八 崩壊を告げる矢 仲麻呂の乱序盤
七六四年(
七六四年。九月二日。
大師の
これで平城京に近い四畿内(
大納言の文屋浄三は、太政官会議で押勝の要求を通したあとで退職して邸にしりぞいた。押勝の軍事力が強くなったので退官したようにみえるが、すでに一ヶ月前に同じ地方に
押勝が兵事使になるのを止めずに自らが退官することは、太政官としての文室浄三が打った最後の呼び水だった。
太政官会議に出席する
大外記が二人と少外記が二人の四人からなり、公文を作ったり記録を書いたりする書記官だ。外記は太政官府に属していて、太政官たちと仕事をしている。
外記とは別に
九月四日。
孝謙太政天皇は詔で文屋浄三の辞職を知らせて、その労をねぎらった。恵美押勝が浄三の退官を知ったのは、この詔によってだった。
九月五日。
浄三の退官を知った翌日に、押勝は三男の
文屋浄三が去ったあとの、孝謙太上天皇や太政官の動きを確かめたのだ。それから三日間は、なんの動きもなかった。
九月九日。
押勝が田村第に四人の外記を呼び寄せて、兵事使が各国から徴兵する兵士の人数を二十人から二百人に変えた令書を書かせた。
兵を集めるのは四畿内と、三関のある美濃国、越前国、伊勢国の七か国だ。一国から二百人の兵を集めると、押勝が千四百人の兵を都に集めて自由に動かせることになる。
人数を十倍に水増しした公文書を書かせると、それに太政官印(外印)を押して「発送されるまで見とどけるように」と三男の訓儒麻呂をつけて外記を宮城に帰した。
この日の午後になって、中納言の
「徴兵のことは、どうなりました?」と塩焼が聞く。
「四畿内と三関のある国から二百人づつ徴兵できるようにしたので、千四百人を集められるでしょう」と押勝が答える。
氷上塩焼と藤原恵美押勝は因縁の仲だ。
今から二十二年前。聖武天皇の治世で都は
すでに塩焼王は聖武天皇の三女の
あれは、だれの
恭仁京から離れていたから夜になると下官や女儒や巫女を集めて、聖武天皇のことを話題にしながら酒を飲んだ。
あのころは恭仁京が完成するまえに
それから何ヶ月か経ってから、塩焼王は政道批判をしたと捕らえられて獄に入れられた。聖武天皇は、めったに怒らない穏やかな天皇だから反省すれば許されると思っていたが、流刑がきまって塩焼王は
三年近くを伊豆ですごして呼びもどされたときには、聖武天皇の皇子の
妻の不破内親王や、義母の県犬養
安積親王が亡くなれば、孝謙天皇の皇太子は二世王の中から選ぶことになる。二世王の塩焼王は、こんどは大臣ではなく皇位を継げる機会を得たことになる。
しかし聖武天皇は亡くなるまえの
このとき塩焼王だけは、孝謙天皇の異母妹を妻にしているからと罪にも問われなかった。孝謙天皇に影響力を持っていた押勝が
それからは権力を握った押勝に、塩焼は従っている。
氷上塩焼には三人の姉妹がいる。妹の
「いつごろまでに集まりますか」と塩焼。
「訓儒麻呂が外記が伝達するのを見とどけていますから、公文書は今日中に各地方へ送られるでしょう。近いところばかりですから、二十日もあれば都にを兵を集められます」と押勝。
「すると決起は十月の始めになりますか」と塩焼。
「できるだけ急がせたいが、それぐらいにはなるでしょうね」と押勝。
「千四百人で足りますか」と塩焼。
「
宮城の外を囲む雑兵は、千四百で十分でしょう。
あっちが動かせるのは
朝廷には
淳仁天皇を皇太子にしたときに、押勝は六衛府の兵事権を握っている。
「太政官たちのようすは、どうです?」と押勝。
「大納言が去ったあとは気が抜けたようなものです。白壁などアクビばかりしています。白壁が大納言と親しいのは確かですが、あれでは代わりを務められないでしょう。
徴兵された兵が集まったら、訓練をさせるのでしょう?」と塩焼。
「徴兵は、整列の仕方も武器の持ち方や扱い方をしらない百姓ですから、何日かは訓練させる必要がありますね。宮城のそばでさせましょう」と押勝。
「留学僧のことで新羅使が来たときから北家のようすが変ですが、武具や馬の手配は大丈夫でしょうか」と塩焼。
大納言の藤原永手は、武官の任命や兵の調達や武具や馬を管理する
「まだ永手には決起のことを伝えていませんが、武部省(兵部省)には阿部
外記にいた訓儒麻呂が、令書が伝達されるのを見届けたと帰ってきて報告した。
このとき恵美押勝と氷上塩焼は、一カ月後には孝謙太政天皇を完全に引退させられると信じていた。
「勝手に太政官
高丘比良麻呂は、祖父が
「なにを今さら? わたしたちに田村第に行くようにと命じて、大師さまの言うことをハイハイと聞いて、兵の数を書き換えさせたのは、高丘さん! あなたですよ。
わたしたちは、あなたに従っただけです」と、もう一人の大外記の
「それはズルい。大師さまの呼び出しを断れますか?
あなたの方が経験があるのですから、呼び出しがあったときにイヤなら断れば良かったでしょう。
令書の内容を変えるようにと言われたときにも、違法だから書けませんと、はっきり突っぱねれば良かったでしょう!」と高丘比良麻呂。
「なぜ、わたしが断って、大師さまの恨みを買わなけりゃならないのです!」と伊吉益麻呂。
「ホラ、ごらんなさい。あなただって、わたしと同じでしょう。
でも伊吉さん。今回のことは都に集める兵の数の水増しです。
その偽の令書を書いて地方に送ったのは、わたしだけでなく、わたしたち全員です」と高丘比良麻呂。
「太政官会議では、各地方から二十人を徴兵して、交代で都に呼んで訓練させると決まったはずです。それを令書にして送れと命じられました」と小外記。
「それが各地方から二百人づつ、全員を同時期に都に集めて訓練をすると書き換えさせられました」と別の小外記。
「二十人から二百人へ十倍の水増しです。全員が一斉に都に来ると千四百人の兵が集まるのですよ。
それだけの兵を都に集めるだけで、
「謀反! わたしが謀反のために、偽の令書を書いたというのですか?」と伊吉益麻呂。
「書いたでしょう? みんなで書いたでしょう!
伊𠮷さん。なぜ都に兵を集めるのか考えましたか。
上台さまを、討つためだと思いませんか?」と高丘比良麻呂。
「高丘さん。あなたは大師にヘツラッテ出世した人だと思っていましたが、ちがうのですか?」と伊吉益麻呂。
「たしかにヘツラッテ出世しましたッ!。それがなんです。
長いものに上手に巻かれるのが、
ヘツラッタから、長いものに巻かれたからといって、わたしは大師さまの従者ではありません。わたしだって官人です。
わたしは外従五位下です。ほんとうに、あと一歩で、息子が登庁するときに
今もそうです。改ざんされた令書を書いて送って、それが見つかったときに処罰されるのが怖いのです。だって、兵の増強ですよ。謀反とみなされますよ。そんなことの巻き添えになりたくありません。
いけませんか? みんさんだって、そうでしょう?」と高丘比良麻呂。
同じような境遇の他の三人が、うなだれた。
外記は書記官として太政官会議にでるから、会議のようすを見て知っているし、一歩引いた冷静な目で見ることができる。押勝の養子の藤原
「でも高丘さん。令書を改ざんさせられたと、いったい、どこに報告をすれば良いのでしょう。
わたしたちは太政官府に配属されていて、太政官の最高位は大師です。太政官のうちの三人は大師のご子息ですよ」と伊𠮷益麻呂。
「文室浄三さまがいらしたら、ご相談できたのに…」と小外記。
「北家が立場を変えられたように見えますから、もう一人の大納言の藤原永手さまに相談してみたらどうでしょうか」と高丘比良麻呂。
「わたしも、北家の方が微妙に変わられたと感じていますが、永手さまと真盾さまにとって、さっきまで、そこにいた訓需麻呂さまは血のつながる甥です。
あなたの甥が、偽の文書が発送されるのを見張っていたと訴える気ですか?
永手さまと真盾さまは、やめたほうが良いでしょう。
ここは上台さまに
「どうやって奏上するのです。わたしたちは内裏にあがれる身分ではありません」と小外記。
「
「内記だって内裏には上がれません」と伊吉益麻呂。
「でも内記は中務省に属しています。内記から中務省に話しを等してもらったらいかがですか」と小外記。
「おなじ書記官でも持ち場が違います。ふだん交際もない外記が、内記にどんな用があるのですか?」と高岳比良麻呂。
「…そうですねえ。
このあいだの文屋さまの退官を知らせる詔は、上台さまにしては珍しく良い詔でした。教えを
「ゴチャゴチャ考えずに、事情を話して奏上の力になってもらいましょうよ。
高丘さん。下級
わたしたち外記を救ってください」と伊吉益麻呂。
「えっ。わたしが? 一人で行ってやるのですか?」と高丘比良麻呂。
「ゾロゾロ行ったら目につくでしょう。すぐに田村第に報告されます」と伊吉益麻呂
「お願いします。わたしたちは仲間でしょう」と小外記。
「仲間? いつから?」と高丘比良麻呂。
「偽の令書を書いたのですから
お願いします! 高岳さん」と伊吉益麻呂と少外記の三人が手を合わせて拝んだ。
九月十日。朝。
大外記の高丘比良麻呂が内裏をたずねて、藤原恵美押勝が徴兵の人数を十倍に増やして太政官印を押し、地方に令書を伝達したことを孝謙太政天皇に奏上した。
すぐに大納言と
「各地方から二百人の兵士を一斉にあつめて都で訓練をするなどと、とんでもないことをする。なにを考えていることやら…」と永手が苦い顔をする。
「永手。文屋浄三は非常事態であるから吉備真備を軍師として、すべての人が真備の指示にしたがうようにと決めて朝廷を去った。
太政官たちも、これからは真備の意見を第一にし、それに従うことことを承知せよ。
真備。これを、どう処理する」と孝謙太政天皇が聞く。
「淳仁天皇が勅をだされて、大師さまに徴兵の増員を許可をしたとされれば違法行為は成立しせん」と力みもせずに真備が言った。
「なにもできないのですか?」と文室大市。
「できません。兵事使や徴兵のことは、ひとまず放っておきましょう。
さきに
「反逆罪…」と藤原永手が、弟の真楯と顔を見合わせる。
「徴兵を十倍にして、都に千四百人もの兵を集めるのは反逆罪になります」と真備。
「永手さん。真盾さん。
わたしたちは
臣下としての心得があれば、大師も法を犯されないでしょう。
身内を裁くことは辛いと察しますが、太政官をまとめられるのは永手さんだけです。
ご決心ください」と白壁王が、いきなり頭をさげた。
反逆罪は大罪で、関わった人は
「わかりました。続けてください」と永手。
「では、これから、文室浄三さまが立てられた計画を実行するために、説明を加えさせていただきます。
すでに二年前の六月三日に、上台さまは
それから二年、淳仁天皇をみてきたが政務にはげんでいるようすがない。内印と駅鈴を返納するようにという
勅ができましたら、少納言の山村王を勅使にします」と真備。
「山村王? あの、なにを考えているのか分からない、無表情な
「淳仁天皇から内印と駅鈴を取りあげないかぎり、藤原恵美氏の横暴をとめることはできません。
もともと内印と駅鈴は、少納言が内裏で管理するものです。もう一人、少納言の大伴
「大友東人というと武部省でわたしの下におりましたが、顔が恐くてガンコな男です」と永手。
「ほかに内印と駅鈴を運ぶ四人の侍従をつけます。勅使の一行は
「淳仁天皇が内印と駅鈴を
「上台さまの勅を
淳仁天皇に気骨があり、上台さまと正面対決するお覚悟なら断られるかも知れません。
しかし三十一歳の今日まで政務も執らず、ご自分で物事を決断をされたことがない方が、山村王たちに詰め寄られてお断りになれるでしょうか。
中宮院に出入りされている
真盾さんは、どう思われます」と真備。
「・・・何ごとも、お一人で対処されたことがありません。
すべて大師さまの言いなりで、大師さまの顔色を
上台さまの勅使に応対されることさえ、おむずかしいかと思います」と真盾。
「真盾さん。
帝が
帝のお暮らしぶりや、
「帝のお暮らしぶりは、朝はおそくて
それに合わせて他の官庁よりは遅く、登庁の
それまでは、お休みのジャマにならないように、中宮院のなかには母君と内舎人と女官しかいません」と真楯。
「その中に帝に助言できる方がおられますか」と真備。
「母君の
「ねらうなら、このときですね」と文屋大市。
「中宮院を守っている宿直の
「規定どおり、鉦鼓が鳴ると交代します」と真盾。
「派遣されるのは九十人。すべて五位以下で
「そのとうりです」と真盾。
「淳仁天皇がお休みになっている御寝所の周りは、庭に三十人ほどの中衛舎人が配置されているだけだと聞いていますが、それもまちがいありませんか」と真備。
「はい。残りは中宮院全体に配置しています」と真盾。
「九月に入ってから佐伯
真盾さん。役人が登庁するまえに、中宮院を訪れる方がおられると思いますか」と白壁王。
「お休みを妨げないように遠慮されて、どなたもまいられません」と真盾。
「分かりました。では、決行は明日とします」と真備が言った。
「明日!」と永手。
「はい。明日、
「明日の朝、九月十一日の鐘鼓が鳴ったあとに決行ですね」と大市がくりかえす。
「それまでは気づかれないように注意してください。
ところで、明日も太政官会議は行われますね」と真備。
「はい」と永手。
「決行時に、藤原恵美氏と氷上塩焼を自分の邸に足止めできませんか」と真備。
「さっき集合の知らせをいただいたときに、太政官会議に出ていました。
それで、わたしは腹の具合が悪いと
「そのときに白壁王から真盾が伝言を聞いて、重要な案件もないので早めに会議を終わらせて、わたしと真盾は、こちらに来ました。怪しまれましたか?」と永手。
「大丈夫ですよ。巨勢麻呂さんが亡くなってからは、太政官会議に出るのは若い恵美氏だけですから気を回さないでしょう。
巨勢麻呂さんは、良いときに亡くなられたのかもしれません。
ご遺族の方は、すでに恵美氏とは縁を切って北家に戻っておられますね」と白壁王が促すような目で永手を見て、軽くうなずいた。
永手は、娘を巨勢麻呂に嫁がせていて孫がいる。白壁王は巨勢麻呂の家族を守るようにと目で語っている。
「明日の会議は、真盾さんも腹の具合が悪くなって熱がでたから
「太政官の中臣清麻呂さんと石川豊成さんはどうします。
真面目な方たちで、恵美氏とは関係ありません」と真楯。
「左大弁と右大弁を兼任する中臣さんと石川さんには、できるだけ早く内裏に来ていただきたい。
勅書をつくっていただかなければなりません。
上台さまから淳仁天皇にだす勅書は、みなさまがお立ち会いになって草稿を練ってください。
永手さん。真盾さん。白壁王。大市さん。中臣さん。石川さんは、しばらく上台さまのそばを離れずにいてください。おそらく何日かは泊まり込みになります。
では、明日の打ち合わせをします。
明日は、山村王に勅書を渡し、鉦鼓が鳴ったら中宮院に送りだす手配をお任せします。
山村王と大伴東人には、淳仁天皇が自ら内印と駅鈴をお渡しになるように仕向けるようにと話してあります。勅書の内容を、よく理解できるように説明してやってください。
内印と駅鈴が内裏に届いたら、いつでも淳仁天皇を廃帝にできます。
山村王たちを送り出した後で、内裏や官庁に近い
ここまでは、ご理解いただけましたでしょうか」と真備。
「分かりました」と永手。
「問題は、内印と駅鈴を持って勅使が内裏へ戻るときです。
すでに官庁が開いていますし中衛舎人が側にいますから、異変はすぐに
内印と駅鈴を取り返しに来るかも知れません」と真備。
「来たらどうなります?」と永手。
「天皇が自ら返納された内印と駅鈴を運ぶ太上天皇の勅使を、宮城のなかで襲うことになりますから大変なことになるでしょう」と真備。
「反逆罪になりますね」と永手。
「万が一、そのようなことが起こったときは、その先は、わたしが
そのときは緊急事態ですから、この件に関してだけ授刀舎人を使う許可をいただけますでしょうか?」と真備。
「許す」と孝謙太上天皇。
「ありがとうございます。わたしは、これから
しばらく、わたしのことは伏せていただきたいのですが、お願いできますか」と真備。
「分かりました。われわれも一度さりげなく邸に戻って、あとで目立たぬように内裏に集まりましょう。石川さんと中臣さんには、すぐに連絡をして来てもらいます。
どこかの部屋を、太政官のために使わさせてただきたく思います」と永手が孝謙太上天皇に言った。
血縁の甥を斬り捨てる決意をした永手は、田村第に住んでいなかった巨勢麻呂の遺族を自分の邸に移して
九月十一日
平城京には十万人ほどの人が暮らしていた。そのうちの一万人ほどが官人で、それを上回る数の官人の家族が住んでいる。戸籍を登録している日本の人口が五百万人余りだから、平城京は役人の町と言える。
むかしは夜明けとともに、
白みはじめた晩秋の空が、だんだん明るく青く澄みわたっていく。
その空の下を、官人たちが宮城を目指してあつまってくる。
寝るのが早いから暗いうちから起きだせて、日の出とともに鳴る登庁の鐘鼓とともに開けられる宮城の門を、官人たちがくぐりはじめる。
五時半
内裏では、正装をした山村王が孝謙太政天皇から勅書を頂いていた。
ずんぐりした山村王は四十二歳。すでに真備から、くわしい説明を聞かされているので落ちついている。小さな目が内面を隠すのか、もともと図太い性格なのか緊張しているようすはない。
副使の大伴東人も、持ち前の苦虫を噛んだような渋い顔をしているが緊張はない。
授刀衛では、
「中宮院から引き上げるときに、勅使から内印と駅鈴を奪おうとする者がいたら、まず中宮への道を
内印と駅鈴は奪われてもよい。ただそれを、中宮院へ届けさせてはならない。
いいか。宮城内で勅使が襲われたら、中宮院への道を塞ぐことが、お前たちの任務だ。ほかのことは気にするな。
勅使の山村王たちにも、そのことは良く言ってある。
内印と駅鈴を奪った者は反逆者だ。宮城内での流血は避けたいから、反逆者に向かって弓を射ても威嚇にとどめて傷はつけるな。ともかく反逆者を宮城の外に追いだせ。
反逆者が宮城から出たら、追いかけろ。宮城の外では賊を
武力でもって、内印と駅鈴を取り返せ。分かったな!」と真備。
六時二十分
鐘鼓が鳴ったあとで、山村王と大伴東人は侍従四人をつれて内裏をでて、築地塀をくぐって中宮院にむかっていた。伊勢老人が率いる四十人の授刀舎人が山村王たちを囲んで警備している。
出仕したばかりの官人たちは、まだ孝謙太上天皇の勅使が中宮院にむかったことに気がつかなかった。
淳仁天皇は十代で押勝の世話をうけるまで、父親の
押勝に世話をされてから天皇にまでなったが、ときどき子供のころを過ごした大和の村に帰りたくなる。
何もすることがなく、中宮院から出ることもできない。
欲が深いわけでも野心があったわけでもなく、言われるままに即位した淳仁天皇は押勝に見込まれるほど気が弱い。
天皇は夜明けまえに心身を清め、宮中の
中宮院が闇と
灯りは存分に使えるから夜更かしの習慣ができて、そのために朝の目覚めもおそい。
山村王たちが中宮院についたときに、起きたばかりの淳仁天皇は寝殿で顔を洗ってもらっていた。
「
勅使と聞いたとたんに、淳仁天皇は不安になった。
「勅使は、だれだ?」と淳仁天皇が聞く。
「少納言の山村王と名乗っておられます。すぐに勅を
「昼の
淳仁天皇が昼を過ごす部屋に入ったときに、すでに自分が座る上段には山村王が副使の大伴東人を従えて立っていた。
「こちらへ」と山村王についてきた侍従が、淳仁天皇を山村王の下座に案内する。
孝謙太上天皇は先代の天皇で、自分は
交代したばかりの中宮院を守る中衛舎人も庭にいるが、殿上して直言できる五位以上の身分の者はいない。室内に居るのは数人の
「上台さまの勅使を命じられた少納言の山村と申します。勅を読ませていただきます」と上座に立った山村王が落ち着いた声で話しだした。
「勅。
すでに国の大事と賞罰は朕が行うと決めている。すぐに
勅を読み終えた山村王が、しずかに淳仁天皇に顔を向けて言った。
「内印と駅鈴を、ご返納ください」
内印と駅鈴を渡せばどうなるかぐらいは、淳仁天皇にも分かる。しかし勅使を追い返すだけの度胸もないし、気転も利かないし口も立たない。
「帝!」と庭から
山村王は、表情一つ変えずに淳仁天皇を見ている。その横の大伴東人は、恐ろしい形相で険しい眼を向けてくる。この二人を前にして黙って立っているのは苦痛だ。三十一歳の淳仁天皇は、だんだん息があがってきた。
「内印と駅鈴を、ご返納ください」と山村王がくり返す。
この状況から早く抜けたいのだが、助けてくれる人がいない。
「すぐに内印と駅鈴を上台さまにご返納ください」と無表情に無感情にくりかえす山村王の声だけが聞こえる。
二十分も経つと「取ってくるように」と淳仁天皇が根負けした。
中宮院に仕える内舎人たちが立ちあがった。
「検分させていただきます」と副使の大伴東人と四人の侍従が、広廂に控えていた授刀舎人を数名従えて内舎人についていく。
内印の入った箱と駅鈴が入った箱が運ばれてきて、淳仁天皇にささげられた。
「帝から上台さまに返されることを口頭で告げられ、帝のお手から勅使である、わたしにお渡しください」と山村王。
そのようすを見て、中衛少監の矢田部老が庭から姿を消した。
七時二十分。
田村第に走り込んできた矢田部老が、押勝のまえに通された。
「内印と駅鈴を返納した…」と押勝が絶句する。
昨日まで、孝謙太上天皇に変わった動きはなかった。そんな強引なことをすると押勝は想像もしていなかった。
「すぐに止めてまいります」と三男の
そのころ中宮院からは、内印と駅鈴の箱をささげた侍従を従えて、山村王の一行が退出しはじめていた。
真備は、中宮院との境にある築地塀の各門に授刀舎人を配置してから、授刀衛きっての二人の
「
いま上台さまの勅使の山村王たちが、内印と駅鈴をもって中宮院から内裏に向かっている。無事に帰ってくればよいが、恵美一族が奪いにくるかもしれない。
内印と駅鈴を奪って、それを持った者が宮城の外に出たら反逆者になる。分かるか」と真備。
「はい」
「二人には、内印と駅鈴を持って逃走する反逆者を、宮城の外で待ちうけて成敗してもらいたい。宮城に向かうときには止めるな。見過ごせ。
内印と駅鈴は別々の箱に収められていて、それぞれが白絹で固く包まれている。
白絹で包まれた箱を持った者が宮城から出てきたら、それは反逆者だ。
やつらを成敗して、かならず内印と駅鈴をとりかえしてほしい」と真備。
「殺せと?」と苅田麻呂。
「そうだ」と真備。
「どこで待ちうけます?」と嶋足。
「藤原恵美氏は参内するときに、田村第から二条大路を通って
いま中央の朱雀門は開けているが、内裏や官庁に近い東の
反逆者は、二条大路を田村第へ向かうはずだ。
「分かりました」
「苅田麻呂は馬を使え。ほかに二十人の舎人をつける。二条大路をふさげ」と真備。
「人を殺したことは?」と授刀衛府をでたあとで、馬を引いて歩きながら苅田麻呂が嶋足に聞いた。
「ない。できれば向かってくる敵を打ちたい」と大弓を持った嶋足。
「わたしもだ。だが、やるなら手心を加えるな。そのほうが射られる方は楽だろう」と苅田麻呂。
授刀
この二人が完全武装した従刀舎人をつれて小子部門に向かったので、仕事を始めていた官人たちも異変が起ったことを知った。
八時まえ。
訓儒麻呂は二十数名の
「それを返してもらおう!」と山村王の一行を見つけた訓儒麻呂が、駆け寄りながら馬上から大声で叫ぶ。
「わたしは上台さまの勅使です。勅使は、上台さまに代わるものです。
馬上から声をかけるとは無礼でありましょう」と足を止めた山村王が、感情はないが重みのある声で答えた。訓儒麻呂は馬を降りた。
山村王たちがいるところは、中宮院から三百メートルは離れている。伊勢老人は四十人の授刀舎人に、中宮院へ向かう道を塞がせた。
「返せと申されましたが、どなたの命でございますか」と山村王が動ずることなく訊ねる。
「大師さまが承知しておられぬ」と訓儒麻呂。
「帝が自らのお手で上台さまにご返納された内印と駅鈴を内裏にお届けするところです。臣下が止めることではありません。
帝の
臣下ごときが承知していないから返せとは、なんという思いあがりでしょう」と、山村王は周囲に届くように声を大きくした。
自分の父を臣下ごときと言われた、訓儒麻呂が顔色を変えた。
訓儒麻呂は太政官で、山村王はただの少納言だ。平然とかまえた山村王に、大声で淡々と語られるとバカにされ感がハンパなく、訓儒麻呂は怒りで体が熱くなった。とても頭を働かせる状態ではない。
「うるさい! こちらに寄こせ」と訓儒麻呂が手をのばして、侍従がもつ箱をつかんだ。下馬していた田村第資人も、それを見て侍従から箱をうばおうとむらがった。
伊勢老人たち四十人の授刀舎人は箱のうばい合いにかまわずに、中宮院を背にして弓に矢をつがえて訓儒麻呂と田村第資人を
山村王も大伴東人も
訓儒麻呂たちは、内印と駅鈴の入った箱を取りあげて馬に乗った。
「藤原恵美訓儒麻呂。謀反でございます! 藤原恵美訓需麻呂。謀反でございます!」と山村王が大声で叫び始めた。
「恵美訓儒麻呂。謀反! 謀反でございます」と大伴東人も叫ぶ。この人は声が大きい。
伊勢老人と四十人の授刀舎人たちも口々に「藤原恵美氏。謀反!」「恵美訓需麻呂。謀反!」と叫びながら、馬に乗った訓儒麻呂と田村第資人たちを威嚇するように矢を射て朱雀門から宮城の外に追いだした。
中宮院を守る中衛舎人も駆けつけてきたが、「藤原恵美氏が謀反を起こしました。中宮院へ戻って帝の警護をしてください」と大伴東人に追い返された。
宮城が東に張り出しているのを隠すために、張り出した部分の南側を北に下げて塀が巡っていて、朱雀大路からは左右が対称に見えるようにしている。その下げた部分は
坂上刈田麻呂と牡鹿嶋足たちは、小子部門のなかで田村第資人が朱雀門に向かうのを見とどけた。そのあとで小子部門の外の、その更地のところで待ちかまえていた。
「戻ってきた。行ったときと変わりがあるか?」と刈田麻呂。
「白いものを持っている」と遠目が効く嶋足が答える。
「確かか」と刈田麻呂。
「白いものを抱えた人が二人いる」と嶋足。
「よし。反逆者だ。位置につけ!」と刈田麻呂。
朱雀門から小子部門までは約三百メートル。牡鹿嶋足を中心に二十人の授刀舎人が、朝日を背にして二条大路に広がった。
牡鹿嶋足が
訓儒麻呂の姿が射程距離に入ると嶋足は矢を放った。矢は光をうけて飛び、訓儒麻呂の左胸を背中まで射抜いた。
上半身をそらして落馬した訓儒麻呂は、すでに絶命していた。
次々に嶋足が強弓を引く。外すことなく騎馬の田村第
つづいて馬に乗った坂上苅田麻呂が大路にでてくる。苅田麻呂は
田村第資人は、押勝が全国からすぐれた武芸者を集めて邸においている私兵だが、苅田麻呂と嶋足の敵ではなかった。
伊勢老人たちも朱雀門から駆けつけてきて矢を射かける。残った一人二人の田村第資人が小路に逃げていった。
山村王は、伊勢老人たちが抱えて戻ってきた内印と駅鈴を確かめて、新しい絹で両方の箱を包み直し、授刀舎人に囲まれて内裏に向かった。
苅田麻呂と嶋足が戻ってきた
「これで藤原恵美一族の謀反が確定した。
今後、田村第からでてくる者は、すべて逆賊として討ちとれ!」と吉備真備が
「はい」と二十人の授刀舎人を連れて、紀舟守も授刀衛府をでていった。
「訓儒麻呂が打たれた?」と田村第の押勝。
「はい。一度は内印と駅鈴を手にして田村第に戻ろうとされましたが、奪い返されてしまいました」と逃げ帰ってきた田村第資人が答える。
内印と駅鈴をとりあげられたのは意外だったが、取り返しにいった息子が殺されたのは、もっと予想外のできごとだ。
暗殺は常に警戒していたが、軍事権を持たない孝謙太上天皇が正面から
それで押勝は判断力をなくした。
「登庁服を着た者を弓で射て、内印を奪うとは卑怯な。
武具と馬を貸していただけますか。わたしが取りかえしてきます」と中衛少監の矢田部
「老に武具と馬をあたえて、資人をつけろ」と押勝が命じた。
矢田部老は田村第を出てすぐに、二条大路で待ちかまえていた紀舟守たちと向きあった。
老は刀を抜いて声をあげて突進した。向かってくる老を、紀船守が弓矢を構えて待ち構える。逆光になるので、船守は目を細めて狙いを定めて矢を放った。矢田部老は
舟守の矢を額に受けて絶命する。
授刀舎人がたてる武功は、
九時。
淳仁天皇に内印と駅鈴を自らの手で返上させて、藤原恵美氏に奪わせるという、真備から指示されていた大任を、山村王はみごとにやりとげた。内印と駅鈴は、山村王や大伴東人らの少納言が内裏で管理している。
昨夜から内裏に泊まっているのは、大納言の藤原永手(五十歳)。中納言の白壁王(五十五歳)。中納言と中務卿を兼任している藤原
「これから上台さまの勅書を発表します」と永手が声をあげた。
甥の訓需麻呂が亡くなったと聞いたときに少し動揺をみせたが、すでに私情を断った永手は落ち着きを取り戻している。
「大師で正一位の恵美押勝と、その子や孫が兵を起こして反逆した。そこで彼らの官位を
「藤原の
「はい。もう恵美一族は藤原氏ではありません。藤原をつけないようにおねがいします」と真楯。
「勅使から内印を奪ったときに反逆罪は成立しますが、兵を起こしたのは、いつです?」と文室大市。
「矢田部老が私兵を連れて、武装して刀をかざして授刀舎人に斬り込んできましたから、この時点で兵を起こしたとします」と永手。
「勅書のことですが、すべての弁官の
「なにか問題がありますか」と白壁王。
弁官は、大弁官、中弁官、小弁官がいて、それぞれに左右があるから併せて六人で構成されている。
「この正月から
「勅書は中務卿の真盾さんと、左大弁の中臣さんと、右大弁の石川さんと、ほかに信用できる弁官二人の自署があれば大丈夫だと思います。
それよりも、この勅書の写しを、どのようにして地方に送れば良いのでしょう。
地方に伝達する勅書の写しには、
しかし外印は、押勝が田村第においているので使えません」と永手。
「内印を押すしかないでしょう」と白壁王。
「内印を押したら本物の勅書になりますが、地方官に本物の勅書が届くことはなく、内印を見分けることができるでしょうか?」と中臣清麻呂。
「内印を押した
ただ五位以上の官人なら、自分の位記(叙位の証明書)に内印が押されているでしょう」と真盾。
「それが、このところ叙位のための叙位議もあいまいで、位記に内印が使われているか良く分かりませんね」と白壁王。
「兄の浄三が八月に、大和、河内、
かれらが、それぞれの国の国守を、内印が押された勅書は上台さまが出されたものだと説得するはずです。
ただ関がある
「そのころから浄三さまは、今日のことを準備されていたのですか」と永手。
「溜池造りの司の人選は吉備真備さんがなさいました。それなりの方を送っているはずです」と文室大市。
「真備さんもですか。分かりました。
上台さまから内印をいただいて、勅書を地方に送りましょう。それに、こっちには地方に勅書の写しを送るときに、使者に渡す
「永手さん。勅書と一緒に太政官
内印を知らなくとも、われわれの自署は国府に保管されているはずです。それを見くらべれば、少なくとも、われわれが出していることは分かるはずです。
美濃と越前の国守は押勝の息子です。何が届いても、自分たちに不利なものは握りつぶすでしょう。
ただ美濃国にある
「
「
じゃあ、わたしは内記の部屋で地方に送る勅書を作らせてきます」と石川豊成。
「わたしは太政官符の
「中臣さん。緊急事態です。
内記も外記も、内裏に呼んで使ったらどうですか。そのほうが便利です」と白壁王。
「そうします。ともかく前例にないことが始まったのです。使えるものはなんでも使います」と中臣清麻呂。
「
「この勅の写しを、真備さんに届けてください」と真盾。
「わたしは、ただのパシリですか」と
授刀舎人たちは警備についているので、授刀衛府には人が少ない。
「孫までを反逆者としましたか」と勅の写しをみて真備が言う。
「はい。なんだか張り切っていますよ」と奈貴王。
「それでは奈貴王。これから言うことを内裏におられる方々に伝えください。
すでに宮城にいる官人は、淳仁天皇が内印と駅鈴を上台さまに返納されたことを知っています。
今、宮城の門が閉じられるから早く帰った方が良いという噂と、五位以下の下級官人は宮城を離れると罰せられるという指示を流しています。
この勅の写しとおなじものを、すぐに十枚つくって、ここに届けてください。
高札に貼って宮城のなかで公示します。
そのあとで、宮城の門を一カ所づつ閉じて厳重に警戒させます。
これで恵美一族と親しい五位以上の貴族は、宮城の外に出てしまわれるはずです。
全ての門が閉まってから、これまで功績のあった者を
授刀舎人は名と功績を記した記録がありますから、これを参照にして作ってください。これも十枚は必要です」と真備。
「はい」
「それから逆賊を討つための
「
「孫までが反逆者ですから、捕縛に向かうと抵抗します。
恵美氏は百人を超える私兵を抱えていますから、戦いがおこります。宮城の近くで争うことはできません。
田村第に立てこもっても、邸を包囲されてしまうと恵美氏は不利になります。包囲が手薄なあいだに、恐らく今夜あたりに都から逃げると思います。
恵美氏が逃げたら、討伐隊を派遣します。
討伐隊の公募の知らせは、こちらで作ります。
募集内容は五位以下の官人で年齢は三十半ばまで。武官でも文官でも
「それなら、わたしを入れてください」と奈貴王。
真備が、奈貴王の顔をしげしげと見てから言った。
「あなたはダメです。あなたは目立たず手柄を立てずにいてください」と真備。
「どうして? わたしは三十歳で健康です。従五位下ですが五位以下と一階級しかちがわないし、腕にはソコソコの自信があります」奈貴王。
授刀衛府で真備の秘書をしている侍従の藤原
「この一件が片付いても、帝に皇太子がないことは変わりません。
世を治められる帝が即位して、乱れてしまった政治を正し、先人たちが作った律令を根付かせて、この国を揺るぎのない律令国家にするまで、あなたや、そこの雄田麻呂さんは目立たず生きのびて力となってほしい」と真備。
「そのころには腕も鈍っているかもしれません。わたしは、いまが盛りの
「ダメなものはダメです。さて奈貴王。あなたは
「顔見知りていどで、良くは知りませんよ」と奈貴王。
「あの人に兵士をまとめられますか」と真備。
「そういう意味でしたら、若いころは
でも、もう年です。討伐隊の大将はつとまりません。
それにあの方は、たしか
「高齢ですし従三位の
奈貴王。あなただって若いのに岩見へ行かずに、ズーッと侍従をしてるでしょう」と雄田麻呂。
「百済王敬福さんは、兵を
「真備先生。もしかして先生は、衛門、兵衛、衛司のほかに
「さすがに鋭い。討伐隊に志願する人が多かったら、選ばれなかった人を集めて六衛府をこえた臨時の衛府をつくります。
奈貴王。太政官たちに今まで言ったことを伝えてください。
それから緊急時のために、朝廷を警備する臨時の衛府を置く許可をいただきたいと伝えてください」と真備。
「わたしを討伐隊に入れる件は?」と奈貴王。
「ダメです。それより奈貴王。あなたは、もっと自分を大切にしてくださいよ」と真備。
「じゃあ、もっと、わたしを大切に使ってくださいよ」と奈貴王。
「先生が言われたことを書き留めておきました」と雄田麻呂が書いていたものを奈貴王に渡した。
「あの方は、ご自分のことは口にしません。先生は、どの皇嗣系かご存知ですか」と、奈貴王が帰ったあとで雄田麻呂が聞いた。
「天智天皇系ですよ。たしか
面白い人です。奈貴王には独特のこだわりがあるようですねえ」と真備が楽しそうな顔をした。
九時過ぎに、訓儒麻呂の遺体が田村第に運ばれてきた。
それを見て押勝はわれに返った。押勝にも子に対する情はあるが、味わっているのは息子を失った衝撃や悲しみだけではない。
矢で射ぬかれたまま田村第に運ばれた訓儒麻呂の姿は、押勝が築いた帝国が一夜にして崩壊したことを告げていた。
ちょうど
「なんだ。そのすがたは?」と従者の服を着た薩雄をみて、押勝が眉を寄せる。
「
わたしは
帰ってくるまで、押勝は薩雄のことを忘れていた。
「これが官庁のあちこちに公示されました」と薩雄が紙をとりだす。
大師で正一位の恵美押勝とその子や孫が、兵を起こして反逆した・・・という孝謙太政天皇の勅を写した公示書だ。
「いつごろ、この勅がでた?」と血の気の失せた顔で、押勝が聞く。
「張り出されて、すぐに剥がして戻ってきましたから、そんなに経っていません」と薩雄。
「右虎賁(右兵衛)のようすはどうだ」と押勝。
「兄上が殺されて、恵美一族が反逆者になったと知った舎人が興奮してます。
石伴さんが隠してくれなければ、捕まって殺されるところでした」と薩雄。
仲石伴は皇嗣系官人で押勝の娘婿になる。一時は押勝の養子になって藤原氏を名乗っていたが、のちに
「石伴は、どうしている」と押勝。
「邸に戻るとおっしゃっていました。宮城の門が閉まるそうで残っているのは下級官人だけです」と薩雄。
「右虎賁に、ここを包囲せよと言ってこなかったのか」と押勝。
「下級官人は宮城の警備に集められたみたいで、そのほかの動きはありません」と薩雄。
「帝は?」と押勝。
「官庁と中宮院との間の
「駅鈴と内印を手に入れたのなら、この勅を地方に送るだろう。
やっと、いま起こっていることに対応できる思考能力が押勝に戻ってきた。
恵美押勝は書史たちに文を書かせると、それに太政官印(外印)を押して、自分と太政官をしている恵美真先と恵美朝狩の自署を入れて、真先が用意した従者に外記がつかう
十一時。
そして今朝、ゆっくりしているときに、邸の従者が恵美訓儒麻呂が殺されたと伝えてきた。
いま塩焼は、池の魚にエサをやっている。
見上げれば高く青い秋空が広がっている。今日は湿度が低いので風が清々しい。庭の木々も色づきはじめている。
よりによって、こんな日に、なぜ、しみじみと自然の美しさを感じるのだろうか。
従者たちを走らせて、大体のことは知ることができた。
内印と駅鈴は、内裏の孝謙太政天皇のもとにある。訓儒麻呂が、内印と駅鈴を取りかえそうとして命を落とした。
恵美押勝とその子と孫は、藤原の姓を取られ反逆者になった。
そして恵美氏と塩焼を除いた太政官たちは内裏にあつまっている。亡くなった訓需麻呂の叔父になる北家の永手や真盾までが、孝謙太上天皇のそばにいる。
これが一番イタい情報だった。孝謙太上天皇と太政官は、塩焼を恵美一族と同一にみなして除外した。
明日の朝になれば、恵美氏を捕まえるために、六衛府のいずれかが田村第を囲むのだろうか。
田村第は広い。一町や二町の邸なら衛府の舎人で囲むことができるが、八町(十四万㎡)もある田村第を包囲できるのだろうか。
それに外出するときに百人の私兵を連れて歩ける押勝は、予備を入れて百三十人ほどの武人を邸に住まわせている。田村第には成人した押勝の息子たちや、その家族も住んでいて、彼らも私兵を持っているから合わせれば二百人近くの私兵がいるはずだ。
これから押勝も朝廷も、どうするつもりだろう。田村第を包囲して交戦するつもりなのか。
塩焼は内裏にいる太政官たちを一人一人思い浮かべたが、戦の指揮をとれそうな人は思い当たらない。
あれこれ考えながら、塩焼は池の魚にエサをやった。
同じ十一時。
すでに各門が閉められて
残っているのは五位以下の下級官人たちだけだ。
閉ざされた宮城で、これまでに功績があった者への
従三位の藤原永手に正三位。正四位下の吉備真備に従三位。押勝の反乱を予測した
武功があった者への破格の昇位は、各衛府の舎人たちや下級官人をふるい立たせた。
とくに
十一時半に昇位者の公示のよこに、
押勝は各衛府の長官に自分の腹心をおいて、二千四百人の官兵を動かすつもりでいたが、そんなものは通用しなくなってしまった。
内裏の警備についている牡鹿嶋足が、さえない顔をしている。
「怖いのか」と坂上刈田麻呂が寄ってきた。
「わたしは六位以上になれる身ではありません。それに人を
「身の丈にあわないか」と苅田麻呂。
二人がもらった従四位下は、立派な貴族の階級だ。
一万人はいる官人のなかで、五位以上の位階を持つ百人余の上級官人を貴族という。貴族の最下位になる五位が七十七人で、その上の四位は十五人、三位以上は十三人と、時によって過不足があるが律令で定員数が決まっている。
位は一位から少初位までで、一位から三位までは一つの位階が正一位と従一位というように、正と従で二つに別れている。正が上位で従が下位だ。
四位から八位までは正と従をさらに上下に分けて、正四位上、正四位下、従四位上、従四位下というように四段階にする。それが四位から八位まであって、その下に大
官人の中で貴族は一握りしかいなく、なかでも十三人しかいない一位から三位までは公卿と呼ばれ、その下になる四位も十五人までしかいない。貴族のほとんどが五位だ。
苅田麻呂も嶋足も、その稀少な四位に昇位された。一町(一万六千㎡)の邸を持つことができて、朝廷から封戸(サラリー)や季禄(ボーナス)がもらえ使用人まで寄こしてもらえる特権階級だ。
「身を低くして、まじめにつとめよう」と苅田麻呂。
「はい」
渡来系だが官人になってから何代か経っている苅田麻呂は、嶋足のような怖さはないが
「なあ嶋足。わたしたちは武人だ。いつか
「おまえの故郷には、おまえのように真っ直ぐな男が多いのか」と苅田麻呂。
「…たぶん」と嶋足。
「…イヤだな」と言いながら、苅田麻呂が嶋足の肩をやさしく手でつかんだ。
「嶋足。武人は心を動かさずに、ただ命令にしたがう。そうだな」
「はい」と嶋足。
「どんなときでも、われらは武人でいよう。私情を捨てて命令にしたがうだけだ」と苅田麻呂が言った。
十二時すぎ。
氷上塩焼のところに、田村第に仕えている従者がきた。
「邸を出ることができたのか?」と従者を庭に通して、塩焼が聞く。
「はい。まだ包囲されていませんので出入りができます」
「見張りはいるだろう」と塩焼。
「
「田村第には見張りも置いていないのか?」と塩焼。
「はい」
「ここへ来るときの町のようすはどうだ。人通りはあったか。すれ違ったものはいたか」と塩焼。
「人は出ていません。すれ違ったのは二人連れの僧侶と、荷車を引いた男たちと、どこかの邸の小者が
「
「見かけていません」
「それで、なにをしに来た」と塩焼。
「暗くなってから宇治橋で落ち合おうと、大師さまからのご伝言を伝えに来ました」
塩焼は遠くの空を、しばらく眺めてから聞いた。
「何人が、その使いに出された?」
「十六人です」
「これから田村第に戻るのか」と塩焼。
「はい」
田村第から来た従者は、用心しながら塩焼の邸を出て次の角を曲がったところで、そこにある邸のまわりの溝の掃除をしていた小者たちに捕まった。
吉備真備は、小者に
「捕らえたのは二人だけで、他の者は見のがして田村第に戻るのを見とどけました」
「捕らえた二人からは、別々に問いただしましたね」と真備。
「はい。どっちも暗くなってから宇治橋で落ち合うと言っています」
「捕らえた者は
田村第から宇治橋へ向かう路も、見張ってください」と真備。
「また近くの邸に頼んで、小者の格好をして見張るのですか?」と舎人。
「職人の格好をして、頼んだ邸の庭木や屋根の上に登って見張ってもかまいませんよ。ともかく見張っているのを気づかれないように工夫してください」と真備。
「船親王からも、暗くなってから宇治橋で落ち合うと連絡が来たと密告がきています。今夜、都を抜け出すのは、まちがいないでしょうね」と衛士府の舎人が帰ると、雄田麻呂が言った。
「まず、まちがいないでしょう。宇治橋で集まるなら行く先は近江ですね」と真備。
「なにか引っかかりますか。先生」と雄田麻呂。
「読みどおりに事が動くと、どこかに見落としはないか、相手は別の策を考えているのではないかと確かめたくなります」と真備。
十三時。
「
「討伐隊の一人一人に、
「公募の方はどうなっているのか聞いてこいといわれましたけど…」と奈貴王が見回す。前に来たときとは様子が変わっている。
討伐隊に参加をしたい人があつまっていて、雄田麻呂たちがセッセと名や所属を書きとっている。
「奈貴王。ちょっと教えてください。集めているのは五位以下で三十代
あそこにおられる方は、どう見ても高位の貴族で年齢も高いのですが、あの方はどなたでしょう」と吉備真備が、おとなしく順番を待っている小太りの老人を目で指した。
「ああ、あれが百済王敬福さんですよ」と奈貴王。
「ほう。ご自分から来られましたか」と真備が目を細めて敬福の姿をながめだした。
若いころは、ずっと東北地方にいた百済王敬福が、
「なるほど。名のとうりに実に福々しい陽の気をもった切れ者です。こちらへ、ご案内してください」と真備が奈貴王に言った。
「これは真備さん。吉備真備さんですね。百済王敬福です。なにか手伝えるかとやってきましたが、すごいですねえ。すごい人です」と百済王敬福。
六十六歳になるが、肌が艶々して肉つきも良い。
「応募してきた人の、名と年齢と所属と位階と住所を聞いて書きとっています。
能力によって
手伝ってくださるなら、武官をしたことがない応募者の身体能力や特徴をみて、討伐隊に加えるか、
「わたしに、わたしに決めろと言っているのですか」と敬福。
「はい。今から臨時で、あなたに宮城を守る外衛府
「外衛ね。そう。外衛府。エーッと真備さん。外衛府なんてありましたっけ?」と敬福。
「今から作ります」と真備。
「今ですか。今。そう。逆賊になった恵美氏に援軍は来ません。来ませんね。
立てこもっても、田村第を囲まれたらおしまい。終わりです。
孫まで逆賊ですから逃げますね。きっと逃げます。早いほうが良いから今夜。きっと今夜にでも逃げます。
それを追いかけるから討伐隊。軍でなく討伐隊ですね。
武術があり人をまとめられる器量のある者が、権少尉で二十人の兵をひきいる。
権少尉は、何人つくるのですか?」と敬福。
「来たものしだいです」と真備。
「なるほど。それで、どなたが討伐隊の大将ですか?」と敬福。
「大将は、まだ決めません」と真備。
「決めない。そう。だから討伐軍じゃなくて討伐隊ね。
外衛府は宮城を守る。宮城の守りを強くする。守りを強くして宮城を襲ってもムダだと思わせる。
恵美氏は逃げ出すでしょうから、来るのは泥棒ぐらいですね。それと、どさくさに紛れて騒ぐ放火魔。守りが堅かったら、恐らく外衛府は実戦をしないですむ。
わたしは、しつこくてムダが多い男ですから、あなた! 奈貴王でしょう。
奈貴王。手伝ってください。さっそく選別にかかりますよ」と敬福がサッサと場所をさがしにいく。
「エーッ、わたしも? だれか代わりに、このようすを内裏に伝えてください。
外衛府を作ることも伝えてくださいよ」と奈貴王が敬福のあとについていく。
「それから、門を守っている
「わたしの代わりに内裏に報告に行く人。
侍従を何人か、応援によこしてくれるように頼んでくだサーィ!」と奈貴王が叫んだ。
十三時半。
雄田麻呂の兄の藤原
「予想が的中しました。暗くなってから宇治橋で落ち合うそうです。
見つかりましたか?」と真備。
「はい。この方たちが田原村に住んでいて協力してくれるそうです」と田麻呂。
田麻呂に隠れるようにしている四人の若者は、
保良宮造営司をしていた田麻呂は、この二年間で職を転々とした。
文屋浄三が
「宇治橋を通らずに近江に行く道があると聞きましたが、知っていますか」と真備が聞くと、若者たちはオズオズと田麻呂の背中に隠れてしまった。
吉備真備も役夫や百姓に好かれる
百姓にとって宮城にいる官人は、どんなに下っ端の役人でも別世界の雲の上にいる人だ。山の中で
「わたしが話します。田原道とよぶ
竜門は、琵琶湖から流れる
田原から竜門までの田原道は狭くて整備されていませんが、田で使う馬や牛を日常的に引いています」と田麻呂。
真備が、うれしそうに手をポンと打った。
「田原から竜門までは、かれらの村の者が案内してくれます。
すでに村を発って、要所、要所で待っていてくれるそうです。
宮城から田原村へも裏道があるそうで、この人たちが田原村まで案内してくれます。討伐隊は騎馬ですか?」と田麻呂。
「馬場から馬を集めると悟られますから、宮城内の馬寮にある馬しか使えません」と真備。
「それじゃ
出かけるまえに腹ごしらえをさせて休ませたいのですが」と田麻呂。
「天の助けとなる方々です。
食事をだして、わたしが、ここで寝起きしているところを使いなさい。
それから田麻呂さん。討伐隊に渡す美濃
十四時半。
近江国にいる
勅書には恵美押勝の一族が反乱を起こしたことが書かれていて、
一か月まえに吉備真備から、もしもの話をされて近江に行くように言われたときに、反逆者として近江に逃げるのは恵美一族だと分かっていた。
なぜ、そうなるのかは、三船の関わることではない。
三船が頼まれたのは、恵美一族が反逆者となって近江に逃げて来たら、出来るかぎりのことをして逃げるのを
もしも…恵美一族が都落ちをするならば・・・
今から九十二年まえに、天智天皇が亡くなったあとで、吉野に隠遁していた弟の天武天皇が美濃の桑名まで逃げて、そこで兵をあつめて琵琶湖の南西にあった
先例好きで独創性に欠ける押勝なら、天武天皇と同じ行動をとるだろう。美濃守をしているのは押勝の息子の恵美
押勝たちが美濃国に入ったら、捕えるのが難しくなる。
美濃国にある不破関は
押勝を美濃に向かわせてはならないと三船は思った。
美濃国は、琵琶湖の東岸にある近江国の
押勝を美濃にやらないためには、琵琶湖の東岸に行かせないことだ。
琵琶湖へは多くの川が流れこんでいるが、一本だけ琵琶湖の南から外に流れる瀬田川という河がある。琵琶湖から流れ出るので河口近くは水量が多くて広く深く、泳いで渡れない。
この瀬田川の河口の西の地名を
都から近江に来る道は、宇治を通って瀬田川の西岸にある瀬田につく。
瀬田には
都から来る押勝を、琵琶湖の東岸にある柏原の先の美濃国に行かせないためには、わたしなら…
唐橋だけなら三船が連れている三人の下役と役夫たちで燃やすことができるが、大津港の舟や、西岸にある小舟を含む全ての船を隠すのは無理だ。
三船の
淡海三船は、
だが溜池司として来るまで三船は近江国をよく知らなかったし、知り合いもいなかった。
八月に近江にきたとき、琵琶湖の東岸にある国府で三船が会った近江
上家野広浜は、これまで近江介をしていた
そこで、もしも…のはなしのときに、白壁王が
大津港の近くに
しかも園城寺は、大友皇子の子の大友予多麻呂が建立したと伝えていた。
それを知ったときに、三船は一人で大笑いをした。それなら、そう言えばいいのに、まったく意地の悪いジイさんたちだ。
大友皇子は「壬申の乱」(六七二年)で天武天皇に敗北したあとに自死したから、大友皇子の子を
つまり園城寺を氏寺とする大友氏は、三船の曾祖父の子孫と名乗っている琵琶湖の西南の滋賀郡に勢力をもつ豪族だったのだ。
それからの三船は、大友村主氏の邸を何度もたずねた。
今の当主は父親が早世して、祖父が去年に亡くなったから跡を継いだばかりの、
この地が戦場になるかもしれないこと、村人たちを安全な場所に移すこと、賊軍に使われないように舟をかくすこと、村人を避難させることなどを三船が話すうちに、人主が積極的になった。
まじめ一方の
近江に来て一か月。
国府で勅書と太政官符を読みおえた淡海三船に、近江介の上毛野広浜が聞いた。
「どうしましょう?」
「どうしましょうとは?」と三船がギョロッとにらんだ。
「恵美押勝と子と孫が兵を起こして反逆した。逆賊の恵美一族を打ち取れと書かれてます」と上毛野広浜。
「それが?」と三船。
「大師の藤原恵美押勝さまは、近江守です」と広浜。
「恵美押勝と、その子と、孫は反逆者です。官位を
これは、いつ受けとりました?」と三船。
「半刻(一時間)ほどまえです」と広浜。
「すると‥」と三船が、勅がだされた時間を逆算し始める。
そこに「また太政官から文書が届きました」と国府の役人が届けてきた。
上毛野広浜が受けとって読む。
「三船さん! これを見てください」と広浜。
遅れて届いた太政官の令書には「先に届いた勅書は偽物である。今後、
「どうしましょう?」と広浜。
「さっきから、どうしましょうと耳ざわりです。内印が押された勅書と、太政官印の押された文書の、どちらに従うつもりですか」と三船。
「しかし、これには内印の押されている勅書は偽物だと書かれていて、大師さまの署名があります。これは間違いなく大師さまの自署です」と広浜。
「
「りっぱな印ですが、わたしは内印を見たことがありませんので、これが本物かどうか分かりません」と広浜。
「これが本物の内印であることは、反逆者が連署している偽文書が、内印が押されている勅書と書いて認めています」と三船。
「は?」
「それに太政官印を押した文書には、弁官の自署がありません。
弁官の自署なら、これまで届いている勅書の写しに残っているはずです。
この勅書が偽物かどうか、弁官の署名を確かめてごらんなさい!」と三船に言われて、広浜が保存してある勅書の写しの署名を見くらべた。
「…おなじです」と広浜。
「上毛野さん。あなたは朝廷に仕える官人ですか。
それとも押勝にやとわれている従者ですか。
押勝に仕える従者なら、逆賊の一味として逮捕しなければなりません」と三船。
「わたしを?」と広浜。
「近江
いまのあなたは、反逆者として捕らえられて
ほんの少しでも怪しい動きをしたら
「あの…三船さん。内印のある勅を信じてもよいのですね」と上毛野広浜。
「信じなくともかまいません。わたしは官人ですから帝の勅に従います。
帝が逆賊と名指しした者に従いたいなら、そうされれば良い!」と三船。
三船は一緒に溜池造りに来た三人の役人を、そばに招いた。吉備真備がつけてくれた下官は
「この
押勝の偽文書が、美濃国や越前国へも送られたかどうか、ご存じの方はいませんか?」と三船が、仕事をしている国府の役人たちを見回して聞く。
「美濃と越前に向かう
「いつごろ美濃や越前の国府につきますか」と悔しそうな顔で三船。
「美濃へは明日の夕刻に、越前には明後日の夕刻にはつくはずです」と国府の役人。
「勅がでた時間から考えると、恵美一族が反逆したのは朝廷がはじまるころでしょう。早ければ、今夜にでも逆賊は近江へ逃げてきます。
それを追いかける朝廷軍も、今夜中に近江に来るかもしれません」と三船。
「そんなに早く朝廷軍が来ますか?」と三船と一緒に来た
「この日のために、われわれを溜池造りとして近江に送り込んだ吉備真備さんが
あなたたちは国府に残って、食料と寝るところを用意して、朝廷軍を受け入れる準備をしてください」と三船が三人の舎人に言う。
「どれぐらいの数でしょう」
「
二百人五十人の食料と、宿泊の用意をおねがいします。
わたしは、これから大津へ出かけて帰りは遅くなりますが、あとを三人にまかせて大丈夫ですか」と三船。
「こっちは大丈夫です。気をつけてください」
「上毛野さん。生き残りたいなら誠意を見せて、この三人の指示に従いなさい。
逆らうようなら斬るか、囚獄してください」と三船が、上毛野広浜と三人の衛士舎人に向かって言った。
近江介の上毛野広浜は、
三船は、逆賊を琵琶湖の西岸に閉じ込めるために、東岸にある国府を後にした。
十五時
「勅書がとどきましたよ。恵美押勝と、その子と、孫が逆賊になりました。
早ければ、今夜中に近江にくるでしょう」と大友村主の邸へ来た三船が告げる。
「いよいよですか。じゃあ、わたしたちは陽のあるうちに、
園城寺の僧たちも、この辺りの村人に呼びかけて、いっしょに湖東に渡ります」と大友人主。
「気をつけてくださいよ。あなた方が戦に巻き込まれてケガをしないようにしてください。
それから内印のある勅書は偽物だと、押勝が文書をだしています。
「愛発関へは伝えられますが、不破関は美濃国府と近いから、やってみますが分かりません。ともかく、すぐに
内印のある勅が本物で、外印(太政官印)を押した文書は逆賊が書いたものですね」と人主。
「頼みましたよ」
「ドーンと大船に乗った気で、まかせてください。
わしらの舟です。わしらの湖です。わしらの家族です。しっかりと守りますよう」と人主が鼻をふくらませる。
「張り切りすぎないでくださいよ。なんども言いますが、だれも巻き込まれないように」
これからも親戚づきあいがしたいと、
近江軍士団というのは保良宮を北都にしようとしたときに、押勝が
軍士団として活躍したことはないが、いまだに近江軍士団を名乗っていて、互いに連絡をとり合いチョクチョク飲み会を開いている。
同じ十五時。
但馬国府(兵庫県庁)では、淡海三船が見たのとおなじ太政官印が押された文書を、
さきに内印が押された「恵美押勝が兵を起して反逆した」という勅書をうけとってから、福信の心はザワついている。すぐに都に駆けつけたいのだが、高麗福信は但馬守だ。もし押勝たちが西に逃げたら、但馬は、それを止める要所になる。
しかし大宰帥だった息子の真先を都に呼び戻されているから、押勝が西に逃げる確率は少ない。押勝が逃げるとしたら執着している近江国だろう。近江まで逃げれば、九男が国守をしている美濃国へ行ける。それに違いないだろうと福信も考えた。
だから押勝の偽文書は、福信にとっては良い言い訳になった。
福信は港と国境に兵士たちを厳重に配置して、あとを副官の介に頼んで、押勝が出した文書をもって一人で都に向かった。
十六時。
討伐隊にえらばれた二百三十名の官人を授刀衛府のそばの広場にあつめて、吉備真備が最後の指示をだした。
「反逆者の恵美押勝は、暗くなってから宇治大橋で仲間と落ちあい、宇治路を渡って近江国に向かう。反逆者が田村第を出るのをたしかめてから、その音にまぎれて討伐隊は田原道を通って近江に行く。
近江国府が
明日は、
さらに不破関に向かった隊は
そのあとで、都から逃げ出した押勝を討つ。これが決戦だ。
瀬田唐橋を焼けば、押勝は陸路では美濃に行けなくなる。しかし海路が残されている。敵の状況を確かめるように。
詳細は
二十人の兵をまとめる権少尉は十人。一隊に二名の
瀬田唐橋を焼くことができれば、恐らく今夜と明日は戦がない。そのあいだに互いをよく見知っておけ。
戦は数日にわたり乱戦になるだろう。体力や気力をムダに使うな。
功をあせるな。休めるときに休み、眠れるときに寝ろ。全員、無事に戻ってこい。
権少尉には従五位下を与え、全員が
討伐隊の印として、全員に名と所属を書いた
内裏でも孝謙太政天皇と太政官たちが、朝から休まずに働いていた。
「朝廷軍だと分かるものを十人分も用意するのですか。
ふつうは帝に
それで朝廷軍だと分かります」と中臣清麻呂。
「中臣さん。ふつうは、もうありません。
戦うのは朝廷軍ですが、大将のいない遊撃隊です。
かれらが朝廷軍だということを証明してやらなければいけません」と石川豊成。
「ですが、勅書を十枚も出すわけにはまいりません」と永手。
「こんなときに太政官印があれば、ホント便利ですがねえ」と白壁王。
「太政官印がどうした?」と孝謙太政天皇が聞きとがめて目を光らせた。
「
「なぜ?」と孝謙太政天皇。
「さあ。
「今もか」と孝謙太政天皇の体が震えはじめた。押勝の言いなりになって来た自分を
「上台さま。薬湯を召しませ」と
いつも薬湯を
昨日から内裏に詰めっぱなしの太政官たちは、はじめて噂の
太政天皇が道鏡を必要としているのはたしかで、そばから離さない。
「とりあえず朝廷軍だと言うことを書いて、われわれが署名しますか。
討伐隊全員には、真備さんが腰版を用意しているそうです」と白壁王がのんびりと言った。
十七時三十分。
田村第から人が出てきて、そのなかに数台の
吉備真備が満足そうにうなずいて、討伐隊を集めた。
恵美一族が動くときに立てる音にまぎれて、宮城の北西の門から案内の四人の百姓を先頭にした討伐隊が静かに出ていった。
二十時。
宇治川に掛かる宇治橋のまえで、さきに来ていた氷上塩焼が恵美押勝らをむかえた。
塩焼は十六人の騎馬と二十人の徒歩の、計三十六人の私兵をつれている。
押勝は、そろいの
朝の戦闘で何人かを失ったが、息子たちの私兵を入れて計百五十六人が残っていた。
そのほかに押勝は、五台の
「追われましたか」と塩焼が聞く。
「宮城の周りは厳戒に警備をしているが、ほかに兵士の姿はなかった。
人に行きあわず、都は静まりかえっていた」と押勝。
「わたしも追われていません。今まで動いていたのは授刀衛の舎人だけです。
おそらく軍を作ってから、追ってくるつもりではないでしょうか。
徴兵には、どんなに急いでも十日以上はかかります。
そのあいだに、われわれは不破関を固めて美濃へ行き、こちらも徴兵して軍を立ち上げましょう」と塩焼。
「美濃の
押勝たちは、宇治橋のたもとで小一時間ほど仲間がくるのを待った。
それでも押勝たちの戦闘員は二百六十人以上になった。
二十三時。近江国。
平城京から瀬田唐橋まで田原道をとおって約四十八キロ。竜門までは道が狭かったが、竜門をすぎてからは歩きやすくなって、討伐隊が瀬田川の河口にかかる唐橋についた。
満月に近い月がでている。
唐橋のそばに、
先頭を駆けてきた佐伯
「
「反逆者を討伐する官軍の方でしょうか」と三船。
「はい。
「
「
「
「散位の
「
「なんと! 官人による混成隊ですか。お待ちしていました。さあ早く橋を渡ってください」と三船。
「真備先生から、渡り終えたら唐橋を焼き落とすようにといわれております」と伊多治が言うと、三船がユカイそうに笑った。
「用意はしてあります。みなさん、出てきてください」と三船が声をかけると、隠れていた男たちがワラと油をもって姿をあらわした。
「湖畔に住む
みんな渡られましたか? ではワラを積んで油をかけてください。
われわれも渡りましょう。あなたは残るのですか」と、そばに残った男を見て三船が聞く。
「わたしは伝令です」と男が答える。
「なるほど。見つからないように気をつけて帰ってください」と三船が最後に橋を渡った。
「火が飛びます。なるべく橋から離れて、馬の目をふさいでください。では点火しますよ」と討伐隊と村人を橋から離して、三船が松明の火をワラにうつす。
すぐに火が瀬田唐橋に燃え広がった。
冴え冴えとした月と、黒い比叡の山並みと、湖面のきらめきのなかで、瀬田唐橋が赤く燃えあがる。なんとも壮絶で、なんとも美しい。
みんな、口をあけて燃える唐橋をながめた。
「わたしは焼け落ちるまでここにいます。みなさんは近江国府へ行って、明日のために体を休めてください。あとで、わたしもまいります」と三船が、佐伯伊多治たちを見送った。
燃える瀬田唐橋のむこうに、三船は天智天皇が治めたという近江王朝のざわめきを感じていた。融通が利かない淡海三船だが、感受性も豊かで鋭い。
三船の
額田王は古代最高の女流歌人で、すぐれた和歌を多く残した近江王朝の華だった。
九月十二日。二時ころ。近江国。
宇治橋を渡って近江をめざしていた恵美押勝たちは、瀬田川に添いの道に出たときからケムい匂いに気がついた。「火事か?」とあたりに目をやったが炎は見えない。
一日は夜明けからはじまるので、真夜中を過ぎたこのときは、まだ九月十一日になる。大変な一日をすごしてきた押勝たちは、ともかく休みたかった。
都からだと、保良宮は瀬田唐橋の手前を西に向かったところにある。匂いの原因をつきとめるより、まず保良宮の邸に押勝たちは入った。
前日の十日には、なんの
恵美押勝は大師として、朝廷を統括していた。
孝謙太上天皇と淳仁天皇が反目して、軍事面をまとめていた娘婿の藤原
すべての軍事権を握っていた自分が、いきなり
それが、あわただしく田村第を捨てて近江へ逃げてきた。
境遇の激変に、押勝も家族も疲れきっている。
寝ようとしても氷上塩焼は眠れなかった。
宇治橋で集合するという連絡をもらってから、それを孝謙太上天皇に告げようかという考えがチラッと頭を横切った。勅では氷上塩焼は反逆者にされてないから、押勝の動きを密告すれば罪に問われないかもしれない。
だが、そう思っただけで決断することができなかった。
今朝まで塩焼は、孝謙太上天皇を
船親王と池田親王と、ほかにも五、六人は押勝に従うと想っていたが集まったのは半数にも満たない。
孫まで反逆者にされた押勝が家族を連れて来ることは予測していたが、宇治橋で見るまでは百人近くの非戦闘員をつれて動くことを、塩焼は計算していなかった。
なんだか判断が空回りしている気がする。
それでも美濃国に入って兵を集めれば、都を攻めることができる。
何とかできる…何とかできるはずだ。
天武天皇―――舎人親王――――淳仁天皇
草壁皇子――――文武天皇―――聖武天皇―――孝謙太上天皇
藤原北家―――――――大納言 永手
中納言 真盾 一男 真従(故人)
宇比良古(故人) 太政官 二男 真先
‖―――――――太政官 三男 訓儒麻呂(殺)
恵美氏・大師 恵美押勝 太政官 四男 朝苅
‖
‖―――――――越前守 八男
天武天皇―――新田部親王―――陽候女王
中納言 氷上塩焼
以下母不明 五男 小湯麻呂
六男 刷雄
右虎賁督 七男
美濃守 九男
十男 真文
太政官 左大弁 中臣清麻呂
太政官 右大弁 石川豊成
天智天皇―志貴皇子――中納言 白壁王
大友皇子―葛野王―池辺王―溜池司
滋賀郡司 大友
授刀舎人 坂上苅田麻呂
牡鹿嶋足
伊勢老人
紀舟守
少納言 山村王
侍従 奈貴王(天智系)
藤原雄田麻呂(式家)
藤原田麻呂(式家)
吉備真備
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