にはディミトリアの方がアリウスよりも先に到着していた。男性騎士の更衣室が、正門から遠くにあったのが敗因だろう。


「行くわよ」

「行き先も何も聞いてないんだけど」

「いつものとこに決まってるでしょ」


いつものとこというのは駐屯所から程近い酒場、ではなく少し離れた場所にある酒場のことだろう。


「へいへい」


アリウスはおざなりな返事をした。

彼女はなにも言わずに、少し前を歩く。結局、店に到着するまで二人の間に会話はなかった。


″こういうとき″のいつものところは、混雑しているにも関わらず、静かだった。客層の問題だろう。

タイミングも良かったようで、他の客がほとんどいない席へと通された。

待つことしばし、アリウスの果汁入りミルクとディミトリアの蒸留酒が運ばれてきた。

彼女は乾杯もせず、一気にそれをあおる。予想通り、荒れている時の飲み方だ。


「それで?こんなところに俺を連れてきたってことは、何かあったんでしょ?」

「………………」

「別にだんまりでも良いけどさ」

「…………。浮気野郎だった」

「それは……」

「王宮勤めの、私よりも可愛げのあるらしい女の子に乗り換えたいって」

「…………」


可愛げ云々は、彼女が相手から言われたことらしい。

アリウスは今はじめて、ディミトリアがお付き合いしていた男の存在を知った。

いつものことだ。


元お相手は、王宮勤めのエリート文官で、眼鏡の似合う男だったらしい。一目見た印象は、誠実そう、だったそうだ。


「結果は、とんだ浮気野郎だったけどねえ…………あはははははっ、あーあさいあく」


テーブルには、何杯目か数えるのも億劫なくらいグラスが並んでいる。つまみもなしで、蒸留酒をノータイムで一気飲みし続けるディミトリアの酔い方は間違っても健康的ではない。


「ほれ、水」

「いらん、おかわりぃー」


顔馴染みの店員さんには、水を代わりに持ってきてもらった。


「ごうこんでしりあって、はっきりものごとをいえるところがすきなんていってたのに」

「うん」

「けっきょくおんならしくないって。そもそもきしなんてしごとについてるおんなはやばんだからぼくにはつりあわないってなにさまよ。さいしょからわかってたのに、さいしょはたみをまもるだいじなしごとについていてそんけいするっていってたくせに」

「うん」

「ねえ」


彼女はテーブルに突っ伏して、アリウスの顔も見ずに問いかける。


「わたしってそんなにみりょく、ない?」


その言葉は、アリウスに鋭い痛みを与える。

その質問は、彼女からの信頼の証で。けれど、それはあくまで異性の同期に向けるものでしかなくて。

本当の想いを告げられたら良いのに、自分の弱い部分はそれを許してくれない。

だから、アリウスは、


「ねえ、デイミトリア」


話を逸らす。


「今度から、騎士団の外じゃなくて中で探しなよ。そしたら、仕事のことで揶揄する奴なんて絶対いないし。それに、お前と付き合いたい奴は、騎士の中に山程いるだろうし」


筆頭は、アリウスだ。


「いやよ」

「ディミトリア」

「むり。それに、もし、きしのだれかとつきあって、また、うらぎられたら、もうたちなおれない」



さんざんぐずった彼女は、糸が切れたように眠ってしまった。

隊舎まで、おぶって帰る羽目になるまでがセットだ。


「こんな格好してるところ、あいつらが見たらどうなるか……」


鬼教官のあまりにも無防備な姿に目を剥くだろうなと思う。


ディミトリアは、アリウスが同期である前に一人の男であると理解していないのだろうか。


「俺にどっかに連れ込まれても文句言えないよ、ディミトリア」


返事を期待しない問いかけ。 アリウスはこれまで幾度も同じことを考えて、結局実行できたことはない。

そういうところから、信頼されてしまったという事実もあるんだろうなあと、アリウスは皮肉げに口元を歪める。


「ん…………」

「げ……」


起こしてしまっただろうか。まさか、独り言も聞かれていたり。


「……りうす……いつもごめん……ね……」


そして、デイミトリアはまた規則正しい寝息をたてる。

全くもって隙だらけで。それが、アリウスには痛い。だけど、片想い相手相手から彼女自身のコイバナを延々と聞かされることに比べれば、この時間は一千倍は幸せだった。


女子寮の寮母さんからは、呆れた目で見られた。


「あんた、また律儀にこの子連れ帰ってきたのかい?もう、責任とれる年齢だろう、あんたもその子も」

「あはははは……」

「あと、くさい」

「その、やられちゃいまして」


狂ったペースで酒を摂取すると、体は異物を排除しようとする。その結果、アリウスの衣服は据えた匂いを発している。もう、使い物にならないかもしれない。


「こんな状態で持ち帰られた方がめんどくさいんから、連れ込み宿にでもしけこんでくれた方が嬉しいんだけどねぇ」


騎士学校の元教官でもある寮母は、アリウス達のことを昔から知っているため、その言動にも容赦がない。

寮母は、心底だるそうに鈴を鳴らした。

間もなく、人の姿をした精霊が現れる。今日は、金髪の美青年だった。ディミトリアの使い魔だ。


『何か用かね、マダム』


その声は、永く生きた物だけがもつ渋みがあった。


「その見た目でそんな声だされると、アンバランスで気味が悪いね。用があるのは、あたしじゃなくてこっちだよ」


寮母がアリウスを指差す。精霊は何かを察したようで、憐憫のこもった眼差しをアリウスに向けてきた。


『ああ……なるほど。提案があるのだが、今からもう一度街に繰り出してこないか?そのまま主と一晩帰ってこなくて良いぞ』

「いや、普通にダメでしょ。そういう関係でもないのに」

『…………めんどくさ』


ディミトリア家に長らく仕えている存在だ。ある程度は、人間社会の煩わしさも理解できているようだ。


『なあ、そこな男よ』

「俺?」

『貴様、我が主の番になるつもりは』

「そこまでだよ。それは、この二人がなんとかしなきゃいかんことだからね」


寮母が、精霊の言葉を遮る。精霊はまだ何か言いたげだったが、結局黙ってアリウスの背中の荷物を受けとる。


『我が主がいつもすまんな、礼をいうぞ』

「ああ、いつものことだし……」


精霊は、階段を使わずにその姿を消した。どういう手段かアリウスには分からないが、おそらく彼女の部屋に転移したのだろう。

寮母は、アリウスの腹を叩いた。思わず咳がでる。


「きゅ、急に何を」

「その汚い背中を叩けっていうのかい?」


それだけ言うと、寮母はアリウスを追い払う仕草をする。アリウスは恩師に一つ頭を下げて、帰路についた。


マリア・フォン・ディミトリアと、アリウスの付き合いは騎士学校まで遡る。

幼少期から騎士になることを定められた、例えば貴族の後継者候補からすら外れた者は、入学が可能な年齢からそこに属することになる。

アリウスは、この中では珍しい平民出身の途中入学だった。それが、幸か不幸か、貴族出身でで学園からの転入生だった、マリアとの関係性の始まりだったのだ。


──アリウス君って転入生よね。

──え、えっと、違います。私は途中入学で……。な、何かご用でしょうか、ディミトリア様。


そうだった。当時マリアはアリウス君と呼んでいて、アリウスはマリアのことを様をつけて呼んでいた。しかも、平民出身の彼は貴族の出であるマリアに呼び掛けられる度に緊張していた。もっとも、その身分差などは地獄と評されることもある訓練によって頭からすぐに抜け落ちたようで、一月もしないうちに普通に話すようになった。今となっては、遠い過去の話だ。

その時、マリアが彼に声をかけたのには、深い理由はない。転入生ということで既に出来上がっていたグループに入ることに少し気後れし仲間が欲しかったから、そんな程度だ。現に、マリアはアリウス以外にも転入生に声をかけている。

アリウスと縁が続いているのは何故なのだろうか。多分、理由は一つではない。

アリウスは、気遣いができる奴だったから。

マリアが、アリウスが平民出身ということでトラブルに巻き込まれたときに、助けたから。

二人とも、距離感を誤らなかったから。

騎士学校を卒業してからも、お互いの配属先が近かったから。


きっと、どれも正解なのだろう。



久しぶりに、夢を見ていた気がする。悪夢ではなかった。

マリアは、痛む頭を抱えながら上半身をゆっくりと起こす。

長く眠っていたせいか、ひどく喉が乾く。何か飲みたい。


『ようやくお目覚めか、我が主』

「良いところに。お水ちょうだい」


マリアが使役する精霊は、注文通り水を運んできてくれた。


「私どれだけ寝てた?」


今度は、特に指示もしていないのに、カーテンが開く。普段の起床時よりはるかに外が明るい。お昼頃だろうか。


「あー、飲みすぎた…………私が眠っている間に何かなかった?」

『あったぞ。いつもの男の背中に、我が主がゲロをぶちまけていた』


あちゃー、とばかりに頭を振れば激しい痛みに襲われる。二日酔いだろう。


「アリウスに、謝らないと……」


場合によっては、衣服の弁償も。今度、非番が会う日に一緒に買いに行くコース決定だ。


『なあ、我が主』

「なに?あんまり喋りたくないんだけど」


気持ち悪いので。


『あの男を番にするつもりはないのか?』


精霊の問い掛けは、二日酔いで動かない思考には、厳しいものだった。


「私とアリウスがそういう関係じゃないことは、あんただって知ってるでしょう」

『否。主に付き従ってきたが、これまで主が番い相手にしようと試みた男に向けるものよりも、大きな好意を持っている』


精霊は、嘘をつかない。常に真実をその眼にうつす。

だから、やめてくれと思う。今、そんな事実を突き付けないで欲しい。

分かっているのだ。

マリアだって、何度も疑問に感じたことがある。どうして、自分はアリウスと付き合っていないのか。

元恋人たちとの関係が終盤になる頃は、決まってアリウスと会う時間の方が長くなっていた。


「……………タイミングが合わなかった」


なんとか絞り出したのは、そんな答えにもなっていないものだった。

本当は違う。マリアにとって、アリウスという人間は大事な存在なのだ。だから、怖い。もし、マリアが勇気を出して伝えた言葉が、相手に届かなかったら。そこから、縁が途切れたら。

マリアは、ずっとずるをしている。気持ちから眼をそらし続けている。

そんなマリアだから、よってくる男も同類ばかりなのだろう。


『そうか。げにめんどくさいな、我が主たちは』


異形は、仕える人間に慈愛に満ちた瞳を向ける。


「うるさいっ」


命じられるでもなく、精霊は姿を消す。マリア一人がぽつんと取り残された。


鬼教官と名高い同期直々の呼び出しだった。


「あなた、次非番いつ」

「四日後」

「分かったわ」


もはや用件すら告げられることなく、ディミトリアによってアリウスの予定は決められる。弁償のために一緒に外出するのが定番なので、今回もそれなのだろう。


「別に気にしなくて良いんだけどな」


今回は幸いなことに、衣服の匂いは消えてくれた。寮母さんからもらった謎の粉が良い働きをしてくれた。


「私が気にするの。…………流石にお詫びさせてください」


こういうときにしおらしくなるのが、ディミトリアという女なのだ。少なくともアリウスはこの状態のディミトリアの申し出を断れたことは、ない。


非番の日、一件目で約束通りアリウスの衣服を購入したディミトリアは、二件目、三件目では、普通に彼女自身のショッピングをしていた。

男の悲しいサガで、好きな女と一緒に買い物に行くという行為に価値を見いだしてしまっているアリウスとしては、粛々とそれにお付き合いするだけだ。

それに、


(多分これも、儀式だよなあ)


魔術の行使の手順という意味ではなく、彼女が失恋から立ち直るための。その儀式に毎度立ち会っているアリウスは、彼女の中でどういう位置付けなのだろうか。


「アリウス」

「あれ、もう買い物終わったの?」

「とっくに。ご飯、行きましょう。今日は、奢るわ」



異変はすぐに起きた。大通りから外れた路地裏で、アリウスとディミトリアは破落戸に囲まれていた。正直なところ、大通りで絡まれた時点でそこから抜け出すことも容易かったのだが、市井の人々に万が一でも怪我を負わせたくなかったのと。

ディミトリアの様子が、眼鏡の男を目にしてからおかしくなったので、相手方に付き合うことにしたのだ。最近別れた浮気男らしい。


「ねえ、ディミトリア」

「…………ごめんなさい」

「うん、悪かったと思ってるなら、後でじっくり話聞くからな」


荒れ事は一瞬で終わった。



後処理は、通報があったらしく派遣されてきた騎士達に頼み、ついでにその場からいつの間にか逃げ出していたディミトリアの元恋人はいつになくやる気を漲らしていた精霊が追跡した。王宮勤めの文官が、失脚するのも時間の問題だろう。


「それで?」


結局、アリウスとディミトリアの行きつけの酒場で食事をすることになった。

いつになく、アリウスの声のトーンは低くなる。アリウスは酒で喉を湿らせた。


「すると、何?実際はあの浮気男、二股を持ちかけてきてて?」

「う、うん。それで、腹が立ってビンタした」

「金的蹴りあげろ。んで、プライドが傷ついたあの糞野郎は、逆怨みして、破落戸雇って」


あとは、あの有り様ということだ。アリウスの相手の男への怒りは、あまりのひどさに一周回って失せてしまう。

行き場のない感情は、ディミトリアへと向いた。


「お願いだから」


本当は、決して誰にも、とりわけ好きな女にはさらけ出したくない、アリウスの弱い部分が酒の力で噴き出ていく。


「もっとちゃんとしてくれよ。お前はあんなクズに引っ掛かったらだめだから。そうじゃないと」


これは、逆怨みみたいなものだ。だけど、アリウスの本心だ。


「お前が、そういう対象から弾き続けている男が可愛そうだよ」


アリウスがお酒を飲むピッチは落ちることなく、それに釣られたマリアも順調に容器を空け続けていた。


「いやー、私の男運流石にひどすぎ!」

「男運じゃなくて、男を見る目だよ!毎回毎回こいつだけはないわー、ってやつばっかり選ぶし!」

「えー、ひどーい。否定できなーい!」


お互いに怒鳴りあってるけど、それが楽しい。笑い声が先ほどから鳴り止まない。


「ねえアリウス、今日は飲むんだね」

「飲まなきゃやってられるか。あんなやべえ男見せられたあとに」

「そうね、次もっと強いの頼もうかしら」

「いいね、俺もそれにする」


閉店まで、飲み続けた。



「あれ、アリウスどこいくの?」

「なにって、かえるにきまってるでしょ」


アリウスが、マリアを支えてくれるが、相手も千鳥足も良いところなので、意味はほとんどない。


「ほんとだー、かえらないとね」

「だから、そういってるじゃん」


本当に帰ってしまうのか。マリアは、それは嫌だった。


「ねえ、かえりたくない」


子供みたいに、アリウスの服の袖をつかんでしまう。


「……なに、あほなこといってんの」

「本気よ」


だめなら、だめで良い。本当は全然良くないけれど。


「意味わかってる?おれ、今日は酒入ってるからとめられないよ」


望むところだ。きっとこれが、最後で最大のチャンスだから。

マリアはこくりと頷いた。すぐに手を引かれて、自分のものではない体温を、全身に感じた。


連れ込み宿には、目覚ましサービスというものがある。部屋に備え付けられたベルを、受付にいるスタッフが鳴らしてくれるのだ。

その音が鳴ったのは、今から寮に戻って身支度を整えても余裕をもって、騎士団の朝会に間に合う時間だった。


「あー」


マリアが目覚めたとき、隣には誰もいなかった。衣服も纏っていて、これは確実に。


「…………いたみもない…………」


やらかした。どっちかというと、やらかし未遂というか。多分、ここについてすぐに寝落ちしてしまった。

アリウスは先に戻ったのだろう。


「ああああああ」


申し訳ない。本当に。

頭を抱えてうずくまろうとしたところで、書き置きがあることに気づいた。


『さっさと酒抜いて、遅刻しないように戻ってくるように。あと、煽るだけ煽ってあれは、ちょっとひどいと思う』


そんなつもりはなかったのだ。結ばれるつもり、満々だった。本人がいないから、今更手遅れだが。


『ps 10年以上こんな女のことが好きな俺も大概趣味が悪いと思う』

「言い逃げ!アリウスの癖に!」


可能な限り早く寮に戻って、朝会前に一番大事な人を捕まえなければ。マリアは精霊を喚び出した。


◆◇

昨晩は、完全にペースを誤った。少なくとも、朝会の前日に入れる酒の量ではなかった。


「訓練中、吐くコースかなあ」

『二日酔いの特効薬だ』

「ありがとう、助かる…………なんでいるの?」


粉薬を受け取って、流れるように水で流し込んでから、異変に気づいた。


『我々精霊はどこにでも遍在する』

「聞きたいのはそういうことじゃないんだけどな」

『寮の前で待っていると、主より伝言だ』


ディミトリアがもう戻ってきたことに驚く。予想より、幾ばくか早い。


「ありがとう」


あの書き置きを見たディミトリアは、どう思ったのだろうか。

期待と不安がごちゃ混ぜになった気分で、部屋の扉を開いた。



ディミトリアの謝罪から答え合わせは始まった。


「昨日は本当にごめんなさい。眠るつもりはなかった。あなたに責任とって貰う気満々だった」

「もうちょい、誤魔化す感じの努力しようよ」


身も蓋もない。


「私ね、あなたが考えてるよりも、多分ずっとあなたのことが大事なんだと思うの」


マリアは、つっかえそうになりながら、言葉を紡ぐ。


「だから──」


最後まで言ってしまいたいのに、つっかえてしまう。心臓がバクバクうるさい。空気を求めて喘いでいると、それまで黙っていたアリウスが口を開いた。


「俺さ。知ってると思うけど、10年以上お前のことが好きなんだよ。俺もお前も、人間だから心変わりが絶対にないとは、言いきれないけど。俺、かなりしつこいと思うよ」


マリアの頬に、ポタポタと温かい滴が落ちた。


頬を濡らしながらディミトリアは、


「及第点あげる」


そういって、ぐりぐり顔をアリウスの胸元に押し付けてくる。


「鼻水はつけないで欲しいかな」

「つけないわよ!」


周囲には誰も人がいない。

アリウスは、ディミトリアの腰に手を回す。彼女もそれに応えてくれて。


二人の間の距離は、限りなく零に近づいた。

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