応援コメント

03 「再び」小手指原へ」への応援コメント

  •  こんにちは、四谷軒様。御作を読みました。

    >やはり裏切り者は駄目か。

     義宗さん、親父の義貞さんも北条高時さんを裏切ったんやで。なお、高時さん遺児の時行さんも色々裏切って、南朝に着いた模様。。。(^◇^)地獄か。
     この時代、〝裏切り者でなかった〟と言えるのは、きっと大楠公くらいですからね。なお

    正成公「陛下、新田はクビにして足利と和睦、ちゃんと話をしましょう!」
    義貞「マジかよ!?」

     という上奏が最低一回(ひょっとしたら二回)あった模様。
     いや義貞さん、勇者であって政治家じゃないし(震え声)
     本作の場合も、下手したらお子さんの義宗さんより、尊氏さんの方が義貞さんと彼の戦術を理解してそうなのが……。どう転ぶか楽しみです。面白かったです。

    作者からの返信

    義宗としては、親父の義貞は「武略のため」幕府に従っていたとかそんな感じで美化されているかもしれませんね(笑)
    時行は時行で、キミ何でそんなやり手なのに、そうなっちゃうのという数奇な運命だったしなぁ……(遠い目

    楠木さん、新田義貞推しかと思いきや(鎌倉は新田ならやれるでしょ、と言ってますし)、そうやって首にしましょうと言っているところが、楠木さんらしいといえばらしいですね^^;

    まあ新田義貞にしても、息子たちに兵法を教えられたかと言うと微妙ですね。
    おそらく野性の勘みたいなモノで戦っていたっぽいし、それを教えろと言われても……というところでしょう(笑)
    同じ戦場勘みたいなものを持っている尊氏とか正成でないと、ちょっと理解できない代物ですね^^;

    ありがとうございました。

  • 遥 彼方 様のコメントの お話

    子供の頃、アニメ( 日本昔話 ? )を見てから 新田義貞のファンになりました。

    誰か、新田義貞を主役に書いてくれないかなぁ~ と思っていました。

    新田二郎先生( 名前がうろ覚えなのでスミマセン)の作品は、一応読みましたが子供時代に読んだので、難しくて理解出来なかった記憶があります。

    こちらも楽しみながら読ませて頂きます。

    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    新田義貞、私は「ふ~ん」という感慨を抱くばかりでしたが、鎌倉攻めの話を書いてから、俄然、好きになりました(笑)
    実はこの「武蔵野合戦」は、その鎌倉攻めの後日譚という意味で書き進めました。
    赤城の山から下ろす風の如く、鎌倉時代末を駆け抜けた英雄・新田義貞。その彼を追憶する、もう一人の英雄――足利尊氏というイメージで^^;

    ありがとうございました。

  • 以前、四谷軒さんに
    コメントのお返事を頂いたとき

    私の郷土である群馬のHERO
    新田義貞を「気のいい兄ちゃん」と
    親しみを込めて呼んで下さった事に端を発して

    ムクムクと興味がわいてきたので
    色々とGoogle先生で調べています。

    「日本一の至誠の武将」といわれた新田義貞。

    私の知識が至らなすぎて
    お恥ずかしい限りなのですが…

    新田義貞は源義国の長男「義重」の子孫で
    足利尊氏は源義国の次男「義康」の子孫と

    ライバルとなる御二方は
    奇しくも先祖は同じだったのですね。

    鎌倉攻めの際
    山側から攻めるチームと
    海側から攻めるチームに分かれたとか。

    さて、海側チームさん。

    当時、稲村ヶ崎の崖下は満潮で通過できなかったのだとか。

    しかし、義貞が太刀を海に奉じると
    龍神が呼応して、みるみる干潮になったとか。

    「海の神よ 潮を 沖に退け。 わが新田の軍勢を通したまえ」

    この干潮を利用して由比ヶ浜へと至り
    激戦を制して海、山から鎌倉御所を挟み撃ち。

    義貞はたった15日で難攻不落といわれた
    鎌倉幕府を滅亡させたのだとか。

    今回の物語の主旨から外れたコメントになってしまい、申し訳ありません(^◇^;)

    が、新田義貞さん。
    ざっくりと調べただけですが
    なかなか魅力的なお方です💕

    もっともっと知りたくなりました。













    作者からの返信

    お星さま、ありがとうございます。

    そうなんです。
    足利と新田はルーツが同じで(どっちも源氏と言えばそれまでですが)、鎌倉幕府が始まるあたりで、源頼朝への対応、執権北条家への対応をうまくやったのが足利です。
    一方、新田はうまくやれず、ずっと不遇でした。
    そのあたりの憤懣が、鎌倉攻めで爆発したのかもしれません。

    その鎌倉攻め、干潮を利用したとか、あるいは大きな地震があって、干潮の度合が変わった(引き具合が変わり、砂地がより広く「出る」ようになった)とか、言われています。
    むろん、敵の北条もその情報は入手しているわけで……しかし、そこを突破してしまうのが、新田義貞なんですが(笑)

    こういう話題でも、別に私は気にしませんので、大丈夫です^^;

    ありがとうございました。

  • 関東は比較的平野が広がりますが、大軍を展開できる要地となると自ずと限られてくるのでしょう。

    なんだかんだで第2世代になっている中で、尊氏はいまだ現役。
    この経験の差がどうでるか?

    作者からの返信

    ランテマリオ会戦の時と同じ理屈ですよね。
    あとは、鎌倉街道を往還するので、その道筋でぶつかってしまうのでしょう。

    この頃になると、南北朝草創期から生き残った将は、足利尊氏か北畠親房ぐらいしかいないという状況です。
    それだけ激しい時代だったという証左でもありますが。
    南朝はせめて顕家が生き延びていれば状況も変わったろうに……。
    尊氏も親房も、自ら軍を率いて戦っていますが、その経験もさることながら、次世代育成が上手くいったかいかないか、というのも、今後の南北朝の差異に繋がったのではないでしょうか。

    ありがとうございました。

  • 南北朝の世で「婆娑羅(バサラ)」を目にするとは😅婆娑羅は、この後の時代をテーマにしたゲームが凄く流行りましたから(^_^;)

    作者からの返信

    実は「婆裟羅」は、この時代から始まっているようです。
    新田義貞や足利尊氏と同世代の、佐々木道誉という婆裟羅大名が有名です。
    まあ、傾奇者みたいな感じで、世の中の権威とかを軽んじて、華美な装いをして、己が意のままに振る舞う……そういう輩を婆裟羅と称したようです。
    で、河越直重も婆裟羅を気取っていて、あまりにも奢侈な装いを見せつけるもんだから、盗みに入られているという体たらくです^^;

    ありがとうございました。

  • あ、ここで前作につながるのか……ニクイご設定ですね。(^_-)-☆
    今回のお話は反尊氏側が主体でしたが、敵は敵で裏切者も加えての混戦模様。
    戦国の(南北朝の)武将には、一瞬で人物を見極める才が迫られたのですね。

    作者からの返信

    これ本当に小手指原や久米川で戦ったらしいところが、この武蔵野の戦いの酷いところです^^;
    いや、大軍同士がぶつかり合う場所ってなかなか無いので、どうしても同じ場所で、ちがう時代でも激突することって、あるものです。
    分倍河原も、のちに鎌倉公方と関東管領が戦ってるし……^^;

    南朝の方、これはもう、おっしゃるとおり反尊氏という共通点しかない「群れ」です。
    惜しむらくは、新田義貞のように突破力のある人材が無いところですね。
    何というか、「初代」のグイグイ行くアグレッシブなところが無く、ちょっと守りに入るというか、順番通りにやろうとする、真面目なイメージです。

    ありがとうございました。