七 軍師 都へ帰る 孝謙天皇の離反
七六二年(
七六二年の暮れ、十二月一日に太政官が補充された。
ふつう政治の中核にいる太政官は、左大臣一人と右大臣一人。その下に二人の大納言。さらに下に三人の中納言で構成される。大臣は二人の大納言の中から選び、大納言は三人の中納言の中から選ぶ。
ほかに、
参議の場合は、年功序列や功績を飛び越えて任命されることがあり、恵美
このほかに各省が提出する事案や帳簿を受けとって調べ、太政官が審議する議題の資料をつくる最高事務官の左右の
この日、中納言の藤原
真楯は
そして参議として新たに太政官に加わったのが、従三位の
ほかに左大弁の
中臣清麻呂は六十歳。中臣氏は藤原不比等の父といわれる
石川豊成は五十八歳。石川氏は古代大
だが、あとの三人の参議はちがう。
山背王は、
その結果、兄の
血筋はよく熟年で人生経験は豊富だが、仕事の経験は
訓儒麻呂は押勝の三男で
四男の朝苅も宇比良古の息子で参議として太政官になり、
さきに参議で太政官なっていた押勝の次男の真先と、押勝の弟の巨勢麻呂をいれると、十二人の太政官のうちの五人までが押勝の家族で、藤原北家の永手と真盾と、妹の陽候女王が仲麻呂の妻になっている氷上塩焼は、押勝の息子たちの叔父になる。
押勝の縁族でないのは、文室浄三と中臣清麻呂と石川豊成と白壁王の四人だけだ。
山部王という人が来たと告げられた藤原
「どうしたのです」と雄田麻呂。
「大丈夫。だれにも見つかっていない。歳の瀬だし雪が降りそうだから、今夜は人っ子一人、犬一匹、外に出ていないよ」と山部王。
「はやく部屋へ入って火にあたってください。供も連れずに通用門を叩くなどと何があったのです?」と雄田麻呂が山部王を部屋に入れて、
「雄田麻呂兄さん。ここに
「兄に用ですか。隣ですから呼びにやります」と従者を
「なにもない」と山部王。
「
山部王。なにか企んでいるのですか」と雄田麻呂。
トントンと部屋の戸が叩かれた。雄田麻呂が戸をあけて駆けつけた宿奈麻呂を入れる。
「どうした。雄田麻呂」と入ってきた宿奈麻呂が、「あれ…山部王? 山部王ですね。しばらく会っていないから見間違えるところだった。なぜ、ここに?」と聞く。
「お願いがあってきました。すぐに出ていきますから
大師にたいしての式家の立場は、どうなのでしょう」と、いきなり山部王が切りだした。宿奈麻呂と雄田麻呂が顔を見合わせる。
「単刀直入すぎて何を聞かれているのか分かりませんが、帝と上台さまが対立されていることに関係する問いですか?」と雄田麻呂。
「淳仁天皇と上台さまの反目は、われわれ臣下が関われる問題ではありません。あれは、ひとまず横に置いてください。
わたしは大師に対して、どういう立場をとるつもりかと聞いています。
式家は大師を批判しますか。それとも大師を支持しますか。どっちです?」と山部王。
「どうしたのですか。山部王。なにかに取りつかれたのですか。それとも
「大師も藤原氏でしょう。おなじ藤原一族として、どのような関係を式家は大師と築くつもりなのか教えてください」と山部王。
「あのね。山部王。まず落ち着きましょう」と宿奈麻呂。
「落ち着いています。藤原北家は、太政官の永手さんと真盾さんが大師を支持しています。上の二人が大師を支持しているので残りの方も同じでしょう。
藤原氏の中では京家と式家の立場があいまいですが、京家の場合は家長の
それで式家は、どういう立場をとるつもりか伺いたいのです。大師を支持して近づきたいですか?」と山部王。
「いきなり、そんなことを問い詰められてもね。山部王。どう答えていいか分かりません」と宿奈麻呂。
「本音を聞きたいだけです。
大師は、宿奈麻呂兄さんと雄田麻呂兄さんのイトコです。
天皇でも太上天皇でも皇族でもありません。ここで本音を語っても反逆罪にはなりません」と山部王。
「それは、そうかもしれないけど、わたしは大師の兄になる、先の右大臣の
「そうだったのですか。豊成さんは大師と反目しています。
大師をだした南家の兄弟で、残っているのは四弟の巨勢麻呂さんだけです。
巨勢麻呂さんは恵美氏を名乗って大師の
「一族のあいだでの婚姻は当たり前のことです。北家の永手さんも真盾さんも、大師との縁組みが足かせになると思っていなかったでしょう」と雄田麻呂。
「豊成さんは
イトコと言っても今じゃ大師は特別ですし、大師の考えが任官に影響しますからね。本音を語れと言われても、割り切れないのが本音ですよ」と宿奈麻呂。
「そうですか。分かります。
五位以上の任官は太政官が協議して名簿を作り、それを参考にして帝が決められますが、その太政官のなかの五人は大師の息子か養子です。大師を入れれば六人ですね。任官は大師の一存で決まるでしょう。
そのうえ姉君が巨勢麻呂さんの夫人なら身動きがとれない。
宿奈麻呂兄さんが一族のことを思って、大師に逆らえない気持ちは良く分かります」と山部王。
「分かってくれましたか」と宿奈麻呂。
「でもねえ、宿奈麻呂兄さん。たとえ大師の影響力が強くても、臣下であることに変わりはないでしょう。
田村第だって、臣下が住むには広すぎると思いませんか?」と山部王。
「それは、まあ・・・」と宿奈麻呂。
「山部王。兄を
いきなり忍んできて、なにを企んでいるのです?」と雄田麻呂。
「雄田麻呂兄さんは、一氏族から二人までと決まっている太政官の過半数を、大師の家族が占めていても良いと思っているのですか?」と山部王。
「良いと思っていませんが、今の大師に逆らうのは危険です」と雄田麻呂。
「今の大師が危険なら、
そうなれば
「ここに伺ったのは、お願いがあるからです。
太政官の中で大師を止めようとしているのは、文室浄三さんと父だけです。
しかし文室浄三さんは六十九歳(数え七十歳)と高齢で、老人特有の持病もあるから、いつまで大納言を続けられるか分かりません。
文室浄三さんは、大師を除くには
「吉備真備って、
「そうです。わたしは知りませんが、浄三さんや、浄三さんの弟の
「そうなのですか? 兄さん。聞いたことがありますか?」と雄田麻呂が宿奈麻呂に聞く。
「ん・・・同じようなことを、ずっと昔に聞いたような気がする。たしか若女さんが、何か言っていたような・・・」と宿奈麻呂。
「母から、何を聞いたのです?」と雄田麻呂。
「おぼえていない。あのころ、わたしは
「大師が広嗣さんを、そそのかしたという証拠はありません。
でも広嗣さんの
お願いというのは吉備真備さんを呼び戻すために、宿奈麻呂兄さんの力を借りたいのです」と山部王。
「わたし?」と宿奈麻呂。
「イトコである大師への不満を、藤原一族の一人として言いふらしてもらえませんか」と山部王。
「どうして?」と宿奈麻呂。
「政道批判をしてはいけません。帝や上台さまのことはゼッタイにふれてはいけません。それは大逆罪です。
言うのは大師への個人的な悪口だけです。藤原一族の仲違いと受けとられることだけです」と山部王。
「田村第が大きすぎるとか、大勢の私兵に邸を守らせて、夜なんか見張り台で
「そう。その手の悪口です」と山部王。
「そんなことをしたら兄は捕まります。いくら個人的な悪口でも、国を呪ったとかの
「捕まってもらいたいのです。そのときに佐伯
宿奈麻呂兄さんは、佐伯今毛人さんと付き合いがありますよね」と山部王。
「石上宅嗣が大伴
「今毛人さんは外せないから、これからも時々、会ってください」と山部王。
「山部王。兄を混乱させないでください。
なぜ吉備真備さんを都へ戻すのに、うちの兄が大師さまの悪口を言いふらして捕まらなければならないのです。呼び戻すだけなら真備さんが病気だからとか、老齢だからとか、なんとでも他に理由をつくれるでしょう」と雄田麻呂。
「病気や老齢を理由にすると、解官される恐れがあります。
宿奈麻呂兄さんが承知してくれたら、どのあと吉備真備さんの家族から老齢だから都に戻して欲しいと
そして来年の正月の任官で、雄田麻呂兄さんは侍従として上台さまの側に仕えることになります。末弟の
それをしてしまえば、式家は上台さまについたと思われる。少なくとも大師は、そう判断しますよ。
だから先に、式家の立場を知りたかったのです。
宿奈麻呂兄さんが捕まったら、すぐに雄田麻呂兄さんが上台さまに断罪を求めてください。浄三さまが手はずを整えてくださいますから、獄死することはありません」と山部王。
「兄が捕まることと吉備真備さんを都の呼び戻す話が、どうつながるのです」と雄田麻呂。
「佐伯今毛人さんを
「待ってください。真備さんにとっては、わたしたちは広嗣の弟です。真備さんが九州に送られたのは広嗣のせいです。式家を恨んでいるかも知れません。
兄を危険な目にあわせて吉備真備さんを都に戻すことは、式家にとって利がある話ではありません」と雄田麻呂。
「浄三さんは吉備真備さんを高く買っています。それほどの人物なら、広嗣さんの乱の真実も理解しているはずです。それと式家が吉備真備さんと結託したとは大師も思わないでしょう。
大師を滅ぼすことができたら、宿奈麻呂兄さんは再評価されます」と山部王。
「滅ぼせなかったら、わたしは左遷されっぱなしですか?」と宿奈麻呂。
「そうならないように手を尽くします。でも大師を除かないと、ますます危険になります。そして大師に立ち向かえるのは、文室浄三さんと上台さまだけです。
返事は、みなさんで相談してからでかまいません。
若女さんが、吉備真備さんの娘さんの由利さんや、保良宮から還都された時のいきさつをご存じです。
そういえば、諸姉さんと人数さんは女儒になられたのですね」と山部。
「えっ。どうして娘を知っているのです? 会ったのですか。どこで?」と宿奈麻呂。
「由利さんの供で、浄三さんのところに来られました。
では、わたしはこれで」と山部王が立ち上がった。
「口止めはしないのですか?」と雄田麻呂。
「断られても式家は友達です」と親しげな笑みを残して山部王は出ていった。
「子供のころから、あいつの
「そのあと、どんな気持ちになりました?」と雄田麻呂。
「ヤラレタ!と思った」と宿奈麻呂。
「腹が立った?」と雄田麻呂。
「そういえば不思議に腹が立ったことはない。若い頃のことを思い出すときに、あいつの笑顔が浮かんでくることもある。こうして顔を見ると嬉しいし、思い出すと懐かしい」と宿奈麻呂。
「兄さんは山部王が好きなのですか」と雄田麻呂。
「えっ?」と宿奈麻呂。
「放っておけない。目が離せない。気になる。だから言うことをきいてしまう。
それがイヤではない。むしろ頼まれると嬉しい気がする。
これは引きつけられているからでしょうね。
きっと、わたしも山部王が好きなのでしょう。
兄さん。大師の悪口を言いたくなってきたのじゃないでしょうか」と
雄田麻呂。
「腹の中では、とっくに何回も言っている。わたしに家族がなかったら、すでに、あっちこっちで言いふらしている」と宿奈麻呂。
「兄さんの性格なら、たしかに文句を言うのが似合います。
兄さんが悪口を言って捕まれば、大師は皇族ではなく臣下だったと官人たちは思い出すでしょう。藤原氏が大師を批判すれば、その効果も大きい。
わたしは下官ですから、お目にかかったことはありませんが、文室浄三さまは
「文室さまは、上台さまを
「動いているのは
式家では広嗣さんの話題を避けていますから、どんな人だったのか、わたしは知りません。兄さん。まず広嗣さんが、どのような方だったか教えてください。
わたしなりに、なぜ広嗣さんが乱を起したのかを考えて見たいのです。
それから母から、広嗣さんのことや吉備真備さんこと、保良宮から還都したときのようすも聞いてみましょう。
式家も立場をはっきりさせる時がきたのです」と雄田麻呂。
「おまえまで
七六三年。
朝鮮半島と大陸の一部にかけて、むかし
渤海国は旧高麗人もふくまれている多民族国家で、日本とは友好的な外交をつづけている。
大陸や半島の情報を伝えるためと交易のために、正月の
正月。
恵美押勝は、二男の恵美
淳仁天皇も養子のようなもので、渤海国の使節に向けて自分の権威を目に見えるように示したのだ。
大師という職名と淳仁天皇を超える力は、日本人より大陸から来た渤海人のほうが評価してくれる。大陸では皇帝が太師に操られたり、
一月十七日には歌や踊りがおこなわれて、全ての官人が集められた。その席で渤海大使の
二月四日に押勝は田村第に王新福らを招いて宴をもうけ、唐についてのくわしい情報をもとめた。
押勝は、玄宗皇帝が弓を作るのに必要な牛の角を求めていると聞いて、すでに七千八百本の牛の角をあつめていた。それを
これまでに渤海使が伝え藤原清河を迎えに行った使者も報告しているのだが、唐の内乱を軽くみていた押勝にとっては悪い知らせだった。
二月十日に、今度は
新羅国は四世紀の前半から朝鮮半島にあった国で、シルラ、シラ、または
日本の歴代の
押勝は、
二月二十四日の早朝。
「ほんとうに、あいつが
嶋麻呂は敦賀郡の
「ああ。
「だけど、あいつは船の修理を見とどけるために来ただけだろう。朝廷がよこした送使なら、
「そんなこと知るかよ」
「まあ、わしらにゃ関係ないことだけど、朝廷の送使を国府にとめて、修理の立ち会いにきた野郎を勝手に送使にするなんてことを、国守が勝手に決めちゃいけないだろう」と嶋麻呂。
「そうなのか。いまの国守は、そんなことも知らないのか。どんなヤツだ?」
「どんなヤツって言われても良くは知らない。朝廷を
わしより若いそうだから、何も知らないのだろうさ」と嶋麻呂。
「
「都の偉いさんが何考えてんだか知らないがよ。ともかく、あんな男を送使にしちゃいけねえ。
たしか
わしらが心配したってしょうがないが、ヤなことが起こりそうな気がする。
まあ、いっか。オイ。渤海使が帰ったら、ここの警備から解放されるだろう。
今夜、みんなで飲みに来いよ」と嶋麻呂。
「いつも気を配ってもらって、ありがとな。敦賀の若。おまえ、良い群司になるだろうな」
「うれしいこと言ってくれるなあ。待ってるよ」と嶋麻呂が、表情豊かな目をクリッと回した。
この日に
外国から来た
三月はじめの風の強い夜。
藤原北家の永手の邸には、三弟の
「遣唐使の中止が決まった」と永手。
「
「今の唐へは近寄れないという。帰国の途中で船が南方に流されて捕らえられ、そこから逃げて唐に戻ったと聞いてからでも、すでに九年がすぎている。
一度、便りが届いただけで、今では生きているのか、どうかも分からない」と永手。
遣唐大使として唐に行って、帰国の途中で海で遭難した北家の四弟の清河は、唐へ戻ることはできたが戦乱に巻きこまれて日本へは帰国できなかった。清河にたいしては今も叙位と任官が行われていて、正四位上の
十一年も国にいない清河に官位を与えるのも、永手と真盾が太政官でいるのも、北家を味方にするために恵美押勝がした優遇処置で、それに答えて北家も押勝に追従してきた。
「渤海使をもてなした正月の宴の席で、冷ややかな反応をする者たちを見ました」と真楯が言う。
「上台さまは欠席だった。代わりに淳仁天皇と押勝が並んだから、わたしも冷ややかな目を向けたくなった。まるで押勝が帝のようにみえる。
つぎは、なにをしでかすつもりだろう」と永手。
「仲千さんと会っておられますか」と真楯。
「上台さまが帝と反目するようになってから、互いの立場を想って一度も会っていない」と永手。
「大師は、大納言の文屋浄三さまの退官を待っているのでしょう。もし‥」と、真楯が言葉を止めた。
「押勝が上台さまを葬るとしたら、文室浄三さまが退官された後だろうか」と永手が続ける。
「おそらく」
「上台さまは、藤原氏の血が濃いお方だ。母君の光明皇太后には大恩がある」と永手。
「兄上」と真盾が座り直した。
「なんだ」と永手。
「こんなことは、言いづらいが…」と真盾。
「改まって、どうした」と永手。
「いま言わないと、生涯、口にできない気がします。兄上。わたしのことを恨んでいますか」と真盾。
「なぜ?」
「聖武天皇は、わたしを取り立ててくださった」と真盾。
「昔のことか。そうだなあ・・・。
わたしは、もともと
わたしは、おまえのように
それなのに、たった一歳だけ年上の、わたしのほうが家長になった。
あのころは家長にされたが何をやっても上手く行かず、なんでも上手くやる、おまえが
「だから大師と接触したのですか?」と真盾。
「いや。むこうからやってきた。
今にして思えば、わたしが不安と不満と焦りを抱えているのを見すかされて、おまえを押えるために利用されただけだ」と永手。
「奈良麻呂さんのときは?」と真盾。
「わたしを支援してくれたのは押勝だけだった。だから押勝の言葉を信じようとした。奈良麻呂たちが謀反を企てたと信じたかった」と永手。
「奈良麻呂さんは、わたしたちの母方のイトコですよ」と真盾。
「渦に巻き込まれたように、押勝に逆らうことができなかったのだ。
おまえは押勝を避けて登庁していなかったが、あのときは、おまえに助けて欲しい。渦から引き上げて欲しいと願った。生まれて初めて、おまえに手を握ってほしかった」と永手。
「官職に戻ったわたしに、兄さんは要職への任官と昇位を推薦してくれた。
官僚に唐風の名を名乗れと大師が強要したときも、兄さんは一人で逆らった。
わたしは大師が怖くて名を変えた。わたしは逃げてばかりだった。兄さんのほうが骨がある」と真盾。
「押勝は、おまえを嫌っている。殺しかねないほど嫌っている。
おまえが逃げるのも、従うのも当たり前だ」と永手。
「…わたしたち、やりなおせませんか」と真盾。
「なにを?」
「互いを信用して、こだわりなく手を組めませんか」と真盾。
「そうだな」と永手。
「兄さんが大納言になって、わたしが中納言になった。わたしは、やっと居心地の良い立場に立てました。
兄さんは家長です。家長を助けて北家を守るのが弟の勤めです」と真盾。
「真盾。可哀想だが、清河はあきらめなければならないだろう。
残された兄弟は、
「御盾は本気で大師を敬っているのでしょうか。都に帰ってきたときに、ゆっくり話してみましょう」と真盾。
「このまま行くと、押勝が上台さまを葬るかも知れないか・・・」と永手。
「不本意なままで大師に従い続けるのが、北家のためになるでしょうか。
淳仁天皇と上台さまの反目で、文室浄三さんと白壁王が上台さまに付きました。
ここで北家が上台さまについたら、大師を押えることができます」と真盾。
「分かっている。北家には北家の意地がある。押勝が上台さまを退けようとすれば
藤原恵美押勝は、長男を亡くしたのでは九人の息子が残っている。
次男は
このうち次男の真先と、三男の訓儒麻呂と、四男の朝苅と、長女の
そして押勝の八男の辛加知の母は、氷上塩焼の妹の
永手たちが切らなければならない情は、誕生や成人を祝った甥や姪たちなのだ。
春三月の末の夜に入ってから、内裏に仕える
「
「この時間には、お通しできません」と内裏の門を固める
「友人に会うだけです」と大浦。
「大史局って、どこですか?」と衛門舎人。
「もとの
「陰陽師ですか。位階は」
「正七位上です」
「友人の名は」
「人に見られたくないので、門の中に入れてから調べてもらえませんか」と大浦が小銭を衛門舎人ににぎらせる。
「内裏に上がれるのは五位以上の貴族だけです。まず友人の名を教えてください。相手によっては言付けますよ」
「
「道鏡って…あの道鏡さん?」
「はい。あの道鏡さんです。
道鏡さんに頼んで、上台さまのお耳に入れていただきたい大切な話があります。
ともかく中に入れてから調べてください。ここに来たことを誰にも知られたくないのです」と大浦。
「そうだな。庭には入れませんが門の中までなら入ったほうがいい。上司に聞いてみるから待っていて」と言って、衛門舎人は握っている小銭に目をやった。
「取っておいてください」と大浦がうなづいた。
孝謙太政天皇が保良宮からもどってから、淳仁天皇との
その道鏡に会いたいと陰陽師が訪ねてきた。衛門舎人は上官に、上官は侍従に、どうしたものかと取りついだ。
尼僧姿の孝謙太政天皇は、就寝まえのひとときを女官や、正月から
「知っている男か。道鏡」と孝謙太政天皇が聞く。
「はい。存じています。一年まえに
「どんな男か」と太上天皇が聞く。
「大師さまにつれられて保良宮に来て、お邸を使っていると言っていました」と道鏡。
「押勝の手先ではないか!」と孝謙太政天皇。
「はい。大師さまに可愛がられているそうです。
だから、ここへ来るのは危険ではないでしょうか。
上台さま。おねがいします。話だけは聞いてきても良いでしょうか」と道鏡。
「それも、そうですね。しきりと周囲を気にしていると言いますから、なにか重大なことを知らせにきたのかもしれません」と
「通せ。会おう」と孝謙太政天皇。
「それはいけません。上台さま。その者は正七位上だそうです。
内裏にあがれるのは内舎人や授刀舎人や、新たに作られた侍従をのぞくと、五位以上の貴族だけだ。
「
「それでしたら、上台さまは
「お話なさいませ」と笠目。
「はい。わたしは陰陽師ですが危険な
「顔をあげて、声がとどくように大きな声で話すように」と笠目。
「はい。来年の九月に戦乱がおこります」と身を起して大浦が言った。
侍従や女官たちがザワついた。
「どこで起こるかと、おたずねです」と大野仲千が御簾から出てきて聞く。
「都を中心とした
「だれが戦乱をおこすか、とおたずねです」と吉備由利が出てきて聞く。
「大師さまが関わられております」と大浦。
こんどは全員が静まって、耳をそばだてて身をのりだした。
「来年の九月に藤原
「わたしに分かりますのは、来年の九月に入ってから武器をつかった戦闘が起ります。それが七日から八日も続きますから、わたしは戦乱だろうと推測しました。
大師さま個人の
場所は都か、都に近いところで起ります」と大浦。
孝謙太上天皇からの返事はない。
「伏しておねがい申しあげます。
それまでに大師さまに気づかれることなく、万全の準備をしてください」と大浦。
「なぜ陰陽寮が異変を見つけずに、おまえが見つけたと、おたずねです」と由利。
「陰陽寮は、三ヶ月先までの星の動きを計算して予測をします。あまり先では予測と現行している星の動きに狂いが生じることがあるからです。
わたしは一年も先の星の動きを計算しております。
それと大師さまの星運を見ておりますので、大師さまに大きな変化が起ることも予測できます。それを重ねて考えて、お知らせしております」と大浦。
「日時は確かか、とおたずねです」と由利が出てきた。
「来年の九月の始めと言うのは、まちがいありません。
近くなったら、はっきりした日時を出せると思います」と大浦。
「そなたは大師に可愛がられていると聞くが、なぜ
「わたしは大史局につかえる陰陽師です。大師さまに呼ばれましたら従いますが、朝廷につかえる陰陽師で大師さまの従者ではありません」と大浦。
「予測が当たらなかったら、どうするつもりだ、とおたずねです」と由利。
「命はないものと覚悟しております」と大浦。
「いままでどうりに押勝に仕え、不審な動きや、新しい予測がでたら伝えるように。みなも、このことは
「では、お引きとりください。
奈貴王につれられて大津大浦が内裏の廊下を歩ていると、道鏡が追ってきた。
「あの…待ってください。少しだけ話をさせていただけませんでしょうか。
おねがいします」と道鏡。
「少しだけですよ」と奈貴王が、顔をしかめながら承知する。
二十九歳の奈貴王は、従五位下で
「わたしの部屋へ」と道鏡が大浦をつれていく。
「豪華な部屋ですね。さすがは女帝の愛人ですか」と部屋にはいった大浦。
奈貴王が、背中を部屋に向けて廊下に座った。
「ちがいます!」と道鏡。
「その言葉を、わたしは信じますよ。はい。これ」と大浦がふところから紙をだした。
「なにでしょう」と道鏡。
「二人になれる機会があったら渡そうと思っていました。あなたの
「陰陽寮の資料は持ちだせないって言ってたじゃないですか」
「わたしの家にある資料から写しました」と大浦。
「家に! すごい資料をもっているのですね」と道鏡。
「代々うけついで残したい、我が家の宝です」と大浦。
「宿曜表が二枚ありますが」と道鏡。
「これが、あなたの」と大浦が一枚の紙を指さした。
「こっちは?」と道鏡がきくと、大浦は奈貴王の背中をうかがってから、目を孝謙太政天皇がいる部屋の方に向けてうなずいた。道鏡が目を見張る。
「わたしは体が反応するのですが、たとえば大師さまに会うとジンマシンがでます。これは拒否反応です。
この方は寒かった。いずれ、わたしを始末なさるでしょう。
それとは別に、胃のあたりが石のように重く鋭い痛みを感じました。この方は、そこが弱ります」と大浦が孝謙太政天皇の宿曜表を指して言う。
「どうして、わたしに、これを?」と道鏡。
「わたしは、あなたと同じ年の同じ月の生まれで、あなたより七日だけ遅く生まれました。それだけ言えば、あなたの宿曜表から割りだして、わたしの宿曜は分かるでしょう」と大浦。
「わたしを信じても良いのですか」と道鏡。
「あなたも、わたしも上がって落ちる宿命です。ただ、わたしの月は良い配置をつくっていますから、少し上がって落ちるけれど被害が少ない。
たった七日の違いですが、あなたの月は、どこまでも上がる。そこから落ちれば
宿曜は使い方で変えることができます。手にしたものを捨てて、なにも持たずに、今ある自分に感謝して、無心にやりなおす気があれば宿命も変わります」と大浦。
「しかし…大浦さん。寄せられた信頼を捨てることはできません」と道鏡。
「そう思われるのなら、それは、あなたが選んだ道です。
これからは、こうして宿曜の話などできないと思いますが、どこに居ても、あなたの星の使い方を、わたしは見ています」と大浦。
「お二人さん。そろそろ引きあげてもらわないと、わたしが困りますがね」と奈貴王が伸びをしながら声をかけた。
一方、御簾を巻きあげた孝謙太政天皇は、侍従や女官たちをそばに呼んで「どう思う?」聞いていた。
「大師さまが可愛がっている陰陽師です。
ワナかもしれませんが、言っていることに矛盾は感じませんでした」と従五位上で三十四歳になる石上
「来年の九月まで、あと一年半もあります。
あの陰陽師とは別に、対策を早くとられた方が良いと思います」と同じく正月から侍従になった従五位下で三十一歳の藤原
「即位させた淳仁を退位させるには、それなりの理由がいる」と孝謙太政天皇。
「今夜はおそいですから、明日の午後にでも陰陽師のことを伝えに文屋
山村王は、文屋浄三が侍従として選んだ不遇な
「大化の改新」以前の
都の西を流れる
あたりには牛の牧場や焼き物をする
その土師氏の邸の一棟で「本当に出家させた方がよいのかしら」と
「おなじ年頃の子があつまる大学に通わせるのは、むずかしいだろう。それなら寺に預けたほうが良い」と白壁王が言う。
「育て方が、まちがっていたのかも」と新笠。
「母上のせいじゃありません。十三歳も離れていますから遊んでやろうとしましたが、
白壁王と新笠のあいだに生まれた早良王が十三歳になる。そろそろ成人の
「お寺にも同じ年頃の子はいるわよ。お寺は寝泊まりも同じなのよ。やっていけるの」と新笠。
「大学に通わせて朝廷に出仕させるよりは良いと思うがなあ」と白壁王。
「よりによって、あなたとわたしのあいだに、どうして早良が生まれてきたのかしら」と新笠。
「わたしにも、あなたにも、少しは要領が悪いところがあったのだろう」と白壁王。
「あれを要領が悪いとは言えないでしょう」と新笠。
早良王は五歳ごろから難しい漢字を覚えて、難しい本を読み理解もした。
ただ、そのころから感覚人間の母の新笠が「なにが鈍いような気がする」と言いだした。兄の山部王とちがって手のかからない子で、泣かない、笑わない、怒らない。そして言われたことしかしない子だった。
十歳になると父親の白壁王も、早良王が変わっていることを理解した。子供にしては
痛い、寒い、暑いの感覚は伝えてくるが、楽しい、寂しい、哀しいの感情を口にしない。大学へやっても友達を作れるのかどうか気がかりな息子なのだ。
「奈良麻呂の乱」で二世王がほとんどいなくなり、中納言になった白壁王は嫌でも政治に関与する立場になった。
今の政局は、どう変わるか予測ができない。チョッと変わった早良王を大学に通わせて、枠にはまった官人にするのは可哀そうな気がした。
「出家した長男の
明日、東大寺の
修行が終わったら寺を建ててやって、好きなことをして過ごさせるのが早良には良いだろうよ」と白壁王が言った。
四月二日。
従五位下で
それを見とがめた孝謙太政天皇が「おくれて出仕し、兄を呼びだすのは無礼であろう。どうして遅れた」と女官の笠目にとがめさせる。
式家の末弟の蔵下麻呂が、困った顔をして兄を見てから平伏する。
「上台さまが、おたずねだ。なぜ、おくれたのか答えなさい」と侍従の雄田麻呂が聞く。
「兄の藤原
大師さまの命を狙ったそうです」と蔵下麻呂が答える。
「ええっ!」「どうして?」「ほんとうですか?」「バカな?」と女官の久米若女と阿部古美奈と、女儒の藤原諸姉と藤原人数が同時に声を上げた。
「くわしく説明しなさい」と雄田麻呂。
「昨夜は雄田麻呂が当直でしたから、わたしだけが家に戻りました。今朝、宿奈麻呂の家のものが衛門府に拘束されたと知らせてきました。
それで、わたしが衛門
「佐伯伊多治は保良宮から戻りましたときに、すぐに門を開けてくれた衛門舎人です」と女官の大野仲千が補足する。
「なにを聞いた」と雄田麻呂。
「
「なんですって!」と、今度は女官の吉備由利が声をあげた。
「上台さま。藤原宿奈麻呂と石上宅嗣はイトコで、宅嗣と大伴家持も古くから親しく連絡をとりあっています」と久米若女。
「佐伯今毛人と大伴家持は、子供のころからのつきあいだと聞いています」と由利。
「兄の宿奈麻呂は、上台さまが侍従や少納言に取り立ててくださっている式家の家長です。
石上宅嗣も上台さまの侍従で、
「佐伯伊多治の話では、四人が大師さまを暗殺する計画をしているから拘束するようにと、恵美
早朝に四人を拘束して調べたところ、石上宅嗣、大伴家持、佐伯今毛人は、そんな事実はないと言ったきりで
「奈良麻呂の乱のまえに、
「兄の宿奈麻呂は、イトコの押勝が前々から嫌いで、臣下にあるまじき恵美押勝の思い上がった行いに腹が立ち、スキがあれば殺そうと思っていた。
狙うのは押勝一人で、だれにも胸のうちは話していない。
ほかの三人とは仲は良いが、このことは話していない。
すべて自分一人の胸の中で思い、自分一人で押勝を殺すつもりだったと自供しているそうです」と蔵下麻呂。
「えっ!」「
「上台さま。すぐに断罪の
石上宅嗣、大伴家持、佐伯今毛人は関係がありませんので
兄は、いざというときに役に立つ男です。殺そうと思っていたと自供したのなら、軽くても
官位と氏名を
「
参議で太政官をしているだけの若い訓儒麻呂が、かってに衛門府を動かすことはできない。宿奈麻呂も放免しよう」と孝謙太政天皇。
「上台さま。大師さまと競ってはいけません。まだ、こちらの準備が整っておりません。淳仁天皇が勅をだされたら、訓儒麻呂さまの動きは違法にはなりません。
このようなことは二度とするなと、宿奈麻呂を強く叱って追放し、ほかの三人を
これで大師さまは、ますます
「雄田麻呂や蔵下麻呂や、わたしや古美奈や諸姉や人数などの、式家の者たちは自宅で
「必要ない」と孝謙太政天皇。
「ありがとうございます。
これは、あくまでも藤原一族のなかの争いで、朝廷に
母の若女に似た美しい面立ちをした式家の五男の雄田麻呂は、有能な官人になっていた。
藤原恵美押勝の暗殺を計画した罪で、四十六歳の藤原宿奈麻呂は名と官位を取りあげられて都の外に追いやられた。
宿奈麻呂が言いふらした「臣下なのに」という大師への悪口は、しっかりと官人たちの胸に届いた。
佐伯
摂津大夫になった以外は、聖武天皇のときから東大寺の建造に関わっている。
大師の暗殺計画をうたがわれて、今毛人は
佐伯氏は武門だが、建築一筋できた今毛人は牢の石壁や木の柵の染みや傷が目にとまる。それが老巧化によって自然にできたものか、この牢で無残に殺された人が残した血や、油のまじった体の一部が飛び散ってできたシミかぐらいの見当がつく。
幸いなことに
四月十二日の夜半に「起きてください。
「どんなようすでみえた」と今毛人。
「
怪しまれるから早く中へ入れろとおっしゃるので邸内にお入れして、庭でウチの帯刀資人が見はっています」
今毛人は政治に関わりたくない。だれの味方もしたくないし、だれを裏切るつもりもない。
市原王は東大寺を
「客殿に案内して見はっていろ」
身支度をして部屋に行くと、市原王が一人でいた。
「こんな時刻に、どうなされました」と今毛人。
もとの上司だが、今は今毛人が従四位下で市原王は正五位上と今毛人のほうが位が高い。
「近くに妻の邸がありますので、そこによって帰宅する途中です」と市原王。
「摂津から?」と今毛人。
「ええ。
じつは、お伝えすることがあります。お
市原王も、一人だけ連れているという帯刀資人をおいていない。自分の邸内だから大丈夫だろうと今毛人は従者をさがらせた。
「明日か明後日に、わたしが造東大寺司の長官に任命されます」と市原王が声をおとして伝える。
ああ、やはり…。
今毛人にとって東大寺は、誕生から見守ってきた子供のようなものだ。東大寺の前身になる
市原王がヒザをすすめて、今毛人に体を寄せてささやいた。
「わたしの長官も一時のことです。これは、ある方を都に戻すための
「おっしゃっていることが良く分かりませんが、わたしは東大寺を完成させることができないのですね」と肩を落として今毛人が言う。
「はい。うまくゆけば遠くへ送られますよ」と市原王。
「左遷ですか…遠くって、どこへ」と弱々しく今毛人が聞く。
「
「怡土城って、九州の大宰府の?」と今毛人。
「はい。怡土城を完成させるために」と市原王。
「だって怡土城は、吉備真備先生が…。
さっき、あなたの造東大寺司の長官は一時的で、ある方を都に戻すためって言われましたね。それは真備先生のことですか?」と今毛人が目を大きくした。
「秘中の秘ですよ。あなたや家持さんや宅嗣さんは、大師に目をつけられて投獄までされたので、あなたがたの身を守るために九州に左遷されます。
入れ替わりで、わたしが造東大寺司の長官になります。
今毛人さん。心配しなくても、すでに東大寺は出来ています。わたしは、あなたの東大寺をさわったりしません。
さて、そのあとで、吉備真備さんを高齢だからと造東大寺司の長官として都に呼びもどし、あなたに怡土城を造るように任命する。うまくゆくと、そうなるはずです」と市原王。
「わたしが怡土城を…それは、いつ?」と今毛人。
「すぐには無理でしょう。多分、来年になってからでしょうね」と市原王。
「どなたが、それを・・・」と言いながら、さっき市原王が義父に呼ばれたと言ったことを今毛人は思いだした。
たしか市原王は、中納言の白壁王の娘を妻にしている。義父とは白壁王のことだろう。
「もしかして、わたしたちが大師さまを殺そうとしているという密告も仕掛けの一つですか」と今毛人。
「密告はしていません。大師が、暗殺計画をでっちあげたのです。
宿奈麻呂さんが、あっちこっちで大師への不満を言いふらしましたからね。
でも宿奈麻呂さんは、百人もの授刀資人に囲まれている大師を、一人で殺そうとするほど愚かな方ではありません。
ほんとうは宿奈麻呂さんとあなただけが移動できればよかったのですが、宅嗣さんと家持さんを巻きこんでしまったのです。
でも、もともと、お二人とも大師に目をつけられていましたから、都にいないほうが安全です」と市原王。
「いったい、どなたが、こんなことを」と今毛人。
「うんと上の方です」と市原王。
「分かりました。聞きません。どなたでもいいです。その方に感謝します。
東大寺に最後の手を入れるのは真備先生なのですね。
わたしが怡土城にふれるのを、真備先生が許してくださると良いのですが・・・。
早く都を立って太宰府へ行き、真備先生にお会いしたいです」と今毛人。
「あなたにも話しておいた方が妙な動きをしないだろうと、こうして、わたしが伝えに来たのですから、くれぐれも
さて、人々が登庁するまえに都をぬけて、わたしは摂津までもどらなければなりません」と言って市原王は立ちあがった。
二日後の四月十四日の任官で、市原王は造東大寺司長官になった。
文屋浄三は目立たない地味な任官で、人材を要所に置いていった。
この年は、雨が降らずに日照りがつづいた。土が乾いて穂が育つまえに稲が立ち枯れてしまう。四月、五月、六月と全国から
そして十月十七日に、従三位で
つづいて歳の暮れに、参議の
この壮年の二人が若い恵美氏の太政官をまとめていたから、弟貞と巨勢麻呂が欠けたことは押勝に大きな打撃を与えることになった。
律令では五位以下の官人の任官は、太政官たちが勤務成績を参考にして決める。
貴族と呼ばれる五位以上の官人の任官は、太政官の意見を参考にして天皇が決めることになっているが守られていない。
だいたい天皇が中宮院を
恒例の大きな叙位と任官は、正月と
七六四年。
一月二十一日に一年ぶりに新しい任官が行われた。
押勝は、従五位下の九男の
天皇が亡くなったときや都に緊急事態が発生したときに閉める、
この三関を閉めれば、関東や北陸から都に入れなくなる。反対もありで、都から関東や北陸に行けなくなる。
鈴鹿関がある伊勢守は亡くなった大納言の石川年足の子の名足がしていて、これを交代させることはできなかったが、伊勢と近江と伊賀の
押勝の九男の執棹が国司となった美濃国(岐阜県)には
朝廷がつけた渤海送使を勝手に変えた七男の薩雄の失敗をもみ消すのに苦労した押勝は、それに懲りて仕事の経験がない若い九男の執棹には副官の
南の九州は、すでに二男で太政官を兼ねる
そして、これまで押勝の代わりに近江国(滋賀県)を治めていた近江介の阿部
太政官と重要な土地の地方官に息子を配し、衛府を腹心で固めた。
一年ぶりの任官で文屋浄三が打った手は、いたって地味だ。
押勝の暗殺を試みたと式家の宿奈麻呂と一緒に捕まった、佐伯今毛人と石上宅嗣を大宰府(九州・福岡県)にやり、大伴家持を
そして佐伯今毛人を太宰府に送ったから、
息子の真先を大宰帥にしている押勝は、十四年も中央官から遠ざけられた真備を都に戻すことに難色を示さなかった。退職の時期は決まっていないが、七十歳をすぎると辞職を願いでる年齢だった。
吉備真備は、無事に造東大寺司の長官になった。
侍従の山村王を少納言にしたが、少納言は天皇の身の回りの世話をする仕事で、政治に関わらないから押勝は気にも止めなかった。
ただ少納言には、
この日の昼、「市原王!」と東大寺のそばに造られた造東大寺司のための役所を、佐伯今毛人がたづねてきた。
「なんですか。今毛人さん。その姿は?」と今毛人の旅姿を見た市原王。
「出ました。出ましたよ。わたしは怡土城の
「たしか任官が発表されたのは、今朝でしょう。
ズーッと旅支度をして待っていたのですか?」と市原王。
「はい。石上宅嗣も太宰
「三人そろって九州ですか」と市原王。
「二人は大納言の文屋浄三さまに、都を離れたほうが良いと
真備先生が都に戻られるから、わたしは一刻も早く向こうについてお話を聞きたいのです」と今毛人。
「舟で行くのですか」
「いいえ。歩きます。わたしは水が怖いのですよ。水辺を歩くのでさえ怖いのです」と恥ずかしそうに今毛人が言う。
「だれにでも苦手はありますからねえ」と市原王。
やさしいなと思いながら、今毛人は市原王が高所恐怖症だったことを思いだした。
「石上宅嗣が船で行くそうです。宅嗣が都の事情をお知らせすることになっています。
じゃあ、市原王。いつ、お会いできるか分からないけど、お元気で。
あなたには良くしていただいて、ほんとうに感謝してます。お世話になりました」と今毛人。
「気をつけていってらっしゃい」
おそらく今の官人のなかで、政局に無関心で幸せを感じられる幸運な人だと思いながら市原王は今毛人を見送った。
和歌を
市原王が
三月十二日。
正四位下の吉備真備が、造東大寺司の長官として都に帰ってきた。
孝謙太政天皇が即位したあとで、藤原広嗣の祟りがあるからという理由で九州に赴任させられてから十四年が過ぎた。
あいだに一度、遣唐副使として唐に行った帰りに都に寄って、来日したばかりの
「由利か?」と書庫のある邸に入ってきた真備が、なんともいえない顔をして娘を見た。
「忘れたの?」と由利。
「
「それが長いあいだ留守にしていた父親が、
「その物言いは、まちいなく由利だ。今日は休みなのか」と真備。
髪は白く、肌は日に焼けて黒く、シワが増えたが真備はいたって元気そうに見える。
「帰ってきたと知らせをもらったから待っていたのよ。それで向こうで会えたの?」と由利。
「石上宅嗣、大伴家持、佐伯今毛人のことか。あの今毛人は良い男だなあ」と真備。
「まさか、怡土城と東大寺の話ばかりしていたのじゃないでしょうね」
「今毛人とは、その話ばかりだ。話がつきなかった。あの男になら安心して怡土城を任せられる。
都の事情は宅嗣が話してくれた。
大師を倒して太政天皇を再び天皇とするための策を、わたしに練って欲しいそうだな」と真備。
「恵美真先さんに、気づかれていないでしょうね」と由利。
「大宰府では、人脈と土地勘があるから大丈夫だ。
しかし、なんだな。
大師という人は、どうして才能を伸ばそうとせずに
九州に送られた三人は、それぞれが
それを見分ける目がありながら遠ざけるのは、
「だれも父さんに、人物評価をたのんでないわよ」と由利。
「
「なによ。それ?」
「敵の性格を分析するのが
おまえたちは大師と名乗る藤原氏の庶子を追放したいと、ヤッキになっているのだろう。
それなら文屋浄三さまが線引きをされた
時がきたら手伝わせていただく」と真備。
「浄三さまが線引きをなさったって、そんな策があるの?
実行に移して成功するするの。見栄はってない?」と由利。
「ありがたいことに、あの大師という人が相手なら見栄をはる必要もない。
それより由利。大宰府もだが、
国を治める者がしなくてはならないのは権力争いではなく、飢えている民を救うことだろう」と真備。
「
だいたい、だれが帝か分からないしね。
飢餓を報告した国には、米をだしているはずでしょう?」と由利。
「米が行きわたっていれば、餓死者は出ないだろ?」と真備。
「まあ、そうだわねえ」と由利。
「地方に配布する
「わたしは女官よ。知るわけないでしょう」と由利。
「今の帝を自ら立てて退位しておきながら、再び
それぐらいのことも知らずに役に立っているのか。
二年つづきの不作だ。もし備蓄米が足りないのなら、聖武天皇が大仏建造のときにされたように、民に寄付を呼びかけるようにと太政天皇に伝えて欲しい。
餓死しそうな人を何人救ったか、自分が
太政天皇が皇太子だったころ、わたしは
しかし太政天皇は民を
治世者としての自覚も、人としての
国の先行きを心配していた橘奈良麻呂たちを犠牲にしたことで、官人たちから信頼もされてもいない。
むごたらしく殺された
そのうえ、こんどは男狂いをしているそうだ」と真備。
「ハアーッ! それを、わたしが上台さまに伝えるの!」と由利。
「ただ、これからの政治が正しければ人もついてくる。
太政天皇が正しい行いをすれば、敵も動揺して動く。そのときが敵を倒すときだ。
それまでは民を救うことを第一に考えて、ほかのことは考えないようにと太政天皇に伝えて欲しい。
民が安心して暮らせる国を作れば、国は穏やかになり富む。
日なたで寝ているネコでさえ分かることが、なぜ分からない」と真備。
「とりあえず学士だったのだし、父さんが帰京の挨拶にうかがって、言いたいことは自分で言えば」と由利。
「文屋浄三さまが選んだ少納言や侍従たち。
飢えた民を救うのは待ったなしだ。今からすぐに内裏に戻って、おまえが伝えてくれ」と真備。
「今から? どうして、そうなるのよ。何年振りで会ったと思っているの。
お父さん。せめて今夜は食事でもして、ゆっくり話をしましょうよ」と由利。
「腹が減っているなら、たしか干し貝をもらったのを、かじりかけて
「アン!」
「わたしは都の空気を感じるときが欲しい。
敵に
「さっきからお父さんは敵って言っているわね」と由利。
「わたしは藤原
敵がいなければ、兵法は成り立たないぞ!」と真備。
このすぐあとで、孝謙太政天皇は飢えた民を救った者に位階を与えると詔をだした。
由利が伝えた話を聞いて早く詔をだすようにすすめたのは、これまで政に口をださなかった道鏡だった。孝謙太政天皇の身近に仕える人のなかで、飢えの苦しみを知っていたのが道鏡だけだったのだ。
六月九日に、授刀衛
藤原北家と押勝を結ぶ縁が少しづつ弱くなってきた。
去年、参議の
息子以外の縁族で押勝のもとに残っているのは、夫人の
七月十九日に、新羅から九十一人の使いが大宰府に着いた。
今回の新羅の使者は、去年の二月に来たときに「使者の身分が低い。今後は新羅の王子か高官を寄こせ」と言った日本の対応にたいして、
大宰府で新羅の使者は、こう述べた。
「さきに
そして新羅の太政官からの文書をわたした。
その文書によると、日本人留学僧の戒融が無事に帰国したかを確かめるために、いま唐の
太宰帥をしている押勝の次男の藤原
太政官府に太政官たちがあつまっている。
遅れてきた藤原恵美押勝が、新羅の太政官文書の日本語訳を読みおえるのをまって、大納言の文屋浄三が聞いた。
「大師さまの、ご指示をあおぎたいと存じます」
むずかしい顔をしたまま、押勝は答えない。
「その留学僧の帰国をたしかめて、新羅使に知らせれば良いだけでしょう。
帰っているのですか?」と押勝の三男で参議の藤原恵美
「大師さま。ご存じない方がおられるかも知れませんから、これまでの経由をご説明ねがえますか」と浄三。
押勝は遠くに目を
「では、ご存じない方のために、どなたか説明してくださいますか」と浄三。
これまで太政官会議での発言を
「わたしから説明します。
去年の正月に来日した渤海使の
その船が渤海から帰国するときに、唐から渤海まで来て日本に行く船便をまっていた日本人の
「では唐がたずねている留学僧は、帰国しているのですね」と訓儒麻呂。
「はい。戒融は去年の十月に敦賀港について、今は
「僧の行方が分かっているなら、わざわざ大師さまをお呼びしなくても、みなさんが田村第に報告に来たら良かったでしょうに」と訓孺麻呂。
「船が出たときも帰ってきたときも、敦賀港がある
問題の舟が帰ってきたあと二ヶ月ほどしてから、弟の
「なにをです?」と訓儒麻呂。
「留学僧の戒融がつれていた弟子と、留学生の高内弓の妻と、幼い息子と、赤子と乳母の五人は、敦賀港に着いていません。
留学生の妻と乳母は唐人です。息子と赤子は唐人とのあいだに生まれています。戒融の弟子も唐人と思われます」と真楯。
「それが、どうしたのです。
唐が新羅に確かめてこいと言っているのは、留学僧の帰国だけです。
その、なんとかという名の留学僧は、帰国して吉野の寺にいるのでしょう?」と氷上塩焼。
「はい。日本人は帰国しています。ただ日本に帰る途中で海が荒れたそうです。
渤海使を送っていった板振鍵束は、唐の女や僧が乗っているからだと、唐人と唐人の血を引く子供らを海に投げこんで殺しました」と真楯。
「えっ! 荒れた海に投げこんで殺したのですか。
子供まで海に放りこんだのですか?」と
「生まれたばかりの赤子までです」と真楯が答える。
「よく、そんな野蛮な男を渤海送使にしましたね。
だいたい正七位下の下官を、なぜ送使に任命したのですか?」と中臣清麻呂。
「この男は送使ではありません。
舟を修理するときに役夫を見張らせていた
国が決めた送使は、越前守の恵美薩雄さまに呼ばれて国府に滞在していました。
「じゃあ今回の新羅からの使者は、その男を唐にさしだせと言ってきたのでしょうか。その男は、今はどうしています」と
「敦賀で捕らえて都へ送り、右虎賁の
「居住? なぜ罪人を解き放って近江に…」と言いかけて石川豊成が言葉を飲んだ。
息子が責任を問われる
「新羅が来た目的は、その男のことではないと思います」と真楯がつづける。
「日本の留学僧が帰国したかを確かめるために、唐が新羅をつかって問い合わせて来たことが、これまでありましたか?
これは送使でもない男に渤海使を送らせた、わが国の行政のあやまちと、わが国の官人が罪もない唐人を殺したことを唐に伝えるという
新羅の太政官文書には、唐の
返事しだいで新羅の勅使が唐の勅使に、唐人を海に投げ込んで殺したことを報告する。唐船は新羅に停泊しているから返事が欲しいということでしょう」と文室浄三。
「いまの唐に余力があるのかは分かりませんが、わが国が新羅へ何らかの動きをみせれば、新羅は唐へ援助を求めると、ほのめかしているのでしょう」と中納言の白壁王。
「
「いいえ。新羅討伐はやめるようにと言っているのでしょうよ」と白壁王。
「その新羅討伐のことですが、わたしは太政官となって日が浅く、新羅討伐の
ただ、わが国は不作つづきで民は飢えています。
こんなときに
「知らないのなら、だまってなさい!」と氷上塩焼が机を叩いて声を荒げた。
「中臣さん。わたしは長く太政官をつとめていますが、新羅討伐の審議には立ち合っておりません」と文屋浄三が静かに言った。
「文屋さまは、物忘れがひどくなられたのでしょう」と塩焼。
「わたしも審議に立ち合っておりませんから、なぜ新羅を討伐するのか存じません」と今度は藤原永手が言った。
永手の発言で、押勝の目が激しく左右に泳きはじめた。
「唐にたのまれたと言っていますし、新羅の太政官
淳仁天皇は外交に不慣れですから、ここは上台さまに報告して指示をいただくのが良いと思います。よろしいですかな。みなさま」と文室浄三。
押勝は動揺を隠そうと、しきりに目をしばたいていたが何も言わなかった。
灯りを少なくした
内裏までやってきたのは、大師の藤原
文屋浄三が新羅の太政官文書の日本語訳を読みあげたあとで、原書と日本語訳を侍従に渡した。それを侍従が御簾の横から出てきた女官に渡し、女官が御簾の中にもどって孝謙太政天皇に届ける。
御簾のなかが暗いので、人影は分かるが顔の表情は見えない。
保良宮から戻ってから、この面倒なやりとりを孝謙太政天皇は行っている。
保良宮へ行くまえは、押勝は孝謙太政天皇とへだたりなく会って直接言葉を交わしていた。
孝謙太上天皇の母の光明皇太后は、若いころから押勝を家族のようにあつかっていた。孝謙太政天皇は即位したあとで田村第にくらしていたこともある。
光明皇太后が亡くなるまでの孝謙太政天皇は、押勝にとっては扱いやすい年下のイトコだった。
保良宮から帰って出家してから、孝謙太政天皇は御簾をへだてて押勝と会うようになり、言葉を交わすことも顔をみることもできなくなった。
一度、道鏡を退けるようにと進言したことがあるが、返事もなく退出してしまった。しかも、それから御簾のなかの右の隅に、僧の影が映るようになった。
藤原恵美押勝が南家の庶子の仲麻呂でなくなったように、尼僧姿の太上天皇は扱いやすい年下のイトコではなくなった。
やがて御簾の中から女官が二人でてきた。
六十六歳になる飯高笠目と、永手の妻で四十四歳になる大野仲千だ。
仲千が紙を笠目に渡す。
「上台さまのお言葉を代読させていただきます」と笠目が言った。
文室浄三と藤原永手が頭を下げた。
「
すると少納言の山村王が太政官たちのそばに来て、「お見送りさせていただきます。どうぞこちらへ」と五人をうながす。
山村王は重そうで堅そうな体格をして、大きな顔には太い眉と大きな鼻と小さな目がついていて、表情がまったく表にでない。
「どうぞ、こちらから、お引きとりくださいませ」と厚みのある体をおりまげて、もう一度、山村王が太政官たちをうながした。
「みなさま。内裏の外にでられました」と山村王が戻ってきて報告する。
「
御簾が巻きあがると、孝謙太政天皇の背後に立てられていた
道鏡も移ろうとしたが「そこに控えるように」と太政天皇にとめられた。
それを真備が面白そうに見ている。座をはずしていた侍従と女官たちも部屋に入ってきた。
「真備。これでよいのだな」と孝謙太政天皇。
「はい。勅使を選んで大宰府につかわします。もし大師さまが来られて何かを望まれても、返事はなさらないでください。
いつ、いかなるときでも、大師さまとは一言も話さないで、浄三さまのお教えどうりに必ず簾をへだててお会いください。
授刀舎人は几帳のうしろに控えて上台さまをお守りください。周りの方々も、そのように気を配ってください」と真備が念をおした。
送られた勅使は大宰府で、じつに分かりやすい質問を新羅の使者にする。
「噂では日本が攻めてくると、新羅が海岸線を防衛していると聞くが本当だろうか」
「国が乱れて海賊が多いので、武装兵を徴兵して海岸線の防衛に力をいれている」と新羅の使いは答えた。
「そのことは良く理解した」
そして太宰帥の藤原|恵美
このあとすぐに、押勝は真先を都に呼びもどした。真先は参議を兼任しているので太政官に戻り、太宰帥を
吉備真備が帰京して空いていた太宰の
吉備真備が帰京したので、文屋浄三は退職願いを書いて届けたが孝謙太政天皇は受けとらなかった。
八月三日に
八月は、もう秋だが残暑がきびしい。五十八歳の押勝はイラついている。
原因は一つではない。暑いし、双倉が焼けたし、遣唐使船は派遣できないし、新羅討伐も見送るしかない。なにもかもが気に入らない。思い通りにゆかないのだ。
それに北家の永手と真楯のようすがおかしい。
太政官のうちで文屋浄三と白壁王は孝謙太上天皇についていて、中臣清麻呂と石川豊成は中立していた。そこに北家の二人が中立として加わると、弟貞と巨勢麻呂を失った押勝は押されぎみになる。
押勝の手には、次男の真先、三男の訓儒麻呂、四男の朝狩と、氷上塩焼の四人の太政官しか残っていない。
こうなれば早く淳仁天皇に詔をださせせて
押勝は
八月十一日。
「まったく、夕方になっても暑いですな」と
「浄三さんは、まだ内裏におられるのですか」と従三位の中納言で五十五歳の白壁王。
「さすがに、もう邸に戻っているでしょう」と大市。
「よく、やってくださいますねえ。内裏に顔をだして監視の目を一人でひき受けてくださるので、われわれが動きやすい」と白壁王。
「兄も七十一歳ですからねえ。もうムリはできません。命とりになります」と大市。
「だから太政天皇の黒幕だと分かっていても、大師も手ぬるいのでしょうよ」と白壁王。
「ポックリいくのを待っていると。イヤなことを言いますねえ」と大市。
「わたしではなく、押勝が考えそうなことを口にしたまでです」と白壁王。
「
「これは大市さま。白壁王。
三船は従五位下の四十四歳で、七日まえに
博識という評判が高くて
「歳をとりましたが元気ですよ。あとで会ってやってください。
あなたが来るというので、朝から待ちかねていますから大喜びします」と大市。
「姉は、三船さんが好きですから」と白壁王。
「どういうことです。坂合部女王が
「あなたに会いたかったのですがね。
あなたは大師に嫌われていて、こっそり会うとカンぐられるかもしれないでしょう。だから密談の場所に困って、妻に危篤になってもらって、あなたが来ることも役所に届けました」と大市。
三人は大市の妻の坂合部女王の邸にいる。
白壁王と坂合部女王は、天智天皇の息子の志貴皇子の子で異母姉弟だ。淡海三船は天智天皇の
「密談の場所? なにか、わたしに、ご用でしょうか」と三船の表情がかたくなった。
「兄の浄三が、吉備真備さんを上台さまの軍師としてむかえました。
その吉備真備さんから、あなたにお願いがあるそうです」と大市。
「上台さまの軍師? どういうことです。
わたしは政争に加わるつもりはありません。どの閥にも属す気がありません」と三船。
「わたしも政争を好みませんので、頭を丸めています。
そろそろ真備さんがみえるはずですから、本人に聞いてください」と大市。
「いらっしゃいました」とちょうど真備を案内して、坂合部女王邸の従者がきた。
「遅くなりました。これは淡海三船さん。お久しぶりです」と目を細めた真備が、しばらく三船の姿を眺めて「よし」というようにうなずいた。
こうして姿を見て、相手を
「では、さっそくですが本題に入ります。
淡海三船さん。美作守に任官されたそうですが、任地に行くまえに
「はい?」と三船。
「ここ何年か気候不順がつづいています。今年も
任地へ行かれるまえに溜池の用地として適当な場所をえらんで、作り方を百姓たちに教えていただきたい」と真備。
「はァ・・・?」と三船が不審そうな表情をした。
「そこで淡海三船さんには、
すぐに溜池は必要ですので、
「溜池が必要なことは分かります。喜んで溜池を造りにまいりますが、どうして、このような形で、わたしだけを呼びだして頼まれるのですか。
それに近江には
溜池を掘るより琵琶湖から水を引いたほうが早いでしょう」と三船。
「ほかの方たちにも別個にお話しします。用水路を引くか溜池をつくるかは、お任せします。
そこでです。もしもの話ですが、もしも都に事変が起こると、
三関のうちの、愛発関は琵琶湖の北の越前国の山中に、不破関は、琵琶湖の東岸から
「はい」
「
これから溜池造りをする地方は、どこも要所ですが、近江が一番、アタリだろうと思います。
しかも近江は、長いあいだ大師さまが国守をされている国です」と真備。
「真備さん。なんの話ですか?
賊軍が都から逃亡するとおっしゃいましたが、どこに賊軍がいるのですか?」と大市が聞く。
「もしも・・・の話をしています。
たまたま三船さんが溜池か用水路を造っているときに、もしも賊軍が近江にきたらの話です」と真備。
「わたしが用水路を掘っているときに、もしもですか」と三船。
「もしも、です。そのときは三船さん。
反逆者が都から逃げたという
太政官と
「内印が押された上台さまの詔勅が?」と三船が聞きかえした。
内印は中宮院にいる淳仁天皇が持っていて、孝謙太政天皇は使えないはずだ。
それに内印が押された詔勅は朝廷に保管されて、地方の国府に届くことはない。
「詔勅が届いたら、三船さん。あなたの気転で、できるかぎり賊軍の逃亡を防いでいただきたい。ただ役夫の百姓たちは一人も傷つけずに守ってほしい」と真備。
淡海三船が腕を組んで考えはじめた。大市も白壁王も同じように考えている。
藤原恵美押勝を倒すためには、まず淳仁天皇を無力にしなければならない。そのためには天皇の印である
それが文室浄三と大市と白壁王が考えた結論だが、吉備真備に話したら気安く請け負ってくれた。だが、まだ、どうやって内印と駅鈴を取りあげるのかも決まっていない。
それなのに真備は、押勝が賊軍になって都から逃げるときの話をしている。
しかし、ほんとうに押勝が都から逃げるような事態になったら、近江を目指すだろうということは見当をつけられる。
なにかを思いついた白壁王が、真備を横目で眺めて口元に笑みをつくった。
「近江に来るのが誰であれ、朝廷にそむいて都から逃げた反逆軍ですね」と三船が
「はい」と真備。
「反逆軍が出たという
「はい。それぞれの国府にとどきます」と真備。三船が組んでいた腕をほどく。
「それなら、わたしは官吏として当然のことをするまでです。
心構えのために一つおたずねしますが、それは、いつごろのことか分かりますか?」と三船。
「すでに
「あと一月もありませんねえ。三船さん。近江に土地勘はありますか」と白壁王。
「いいえ。保良宮から先へは行ったことがありません」と三船。
「わたしは多少知っています。
近江国府には、大師の代理で、これまで
近江の
ただ、ほかの
近江国は、ほとんどを琵琶湖が占め、残りは湖畔にある狭い土地と山だけという特殊な地形をしています。
湖を行き来する
溜池造りをされるのなら、高島郡以外の群司を頼られることをおすすめしますよ」と白壁王が助言した。
八月十四日。朝廷は溜池を造るために、
こういう地味な仕事への
九月一日に藤原恵美押勝が内裏にやってきて、孝謙太政天皇に奏上した。
「わたしは
諸国の兵を試練する法がありますから、その法で定められているように、畿内の兵士を国ごとに二十人づつ、五日交代で
御簾のなかの孝謙太政天皇はなにも答えずに、道鏡と女官をつれて退席してしまった。
押勝が内裏を去ったあとで、孝謙太政天皇は大納言の文室浄三と吉備真備を呼んだ。浄三は弟の大市と中納言の白壁王をつれてきて、この日、内裏にいるすべての女官や侍従を集めた。
「都督使とはなにであろう」と御簾をあげさせて、浄三たちを近くに招いた孝謙太政天皇が首をかしげる。
「さあて、大宰帥のことを都督と呼ぶこともありますが、畿内の兵を集めるというから、ほかにも意味があるのでしょうか」と浄三が真備に聞く。
「都督は、大陸では地方の兵を統括する
おそらく地方から徴兵することだと
ちょうど稲穂がつき始めたころです。これから収穫まで忙しくなるのに、徴兵される百姓には迷惑なことでしょうな」と吉備真備。
「大師が自らが畿内から都に兵を集めて訓練するのは、どうしてだろう」と孝謙太政天皇。
「武力を見せつけて上台さまを脅かすつもりでしょうかな」と浄三。
「なぜだ?」と孝謙太上天皇。
「内裏から退去させて
「軟禁? 毒殺? 朕を?」と孝謙太上天皇。
「動き始めるのを待っていましたから大丈夫、ご安心ください。
これまでの勝手なやり方をみていますと、必ず、ほころびがでるはずです。
押勝が小細工をすれば、今回は軍事に関することですから反逆行為にできるかもしれません。
上台さま。わたしは、これを太政官会議で許可するのを最後の仕事として、引退させていただきます」と浄三。
「いよいよ離れるのか。顔を見ることができなくなるのが、さびしい」と孝謙太政天皇。
最後まで裏切らずに支えてくれた文屋浄三の存在は、孝謙太政天皇に大きな自信をあたえていた。
「わたしへの連絡と、わたしの代わりに弟の大市をお使いください。
上台さま。そして、みなさん。聞いてください。
いま、まさに大きな政変が起ころうとしています。
船頭が何人もいては舵がとれません。
嵐を抜けるために、これからは吉備真備さんを軍師と仰いで、全員が真備さんの指揮に従ってください。
真備さん。遠慮なく白壁王や大市や、ほかの方々をお使いください」と文屋浄三。
孝謙太政天皇は
「大化の改新」を起こし、「
正四位下の造東大寺司で六十九歳になる吉備真備はヒョイと立ちあがって前にでると、孝謙太政天皇に拝礼をしたあとで皆の方に向きなおる。
いつもと変わらないヒョウヒョウとした父の姿に、女官の由利は胸が熱くなった。
○ 孝謙太上天皇
大納言 文室浄三
出雲守 文室大市
中納言 白壁王――――無位 山部王
造東大寺司 吉備真備
侍従 藤原雄田麻呂(式家)
侍従 石上宅嗣(左遷)
侍従 奈貴王
少納言 藤原蔵下麻呂(式家)
少納言 山村王
無位 藤原宿奈麻呂(式家 都追放)
怡土城の営城監 佐伯今毛人
薩摩守 大伴家持(左遷)
近江国の溜池造司 淡海三船
太政官 左大弁 中臣清麻呂
太政官 右大弁 石川豊成
大納言 藤原永手(北家)
中納言 藤原真盾(北家)
○大師 藤原恵美押勝
淳仁天皇
太政官 恵美真先(二男)母・北家
太政官 恵美訓儒麻呂(三男)母・北家
太政官 恵美朝苅(四男)母・北家
右虎賁卒 恵美薩雄(七男)
越前守 恵美辛加知(八男)愛発関 母・陽候女王
美濃守 恵美執棹(九男)不破関 母・北家
中納言 氷上塩焼
陽候女王(妹)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます