ユデンの東

猫屋ちゃき

ユデンの東

 少しぬるい風が吹いて、ウミは日没が近いのだと悟った。

 砂地の夕暮れを感じるのは、いつもこのぬるい風がきっかけだ。人が暮らす集落のほうはさほどないが、そこから少し離れた廃墟の多い砂地へ来ると、太陽がジリジリと焼きつけてくるのを常に感じるのだ。それが夕暮れどきになると緩むから、建物の中にいても時間の経過を把握することができる。

 

「どうしようかな……」


 足元に積んだ書籍の山を見て、ウミは悩んだ。十分な量ではあるものの、もう少し欲しいと思ってしまう。まだ背中のリュックに余裕はあるし、浅いところを掘り出す時間くらいならありそうだ。

 日頃はもっと流用できそうなパーツだとか金属片なんかを採掘しているが、最近ニホン語で書かれた書籍を欲しがる人間とつながりができたから、今日は本があると噂のここまで足を伸ばしてみたのだ。

 ウミには本の価値なんてものはわからない。だから当たりを引いたという確証も得られないから、なるべく数をたくさん持って帰りたい。

 スケベな本ならなお高値で引き取ると言われたから、この前は人間が絡み合った絵が表紙のものを持ち帰った。それなのに、男同士の内容だったらしく、あとから文句を言われた挙げ句ちょっと返金を求められた。だから、今回は絵が入っていない本ばかりだ。スケベじゃなくても本ならとりあえず喜ぶ奴だから、こっちのほうが平和的だ。


「ウミ、やっぱりここにいたのか」


 砂に埋もれた本を引っ張り上げていると、そんな声が聞こえた。驚いて視線を上げると、廃墟の入り口に立つ人影が。

 沈む太陽を背にして立っているから、暗くなってパッと見では顔がわからない。黒い、黒すぎる。そのことを認識してようやく誰なのかわかった。


「オイル! またひとりでこんなとこ来たの?」


 ウミは手早くリュックに書籍を詰めて、人影に近づいていった。

 オイルと呼ばれたのは、褐色の肌の青年だ。このへんの地域にはウミのように黒髪に薄いオレンジ色の肌をした者が多く暮らすから、その中にあってオイルの乾いた木のような肌の色はめずらしい。おまけに彼は、髪が銀色だ。


「夜までに帰り着かないと、寒いだろうと思って羽織るものを持ってきた」

「は? あたしの心配? ……ありがと」

「この前も夜になって帰ってきて寒がっていただろ? 遠出をするなら俺を連れて行くか、羽織るものを持っていってくれ」

「いや……うん、わかった」


 一体どの口が他人の心配をする言葉を吐くのだと呆れたが、ウミはそれを飲み込んでごちゃごちゃした色の織り物を頭から被った。いろんな繊維の寄せ集めで着心地は最低でも、不思議な暖かさがある織り物だ。


「オイル、ここまで歩いてきたの? 誰か案内してくれた?」

「自転車で。場所をしっかり聞いたからひとりで来られた」

「自転車ぁ? 買ったの?」


 オイルの言葉に驚いて廃墟から飛び出したウミは、相棒の隣に並ぶボロボロの自転車を見て絶句した。これでどうやってここまで走ってきたのか、激しく疑問だ。


「こんなほっそいタイヤで、よくここまで走ってきたね」

「しょっちゅう沈み込んで、なかなか進まなかった。歩いたほうが速いんじゃないかと思ったくらいだ」

「そりゃそうでしょうよ……今度大きいタイヤ見つけてきて、交換してあげる。やっぱりね、砂地を走るにはこれくらいタイヤが太くなきゃ」


 ウミが相棒を指さして言えば、オイルは眩しそうに目を細めてそれを見た。よほどウミの乗り物が羨ましいのだろう。

 ウミの相棒、自慢の自転車は、パーツをひとつひとつ探して集めてきて、こだわって組み上げたものだ。タイヤも気に入る太さのものが見つかるまでかなり粘って探したものだから、砂地もわりとスイスイ走る。


「心配してくれるのは嬉しいけどさ、あんたをサルベージしなきゃいけないのはごめんだよ。だから、勝手に追いかけてきちゃだめ」


 自転車を押しながら歩きだすと、オイルも同じようにしてついてきた。しょぼくれている。よほど自転車に乗りたいようだ。


「ウミが一言告げて出かければ、こんなことはしない。教えてくれたら、最初からついていく」

「……だから、ついてくんなって言ってんの」


 自転車を押しながら、ふたりは瓦礫と砂埃の中をいく。

 この瓦礫は大昔、背が高かったり横に大きかったりする建物だったそうだ。だが大きな、とてつもなく大きな戦争が起きて、すべて壊れてしまったのだという。

 人もたくさん死んで、いろんなものが壊されて、生き残った人たちは崩壊した世界で細々と暮らすしかなくなった。

 崩壊前を知る人たちはすごく苦しかったらしいが、それを直接語る人たちはもういない。

 崩壊後三世などと呼ばれるウミたちは、過去の遺産を掘り返して、知恵ある者が研究して、何だかんだ楽しく暮らしている。

 ウミはサルベージ屋を営んで、パーツを採掘してきては売りさばいて生活している。

 サルベージとは昔の言葉で沈没船から荷物を引き上げる、もしくは海難信号を意味する。その言葉の通り廃墟や瓦礫の山から使えるものを掘り出してくるし、どこそこで人が迷子になったと連絡を受ければ救助に向かうのだ。

 オイルも、砂地で倒れているところを発見して助けてやった。それ以来、どこからかやったきたらしいこの不慣れな探索者は、ウミにすっかりべったりだ。


「そういえば、オイルの捜し物は見つかった?」


 出会ったときに、オイルは捜し物をしてこのあたりにたどり着いたと言っていた。面倒事に巻き込まれるのも御免だし、詳しく聞かないのもある種のマナーだ。だからこれまで聞かずにいたが、こう付きまとわれては放置もできない気がする。


「ひとつは見つかった。だが、もうひとつがまだだ。近いところには来てる気がするんだが」

「そっか。まあ、力になれることがあったら言って」


 水を向ければ何か話してくれるかと思ったが、相変わらず抽象的な答えしか返ってこない。それでも尋ねられたことは嬉しかったのか、整ったその顔に笑みを浮かべている。

 

「それなら、今から一緒に串焼きを食べに行ってほしい」

「串焼きぃ? ……いいや。だって、肉って、砂ミミズの肉でしょ?」


 狩りをする者たちもおり、彼らが狩ってくるものを仕入れて料理をふるまう者たちもいる。配給品だけでは味気ないと多くの人たちに喜ばれているが、肉の正体を仕事中によく見かけているウミとしては、どうにも食べたいとは思えない。


「食事は配給の栄養剤だけでいいよ。おいしくなくても生きていけるし」

「それなら、どうしてウミはこんな時間まで仕事をしてるんだ? お金をたくさん得て、肉を食べたいのかと思っていたんだが」

「お金がほしいのは間違いないんだけど、別にお肉が食べたいわけじゃないんだよ。遠出したいの、遠出。ちょっと噂に聞いた病院跡地に行きたいんだけど、遠いんだよね。だからさ、馬車をチャーターするお金がほしくて」


 言ってから、ウミはしまったと思った。何かとべったりしてくるオイルは、きっと遠出を嫌がるだろう。邪魔はしないだろうが色々言われたり、ついてこようとされるのは困る。


「そういえば、薬を探していると言っていたな。だから、病院跡地か……わかった」


 話しながら歩いていたら、いつの間にか集落の入り口まで来ていた。オイルといつも別れるところだ。彼はどうやら、拠点を集落の外に持っているらしい。


「わかったって、何が?」

「ウミが病院に行きたいことを把握した、と言っているんだ。何か情報が入れば伝える。だから、勝手に行動するなよ」

「え、あ、おやすみ」


 言うだけ言って、オイルはさっさと背を向けて行ってしまった。ウミは慌てて手を振って、しばらくその背中を見てから集落へ戻った。

 日が落ちても、集落の中は明るくてウミは帰ってきたのだと実感する。夜を明るくするロウソクとマッチも、配給品だ。たまにちょっと金持ちがランプなるものを光らせていることもあるが、特別な日にとっておけと笑われている。

 その昔は電気で町を明るくして、電気があらゆる便利を担っていたらしい。だが今は、電気は栄養剤を作る工場群だとか一部の研究施設だとかで限定利用されているだけだという。

 電気の明るさや便利さに対する憧れはないが、電気があれば直ちに救える命があるのだろうと思うと、複雑な気分になる。


「スマホじいちゃん、今日は加減どう?」


 自分の拠点に帰る前に、ウミはテントのひとつを覗いた。集落の人々は簡易な小屋か支柱に布をかけたテントで暮らしているのだ。


「ウミか。わしは、まあまあだな。何か収穫はあったか?」


 ウミの声に応えて、テントの奥から顔色の悪い老人が出てきた。その姿にウミは不安になるが、あえて笑顔を浮かべる。


「今日は本をあさりに行ってたんだ。あたし、字が読めないから当たりか外れかわかんないけど」

「ニホン語の本か。どうせ頼んだのはナカノだろう。せっかくだからナカノから読み方を習えばいいじゃないか」

「やだよ。それに、読むのがナカノの仕事だろうし。いらんことして誰かの仕事を減らしてもね」


 何かに特化していたほうが、この世界は生きやすい。その特化した部分が金になるからだ。スケベな本を欲しがるナカノは字が読めて、スマホじいさんは情報収集がうまい。何もないウミは身体を張ってサルベージ屋をやるのが精一杯だ。


「そういえば、オイルとは会えたかい? またウミのことを探しとったみたいだが」


 ニヤッとしつつ、スマホじいさんがオイルのことを口にした。一度ウミが彼を助けてから懐かれているのを、なぜだかじいさんは勘違いしているらしい。


「会ったよ。あいつ、ふらふら勝手についてきたりして、また行き倒れたいんかな」

「優しくしてやれ。ウミとオイル――喪われたものを名前に持つ者同士、何か縁を感じるじゃないか」


 意味深な笑みを浮かべて、たしなめるようにじいさんは言う。

 そんなのただの習慣じゃん、という言葉は飲み込んだ。崩壊後、世界からすっかり喪われたものを子供の名前につけるのが脈々と続く習慣になっているのだ。

 ウミもオイルもそうだし、スマホもそうだ。たまにナカノみたいなわけのわからない名前の奴もいる。ナカノの父親はアキバというから、なおさらわからない。


「近々病院だったところを探索してくるからね。薬、持ち帰ってくるから。それまでちょっとだけ辛抱しててね。オイルも一緒に来るってさ。じゃ、おやすみ」


 スマホじいさんは疲れている、早く休ませてやらなきゃいけない――そう思って、ウミはテントから辞した。

 あとどれくらい持ちこたえてくれるだろうかと考えると、夜中に叫びたくなる。

 血縁者ではないが、ウミにとってじいさんは大事な人だから。

 父は汚染された海を目指して帰って来ず、母はそんな父を待つために海が見える場所の救心院などというところに勤めている。他人の心を救おうとはするが娘のことを見ないから、ウミはある程度年齢がいくとひとりで生きてきた。

 曽祖父にあたる人から幼いときに聞いた遺跡だとか採掘だとかの話に憧れて、サルベージ屋になった。そのときに有益な情報をたくさんもたらしてくれたのが、スマホじいさんだった。

 こういったものを取ってくれば喜ばれる、それはどこそこにある、などという生きていくために必要な情報だ。

 その恩を返したいと思っているのだが、残された時間を思うと気持ちが焦る。



 それから数日経って、さほど遠くない場所に病院だったと噂の場所があるという情報が入った。

 それをもたらしたのは、オイルだ。

 いろいろ気になることはあるが、ウミは大喜びで彼の分の自転車を用意して、あっという間に出発の用意を整えてしまった。


「見て。太いタイヤが手に入らないなら、二本くっつけたらいいってことに気づいたの! ……まあ、仕上がり不安だからあたしが乗るけど」


 じゃーんと言ってウミがオイルに見せたのは、四輪の自転車だ。一本だけでは細いタイヤも、二本並べればそれなりの太さになる。これで太いタイヤと同じくらいの走行性能を出せればと考えたのだが、少し自信がない。

 だから今日は、相棒をオイルに譲ることにした。


「いいのか? 俺がこれに乗ってしまっても」

「いいよ。そっちなら安全性は保証済みだから。こっちは……調節しながら走るよ。大した距離じゃないし」

「そうか。じゃあ、行こう」


 ウミとオイルは静かに走り出した。

 向かうのは、近いが日頃あまり行かない地域だ。かつて個人の家が建ち並んでいたという住宅街があった場所。そういった場所は損壊が激しいし、何よりあらかた物を取り尽くされている印象だ。

 だが、たまに思わぬ見つけものもある。多くの人に価値がないと捨て置かれた場所に、捜し物が見つかることがあるのだ。


「オイル、どうしてついてくんの? 場所を教えてくれただけで助かるのに。てか、情報だってタダじゃなかったでしょ?」


 どうしてあたしを気にかけるの、どうしてあたしにこだわるの――様々な言葉を飲み込んで、ウミは尋ねた。

 

「ウミが薬を取りに行くのと同じだ。ウミはじいさんに感謝してるんだろ。俺もウミに感謝してる。だから力になりたいし、勝手にどこかへ行かないでほしい。何かあっても、手の届かない場所にいては助けてやれないから」


 ウミの相棒を乗りこなしつつ、オイルはさらっと言う。

 この前本を届けに行ったとき、ナカノがニヤニヤしながら「ウミたん、口説かれてんじゃないの」と冷やかしてきたが、この涼しい顔を見れば断じて違うと言える。

 それにこんなに顔が整っていて、どことなく身なりがきれいな男が、わざわざ自分のような小汚い女を口説いているだなんて微塵も夢見ることはできない。

 オイルは集落の人間たちとは違う、というのは早い段階で気がついていたことだ。それは彼が余所者だからという排他的考えに基づくものではない。

 線を引くのは彼のほうであって自分たち側ではない、と感じている。


「そっかー。じゃあいつか、あたしが伝説の遺跡を探しに行くときは連れてってやらなきゃいけないわけね。そのときまでに自転車をもっとちゃんとしなきゃな」


 とりあえずオイルからのまっすぐすぎる感情は、友情ということで片付けておくことにした。恩や義理なんてものより、友情のほうが素敵だから。

 それで正解だったのか、オイルも笑顔を返してくれた。


「伝説の遺跡? それは、どういうものだ?」

「何か、ひいじいちゃんが言ってたんだ。ユデン? とかいう場所に、みんなが幸せになれるものが埋まってるって。嘘だって言われてたけど、あたしは信じてあげたい。だから、いつか見つけ出したいんだー」

「そうか。……ウミはその遺跡を見つけたら、どうするんだ? 宝が欲しいのか?」

「え……信じてくれるの?」


 笑われたり心配されたりという反応に慣れてしまっているから、その質問は意外だった。みんな、ないこと前提で話すのだ。だから、あること前提で話を聞いてもらったことに驚いてしまう。


「お宝独り占め、とかに興味はないんだ。むしろ、遺跡はあってもひいじいちゃんが言うみたいなお宝はないと思う。あったら、とりあえずそれをどう利用したらたくさんの人たちが幸せになれるか考えるなあ」


 遺跡だから探すのであって、宝があるから探すのではない。だから、こんなふうになぜ探すのか尋ねられると、そこにある子供じみた感情を見透かされたようで少し恥ずかしい。


「富を分配する、か。ウミらしいな」

「いや、だって、お宝はいらんでしょ。お腹空いてないし、仕事道具の維持にかかるお金は仕事で何とかなってるし。……こんな世界で、金とか宝石とかあって何になるっての。それより、ドカーンとみんなを幸せにできるものが本当に埋まってたらいいなと思うよ」

「そうか。そんなふうに考えられるのか」


 夢を語っても笑われなかった、馬鹿にされなかった――そのことに喜びを感じながら、そのあとウミは自転車を黙々とこいだ。オイルも、どこか満足そうな笑みを浮かべて隣を走っている。

 遺跡にロマンを感じる奴なんだなとか、なかなか熱い奴なんだなと思うと、ウミはオイルを友達として認める気になった。行き倒れのくせにどこにでもついてきたがるのは困りものだが、そこはウミが友達としてどうにかしてやるしかない。

 

「ここだ。古い地図だと、このあたりに小さな町医者の営む病院があったらしい」


 しばらく走って、オイルが自転車を停めた。続いてウミも停まる。

 瓦礫と乾いた砂の匂いがする場所だ。市街地だった場所とくらべると瓦礫の山も小規模で、サルベージ屋としたらあまりときめかない。

 だが、ここに薬があるというのなら掘るしかないのだ。


「……何か、足の裏ジャリッていったよ」

「たぶん、瓶とかが割れたものだろう。やたらあるな……薬の瓶か」

「てことは、病院説が濃厚だね。割れてる中から無事なものを探せるかもしれない」


 格安で手に入れた左右ちぐはぐの手袋をはめて、ふたりは瓦礫の山をあさり始めた。

 大きめの建物を調べるときは、探索に近い。まだ崩れつつも建物としての形状を保っているから、入れる場所を探して中を見て回るのだ。

 だが今は、大きく開けた場所で、細かい瓦礫の下を探っている。曽祖父に聞いた化石の発掘調査みたいだなと、ウミは思った。

 はるか昔に死んだ生き物の死骸を、大昔の人たちは掘り返して大事にしていたらしい。化石から得られるのは、かつてその場所でどんな生き物が暮らしていたかという情報だけ。それが誰かのお腹を満たすわけでも身体を暖めるわけでもないのに、大昔の人は大事にしたのだという。

 化石の価値は未だにわからないが、掘り出すときの気分は少しわかったかもしれない。たぶん、こんなふうに祈るように地面を掘ったのだろう。


「思ったより、集まったかな。役に立つものがあればいいんだけど」


 掘り出したものをリュックに詰めて、ウミは満足げに笑った。期待していなかった分、本当に薬が手に入ったということが嬉しい。


「薬なら何でもよかったのか? 俺も瓶に書かれた文字が読めないから、わけもわからず集めていたが……」

「何でもいいわけじゃないけど、持って帰れば選択肢が増えるでしょ? 選択肢って、可能性だから」


 これでスマホじいさんが生きられる可能性が高まるんだ――嬉しくなって、得意になって、ウミは帰りも自転車をこいだ。疲れたのか、オイルはあまりしゃべらなかった。

 わりと近場だったから、朝から行って夕方には戻ってくることができた。

 夕方は、外から帰ってきた人たちの活気も加わって、集落がもっともにぎやかになる時間帯だ。

 今日もいつものように、人々が行き交っている。

 だが、集落に入って少し歩くと、それがにぎやかさではなくざわめきなのだとウミは気がついた。そしてそのざわめきが、スマホじいさんのテントに近づくにつれて大きくなるのを感じた。


「どうしたの? みんな集まって……」


 人混みをかき分けそう声をかけると、そこに集まっていた人々が一斉にウミを見た。そして一様に顔をしかめ、中にいるスマホじいさんに視線を戻した。

 その時点で、嫌な予感はしていた。

 スマホじいさんは、そんなふうに人が囲むような人物ではなかったから。

 情報通で親切で、たくさんの人たちに慕われていた。だが、たくさんの人に囲まれてワイワイするというより、じいさんとの付き合いはもっと密やかなものだった。

 顔を合わせれば、二言三言会話をして去っていく。何かじいさんの気に入るものがあれば差し入れする。みんな、そんなふうにじいさんの生活を脅かさないよう、静かに過ごせるよう配慮していたのだ。

 それなのに今は、無遠慮に囲まれ、その姿を黙って見つめられている。

 こんなのいつものスマホじいさんなら、絶対に嫌がるはずだ。

 それがわかるから、もうウミは何が起こったのかわかっていた。

 だが、誰かが言葉にしなければならないと思ったのか、ひとりの男性が口を開いた。


「ウミ、よく聞いてくれな。……じいさん、死んだんだよ」



 その次の夜、ウミは自分の拠点で泣いていた。

 亡くなった日の夜、スマホじいさんはあっけなく焼かれてしまった。人が死んだら焼く。そのあとは共同墓地に埋葬する。それがここのルールだ。そこに異論はない。

 ただ、あまりにもあっけなく失われて、あっけなくこの世界からいなくなってしまったということに、ウミは打ちのめされていた。

 それに、誰かが悔しそうに言っていた言葉が耳に残って離れないのだ。「電気さえあれば、設備のあるところに行けば、助かっただろうに……」と言っていたのだ。

 スマホじいさんの症状は、かつては救えるものだったらしい。今も、特定居住区と呼ばれるところでは助かるものらしい。

 だが、世界は分断されている。ウミたちは捨て置かれた人類だ。あとは滅びるだけだと、選ばれたごく一部の人間たちに放っておかれた種類の人間たちだ。

 とはいえ、自分の目で確認したわけではないから、ウミはそれをまるまる信じているわけではない。おとぎ話みたいなものだ。ないものを信じて心の支えにするならいいが、それが絶望につながるのならないものだと思ったほうがいい。

 だが、それでも、電気があればと嘆きたくなる気持ちはわかる。設備が、病院が、ウミたちの生活の中にあればと。


「ウミ、いるか? 俺だ。オイルだ」


 ただ泣き濡れて夜を過ごしていると、戸を叩く音と声が聞こえた。ずいぶん遅い時間だと思ったが、声も話し方も聞き慣れたオイルのものだったから、ウミはよろよろ立ち上がって戸を開けた。


「……オイル、どうしたの?」

「お前がひとりで泣いているのではないかと思って、きてみた。やはり、泣いていたんだな」

「うん。泣かないわけがないよ。大事な人がいなくなっちゃったんだから」


 オイルがごく自然に抱きしめてきたから、ウミもその腕にすがりついた。きっと、友達を慰める手段をほかに持たないのだろう。だから、その友情に思いきり甘えておくことにした。

 ウミがそうして素直だったからか、オイルは子供をなだめるようにポンポンと優しく背中を叩いてくれた。ウミもしばらく子供に戻ったつもりで、しくしく泣いた。


「今日は、お前に大事な話をしに来たんだった。俺の捜し物がようやく見つかったと、ウミに伝えたかったんだ」


 気が済むまで泣いて、嗚咽がようやく収まった頃。

 不意に真剣な声音で、オイルが話し始めた。

 驚いて、彼の言わんとすることがわかって、ウミは顔を上げた。


「見つかったんだ。よかったね! じゃあ、ここを発つ?」


 オイルもいなくなってしまうのかと、そう悟った。スマホじいさんを亡くして泣いていないかと確認にきたのは、自分がいなくなったあとウミがやっていけるか気にかけてくれたのだろうと。

 薄暗がりの中、オイルはそっと頷いた。


「もうすぐ発つつもりだ。だから、ウミも一緒に来るかと聞きに来た」

「え? あたし? どうして?」

「俺は、お前が好きだ。俺のひとつめの捜し物、それは生涯の伴侶だ。ずっと一緒にいたいと思える者、共に歩んでいける者、それを探していた」

「好き? 伴侶? えー……」


 突然の告白に、ウミは戸惑った。これがいわゆるプロポーズなのだとわかると、ますます混乱する。だが、冗談だろうと茶化すには、オイルはあまりに真剣だった。


「俺は本気だ。ふざけてこんなことは言わない。一緒に生きていくのはウミしかいないと思っているし、俺が先祖代々引き継いできた役目を共に果たせるのも、ウミしかいないと思っている。だから、俺のことを好きなら、一緒に来てほしいんだ」

「オイル……」


 抱きしめるこの腕の意味が違うのだと、ようやくウミは理解した。ここにきて、スマホじいさんやナカノが冷やかしていたことも、実感を伴ってわかった。

 わかっても、嫌な気分にはならない。振りほどこうとか逃げ出したいとか、そんな気持ちにもならなかった。

 ただただ、向けられた想いに対して戸惑っている。


「……ここで断ったら、もう二度と会えない?」

「そうだな。潔く、去らなければならないだろう」

「だったら行く。今ここでついていくか二度と会えないかしか選択肢がないとしたら、あたしはついていくことを選ぶ。それが、あなたへの気持ちの答えだと思うから」


 好きとか嫌いとか、そんなことはウミにはわからない。考えて生きてこなかったから。そんなものが必要になるなどと、考えたこともなかったから。

 だが、この離れがたさを恋だと呼ぶのなら、それでいいと思う。ほかの誰のことは笑って見送ることができても、今ここで、永遠に、オイルの手を離すことはできないとウミは思ったのだ。


「じゃあ、行こうか」


 ウミの手を取って、オイルは言った。明確に目指す場所がある口ぶりだ。本当に今ここで出発なのだとわかって、ウミは慌てた。


「今? すぐ? どこに行くの?」

「俺がずっと探してた場所だ。父も祖父もたどり着けなかった、俺たち一族が守るべき場所。おそらく、ウミが探していた場所と同じだと思う」

「それってユデンのこと? 遺跡のこと、何か知ってるの?」


 どこへ行くのでもついていこうと思っていたものの、それが遺跡となるとより嬉しい。だが、嬉しいよりも驚きのほうが勝る。


「たぶん、間違いなく。ウミの言う楽園かは、わからないが」


 スタスタと迷いなく歩いていき、オイルは集落の近くのガラクタの山までやってきた。使えるものは取り尽くして、あとに残るのは錆た金属クズの山。その山の中に手を入れ、何かに触れると、唐突にその山が割れた。

 山が割れ、崩れ、地面から何かがせり上がってくる。それは流線型の美しい形をした、大きな物体だった。鳥が大きく翼を広げたみたいな形をしている。


「……なに、これ……」

「怖がる必要はない。これは乗り物だ。これに乗って空を飛んで、目的地へ向かう」

「乗り物? 空を飛ぶってどういうこと?」

「崩壊前の世界の技術だ。はるか昔、人は空を飛ぶ技術すら持っていたそうだ」


 オイルは落ち着いた様子でそれに乗り込んだ。ウミもここで置いていかれてはいけないと、おっかなびっくりあとに続く。

 危険がないように身体を拘束され、椅子に固定された。それから、オイルが何かを操作して、その乗り物とやらは静かに動き出した。


「俺の先祖はこの乗り物と、自分たちが守るべき場所の情報を世界のどこかに隠したと言われていた。子孫である我々がすべきことは、その情報を見つけ出すこと。もうひとつはその情報を分かち合い、世界のために利用できる伴侶を見つけることだったんだ」


 乗り物が移動する間、オイルは自らのことを語った。

 自分が何かを守る一族だということや、祖父も父も正解に限りなく近いところまでたどり着いていたこと。一族が守るものが莫大な資源であり、それは人類にとてつもない変革をもたらすものであることまでわかっているのだという。

 おそろしい速度で移動する乗り物の中で、ウミはその話を夢物語のように聞いた。オイルが嘘を言っているだなんて思わないが、にわかには信じられないことだ。

 守るべき宝を持つ一族、そしてその宝を代々捜していたのだという話。信じられないが、その話を聞けばオイルがほかの人たちとは違うと感じていたのにも説明がつく。

 

「さあ、ついたぞ。ここが、俺たち一族がこれまで隠していた場所だ。――ここが、油田だ。見つけた者は、伴侶と共にこれを人類のためにどう使うか考えなくてはならない決まりだ」


 オイルが言うと、乗り物の前面の曲面の壁が透明になった。どうやら、ガラスだったようだ。

 透明になって、外が見えるようになった。そこに広がる景色は、ウミがこれまで見たことがないものだった。

 そびえ立つ、たくさんの銀色の塔。それらの塔にはどれも明かりが灯されたおり、暗い世界をまるで星空のようにしている。

 たくさんの銀の塔と、よくわからない建物。見たこともない景色だが、ウミがイメージする遺跡のように煤けても寂れてもいない。

 今まさに動いているのだと肌でわかる、そんな力を感じさせる建物群だった。


「……これが、ユデン?」

「そうだ。石油という、素晴らしい資源が採れる場所だ。これらの建物は、石油を採掘し、人類が利用しやすい形に加工する施設だ。俺が見つけるまで、ずっと他の者には見えないように隠されていた」

「どうして隠してたの? そんなすごい資源なら、表に出すべきでしょ?」

「あまりにも素晴らしい資源だが、無限ではない。そのため、かつて人類は石油を巡って醜い争いを繰り広げたんだ。だから、永遠に失われる前にとこうして隠された」


 上空から見慣れぬ建物を眺めながら、ウミは事態をうまく飲み込めずにいた。あまりにも、ウミの許容範囲を超えている。知らない、わからない、未知のことに遭遇していることしかわからない。


「これを巡って、人々が争いを……そんなものを守ってるなんて、オイルは一体何者なの?」

「アフマド・モニール・アル・ザイール――かつてこの辺りを治めていた一族の末裔だ」

「それってつまり、王族ってこと?」

「そうだな。シークなどと呼ばれていたらしい。ナカノが教えてくれたのだ。砂漠の国の王子様はシークと呼ばれ、かつて女性に人気だったと」


 隣で微笑むオイルを見て、ウミは何だかくらくらしてきた。

 どことなく高貴で優雅さを感じるのは、彼が王族だったからなのだと聞くと納得できる。だが、その王族の彼がウミに、世界の命運を共に握ろうと言ってきているのだ。倒れて構わないなら、今すぐ倒れたい気分だ。


「さあ、そろそろ降り立とうか。ウミ、お前となら世界をよりよくできると信じている」


 少しずつ降下していく乗り物の中で、オイルは優美な笑みを浮かべてウミに手を差し出してきた。

 世界をよりよくすること。もうスマホじいさんみたいな哀しい人を作らないこと。みんなを、もっと楽に生きさせてあげること。

 そんな理想を思って、ウミはオイルの手を取った。




〈END〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ユデンの東 猫屋ちゃき @neko_chaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ