金田一 対 殺戮オランウータン

太刀川るい

檻の中

「なるほど、なかなか良いところですね」


 その男はそう言いながら薄暗い研究室に入ってきた。私は顔をそむけて聞こえていないふりをする。

 随分と貧相な身なりの男だった。小柄の痩身を和服に包み、モジャモジャとした雀の巣のような頭には形の崩れたお釜帽を被っている。セルの袴の裾を直すと、その男は私のすぐそばの椅子に座り、周囲をゆっくりと見渡した。


 様々な実験器具が並んでいる様子をしばらく興味深げに眺めていたかと思うと、その男は私に向き直ってこう切り出した。


「警察の方から聞いたのですが、ここは猩々屋敷と呼ばれているんですってね。それもなかなかおもしろい由来があるそうですよ。まあご存知だとは思いますが……」


 人懐っこそうなニコニコとした笑顔を浮かべてその男は話し続ける。


「戦前、ここの屋敷はとある豪商の持ち主でしてね。これが中々好き物で、猩々、つまり今で言うオランウータンを飼っていたそうですよ。

 私も応召されてた時分、南方でちらりと見かけたことがありますが、手が幾分長い所を除けば、随分と人間に似ている。

 それなりに大事にしていたそうですが、ある日のこと、知人を集めたパーティで、ふとそのオランウータンに仮装をさせようという話になった。そこで当時新聞を賑わせていたとある事件を真似て、オランウータンに鉢巻をつけさせ、そこに角のように懐中電灯を差し込み、洋服を着せて、胸からナショナルの懐中電灯を下げさせて、会場を歩かせたそうです。

 ところが、よせばいいのに、事件を真似て猟銃を持たせたそうなんですね。それもなにかの間違いで弾が籠められていた。それが突然暴発したものだから、オランウータンはパニックになって暴れまわり、ご婦人方に怪我を負わせた上そのまま逃げ出してしまったと。幸い死人はでず、オランウータンの方は後日村の住民で山狩りを行って結局殺処分されたそうですが……。

 そんなことがあったもので、山根博士夫妻がここに引っ越してきて、実験に使うとオランウータンを飼い始めた時、誰もがその事件を思い出して内心穏やかではなかったとそう聞きました。そして今回の事件と来れば、誰もが薄々猿を疑ったわけです」


 その男は言葉を切ると、横目で私を見た。なるほど、話をしながら私のことをじっくりと観察しているのだろう。私は逆にその男を正面から見返してやる。


「しかし、奇妙な事件でした。せっかくなので、今回の事件をおさらいしておきましょうか。被害者はこの屋敷に住んでいた山根博士夫妻。夫はリビングで、妻はそのすぐ近くで死んでいた。発見されたのは死後二日ほど経ってから、郵便局員が蝿に気がついて中に入ったのが原因です。妻は撲殺されていましたが、夫の方は奇妙でした。なにしろ首がなかったわけですからね。首がない死体と来れば、当然入れ替わりを疑うわけですが、意外にも首はすぐ近くで見つかりました。中庭に何かを燃やした後があり、そこに頭蓋骨の破片が見つかりました。歯型からは夫で間違いないということが分かっています。つまり、犯人はわざわざ首を切断して中庭で燃やしたわけですね。さらに奇妙なこととして頭蓋骨はめちゃくちゃに叩き割られていました。下顎が残っていたので鑑定はできましたが……一体なぜ犯人はそんなことをしたんでしょうねぇ」


 そう言うと、その男は心底嬉しそうに頭をバリバリと掻きむしった。


「ガラスは割られており、そこから誰かしらが出入りした形跡はあります。一応屋敷内は荒らされていますが、物取りの犯行にしては妙に手慣れていない。さらにいかにも価値のありそうな、夫人のネックレスなどにも手がつけられていない。ですから、怨恨で行った犯行を物取りに見せかけたのだろうというのが、まあ一般的な見方です。しかし、物取りの犯行に見せかけるなら、どうして犯人は首を切断したりしたのか。そうせざる理由があったのか……ここがわからない。


 ところが、この問題を説明できそうな事実が一つ浮かび上がってきました。山根博士と夫人の死亡推定時刻ですが、山根博士の方が一日ほど早かったんですね。ということで、警察では目下のところこう考えています。

 山根博士を殺したのは夫人であり、怨恨から首を切断して燃やした。所が協力者、仮にXとしましょうか。それと仲間割れをし、夫人は撲殺される。協力者は家を荒らして物取りのように見せかけて……逃げる。

 なかなか筋が通っています。しかしこれでもおかしなところがある。まず繰り返しになりますが、金目のものが取られていないこと。物取りの犯行にみせかけたいのであれば、貴金属類をポケットに入れるぐらいの頭は働くはずです。さらにもう一つ、とても些細なことですが、


――オランウータンの檻の鍵。それがどこにもないそうなんですよ」



 男はじっと私を見つめた。しばし沈黙が研究室に流れる。それで……その鍵とやらがどうして重要なのだ?私はよっぽどそう言ってやりたかった。


「私は昔、怪獣男爵と名乗る男とやりあったことがありましたね」


 怪獣男爵! その言葉に私は内心どきりとする。悟られていないだろうか。


「嘘か真か、その男はゴリラのような人間のようなそんな生き物をどこかしらから手に入れて、そこに自分の脳を移植することに成功したと。

 今の時代では笑い飛ばされそうな話ですが、私は一度間近で彼をみたことがあります。たしかに人間とは思えない風貌でした。彼が行方をくらましてから随分と経つわけですが……。

 まあそれはともかく、彼は戦前、世界的にとても有名な生理学者だったので、多くの助手や弟子を持っていた。そこでなのですが、もしかしてその……そ、その……ふふ、ひ、秘密をですね。誰かに伝えていたとすれば……」


 喋っている間に興奮してきたのか、その男はどもりつつバリバリと頭をかきむしる。


「その秘密を持っている人間がまだこの世の中にいるのではないか――こうは考えられないでしょうか。突飛な考えですが。つまり、犯人が金目の物を持っていかなかったのは、外に逃げるわけにはいかなかったからです。つまり犯人は最初からずっとこの屋敷内にいる……」


 私はわざとらしく顔を背けた。この男の挑発に乗ってはいけない。だが、全身を覆う赤茶けた毛はぞわざわと逆立ち始めている。どこまで見抜いているのだろう。



 研究室を再び静寂が包んだ。私は檻を掴むと、大きくあくびをしてみせた。頭の傷がまだ痛む。大丈夫だ。この男に分かるはずがない。無関心を装うのだ。


「山根博士は高齢です。知り合いの話によると、持病があり、自分でももう長くないと言っていたそうです。そんな博士が怪獣男爵の残した秘密を知れば……試してみたくなるのは当然のことではないのでしょうか。あなたは、手に入れたオランウータンの体に、自分の脳を移植させた。移植したのは奥さんでしょう。夫人もそこそこ名の通った医学者ですからね。

 ところが、その後何があったのかは知りませんが、あなた方は仲間割れをした。この偉大な実験を公表するかで揉めたのかもしれませんね。あなたは夫人を撲殺してしまう。そこであなたは困った。急いで物取りの犯行にみせかけようとしたが、あなた自身の死体だけはどうにもならない。脳が取られている死体なんて目立ちすぎますからね。だからあなたは自分自身の首を切断して、それを燃やすことで証拠の隠滅を図った。丁寧に頭蓋骨を叩き割ったのは切開の後を隠そうとしてのことなのでしょう。死体を外に隠しに行くことはできなかった。そう、今のあなたは目立ちすぎますからね。頭に包帯を巻いたオランウータンなんて見つかった日には、死体を隠すどころではなくなる。残る問題は鍵です。あなたは檻に入り、自分で鍵をかけることにより殺害事件に無関係を装った。しかし、そうした以上、あなたはまだ鍵を持っていることになる。さて、どこでしょうか。包帯の中か、それとも口の中か……」


 私は檻の上部に手をかけると、そこからぶら下がった。この体にはこの姿勢が向いているらしく、随分と楽だった。こうなれば根気比べである。この男だって、四六時中私を監視しているわけにもいくまい。鍵を処分する機会はいつでもある。このまま言葉が解らないふりをして乗り切るのだ。

 だが、その男は私の様子をしばらく無言で見ていたと思うと、ゆっくりと切り出した。その言葉に思わず私は焼いた鉄串を頭から打ち込まれたような衝撃を受けた。


「なるほど、そうやって黙ってただの猿のふりをしていれば、解らないというわけですね。ですが、あなたは自分の奥さんのことを甘く見ていたようです。夫人は聡明な方です。犯人はあなただというヒントを一つ残してくれましたよ」


 新しくなった心臓が早鐘のように鳴り響いているのが分かる。まずい、何か見落としがあっただろうか。めまいにも似た感覚が襲ってくる。私は檻の上部から手を離すと、地面に座り込んだ。長い毛の下が汗でぐっしょりと濡れはじめた。


「この部屋に鏡がないのは失敗でしたね。いや、鏡があっても自分の後頭部を見ることは難しいですね。あなたの頭の包帯、その後ろに……」


 その男はそこまで言いかけて言葉を切ると、勝ち誇ったようににっこりと笑った。その瞬間、私は彼の仕掛けた罠に気が付き、思わず息を飲んだ。


「自白と見て、良いんでしょうね」


 私の右手は知らず知らずのうちに頭の包帯に伸びていたのだ。

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金田一 対 殺戮オランウータン 太刀川るい @R_tachigawa

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