♪ ♪ ♪ ♪

 朝。

 ハナは前日と同様に夜明け前に目を覚ます。

 そして前日同様、花びんに活けられた花に小さくおじぎをして、二、三回瞬く。花の周囲をくるりと廻り、花びんのふちにちょこんと腰掛けると、花を眺めた。

 しかしすぐにはっとして、部屋のドアを振り返る。

 何かを警戒するようにじっとドアを見つめていたが、ほどなくしてドンドンと激しくドアが叩かれた。

「旅人さん! 早朝から悪いんだけどね!」

 ちっとも悪いとは思っていないのが伝わる言い方で大声を出しているのは、町長だった。

「へっ? な、なに?」

 ウタがベットから飛び起き、慌ててドアに目を向ける。ハナはそんなウタの目の前にふよりと近づき、なだめるように穏やかに瞬いた。

「旅人さん、ちょっと急ぎで大事な話があるんだがね!」

「は、はい?」

「すぐに出てこれるかね? 下の食堂で待っているから、出来る限り大急ぎで来てくれ!」

 一応それは依頼の形式ではあったものの、実質命令だった。

 ウタが返事をする前に、ドアの前にいた人物の足音が離れていく。

「……ええーっと、部屋に無理矢理押し入ってこられなかっただけでも、ラッキーだった、かな?」

 苦笑いで呟くともなくこぼすと、ウタはテキパキと身支度を整え、食堂へと向かう。

 朝早いせいか、食堂には食事をしている人の姿はなかった。

 かわりに、ウタに話があると言ってきた町長と、その隣で不貞腐れた様子のソンがいた。

「ワシの娘がずいぶんと世話になったそうじゃないか」

 ああ、そうゆうことね。

 ウタは荒々しいため息を吐きたいのをぐっとこらえる。

 ソンはウタを見ようとはせず、むくれて俯いていた。

「昨日は朝も晩も国歌を歌わず、帰って来てからも様子がおかしくてね。問い質してもなにも答えないで部屋にこもり切り。心配だったから部屋の様子をうかがっていれば、中から国歌ではない歌が聞こえてくるではないか……」

 ギリリと歯を食いしばり、町長がウタを睨む。

「旅人さん、うちの娘に歌を歌って聞かせたそうだな?」

「違います。歌を歌ったわけではありません」

「嘘を吐くな! 聞いたことのない歌を娘は歌っていた。全部お前から教わったと娘は白状したぞ!」

「私はハミングしただけです。歌は歌っていません」

 町長の目をしっかりと見つめ返し、ウタはしれっと言い切る。

「国歌も理解できんよそ者はこれだから……」

 ウタからまともに見つめ返された町長は、舌打ちをしてすっと目を反らした。

 逆にソンが驚いたように目を見開いてウタを睨む。

「嘘! あれは歌だった!」

「ごめんね。あれは歌のメロディーをハミングしただけで、歌というには不完全、かな」

「あれで不完全……」

 ショックを受けた様子のソンと、そんな様子のソンを忌々し気に見る町長。

「じゃあ、歌って。完全な歌、歌って!」

「ソン、いい加減にせんか!」

「パパこそいい加減にして! 国歌みたいなカビの生えた歌に執着するなんてどうかしてるよ! 一度でも国歌以外の歌を聞けば、絶対良さがわかるはずだよ!」

「ああわかるだろうな! どれだけ国歌が素晴らしい歌か改めてな!」

「なにそれ! いいよ! じゃあ、国歌以外の歌を聞いてもらおうじゃない! ついでに町のみんなにも聞いてもらって、それで判断するってことでいいでしょ⁉」

「あーいいだろうよ! それでお前の目が覚めるのなら安いものだ!」

 町長とソンが同時にウタをぎろりと睨む。

 思わず半歩後ずさるウタ。

「と、まあそうゆうことなので、いいですな? 今日の朝の国歌は取りやめて、あんたに歌を歌ってもらうということで、な? 旅人さん!」

「……町で国歌以外の歌を歌うのは禁止なのでは?」

「今回だけは特別だ。私が許可する。せいぜいワシと町の皆を失望させないよう、頑張ることだな」


「うん、確かに歌いたいとは思ってたけどさ」

 ウタは鐘のついた大きな建物の壇上に立っていた。

 ポケットからはウタを応援するかのような楽しそうな光が漏れ出ている。

 ウタは一つため息を吐くと、覚悟を決めた。

「乗りかかった船だしね。今回はとことんただ働きしましょうか」

 ソンは好意的な視線をこちらに向けているが、それ以外の町の住民は胡散臭そうにこちらを見ている。やりにくさはあるけれど、とにかくやれるだけのことをやるだけだ。

 ウタは心の中に浮かぶ風景――楽しそうに戯れる小鳥たち、湖に立つさざ波、灼熱の大地で踊るサラマンダー――をゆったりと手繰り寄せるようにして歌を歌う。

 私は歌という音楽を紡ぐ一つの楽器、そう自身に言い聞かせ、ただ働きをさせられる不満や不信の感情を一身に受ける緊張を一時的に外へ押しやる。

 ウタの歌が進むにつれ、町の住民の様子が徐々に変化していく。

 はじめは不信感を前面に出していたけれど、ある人はうっとりと目を閉じ始め、ある人は穏やかに体でリズムを取り始める。歌に心を預け、ゆったりと歌に聞き入っていく。

 町の住民の中で、確実に、国歌以外の歌に対する感情が変わりつつあった。

 もちろん、それはソンも例外ではない。

「違う! こんなの歌じゃない!」

 突然ソンが大声を上げる。

 驚いたウタは思わず歌うのを止めてしまった。

 唐突に下りた静寂の中、ソンの声だけが響く。

「こんなの歌じゃないよ! だって、秩序がない! 品行さがない! 厳粛さがない!」

 ソンは言いながら壇上に上がってきた。

 そして、ウタを押しのけるようにして中心に立つと、いきなり歌い始めた。

 それは国歌の歌詞をそのままに、ウタが歌った何曲かのメロディーを繋いで一つの歌の形にしたものだった。

 ウタの耳には、いくつかの不安定さや明らかに破綻した部分も聞こえてきたけれど、おおむね元の国歌よりも明るくハイテンポで、音程も取りやすいものに変化している。

 ソンが国歌の歌詞を乗せたオリジナルの新しい歌を最後まで歌い終えると、建物内はシーンと静まり返った。

 次の瞬間。

 町の住民からの賞賛が沸き起こった。

 ブラボー! 素晴らしい! なんて素敵な歌なの!

 その中には町の長も混じっている。

「ワシは娘を! ソンを! 心から誇りに思う!」

 ウタはそっと壇上を降りる。建物内部の人間は誰一人としてウタの動きには気が付かない。今や、町の住民の間には強い熱気が立ち込めていた。新しい歴史の瞬間が一つ生まれたという予感に、興奮しきっているのだ。

 ウタは宿屋に荷物を取りに行き、その足で町の外へ出る。

「これ以上の長居は無用だけど、惜しいことしたなあ」

 ポケットからふよりとハナが浮かび出て、ウタを手招きする。

 ウタがハナの後に続くと、やがて、

 ポーン

 と、地面から音がした。

 道だ。

「宿代、先に五日分も支払っちゃった。なのに、結局三日しか泊まらなかったなあ」

 町を振り返るウタの視界を塞ぐように、呆れた様子のハナがふよりと目の前に浮かんでくる。

「次の町では、多く宿泊料を払ったりただ働きさせられたり、やきもきすることなくのんびりしたいよね、ハナ?」

 ハナはおざなりに発光して、ウタのポケットにするりとおさまる。

 ウタは荒々しいため息を吐くと、よしと気合を入れて歩き出した。

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花と歌 洞貝 渉 @horagai

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