十三 逝く花 咲く華  井上皇后の死


七七二年(宝亀ほうき三年)から七七六年(宝亀七年) 


七七二年。正月。

光仁天皇が即位して一年二か月が経過した。

淳仁天皇が間に入るが、恵美仲麻呂や孝謙天皇(称徳天皇)が関わった二十一年におよぶ治世と比べて、この一年余りは、おだやかに過ぎた。

この日、光仁天皇は井上いかみ皇后とならんで、即位してから二度目になる正月の朝賀を大極殿でおこなった。六十三歳になる光仁天皇の落ち着きと、二十五年も伊勢斎王をしていた五十五歳の井上皇后の堂々とした振る舞いは、官人たちをホッとさせた。


ところが、それから二ヶ月後の三月二日。

明日は曲水きょくすいうたげが開かれるからと、その準備で官人たちが忙しくしていた朝に、井上皇后に仕えている女官の裳咋もくいの足嶋たるしまが、皇后の謀反を中務省に告発した。

一年ほどまえに井上皇后が、光仁天皇と、その姉の難波なにわ内親王を呪ったという内容で、告発を受けとった中務卿の山部親王が光仁天皇に報告する。

光仁天皇は詮議もせずに、すぐに「呪詛じゅそをおこなったから井上内親王を皇后から降ろす」というみことのりをだした。

この八十六年のあいだ、官人たちは草壁皇子の血を受けつぐ天皇を守るために四苦八苦してきた。それらの官人にとっては、草壁皇子の血をつぐ井上皇后と他戸おさべ皇太子がいてこその光仁天皇だという思いがあったから、この詔に宮中は騒然となる。

皇后が廃されるのは史上初だが、皇后は二代目で歴史が浅い。大王と呼んだころには大后が不審な亡くなり方をして、つぎの大后の息子が日嗣ひつぎ御子みこになった例はある。



この日、酒人さかひと内親王の邸に「井上皇后を廃する」という詔が出たことを、わざわざ中務省の役人が伝えにきた。

「中務卿から、お邸の方々にご伝言がございます」と詔を伝えたあとで、役人がつけ加える。

「はッ!」と酒人家の家令かれい(親王と内親王と三位以上の公卿くぎょうの邸の責任者)の土師はじの芳岳よしたけと、書吏(経理や書類などの雑用の責任者)の柴原しばはらの常足つねたりがかしこまる。

「酒人内親王のお立場がむずかしくなります。お邸に勤める従者の方々で、酒人内親王を守ってほしいと中務卿がおっしゃっておられます」

「かしこまりました」と土師芳武。

「では、わたくしは、これで」

「お知らせくださいましてありがとうございます」

役人を送りだしてから、とりあえず自分たちの部屋がある建物のほうへ庭を歩きながら、柴原常足が「どういうことでしょう?」と土師芳岳に聞いた。

「さっぱり分かりません。

聞きまちがいでなければ、井上皇后が、帝と難波さまを呪詛してお命を縮めようとしていたという告発があり、帝が皇后を廃する詔をだされたと聞こえました」と芳岳。

「わたしにも、そのように聞きとれました。

呪詛は、だれかを殺してほしいと祈願することでしょう。

どうして皇后さまが、帝と難波さまを呪詛されるのです。

一年前といいますと、すでに帝は即位されてました。帝を呪詛すれば大逆罪だいぎゃくざいで死刑ですよ。

なぜ、そのようなことを、皇后さまはされたのですか?」と常足。

「そういえば、いままで帝から、皇后さまのお話を伺ったことがありません。

お二人は仲の良いご夫婦だったのでしょうか?」と芳武。

「仲の良い夫婦が、あいてが早く死ぬように呪いますか?」と常足。

二人は邸のなかの梅林まできた。

ちょうど酒人内親王の女従じょじゅうかさ理恵のりえ山背やましろ毛野のけの酒人さかひと小鈴こりんの三人が、梅の枝を大村おむらの大場おおばに伐ってもらっている。

理恵と毛野と小鈴は、酒人内親王に仕えてきた女従だ。

去年の四月から芳武と常足は、酒人内親王の財政と邸の管理をするために井上皇后が住んでいた邸に移っていたから、この三人の女従とは一年近く一緒に働いている。

元の白壁王宅を改装した今の邸に、酒人内親王は去年の暮れに移ってきた。

大村大場は、それから務めるようになった男で、庭や邸のまわりの溝の掃除や、チョットした修理などの雑用をする小者こものと呼ぶ男衆おとこしをまとめている。

「アラ。家令さん。酒人さまがご所望なので、落としても良い枝をえらんでもらってるところです」と理恵が声をかけてきた。

「理恵さん。ちょうど良い。教えていただきたいことがあるのですが」と芳武。

「はい。なにでしょう」と理恵。

「えーッと」と言って芳岳はため息をついた。理恵は気さくな女なのだが、主の私生活を言葉にして聞くのはむずかしい。

「お役人がいらしたと聞きましたが、なにか、あったのでしょうか?」と、いつもは口数の少ない毛野が、めずらしく小さな声で心配そうに聞いてくれる。

「はい。えーッと、皇后さまのことですが‥」と芳岳は、そこで言葉をにごした。

「帝と皇后は、仲が悪かったのでしょうか?」と横から常足がズバリと聞く。

「夫婦仲のこと?」と理恵。

「・・・そのことと、お役人が来られたことは関係がありますか」と毛野。

良いことを聞いてくれたと、芳岳が答える。

「あります。酒人さまにとって、とても大切なことです」

「理恵さん」と毛野が、理恵をつつく。

「ホントのことを言ってもいいの?」と理恵。

「大切なことだそうです。土師さまと篠原さまは、酒人さまのお味方です」と毛野。

「そうか。帝と皇后ねえ。

毛野さんとわたしは、酒人さまにお仕えして十年ほどだけど、わたしが知るかぎり帝は井上さまと親しく会っておられないはずよ」と理恵。

「バカな。そんなはずはありません。

帝は定期的に井上さまのお邸に通って、遅くに帰ってこられました。

わたしが土産を用意しましたから、まちがいございません」と芳岳。

「確かにお邸にはいらして、酒人さまに色々な話しというか、タメになることを教えてくださったわよ。

でも井上さまとは、ご挨拶して少し話されるだけだから、むつまじいとは言えないでしょ」と理恵。

「十年も? そんなに仲がお悪かったのですか」と芳岳。

「いがみあっていたわけじゃないけどね。儀礼的なご夫婦よ。

ご一緒に食事をされて長く過ごされるのは、法事のときぐらいかナ。

酒人さまも他戸おさべさまも、井上さまと長くお会いできるのは法事のときで、そういうときはご親族もいたから家族だけではなかったしね」と理恵。

「いつごろから、そうなのでしょう」と芳岳。

「昔は、花見だ雪見だと親しい方を招いて宴を開いたそうだけど、わたしは覚えていないの。だから酒人さまが幼いころから、ズーッとよ」と酒人と同じ歳の小鈴。

はじめて聞く話に、芳岳と常足が目をまるくした。

「あのう、理恵さん。

酒人さまは、わたしどもが立ち入った話をすると嫌がられるとか、その、なんというか、感じやすくて傷つきやすい方でしょうか」と芳武。

芳武は、まだ酒人と親密に話をしたことがない。

「帝と皇后のことで、なにか大事があったのですか?」と毛野。

「はい」と芳武。

「それなら正直に話した方がいいわよ。

ああ見えて、酒人さまは頭が良いし、しっかりした方だから大丈夫よ。

家令さん。わたしも教えて欲しいことがある。

そこの建物は、どうして、いつも閉められているの?」と理恵が、梅林にある大きな棟を指して聞いた。

「あれは、エーっと、あそこには山部さまが住んでおられました。

白壁さまが立坊されてからは山部さまも帰ってこられませんが、荷物がそのままになっています。

いずれ、どこかに荷物を収めるまではと、改装もせずに戸も閉めています」と芳岳。

「山部親王は四品の中務卿で、三十五歳になられます。

荷物の収め先がないということは、ご自分のお邸を構えておられないのでしょうか?」と毛野が聞いた。

成人して叙位されると自分の邸を持つ。三十五歳の貴族なら、邸の二軒ぐらいは持っていても不思議はない。

「叙位されましたのが仲麻呂が反逆したときですから、あとは何かと慌ただしくて・・・」と芳岳。

「お子さま方は母方のお邸で育つと聞いておりますが、お父君と暮らされていらしたのでしょうか」と毛野。

いつもビクビクしているから臆病な白うさぎのようだと思っていたが、話してみると毛野は鋭い。

「お若いころの帝は気ままな暮らしをされていて、山部さまが成人されてからは一緒に連れてお出かけになることが多くなりました。

ですから山部さまも、ここで暮らされるのが楽だったのでしょう。

これから、わたしは酒人さまに重大なことをお伝えしなければなりません。

邸に仕えるおもな使用人にも聞かせておきたいので、皆でお部屋にうかがいたいとお伝えください。大場さんも来てくださいよ」と芳岳が、梅の枝を抱えた大場に声をかけた。


滑らかな白い肌と、艶のある黒い髪をした十八歳の酒人内親王は、見ていて飽きないほど、しなやかで妖艶ようえんだ。

土師芳岳が、篠原常足と大村大場と田口たぐち小椋おぐら岡田おかだのごうを連れてきたときには、酒人内親王の部屋は生けられたばかりの梅の香が満ちていた。

「酒人さま。重大なお知らせがございます。

この者たちは、このお邸をまとめていますので同席させたいのですが、よろしいでしょうか」と芳岳が聞くと酒人がうなずいた。

「お心をしずめて、お聞きください。

少しまえに、中務省の役人がやってまいりました。

今朝、井上皇后が、帝と難波内親王を呪詛したという告発があり、すぐに帝が詔をだされて皇后を廃されました。

酒人さまをお守りするようにと、山部親王から我々に伝言がございました」と芳岳。

「山部親王が、わたしを守れと、この邸に自分の配下をよこされたのですか?」と酒人内親王がつぶやいて考え込む。

井上皇后が廃されたのは意外すぎて耳に入らなかったかと、黙りこんだ酒人のようすを見て芳武が首をのばした。

「それで、あなた方は、わたしを守ってくださるのですか?」と酒人が、その芳岳を見て聞く。

「はい。もちろんです」と芳岳。

「ほかの人も?」

「はい」と常足と他の三人も頭を下げる。

「顔と名はおぼえましたが、あなたがたのことを良く知りません。

どうして、わたしに仕えるようになったのか教えてください」と酒人。

「酒人さま。井上皇后が廃されたのですが・・・」と芳岳。

「その話は、後にしましょう。

芳岳と常足は、ここにあった邸で父に仕えていたのですね」と酒人。

「はい。わたしは白壁さまが従三位になられたときに家令にしていただきました。

帝になられてからは留守番をしていましたが、去年の四月からは、酒人さまが前にお住まいになられていた、井上さまの旧宅に家令として移らせていただきました。

役所にも、酒人内親王家の家令と届けられているはずです」と芳武。

毛野が、酒人に話かけようと顔を向ける。

それを見た理恵が「チョッと待って」と、部屋のすみに座った芳武たちを手で招いた。

「こっちへ来て、酒人さまのまわりに丸く輪になって座ってちょうだい。

大変な話みたいだから聞きもらさないように。サア、もっと近くへ寄って、ウーンとつめて丸くなって座って。毛野さんは大きな声が出せないの」と理恵がきたてる。

酒人のまわりに八人が膝をつき合わせて座った。すごく互いの距離が近い。

「なにを言おうとしたの?」と、そこで酒人が毛野に聞く。

「山部親王の母方のお祖母ばあさまは土師はじ氏です。土師芳武さまは、そのご関係ですか」と毛野が聞く。

「そうです。わたしは山部さまの母君のイトコの子になります。

山部さまが幼いころからの守役で、芳ジイと呼ばれていました」と芳武。

「芳ジイね」と理恵。

「ジイと呼ばれても、わたしは四十三歳で、山部さまとは八歳しか離れていません。この篠原常足とも三歳しか違いません」と芳ジイ。

「常足も、わたしが前に住んでいた母の邸に来てくれました」と酒人。

「はい。わたしは白壁王の財産を管理をして帳簿をつけていました。

亡くなった祖父が同じ仕事で白壁王に仕えていまして、父は隣の難波内親王のお邸で財産管理などのお手伝いしております」と篠原常足。

「大場は、ここに移ってから知りましたが、やはり父に仕えていたのですか」と酒人。

「ちがいます。わたしと妻の田口小椋は、式家の藤原百川ももかわさまのお邸におりました」と大場。

「あら、小椋さんと夫婦だったの?」と理恵。

「同じ部屋に住んでいて小さい子もいるでしょう。えっ? 気がつかなかったの?」と小鈴。

「わたしが男衆をまとめ、小椋が女衆おなごしくりやをまとめていました」と大場。

「代わりになる者が育ちましたので、こちらへ移ってお仕えするようにと百川さまから言われました」と小椋。

「その藤原百川という方は、父と縁が深い方かしら?」と酒人。

「百川さまは、山部親王と親しくされています」と小椋。

「そう。豪は」と酒人。

岡田豪は三十歳で、朝廷の大舎人寮おおとねりりょうから派遣される舎人たちの世話をしている。それとは別に、二人の若者と一緒に邸に部屋をもらって、住み込みで邸の警護もしている。

「わたしは、東のいち青物あおものを商っている市人いちびとの伯父が、護衛ができる従者を酒人内親王家がさがしているからと、推薦してくれました。

それまでは河内かわちの百姓です。一緒にきた二人は河内にいたころの相撲仲間で、やはり百姓の次男と三男です」と豪。

「岡田氏は、吉備氏の縁族です」と毛野がつけ加えて、酒人がうなずいた。

「だいたい分かりました。

わたしを育ててくれた乳母は、足を痛めて家に戻りました。

ここにいる小鈴は乳母の子で、幼いときからの遊び相手です。

乳母がやめたあとで、理恵と毛野が、わたしを世話してくれました」と酒人が紹介した。

しっかりしていると理恵が言ったが、若く美しい女主おんなあるじは動揺もせずに家人をまとめ始めている。

の話では、今朝、母が皇后を廃されそうです。

それでは母のことを話しましょう。

母のもとでは、わたしは一つの棟を使い、その区域から外には余り出ないようにと言われて育ちました。

毎朝、母のところに挨拶にまいりましたが、打ち解けた話しを交わしたことがなく、特別な日のほかは食事を共にしたこともありません。

ですから人づての話や、わたしが感じたことなどが加わりますが聞いてください。

わたしの母は、都を離れて育ちました。

都を離れたときに、母の妹の不破ふわ内親王は生まれたばかりで、弟の安積あさか親王は誕生していません。

ですから家族のことは、手紙でしか知らなかったと思います」と酒人。

「井上さまは、お幾つで伊勢いせ斎王さいおうになられたのでしょうか?」と常足が聞く。

「四歳のときに潔斎けっさいに入ったと聞きます」と酒人。

「四歳までの記憶はあいまいですからね。ご家族のことも覚えておられないでしょう」と常足。

「お父上の聖武天皇が、気の利いた方をお側に置かれたでしょう?」と芳ジイ。

「都から乳母や女官が同行したようですが、亡くなったり、途中で交代して都に帰ったようです。

長く母の世話をしていたのは、伊勢の斎宮寮さいぐうりょうの女官たちだったと聞きます。

都に帰るときに、母は馴染んでいた伊勢の女官を何名か、女従にして連れて帰ってきました」と酒人。

「都へ戻られたのは、お幾つの時ですか?」と常足。

「二十八歳で帰ってきて二十九歳で父と結ばれたそうですから、祖母と妹の不破内親王のほかに都で待っていた人はおりません。

社交的な性格でもなく、母が親しくしていたのは、祖母の側にいた県犬養あがたいぬかいの姉女あねめさんや、不破内親王が紹介した塩焼王の姉妹の陽候やこ女王や忍坂おしさか女王や石田いしだ女王でした」と酒人。

「たしか陽候女王さまは、恵美仲麻呂の乱のときに・・・」と常足。

「斬首されました。

父が太政官をしていた三年前に、不破内親王や姉女さんや忍坂女王たちは、呪詛を行ったと都から追放されてしまいました」と酒人。

「すると不破さまの追放で、ご親族やご友人のすべてを失われたのですか?」と常足。

「そうです。そのころのことですが、母が難波の伯母さまを庭に座らせて、朽ち果てるがいいと声を荒げているのを見たことがあります。

おそらく父に不破さまたちの免罪めんざいを頼もうとして、難波さまに断られたのだと思います」と酒人。

「それはいけません。称徳しょうとく天皇が勅で決められたことです。

太政官が免罪を願えることではありません。

それに帝は、難波さまを大切にしておられす。いくら高い品位の内親王であられても、夫の姉君を庭にひざまづかせてののしってはいけません」と芳ジイが頭を振る。

「不破さまたちが追放されてから、母は取り巻きの女従たちに不満を話すことで鬱憤うっぷんを晴らしていたと聞きます」と酒人。

内院ないいんにいたオバさんたちは、悪口が好きだったの」と小鈴。

「内院とは、井上さまが暮らされていた主殿しゅでんのことで、オバさんは井上さまが伊勢から連れてこられた女従たちです」と芳ジイが補足する。

「呪詛を行ったという一年前には、母は宮城内の中宮院に移っていましたから、わたしは側にいたわけではありません。

おそらく深く考えもせずに、そこでも父と難波さまを悪く言っていたのかも知れません」と酒人。

「帝と難波さまのことを、それほど恨んでおられたのでしょうか」と芳ジイ。

「井上さまの周りにいた女従は、人の欠点を言いづらうのが好きだったのよ。

だけど呪術じゅじゅつ使を呼んで呪詛をしたというのは、どうかしらねえ」と理恵。

「呪詛を勧めそうなオバさんがいたでょう?」と小鈴。

「ほとんど残していったでしょう?」と理恵。

「強烈なのを二人、連れてったわよ。

粟田あわたの広上ひろえさんと安都あとの堅石女かたしめさんよ。あの二人なら、呪術使を呼ばなくても自分でやれそう」と小鈴。

「母は周りから勧められて、呪詛を行うかもしれない状況にはいました。

ただ、わたしの父は冷静な方です。

たとえ母が呪詛をしていても、父は目的がなければ、その事をおおやけにしないと思います」と酒人。

「どういう意味ですか?」と芳ジイ。

「母は、これまで皇位を継承してきた草壁皇子の直系です。

他戸皇太子は十一歳で、父は老齢です。

父が亡くなったら、母は中継ぎの天皇として即位できます」と酒人。

「もしかして、帝が先に手を打ったと?」と常足。

「分かりません。でも、あの父が、母が憎いと言うだけで、皇后から降ろすとは思えないのです」と酒人。

みんなが、酒人をジーッと見た。その視線を酒人が静かに見返す。

「なにか、もっと別の理由があるような気がします。

山部親王が、わたしを守るようにと伝言されたのも気になります。

母が皇后を廃されるだけでなく、まだ、なにかが起こるような気がします」と酒人。

「なにかって、酒人さま。なにを感じておられるのですか?」と芳ジイ。

「廃されるのは、母だけでしょうか?」と酒人。

「廃される・・・廃されると、廃太子?

まさか? 帝と皇后は、他戸皇太子のご両親ですよ」と常足。

酒人が三人の女従を促すように見た。理恵が困ったような顔をしてうなずく。

「帝は、他戸さまを寄せ付けないっていうか・・・」と理恵。

「可愛がっておられなかったわ」と小鈴。

「ご嫡子ですのに、なぜ?」と芳ジイ。

「理由は分かりませんが、可哀想に思っていました。

これから、なにが起こるか分かりませんが、みなさんは、わたしについてきてくれますか」と酒人が聞く。

「お仕えします」と芳ジイ。常足と大場と小椋と豪が深くうなずいた。

「酒人さま。明日の曲水の宴に出席されますか?」と常足。

「招かれていますか」と酒人。

「貴族は参加するようにと通達されていますから、内親王も出席されるかと思いまして」と常足。

「放っておきなさい。

それより常足は芳ジイと一緒に、難波さまからお話を聞いてきてください。難波さまは、色々ご存じのはずです。

大場と小椋は、邸の小者たちの素性を改めてください。怪しい者がいたら解雇します。

それから小椋。今日から夕餉ゆうげは、ここにいる皆と一緒に食べられるように用意してちょうだい。わたしも同じものをいただきます。

そのときに、気になることを遠慮なく話しあいましょう。

それから豪。人々の噂を聞きたいから、市人いちびとの伯父さんを紹介してください」と酒人。

あでやかな若い女主は、酒人内親王家を一つにまとめてしまった。


翌、三月三日。光仁天皇は曲水きょうすいうたげを開催した。

のちに貴族文化の代表のように受けつがれる曲水の宴も、大陸から半島を経由して伝えられた。日本では文武もんむ天皇(六九七~七〇七年在位)の頃から行われているが、最近では保良宮ほらのみや恵美えみ仲麻呂が行ったのと、称徳天皇が弓削ゆげで自然の川を使って行ったのが印象的だ。

日本のように水が豊富な島国では、曲がった人工の川を庭に造り、さかずきを川にながして、杯が止まったところにいる人が歌をむ。そのあとで歌をさかなに宴で盛り上がる。

大陸の水が稀少きしょうな場所では、水路をめぐらせた箱庭のような大きなテーブルを造って杯を流すこともある。この日は靫負ゆげいの井戸のそばに宴席を設けて、箱庭のような机のまわりに歌人を座らせての曲水の宴だった。

招かれていたのは五位以上の貴族で、女官たちが宴席の接待をする。

光仁天皇は、にこやかに宴の席に姿をみせた。

宴会男と呼ばれた座持ちの良い天皇だから、飲むほどに酔うほどに、貴族たちは井上皇后が廃されたことまで腹の中に流し込まされた。



四月七日。

下野しもつけのくにが、薬師寺別当の弓削ゆげの道鏡どうきょうの死去を知らせてきた。

朝廷は、庶民の扱いで葬儀をするようにと伝えた。道鏡も文句はなかっただろう。

この夜、陰陽かみの大津大浦は自宅に造った天文台の上で、最期まで星を見ていただろう道鏡をしのんだ。


四月二十日に、藤原京家の浜足はまたりと藤原北家の楓麻呂かえでまろが、空きがあった参議になって太政官に取り立てられた。

これで、式家からは内臣の良嗣と参議の田麻呂と百川の三人。北家からは大納言の魚名と参議の楓麻呂の二人。南家からは中納言の縄麻呂ただまろと参議の継縄つぐただの二人。京家からは参議の浜足と、藤原四家から太政官が出揃った。


五月二十五日に、光仁天皇が姉の難波内親王に三品を授けた。

そして、その二日後の五月二十七日に、他戸おさべ皇太子を退けて他戸王とするという詔をだす。

「母の井上廃皇后は、大逆である呪詛を一度や二度ではなく、たびたび行っている。天皇の位は私的なものではない。謀反や大逆を行った人の子を皇太子の位に決めておくのは恐れ多い。それだけでなく、後世に平安な治世がつづくような政治を布かなければならない」というものだ。

多くの官人は、母親の罪で廃される幼い他戸皇太子に同情を寄せた。

酒人内親王は、この日の夕餉の席で「これから先、なにがあっても、わたしは帝に従います」と家人たちにに宣言をしていた。



天候が不順で日照りがつづいたあとに、大雨が降ったりする。

雨の日の昼下がりに、天皇の昼の御座所では、内臣ないじん良継よしつぐが、御簾みすを巻きあげてくつろいだ光仁天皇とムダ話をしている。ほんとうにムダ話なので、そばに人がくると話をやめる。

こうして光仁天皇と良継が、内裏に務める女官や侍従の眼を引き寄せているあいだに、別の一室では山部親王と藤原百川ももかわが膝をつきあわせてヒソヒソ話をしていた。

「幽閉されると決まりましたか」と四十歳の百川。

「決められた」と三十五歳になる山部親王。

「他戸王もですか」と百川。

「そのおつもりだ」

「いつまでです」

「おそらく終生だろう」と山部親王。

「幽閉先で亡く亡くなられることを考えておられるのですか。他戸王は、どうなさるのですか」と百川。

「他戸は幼いからとおおやけの席に出ておらず、顔を知られていない。

廃皇后が亡くなられたら、同時に亡くなったと公示する。死亡を発表すれは亡くなったと同じことになる。

ただ同日に亡くなったことにすれば、他殺が疑われて帝に非難が集まるだろう」と山部親王。

「矢面に立つのは帝ではなく、あなたです。

十一歳の他戸王に罪はないと、だれもが分かっています。そして父親が、幼い息子を殺したとは思いません。

正統な皇位継承者である幼い弟を陥れて、皇太子になる山部さまに官人たちは悪感情を持ちます。

それは後々までもつきまとうでしょうし、即位や治世の妨げにもなります」と百川。

「わたしの立坊が喜ばれないことは、覚悟している」と山部親王。

「それを想定して山部さまに集まる非難をかわすために、祟りを利用したらどうかと思いつきました」と百川。

「タタリ?」山部親王。

「わたしの兄の広嗣ひろつぐの祟りがあるからと、恵美仲麻呂は真備先生を九州に左遷したそうです。その祟りです」と百川。

「どう利用する」

旱魃かんばつや洪水や疫病などを、井上内親王さまの祟りにします」と百川。

「そんなことで、わたしに集まる非難の矛先ほこさきを変えることができるのか?」と山部親王。

「その祟りが、祟る人を神としてまつればしずまるまるとしたら、どうでしょう。そこで区切りがつきます」と百川。

「祟る当人が神になれば、原因を忘れるだろうか。

むしろ祟り神になった経緯が、末永く語りつがれるのではないか?」と山部親王。

「なにもしなくても、井上内親王と他戸王の悲劇は語りつがれます。

あなたは野望のために、弟から皇位を簒奪さんだつしたことになります。

政敵は、そこを攻めて譲位を迫るかもしれません」と百川。

「祟り神にすると、どこか変わるのか?」と山部。

「山部さまが、祟り神となられた廃皇后を手厚くまつられていたら、直接の非難はかわせます」と百川。

「わたしが祀るのか?」と山部。

「はい。神さまならあがめてもかまわないでしょう。充分に崇めてください。

奈貴王なきおうが伊勢斎王のことで、退出するときをねらって陰陽頭おんみょうのかみを迎えに行っていますから、相談してみましょう」と百川。

「そんなことまで考えていたら休む間がないだろう。百川。ちゃんと寝ているのか」と山部。

「横になっても、あれこれ考えると思いつくことがあって、頭がさえて寝むれなくなります。生まれつきの性分です」と百川。

「子供のころから体が弱かった。おまえには、ずっと、そばにいて欲しい。

仕事をへらして休める時間をつくろう」と山部親王が言っているときに、奈貴王が顔をだした。

「陰陽頭の大津おおつの大浦おおうらさまを、お連れしました」


「酒人内親王さまを、斎王に卜定ぼくじょう(占いで決める)することは承知しました。

祟りのほうですが、恨みを残して亡くなった人がたたって天災や疫病を起こすからと、神として祀るのですか?」と大津大浦。

「もともと八百万やおよろずの神々がおます国だ。

あと何人か増えても、神さまたちは気にしないだろう。

それに増えるのは高貴な方だけだから、そう多くはない」と山部親王。

「祟りという言葉の意味は、神に見放されることです。   

非業の死をとげた人が恨みを残す相手は、その人を殺した人です。

祟る人は悪霊あくりょうで、悪霊払いの方法なら、すでにあります」と大浦。

「悪霊として登場してもらっては困る。神としてまつりあげる。

奉ったからには神さまらしく、大きく清らかな慈愛の心をもって、仇敵も含めた全ての人々を救済すべきだ」と山部親王。

しばらく山部親王を見たあとで、大浦がニヤリと笑った。

うけたまわりました。まずは神の祟りを奏上して鎮めてみましょう。

どうせのことなら、伊勢神宮の神さまに祟っていただきます。

その方法を、恨みを残した亡者もうじゃを鎮め、神として祀りあげるときに使うようにと、陰陽寮の儀式ぎしき典礼てんれいに残しておきます。

そうしておけば、わたしが去ったあとでも使えるでしょう」と大浦。

陰陽師の大津大浦も五十一歳になる。自分の寿命は予測しているから、これが最後の仕事になると思った。

聞いたときは断るつもりだったが、山部親王も百川も奈貴王も嫌な気を発していない。体に不快な異常はなく、やる気が湧いてきた。

それに最後まで陰陽師らしい仕事ができるのが、大浦にはうれしかった。



七月の末に、難波内親王が体調をくずした。

生活環境が悪くて五十代で亡くなる人が多い中での六十八歳だから、老齢で夏の暑さがこたえたのだ。


八月三日は、夜明け前から強風が吹いていた。

台風が来るからと朝廷は休みになり、六衛府ろくえふの舎人が内裏や宮城の警備を強化した。

「これから雨風が強くなります。お出かけになるのは危険です」と山部親王が止める。

「政務のない、この日に行かずに、いつ行ける。

すぐに出かけるから、支度を整えるように」と光仁天皇。

「どうしても行かれるのでしたら、近衛府このえふ舎人とねりに警備させます」と山部親王。

光仁天皇は台風のなかを、近衛舎人をつれただけで難波内親王の邸まで見舞いに出かけた。台風の最中に天皇が行幸するのは異例のことだ。

光仁天皇と難波内親王の母は、古代豪族系の紀氏の橡姫とちひめで唯一の同母姉弟だ。五歳で父の志貴皇子を亡くし、十代で母を亡くした光仁天皇を支えてきたのが五歳上の難波内親王だった。

姉の病気を知っても、天皇は宮中を離れることができない。無理を通して会っておかなければ、次の機会は来ないだろう。

改まって話すこともなかったが、六十八歳の姉と六十三歳の弟は台風の日を供に過ごした。風の咆哮ほうこうと雷と雨音は、身をすくめて生きてこなければならなかった天智天皇系の皇嗣たちの、これまでの日々を思い出させた。

台風が去った後の晴天を味わって欲しいと、光仁天皇は弱った姉の手をしっかり握った。


この日の台風は、伊勢神宮の月読つくよみのかみが祟ったからだと陰陽寮が奏上してきた。

陰陽頭の大津大浦が、祟りを鎮めるの儀式をおこなって、毎年、九月に天照大神の荒魂あらたまを祀るようにと奏上した。ここのときから日本独特の祟りと鎮めの概念が公式に登場する。

この台風は、全国の人や田に大きな被害をもたらした。称徳天皇の治世から不作がつづいて備蓄米も少ない。被災民を救助できるゆとりはなかった。


九月になって、光仁天皇は全国の政情をを詳しく調べるための使者を派遣する。これまで地方のようすを知るための手はずを出すゆとりもなかったのだ。

東海道、東山道、山陰道、山陽道、南海道、北陸道の他に、陸奥むつにも大伴駿河麻呂するがまろ按察使あぜちとして派遣した。陸奥国は蝦夷との境界にあたる国だ。

駿河麻呂は「奈良麻呂の乱」に連座して十年以上も不遇だったが、光仁天皇の即位後から取り立てられた。それにも関わらず歳をとって身体も思うように動かないと断ってきたのを、二階級も昇位させての任官だった。



十一月に酒人内親王が伊勢斎王さいおうに決まった。

伊勢斎王は、新天皇の即位と斎王の身内に不幸があったときに交代する。光仁天皇が即位して二年、斎王の決定としては遅い。

それに半年前に母が呪詛の罪に問われ、その母の子を皇太子にできないと他戸王は廃太子にされたのに、おなじ母をもつ酒人内親王が公的な存在である斎王になるのは矛盾している。

それでも光仁天皇は六十三歳で、右大臣の大中臣清麻呂をはじめ太政官たちを押えていたから、表立った批判はでずに不満は潜伏して持ち越された。

 

十一月十三日に、伊勢斎王になった酒人内親王が、潔斎けっさいのために春日かすが斎宮さいぐうに移る日がきた。伊勢に立つまえに世俗の汚れを断ち身を清めるために春日の宮にこもって、外部の人との接触を断つ。

「理惠さん。毛野さん。小鈴さん。酒人さまを頼みましたよ」と家令の芳ジイ。

「まかしてください」と理恵。

「女官も春日の斎宮にも入られて、伊勢斎宮まで行かれるそうです。理惠さん。笑われないようにしてくださいよ」と常足。

「どうして、わたしだけに言うのよ。難波さまに礼儀作法を教えていただいたから、しっかりとつとめるわよ」と理恵。

「芳ジイ。どんなことでも隠さず知らせてね」と酒人。

「はい。すべて手紙でお知らせします」と芳ジイ。

「難波さまのことを、お願します」と酒人。

「毎日、うかがいます。酒人さまも手紙を書いてさしあげてください。

無事にお戻りになりますように、みなで待っています」と常足。

ごうさん。酒人さまをたのんだよ」と小椋おぐら

「小椋さんと大場おおばさんも体に気をつけてください」と豪。

春日の斎宮での潔斎が終わると、酒人内親王は宮中で帝と別れの儀式をして伊勢の斎宮に送られる。理惠と毛野と小鈴、岡田豪と二人の仲間は、酒人内親王の身の回りを世話する従者として春日の斎宮に入り、伊勢までついて行くことになっている。

冷たい風が吹く日に十八歳の酒人内親王は、しっかりとした足取りで輿こしから下りて春日の斎宮に入った。


その次の日に、太政官で、墾田こんでん永代えいだい使用法しようほうの禁止が解かれた。

聖武天皇が許可した墾田永代使用法は、淳仁天皇が廃されて称徳天皇が即位するまでの天皇不在の七六五年三月に太政官符で禁止されたのだが、大荘園を持っているのは寺院と藤原氏だ。

自分が開いた土地は自分のものとなる墾田永代使用法が再開されて、人を雇って大規模な開拓を行える寺院や藤原氏の力が強化されることになった。


酒人内親王が春日斎宮に入って一か月後の十二月十二日に、呪詛の罪で都から追放されて、くりやの真人まひと厨女くりやめと名をかえられていた不破内親王と、その息子で氷上ひかみの志計志しけし麻呂まろと名を変えられて四国に流刑にされていた氷上川継かわつぐに赦免がでた。

「橘奈良麻呂の変」や、「恵美仲麻呂の乱」や、「和気王の謀反」に連座して流刑にされていた皇族や貴族たちを赦免し始めたのが去年の五月からだから、それに比べると一年半も遅い。

まず井上皇后を呪詛の罪で廃して、つぎに他戸皇太子を降ろし、酒人内親王を伊勢斎王に決めて春日斎宮に送ってからの赦免だから、不破内親王や氷上川継や友人の女王たちは、都に帰ってきても井上内親王や酒人内親王と連絡の取りようがなかった。

この年に行われた任官や赦免や廃皇后や廃皇太子の処分は、光仁天皇と山部親王と藤原百川が、この順でなければならないと綿密に考えたスケジュールに添って行っていた。



暮れも押しつまったころ、人払いした内裏の天皇の寝所に山部親王がいた。

「太政官たちの反応は、どうだと聞いた?」と光仁天皇。

「右大臣の大中臣さまと大納言の文室大市さまと中納言の石川豊成さまは、すぐに承諾されたそうです。

藤原氏の太政官たちは、内臣の良嗣よしつぐと大納言の魚名うおながまとめていますが、京家の浜足はまたり稗田ひえだを皇太子にと言い出したそうです」と山部親王。

「理由は母系の優劣か」と光仁天皇。

「はい」と山部親王。

「皇太子を誰にするかと、太政官に問うたわけではない。

おまえを立てると通達しただけだ。それに対して異義をだしたのか。

藤原氏が求めるように、墾田永代使用法を許可した。

藤原四家から均等に太政官を出すために、京家の浜足も加えた。

それを恩と思わずに勅に異論を出すほど、浜足はかたくなな男なのか」と光仁天皇。

「多弁だそうです。弁の立たない良嗣と魚名では、浜足を押えられないでしょう。あとの藤原氏は浜足より若い。

百川の話では、浜足は赦免されて帰ってきた氷上川継に接触しているようです」と山部親王。

「稗田にではなく川継にか。造反ぞうはんでもするつもりか?」と光仁天皇。

「考え方が違うのでしょう。浜足のように血統にこだわる官人は多くいます。

かれらは草壁皇子の血統が正統だと、信仰のように信じています。

浜足と不破内親王が組めば、不穏分子のより所となります。草壁皇子の血統が大義名分になるでしょう」と山部親王。

「おまえに子がいないからだ。おまえを立坊しても直系の後継者がいない。

そこにスキができる。その歳まで、なぜ子がいない?」と光仁天皇。

「若いころは、たまたま子に恵まれなかっただけです。

他戸が生まれたと聞いてからは、帝とおなじです。先を考えて妻や子を持つのを控えました」と山部親王。

「先を考えるなら、婚姻によって後ろ盾になる氏族を増やそうとするはずだ。なぜ控えた?」と光仁天皇。

「わたしは傍系ぼうけいの三世王で、母の身分が低い庶子しょしでした。

力のある氏族は、娘の婿にしようと思わないでしょう」と山部王。

「山部。息子の中で、わたしの考えを聞き理解しようと努力してくれたのは、おまえだけだ。わたしを敬って、わたしの助けになろうとしてくれた。

いいか。山部。自分を卑下してはならない。二度と庶子と思うな。

わたしが信じて選んだ跡継ぎだ。わたしのあとを継ぐ者には、どんな自己否定も許されない。

まちがいを起すこともあるだろう。罪を犯すかもしれない。

罪は反省してつぐなえ。まちがいは正せ。二度と同じあやまちをくり返すな。だが、いかなるときも自分を否定してはならない。

皇位は想像以上に重い。心に弱みを抱えていては玉座に座りきれまい。

先を見据えて判断し、自信をもって強くあり続けよ」と光仁天皇がさとした。



七七三年。

正月二日。

正月の朝賀の儀の翌日に、光仁天皇は詔で山部親王を皇太子に立てた。

他戸皇太子が廃されてから予想されていたことだが、それでも実際に山部皇太子が立坊したあとで官人が動揺した。

光仁天皇は即位して、まだ二年二ヶ月しか経っていない。

称徳天皇の時代が不安定だったから、最初の一年は落ち着きのある光仁天皇の即位で、誰もが穏やかな時代が始まるものと期待した。その期待が去年の三月二日にくつがえされて、光仁天皇を理解できなくなっている。

山部皇太子は三十六歳で、中務卿になるまでに十年の官人経験がある。わざわざ皇太子を入れ替えなくても、他戸王が即位したら必ず大臣になれる地位にいた。

それなのに光仁天皇は、呪詛の罪で井上内親王と他戸王を廃して、山部皇太子を立てた。そこまでする意図が、官人たちには分からない。

正月過ぎに、山部皇太子は東宮とうぐうに移った。



内臣の藤原良継は、私邸を広げて贅沢に改装している。

五十七歳の良継は、顔も赤らみ贅肉がついて堂々とした悪役になった。その良継が、式家の春のあつまりに山部皇太子を招いた。

「すごいな」と皇太子についてきた奈貴王なきおう

「池の中に島まである」と神王みわおうが、良継の邸の庭を見て感嘆する。

「ほとんどタダ同然で造らせたから、釣り殿も立派だろう」と、うれしそうに良継が腹をつきだした。

宮中では恐い顔をして、すり寄ってくる者だけを可愛がる良継だが、家族に囲まれると若いころの朴訥ぼくとつな顏をみせる。

「兄上。収入は十分あるはずです。払うものは払ってくださいよ。

まさか頼みごとにくる人から、金銭など受けっとっていないでしょうね」と田麻呂が聞く。参議で太政官の田麻呂も五十一歳になる。

「もらった」と良継。

「それは賄賂です。本当の悪徳官僚になれとは言ってません」と良嗣の甥の石上いそのかみ宅嗣のやかつぐ

宅嗣は四十四歳で従三位。中納言と式部しきぶのかみを兼任している。早くから参議の太政官になった宅嗣は、勤勉で真面目で有能と評判が高く、四十代に入っても変わらず姿が美しい。

「イヤーァ、わたしは仲麻呂ほどの才覚がないけれど、こうしていると仲麻呂の気持ちが分かるような気がする。ハハハ」と良継。

「分からなくても良いです!」と四十一歳で正四位下の百川ももかわ

百川は参議の他に、右大弁、内堅ないじゅの大輔だいすけ右兵衛うひょうえのかみ、越前守と、重要ポイントになる職を兼任していて、どの仕事も完璧にこなす能吏のうりだ。

式家の末弟の蔵下麻呂くらじまろは、太宰帥として九州にいる。

酒肴しゅこうが運ばれてくると、三十六歳で正五位下の種継たねつぐと、良継の息子で二十六歳になる従五位下の宅美たくみが注いでまわった。

そこに良継の妻の阿部古美奈こみなと、百川の母の久米若女と、良継の娘で百川の妻の藤原諸姉もろねが、二人の少女を伴なって現れた。

「皇太子。わたしの娘の乙牟漏おとむろと、わたしの孫娘で、百川の娘の旅子です」と相好を崩した良継が少女たちを紹介する。

山部皇太子のまえに坐った二人の少女は、結いあげた髪にかんざしをさしている。

女性は初潮がはじまって母親となれる体になったときに、それまで降ろしていた髪を結いあげて簪をつける。まだ乙牟漏は十三歳。旅子は十四歳。初簪ういこうぶりをすませたばかりの、あどけない少女たちだ。

二人は従妹であり叔母と姪にもなるから良く似ているが、乙牟漏はおっとりしていて旅子はしっかりしているようにみえる。

山部皇太子が目を細めて、娘ほど歳の離れた二人の少女にほほ笑みかけた。


 

毎年、不作が続いていて、またも四月に米価が急騰して米を買えない人々が飢え始めた。七位や八位の下級官人は、もらっている扶持ふち(給料)では高騰した米を腹を満たせるだけ買えない。国が貯蓄米をあたえたが、四月、五月と稲が育つときに日照りがつづいて、八月になると、こんどは雨の日ばかりがつづく。今年も稲の実りは悪そうだ。そのうえ、この年も寒くなってから疫病が流行りだした。


十月十四日に、去年の七月末から体調をくずして、寝たり起きたりの療養を続けていた難波内親王が亡くなった。亡くなる二週間ほど前に、光仁天皇は二品の品位を難波内親王に送った。

その五日後の十月十九日に、光仁天皇は、井上内親王が難波内親王を呪い殺したからと「井上内親王と、その子の他戸王を、大和にある官が没収した邸に幽閉する」と詔をだす。

皇后を廃されたあとも中宮院で暮らしていた井上内親王は、輿に乗せられて大和の邸へ連れてゆかれた。十二歳になった他戸王は、おとなしく輿に乗って母と一緒に都をはなれていった。

 

井上内親王が去った中宮院で、伊勢老人おきなが残された私物の仕分けに立ち会っている。

伊勢老人は、井上内親王が皇后になったときに、ぞう西隆寺さいりゅうじのつかさと兼任で皇后宮職ぐうしきすけをしていた。

だから中宮院に残されたものを片付けるのに立ち会っている。衣服や身の回りの櫛や鏡などは幽閉先に届けるつもりだ。

授刀じゅとう舎人とねりをしていたときに山村王を警備して中宮院に来て、淳仁天皇が内印ないいん駅鈴えきれいを返すところに立ち会った伊勢老人も三十六歳になる。参議にまでなった山村王は、何年も前に亡くなっている。

「伊勢さま」と下官が呼んだ。近寄ってみると、切りきざまれた豪華な衣装を手にしている。

「去年の三月に、曲水の宴に出られるつもりであつらえられたものです」と中宮院につとめていた女官がつぶやく。

切りきざまれた着物を見て、伊勢老人は寒気を感じた。



酒人内親王の留守宅では、常足が筆をもったままで芳ジイに聞く。

「なんと書きだせば良いのでしょう?」

「酒人さま。おかわりございませんか」と芳ジイ。

「それは、おかしいでしょう。お知らせしますと簡単にします」と常足。

「自分で書けるのなら、聞かないでくださいよ」

家令かれいさん。難波さまは、お幾つでした?」と筆を止めて常足。

「女性のお年は存じませんが、帝より四歳か五歳は上ですかね」と芳ジイ。

「帝が六十四歳ですから、もう、けっこうなお年ですよね。

わざわざ呪わなくてもお迎えがくるはずなのに、どうして井上さまは呪い殺したりなさったのでしょう」と常足。

「さあ、井上さまと他戸さまを幽閉するための口実でしょうか」と芳ジイ。

「家令さんが、そう思うのなら、世の中のみんなが、そう思っていますね」と常足。

「どう思っているかは、わざわざ書かなくても良いでしょう。

わたしたちが事実をお知らせすれば、酒人さまが判断なさいます」と芳ジイ。

潔斎けっさいをしている酒人内親王には会えないが、岡田豪や理恵たちとは連絡がとれる。酒人内親王が伊勢斎宮に移ったあとも、手紙のやりとりは認められている。

芳ジイと常足は、難波内親王が穏やかに亡くなったこと。難波内親王を呪い殺したという詔で、井上内親王と他戸王は国が没収した大和国宇智郡うぢぐんにある井上内親王の元別荘に幽閉されたこと。

耳にした話しだが、その邸を右獄うごくの舎人とねりたちが見張っていること。近くの里から小女こおんな小男こおとこ(身分の低い従者)が来て身の回りの世話をしていることを酒人に知らせた。



年の終わりに発熱したため、女官の吉備由利は邸に帰っている。

「主殿で寝たらどうだ」と真備はすすめたのだが、由利は書庫のある別棟に床をとらせた。セキが激しく高熱がつづいて、呼吸にゼーゼーという嫌な音がまじる。三日前からは食事も通らなくなって、脈が乱れている。

あらゆる手をつくしたが、真備は覚悟するしかなかった。

「わたしも、すぐにくから」と七十八歳の真備が、浅い息をしている由利の手をとった。

「由利。もしも、また生まれることがあるのなら、もう一度、わたしのところに生まれてくれないか」と真備が話しかける。真備の手のなかにある由利の指が、かすかに動いた。

従三位で尚蔵くらのかみ(女官の長官)の吉備由利は、山部皇太子の立坊を見とどけてから父親に看取みとられて五十五歳で旅立っていった。



七七四年。

正月の朝賀に、出羽でわ(秋田県)国の蝦夷だけが朝見ちょうけんして陸奥国の蝦夷が来なかった。

出羽国は東北地方の日本海側、陸奥国は太平洋側にある。

この地は、まだ大和朝廷に完全に服従しておらず、朝廷が蝦夷えみしと呼ぶ先住民が暮らしている。彼らは国を造らず、族長が一族をひきいる部族の集団だった。

今から百十六年前の六百五十八年に、大和朝廷は阿倍比羅夫ひらふを大将とする大軍を送って勝利し、蝦夷の族長たちを群司にして現地を支配する間接支配の協定を結んでいた。

その頃は日本海側で敦賀するが、太平洋側で箱根の足柄峠あしがらとうげが国境だったから、今はずいぶん北に押し上げられている。さらに黄金が出てから仲麻呂と称徳天皇が、秋田城、雄勝城、桃生城、伊治城と立て続けに北に城を作って、大和政権が直接支配する土地を強引に増やした。

これまで正月には族長たちがやってきて挨拶をして温和な関係を保っていたのだが、この年は出羽の蝦夷しかこなかった。

朝見というのは従属する国が本国に挨拶に行くことで、遣唐使も日本が唐に朝見に行っている。

蝦夷の蝦は虫(エビやかえる)のことで夷は異民族のこと。つまり周辺にいる劣った野蛮人のことで、蝦夷は自分たちを蝦夷とは言わないだろう。

光仁天皇は蝦夷政策を決めていなかったが、陸奥からの朝見がなかったので蝦夷の参内を止めた。



正月の行事が終わったあとの一月末。山部皇太子は内臣の藤原良継の邸にいた。

「しばらくは顔をだすことができない」と山部皇太子。

「はい」と良継の娘の乙牟漏おとむろがコクンとうなずく。

「少しづつでも食べて、体をいたわるのだよ」と山部。

「はい」と乙牟漏。

「食べたいものがあったら伝えてくれ。なんでも取り寄せる。

会いにはこれないが、不安に思わなくて良いからね。

わたしは、いつも乙牟漏のことを想っている。生涯をかけて、わたしが乙牟漏を守る」と山部。

「はい」と乙牟漏が、あどけない瞳を山部に向けた。

「気分が悪いのなら先にやすみなさい。ムリをしてはいけない。

父君と少し話があるが、あとで行くから」と山部。

「眠るまで帰らない?」と乙牟漏。

「眠るまで、そばで見ているよ。怖い夢を見ないよう守っていよう」と山部。

「わたしが眠ったら、皇太子さまは帰ってしまわれる。そして、しばらく会えなくなるのね」と乙牟漏。

「しばらくは会えないが、そのうち、いつでも会えるようになる」と山部。

「乙牟漏さん。すこし横になりましょう」と乙牟漏の母の阿部古美奈が声をかけた。古美奈は女官をやめて、ずっと乙牟漏に付き添っている。

去りがたそうにしながら、それでも乙牟漏は素直に母につれられて部屋をあとにした。乙牟漏の良さは、疑うことを知らない無邪気さだ。

「このように出歩かれてよろしいのですか」と乙牟漏と古美奈が去ったあとで、良継が山部皇太子に聞いた。

「よろしくはない。忍び歩きは危険だ。だが乙牟漏と生まれてくる子のことが気にかかる」と山部。

十四歳の乙牟漏は、山部皇太子の子を身ごもっている。

皇太子の妃は東宮に入内じゅだいするが、乙牟漏は皇太子が良継の邸に通ってきて懐妊した。

「東宮に入内させた方が良いのではありませんか?」と良継。

「いまは隠しておきたい。それに入内しても懐妊中だ。どうせ実家に戻している」と山部。

「入内させないのは、妃としてお認めにならないつもりですか?」と良継。

「帝が健在であるうちはよいが、崩じられると、わたしを倒そうとする動きがでてくるだろう。巻き込みたくない」と山部。

「帝がお元気なうちに、サッサと即位したらどうです」と良継。

「そのつもりだが、先行きを甘くみてはならない。

即位しても、わたしを倒そうとする動きはあるはずだ」と山部。

「だれが倒すのですか。即位すれば皇太子は天皇。太政天皇は父君です。

それに刃向えば反逆者です」と良継。

「これから帝は、国の財政を立て直すための改革を行われる。古いしがらみや、むだにろくを喰っている者を断たなければ、この国が沈んでしまうからだ。

わたしが、それを引き継ぐ。

改革には犠牲がともなう。犠牲を払わされる者は反抗するだろう。

立坊の経緯や母の出自しゅつじの低さから、わたしなら叩きやすいと反旗をひるがえす者がでるだろう」と山部。

「なにをおっしゃっているのか、さっぱり分かりませんが、即位しても危険だというのですか?」と良継。

「わたしが良いと思えるまで、乙牟漏と生まれる子のことは隠して欲しい。

とくに日嗣ひつぎ御子みことなる男子が生まれたら、子供の命をねらわれるかもしれない。ほかの藤原氏からも隠して欲しい。

式家の助けは忘れない。式家の娘に第一皇子を生んでもらいたい。

乙牟漏は若いから生まれる子が皇子でなくとも、いつか皇子を生んでくれるだろう」と山部。

「いま、なんと?」と良継。

「いつか皇子を生んでくれるだろうと言った」と山部。

「その前です。なんと言われました? たしか日嗣の御子と聞こえたのですが、もう一度、言ってくださいませんか?」と良継。

「良継さん。耳が遠くなったのですか?

皇太子は、式家の娘に第一皇子をもうけて欲しいと言われました。

そして、その皇子を後継者とするとおっしゃったのですよ」と側にいた久米若女が口添えした。

「聞き違いじゃなく?」と良継。

「はい。わたしが、しっかり聞きました。

生まれてくるお子は、皇太子が即位されて落ち着かれるまでは、隠していた方が安全かも知れません。まえにも藤原氏の赤子が亡くなったことがありましたよね」と若女。

「ありました。生まれてすぐに皇太子に立てたのに亡くなりました。

そうですか。式家から日嗣の御子がでるのですか。

隠します。南家にも北家にも京家にも知らせません。誕生祝いもやりません」と良継。

「旅子もくれるように望んだが、百川に断わられた。百川は、内臣の娘が正妃となり、その息子が皇太子に決まるまで旅子をくれないという」と山部。

「えっ。わたしの娘を正妃に?」と良継。

「乙牟漏が待っているから行くが、くれぐれも乙牟漏と生まれる子をたのむ」と山部皇太子が席をたった。

「東宮の女官を差配さはいしているのは、百済くだらのこにしき明信みょうしんです。

明信さんの話しでは、娘を東宮に入内させる人がないようなのです」と皇太子が去ったあとで若女が良継に告げる。

「どうして?」と良継。

「さあ。まだ様子をみているのでしょうか。

わたしも乙牟漏は側においていたほうが安心ですが、改革って何をなさるつもりでしょうか?」と若女。

「わたしに聞かないでください」と良継。

「ときどき母君の和新笠にいがささまに、宮中のしきたりや儀礼をお教えしていますけど・・・。ねえ」と若女が首をかしげる。

「問題でもありますか」

「たしかに井上さまと他戸王を幽閉されて、山部さまが立坊されたことは非難されています。山部皇太子を非難するときには、他戸さまを幽閉したことと、母君が渡来系の氏族であることを問題にします。

でも本気で草壁皇子の血統に忠実な官人など、少ししかおりません。草壁皇子は、ただの口実です。ほとんどの人は、自分の一族のことしか考えていませんよ。

でもねえ。皇太子の、あの用心深さは・・・。なにかが起こりそうだと思っていらっしゃるからでしょう。

もしかしたら、すべての官人を敵に回すようなことを、帝と皇太子は計画されているのかもしれませんねえ」と若女。

「皇太子のそばには、田麻呂と百川と宅嗣と蔵下麻呂と種継がいます。何があろうと、藤原式家は皇太子と一蓮托生いちれんたくしょうです。

難しく考えないで、乙牟漏と生まれてくる子を隠して守ることに専念しましょう」と良継。

「そのとうりですね。良継さん。

式家の出産には、いつもアヤさんが立ちあってくれていましたのに・・・」と若女。

「アヤさんが亡くなって一年と少しになりますか。来月はヒナ女の三回忌です」と良継。

「吉備由利さんも亡くなって、内裏も寂しくなりました」と若女。

「つぎは、わたしの番かもしれません」と良継。

「イヤですよ。長生きができるように少し痩せなさいな。一緒に乙牟漏の先行きを見とどけましょうよ。乙牟漏は、あなたに似て素直な良い子です」

「わたしを素直だと言ってくれる人は、この世で若女さんだけです」

藤原良継は五十八歳。久米若女は六十二歳になっていた。


七月十一日には、まえから辞職を願っていた大納言の文屋ふんやの大市おうちが職を退いた。すでに六十九歳(数え七十歳)だ。停年はないけれど、数えの七十歳になったら自分から辞職を願いでる人が多い。

時が流れ時代の姿が変わり、与えられた命を精一杯に生きた人も去って行く。

飢饉と飢えと疫病だけは、変わらずに人々のくらしを苦しめていた。



六月になってから、陸奥国の按察使あぜちの大伴駿河麻呂が、「海道かいどう蝦夷が騒がしくて、民はさいの修理で忙しく耕作が出来ないから、蝦夷を打つか打たないか勅をだしてほしい」と奏上してきた。

「塞の修理とは、どういう意味でしょう。国府にしている多賀城の塀でもこわれたのでしょうか?」と山部皇太子。

「そんな報告は受けていない」と光仁天皇が首をひねる。

「陸奥の蝦夷は、正月の朝見をしませんでした。

なにか不穏な動きがあるようですが、これまでに報告がありましたか」と山部。

「按察使からの奏上は始めてだ」と光仁。

「駿河麻呂は、まともな文章が書けないのでしょうか?

これでは状況が良く分かりません」と山部。

「奈良麻呂の乱に関わるまでは、和歌を詠む目先の利く男だった」と光仁。

「ながく官職についていません。任官したのも若いころに地方官が一回、老齢に入ってから一回と二回だけです。京官をしたことがありません。武官になったこともないのです。

功名があったのは出雲守をしているときに白い亀が捕らえられて、祥瑞しょうずいとして献上したことだけです。

奏上書は、分かるように細かく説明をするものです。

これだけの奏上で蝦夷討伐の勅をだすのは危険です」と山部。

光仁天皇は、この奏上を不許可にした。

ところが七月の始めに、また駿河麻呂から「帝の言うことを聞かずに蝦夷の反逆軍が襲ってきたが、討伐にのりだせば短期で押えられる。討伐を許可して欲しい」という奏上が届いた。



陸奥国の国府は多賀たが城(宮城県石巻市)に置かれている。都から多賀城までは東山道が通っていた。

多賀城と都のあいだを伝使でんしは片道に六日、季節や天候によっては七日をかけてやってくる。伝使を出して返事が戻ってくるまでに二週間は掛かるから、その間に状況が変化することもある。それに離れていて自分の失態や不正は報告しないから、駿河麻呂の報告が正しいかどうかも分からない。

陸奥国と出羽国は常任する国守がなく按察使が国守を兼ねるから、光仁天皇も山部皇太子も官僚たちも大伴駿河麻呂の奏上でしか陸奥のことは分からない。

井上皇后と他戸王を幽閉して半年。光仁天皇は官人たちの均衡を執らなければならない難しい時期を迎えている。そこで太政官を集めて討伐の許可を出すかどうかを審議させた。


七月二十三日に、光仁天皇は勅をだす。

「さきに蝦夷にどのように対するかを官僚たちに聞いたところ、ある者は討ってはならないと言い、ある者は討てと言った。征伐は民を疲れさせるから、しばらく朕は打つことを自重してきた。

しかし、今回の将軍の奏上によると、愚かな蝦夷は野蛮な心を改めようともせず、たびたび辺境を侵略して、あえて王命を拒んでいるという。もはや、やむおえない。そこで将軍が送ってきた奏上にしたがって軍を発して蝦夷を討伐する」

この勅の前後に光仁天皇は按察使の大伴駿河麻呂を鎮守府大将軍にして、全国に討伐軍のための徴兵令ちょうへいれいをだし、紀広純きのひろずみを鎮守府副将軍として陸奥へ送った。


平城京で光仁天皇が蝦夷討伐の勅をだした二日後の七月二十五日。

陸奥では城につづく橋や道を防ぎ、西の塀を破った蝦夷が桃生城を攻め落とした。

桃生城は、多賀城の北で内陸に入ったところに位置する。

桃生城が攻撃されたことは、すぐに駿河麻呂が伝えてきた。

八月二日に光仁天皇は、坂東(関東)の諸国へ勅をだして「陸奥国が急を知らせてきたら、国の大小に従って徴兵二千以下、五百以上を発し、陸奥に行軍しながら、そのことを奏上して遅れないようにせよ」と命じた。


ところが八月二十四日に、駿河麻呂下からの奏上が届いた。

「蝦夷の行動は、まるで犬かネズミが人に隠れてコソコソ物を盗むときのようです。ときどき侵入して物をかすめ取ることはありますが、大害にはなりません。いまは草が茂っており蝦夷に有利で、このようなときに攻撃すれば、恐らく後悔しても仕切れないことになります」

これを読んだ光仁天皇は、「以前は軽々しく軍を起すことを望んでいたのに、いまは消極的で計画に首尾一貫性がない」と勅で深くとがめる。

光仁天皇と山部皇太子に蝦夷討伐をする計画はなく、井上内親王と他戸王を封じて朝廷を掌握することが先だった。

ずっと平穏だった蝦夷との関係が対立する方向に向かったのは、まさに想定外のできごとだった。



酒人内親王は潔斎をおえて、九月三日に大極殿で発遺はついの議式にのぞんだ。光仁天皇から伊勢へ赴くようにと詔を賜ったのだ。

酒人邸に務める家人たちは、京域のはずれの羅生門を出て斎王の行列が通るかみツ道まで先に行って見送った。家人たちのまえを通るときに輿の御簾みすが巻き上げられて、白装束を身につけた十九歳の酒人内親王が皆を認めてうなずいた。

上ツ道は山際の道だが、西に奈良盆地の景色が見える。そこには穂を実らせるまえに立ち枯れた稲田が延々と広がっている。それは別れの悲しみを吹き飛ばすほど、心をえとさせる光景だった。

倒れた稲田がつづくあぜ道に、真っ赤な曼殊沙華まんじゅしゃげが群生して咲いていた。


斎宮さいぐう(三重県多気郡たきぐん明和町《めいわちょう))は、伊勢大神宮から十キロ以上もはなれた小高い平地につくられていて、東西二キロメートル、南北七百メートルの広さがある。

斎宮を守る斎宮寮には十三の下級官庁があり、そこに務める官人の数も多い。

聖武天皇が造りなおし、光仁天皇が左右の町が等しくなるように改造したから、真っ直ぐな路がとおり官人たちの住居が並んでいる。

斎王が暮らす内院や外院も改装されて、新しい木の香りがした。


「斎宮のもりっていうから、森のなかにあるお邸だろうと思ってたけど、ちがうね。 

それに都からきた人だけでなく、斎宮寮さいぐうりょうの官人や女官の数も思っていたよりズーッと多い」と持ってきた荷物を広げながら小鈴が言う。

「これが本物の内院なのね。大きさは違うけれど、なんとなく井上さまが住んでいらした内院と似てるね」と荷物を分けながら理恵。

「お疲れですか」と毛野が、浮かない顔をしている酒人内親王を気づかった。

「大丈夫。はじめて母のことが少し分かったような気がするだけよ。

四歳で潔斎に入って五歳でここに送られて、そのまま二十何年かを斎王して暮らしてきたのかと思うとね」と酒人。

「ここにいる大勢の人のあるじだったから、井上さまは、なにもしないで座っているだけだったのね」と小鈴。

「多くの人にかしずかれていらしたから、それが当然だったのよ」と理恵。

「ここでは、斎王が最も尊い存在です。

五歳からですと、周りの言うとおりになさったのでしょう。

小さい頃から、感情を押し殺してこられたのかも知れません」と毛野。

「そういえば無表情で無口だったわね」と理恵。

「怒られることはあったわよ」と小鈴。

「感情を押し殺していたら、いつか爆発するか、病気になるわよ。

怒られるのだって、そう度々ではなかったでしょう?」と理恵。

「斎宮寮の女官たちは?」と酒人。

「都からご一緒した斎宮長官の広上ひろかみ王さまが、酒人さまはお疲れになって休まれると、今日は来ないように止めてくださいました。

明朝、挨拶にまいられると思います。明日からは歓迎の式典やうたげがあるそうです」と毛野。

「あなたたちの部屋は決まったの?」と酒人。

「わたしたちは女使じょじと呼ばれるそうでね。

酒人さまが連れてこられた従者だから、この内院に女使の部屋があるの。

豪さんたちは、外に部屋をもらったって」と理恵が、持ってきた着物をしまいながら言う。

「斎宮寮の女官の部屋も、そばにあるそうです」と毛野。

「年に二回の大神宮への巡行があるそうだけど、ふだんは朝の神事と官人たちの挨拶をうけるだけと聞いたわよ。けっこうヒマかもしれないわ」と理恵。

「双六とか人形がいっぱいある。ねえ。人形遊びとかする?」と小鈴。

「小鈴さん。手を休めないで、さっさと片付けてよ」と理恵。

「女官たちを呼べば?」と小鈴。

「今日ぐらいは身内だけで過ごしたいじゃない。怠けないでちょうだい」と理恵。

酒人は飾られている人形と、人形のための小さな道具を見た。幼い少女の小さな手が人形の髪をなでているような気がする。

なにも知らない五歳の少女。家族から引き離されて一人きりになった少女。大人の官人や女官から斎王として尊ばれて、謁見えっけんを受けた少女。

母は自分の感情を押し殺して、周囲の言うままに斎王らしく振る舞ってきたのだろうか。そもそも四歳や五歳の少女に、自分の感情を表現する力があったのだろうか。

母とは儀礼的な会話しか交わしたことがない。母の言葉には中身がなかった。

社交的な性格じゃないと思っていたが、もしかしたら母は、自分が何を感じて何を思っているのかを知るまえに、斎王の儀礼を身につけてしまったのではないだろうか。

感情を押し殺していたのではなく、自分の感情が育ってなかったのではないだろうか。

その少女であった母が、夫である父に幽閉されている。

 《酒人。人形を貰って、なにを感じた?》

 《うれしい》

 《どういう風にうれしい?》

 《お父さまに飛びつきたいほど、うれしい》

 《じゃあ、飛びついてごらん。そして何といえば、わたしは喜ぶかな?》   

 《お父さま。ありがとう。この人形が大好きよ》

 《それでいい。酒人。自分の思ったことを言葉にする。

  そうすると相手に伝わる。言葉を覚え始めたから使い方も覚えようね》

そう教えてくれたのは父だ。幼い頃の母に、父のような人はいたのだろうか。

父に従うと決めているが、場所が悪い。

少女のころの母の気配を感じるたびに、酒人は心が固くなってゆくような気がした。



そのころ都の藤原良嗣の邸では、「かわいい!」と種継たねつぐの娘の薬子くすこが、小さな安殿あて王の手に自分の人指し指をおいた。八月に生まれたばかりの赤ん坊が、薬子の指を握りしめる。

「見えているのかしら」と百川の娘の旅子。

「どうかしら?」と良嗣の娘の乙牟漏おとむろが、安殿の頬をそっとさわった。

十四歳の乙牟漏が母になった。生まれたのは山部皇太子の第一皇子だ。

良嗣は邸のなかに大きな棟を新築して、そこに乙牟漏と安殿と阿部古美奈を住まわせている。式家の者以外、安殿のことを知らない。

山部皇太子は訪ねてこないが、式家の官人に託してマメに手紙や土産を届けてくる。幼い文字で乙牟漏が書く返事もまっている。

式家の娘たちだけが、乙牟漏と安殿のところに遊びに来る。

十五歳の旅子と八歳の薬子は、よくやってくる。良嗣の邸では、まだ人形遊びが楽しい少女たちが安殿王の成長を見守っていた。



十月四日に、鎮守府将軍になった大伴駿河麻呂からの知らせが届いた。

「陸奥国遠山村は土地が険しく、いまだかって朝廷の諸将が入ったことがなかったが、駿河麻呂たちは直ちに進入して、かれらの巣窟そうくつっをくつがえし、ついに彼らを追いつめて逃げ走らせ、投降する者が相次いだ」という。七月の末に桃生城を襲った海道蝦夷の拠点を滅ぼしたという奏上だ。

光仁天皇は勅で駿河麻呂を慰労し、天皇の服や絹を送った。

蝦夷は、日本海側に居住する出羽の蝦夷、石巻いしのまきや牡鹿半島から太平洋岸の三陸海岸ぞいの釜石や宮古までに居住する海道蝦夷、一関いちのせき奥州おうしゅう花巻はなまき、盛岡と奥羽山脈と北上高地に挟まれた北上平野に居住する山道さんどう蝦夷、北海道に居住する渡島わたりじまの蝦夷と朝廷が区分けしている。


今年の正月の朝見に来たのは出羽蝦夷だけだった。

そのあとで駿河麻呂から入った蝦夷情報を整理してみる。

六月のはじめに「海道蝦夷が騒がしくて、民はさいの修理で忙しく耕作が出来ないから、蝦夷を打つか打たないか勅をだしてほしい」と最初の奏上が届いた。

光仁天皇は蝦夷を討つことを不許可にした。

七月に「帝の言うことを聞かずに蝦夷の反逆軍が襲ってきたが、討伐にのりだせば短期で押えられる。討伐を許可して欲しい」という二度目の奏上がつく。

七月二十三日に、光仁天皇は蝦夷討伐の勅をだして、紀広純を副将軍にした。

七月二十五日に、桃生城が海道蝦夷に攻撃された。

八月二日に、光仁天皇は関東地方で兵を集めながら、遅れないように進めと討伐軍を送りだした。

八月二十四日に、「蝦夷の行動は、まるで犬かネズミが人に隠れてコソコソ物を盗むときのようです。ときどき侵入して物をかすめ取ることはありますが、大害にはなりません。いまは草が茂っており蝦夷に有利で、このようなときに攻撃すれば、恐らく後悔しても仕切れないことになります」という三度目の奏上が着く。

これに対して、光仁天皇が勅で咎める。

十月四日に、駿河麻呂から、海道蝦夷の巣窟を覆して、彼らを逃げ走らせたという奏上が着いた。

つまり、犬かネズミが人に隠れてコソコソ物を盗むような行動をする海道蝦夷が反乱して桃生城を襲ったが、討伐に乗り出せば短期で押さえられる相手だから、進軍してすぐに巣窟すくつを壊滅させたように思える。

光仁天皇と山部皇太子は、これしか知らなかった。

一連の騒動は、蝦夷の一部である海道蝦夷が反抗したが、制圧したとされて終わるはずだった。



七七五年。

五月。酒人内親王が伊勢に来て九ヶ月になる。

定期的に届いていた篠原常足からの便りが、四月の末から途絶えた。

「なにかあったのかしら?」と理恵と小鈴が心配しはじめた五月十七日に、井上内親王が死去されたので斎王を解任するという朝廷からの使者が斎宮に着いた。

斎宮長の広上王が、それを告げに内院にきた。


「井上内親王さまが、四月二十七日にお亡くなりになりました。複雑なお気持ちでしょうが、あまり深く考えられませんように。

落ち着かれるまで、ごゆっくりお休みください」と広上王が言う。

光仁天皇がつけた広上王は、心づかいのやさしい人だった。

「母は、どうして亡くなったのですか」と酒人。

「朝廷からの知らせには書かれていません。使者も知らないと言います」と広上王。

「わたしは内院を出なければいけないのですか」と酒人。

「ここのしきたりは知りませんが、都では、これから卜定ぼくじょうを行って、つぎの斎王が決められます。新しい斎王は、それから二年ほどは潔斎けっさいに入られますから急ぐことはありません。

斎宮のしきたりがどうであれ、わたしが内院を明け渡させはしません。

酒人さまは喪に服されますので、明日からは官人のあいさつを受けることもなく、公務にも休まれて良いと思います。

わずらわしいようでしたら、女官たちもお側から下げましょう。

ともかくお体をいたわって、ゆっくり、おやすみください」と広上王。

「どなたが、朝の神事をなさるのでしょう」と酒人。

「神官なら山ほどおりますから、なんとかするでしょうよ。

地方の官人は、都の官人とコネを持ちたがりますから、わたしの言うことを聞くでしょう。

都に帰るための郡行ぐんこうの日取りは、新しい斎宮が都から郡行される日取りとの兼ねあいがあるそうですので、まだ先になると思います」と広上王。

「すぐに帰れるわけではないのですか」と酒人。

「都からの指示を待たなければなりません。

哀しいことや辛いことがあっても、あなたはお若い。

ここで静かに体と心を休めて、これから先は幸せになってくださいよ」と広上王がやさしい目をした。

酒人は冷静だった。こんなことが起こるかもしれないと予想もしていた。

それから三日たってから、やっと都の邸にいる常足からの厚い手紙が届いた。

常足からの手紙には、芳ジイが調べて知り得たことが細かくつづられていた。 


常足たちは四月二十八日に、前日に井上内親王と他戸王が亡くなったという朝廷の発表を知った。

それからは、山部皇太子の世話係で、帝の元家令だった芳ジイが、その顔を利用して同族の土師氏に聞いて回った。

土師氏は、平城京にの西ににある菅原すがわら秋篠あきしのと、交野かたの(京都府)の大枝おおえと、河内かわち国と和泉いずみ国のさかい(大阪府堺市)に別れて住んでいて、貴人の葬儀には必ず関わる。

四月二十七日の朝のうちに、都に住む秋篠と菅原の土師氏は、大和国宇智郡うちぐんに急行して墓をつくって、本日中に遺体を埋葬するようにと中務省から命じられた。場所から井上内親王が亡くなられたと悟ったそうだ。

井上内親王が幽閉されていた邸に着いたときには、中務卿の藤原魚名うおなは検分をおえて帰ったあとだった。

邸がある大和国の国司こくしは「橘奈良麻呂の乱」で土佐に流刑されていた大伴古慈斐こしびで、光仁天皇が赦免しゃめんして都に戻し大和守にしたが、すでに七十八歳になっているから名だけで遙任ようにんしている。

実務はすけの土師和麻呂やまとまろが行っていた。

和麻呂から芳ジイが聞いた話として書かれていたのは、次のとうりだった。

去年の十月十八日に、井上内親王と他戸王は宇智郡の邸に幽閉されたが、和麻呂が就任したのは今年の一月からで、それ以前のことは分からない。

四月二十七日の国庁が開いたばかりのときに、幽閉先の邸の食事や掃除をする近くの村の小男から、井上内親王が倒れていると通報をもらった。非常時には中務省に連絡をするようにと言われていたので、知らせる者を送って現場に行った。

井上内親王は寝所にしている部屋で倒れていたが、もう冷たくて硬直が始まっていた。吐瀉としゃ物や血痕はなく、そばに飲み物や食べ物もなかった。

中務卿の藤原魚名の検分にも立ち会ったが、身体に傷痕もなかった。

秋篠と菅原の土師氏が来てから、近くの寺の僧侶を呼んで簡単な葬儀をして邸の側に葬った。

同じ邸のほかの棟に、他戸王と都から来た小者が住んでいたが、二人の姿は誰も見ていない。不審なので中務省に報告したが捨て置くようにと通達があった。

和麻呂は「無罪だと帝に奏上したい」と頼まれて、何度か井上内親王に会ったことがある。奏上を取り合うな命じられていたから、それを伝えて断った。

そのときに井上内親王が話されていることが良く分からず、感情の起伏が激しかったので様子がおかしいと感じた。亡くなる数日前からは、食事を残されていたと報告を受けていたと手紙は記していた。


何度も読み返してから、酒人は手紙を理恵に差し出した。

「これを豪たちのところに持っていって読ませてちょうだい。しばらく一人になりたいから、みんな出ていって」と酒人。

「でも、酒人さま」と毛野。

「いいから、一人にして!」と酒人。

常足の手紙は、幽閉されてからの母の姿を酒人に伝えた。

なにか、できなかったのだろうか。母と弟を助けることができなかったのだろうかと、一人になった酒人は思った。


「酒人さま。酒人さま。いいかげんに起きてよ!」と小鈴が肩を揺する。

「うるさい! ずっと起きてる。

疲れたから横になっていただけで、一睡いっすいもしてない。

ほっといてよ!」と酒人が寝がえった。

「ひどい顔。もう三日よ。三日も眠っているのよ!」と小鈴が、また酒人の肩を揺すった。

「三日?」と酒人が目を薄く開けた。

「薬湯と湯冷ましは少しづつ口に流したけど、なにも食べておられません。

重湯おもゆを作りましたから、ゆっくり噛むように飲んでください」と理恵が、さじ(スプーン)ですくって飲まそうとする。

「食べたくない!」と酒人が手で払った。

「食欲がなくても食べられます。ハイ。アーンして」と理恵。

「わたしは、三日も横になってたの」と目が覚めた酒人が頭をあげた。

「そうよ。豪さんのところに手紙を届けに行って戻ってきたら、もう倒れてた。

すぐに医師さんが来て、身体は大丈夫だから静かに寝かせるようにと言われてね。

滋養がある薬湯を処方してくださったの。

だから夜具を敷いて、服を脱がせて寝かせたのよ」と小鈴。

「母のことを考えていた。ずっと母の姿がそこに見えていたから、眠っていたと思えない」と酒人。

「いけません。そんなことをしていたら心が壊れます。

大変なのは分かっています。でも、いまが大切ですよ。

井上さまの気持ちに入っちゃいけません。酒人さまは、酒人さまです。

さあ、食べてください」と理恵。

「さっき豪さんのところに、伯父さんの綱さんから便りがきたそうで、酒人さまにお見せしようにと持ってきました。市の噂が書いてあります」と毛野が手紙を開く。

「毛野、あとにして。いまは、ほっといてよ」と酒人。

「聞くだけ、聞いてください。よろしいですか。

井上内親王と他戸王が亡くなったという高札は、市には立てられていない。

しかし噂は盛んで、同日に亡くなったのは自然死ではなく毒殺されたと言われている。命じたのは皇太子で、皇太子の縁族の土師氏が手を貸したと言う者が多い。

この噂は、すぐには収まらないだろう。

そこをわきまえて、おまえは主に忠節をつくすように。

さっき豪さんに読んでもらったのを、文字にあわせるとこんなふうです」と毛野。

「難波さまを呪い殺した罪で幽閉されて毒殺されたのじゃ、井上さまも、くやしくて浮かばれないね」と小鈴。

「わたしが難波の伯母さまと親しいのを、母は知ったのね」と酒人。

「勝手な想像をしないでください。知ってらしたかどうか分からないでしょう?

酒人さまは気をしっかり持って、現実とだけ向き合ってください。

さあ、アーンして重湯を食べましょう」と理恵。

「うるさい。理恵!」と酒人が、椀とさじをとって自分で重湯を飲みはじめた。

「じゃ、整理しましょう」と理恵。

「うるさい。みんな、出ていって!」と酒人。

「黙りません。そうやって怒鳴って、できたら大声でわめいて泣いてください。

感情は表に出してください。一人で抱え込んで井上さまの気持ちを辿たどっていたら、お体を壊します!」と理恵。

「お黙り!」と酒人。

「酒人さまが潔斎の宮に入ったあとで、井上さまと他戸さまが幽閉されました。

伊勢に来られてから一年も経っていないのに、お二人は亡くなった。

これって、どういうことかしらね」と理恵。

「タマタマ」と小鈴。

「井上さまが宇智うちに幽閉されてから一年半になります。外には出られず、だれとも会えない。そんな生活が、いつまでもつづきます」と毛野。

「井上さまのお世話をしてきた女従たちはいないし、困られたでしょうね」と理恵。

「井上さまは五十八歳でした。心に強い怒りを抱えて閉じ込められたら、いずれ体をこわされます」と毛野。

「それが分かっていたから、帝は酒人さまを伊勢に離されたのね」と理恵。

「思いやりかも知れません」と毛野。

「どこが思いやり? なんの思いやりよ!」と酒人。

「都にいたら、どうしていました?

いろいろな雑音が入ってきて、それに振り回されていますよ。

離れていれば何もできないし、つぎに帝とお会いするまでに覚悟ができます。

伊勢に立つまえに別れの櫛の儀式で帝にお会いになってるけど、帝のご様子はどうでした?」と理恵。

「言葉が少なかった。笑わなかった。眼を合わせなかった。肩に力が入っていたわよ! それが何よ!」と酒人。

「隠しごとをして、避けている感じだわ」と小鈴。

「そうね。井上さまが亡くなるだろうと思いながら、酒人さまを伊勢に送られたのでしょうね。

そのとき、山部皇太子はいらっしゃいましたか」と理恵。

「いなかった」と酒人。

「整理しますよ。井上さまは、お亡くなりになりました」と理恵。

「他戸さまの姿は誰も見ていないと、家令さんが聞いています。葬儀も行っていないようです。土師氏から聞いていますから、ただの噂とはちがうでしょう。

他戸さまは、井上さまが亡くなられた時には邸に居られなかった。

都からついてきた小者が一緒のようです。

その小者が、どこかで他戸さまを殺したか、逃がしたかは分かりません」と毛野。

「亡くなったと公示されたら、生きていても他戸は存在しないことになるわよ」と酒人。

「皇后や皇太子を廃して幽閉しているのに、お命まで奪う必要があったのでしょうか?」と毛野。

「父が、そこまで用心するかしら。なにしろ、帝よ。

でも皇太子なら、草壁皇子の血をつぐ他戸はいない方がいい。

もし皇太子が即位した後でも、他戸がいるのは目障りだわ」と酒人。

「酒人さまは、大嘗祭だいじょうさい新嘗祭にいなめさい、正月の朝賀ちょうがの儀が二回と、そのあとの宴でも山部皇太子に会っておられますが、どのような方ですか」と毛野。

「そばに寄ったこともないし、話しもしていないから良く分からない」と酒人。

「わたしと毛野さんは、ずっとまえに皇太子に会ったことがあります。

あのときは酒人さまを見惚れていたわね。

やわらかな雰囲気の青年だったけど、いまはどうです?」と理恵。

「たしかに、年よりは若く見える」と酒人。

「冷たそう?」と小鈴。

「知らなかったら父の侍従だと思いそうなぐらい、控えめで目立たないな人よ」と酒人。

「わたしの印象とは違います。

わたしは、あたりが柔らかくて聞き上手で、感じの良い青年だと思いました。

毛野さんは、どう? 覚えてる?」と理恵。

「あのときは使用人が着る服を身につけておられました。それでも涼やかで、頭の良い方のように感じました」と毛野。

「それって、ヤバくない?

みんな違うことを言ってる。山部皇太子って、どんな人よ。

ほんとうに井上さまと他戸さまを毒殺したのかも知れない」と小鈴。

「わたしに、芳ジイや常足をつけたのは山部皇太子よ。

母を見張って、最後に埋葬をしたのは土師氏よね

芳ジイや常足は、わたしを見張っているの?」と酒人。

「酒人さま。お邸で働いている方は善良な方ばかりです。

皇太子さまは、信頼できる方を集めてくださったと思います。

すぐに結論をださないほうが良いと思います」と毛野。

「そうね・・・まだ頭が起きてないみたい」と酒人は理恵と毛野と小鈴を見た。

うるさくて腹が立つことも多いけれど、わたしは一人じゃないと二十一歳の酒人は思う。

この三人のほかにも、豪たちや都の邸で待っている従者たちがいる。かれらの生活は酒人の動きで決まってしまう。

しっかりしなくては。まず明日を迎えるために、今日を生きなくてはならない。理恵が言うように、感傷にふけっていてはだめだ。

「理恵。お腹がすいた。こんどは、もうすこし腹もちするものを持ってきて」と酒人が、カラになった椀を理恵にさしだした。


この年の五月に、陰陽頭の大津大浦が亡くなった。陰陽寮の仕事を終えて邸に帰って、いつものように過ごして眠って、次の朝には息がなかった。大津大浦は、奈良時代最期を代表する陰陽師だ。

七月には、太宰帥の藤原蔵下麻呂が四十一歳で亡くなった。「恵美仲麻呂の乱」の討伐軍の大将として活躍して兄たちより早く出世したが、そのあとは、ときごき暗い表情を見せることがあった。

生真面目で忠実な末弟の若すぎる死に、式家の兄たちは涙した。



八月十六日。

黒雲の流れが速い。遠くの雲を見ていた酒人内親王は、袖に大粒のしずくがあたるので雨が降ってきたのかと思った。だが地面はぬれていない。

大粒のしずくが自分の涙だと気がつくまで、チョッと間があった。なんの感情も湧かず、なにも考えていないのにビックリするほど涙がこぼれている。

涙だけではなく鼻水もでている。喉に粘液がつまって、鼻からも口からも息が吸えない。鼻づまりで呼吸が止まって死ぬのなんか、ゼッタイにイヤだ。

酒人は、のどの奥から声を絞りだした。ヒーッと空気が口からでて、やがて唸り声に変わった。酒人は、どんよりと暗い空に向かって大声で唸った。体中の水分を放出させながら、口から息を吸っては吠えた。わめき終えると、理恵がさしだしている手巾しゅきんをとった。

「大丈夫ですか」と毛野。顔をふき鼻をかんだ酒人が、理恵たちを見た。

「大丈夫。身体から飛びだしてゆきそうだったものが、わたしのなかに戻ってきて、ちゃんと治まったみたい」と、すっきりした顔で酒人が言う。

「なに言ってんだか分からないけど、いっしょに飛ばされそうだから早くなかに入ってよ!」と酒人の腰を抱いて支えている小鈴。

「手伝うことがございますか」と岡田豪が、仲間をつれて庭から声をかけてきた。

「みんな入ってきて。地元の役人たちが、これから大風がくるという。

豪たちは戸締りをして、わたしたちを守ってちょうだい。緊急の時は、しっかり避難させてよ。

わたしたちは、みんなで家に帰るのよ。分かった? わたしたちの家に帰るの! 

そして、明日にむかって歩くのよ!」と風の音に消されないように、酒人が叫ぶ。

この日、三百余人の人と千頭余りの牛馬が水に流れて死亡し、国分寺をはじめ諸寺の塔が十九も倒れ、民間の家の被害は数えきれないほどの大型台風が、伊勢国、尾張国、美濃国を通過した。斎宮の建物も風をうけて破損した。

この報告を受けた光仁天皇は、二十六日に伊勢斎宮の修理を命じた。

そして浄庭きよにわ女王が、次の斎王として春日で潔斎に入っているからと、酒人内親王の帰京を許した。


九月のはじめ、酒人内親王が六百余人の供をつれて斎宮を発って、都にむかって凶事の郡行ぐんこうをはじめた。

斎王の郡行のために用意された頓宮とんしょと呼ばれる仮宮に泊まった最初の夜に、酒人が聞いた。

「大風で稲は倒れていたけれど、去年とおなじ真っ赤な花が咲いていた。

あの花は、なに?」

曼殊沙華まんじゅしゃげですか。魅惑的な花だけど、毒をもってるから触らない方が良いですよ」と理恵。

「天界に咲く華だとも言います」と毛野。

「どうして、あの花は、倒れないで咲いていたの」と酒人が聞く。

「花芽が出るまえに葉が枯れてしまいます。大風が来たときは、枯れた葉が出たばかりの花芽を覆っていたのでしょう」と毛野。

「強い花?」と酒人。

「毎年、おなじ場所に咲きます。きっと強い華です」と毛野。

「気に入ったの?」と小鈴。

「わたしも、あの華のようになれるかな?」と酒人が聞く。

つやややかで、強くて、毒のある華のようになりたいの?」と小鈴。

「わたしの人生は、これからよ。刈り取られるより咲いてみたい。

お父さまは、わたしを可愛がってくださった。逆らわなければ、これからも、わたしを大切にしてくださるでしょう。

問題は皇太子よ。皇太子をどうにかしなきゃ」と酒人。

「幽閉されるまえに殺す?」と小鈴。

「バカね。まず、わたしのお兄さまがどんな人か知りたい。

どうするかは、それから考えれば良い」と酒人。

「どうしょうもないときは、出家することだってできます。

そのときは、わたしたち三人がついて行きます」と理恵。

「わたしも? 冗談でしょう。

酒人さま。なんでもいいから、とりあえずパッと派手に咲きましょう!」と小鈴。

伊勢国を出たら稲も穂をつけていて、あぜ道に曼殊沙華が群生していた。

 


十月二日に、八十歳になった吉備真備が自宅で静かに息を引きとった。生きたいように生きて、するべきことを成し遂げた大天才の大往生だ。



山部皇太子が、藤原百川と田麻呂を東宮に呼んだ。

十月十三日に出羽国が、「蝦夷との戦いの残り火はまだ消えつきていません。それで三年の間、鎮兵九九六人を請求し、要害の地を押さえつつ、国府を移したいと思います」と言上してきたのだ。

「太政官あてになっており、弁官局が受けとりました。

差出人の署名はありますが、じょうさかんなどの下官たちです」と百川。四十三歳になる百川は、従三位の参議で右大弁をしている。

「帰順した蝦夷か?」と山部。

「いえ、都から送った者です」と百川。

出羽国は国として成立したのが八世紀になってからと新しく、慣例として陸奥按察使が国守を兼任する。だからいまの出羽国守は大伴駿河麻呂になる。

「駿河麻呂からの奏上では、海道蝦夷が反乱して桃生城を襲ったとしか述べられていない。反乱した者を追放した功で、数日前に参議に取り立てたばかりだ。

どうなっている?」と山部。

「あくまでも憶測ですから正しいかどうか分かりませんが、鎮守府将軍は出羽の状況をご存じないと思います」と田麻呂。

「出羽と陸奥は遠いか」と山部。

「距離は都から越前に行くより遠く、道は整備されておらず、間を高い山脈が遮っています」と田麻呂。

五十三歳になる田麻呂は従三位の参議で兵部卿だ。十二年前に陸奥出羽按察使をしたことがあるので、最初に駿河麻呂が蝦夷討伐を奏上したときに式家は反対を示した。

「すると、この出羽からの言上は?」と山部。

「本来なら将軍に言上して奏上してもらうものを都に送ってきたのは、出羽では蝦夷の反乱が続いていて切羽詰まってのことでしょう」と田麻呂。

「なるべくなら蝦夷とは穏便な関係に戻したい」と山部。

「わたしが行きましたときは仲麻呂全盛期で、雄勝城と桃生城tを造った直後でした。就任していた期間も短く、仲麻呂に副使をつけられて自由に動けなかったので、直接、現地の人と交流することができませんでした。

ただ、わたしを見る蝦夷の目に恐怖と怨念のような憤りが表れていました。

百済王教福さんから聞いた、和人と蝦夷が穏やかに共存して暮らしている、のどかな姿など見当たりませんでした」と田麻呂。

「戦は民を疲れさせるだけです。もとの関係に戻れればよいのですが、戦が続くようでしたら将軍の奏上だけに頼らず、必ず別の信頼がおける者をつけて下さい。

出羽や陸奥のように離れた国では、全権を握った者の行動が正しくないと国を脅かします」と百川。

光仁天皇は相模、武蔵、上野こうずけ下野しもづけから、出羽に兵をさし向けた。

そして鎮守府将軍の大伴駿河麻呂、副将軍の紀広純、従軍している百済王俊鉄や兵士たちを叙勲してねぎらったが帰還させなかった。



十二月に入った日の夕方、都の邸にもどっていた酒人内親王の部屋に、家令の芳ジイが息せき切って入ってきた。

「酒人さま!」

「なに?」と酒人。

「藤原種継さんが、当家に残っている山部さまの本を探したいと訊ねてこられました」と芳ジイ。

「皇太子のものは残してあるのでしょう。入って探してもらえば」と酒人。

井上内親王の喪が明けてから斎王解任のあいさつをするようにと言われて、都に帰っても酒人内親王は自分の邸に閉じこもって、頭に生麻きあさの布をかぶり生麻の上掛けを身につけている。

「種継さまの従者の姿をして、山部さまが来ておいでです」と芳ジイ。

「自分から来たの?」と酒人。

「まえに広刀自ひろとじさまの葬儀のときにも従者の姿をしていらしたけど、そういうことが好きなの? 趣味?」と理恵。

「そう言われれば、好きですねえ。どうしますか」と芳ジイ。

「ようすを見にきたのね」と小鈴。

「芳ジイ。常足と二人で引きとめておいて。それから、たった今、母と弟の服喪を終えると、みんなに知らせてちょうだい。

小鈴。わたしの髪を結いなおして化粧をして、服を選んで着せてちょうだい。

目立つように頼むわよ」と酒人。

「まかしといて! 理恵さん、毛野さん。酒人さまの服を全部だしてよ。髪飾りもね。わたしは化粧道具をとってくる」と小鈴が張り切る。

「芳ジイ。小椋おぐらに酒宴の支度をさせて。それから大場おおばに、梅林のなかにある皇太子が使っていらした家屋の戸を開けて、宴の席を用意をさせてちょうだい」と酒人。


「出歩いてよろしいのですか」と山部皇太子の一行と庭を歩きながら、芳ジイが聞く。

「出歩いてるのは種継だ。ここに、わたしはいない。

ジイ。酒人の様子は、どうだろう」と山部。

「気になるのなら、もっと早く、もっと過ごしやすい季節に堂々と訪ねてくれば良いものを」と常足。

「どんな顔をして会って良いのか分からない。

だが来年の正月の朝賀がせまっているから、服喪をさせて登庁を控えさせるかどうか、帝も気にしておられる」と山部。

「喪は明けました」と常足。

「いつ?」と山部。

「さあて。いつでしたか。

さあ、着きました。どうぞお入りください。毎日、掃除をしておりますから、暮らしておられたころと変わらないと思います」と芳ジイがうながす。

「なつかしい。ここだけは、そのまま残していたのか」と山部。

「白壁王が使っていらした建物は改装しましたが、ここは、そのままにして閉ざしていました。

帝になられた白壁王が戻られることはありませんが、山部さまが皇太子になられるとは思ってもいなかったものですから、そのうち、お邸を構えられたら、中のものを移すつもりでした」と芳ジイ。

「なるほど。皇太子は、ここで暮していたのですか。

いい年をして親がかりだったとはね」と、いっしょに来た奈貴王。

男衆が、おこした炭を炭櫃すみびつ火桶ひおけ(火鉢)に入れて部屋を暖め、灯台とうだい(スタンド・ライト)に油を注いでいる。

「種継さま。お久しぶりです」と指図していた大村大場が頭をさげた。

「大場? そうか。酒人さまの邸に移ったと聞いていた。

皇太子さま。叔父の百川のところにいた男です。小椋おぐらも元気か?」と種継。

「はい。みなさまの食事の支度をしております。あとで、ごあいさつにまいります」と大場。

「ジイ。気づかれないうちに帰るつもりだ」と山部。

あるじの申しつけです。お受けください」と芳ジイ。

「主って、酒人のことか?」と山部。

「はい。種継さまがいらしたことと、山部さまが従者の姿で来られたことをお伝えましたら、主が喪は明けたと言って酒宴の支度を命じました」と芳ジイ。

「わたしのことまで話したのか?」と山部。

「良かったじゃないか。恨まれてはいないようだ」と奈貴王。

「酒席を設けてくれるとは、気が利く」と神王。

「酒人さまが来られました」と常足が言う。

冬枯れで色の少ない庭に、大輪の花のような酒人内親王が現れた。

山部皇太子の前まで来ると、すくうように瞼をあげて酒人内親王が妖艶ようえんな笑みを浮かべる。

「ようこそ、お兄さま」


小鳥の声で山部皇太子は目が覚めた。外はもう明るい。

「ウーン」と伸びをしてから、見知らぬ場所にいると気がついた山部が跳ね起きた。

「おめざめ?」と窓際で外を見ていた酒人内親王がふりかえる。

「ここは、どこだ?」と山部。

「わたしの部屋。そこは、わたしの寝台」と酒人。

「なぜ、ここにいる?」と山部。

「きのう、わたしが引きあげようとしたら、好きだ。離したくないと、しつこく言い寄って、ついてきたのは、お兄さまよ」と酒人。

「わたしに、なにをした?」と山部。

「お兄さまが、わたしに、なにをしたかと聞くのが先でしょう」と酒人が、下ろした長い髪のさきを白い指でもて遊びながら山部を見る。

「種継は?」

「種継さんも神王も暗いうちに帰られたから、今頃は登庁なさっているでしょう。

奈貴王は、お兄さまが住んでいらした棟で待ってる」と酒人。

「わたしは酒人の寝台に入って、なにをした」と山部。

「色々」

「なにを?」

「おぼえていないの。かわいそうな酒人。わたしが、おまえを不幸にした。

これからは好きなことをさせて、一生、幸せにする。

伊勢から戻ってきて、おまえさえ承諾すればめとっても良いと父上が認めている。

だから早くいっしょになろうと言ったのは、覚えてる?」と酒人。

「…それから?」

「そこに、ひっくりかえって寝てしまった。けっこういびきがうるさい」と酒人。

「ほんとうに、それだけか?」

「そう」

「まず、水をもらいたい」と山部。

「わたしを妃にしたいの?」と酒人が、提子ひさがの水を椀に入れてさしだした。

「そうだ」と山部。

「なぜ?」と酒人。

「好みに合っているから」と山部。

「どこが?」と酒人。

「見た目」と山部。

「だけ?」と酒人。

「あとは、まだ知らない」と山部。

「わりと正直」と酒人が寝台に腰をかける。

「じゃあ、妃となる手続きをしよう」と山部が、酒人の肩の手を伸ばす。

「必要ない」と酒人が、山部の手を押える。

「どうして」と山部が顔を近づける。

「昨日、種継も、神王も、奈貴王も、芳ジイも、従者たちも、お兄さまがわたしにからんで寝室までくっついてきたのを見ている」と山部をかわして酒人がいう。

「ほんとうに、しつこかったのか」と山部。

「強引だった。わたしは泣きそうな顔をして、送くるだけよと何度も念押しをした。芳ジイはついてこようとして、お兄さまに突き飛ばされた。

ここは、わたしの寝室で、お兄さまは、わたしの寝台で一夜を過ごした。

すぐに寝てしまったことは、わたししか知らない」と酒人。

「わたしたちが愛し合ったと、みんなは思っているのか」と山部。

「この服は、昨日から着ていた。

わたしが服を引き裂いて、喉を少し切って寝台に血を流し、死んだように伏せって泣いていたら人はなんと言うかしらね」と酒人。

「酒人・・・?」

「愛し合うには信頼が必要よ。母と弟は、父とあなたに幽閉されて殺された。

あなたには不信感しか持ってない。どうやって、わたしの信頼を得るつもりよ」と酒人。

「幽閉はしたが、手は下していない」と山部。

「幽閉したら母が狂い死にすることぐらい、計算したでしょう」と酒人。

「した。長く仕えていた者を遠ざければ、井上さまが安定を欠かれると計算した」と山部。

酒人が立ち上がって、水を汲んで飲んだ。

「一度、近くで拝見したことはあるが、井上さまに紹介されていない。

わたしは井上さまを知らないが、父から聞いていて幽閉を勧めた。

他戸王には、信頼できる者を小者にしてつけていた。井上さまが亡くなったら、小者が他戸王を連れ出して関東に行くはずだった。

しかし怖がった他戸王が、その小者から逃げてしまった」と山部。

「なぜ関東に?」

「都から遠い。戸籍を造り、生活に困らないように家や田畑もそろえていた」と山部。

「まだ十三歳よ。どこかで亡くなったかもしれない」と酒人。

「探しているが行方が分からない。人買いにさらわれていなければ良いと思う」と山部。

「母や弟を殺してまで、皇位につきたかったの」と酒人。

「そうだ。皇位について父のあとを継ぎたい」と山部。

「ジャマになりそうな草壁皇子の血統を絶やすつもり?」と酒人。

「そのつもりだ」

「わたしは、どうなるの。わたしは聖武天皇の外孫で、称徳天皇の姪よ」と酒人。

「そして、わたしの妃で異母妹だ。だから問題はない。酒人のことは守る」と山部。

「いつ、あなたの妃になった?」と酒人。

「昨夜。皆が、やっちゃったと思っている」と山部。

「やっちゃった?」

「落ち着いてから、帝と良く話し合えば良い。二人で会えるように手はずを整えよう。

次の正月の朝賀は欠席した方が良いだろう。そのように伝えておく。

また、来てもいいかな?」と山部。

「皇太子は、従者に扮して出歩くものなの?」と酒人。

百済王くだらのこにしき明信めいしんという女官がいる。彼女が手伝ってくれる。いまごろ皇太子は病で伏せっている」と山部。

「手をつけた女官?」

「親の仇で不信感しかないのだから、嫉妬じゃないよな。

明信は若いころから知っている。綺麗な娘だった。

わたしのことを慕っているのは分かっていたが、手を出さずに利用した。

明信も利口で、藤原北家の継縄つぐただの妻になり、わたしを支えてくれている。わたしのためなら継縄も裏切るだろう」と山部。

「自信過剰。なぜ、また会いたいの?」と酒人。

「頭が良くて気の強い女が好みだ」と山部。

「ムカつく」と酒人。

「服を裂いて強姦されたと泣くまえに、顔を洗って髪を整えるからジイを呼んでくれないか」と山部。

「やっちゃった関係にするつもり?」と酒人。

「そうだ。愛もなく酒の勢いでやっちゃったが皇太子妃と認める」と山部。

「まだ認めなくて良い」と酒人。

「都合の良いときに言ってくれ。いつでも認める。

そのうち信頼を築いて愛を育み、求められて交わりたい」と山部。

「来世でも無理よ!」と酒人がふすまを投げつけた。



七七六年。

二月の初めに、陸奥にいる大伴駿河麻呂が「兵士二万人を動員して、四月に蝦夷と討つべきだ」と言上してきた。

恵美仲麻呂が、新羅討伐に送ろうとしていた兵が五万人。一年半前に犬かネズミのように米を盗むコソ泥と報告した相手に、二万人の兵を派遣するのは多すぎる。

しかし蝦夷討伐の勅をだしてしまったから答えないわけにもいかない。

そこで四千人の兵を送ることにしたが、光仁天皇も戦闘の経験は仲麻呂の乱だけで討伐にかかる費用を知らなかった。

徴兵された人は租税が免除されるから、それだけ国の収入が減る。そのうえ四千人の兵士の兵糧ひょうろうは国が用意しなければならない。国の出費は大きかったが、その一方で国が送る物資の値を上げたり横領する人も出てくる。

利益を得る人たちにとって、戦争は長引かせたいものだ。

去年の夏から、光仁天皇は中央官と地方官のあいだの収入の違いを均等にするように見直して、官人制度の改革に手をつけ始めていた。

陸奥の大伴駿河麻呂が送ってくる奏上は、頭の痛い問題だった。


二月の中頃、光仁天皇は酒人内親王を内裏に呼び寄せた。

「だれもいない。そばに寄りなさい」と光仁天皇。

酒人が、心持ち天皇に近づいた。

「少し変わったな。気にはなっていたが会うのが恐かった。

おまえにとっては母親だ。辛い思いをさせた。聞きたいことがあれば答えよう」と光仁天皇。

「お言葉に甘えてお尋ねします。

母と他戸は、どうしても省かなければならなかったのでしょうか」と酒人内親王。

「罪を犯した」と光仁。

「他戸もですか」と酒人。

「他戸を、皇太子にするわけにはゆかない」と光仁。

「幼帝を避けたいからですか。政治的なご配慮のためになら、帝は我が子に罪を着せて、その命まで犠牲になさるのですか」と酒人。

「山部から聞いていないのか。他戸は、わたしの子ではない」と光仁天皇。

「ウソ!」

「本当だ。内親王から懐妊したと告げられて、わたしが承諾した。草壁皇子系の皇子だろうが、内親王の子でもないだろう」と光仁天皇。

「・・・?」と酒人。

「他戸が生まれた頃のことを、なにか覚えているか」

「まだ七歳だったから覚えておりません。

えっ! じゃあ、わたしも違うの?」と酒人。

「おまえは、わたしと内親王の娘だ」と光仁。

「お父さまも、お母さまも、他戸を道具として使ったの?」と酒人。

「そうだ」

「それじゃ、あの子が可哀想じゃない!」と酒人。

「酒人。おまえにとって井上内親王は、たった一人の母親だ。その母親を、わたしが葬った。許せとは言わないが、わたしも、おまえの親だということは覚えていてほしい」と光仁天皇。

「何も言わないで。いまは何も聞きたくない。

政治の道具にするために、子供を育てるなんて冷酷すぎる。そんな人に国が治まるの? 民のことを愛せるの!

帝。わたしは、これで下がらせていただきます」と酒人が立った。


その三日後。山部皇太子が密かに酒人内親王宅を訪れた。

「この季節が一番良い」と昔住んでいた梅林のなかの棟のまえに座って、冬の日差しに温もりながら山部皇太子が言う。

「鼻から息を吸って、口からフーッと長く吐き出す。やってごらん。

梅の香が、身体の中に満ちてくる」

「うん」と酒人。

「父と会って興奮したらしいが、少し落ち着いたか」と山部。

「うん」

「十五歳の時に、この邸で父が成人を祝ってくれた。そして、この棟を使っても良いと言われた。うれしかった。とても誇らしく想った」と山部。

梅の香を吸い込みながら、酒人が聞いている。

「すでに井上さまが正妻で、おまえが生まれるまえのことだ。

母は渡来系の下級官人の娘で、わたしは庶子だから、父の邸で成人を祝えると思っていなかった。

まして、ここに一むねを与えてもらえるなど、考えもしなかった破格の扱いだ。

あのときに、父のためになら何でもしようと心に誓った」と山部。

「庶子は、成人のを本宅で行わないの?」と酒人。

「家によって違うのだろうが、正妻が二品の内親王という皇族の中でも最高位におられる方だから、遠慮して父の邸は使わないだろうと思っていた」と山部。

「お父さまに大切にされた長男だったのね」と酒人。

「わたしは次男だ。父が井上さまと婚姻したあとで長男は出家した」と山部。

「母が入って、家族に影響があったの?」と酒人。

「それまでは正妻がおらず、のんびり暮らしていたから変わったかもしれない。

朝廷での父の立場は強くなった」と山部。

「母に男子が生まれれば、もっと政治的な恩恵を受けられると思った?」と酒人。

「それを考え始めたのは、他戸王おさべおうが誕生してからだ」と山部。

「ほんとうに他戸は、お父さまの子ではないの?」と酒人。

「もうすぐ生まれると聞いたときに、自分の子ではない。どういう経緯で井上さまが子だと主張されるのか知らないが、我が子として認めると言っていた。

信じるかどうかは勝手だ。

父は食えない人だけれど、罪のない我が子を幽閉する人ではないと、わたしは信じている」と山部。

「母の子でもないの?」と酒人。

「わたしには分からない。

でも井上さまのお子なら、他に父親がおられることになる」と山部。

「それはない。やはり他戸は母の子でもない。母が他戸を用意したの?」と酒人。

「父は、そう言っている」と山部。

「母が呪詛したというのは、本当?」と酒人。

「どこまでを呪詛というのか見解が違うだろうが、わたしが呪詛を報告した。

井上さまは、父と難波さまのことを度々悪く言っておられた」と山部。

「早く死ねとか?」と酒人。

「まあ、そんなことかな。

わたしは、井上さまと他戸王を廃して幽閉することを勧めた。だから、わたしでは、おまえが抱える心の負担を解いてやれない」と山部。

「母は亡くなった。もう母は帰ってこない。わたしの家族は、父と異母兄弟姉妹だけしかいない。

父は帝で、あなたは皇太子。保護して貰うなら権力者に頼るのが良い。

頭では分かっている。どうすれば得かも計算できる。

でもイラ立ったりカーッと腹立たしくなったり、急に哀しくなったりして、感情が頭について行けない」と酒人。

「一人で静かに暮らす方がいいか?

しばらく寺にもって、法話などを聞いたらどうだろう」と山部。

「どうして寺なのよ。出家はしない」

「じゃあ、あの三人の女従と豪たちを連れて、散歩にでも行ってみたら」と山部。

「いいの?」と酒人。

「目立たない格好で行けば良い。ともかく前を向いて欲しい。

ときどき話をしに、立ち寄っても良いか」と山部。

「何のために」と酒人。

「気になる。会っていないときも、急に酒人の姿が浮かんできて目の前のことに集中できなくなる」と山部。

「ウソっぽい。ほかの皇族と婚姻しないように封じているつもり?」と酒人。

「内親王の婚姻には帝の許可が必要だから、わたしが牽制する必要がない。本音だ」と山部。

「わたしは独身のままでいるか、皇太子妃になるかしか道がないの?」と酒人。

「どっちでも、父とわたしが充分な生活を保障する」と山部。

「草壁皇子系のわたしを、次の皇后に立てると有利?」と酒人。

「むしろ不利だろう。わたしの皇后には、藤原式家の乙牟漏おとむろと言う娘がなる」と山部。

「え・・・?」

「わたしの嫡子の母だ。乙牟漏と息子のことは式家しか知らない。

皇后になりたいのか?」と山部。

「廃されて幽閉される皇后に? わたしは政治の道具じゃない。

わたしのところに来るのは、政治がらみじゃないの?」と酒人。

「気になって会いたいからだ」と山部。

酒人が梅の香を吸い込んだ。日だまりはぬくく、まだ鳴き慣れない鶯の声がする。山部皇太子と酒人は、そのを黙って聞いた。

神王みわおうが迎えに来られました」と、そこに芳ジイがやってきた。

「外歩きをするときは用心しろよ。また来る。嫌なときは門前払いをしろ」と山部が立った。

「お兄さま」と酒人。

「ん?」

「神王に伝えて。

伊勢の斎宮寮の女官たちは、最も尊い存在として斎王を崇めるから、幼い子が長く斎宮をつとめると、都に帰ってから周りに溶け込めない性格になってしまう。

浄庭女王きよにわにょうおうには、強くて信用できる人を付けてあげて」と酒人。

酒人に代わる伊勢斎王は神王の幼い娘だ。浄庭女王を気遣う酒人を見て、山部皇太子が口元に笑みを浮かべてうなずいた。


それから山部皇太子は、ときどき酒人邸に顔をだすようになった。

いつも夕餉の終わるころにきて、酒人を交えて家人や、来るたびに呼ぶ豪の伯父で市人いちびとの岡田綱と談笑する。そして、そのまま帰って行く。

「どういう、おつもりでしょう?」と理恵。

「まえに泊られたとき、ほんとうに何もなかったの?」と小鈴。

「ぶっ倒れて寝ただけ」と酒人。

「でも気さくに声をかけてくださるし、わたしたちの話も喜んで聞いてくださるから、そんなに悪い人に思えませんね」と理恵。

「そうやって馴染むのが狙いかもよ」と小鈴。

「もともと、ここに住んでおられたのよ。すでに馴染があるわよ。

猫だって住んでいた家を忘れずに、戻って来るっていうでしょう。

自分の居場所があるここが、恋しいのかもしれない」と理恵。

「酒人さまのおかげで、お邸の者は一緒に食事をして思ったことを口にできます」と毛野。

「この頃は三日に一度だけどね」と小鈴。

「芳ジイや大場さんや小椋さんは、小者たちや家族と一緒に食事をする日があるからよ」と理恵。

「皇太子さまは、このやりかたを好まれておられます。

そして来られるときは、いつも綱さんを呼ばれます。

わたしたちの話も、日々の暮し向きのことを熱心に聞かれて、色々と問われます。

民の暮らしを知ろうとされているのかも知れません」と毛野。

「そうね。いつも米の値や、賃金や、仕事の負担のことを気にしている」

他戸は子供だし、母が後見していたら民の暮らしを気にかけただろうか…と思いながら、酒人が言った。


五月十一日の夜。奈貴王と神王と壱志濃王をつれた山部皇太子が酒人邸を訪れて、梅亭と呼ぶことにした梅林にある棟に酒を運ばせた。夕餉を終えたばかりの酒人と家人たちも集まった。市人の岡田綱も呼ばれている。

井上内親王と他戸王が亡くなって、一年が過ぎた。

市に来る庶民たちのあいだには、二人は皇太子に毒を盛られたという噂が根強く残っていて、今年に入ってから再燃しはじめた。

「出どころは分かるか」と山部皇太子が綱に聞く。

「出所は一つじゃありやせん。当初から言われていて、それが消えねえで、ぶり返したみてえでやす」と綱。

「それで市に来る人々は、わたしの姿をどのように思い描いているのだろう」と酒が進んだところで、山部皇太子が聞いた。

「姿は拝んたことがねえから、口にゃのぼりませんや。頭でなにを描いてるか、こちとらにゃ分かりやせん」と酒を飲みながら綱が答える。東の市で野菜を商っている綱は、体格の良い四十男だ。

「口にしているのは、正当な皇太子と、その母を毒殺して皇太子になった、卑しい生まれの中年の異母兄ってところだろう」と奈貴王。

「さようで。皇太子に災難が降りかかるのを待ちかねているようです」と綱。

「そこまで嫌われているか」と神王。

「卑しくて冷酷非情な男。思い描くとしたら青白き幽鬼(ゆうき)か、赤黒き鬼だ」と壱志濃王。

「髭が薄くあごが細いから幽鬼のほうだな。なぜ姿に、こだわる?」と奈貴王。

「綱。噂をあやつれるか?」と山部。

「へ。どういたしやしょう」と綱。

「今、流行っているのを、どんどん流してくれ」と山部。

「打ち消せねえんで?」と綱。

「枝葉をつけて、もっと派手に流せ。

打ち消したところで、わたしの失脚を望むのは官人たちの本音だ。消えるはずがない。

燃え広がれば、なんとか考えよう。なにか…良い手が…ある…」と言いながら、山部皇太子が引っくり返った。

「潰れた?」と酒人。

「ああ。潰れた」と奈貴王。

「弱いの?」と酒人。

「わたしより弱い}と壱志濃王。

「こいつはザルだ。くらべる必要がない」と神王。

「陸奥で官軍が敗けたらしい。補佐に入れる者の人選がもめて、朝からなにも喰っていない。

すきっ腹に入れたから、酒の回りがはやい」と奈貴王。

「言ってくれれば、さきに食事をだしたものを。

豪さん。山部さまを寝床に運んでください」と芳ジイが動き出す。

「もともと酒は強いほうではない。帝も言われているほど酒好きではないし、宴会が好きだったわけではない」と山部皇太子が運ばれるのを見ながら神王が言う。

「へーえ。そうなの?」と酒人。

「酒好きの宴会好きに見せなければ、生き残れなかったさ」と奈貴王。

「天智天皇系の王は、そんなに苦労をしたの?」と酒人。

「まあ、人と争わず目立たぬようにしていた」と壱志濃王。

「わたしは同じ歳のイトコだから、皇太子を良く知っている。

天智系というだけでなく、ズーッと大変だったと思うよ」と神王。

「いじめられた?」と酒人。

「笑って上手くかわしてたが、腹のなかで見下げられているのを知っていた。

母親が渡来系だろう。それだけで蔑視べっしする奴がいるからな」と神王。

「お休みになりました。

われわれは引きあげます。酒人さまは?」と芳ジイが戻って来た。

「さきに行って」と酒人。

「お一人で残られて大丈夫ですか?」と芳ジイが奈貴王と神王と壱志濃王を睨む。

「わたしがいるから大丈夫だ」と奈貴王。

「わたしたちもおります」と理恵。

「行って」と酒人が芳ジイを帰した。

「あいつは人の心を読むのが上手いから、自分は心を開かない男だ。

心を見透かされたら落としいれられると思っている。

だが、ここは気に入っているようで、わたしだけでなく神や壱志濃まで連れてきた」と奈貴王。

「山部は、なかなか人を信じないが、一度信じたら裏切らない」と神王。

「支えになってくれた式家には恩を感じているだろうよ」と奈貴王。

「式家? 乙牟漏って、どんな方か知ってる?」と酒人。

「邪気のない娘だ」と奈貴王。

「だれだ?」と壱志濃王。

「皇太子の夫人で内臣の娘だ。まだ十六歳だから無邪気だ」と神王。

「子供がいるって聞いたけど?」と酒人。

「十四歳で母になった」と神王。

「十四歳ってことは、十三歳の娘に手をだしたの。変態!」と酒人。

「そうか。ふつうは十五か十六で母親になるからな。一年早いとヘンタイか」と壱志濃王。

「そんなに悪い男じゃない。

井上内親王と他戸王のことを償えないのは分かっているが、責め続けないでくれないか」と奈貴王。

「ここに皇太子が来ていることは、誰も気がついてないの?」と酒人。

「ああ。見つかっていない」と奈貴王。

「夜が明けるまえに支度をしておくから、あとで迎えに来て」と酒人。

「それは置いて帰れってことか?」と奈貴王。

「わたしが責任を持って、お世話する」と酒人。

ホウ!と言う顔で、奈貴王が酒人をみて頭を下げた。

うけたまわりました。内親王さま。朝議のまえに戻れるように、お迎えにまいります。

神。壱志濃。オイ。帰ろう。いいから舎人だけ残して、おまえらは来い!

いい夜だ。木の芽が息吹く香りが満ちているぞ」と奈貴王が、うれしそうに二人を連れて去った。



この年の始めから内裏では、怪しい声が聞こえたとか、黒い影が横切るのが見えたと怪異が訴えられて、浮かばれない井上内親王と他戸皇王が彷徨っていると恐れられていた。

五月に光仁天皇は大祓おおはらえをしたが、それから後も悪いことが続く。

雨が降らず旱魃かんばつになった。イナゴの大群が襲ってきた。光仁天皇の即位を報告するために遣唐使を派遣したのだが、出港した遣唐使船が風に恵まれずに大宰府に戻ってきて出発が来年に延期された。渤海国ぼっかいこくからは、やっと即位を祝う使者が派遣されてきたが、遭難して大半の人が溺死した。

この年に参議の太政官だった北家の藤原楓麻呂と、陸奥出羽鎮守府将軍の大友駿河麻呂が亡くなった。

ここまでは災害や事故や病死だが、五月を過ぎてから起こる異常現象は人為的な感じになる。瓶ほどの大きさの星が落ちてきた。二十日以上も都の民家の屋根に、夜になると瓦や土くれや石ころが空から降ってきた。

災害や怪しげな現象の原因は、井上内親王が山部皇太子を祟っているからだとされた。

その山部皇太子は、姿をやつして酒人邸に通っていた。




井上内親王(故廃皇后)

  ‖――――――――――酒人内親王

  ‖          他戸王(廃太子)

光仁天皇

  ‖――――――――――山部皇太子

和 新笠           ‖

               ‖――――――――――安殿王

藤原良継           ‖      (誕生から九歳までは小殿おて王)

  ‖――――――――――藤原乙牟漏

阿部古美奈

             

     太政官 右大臣 大中臣清麻呂

          内臣 藤原良継(式家)

         大納言 藤原魚名(北家)

         中納言 石川豊成

         中納言 藤原縄麻呂(南家)

         中納言 石上宅嗣

          参議 藤原田麻呂(式家)

          参議 藤原継縄(南家)

          参議 多治比土作

          参議 藤原百川(式家)

          参議 藤原浜足(京家)

          

   酒人内親王家 女従 笠 理恵

          女従 山背毛野

          女従 酒人小鈴

          家令 土師芳岳

             篠原常足

             大村大場

             田口小椋

             岡田 豪

          市人 岡田 綱


     山部皇太子友人 奈貴王

             神王

              ‖―――――――――――浄庭女王

             弥努摩内親王(異母妹)

             藤原種継

             壱志濃王



      鎮守府大将軍 大伴駿河麻呂

         副将軍 紀広純




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