八  崩壊を告げる矢   仲麻呂の乱序盤

七六四年(天平宝字てんぴょうほうじ八年)九月二日から九月十一日 



七六四年。九月二日。

大師の恵美押勝えみのおしかつ畿内きない三関さんげんと、近江おうみ丹波たんば播磨はりまの国の兵事使ひょうじしになって軍を掌握することが発表された。

これで平城京に近い四畿内(大和やまと河内かわち摂津せっつ山背やましろ)と三関(鈴鹿関すずかのせき愛発関あらちのせき不破関ふわのせき)の軍事権を押勝が握ることになった。

大納言の文屋浄三は、太政官会議で押勝の要求を通したあとで退職して邸にしりぞいた。押勝の軍事力が強くなったので退官したようにみえるが、すでに一ヶ月前に同じ地方に溜池司ためいけのつかさが派遣されている。

押勝が兵事使になるのを止めずに自らが退官することは、太政官としての文室浄三が打った最後の呼び水だった。



太政官会議に出席する外記げきという仕事がある。

大外記が二人と少外記が二人の四人からなり、公文を作ったり記録を書いたりする書記官だ。外記は太政官府に属していて、太政官たちと仕事をしている。

外記とは別に信部しんぶ中務なかつかさしょうに属する内記ないきという仕事もあり、こちらは大内記が二人、中内記が二人、少内記が二人の六人で構成されていて、詔勅しょうちょくの草案を作り、天皇の日常の記録をとっている。内記は内裏で仕事をしている。


九月四日。

孝謙太政天皇は詔で文屋浄三の辞職を知らせて、その労をねぎらった。恵美押勝が浄三の退官を知ったのは、この詔によってだった。


九月五日。

浄三の退官を知った翌日に、押勝は三男の訓儒麻呂くすまろを外記にやって、兵事使に関する公文書に変更がないかを確かめさせ、それを担当国に送るのを一時停止させた。

文屋浄三が去ったあとの、孝謙太上天皇や太政官の動きを確かめたのだ。それから三日間は、なんの動きもなかった。


九月九日。

押勝が田村第に四人の外記を呼び寄せて、兵事使が各国から徴兵する兵士の人数を二十人から二百人に変えた令書を書かせた。

兵を集めるのは四畿内と、三関のある美濃国、越前国、伊勢国の七か国だ。一国から二百人の兵を集めると、押勝が千四百人の兵を都に集めて自由に動かせることになる。

人数を十倍に水増しした公文書を書かせると、それに太政官印(外印)を押して「発送されるまで見とどけるように」と三男の訓儒麻呂をつけて外記を宮城に帰した。 

 

この日の午後になって、中納言の氷上ひかみの塩焼しおやきが田村第にやってきた。

「徴兵のことは、どうなりました?」と塩焼が聞く。

「四畿内と三関のある国から二百人づつ徴兵できるようにしたので、千四百人を集められるでしょう」と押勝が答える。


氷上塩焼と藤原恵美押勝は因縁の仲だ。

今から二十二年前。聖武天皇の治世で都は恭仁京くにきょうにあり、氷上塩焼が塩焼王と名乗っていた三十四歳のときのことだ。

すでに塩焼王は聖武天皇の三女の不破ふわ内親王の夫で、二人のあいだには子供もいた。

あれは、だれの御陵ごりょうだったか。崩れた山稜を修復するあいだ、埋葬されていた方を供養するようにと、塩焼王は巫女や女儒じょじゅをつれて工事中の御陵のそばの仮小屋に寝泊まりしていたことがある。

恭仁京から離れていたから夜になると下官や女儒や巫女を集めて、聖武天皇のことを話題にしながら酒を飲んだ。

あのころは恭仁京が完成するまえに紫香楽離宮しがらきりきゅうの造宮がはじまって、先がどうなるか不安だった。天皇を批判することは大罪なのだが、いまほどピリピリした時代ではなかったから、みんなグチぐらいはこぼした。

それから何ヶ月か経ってから、塩焼王は政道批判をしたと捕らえられて獄に入れられた。聖武天皇は、めったに怒らない穏やかな天皇だから反省すれば許されると思っていたが、流刑がきまって塩焼王は伊豆国いずのくにに流された。

三年近くを伊豆ですごして呼びもどされたときには、聖武天皇の皇子の安積あさか親王が亡くなっていた。安積親王が皇位を継承したら、義兄になる塩焼王は大臣にもなれただろうに、その機会が消えていた。

妻の不破内親王や、義母の県犬養広刀自ひろとじから、安積親王は藤原仲麻呂(恵美押勝)に殺されたのにちがいない。塩焼王を密告して伊豆に流刑にしたのも仲麻呂だろうと聞かされたが、塩焼王は次の機会を待つことにした。

安積親王が亡くなれば、孝謙天皇の皇太子は二世王の中から選ぶことになる。二世王の塩焼王は、こんどは大臣ではなく皇位を継げる機会を得たことになる。

しかし聖武天皇は亡くなるまえの遺勅ゆいちょくで、塩焼王の弟の道祖ふなとおうを次の皇位後継者に指名した。そして聖武天皇が亡くなったあとで「橘奈良麻呂の乱」が起こり、弟の道祖王をはじめ多くの二世王が殺されるか、流刑になってしまった。

このとき塩焼王だけは、孝謙天皇の異母妹を妻にしているからと罪にも問われなかった。孝謙天皇に影響力を持っていた押勝が手控てびかえてくれたからで、塩焼王も臣籍降下しんせきこうかして氷上塩焼となり誠意を見せた。

それからは権力を握った押勝に、塩焼は従っている。

氷上塩焼には三人の姉妹がいる。妹の陽候女王やこにょうおうは押勝の妻で、押勝とのあいだに越前守えちぜんのかみをしている八男の辛加知しかちという息子がいる。今の押勝と塩焼は義兄弟だ。


「いつごろまでに集まりますか」と塩焼。

「訓儒麻呂が外記が伝達するのを見とどけていますから、公文書は今日中に各地方へ送られるでしょう。近いところばかりですから、二十日もあれば都にを兵を集められます」と押勝。

「すると決起は十月の始めになりますか」と塩焼。

「できるだけ急がせたいが、それぐらいにはなるでしょうね」と押勝。

「千四百人で足りますか」と塩焼。

司門衛しもんえい衛門府えもんふ)の五百と、虎賁衛こほんえい兵衛府ひょうえふ)の八百と、勇士衛ゆうしえい衛士府えじふ)の千と、中衛府ちゅうえふの四百は、こっちのものです。

宮城の外を囲む雑兵は、千四百で十分でしょう。

あっちが動かせるのは授刀衛じゅとうえいだけで、たかが四百と数が知れています。宮城のなかの二千七百人の武官は我々のものです」と押勝。

朝廷には六衛府ろくえふ(左右の衛門府えもんふ、左右の兵衛府ひょうえふ、左右の衛士府えじふ)とよばれる常設軍がある。

淳仁天皇を皇太子にしたときに、押勝は六衛府の兵事権を握っている。

「太政官たちのようすは、どうです?」と押勝。

「大納言が去ったあとは気が抜けたようなものです。白壁などアクビばかりしています。白壁が大納言と親しいのは確かですが、あれでは代わりを務められないでしょう。

徴兵された兵が集まったら、訓練をさせるのでしょう?」と塩焼。

「徴兵は、整列の仕方も武器の持ち方や扱い方をしらない百姓ですから、何日かは訓練させる必要がありますね。宮城のそばでさせましょう」と押勝。

「留学僧のことで新羅使が来たときから北家のようすが変ですが、武具や馬の手配は大丈夫でしょうか」と塩焼。

大納言の藤原永手は、武官の任命や兵の調達や武具や馬を管理する武部卿ぶぶきょう兵部ひょうぶのかみ)だ。

「まだ永手には決起のことを伝えていませんが、武部省(兵部省)には阿部御県みあがたや大伴古薩こさつがいるから問題はないでしょう」と押勝。

外記にいた訓儒麻呂が、令書が伝達されるのを見届けたと帰ってきて報告した。

このとき恵美押勝と氷上塩焼は、一カ月後には孝謙太政天皇を完全に引退させられると信じていた。



「勝手に太政官令書れいしょの内容をかえたり、太政官印を押したりするのは違法ですから、このままにしておいても良いのでしょうか?」と恵美訓儒麻呂が帰ったあとの太政官府の外記の曹司ぞうしで、大外記だいげき高丘たかおかの比良麻呂ひらまろが、まわりに問いかけた。   

高丘比良麻呂は、祖父が百済くだらから移住した渡来系とらいけい官人で、これまで押勝に目をかけられて出世してきた。大外記になったのも今年の一月からと日が浅い。

「なにを今さら? わたしたちに田村第に行くようにと命じて、大師さまの言うことをハイハイと聞いて、兵の数を書き換えさせたのは、高丘さん! あなたですよ。

わたしたちは、あなたに従っただけです」と、もう一人の大外記の伊吉いよしの益麻呂ますまろが食ってかかる。

「それはズルい。大師さまの呼び出しを断れますか?

あなたの方が経験があるのですから、呼び出しがあったときにイヤなら断れば良かったでしょう。

令書の内容を変えるようにと言われたときにも、違法だから書けませんと、はっきり突っぱねれば良かったでしょう!」と高丘比良麻呂。

「なぜ、わたしが断って、大師さまの恨みを買わなけりゃならないのです!」と伊吉益麻呂。

「ホラ、ごらんなさい。あなただって、わたしと同じでしょう。

でも伊吉さん。今回のことは都に集める兵の数の水増しです。

その偽の令書を書いて地方に送ったのは、わたしだけでなく、わたしたち全員です」と高丘比良麻呂。

「太政官会議では、各地方から二十人を徴兵して、交代で都に呼んで訓練させると決まったはずです。それを令書にして送れと命じられました」と小外記。

「それが各地方から二百人づつ、全員を同時期に都に集めて訓練をすると書き換えさせられました」と別の小外記。

「二十人から二百人へ十倍の水増しです。全員が一斉に都に来ると千四百人の兵が集まるのですよ。

それだけの兵を都に集めるだけで、謀反むほんじゃありませんか?」と高丘比良麻呂。

「謀反! わたしが謀反のために、偽の令書を書いたというのですか?」と伊吉益麻呂。

「書いたでしょう? みんなで書いたでしょう! 

伊𠮷さん。なぜ都に兵を集めるのか考えましたか。 

上台さまを、討つためだと思いませんか?」と高丘比良麻呂。

「高丘さん。あなたは大師にヘツラッテ出世した人だと思っていましたが、ちがうのですか?」と伊吉益麻呂。

「たしかにヘツラッテ出世しましたッ!。それがなんです。

長いものに上手に巻かれるのが、宮仕みやづかえでしょう。あなただって宮仕えの苦渋くじゅうは散々なめてきたでしょう!

ヘツラッタから、長いものに巻かれたからといって、わたしは大師さまの従者ではありません。わたしだって官人です。

わたしは外従五位下です。ほんとうに、あと一歩で、息子が登庁するときに蔭位おんいの特権をあたえてやれます。そのためには権力者にびます。それだけのことです。

今もそうです。改ざんされた令書を書いて送って、それが見つかったときに処罰されるのが怖いのです。だって、兵の増強ですよ。謀反とみなされますよ。そんなことの巻き添えになりたくありません。

いけませんか? みんさんだって、そうでしょう?」と高丘比良麻呂。

同じような境遇の他の三人が、うなだれた。

外記は書記官として太政官会議にでるから、会議のようすを見て知っているし、一歩引いた冷静な目で見ることができる。押勝の養子の藤原弟貞おとざだと、弟の巨勢麻呂こせまろの熟年の太政官が亡くなってから、恵美一族にとどこおりが出てきたのを感じている。今の恵美一族の太政官は押勝の息子だけで、官職の経験が少ない三十代に入ったばかりの若者だ。

「でも高丘さん。令書を改ざんさせられたと、いったい、どこに報告をすれば良いのでしょう。

わたしたちは太政官府に配属されていて、太政官の最高位は大師です。太政官のうちの三人は大師のご子息ですよ」と伊𠮷益麻呂。

「文室浄三さまがいらしたら、ご相談できたのに…」と小外記。

「北家が立場を変えられたように見えますから、もう一人の大納言の藤原永手さまに相談してみたらどうでしょうか」と高丘比良麻呂。

「わたしも、北家の方が微妙に変わられたと感じていますが、永手さまと真盾さまにとって、さっきまで、そこにいた訓需麻呂さまは血のつながる甥です。

あなたの甥が、偽の文書が発送されるのを見張っていたと訴える気ですか?

永手さまと真盾さまは、やめたほうが良いでしょう。

ここは上台さまに奏上そうじょうするのが安全だと思いますが、どうでしょうか」と伊吉益麻呂。

「どうやって奏上するのです。わたしたちは内裏にあがれる身分ではありません」と小外記。

内記ないきはどうですか。内記に用があると言えば取り次いでもらえるかも知れません」ともう一人の小外記。

「内記だって内裏には上がれません」と伊吉益麻呂。

「でも内記は中務省に属しています。内記から中務省に話しを等してもらったらいかがですか」と小外記。

「おなじ書記官でも持ち場が違います。ふだん交際もない外記が、内記にどんな用があるのですか?」と高岳比良麻呂。

「…そうですねえ。

このあいだの文屋さまの退官を知らせる詔は、上台さまにしては珍しく良い詔でした。教えをいたいからでは、どうですか?」と少外記。

「ゴチャゴチャ考えずに、事情を話して奏上の力になってもらいましょうよ。

高丘さん。下級官吏かんりのしたたかな宮仕え根性をみせて、ともかく、なんとかして、上台さまにことの次第をお伝えしましょう。

わたしたち外記を救ってください」と伊吉益麻呂。

「えっ。わたしが? 一人で行ってやるのですか?」と高丘比良麻呂。

「ゾロゾロ行ったら目につくでしょう。すぐに田村第に報告されます」と伊吉益麻呂

「お願いします。わたしたちは仲間でしょう」と小外記。

「仲間? いつから?」と高丘比良麻呂。

「偽の令書を書いたのですから一蓮托生いちれんたくしょうです。いやでも仲間にならざるを得ないでしょう。

お願いします! 高岳さん」と伊吉益麻呂と少外記の三人が手を合わせて拝んだ。



九月十日。朝。

大外記の高丘比良麻呂が内裏をたずねて、藤原恵美押勝が徴兵の人数を十倍に増やして太政官印を押し、地方に令書を伝達したことを孝謙太政天皇に奏上した。

すぐに大納言と武部ぶぶきょう兵部卿ひょうぶのかみ)を兼任している藤原永手と、中納言の白壁王と、中納言と信部卿しんぶきょう中務なかつかさのかみ)を兼任している藤原真楯またてと、浄三の代理の文屋大市おうちと、吉備真備が密かに内裏に集められた。

「各地方から二百人の兵士を一斉にあつめて都で訓練をするなどと、とんでもないことをする。なにを考えていることやら…」と永手が苦い顔をする。

「永手。文屋浄三は非常事態であるから吉備真備を軍師として、すべての人が真備の指示にしたがうようにと決めて朝廷を去った。

太政官たちも、これからは真備の意見を第一にし、それに従うことことを承知せよ。

真備。これを、どう処理する」と孝謙太政天皇が聞く。

「淳仁天皇が勅をだされて、大師さまに徴兵の増員を許可をしたとされれば違法行為は成立しせん」と力みもせずに真備が言った。

「なにもできないのですか?」と文室大市。

「できません。兵事使や徴兵のことは、ひとまず放っておきましょう。

さきに内印ないいん(天皇御璽)と駅鈴えきれいをおさえて淳仁天皇を封じないかぎり、藤原恵美押勝を反逆罪に問えません」と真備。

「反逆罪…」と藤原永手が、弟の真楯と顔を見合わせる。

「徴兵を十倍にして、都に千四百人もの兵を集めるのは反逆罪になります」と真備。

「永手さん。真盾さん。

わたしたちは冤罪えんざいをつくるのではなく、律令に沿って違法な行為を摘発てきはつするだけです。

臣下としての心得があれば、大師も法を犯されないでしょう。

身内を裁くことは辛いと察しますが、太政官をまとめられるのは永手さんだけです。

ご決心ください」と白壁王が、いきなり頭をさげた。

反逆罪は大罪で、関わった人は斬首刑ざんしゅけいになる。関わりのない家族も連座れんざで裁かれる。恵美真先まさきと恵美訓需麻呂くすまろと、恵美朝苅あさかりと、美濃守みののかみをしている恵美執棹とりさおは、永手と真盾が可愛がった甥だ。

「わかりました。続けてください」と永手。

「では、これから、文室浄三さまが立てられた計画を実行するために、説明を加えさせていただきます。

すでに二年前の六月三日に、上台さまは賞罰しょうばつと国の大事は決めるという詔をだされています。

それから二年、淳仁天皇をみてきたが政務にはげんでいるようすがない。内印と駅鈴を返納するようにというちょくを、上台さまから淳仁天皇へ出していただきます。

勅ができましたら、少納言の山村王を勅使にします」と真備。

「山村王? あの、なにを考えているのか分からない、無表情な石臼いしうすのような方をですか?」と大市。

「淳仁天皇から内印と駅鈴を取りあげないかぎり、藤原恵美氏の横暴をとめることはできません。

もともと内印と駅鈴は、少納言が内裏で管理するものです。もう一人、少納言の大伴東人あずまびとを副使とします」と真備。

「大友東人というと武部省でわたしの下におりましたが、顔が恐くてガンコな男です」と永手。

「ほかに内印と駅鈴を運ぶ四人の侍従をつけます。勅使の一行は授刀舎人じゅとうとねりに警備させます」と真備。

「淳仁天皇が内印と駅鈴をやかに、ご返納されるでしょうか?」と真盾。

「上台さまの勅をこばめるのは、淳仁天皇だけです。

淳仁天皇に気骨があり、上台さまと正面対決するお覚悟なら断られるかも知れません。

しかし三十一歳の今日まで政務も執らず、ご自分で物事を決断をされたことがない方が、山村王たちに詰め寄られてお断りになれるでしょうか。

中宮院に出入りされている中務卿なかつかさのかみの真盾さんなら、淳仁天皇のお人柄も承知されておられましょう。

真盾さんは、どう思われます」と真備。

「・・・何ごとも、お一人で対処されたことがありません。

すべて大師さまの言いなりで、大師さまの顔色をうかがっておられます。

上台さまの勅使に応対されることさえ、おむずかしいかと思います」と真盾。

「真盾さん。

帝が御座所ござしょにされている中宮院のようすを、教えてくださいませんか。

帝のお暮らしぶりや、近習きんじゅうの数や人柄や、帝のご習慣など、知っておられることを話してください」と真備。

「帝のお暮らしぶりは、朝はおそくてたつこく(七時から九時)に起きられます。

それに合わせて他の官庁よりは遅く、登庁の鉦鼓しょうこが鳴ってから半刻(一時間)ほどあとに、中宮大夫かみや中宮すけ勅使伝達使ちょくしだんたつしなどの役人が出仕します。

それまでは、お休みのジャマにならないように、中宮院のなかには母君と内舎人と女官しかいません」と真楯。

「その中に帝に助言できる方がおられますか」と真備。

「母君の当麻たいまの山背やましろさまは控えめな方です。内舎人と女官にも気の利いた者はおりません」と真盾。

「ねらうなら、このときですね」と文屋大市。

「中宮院を守っている宿直の中衛舎人ちゅうえとねりが、日勤と交代するのは、いつですか」と真備。

「規定どおり、鉦鼓が鳴ると交代します」と真盾。

「派遣されるのは九十人。すべて五位以下で殿上でんじょうできる身分の者はいないと調べていますが、まちがいありませんか」と真備。

「そのとうりです」と真盾。

「淳仁天皇がお休みになっている御寝所の周りは、庭に三十人ほどの中衛舎人が配置されているだけだと聞いていますが、それもまちがいありませんか」と真備。

「はい。残りは中宮院全体に配置しています」と真盾。

「九月に入ってから佐伯伊多治いたじが中宮院の門衛をまとめていて、勅使の山村王たちに便宜をはかってくれます。

真盾さん。役人が登庁するまえに、中宮院を訪れる方がおられると思いますか」と白壁王。

「お休みを妨げないように遠慮されて、どなたもまいられません」と真盾。

「分かりました。では、決行は明日とします」と真備が言った。

「明日!」と永手。

「はい。明日、鉦鼓しょうこがなったあとで、孝謙太上天皇の勅使として山村王の一行を中宮院に送り出します」と真備。

「明日の朝、九月十一日の鐘鼓が鳴ったあとに決行ですね」と大市がくりかえす。

「それまでは気づかれないように注意してください。

ところで、明日も太政官会議は行われますね」と真備。

「はい」と永手。

「決行時に、藤原恵美氏と氷上塩焼を自分の邸に足止めできませんか」と真備。

「さっき集合の知らせをいただいたときに、太政官会議に出ていました。

それで、わたしは腹の具合が悪いとかわやへ行き、下痢がひどく熱もあるようだからと、真盾さんに従者が待っているところまで送ってもらって抜けだしてきました」と白壁王。

「そのときに白壁王から真盾が伝言を聞いて、重要な案件もないので早めに会議を終わらせて、わたしと真盾は、こちらに来ました。怪しまれましたか?」と永手。

「大丈夫ですよ。巨勢麻呂さんが亡くなってからは、太政官会議に出るのは若い恵美氏だけですから気を回さないでしょう。

巨勢麻呂さんは、良いときに亡くなられたのかもしれません。

ご遺族の方は、すでに恵美氏とは縁を切って北家に戻っておられますね」と白壁王が促すような目で永手を見て、軽くうなずいた。

永手は、娘を巨勢麻呂に嫁がせていて孫がいる。白壁王は巨勢麻呂の家族を守るようにと目で語っている。

「明日の会議は、真盾さんも腹の具合が悪くなって熱がでたから疫病えきびょうかも知れない。中止して欲しいと知らせれば良いのですよ」と白壁王がつづける。

「太政官の中臣清麻呂さんと石川豊成さんはどうします。

真面目な方たちで、恵美氏とは関係ありません」と真楯。

「左大弁と右大弁を兼任する中臣さんと石川さんには、できるだけ早く内裏に来ていただきたい。

勅書をつくっていただかなければなりません。

上台さまから淳仁天皇にだす勅書は、みなさまがお立ち会いになって草稿を練ってください。

永手さん。真盾さん。白壁王。大市さん。中臣さん。石川さんは、しばらく上台さまのそばを離れずにいてください。おそらく何日かは泊まり込みになります。

では、明日の打ち合わせをします。

明日は、山村王に勅書を渡し、鉦鼓が鳴ったら中宮院に送りだす手配をお任せします。

山村王と大伴東人には、淳仁天皇が自ら内印と駅鈴をお渡しになるように仕向けるようにと話してあります。勅書の内容を、よく理解できるように説明してやってください。

内印と駅鈴が内裏に届いたら、いつでも淳仁天皇を廃帝にできます。

山村王たちを送り出した後で、内裏や官庁に近い壬生門みぶもんを閉めて、だれも通さないように警備させます。

ここまでは、ご理解いただけましたでしょうか」と真備。

「分かりました」と永手。

「問題は、内印と駅鈴を持って勅使が内裏へ戻るときです。

すでに官庁が開いていますし中衛舎人が側にいますから、異変はすぐに田村第たむらだいに伝わるでしょう。

内印と駅鈴を取り返しに来るかも知れません」と真備。

「来たらどうなります?」と永手。

「天皇が自ら返納された内印と駅鈴を運ぶ太上天皇の勅使を、宮城のなかで襲うことになりますから大変なことになるでしょう」と真備。

「反逆罪になりますね」と永手。

「万が一、そのようなことが起こったときは、その先は、わたしが差配さはいをとらせていただきます。

そのときは緊急事態ですから、この件に関してだけ授刀舎人を使う許可をいただけますでしょうか?」と真備。

「許す」と孝謙太上天皇。

「ありがとうございます。わたしは、これから授刀衛府じゅとうえふを本営として移ります。侍従の何人かを助手として使わせていただきます。

しばらく、わたしのことは伏せていただきたいのですが、お願いできますか」と真備。

「分かりました。われわれも一度さりげなく邸に戻って、あとで目立たぬように内裏に集まりましょう。石川さんと中臣さんには、すぐに連絡をして来てもらいます。

どこかの部屋を、太政官のために使わさせてただきたく思います」と永手が孝謙太上天皇に言った。

血縁の甥を斬り捨てる決意をした永手は、田村第に住んでいなかった巨勢麻呂の遺族を自分の邸に移して謹慎きんしんするように手配した。



九月十一日

平城京には十万人ほどの人が暮らしていた。そのうちの一万人ほどが官人で、それを上回る数の官人の家族が住んでいる。戸籍を登録している日本の人口が五百万人余りだから、平城京は役人の町と言える。

むかしは夜明けとともに、大王おおきみの住むみやのまえの庭に官人があつまったから朝廷というのだが、「大化の改新」以後は時を測る水時計ができて、登庁の時刻を鐘鼓しょうこ(ドラ)で知らせるようになった。季節によって夜明けが変わるから、時刻も季節にあわせて変化する。時刻は十二支じゅうにしであらわし、一刻が約二時間ほどになる。

白みはじめた晩秋の空が、だんだん明るく青く澄みわたっていく。

その空の下を、官人たちが宮城を目指してあつまってくる。

寝るのが早いから暗いうちから起きだせて、日の出とともに鳴る登庁の鐘鼓とともに開けられる宮城の門を、官人たちがくぐりはじめる。


五時半

内裏では、正装をした山村王が孝謙太政天皇から勅書を頂いていた。

ずんぐりした山村王は四十二歳。すでに真備から、くわしい説明を聞かされているので落ちついている。小さな目が内面を隠すのか、もともと図太い性格なのか緊張しているようすはない。

副使の大伴東人も、持ち前の苦虫を噛んだような渋い顔をしているが緊張はない。


授刀衛では、伊勢いせの老人おきなと四十人の授刀舎人を集めて、吉備真備が確認をしていた。

「中宮院から引き上げるときに、勅使から内印と駅鈴を奪おうとする者がいたら、まず中宮への道をふさげ。

内印と駅鈴は奪われてもよい。ただそれを、中宮院へ届けさせてはならない。

いいか。宮城内で勅使が襲われたら、中宮院への道を塞ぐことが、お前たちの任務だ。ほかのことは気にするな。

勅使の山村王たちにも、そのことは良く言ってある。

内印と駅鈴を奪った者は反逆者だ。宮城内での流血は避けたいから、反逆者に向かって弓を射ても威嚇にとどめて傷はつけるな。ともかく反逆者を宮城の外に追いだせ。

反逆者が宮城から出たら、追いかけろ。宮城の外では賊を射貫いぬいても良い。

武力でもって、内印と駅鈴を取り返せ。分かったな!」と真備。


六時二十分

鐘鼓が鳴ったあとで、山村王と大伴東人は侍従四人をつれて内裏をでて、築地塀をくぐって中宮院にむかっていた。伊勢老人が率いる四十人の授刀舎人が山村王たちを囲んで警備している。

出仕したばかりの官人たちは、まだ孝謙太上天皇の勅使が中宮院にむかったことに気がつかなかった。


淳仁天皇は十代で押勝の世話をうけるまで、父親の舎人とねり親王と会うこともなく死別して、母の当麻山背の実家がある大和の当麻村でくらしていた。

押勝に世話をされてから天皇にまでなったが、ときどき子供のころを過ごした大和の村に帰りたくなる。

何もすることがなく、中宮院から出ることもできない。傀儡かいらい天皇の不安と不自由さに、つぶされそうな気がするのだ。

欲が深いわけでも野心があったわけでもなく、言われるままに即位した淳仁天皇は押勝に見込まれるほど気が弱い。

天皇は夜明けまえに心身を清め、宮中の戒壇かいだんで祈ったあとで朝礼に臨み、太政官院(朝堂院)で公卿や太政官の奏上を受けるのだが、淳仁天皇がいる中宮院には戒壇がない。太政官院も築地塀で隔てられた東の区域にあるから行くこともせずに過ごしている。傀儡天皇として擁立したのだから、藤原恵美押勝も淳仁天皇を政務に関わらせようとしない。

中宮院が闇と静寂せいじゃくに包まれたころに酒を飲み、女官や内舎人を相手に大口をたたいていると、淳仁天皇はなんとなく気が和らぐ。

灯りは存分に使えるから夜更かしの習慣ができて、そのために朝の目覚めもおそい。


山村王たちが中宮院についたときに、起きたばかりの淳仁天皇は寝殿で顔を洗ってもらっていた。

上台じょうだいさまの勅使ちょくしがみえられました」と内舎人うとねりが来て知らせた。

勅使と聞いたとたんに、淳仁天皇は不安になった。

保良宮ほらのみやから帰ってきて「祭祀さいしなどの小さなことは今の帝が行えばよい。国家の大事と賞罰の二つの大本おおもとは朕が行う」という詔をだしてから、孝謙太政天皇からは音沙汰おとさたがなかったから悪いことしか思い浮かばない。

「勅使は、だれだ?」と淳仁天皇が聞く。

「少納言の山村王と名乗っておられます。すぐに勅をたまわるようにとおしゃっていますが、どういたしましょう」と内舎人。

「昼の御座所ござしょに通すように。すぐにまいる」と淳仁天皇。

淳仁天皇が昼を過ごす部屋に入ったときに、すでに自分が座る上段には山村王が副使の大伴東人を従えて立っていた。

「こちらへ」と山村王についてきた侍従が、淳仁天皇を山村王の下座に案内する。

孝謙太上天皇は先代の天皇で、自分は今生こんじょう天皇だ。太上天皇の勅使でも、天皇が下座に坐る必要があるのかと淳仁天皇は周りを見まわした。

広廂ひろびさしに、勅使についてきた二十人の授刀舎人が片膝をついてにらみつけている。残りの二十人は庭に居る。

交代したばかりの中宮院を守る中衛舎人も庭にいるが、殿上して直言できる五位以上の身分の者はいない。室内に居るのは数人の内舎人うとねりだけだ。

「上台さまの勅使を命じられた少納言の山村と申します。勅を読ませていただきます」と上座に立った山村王が落ち着いた声で話しだした。

ひざまづくのかどうかも分からずに、下座に立ったままで淳仁天皇は勅を聞くことになった。

「勅。ちんは淳仁を皇太子にえらび天皇の座をゆずった。この数年、天皇としての淳仁の行動をみてきたが、なにもなさず、天皇としての能力がない。それどころか、皇位をゆずった恩がある親でもある朕にむかって、無礼なこと言ったりしたりすることが多かった。

すでに国の大事と賞罰は朕が行うと決めている。すぐに内印ないいん駅鈴えきれいを朕の勅使ちょくしに自ら返納し、法に定められたように内裏で少納言に保管させよ」

勅を読み終えた山村王が、しずかに淳仁天皇に顔を向けて言った。

「内印と駅鈴を、ご返納ください」

内印と駅鈴を渡せばどうなるかぐらいは、淳仁天皇にも分かる。しかし勅使を追い返すだけの度胸もないし、気転も利かないし口も立たない。

「帝!」と庭から中衛ちゅうえの少監しょうさかん矢田部やたべのおゆが「渡すな」という思いを込めた必死の声をかけた。

山村王は、表情一つ変えずに淳仁天皇を見ている。その横の大伴東人は、恐ろしい形相で険しい眼を向けてくる。この二人を前にして黙って立っているのは苦痛だ。三十一歳の淳仁天皇は、だんだん息があがってきた。

「内印と駅鈴を、ご返納ください」と山村王がくり返す。

この状況から早く抜けたいのだが、助けてくれる人がいない。

「すぐに内印と駅鈴を上台さまにご返納ください」と無表情に無感情にくりかえす山村王の声だけが聞こえる。

二十分も経つと「取ってくるように」と淳仁天皇が根負けした。

中宮院に仕える内舎人たちが立ちあがった。

「検分させていただきます」と副使の大伴東人と四人の侍従が、広廂に控えていた授刀舎人を数名従えて内舎人についていく。

内印の入った箱と駅鈴が入った箱が運ばれてきて、淳仁天皇にささげられた。

「帝から上台さまに返されることを口頭で告げられ、帝のお手から勅使である、わたしにお渡しください」と山村王。

そのようすを見て、中衛少監の矢田部老が庭から姿を消した。


 

七時二十分。

田村第に走り込んできた矢田部老が、押勝のまえに通された。

「内印と駅鈴を返納した…」と押勝が絶句する。

昨日まで、孝謙太上天皇に変わった動きはなかった。そんな強引なことをすると押勝は想像もしていなかった。

「すぐに止めてまいります」と三男の訓儒麻呂くすまろが田村第資人をあつめる。

 

そのころ中宮院からは、内印と駅鈴の箱をささげた侍従を従えて、山村王の一行が退出しはじめていた。

授刀衛府じゅとうえふを本営にしている吉備真備に、一行が白絹で包んだ箱を二つささげていると報告がくる。

真備は、中宮院との境にある築地塀の各門に授刀舎人を配置してから、授刀衛きっての二人の強者つわものを呼んだ。

坂上さかにうえの苅田麻呂かりたまろ牡鹿おじかの嶋足しまたり

いま上台さまの勅使の山村王たちが、内印と駅鈴をもって中宮院から内裏に向かっている。無事に帰ってくればよいが、恵美一族が奪いにくるかもしれない。

内印と駅鈴を奪って、それを持った者が宮城の外に出たら反逆者になる。分かるか」と真備。

「はい」

「二人には、内印と駅鈴を持って逃走する反逆者を、宮城の外で待ちうけて成敗してもらいたい。宮城に向かうときには止めるな。見過ごせ。

内印と駅鈴は別々の箱に収められていて、それぞれが白絹で固く包まれている。

白絹で包まれた箱を持った者が宮城から出てきたら、それは反逆者だ。

やつらを成敗して、かならず内印と駅鈴をとりかえしてほしい」と真備。

「殺せと?」と苅田麻呂。

「そうだ」と真備。

「どこで待ちうけます?」と嶋足。

「藤原恵美氏は参内するときに、田村第から二条大路を通って朱雀門すざくもんを使う。

いま中央の朱雀門は開けているが、内裏や官庁に近い東の壬生門みぶもんは閉じている。念のために二条大路と交差する大路は、人や荷車を多くして通りづらくしている。

反逆者は、二条大路を田村第へ向かうはずだ。

小子部門ちいさこべもんを出て、二条大路で反逆者を討て」と真備。

「分かりました」

「苅田麻呂は馬を使え。ほかに二十人の舎人をつける。二条大路をふさげ」と真備。


「人を殺したことは?」と授刀衛府をでたあとで、馬を引いて歩きながら苅田麻呂が嶋足に聞いた。

「ない。できれば向かってくる敵を打ちたい」と大弓を持った嶋足。

「わたしもだ。だが、やるなら手心を加えるな。そのほうが射られる方は楽だろう」と苅田麻呂。

授刀少尉しょうじょうの坂上苅田麻呂は三十六歳、授刀小志しょうさかんの牡鹿嶋足は三十一歳になった。都で一番を競い合う弓取ゆみとりだ。

この二人が完全武装した従刀舎人をつれて小子部門に向かったので、仕事を始めていた官人たちも異変が起ったことを知った。


八時まえ。

訓儒麻呂は二十数名の田村第たむらだい資人しじんを従えて、馬で朱雀門を駆け抜けた。

漆塗うるしぬりの木靴をはいた山村王たちは歩みが遅く、まだ朱雀門の先を内裏がある東の築地塀に向かって歩いていた。

「それを返してもらおう!」と山村王の一行を見つけた訓儒麻呂が、駆け寄りながら馬上から大声で叫ぶ。

「わたしは上台さまの勅使です。勅使は、上台さまに代わるものです。

馬上から声をかけるとは無礼でありましょう」と足を止めた山村王が、感情はないが重みのある声で答えた。訓儒麻呂は馬を降りた。

山村王たちがいるところは、中宮院から三百メートルは離れている。伊勢老人は四十人の授刀舎人に、中宮院へ向かう道を塞がせた。

「返せと申されましたが、どなたの命でございますか」と山村王が動ずることなく訊ねる。

「大師さまが承知しておられぬ」と訓儒麻呂。

「帝が自らのお手で上台さまにご返納された内印と駅鈴を内裏にお届けするところです。臣下が止めることではありません。

帝のめいがないかぎり、内印と駅鈴は臣下が手にするものでもございません。

臣下が承知していないから返せとは、なんという思いあがりでしょう」と、山村王は周囲に届くように声を大きくした。

自分の父を臣下ごときと言われた、訓儒麻呂が顔色を変えた。

訓儒麻呂は太政官で、山村王はただの少納言だ。平然とかまえた山村王に、大声で淡々と語られるとバカにされ感がハンパなく、訓儒麻呂は怒りで体が熱くなった。とても頭を働かせる状態ではない。

「うるさい! こちらに寄こせ」と訓儒麻呂が手をのばして、侍従がもつ箱をつかんだ。下馬していた田村第資人も、それを見て侍従から箱をうばおうとむらがった。

伊勢老人たち四十人の授刀舎人は箱のうばい合いにかまわずに、中宮院を背にして弓に矢をつがえて訓儒麻呂と田村第資人を牽制けんせいする。

山村王も大伴東人も傍観ぼうかんしているだけだ。

訓儒麻呂たちは、内印と駅鈴の入った箱を取りあげて馬に乗った。

「藤原恵美訓儒麻呂。謀反でございます! 藤原恵美訓需麻呂。謀反でございます!」と山村王が大声で叫び始めた。

「恵美訓儒麻呂。謀反! 謀反でございます」と大伴東人も叫ぶ。この人は声が大きい。

伊勢老人と四十人の授刀舎人たちも口々に「藤原恵美氏。謀反!」「恵美訓需麻呂。謀反!」と叫びながら、馬に乗った訓儒麻呂と田村第資人たちを威嚇するように矢を射て朱雀門から宮城の外に追いだした。

中宮院を守る中衛舎人も駆けつけてきたが、「藤原恵美氏が謀反を起こしました。中宮院へ戻って帝の警護をしてください」と大伴東人に追い返された。



小子部門ちいさこべもんは、宮城が東に広がった袖の付け根のようなところにある。

宮城が東に張り出しているのを隠すために、張り出した部分の南側を北に下げて塀が巡っていて、朱雀大路からは左右が対称に見えるようにしている。その下げた部分は更地さらちにしていて建造物がない。

坂上刈田麻呂と牡鹿嶋足たちは、小子部門のなかで田村第資人が朱雀門に向かうのを見とどけた。そのあとで小子部門の外の、その更地のところで待ちかまえていた。

「戻ってきた。行ったときと変わりがあるか?」と刈田麻呂。

「白いものを持っている」と遠目が効く嶋足が答える。

「確かか」と刈田麻呂。

「白いものを抱えた人が二人いる」と嶋足。

「よし。反逆者だ。位置につけ!」と刈田麻呂。

朱雀門から小子部門までは約三百メートル。牡鹿嶋足を中心に二十人の授刀舎人が、朝日を背にして二条大路に広がった。

牡鹿嶋足が強弓ごうきゅうに矢をつがえてキリキリと引く。嶋足の弓は大きく、げんも太い。矢も長くて重いから遠くへ射ることができる。

訓儒麻呂の姿が射程距離に入ると嶋足は矢を放った。矢は光をうけて飛び、訓儒麻呂の左胸を背中まで射抜いた。

上半身をそらして落馬した訓儒麻呂は、すでに絶命していた。

次々に嶋足が強弓を引く。外すことなく騎馬の田村第資人しじんが落馬した。

つづいて馬に乗った坂上苅田麻呂が大路にでてくる。苅田麻呂は騎射きしゃの名手だ。田村第資人とのをつめると、馬を巧みにあやつって矢を放つ。内印の入った白絹で包まれた箱をもっていた男が馬から落ちた。つづいて駅鈴の箱を持っていた男が射抜かれる。二十人の授刀舎人も弓を引く。

田村第資人は、押勝が全国からすぐれた武芸者を集めて邸においている私兵だが、苅田麻呂と嶋足の敵ではなかった。

伊勢老人たちも朱雀門から駆けつけてきて矢を射かける。残った一人二人の田村第資人が小路に逃げていった。


山村王は、伊勢老人たちが抱えて戻ってきた内印と駅鈴を確かめて、新しい絹で両方の箱を包み直し、授刀舎人に囲まれて内裏に向かった。

苅田麻呂と嶋足が戻ってきた授刀衛じゅとうえいは、二人の武勇を聞いた舎人たちが勇みたっていた。

「これで藤原恵美一族の謀反が確定した。

今後、田村第からでてくる者は、すべて逆賊として討ちとれ!」と吉備真備がきの舟守ふなもりに命じる。

「はい」と二十人の授刀舎人を連れて、紀舟守も授刀衛府をでていった。



「訓儒麻呂が打たれた?」と田村第の押勝。

「はい。一度は内印と駅鈴を手にして田村第に戻ろうとされましたが、奪い返されてしまいました」と逃げ帰ってきた田村第資人が答える。

内印と駅鈴をとりあげられたのは意外だったが、取り返しにいった息子が殺されたのは、もっと予想外のできごとだ。

暗殺は常に警戒していたが、軍事権を持たない孝謙太上天皇が正面からいどんで来ると押勝は考えてもいなかったのだ。

それで押勝は判断力をなくした。

「登庁服を着た者を弓で射て、内印を奪うとは卑怯な。

武具と馬を貸していただけますか。わたしが取りかえしてきます」と中衛少監の矢田部おゆが名のりでる。

「老に武具と馬をあたえて、資人をつけろ」と押勝が命じた。

よろいかぶとを身につけた矢田部老が、武装した田村題資人を連れて騎馬で外に駆けだした。武装した老が武装した私兵をつれて宮城に向かうことだけで、謀反とされる大反逆罪だということにすら押勝は考えがおよばなかった。

矢田部老は田村第を出てすぐに、二条大路で待ちかまえていた紀舟守たちと向きあった。

老は刀を抜いて声をあげて突進した。向かってくる老を、紀船守が弓矢を構えて待ち構える。逆光になるので、船守は目を細めて狙いを定めて矢を放った。矢田部老は

舟守の矢を額に受けて絶命する。

授刀舎人がたてる武功は、衛門えもん中衛ちゅうえ兵衛ひょうえ衛士えじの、朝廷の武官である舎人たちを興奮の渦のなかにまきこんだ。

 

九時。

淳仁天皇に内印と駅鈴を自らの手で返上させて、藤原恵美氏に奪わせるという、真備から指示されていた大任を、山村王はみごとにやりとげた。内印と駅鈴は、山村王や大伴東人らの少納言が内裏で管理している。

昨夜から内裏に泊まっているのは、大納言の藤原永手(五十歳)。中納言の白壁王(五十五歳)。中納言と中務卿を兼任している藤原真盾またて(四十九歳)。参議さんぎの太政官で左大弁官さだいべんを兼任する中臣清麻呂(六十二歳)。参議の太政官で右大弁を兼任する石川豊成とよなり(六十歳)。退官した文室浄三がよこした文室大市ふんやのおうち(五十九歳)で五十代から六十代の熟年層だ。

「これから上台さまの勅書を発表します」と永手が声をあげた。

甥の訓需麻呂が亡くなったと聞いたときに少し動揺をみせたが、すでに私情を断った永手は落ち着きを取り戻している。

「大師で正一位の恵美押勝と、その子や孫が兵を起こして反逆した。そこで彼らの官位を剥奪はくだつして、藤原という姓を除くことをすでに処理した。また、その財産を、すべて没収する。以上です」と永手。

「藤原のうじを、とり除いたのですね」と白壁王。

「はい。もう恵美一族は藤原氏ではありません。藤原をつけないようにおねがいします」と真楯。

「勅使から内印を奪ったときに反逆罪は成立しますが、兵を起こしたのは、いつです?」と文室大市。

「矢田部老が私兵を連れて、武装して刀をかざして授刀舎人に斬り込んできましたから、この時点で兵を起こしたとします」と永手。

「勅書のことですが、すべての弁官の自署じしょ(本人のサイン)が必要でしょうか」と左大弁を兼任する中臣清麻呂が聞く。

「なにか問題がありますか」と白壁王。

弁官は、大弁官、中弁官、小弁官がいて、それぞれに左右があるから併せて六人で構成されている。

「この正月から左小弁さしょうべんになりました阿部あべの小路こみちは、長く近江国のすけをしていました。恵美押勝の腹心でしょう」と中臣清麻呂。

「勅書は中務卿の真盾さんと、左大弁の中臣さんと、右大弁の石川さんと、ほかに信用できる弁官二人の自署があれば大丈夫だと思います。

それよりも、この勅書の写しを、どのようにして地方に送れば良いのでしょう。

地方に伝達する勅書の写しには、外印げいん(太政官印)が必要です。

しかし外印は、押勝が田村第においているので使えません」と永手。

「内印を押すしかないでしょう」と白壁王。

「内印を押したら本物の勅書になりますが、地方官に本物の勅書が届くことはなく、内印を見分けることができるでしょうか?」と中臣清麻呂。

「内印を押した詔勅しょうちょくは太政官府か中務省に保管されていて、写しを読み上げたり送ったりしますから、都にいる官人といえども詔勅に押された内印を目にする機会はありません。

ただ五位以上の官人なら、自分の位記(叙位の証明書)に内印が押されているでしょう」と真盾。

「それが、このところ叙位のための叙位議もあいまいで、位記に内印が使われているか良く分かりませんね」と白壁王。

「兄の浄三が八月に、大和、河内、山背やましろ、近江、丹波たんば播磨はりま讃岐さぬき溜池造ためいけづくりのつかさを送っています。

かれらが、それぞれの国の国守を、内印が押された勅書は上台さまが出されたものだと説得するはずです。

ただ関がある美濃国みののくに越前国えちぜんのくにには、溜池造司を送れませんでした」と文室大市。

「そのころから浄三さまは、今日のことを準備されていたのですか」と永手。

「溜池造りの司の人選は吉備真備さんがなさいました。それなりの方を送っているはずです」と文室大市。

「真備さんもですか。分かりました。

上台さまから内印をいただいて、勅書を地方に送りましょう。それに、こっちには地方に勅書の写しを送るときに、使者に渡す駅鈴えきれいがあります」と永手。

「永手さん。勅書と一緒に太政官をつけましょう。

内印を知らなくとも、われわれの自署は国府に保管されているはずです。それを見くらべれば、少なくとも、われわれが出していることは分かるはずです。

美濃と越前の国守は押勝の息子です。何が届いても、自分たちに不利なものは握りつぶすでしょう。

ただ美濃国にある不破関ふわのせきと、越前国にある愛発関あらちのせきを守るのは群司ぐんじです。国府とは別に、関にも勅書を送ったほうが良いと思います」と白壁王。

三関さんげんを閉じる固関使こげんしを送りますから、一緒に勅書と太政官符を届ける者をやります」と永手。

鈴鹿関すずかのせきがある伊勢国は石川名足が国守ですから、わたしからも私書を出しておきます。

じゃあ、わたしは内記の部屋で地方に送る勅書を作らせてきます」と石川豊成。

「わたしは太政官符の草案そうあんをつくらせるために外記のところに行きます」と中臣清麻呂。

「中臣さん。緊急事態です。

内記も外記も、内裏に呼んで使ったらどうですか。そのほうが便利です」と白壁王。

「そうします。ともかく前例にないことが始まったのです。使えるものはなんでも使います」と中臣清麻呂。

奈貴王なきおう!」と真盾が、太政官が使っている部屋を警備している奈貴王を呼んだ。

「この勅の写しを、真備さんに届けてください」と真盾。

「わたしは、ただのパシリですか」と岩見守いわみのかみ遙任ようにんにして、侍従として内裏に詰めている奈貴王が、ぼやきながら勅の写しを受けとった。


授刀舎人たちは警備についているので、授刀衛府には人が少ない。

「孫までを反逆者としましたか」と勅の写しをみて真備が言う。

「はい。なんだか張り切っていますよ」と奈貴王。

「それでは奈貴王。これから言うことを内裏におられる方々に伝えください。

すでに宮城にいる官人は、淳仁天皇が内印と駅鈴を上台さまに返納されたことを知っています。

今、宮城の門が閉じられるから早く帰った方が良いという噂と、五位以下の下級官人は宮城を離れると罰せられるという指示を流しています。

この勅の写しとおなじものを、すぐに十枚つくって、ここに届けてください。

高札に貼って宮城のなかで公示します。

そのあとで、宮城の門を一カ所づつ閉じて厳重に警戒させます。

これで恵美一族と親しい五位以上の貴族は、宮城の外に出てしまわれるはずです。

六衛府ろくえふかみは恵美氏と通じていますが、彼らが外に出たら押勝の軍事に関わる人脈は失われます。

全ての門が閉まってから、これまで功績のあった者を昇位しょういして高札に貼って示したいので、人選と昇位を決めて公示書を作ってください。

授刀舎人は名と功績を記した記録がありますから、これを参照にして作ってください。これも十枚は必要です」と真備。

「はい」

「それから逆賊を討つための討伐隊とうばつたいに参加する人を、公募で集めます。その公募の知らせを、功績のあった人の昇位の公示書の横に出します」と真備。

捕縛隊ほばくたいではなく討伐隊ですか?」と奈貴王。

「孫までが反逆者ですから、捕縛に向かうと抵抗します。

恵美氏は百人を超える私兵を抱えていますから、戦いがおこります。宮城の近くで争うことはできません。

田村第に立てこもっても、邸を包囲されてしまうと恵美氏は不利になります。包囲が手薄なあいだに、恐らく今夜あたりに都から逃げると思います。

恵美氏が逃げたら、討伐隊を派遣します。

討伐隊の公募の知らせは、こちらで作ります。

募集内容は五位以下の官人で年齢は三十半ばまで。武官でも文官でも散位さんい(無職)でも、だれでも応募できるとします。ただ戦に行くのですから、審査はします」と真備。

「それなら、わたしを入れてください」と奈貴王。

真備が、奈貴王の顔をしげしげと見てから言った。

「あなたはダメです。あなたは目立たず手柄を立てずにいてください」と真備。

「どうして? わたしは三十歳で健康です。従五位下ですが五位以下と一階級しかちがわないし、腕にはソコソコの自信があります」奈貴王。

授刀衛府で真備の秘書をしている侍従の藤原雄田麻呂おだまろが、何かを書きながら横目でチラチラと真備を見ている。

「この一件が片付いても、帝に皇太子がないことは変わりません。継承者けいしょうしゃ問題は、わたしが死んだあともつづきます。

世を治められる帝が即位して、乱れてしまった政治を正し、先人たちが作った律令を根付かせて、この国を揺るぎのない律令国家にするまで、あなたや、そこの雄田麻呂さんは目立たず生きのびて力となってほしい」と真備。

「そのころには腕も鈍っているかもしれません。わたしは、いまが盛りのしゅんの男です。討伐隊に入れてくださいよ」と奈貴王。

「ダメなものはダメです。さて奈貴王。あなたは百済くだらのこにしき敬福きょうふくさんを、ご存じですか」と真備。

「顔見知りていどで、良くは知りませんよ」と奈貴王。

「あの人に兵士をまとめられますか」と真備。

「そういう意味でしたら、若いころは陸奥守むつのかみですし、まえの衛門督えもんのかみです。あの人柄なら、兵士の心をつかむのは上手いでしょう。

でも、もう年です。討伐隊の大将はつとまりません。

それにあの方は、たしか讃岐さぬき(四国・香川県)におられるはずです」と奈貴王。

「高齢ですし従三位の公卿くぎょうですから、讃岐守は遥任ようにんされておられます。

奈貴王。あなただって若いのに岩見へ行かずに、ズーッと侍従をしてるでしょう」と雄田麻呂。

「百済王敬福さんは、兵をあつかえるということですね」と真備。

「真備先生。もしかして先生は、衛門、兵衛、衛司のほかに衛府えふ(軍人府)を作るおつもりですか?」と雄田麻呂。

「さすがに鋭い。討伐隊に志願する人が多かったら、選ばれなかった人を集めて六衛府をこえた臨時の衛府をつくります。

奈貴王。太政官たちに今まで言ったことを伝えてください。

それから緊急時のために、朝廷を警備する臨時の衛府を置く許可をいただきたいと伝えてください」と真備。

「わたしを討伐隊に入れる件は?」と奈貴王。

「ダメです。それより奈貴王。あなたは、もっと自分を大切にしてくださいよ」と真備。

「じゃあ、もっと、わたしを大切に使ってくださいよ」と奈貴王。

「先生が言われたことを書き留めておきました」と雄田麻呂が書いていたものを奈貴王に渡した。

「あの方は、ご自分のことは口にしません。先生は、どの皇嗣系かご存知ですか」と、奈貴王が帰ったあとで雄田麻呂が聞いた。

「天智天皇系ですよ。たしか志貴しき皇子のお孫さんだと思いますが、志貴皇子には五人か六人の子息が居られたはずで、もしかしたら、ひ孫になられるかも知れません。

面白い人です。奈貴王には独特のこだわりがあるようですねえ」と真備が楽しそうな顔をした。



九時過ぎに、訓儒麻呂の遺体が田村第に運ばれてきた。

それを見て押勝はわれに返った。押勝にも子に対する情はあるが、味わっているのは息子を失った衝撃や悲しみだけではない。

矢で射ぬかれたまま田村第に運ばれた訓儒麻呂の姿は、押勝が築いた帝国が一夜にして崩壊したことを告げていた。

ちょうど右虎賁うこほんそつ右兵衛うひょうえのかみ)をしている七男の恵美薩雄ひろおが帰ってきた。越前守をしていたときに、渤海使ぼっかいしの送使を国府に呼びつけ、とんでもない男を送使にして新羅しらぎに逆ねじをくらう原因をつくった息子だ。

「なんだ。そのすがたは?」と従者の服を着た薩雄をみて、押勝が眉を寄せる。

なかの石伴いわともさんが服を用意して、ここまで送り届けてくれました。

わたしは右虎賁衛うこほんえいにいたのですよ」と恵美薩摩。

帰ってくるまで、押勝は薩雄のことを忘れていた。

「これが官庁のあちこちに公示されました」と薩雄が紙をとりだす。

大師で正一位の恵美押勝とその子や孫が、兵を起こして反逆した・・・という孝謙太政天皇の勅を写した公示書だ。

「いつごろ、この勅がでた?」と血の気の失せた顔で、押勝が聞く。

「張り出されて、すぐに剥がして戻ってきましたから、そんなに経っていません」と薩雄。

「右虎賁(右兵衛)のようすはどうだ」と押勝。

「兄上が殺されて、恵美一族が反逆者になったと知った舎人が興奮してます。

石伴さんが隠してくれなければ、捕まって殺されるところでした」と薩雄。

仲石伴は皇嗣系官人で押勝の娘婿になる。一時は押勝の養子になって藤原氏を名乗っていたが、のちに仲真人なかのまひとの氏を与えられた。いまは左勇士さゆうしそつ左衛士さえじのかみだ。

「石伴は、どうしている」と押勝。

「邸に戻るとおっしゃっていました。宮城の門が閉まるそうで残っているのは下級官人だけです」と薩雄。

「右虎賁に、ここを包囲せよと言ってこなかったのか」と押勝。

「下級官人は宮城の警備に集められたみたいで、そのほかの動きはありません」と薩雄。

「帝は?」と押勝。

「官庁と中宮院との間の築地塀ついじべいの門は閉められて、衛士が守っています。朱雀門も閉められて中宮院のある中央の場所は封鎖されましたから、どうなっているのか分かりません」と薩雄。

「駅鈴と内印を手に入れたのなら、この勅を地方に送るだろう。

朝狩あさかり。太政官令書をつくるから、すぐに邸の書史をあつめろ。

真先まさき。勅を送る伝使でんし(配達夫)のもとに使いをする従者を用意して、伝司に伝える口上を教え込め」と押勝。

やっと、いま起こっていることに対応できる思考能力が押勝に戻ってきた。

恵美押勝は書史たちに文を書かせると、それに太政官印(外印)を押して、自分と太政官をしている恵美真先と恵美朝狩の自署を入れて、真先が用意した従者に外記がつかう伝馬でんま(郵便局)まで届けさせて全国に送った。



十一時。

氷上ひかみの塩焼しおやきは、昨夜、藤原永手から「真楯の症状が悪くなる一方なので、明日の太政官会議をとりやめて欲しい」と文使いがきたので「了承した」と返したが、なんとなく引っかかった。

そして今朝、ゆっくりしているときに、邸の従者が恵美訓儒麻呂が殺されたと伝えてきた。

いま塩焼は、池の魚にエサをやっている。

見上げれば高く青い秋空が広がっている。今日は湿度が低いので風が清々しい。庭の木々も色づきはじめている。

よりによって、こんな日に、なぜ、しみじみと自然の美しさを感じるのだろうか。

従者たちを走らせて、大体のことは知ることができた。

内印と駅鈴は、内裏の孝謙太政天皇のもとにある。訓儒麻呂が、内印と駅鈴を取りかえそうとして命を落とした。

恵美押勝とその子と孫は、藤原の姓を取られ反逆者になった。

そして恵美氏と塩焼を除いた太政官たちは内裏にあつまっている。亡くなった訓需麻呂の叔父になる北家の永手や真盾までが、孝謙太上天皇のそばにいる。

これが一番イタい情報だった。孝謙太上天皇と太政官は、塩焼を恵美一族と同一にみなして除外した。

明日の朝になれば、恵美氏を捕まえるために、六衛府のいずれかが田村第を囲むのだろうか。

田村第は広い。一町や二町の邸なら衛府の舎人で囲むことができるが、八町(十四万㎡)もある田村第を包囲できるのだろうか。

それに外出するときに百人の私兵を連れて歩ける押勝は、予備を入れて百三十人ほどの武人を邸に住まわせている。田村第には成人した押勝の息子たちや、その家族も住んでいて、彼らも私兵を持っているから合わせれば二百人近くの私兵がいるはずだ。

これから押勝も朝廷も、どうするつもりだろう。田村第を包囲して交戦するつもりなのか。

塩焼は内裏にいる太政官たちを一人一人思い浮かべたが、戦の指揮をとれそうな人は思い当たらない。  

あれこれ考えながら、塩焼は池の魚にエサをやった。 



同じ十一時。

すでに各門が閉められて衛門舎人えもんとねりが警備を強化しているので、宮城への出入りができなくなった。

残っているのは五位以下の下級官人たちだけだ。

閉ざされた宮城で、これまでに功績があった者への昇位しょういが公示された。

従三位の藤原永手に正三位。正四位下の吉備真備に従三位。押勝の反乱を予測した陰陽師おんみょうじで正七位上の大津おおつの大浦おおうらは、十階級も上になって従四位上。正六位上の坂上苅田麻呂は五階級上の従四位下。恵美訓需麻呂を討ちとった従七位上の牡鹿嶋足は十階級上の従四位下。矢田部老を討ちとった従七位下の紀舟守が八階級上の従五位下。山村王を守った従六位下の伊勢老人おきなも八階級上の従四位下。そのほかにも授刀舎人や、授刀督じゅとうのかみ粟田道麿あわたのみちまろが昇進した。

武功があった者への破格の昇位は、各衛府の舎人たちや下級官人をふるい立たせた。

とくに蝦夷えみしの牡鹿嶋足の昇位は、だれもが出世できるチャンスがきたと、宮城に残っている下級官人たちを奮起ふんきさせた。

十一時半に昇位者の公示のよこに、逆賊討伐ぎゃくぞくとうばつに参加したい者を求める公募こうぼが張り出された。

押勝は各衛府の長官に自分の腹心をおいて、二千四百人の官兵を動かすつもりでいたが、そんなものは通用しなくなってしまった。



内裏の警備についている牡鹿嶋足が、さえない顔をしている。

「怖いのか」と坂上刈田麻呂が寄ってきた。

「わたしは六位以上になれる身ではありません。それに人をあやめただけです」と嶋足。

「身の丈にあわないか」と苅田麻呂。

二人がもらった従四位下は、立派な貴族の階級だ。

一万人はいる官人のなかで、五位以上の位階を持つ百人余の上級官人を貴族という。貴族の最下位になる五位が七十七人で、その上の四位は十五人、三位以上は十三人と、時によって過不足があるが律令で定員数が決まっている。

位は一位から少初位までで、一位から三位までは一つの位階が正一位と従一位というように、正と従で二つに別れている。正が上位で従が下位だ。

四位から八位までは正と従をさらに上下に分けて、正四位上、正四位下、従四位上、従四位下というように四段階にする。それが四位から八位まであって、その下に大初位しょい上、大初位下、少初位上、少初位下の四階級が付く。

官人の中で貴族は一握りしかいなく、なかでも十三人しかいない一位から三位までは公卿と呼ばれ、その下になる四位も十五人までしかいない。貴族のほとんどが五位だ。

苅田麻呂も嶋足も、その稀少な四位に昇位された。一町(一万六千㎡)の邸を持つことができて、朝廷から封戸(サラリー)や季禄(ボーナス)がもらえ使用人まで寄こしてもらえる特権階級だ。

「身を低くして、まじめにつとめよう」と苅田麻呂。

「はい」

渡来系だが官人になってから何代か経っている苅田麻呂は、嶋足のような怖さはないが危惧きぐはあった。

「なあ嶋足。わたしたちは武人だ。いつか征夷大将軍せいいだいしょうぐん(蝦夷討伐の総指揮者)に命じられるかもしれない」と苅田麻呂がつぶやくと、嶋足がさらに沈んだ。

「おまえの故郷には、おまえのように真っ直ぐな男が多いのか」と苅田麻呂。

「…たぶん」と嶋足。

「…イヤだな」と言いながら、苅田麻呂が嶋足の肩をやさしく手でつかんだ。

「嶋足。武人は心を動かさずに、ただ命令にしたがう。そうだな」

「はい」と嶋足。

「どんなときでも、われらは武人でいよう。私情を捨てて命令にしたがうだけだ」と苅田麻呂が言った。



十二時すぎ。

氷上塩焼のところに、田村第に仕えている従者がきた。

「邸を出ることができたのか?」と従者を庭に通して、塩焼が聞く。

「はい。まだ包囲されていませんので出入りができます」

「見張りはいるだろう」と塩焼。

高楼こうろうから資人たちが見張っていますが、それらしい者の姿は見えないそうです。内裏の警備は厳しく、宮城のまわりには近づけません」

「田村第には見張りも置いていないのか?」と塩焼。

「はい」

「ここへ来るときの町のようすはどうだ。人通りはあったか。すれ違ったものはいたか」と塩焼。

「人は出ていません。すれ違ったのは二人連れの僧侶と、荷車を引いた男たちと、どこかの邸の小者がみぞの掃除をしているだけでした」

京職きょうしきは?」と塩焼。

「見かけていません」

「それで、なにをしに来た」と塩焼。

「暗くなってから宇治橋で落ち合おうと、大師さまからのご伝言を伝えに来ました」

塩焼は遠くの空を、しばらく眺めてから聞いた。

「何人が、その使いに出された?」

「十六人です」

「これから田村第に戻るのか」と塩焼。

「はい」

田村第から来た従者は、用心しながら塩焼の邸を出て次の角を曲がったところで、そこにある邸のまわりの溝の掃除をしていた小者たちに捕まった。


吉備真備は、小者にふんした衛士府えじふの舎人の報告を、授刀衛で聞いた。

「捕らえたのは二人だけで、他の者は見のがして田村第に戻るのを見とどけました」

「捕らえた二人からは、別々に問いただしましたね」と真備。

「はい。どっちも暗くなってから宇治橋で落ち合うと言っています」

「捕らえた者は囚獄しゅうごくして、使いが向かった邸を見張ってください。

田村第から宇治橋へ向かう路も、見張ってください」と真備。

「また近くの邸に頼んで、小者の格好をして見張るのですか?」と舎人。

「職人の格好をして、頼んだ邸の庭木や屋根の上に登って見張ってもかまいませんよ。ともかく見張っているのを気づかれないように工夫してください」と真備。

「船親王からも、暗くなってから宇治橋で落ち合うと連絡が来たと密告がきています。今夜、都を抜け出すのは、まちがいないでしょうね」と衛士府の舎人が帰ると、雄田麻呂が言った。

「まず、まちがいないでしょう。宇治橋で集まるなら行く先は近江ですね」と真備。

「なにか引っかかりますか。先生」と雄田麻呂。

「読みどおりに事が動くと、どこかに見落としはないか、相手は別の策を考えているのではないかと確かめたくなります」と真備。



十三時。

縫殿寮ぬいどのりょう木工寮こっこうりょうを使う許可が下りました。いったい、なにに使うのです?」と授刀衛にやってきた奈貴王。

「討伐隊の一人一人に、しるしになるものを作って渡します」と真備。

「公募の方はどうなっているのか聞いてこいといわれましたけど…」と奈貴王が見回す。前に来たときとは様子が変わっている。

討伐隊に参加をしたい人があつまっていて、雄田麻呂たちがセッセと名や所属を書きとっている。

「奈貴王。ちょっと教えてください。集めているのは五位以下で三十代なかばまでの人たちです。

あそこにおられる方は、どう見ても高位の貴族で年齢も高いのですが、あの方はどなたでしょう」と吉備真備が、おとなしく順番を待っている小太りの老人を目で指した。

「ああ、あれが百済王敬福さんですよ」と奈貴王。

「ほう。ご自分から来られましたか」と真備が目を細めて敬福の姿をながめだした。

若いころは、ずっと東北地方にいた百済王敬福が、陸奥国むつのくにで出た黄金をもって都に戻ってきたときには、すでに吉備真備は九州に追いやられていたから姿を見るのは始めてだ。

「なるほど。名のとうりに実に福々しい陽の気をもった切れ者です。こちらへ、ご案内してください」と真備が奈貴王に言った。

「これは真備さん。吉備真備さんですね。百済王敬福です。なにか手伝えるかとやってきましたが、すごいですねえ。すごい人です」と百済王敬福。

六十六歳になるが、肌が艶々して肉つきも良い。

「応募してきた人の、名と年齢と所属と位階と住所を聞いて書きとっています。

能力によってごんの少尉しょうじょうを選んで、権少尉一人に二十人の兵をつけます。武官でなくても使えそうな人は採用します。

手伝ってくださるなら、武官をしたことがない応募者の身体能力や特徴をみて、討伐隊に加えるか、外衛府がいえふに入れて宮城の警備にあたらせるかを振り分けてください」と真備。

「わたしに、わたしに決めろと言っているのですか」と敬福。

「はい。今から臨時で、あなたに宮城を守る外衛府大将たいじょうになっていただきます」と真備。

「外衛ね。そう。外衛府。エーッと真備さん。外衛府なんてありましたっけ?」と敬福。

「今から作ります」と真備。

「今ですか。今。そう。逆賊になった恵美氏に援軍は来ません。来ませんね。

立てこもっても、田村第を囲まれたらおしまい。終わりです。

孫まで逆賊ですから逃げますね。きっと逃げます。早いほうが良いから今夜。きっと今夜にでも逃げます。

それを追いかけるから討伐隊。でなく討伐ですね。

武術があり人をまとめられる器量のある者が、権少尉で二十人の兵をひきいる。

権少尉は、何人つくるのですか?」と敬福。

「来たものしだいです」と真備。

「なるほど。それで、どなたが討伐隊の大将ですか?」と敬福。

「大将は、まだ決めません」と真備。

「決めない。そう。だから討伐軍じゃなくて討伐隊ね。遊撃隊ゆうげきたいですか。

外衛府は宮城を守る。宮城の守りを強くする。守りを強くして宮城を襲ってもムダだと思わせる。

恵美氏は逃げ出すでしょうから、来るのは泥棒ぐらいですね。それと、どさくさに紛れて騒ぐ放火魔。守りが堅かったら、恐らく外衛府は実戦をしないですむ。

わたしは、しつこくてムダが多い男ですから、あなた! 奈貴王でしょう。

奈貴王。手伝ってください。さっそく選別にかかりますよ」と敬福がサッサと場所をさがしにいく。

「エーッ、わたしも? だれか代わりに、このようすを内裏に伝えてください。

外衛府を作ることも伝えてくださいよ」と奈貴王が敬福のあとについていく。

「それから、門を守っている衛門府えもんふや、中宮院を守っている中衛府ちゅうえふや、内裏を守っている授刀衛じゅとうえいにも、討伐隊に応募したい人は来るようにと呼びかけてください。外衛府が穴を埋めます!」と足を止めて振り返った敬福が、まわりに指示した。

「わたしの代わりに内裏に報告に行く人。

侍従を何人か、応援によこしてくれるように頼んでくだサーィ!」と奈貴王が叫んだ。



十三時半。

雄田麻呂の兄の藤原田麻呂たまろが、宮城に似つかわしくない姿の四人の男をつれて授刀衛にきた。目ざとく真備がまねく。

「予想が的中しました。暗くなってから宇治橋で落ち合うそうです。

見つかりましたか?」と真備。

「はい。この方たちが田原村に住んでいて協力してくれるそうです」と田麻呂。

田麻呂に隠れるようにしている四人の若者は、野良着のらぎ姿の百姓だ。

保良宮造営司をしていた田麻呂は、この二年間で職を転々とした。

文屋浄三が不破関ふわのせきがある美濃守みののかみにしたが、宿奈麻呂すくなまろの押勝襲撃の一件があって、押勝の息子の恵美執棹とりさおと交代させられた。そのあと陸奥・出羽の按察使あぜちとして東北地方に追いやられていたが、少しまえに都に呼び戻された。

「宇治橋を通らずに近江に行く道があると聞きましたが、知っていますか」と真備が聞くと、若者たちはオズオズと田麻呂の背中に隠れてしまった。

吉備真備も役夫や百姓に好かれるたちなのだが、こんな時だから怖い顔をしていたのだろう。

百姓にとって宮城にいる官人は、どんなに下っ端の役人でも別世界の雲の上にいる人だ。山の中で晴耕せいこう雨読うどくの生活をしていた田麻呂は、そのころの匂いがのこっているのか嫌われない。

「わたしが話します。田原道とよぶ杣道そまみち竜門りゅうもんまで通っています。太上天皇が保良宮から帰られるときに、役夫たちに使わせましたから知っています。

竜門は、琵琶湖から流れる瀬田川せたがわの近くです。そこまで行けば宇治から来る路と合流して瀬田に行けます。

田原から竜門までの田原道は狭くて整備されていませんが、田で使う馬や牛を日常的に引いています」と田麻呂。

真備が、うれしそうに手をポンと打った。

「田原から竜門までは、かれらの村の者が案内してくれます。

すでに村を発って、要所、要所で待っていてくれるそうです。

宮城から田原村へも裏道があるそうで、この人たちが田原村まで案内してくれます。討伐隊は騎馬ですか?」と田麻呂。

「馬場から馬を集めると悟られますから、宮城内の馬寮にある馬しか使えません」と真備。

「それじゃかちの人が多くなりますね、この人たちも走ってくれるそうです。それに田原道は、暗くなってからだと馬の早駆けができません。

出かけるまえに腹ごしらえをさせて休ませたいのですが」と田麻呂。

「天の助けとなる方々です。

食事をだして、わたしが、ここで寝起きしているところを使いなさい。

それから田麻呂さん。討伐隊に渡す美濃国府こくふの絵図を書いてください」と真備が言った。



十四時半。近江国おうみのくに

近江国にいる溜池司ためいけのつかさ淡海おうみの三船みふねは、吉備真備が言ったとおり内印ないいんの押された勅書ちょくしょを、近江国府こくふ(滋賀県庁)で手にしていた。

勅書には恵美押勝の一族が反乱を起こしたことが書かれていて、中務卿なかつかさきょうの藤原真盾またて大弁官だいべんかんの中臣清麻呂と石川豊成の自署がある。太政官がつけられていて、こちらには恵美押勝と家族、行動を共にする者は、すべて反逆者であるから討ちとれと書かれて、藤原永手ながて、藤原真盾、白壁王、中臣清麻呂、石川豊成の自署があった。


一か月まえに吉備真備から、もしもの話をされて近江に行くように言われたときに、反逆者として近江に逃げるのは恵美一族だと分かっていた。

なぜ、そうなるのかは、三船の関わることではない。

三船が頼まれたのは、恵美一族が反逆者となって近江に逃げて来たら、出来るかぎりのことをして逃げるのを阻止そしして欲しいということだ。

もしも…恵美一族が都落ちをするならば・・・不破関ふわのせきを通って美濃国みののくにに行くだろうと三船は思った。

今から九十二年まえに、天智天皇が亡くなったあとで、吉野に隠遁していた弟の天武天皇が美濃の桑名まで逃げて、そこで兵をあつめて琵琶湖の南西にあった大津宮おおつのみやを襲い、天智天皇の皇太子の大友おおとも皇子を滅ぼした「壬申じんしんらん」が起こっている。

先例好きで独創性に欠ける押勝なら、天武天皇と同じ行動をとるだろう。美濃守をしているのは押勝の息子の恵美執棹とりさおだ。美濃国に逃げ込んで不破関を閉め、美濃で兵を集めて都を攻めようと考えるだろう。

押勝たちが美濃国に入ったら、捕えるのが難しくなる。

美濃国にある不破関は東山道とうさんどうを止めているので、ここで攻防戦をしているあいだに、押勝が伊勢から来る東海道にでて関東に逃げるかも知れない。

押勝を美濃に向かわせてはならないと三船は思った。

美濃国は、琵琶湖の東岸にある近江国の柏原かしわばら米原まいばら)から、さらに東に行ったところに不破関を構えて位置する。

押勝を美濃にやらないためには、琵琶湖の東岸に行かせないことだ。


琵琶湖へは多くの川が流れこんでいるが、一本だけ琵琶湖の南から外に流れる瀬田川という河がある。琵琶湖から流れ出るので河口近くは水量が多くて広く深く、泳いで渡れない。

この瀬田川の河口の西の地名を瀬田せたという。

都から近江に来る道は、宇治を通って瀬田川の西岸にある瀬田につく。

瀬田には唐橋からはしかっていて、その橋が瀬田川でさえぎられる琵琶湖の西岸と東岸をつないでいる。

都から来る押勝を、琵琶湖の東岸にある柏原の先の美濃国に行かせないためには、わたしなら…瀬田唐橋せたのからはしを焼いてしまう。そして西岸にある大津港や湖畔の船を、すべて隠す。

唐橋だけなら三船が連れている三人の下役と役夫たちで燃やすことができるが、大津港の舟や、西岸にある小舟を含む全ての船を隠すのは無理だ。

三船の淡海おうみといううじは、近江おうみにちなんでいる。

淡海三船は、大津宮おおつのみや近江朝おうみちょうを治めた天智天皇の皇太子の、大友皇子の曾孫ひまごになる。

だが溜池司として来るまで三船は近江国をよく知らなかったし、知り合いもいなかった。


八月に近江にきたとき、琵琶湖の東岸にある国府で三船が会った近江すけは、上毛野かみけのの広浜ひろはまだった。この十九年のあいだ押勝が近江守をしているので、国府の業務は次官の介が行っている。

上家野広浜は、これまで近江介をしていた阿部小路あべのこみちと、今年の一月の任官で変わったばかりで三十九歳の従五位上。淡海三船は四十二歳の美作守みまさかのかみで従五位下だから、広浜は押勝が特別に昇位をさせて近江を任せた男で警戒しなければならない相手だった。


そこで、もしも…のはなしのときに、白壁王が群司ぐんじを勧めていたので当たってみた。

大津港の近くに園城寺おんじょうじ三井寺みいでら)という寺があって、滋賀郡の郡司の大友おおともの村主氏すぐりし氏寺うじでらだという。

しかも園城寺は、大友皇子の子の大友予多麻呂が建立したと伝えていた。

それを知ったときに、三船は一人で大笑いをした。それなら、そう言えばいいのに、まったく意地の悪いジイさんたちだ。

大友皇子は「壬申の乱」(六七二年)で天武天皇に敗北したあとに自死したから、大友皇子の子を村主すぐり(村長)が育てていてもおかしくないが、大友村主氏は、それを立証することがむずかしい一族なのだろう。

つまり園城寺を氏寺とする大友氏は、三船の曾祖父の子孫と名乗っている琵琶湖の西南の滋賀郡に勢力をもつ豪族だったのだ。

それからの三船は、大友村主氏の邸を何度もたずねた。

今の当主は父親が早世して、祖父が去年に亡くなったから跡を継いだばかりの、大友おおとも村主すぐり人主ひとぬしという三十代の陽に焼けた元気な男だった。

この地が戦場になるかもしれないこと、村人たちを安全な場所に移すこと、賊軍に使われないように舟をかくすこと、村人を避難させることなどを三船が話すうちに、人主が積極的になった。

まじめ一方の堅物かたべつで、ズレないブレない正義漢せいぎかんの淡海三船と、ひたすら元気で明るい大友人主の波長が合ったのだ。


近江に来て一か月。

国府で勅書と太政官符を読みおえた淡海三船に、近江介の上毛野広浜が聞いた。

「どうしましょう?」

「どうしましょうとは?」と三船がギョロッとにらんだ。

「恵美押勝と子と孫が兵を起こして反逆した。逆賊の恵美一族を打ち取れと書かれてます」と上毛野広浜。

「それが?」と三船。

「大師の藤原恵美押勝さまは、近江守です」と広浜。

「恵美押勝と、その子と、孫は反逆者です。官位を剥奪はくだつして藤原という姓を除くことを、すでに処理した。その財産をすべて没収すると書かれています。

これは、いつ受けとりました?」と三船。

「半刻(一時間)ほどまえです」と広浜。

「すると‥」と三船が、勅がだされた時間を逆算し始める。

そこに「また太政官から文書が届きました」と国府の役人が届けてきた。

上毛野広浜が受けとって読む。

「三船さん! これを見てください」と広浜。

遅れて届いた太政官の令書には「先に届いた勅書は偽物である。今後、内印ないいんを押した勅書が届いても、それは偽物なので従ってはいけない。この文書が本物なので従え」と書かれていて、藤原恵美押勝おしかつ、藤原恵美真先まさき、藤原恵美朝狩あさかりの自署があり太政官印(外印)が押されている。

訓儒麻呂くすまろが殺されたあとに、押勝が田村第で書いて送ったものだ。

「どうしましょう?」と広浜。

「さっきから、どうしましょうと耳ざわりです。内印が押された勅書と、太政官印の押された文書の、どちらに従うつもりですか」と三船。

「しかし、これには内印の押されている勅書は偽物だと書かれていて、大師さまの署名があります。これは間違いなく大師さまの自署です」と広浜。

天皇御璽てんのうぎょじ(内印)は帝が使われるものです。あなたは反逆者に従うつもりですか」と三船。

「りっぱな印ですが、わたしは内印を見たことがありませんので、これが本物かどうか分かりません」と広浜。

「これが本物の内印であることは、反逆者が連署している偽文書が、が押されている勅書と書いて認めています」と三船。

「は?」

「それに太政官印を押した文書には、弁官の自署がありません。

弁官の自署なら、これまで届いている勅書の写しに残っているはずです。

この勅書が偽物かどうか、弁官の署名を確かめてごらんなさい!」と三船に言われて、広浜が保存してある勅書の写しの署名を見くらべた。

「…おなじです」と広浜。

「上毛野さん。あなたは朝廷に仕える官人ですか。

それとも押勝にやとわれている従者ですか。

押勝に仕える従者なら、逆賊の一味として逮捕しなければなりません」と三船。

「わたしを?」と広浜。

「近江すけを任された上毛野さんが、反逆者の押勝と親しいことは、だれもが知っています。

いまのあなたは、反逆者として捕らえられて斬首ざんしゅされるか、生きのびるかの瀬戸際せとぎわにいます。

ほんの少しでも怪しい動きをしたら囚獄しゅうごくします。大逆罪ですから家族も無事ではすまないでしょう」と三船。

「あの…三船さん。内印のある勅を信じてもよいのですね」と上毛野広浜。

「信じなくともかまいません。わたしは官人ですから帝の勅に従います。

帝が逆賊と名指しした者に従いたいなら、そうされれば良い!」と三船。

三船は一緒に溜池造りに来た三人の役人を、そばに招いた。吉備真備がつけてくれた下官は衛士府えじふ舎人とねりだった。

「この外印げいんを押した反逆者が送ってきた文書を、すぐに駅史えきし(配達人)を呼んで内裏に届けてください。

押勝の偽文書が、美濃国や越前国へも送られたかどうか、ご存じの方はいませんか?」と三船が、仕事をしている国府の役人たちを見回して聞く。

「美濃と越前に向かう伝史でんし(官の配達人)は、さっきの船で柏原と塩津しおづへ向かいました」と国府の役人の一人が答える。

「いつごろ美濃や越前の国府につきますか」と悔しそうな顔で三船。

「美濃へは明日の夕刻に、越前には明後日の夕刻にはつくはずです」と国府の役人。

「勅がでた時間から考えると、恵美一族が反逆したのは朝廷がはじまるころでしょう。早ければ、今夜にでも逆賊は近江へ逃げてきます。

それを追いかける朝廷軍も、今夜中に近江に来るかもしれません」と三船。

「そんなに早く朝廷軍が来ますか?」と三船と一緒に来た衛士府えじふの舎人が聞く。

「この日のために、われわれを溜池造りとして近江に送り込んだ吉備真備さんが采配さいはいを振るうはずです。あの方なら反逆者より早く追手おってをかけます。

あなたたちは国府に残って、食料と寝るところを用意して、朝廷軍を受け入れる準備をしてください」と三船が三人の舎人に言う。

「どれぐらいの数でしょう」

授刀衛じゅとうえい衛門府えもんふ中衛府ちゅうえふは宮城を守るだろうから、来るなら左右の衛士府えじふ兵衛府ひょうえふだろうが、不足したら用意の意味が無い。

二百人五十人の食料と、宿泊の用意をおねがいします。

わたしは、これから大津へ出かけて帰りは遅くなりますが、あとを三人にまかせて大丈夫ですか」と三船。

「こっちは大丈夫です。気をつけてください」

「上毛野さん。生き残りたいなら誠意を見せて、この三人の指示に従いなさい。

逆らうようなら斬るか、囚獄してください」と三船が、上毛野広浜と三人の衛士舎人に向かって言った。

近江介の上毛野広浜は、上野国こうずけのくに(群馬県)が本貫地ほんがんちで近江の豪族との接点がない。国府に勤める下位の役人や兵士は地元出身者が多いから、赴任して日が浅い広浜に従わないだろう。

三船は、逆賊を琵琶湖の西岸に閉じ込めるために、東岸にある国府を後にした。

 

十五時

「勅書がとどきましたよ。恵美押勝と、その子と、孫が逆賊になりました。

早ければ、今夜中に近江にくるでしょう」と大友村主の邸へ来た三船が告げる。

「いよいよですか。じゃあ、わたしたちは陽のあるうちに、湖西こせいにいる人たちは、湖東ことう沖島おきじまへ渡るように呼びかけてきます。

高嶋郡たかしまぐんは無理ですが、高嶋まで行けば賊軍も愛発関あらちのせきに向かうでしょう。

鬼江おにえの岬から、こっちの滋賀郡の人たちには、すべての舟をだして湖西からはなれるように伝えます。

園城寺の僧たちも、この辺りの村人に呼びかけて、いっしょに湖東に渡ります」と大友人主。

「気をつけてくださいよ。あなた方が戦に巻き込まれてケガをしないようにしてください。

それから内印のある勅書は偽物だと、押勝が文書をだしています。

不破関ふわのせき愛発関あらちのせきに、内印のある勅が本物で、外印を押して恵美氏の署名がある文書が偽物だと伝えることはできないでしょうか」と三船。

「愛発関へは伝えられますが、不破関は美濃国府と近いから、やってみますが分かりません。ともかく、すぐに近江おうみ軍士団ぐんしだん回状かいじょうを回します。

内印のある勅が本物で、外印(太政官印)を押した文書は逆賊が書いたものですね」と人主。

「頼みましたよ」

「ドーンと大船に乗った気で、まかせてください。

わしらの舟です。わしらの湖です。わしらの家族です。しっかりと守りますよう」と人主が鼻をふくらませる。

「張り切りすぎないでくださいよ。なんども言いますが、だれも巻き込まれないように」

これからも親戚づきあいがしたいと、大友おおともの村主すぐり人主ひとぬしを送りだしながら三船は思った。

近江軍士団というのは保良宮を北都にしようとしたときに、押勝が郡司ぐんじ(地方豪族がなる郡の役人)の息子や家族で、十九歳(数え二十歳)から三十九歳(数え四十歳)までの男子を集めて作った軍士団だが、孝謙太政天皇が都に戻ってしまったので実働経験がない名だけの存在だ。

軍士団として活躍したことはないが、いまだに近江軍士団を名乗っていて、互いに連絡をとり合いチョクチョク飲み会を開いている。



同じ十五時。但馬国たじまのくに

但馬国府(兵庫県庁)では、淡海三船が見たのとおなじ太政官印が押された文書を、高麗こまの福信ふくしんが広げていた。

さきに内印が押された「恵美押勝が兵を起して反逆した」という勅書をうけとってから、福信の心はザワついている。すぐに都に駆けつけたいのだが、高麗福信は但馬守だ。もし押勝たちが西に逃げたら、但馬は、それを止める要所になる。

しかし大宰帥だった息子の真先を都に呼び戻されているから、押勝が西に逃げる確率は少ない。押勝が逃げるとしたら執着している近江国だろう。近江まで逃げれば、九男が国守をしている美濃国へ行ける。それに違いないだろうと福信も考えた。

だから押勝の偽文書は、福信にとっては良い言い訳になった。

福信は港と国境に兵士たちを厳重に配置して、あとを副官の介に頼んで、押勝が出した文書をもって一人で都に向かった。

 


十六時。

討伐隊にえらばれた二百三十名の官人を授刀衛府のそばの広場にあつめて、吉備真備が最後の指示をだした。

「反逆者の恵美押勝は、暗くなってから宇治大橋で仲間と落ちあい、宇治路を渡って近江国に向かう。反逆者が田村第を出るのをたしかめてから、その音にまぎれて討伐隊は田原道を通って近江に行く。

ぞくがつかう宇治路とちがって田原道は狭いが、さきに近江の瀬田せたについて唐橋からはしを燃やし、今夜は東岸にある近江国府に泊れ。

近江国府がこばんだら、反逆者として打ちとれ。

明日は、柏原かしわばらまで行き二手に分かれる。一手は不破関へ、一手は愛発関へ向かい、それぞれの関を固める。

さらに不破関に向かった隊は美濃国府みのこくふへ、愛発関へ向かった隊は越前国府えちぜんこくふへ向かい、それぞれの国守をしている恵美執棹とりかじと恵美辛加知しかちを打ちとれ。

そのあとで、都から逃げ出した押勝を討つ。これが決戦だ。

瀬田唐橋を焼けば、押勝は陸路では美濃に行けなくなる。しかし海路が残されている。敵の状況を確かめるように。

詳細はごんの少尉しょうじょうたちが知っている。あとで全員につたえて欲しい。

二十人の兵をまとめる権少尉は十人。一隊に二名の伝令でんれい(報告係)がいる。権少尉と伝令に馬をあたえる。ほかに一隊に五騎の馬を出すから、騎馬で行くものと徒歩かちで行くものを各隊で決めて欲しい。

瀬田唐橋を焼くことができれば、恐らく今夜と明日は戦がない。そのあいだに互いをよく見知っておけ。

戦は数日にわたり乱戦になるだろう。体力や気力をムダに使うな。

功をあせるな。休めるときに休み、眠れるときに寝ろ。全員、無事に戻ってこい。

権少尉には従五位下を与え、全員が駅家うまやを使えるようにする。

討伐隊の印として、全員に名と所属を書いた腰版ようばんをわたす。兵糧ひょうろう(弁当)も用意する。では暗くなるまで、ゆっくり休め」


内裏でも孝謙太政天皇と太政官たちが、朝から休まずに働いていた。

「朝廷軍だと分かるものを十人分も用意するのですか。

ふつうは帝に拝謁はいえつして、佩刀はいとうをもらった大将と副将が兵を引きつれて、それに勅使が旗を立てて勅書を持っていくでしょう。

それで朝廷軍だと分かります」と中臣清麻呂。

「中臣さん。ふつうは、もうありません。

戦うのは朝廷軍ですが、大将のいない遊撃隊です。

かれらが朝廷軍だということを証明してやらなければいけません」と石川豊成。

「ですが、勅書を十枚も出すわけにはまいりません」と永手。

「こんなときに太政官印があれば、ホント便利ですがねえ」と白壁王。

「太政官印がどうした?」と孝謙太政天皇が聞きとがめて目を光らせた。

外印げいん(太政官印)は押勝がもっています」と涼しい顔で白壁王がこたえる。

「なぜ?」と孝謙太政天皇。

「さあ。柴微内相しびないしょうになったときから、外印は押勝が持っているそうです。もう何年も所持していますねえ」と白壁王。

「今もか」と孝謙太政天皇の体が震えはじめた。押勝の言いなりになって来た自分をくやんだのだ。

「上台さま。薬湯を召しませ」と道鏡どうきょうが椀をもってきた。

いつも薬湯をせんじているから、道鏡がうごくと薬草の香りがただよう。

昨日から内裏に詰めっぱなしの太政官たちは、はじめて噂の看病禅師かんびょうぜんしを近くで見て、良いタイミングで孝謙太政天皇をいやすのを目にしている。

太政天皇が道鏡を必要としているのはたしかで、そばから離さない。

「とりあえず朝廷軍だと言うことを書いて、われわれが署名しますか。

討伐隊全員には、真備さんが腰版を用意しているそうです」と白壁王がのんびりと言った。

 

十七時三十分。

田村第から人が出てきて、そのなかに数台の輿こし女従じょじゅう(女性の使用人)がいると、見張りをしている衛士府えじふの舎人が授刀衛に知らせにきた。

吉備真備が満足そうにうなずいて、討伐隊を集めた。

恵美一族が動くときに立てる音にまぎれて、宮城の北西の門から案内の四人の百姓を先頭にした討伐隊が静かに出ていった。

 


二十時。宇治うじ橋。

宇治川に掛かる宇治橋のまえで、さきに来ていた氷上塩焼が恵美押勝らをむかえた。

塩焼は十六人の騎馬と二十人の徒歩の、計三十六人の私兵をつれている。

押勝は、そろいのよろいをつけた田村第資人たむらだいしじんと呼ばれる私兵を、騎馬で百二十人と徒歩で三十六人を連れている。

朝の戦闘で何人かを失ったが、息子たちの私兵を入れて計百五十六人が残っていた。

そのほかに押勝は、五台の輿こしに乗った家族と、輿のかつぎ手を三十人と、家族の世話をする男女の従者を四十人近くつれていた。この百人近くは戦闘員せんとういんだ。

「追われましたか」と塩焼が聞く。

「宮城の周りは厳戒に警備をしているが、ほかに兵士の姿はなかった。

人に行きあわず、都は静まりかえっていた」と押勝。

「わたしも追われていません。今まで動いていたのは授刀衛の舎人だけです。

司門衛しもんえい衛門府えもんふ)は門を守っているし、中衛ちゅうえ虎賁衛こほんえい兵衛ひょうぶ)は内裏と中宮院を守っているはずですから、百名以上はいる田村第資人と夜に戦う危険をさけたのでしょう。

おそらく軍を作ってから、追ってくるつもりではないでしょうか。

徴兵には、どんなに急いでも十日以上はかかります。

そのあいだに、われわれは不破関を固めて美濃へ行き、こちらも徴兵して軍を立ち上げましょう」と塩焼。

「美濃の執棹とりかじと越前の辛加知しかちには、関を固めて徴兵を急ぐようにと手紙を送った」と押勝。

押勝たちは、宇治橋のたもとで小一時間ほど仲間がくるのを待った。

左勇士さゆうしえいそつ左衛士さえじのかみ)で従四位下のなかの石伴いわとも周防守すおうのかみで従五位下の石川氏人うじひと文部ぶんぶ式部しきぶ)少すけで従五位下の大伴古薩こさつ左少弁うしょうべんで従五位下の阿部あべの小路こみちが合計して六十八人の私兵をつれてきたが、淳仁天皇の兄の池田いけだ親王しんのうふな親王しんのうや、落ちあうはずだった仲間の多くは来なかった。

それでも押勝たちの戦闘員は二百六十人以上になった。



二十三時。近江国。

平城京から瀬田唐橋まで田原道をとおって約四十八キロ。竜門までは道が狭かったが、竜門をすぎてからは歩きやすくなって、討伐隊が瀬田川の河口にかかる唐橋についた。

満月に近い月がでている。

唐橋のそばに、松明たいまつをもった男が一人で立っていた。

先頭を駆けてきた佐伯伊多治いたじは、衛門府えもんふに勤めているので宮城の門をとおる官人の顔を良く知っている。

淡海おうみの三船みふねさまではありませんか」と馬から飛びおりて、伊多治があいさつをする。

「反逆者を討伐する官軍の方でしょうか」と三船。

「はい。衛門えもんの少尉しょうじょう、佐伯伊多治です」

山背守やましろのかみ日下部くさかべの古麻呂こまろです」

授刀舎人じゅとうとねり物部もののべの広成ひろなりです」

主計頭しゅけいのかみ葛井ふじいの立足たつたりです」

「散位の佐伯さえきの三野みのです」

大野おおのの真本まもとです」と、つぎつぎに瀬田につく権少尉たちが名乗りをあげる。

「なんと! 官人による混成隊ですか。お待ちしていました。さあ早く橋を渡ってください」と三船。

「真備先生から、渡り終えたら唐橋を焼き落とすようにといわれております」と伊多治が言うと、三船がユカイそうに笑った。

「用意はしてあります。みなさん、出てきてください」と三船が声をかけると、隠れていた男たちがワラと油をもって姿をあらわした。

「湖畔に住む湖族こぞくです。この方たちの協力で湖西こせいの滋賀群に舟はありません。逆賊は美濃へ向かえずに高嶋郡たかしまぐんに向かうでしょう。

みんな渡られましたか? ではワラを積んで油をかけてください。

われわれも渡りましょう。あなたは残るのですか」と、そばに残った男を見て三船が聞く。

「わたしは伝令です」と男が答える。

「なるほど。見つからないように気をつけて帰ってください」と三船が最後に橋を渡った。

「火が飛びます。なるべく橋から離れて、馬の目をふさいでください。では点火しますよ」と討伐隊と村人を橋から離して、三船が松明の火をワラにうつす。

すぐに火が瀬田唐橋に燃え広がった。

冴え冴えとした月と、黒い比叡の山並みと、湖面のきらめきのなかで、瀬田唐橋が赤く燃えあがる。なんとも壮絶で、なんとも美しい。

みんな、口をあけて燃える唐橋をながめた。

「わたしは焼け落ちるまでここにいます。みなさんは近江国府へ行って、明日のために体を休めてください。あとで、わたしもまいります」と三船が、佐伯伊多治たちを見送った。


燃える瀬田唐橋のむこうに、三船は天智天皇が治めたという近江王朝のざわめきを感じていた。融通が利かない淡海三船だが、感受性も豊かで鋭い。

三船の曾祖父そうそふが、天智天皇の皇太子だった大友皇子。大友皇子の妻の十市といちの女王ひめみこは、天武天皇と額田ぬかだのおおきみのあいだに生まれている。

額田王は古代最高の女流歌人で、すぐれた和歌を多く残した近江王朝の華だった。



九月十二日。二時ころ。近江国。

宇治橋を渡って近江をめざしていた恵美押勝たちは、瀬田川に添いの道に出たときからケムい匂いに気がついた。「火事か?」とあたりに目をやったが炎は見えない。

一日は夜明けからはじまるので、真夜中を過ぎたこのときは、まだ九月十一日になる。大変な一日をすごしてきた押勝たちは、ともかく休みたかった。

都からだと、保良宮は瀬田唐橋の手前を西に向かったところにある。匂いの原因をつきとめるより、まず保良宮の邸に押勝たちは入った。

前日の十日には、なんのきざしもなかった。

恵美押勝は大師として、朝廷を統括していた。

孝謙太上天皇と淳仁天皇が反目して、軍事面をまとめていた娘婿の藤原御盾みたてが亡くなり、若い恵美氏の太政官をまとめていた恵美巨勢麻呂こせまろが亡くなってかげりが差してきていたが、畿内から兵を集めて孝謙太上天皇を退けるつもりだった。

すべての軍事権を握っていた自分が、いきなり失墜しっついするとは夢にも思っていなかった。

それが、あわただしく田村第を捨てて近江へ逃げてきた。

境遇の激変に、押勝も家族も疲れきっている。

 

寝ようとしても氷上塩焼は眠れなかった。

宇治橋で集合するという連絡をもらってから、それを孝謙太上天皇に告げようかという考えがチラッと頭を横切った。勅では氷上塩焼は反逆者にされてないから、押勝の動きを密告すれば罪に問われないかもしれない。

だが、そう思っただけで決断することができなかった。

今朝まで塩焼は、孝謙太上天皇をはぶくことしか考えていなかったから、別の方向へ頭の切り替えができなかったのだ。チラッと思っただけで、すぐに今の状況を挽回ばんかいするには、どうすれば良いかと考えてしまった。

船親王と池田親王と、ほかにも五、六人は押勝に従うと想っていたが集まったのは半数にも満たない。

孫まで反逆者にされた押勝が家族を連れて来ることは予測していたが、宇治橋で見るまでは百人近くの非戦闘員をつれて動くことを、塩焼は計算していなかった。

なんだか判断が空回りしている気がする。

それでも美濃国に入って兵を集めれば、都を攻めることができる。

何とかできる…何とかできるはずだ。





天武天皇―――舎人親王――――淳仁天皇

       草壁皇子――――文武天皇―――聖武天皇―――孝謙太上天皇       

             

藤原北家―――――――大納言 永手           

           中納言 真盾           一男 真従(故人)

               宇比良古(故人) 太政官 二男 真先

                ‖―――――――太政官 三男 訓儒麻呂(殺) 

        恵美氏・大師 恵美押勝     太政官 四男 朝苅

                ‖       

                ‖―――――――越前守 八男 辛加知しかち              ‖          

天武天皇―――新田部親王―――陽候女王      

           中納言 氷上塩焼   

                      以下母不明 五男 小湯麻呂

                            六男 刷雄

                       右虎賁督 七男 薩雄ひろお

                        美濃守 九男 執棹とりかじ

                            十男 真文  



       太政官 左大弁 中臣清麻呂

       太政官 右大弁 石川豊成             



天智天皇―志貴皇子――中納言 白壁王

     大友皇子―葛野王―池辺王―溜池司 淡海三船おうみのみふね         

                 滋賀郡司 大友村主すぐり人主


          授刀舎人 坂上苅田麻呂

               牡鹿嶋足

               伊勢老人

               紀舟守


           少納言 山村王


            侍従 奈貴王(天智系)

               藤原雄田麻呂(式家)

               藤原田麻呂(式家) 


               吉備真備

             


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