六  内裏を占拠せよ  保良宮遷宮


七六二年(天平宝字てんぴょうほうじ六年) 


二月。

保良宮ほらのみや宮室きゅうしつ(天皇の住まい)のそばの工事場で、大津おおつの大浦おおうらは冷たい風に当たっていた。

大浦は陰陽師おんみょうじとして保良宮につれてこられて藤原恵美押勝えみのおしかつに仕えている。

体が冷えたので、そろそろ戻ろうとしたときに、「あのう…」と声をかけられた。

振りむいたら、見知らぬ僧が立っている。

大浦がいるところは保良宮のなかでも、淳仁じゅんにん天皇と孝謙こうけん太政だじょう天皇が住む宮室と呼ぶ建物の庭で、曲水きょくすいの池を作っている工事現場だ。職人が仕事をしているから、孝謙太政天皇を守る授刀じゅとうえいの舎人と、淳仁天皇を守る鎮国ちんこくえい(中衛府)の舎人が出入りをチェックしている。どこから忍び込んだのか、坊主がいるはずがないところだ。

「あの…陰陽師が来ておられて、こちらにいらっしゃると聞いたものですから。あなたが陰陽師ですか」と僧侶が聞いた。

思いっきり不快な表情をつくって、大浦は問いかえした。

「あなたさまは、どなたでございましょう?」

「わたしは良弁りょうべん大僧都たいそうずに申しつけられて、上台じょうだいさまのもとへ使わされました看病かんびょう禅師ぜんじです。

鎮護ちんご道場どうじょうからきた道鏡どうきょうと申します」と僧が名乗る。

孝謙太政天皇が体調をくずしていて、看病禅師をよんだことは大浦も聞いている。

看病禅師は文字どおり貴人を看病する僧のことで、ちゃんとした推薦者をもつ大寺の僧もいるが怪しげなものもいる。大僧都の良弁が紹介して鎮護道場からきたのなら、まっとうな看病禅師なのだろう。

鎮護道場とは、保良宮の造営に合わせて去年作られた華厳宗けごんしゅうの道場(のちの石山寺。滋賀県大津市石山)のことで、今は良弁も来ているはずだ。

「陰陽師の大津大浦です。看病禅師どのが、なんのご用でしょうか」と大浦が聞く。

「おねがいがございます」と道鏡。

「寒いから歩きましょう」と大浦は歩きだした。

「宮室に部屋をいただきましたので、そちらで白湯さゆをさしあげましょうか」と道鏡。

「いりません。帰ります」と大浦は足をはやめた。

陰陽寮おんみょうりょうへですか。では道々お話を…」と道鏡がついてくる。

「いまは陰陽寮といわずに大史局たいしきょくといいます。それに保良宮に大史局はありません。わたしは大師さまのお邸のなかに部屋をいただいて使わせてもらっています」と大浦。

陰陽寮は道具や資料が多い。天体観測のためにも移動はさけたいので平城京から動いていない。大浦のほかに二人の史生ししょう(書記)が保良宮に派遣されていて、天体に異常がおこれば平城京から知らせが届くことになっている。

保良宮での大浦の仕事は、淳仁天皇の許可を必要とするときに大師の藤原恵美押勝が「陰陽にもかなっております」と言えるように一緒について行って、「さようでございます」と平伏することだ。

いまも淳仁天皇のところについて行って、大宰府によろいかぶとを発注する許可をもらったあとで「さがれ」と帰えされたので、体中にでたジンマシンを風に当たって冷やしていた。

「で、わたしに、たのみごととは、なにでしょう」と大浦。

「陰陽寮には、古くからの星の配置が残っているのでしょうか」と道鏡。

「それが?」

「できましたら、この日の星の配置を教えていただけませんか」と道鏡が、ふところから折った紙をとりだして大浦にわたした。

紙を開いて大浦は足を止めた。大浦の生まれた年月で日だけが七日だけ早い。

「これは?」

「わたしの生まれた日です」と道鏡。

大浦が眉をひそめた。

祥瑞しょうずいが現れると元号げんごうが変わる時代だから、自分の年齢が分からなくなる人が多い。看病禅師が自分の生まれた日をおぼえていて、なぜ、その日の星の配列が欲しいのかと怪しんだのだ。

「どなたからの、ご依頼です」と大浦は聞いた。

「わたしのおねがいです」と道鏡。

「大史局の資料は国のものです。許可なく持ちだすことはできません、

それに陰陽師に、ご自分の生まれた日などを教えたら命をとられるかもしれませんよ」と大浦は紙をたたんで返した。

「ダメですか」と道鏡が肩を落とした。

同じ年月に生まれたのなら四十一歳だ。大浦は上弦じょうげんの月の日に生まれたと祖父が言っていた。七日だけ早く生また道鏡は新月しんげつの生まれだろう。

はじめて大浦は、道鏡をしげしげと見た。

素足にぞうりで、薄い僧衣を身につけているだけだが寒そうではない。

背の高さは大浦とおなじぐらいだから並みだ。細面の面長おもながで鼻を中心に前に突きでたような顔で、後頭部も後ろに突きだしている。だから坊主頭が、よく似合っている。

看病禅師は山岳さんがく修行しゅうぎょうをして、薬草にくわしいものが多いと聞く。道鏡も締まった体をしていて、息も切らさず歩いていたから山岳修行もしたのだろう。

全体の雰囲気と道鏡の眼から、野生の馬のような男だと大浦は思った。

ジンマシンもひいたし、体に変な痛みや重さも感じない。むしろ風のような気を、大浦は道鏡から感じる。

「どうして生まれた日の、星の配置を知りたいのですか」と大浦。

「わたしは少し梵語ぼんご(サンスクリット語)をたしなみます。そこで宿曜しゅくよう(占星術)を読みました」と道鏡。

「それが?」

「わたしの生まれた日の星の配列と、運航している星の配列を組み合わせて、わたしに起こることや感じることを記録してみたいのです」と道鏡。

「看病禅師のあなたが、宿曜ですか」 

大浦は、道鏡に因縁を感じた。

大浦の祖父のおびとは、若いころに留学僧として新羅しらぎに行った。そこで宿曜しゅくようきょうを学んで帰国して、勅命で還俗げんぞくさせられて陰陽師になった。

陰陽寮は春分の日の惑星の配列で、その年に起こることを予測する。個人の生まれた日の惑星の配列(チャート)を作って、個人の過去や未来の動きを読んだりしない。道鏡がやりたいことを、大浦も試したくなった。

陰陽寮の資料でなくても、大浦の家には祖父が記録した古い星の配置図がのこっている。平城京に戻ったら試してみよう。

「申しましたとうり、大史局の資料は渡すことも見せることもできません。

宮中に仕えられるのは、はじめてですか」と大浦が聞く。

「はい」

「寺院も戒律かいりつが厳しいでしょうが、朝廷には寺院とは別の約束事が多くあります。

どこかで温かいものでも食べていきますか」と大浦がさそった。

「食べ物を商う店が、できているのですか」と道鏡。

「店はありませんが工事中です。役夫えきふが集まるところには、食べ物を売る者たちがやってきます。ついてらっしゃい」と大浦。


「これ、魚や鳥は入っていませんか」と道鏡が聞く。

「大丈夫。野菜しか入っていません」といい加減に大浦が保証した。

役夫相手になべ雑炊ぞうすいを炊きだしている行商だ。なにが入っているのか分からないが、上等なものが入っているわけがない。

道鏡が一口すすって「うまい!」と言った。

「それで、上台さまのご病状はいかがです」と大浦。

「月の満ち欠けと、気鬱きうつになられるときが重なっています。これからは、それにあわせて薬草をせんじてみます」と道鏡。

「あなたは、いつから看病禅師として客室に上がられたの?」と大浦。

「正月からです」

たしか暮れに、恵美押勝の邸に良弁が来たことがある。そのときに太上天皇の看護禅師の世話を頼んだのだろう。なにかを企んでのことかもしれないと大浦は思った。

「それまでは?」と大浦が聞く。

「東大寺から鎮護道場に来て、保良宮が無事に建ちますようにと祈ってました」と道鏡。

「出家をしたのは、いつ?」と大浦。

「幼いころからです。わたしは、お寺に育てていただきました」と道鏡。

「寺育ちねえ。お寺の中しか知らないのですか。

あのね。さっき客室に部屋をいただいたと言いましたよね」と大浦。

「はい。道場から通っていたのですが、夜もお具合ぐあいがお悪くなられることがありますので部屋をいただきました」と道鏡。

「じゃあ、いまは泊まりで?」と大浦。

「はい」

「上台さまのもとには、女官しかいないでしょ」

「はい」

「大丈夫なのかな?」と大浦。

「なにがです?」と道鏡が、邪気のない目を向ける。

「ンーと、なにか不便はないのかな?」と大浦。

「みなさんが良くしてくださいます。内膳司ないぜんしのお役人は、わたしのために精進しょうじん料理を用意してくださいます」と道鏡。

「そういうことじゃなくて、女性ばかりのなかで寝泊まりしているのでしょう。

まちがいが起こることや、疑われることがあるかも知れないでしょう?」と大浦。

「はい。女性の体は男性とちがいます。薬草の量を用心深く測って、まちがいが起こらないように注意します」と道鏡。

「そういうことじゃ・・・まあ、良いです。

ホラ。あそこでもちを売ってる。買いましょうか」と大浦。

「あァ。これを買ったので、もう持ち合わせがありません」と道鏡。

「揚げ餅は好きですか」と大浦。

「二度ほど口にしたことがあります。大好きです」と道鏡。

「あれぐらいなら、わたしが買ってあげます」と大浦が揚げ餅やを呼び止めた。

「ワッ。ありがとうございます」と道鏡が目を輝かす。

「道鏡さん。子供じゃないんだから、揚げ餅ぐらいで礼を言わないでください。

それより、もう帰ったほうが良いのじゃないの」と大浦。

「う・・・」

「先にお帰りなさいな。それと、お寺とちがって宮中では、なにが起こっても不思議じゃないのですよ。変に勘ぐられないように、くれぐれも用心しなさいよ」と大浦。

「はい。ありがとうございます。大浦さん」と道鏡は深々と形の良い坊主頭を下げて、大事そうに揚げ餅を腰にぶら下げた袋にしまうと、すそをからげて走り去った。

「ハア~」と大浦はため息をつきながら、四十一歳になっても世俗の染みがない道鏡の姿を見送った。

押勝がなにを企んでいるか知らないが、きっと道鏡は何も知らずに利用されているのだろう。



二月二十五日。

淳仁天皇が勅をだして、近江国の高嶋たかしまぐん浅井あさいぐんにある鉄穴てっけつ(鉄鉱石の採掘所さいくつじょ精錬所せいれんじょ)を藤原恵美押勝えみのおしかつにあたえた。

その鉄穴のなかに、文武天皇から志貴しき皇子がもらって、息子の白壁王が所有している鉄穴が入っていた。

近江国に執着する恵美押勝は、鉄穴を自分のものとする機会もうかがっていたのだろう。



大宰府だざいふでは、太宰かみの藤原真楯またて大弐だいすけ吉備きびの真備まきびを執務室に呼んだ。

各地から徴兵される若者たちのために、二万二百五十りょうよろいかぶとをつくれという命令がきたからだ。

これが、どう理解してよいか分からない内容で、ヨロイは真綿入りでつくり、青、赤、黄、白、黒に色分けして、青地の上には朱色で、赤地の上には黄色で、黄地の上には赤で、白地の上には黒で、黒地の上には白で、甲版こうばん(よろいの板)の形を絵で描けという。

言うまでもなくよろいは矢や刀を防ぐために戦の場で着るもので、皮や厚手の布地のうえに鉄や木でつくった甲版こうばんという小さな板を、革ひもや鉄で留めたものを使っていた。その下に真綿の下着を着ることがある。

だが朝廷からの命令は、真綿の上着に甲版の形の絵を描けという。


「なんど読み返しても、真綿の上着に甲板の絵を描けと書いてあるでしょう」と真楯。

「はい。下着ではなくて上着と書かれています。よろいに色のついた甲版をつけろではなく、甲版の絵を描けと書いてあります。

これじゃ遠目には鎧を着ているように見えるだけの、目立って狙いやすく、矢も刀も防げない甲版柄の真綿の服ですね」と真備。

「真備さん。これは止めなければなりません。こんなものを着せて新羅に送りだしたら、討伐軍は全滅します」と真楯。

「まあ、まあ、帥。落ち着いてください。

ちゃんとした鎧をつくっても、新羅に送ったら食料も武器も馬も補給ができませんから、まちがいなく全滅します。

ともかく、いまは大師さまを刺激してはいけません。

それに舟ができなければ、どこへも行けません。

ですが肝心の新羅討伐に関しては、太宰府は詔勅しょうちょくも太政官れいも受けとっていません。

さきの大宰帥のふな親王が、口勅を伝えられただけです。

訳もなく隣国と戦争をするような国の大事は、帝と太政官たちが慎重に討議を重ねて決めるものです。

このように国の律令を破って、勝手な指示を出させてはいけませんなあ」と真備。

そして、とりあえずドハデな真綿の上着を千りょうと普通のかぶとを千領つくって朝廷におさめた。



淳仁天皇と孝謙太政天皇は、保良宮では宮室という仮宮かりのみやで一緒にくらしている。一緒と言っても同じ敷地内にあるが、使っている建物はちがう。

光明皇太后が亡くなってから孝謙太政天皇はふさぎがちで、藤原恵美押勝を大師にするという勅を出したあとは政務にかかわらなくなった。

保良宮に移ってからは寝込む日がつづいていた。

それが看病禅師の道鏡が来てから、元気をとりもどしはじめた。道鏡の治療が効いたのかも知れないが、その存在が孝謙太政天皇の気持ちを前向きにしたのだろうと女官たちは察している。

道鏡は僧侶だからムダのないきれいな動きをする。そして官人とちがって率直だ。

はじめのうちは、道鏡がつくる薬湯やくとう毒見どくみをしていた。

すると道鏡が、なにが入っていて、どういう症状に効くか、適量はどのくらいか、多すぎると、どういう害がおこるかを女官たちに説明しはじめた。

問えば、道鏡はなんでも素直に答えてくれる。孝謙太政天皇が道鏡を信用しはじめたのは、このころからだ。

道鏡が来てよどんでいた空気が流れ始めた。孝謙太政天皇が女官や女儒じょじゅたちに声をかけて話すようになったのも道鏡が来てからだ。

夏四月になるころには、政治に関心を持つだけの気力が孝謙太政天皇にもどってきた。


四月のある日に「今年の稲の育ちは、どうなのであろう」と孝謙太政天皇が女官や女儒に聞いた。

「去年につづき、今年も雨が降っていません。旱魃かんばつになるだろうと聞いております。

すでに飢餓きがの被害が報告されていると聞きます」と大野おおのの仲千なかちが答える。

「対応はしているのだろうな」と孝謙太政天皇。

「してはおりましょうが、この保良宮の造営や、内裏の改装や、新羅しらぎ討伐とうばつのための造船や武具のそなえが優先されていますから、行き届いているのでしょうか」と吉備きびの由利ゆりが首をかしげた。

「新羅討伐とは、なにか」と孝謙太政天皇。

「新羅を討つことだと…」とキョトンとした顔で由利が答える。

「だれが新羅を討伐をする」と太上天皇。

「わが国です」と由利。

「なぜ新羅討伐をする。そのように大事な決議を、だれがした?」と太上天皇。

女官たちは、顔を見あわせて黙った。

「いつ新羅討伐が決まった。だれが、それを決めた」と孝謙太上天皇が、もう一度聞いた。

「わたしどもはまつりごとにかかわりませんので、くわしいことは存じません」と飯高いいだか笠目のかさめ

「何でも良い。知っていることはないか」と孝謙太上天皇。

吉備由利が、決心したように顔をあげた。

上台じょうだいさま。

都のことではありませんが、父が大宰の大弐だいすけをしております。

父からの便りによりますと、先の大宰かみの舟親王さまが香椎廟かしいびょうにまいられて新羅討伐の報告をなさり、軍事規定を作るように命じられたそうです」

「いつ」

「たしか、三年前の六月に軍事規定をつくり、八月に香椎廟に報告されたはずです」と由利。

「三年前の秋というと、すでに淳仁が即位している。三年前…新羅‥三年前。

そう。たしか新羅から多くの難民がたどりついて困っていると、太宰府が奏上してきたおぼえがある。そのときに難民を保護するようにと勅をだした。

空席だった大宰帥に、大師がふなを推薦したので許可したおぼえもある。

だが新羅を討伐するという国の大事は、朝議ちょうぎの席で太政官たちと論議するはずだ。そのおぼえはない」と孝謙太政天皇。

「思い出しました。日時は忘れましたが、新羅からの難民で、国に帰りたいものには船をつくって送るようにと勅をだされたのはおぼえています。

あのころでしたら新羅討伐という大事は、上台さまは皇太后さまに相談なさったはずです。

皇太后さまと会われるときは、わたしがお供しておりましたが、そのような話をなさってはおりません」と笠目。

「北家の清河を迎えに行くための遣唐使船を作るようにと、太政官たちから頼まれて勅をだした覚えがある」と孝謙太政天皇。

「それは三年前の七月です。永手ながてが奏上したと思います」と大野仲千。

「由利。大宰府では新羅討伐の準備をしているのか」と孝謙太政天皇。

「はい。百二十隻余りの船をつくるようにと命じられております。

太宰府だけでなく、全国で五百隻の船をつくります。

たしか太宰府が集める兵が一万二千人余り。水手かこが五千人弱だったはずです。父は兵法や陣立てを、太宰府に来た舎人に教えたはずです」と由利。

「それは、いつのことだ」と孝謙太上天皇。

「船をつくるように命じられたのは舟親王ですから、二年前です。

兵や水手を集めるようにとの指示は、去年の十一月に出たと書いてきたはずです」と由利。

「全国から集める兵や水手の数は?」と孝謙太上天皇。

「おおよそですが、兵は五万人。水手は二万人です。

今年になって太宰府は、千領の鎧と兜を収めています」と由利。

「なぜ、そのような国の大事を伝えていない。太政官も承知しているのか。

どうなっている。だれか説明できるものはいないのか」と孝謙太上天皇。

女官たちは答えない。

「太政官は、大師が決められたことに反対をしません。

このごろ永手さんにお会いしていませんが、大師が決められたことを承認していると思います。わたしは席を外したほうがよろしいでしょうか」と大野仲千が聞いた。

仲千は北家の永手の妻で、永手は太政官の一人で押勝の協力者だ。

女官たちの後ろに控えた女儒のなかにいる、藤原諸姉と藤綿人数が仲千を見た。二人の姉も永手の妻だ。

「仲千さんは上台さまの女官です。どうぞ、このまま、ご一緒に」と笠目。

「ほかに、なにか最近の政で困ったことを知っているか」と孝謙太上天皇。

「わたくしごとしか知りませんが」と古参こさん久米くめの若女わくめが切りだす。

「任官のことです。式家の藤原田麻呂は、去年の十月に保良宮の造営使になりました。それから五カ月後の今年の三月に遣唐使けんとうし副使ふくしを命じられて、一か月にもならない今月になって遣唐副使をやめさせられました。

遣唐副使は石上いそのかみの宅嗣やかつぐから藤原田麻呂に、つぎは中臣なかとみの鷹主たかぬしにと、この一か月で三回も変わっています」と若女。

「それは特別なことなのか。それとも、よく起こることなのか」と孝謙太政天皇。

「どの任官でも、しばしば起こることのようです」と若女。

「太政官は、だれとだれか。太政官は正しく淳仁を補佐しているのか」と太上天皇。

文屋ふんやの浄三きよみさまなら、ご存じかと思います」と飯高笠目。

「それは、だれか?」と孝謙太上天皇。

智努王ちぬおうであられた文屋ふんやの智努ちぬさまです。

今は浄三さまと名を変えられて、大納言だいなごんになられています」と笠目が答える。

律令では、太政官たちが太政官(太政官庁舎)で合議した議題を、太政官いん朝堂ちょうどう)での朝政のときに天皇に伝えて許可をもらう。

また天皇からの質問に、太政官たちが回答することと定められている。

太政官になるのは、左大臣(非常任)一人、右大臣一人、大納言二人、中納言三人、左右のだい弁官べんかん。それから四位以上の位階をもつ貴族のなかで、とくに選ばれて参議さんぎとなった人たちが入る。

今は、太政大臣に相当する大師の藤原|恵美押勝のほかに大臣はいない。

大納言の石川年足は七十四歳で病床に伏している。もう一人の大納言が文屋浄三だ。文屋浄三は、そのまえは中納言で、もう一つまえは参議だったから、太政官としての経験が長く事情を知っているはずだった。

「こちらに来ているのか」と太上天皇。

「先月の曲水きょくすいうたげの席で、お見かけしました」と仲千。

「では召して聞こう」と太上天皇。

「上台さま。こちらから使いをだして事情を聞かれたほうが良いと思います。

ここは今の帝の御座所ござしょとご一緒です。できない話があるかもしれません」と笠目が注意した。

「吉備由利を使わしていただけませんでしょうか」と若女が頼む。

道鏡どうきょう。どう思う」と太政天皇が聞いた。

「みなさまの意見を、お聞き入れくださいますように」と道鏡が身を低くする。

「由利。何人かつれて浄三のところに行き、淳仁に変わってからの朝政がどのように行われているのか、どのようなことが決められたのかを詳しく聞いてくるように」と孝謙太政天皇が命じた。

「はい。若い子の方が目立たないので、百済くだらのこにしき明信めいしんを連れて行きます」と由利が答えた。

道鏡が来て孝謙太政天皇が元気になり、女官たちとも話すようになったのはうれしいが、もともと依存性が強い人なので政治を知らない道鏡になんでも念押しする。

そうすることで押勝への依存からは離れたのだが、笠目も若女も仲千も由利も先行きが不安だった。



「チャンと聞きましたか?」と由利たちが帰ったあとで、文屋浄三が弟の文屋大市おうち白壁王しらかべおう山部王やまべおうが隠れている几帳きちょうに向かって声をかけた。

正三位で大納言の浄三は、すでに六十九歳になる。

「はい、はい。聞きました」と大市が腰を叩きながら出てくる。大市は五十八歳で正四位上。出雲いずものかみ(島根県東部)を遙任している。大市も出家しているから、浄三と大市は僧衣だ。

「太上天皇が、やっと不満を持たれましたか」と這いだしてきた白壁王は五十三歳。従三位と身分は高いが、いまだに散位さんいのままの職なしだ。

「吉備由利さんを寄越してくれましたね」と白壁王のあとに山部王がでてくる。三人のおじいさんと一緒だと、二十五歳の山部王の若さが際立つ。

保良宮の宅地を配分した式家の藤原田麻呂のはからいで、文室浄三と大市と白壁王の邸は隣りあっていて、だれにも見られないで行き来ができる。

孝謙太上天皇から使いが来るという知らせで、こっそり集まっていた。

「やっとまつりごとのことを聞いてきましたね。

押勝が大師になってから、淳仁天皇が朝堂に来られたのは何回ぐらいでしょうか。

われわれは毎朝、集まりはしますが、天皇は出御されません。

決まり切ったことは太政官曹司ぞうしのほうで決めていますが、重大事案に関しての討議をしたことがありません。

淳仁天皇の令書れいしょが届くことがありますが、令書は勅命ですので反対することはできません。

われわれの仕事は、それを外記げきに渡して詔勅しょうちょくをつくらせるだけです」と浄三。

「想像以上にひどいですねえ。太政官からの奏上書そうじょうしょは中宮に届けるのですか」と大市。

「いいえ。太政官曹司で決めたことは、田村第に持っていって大師から外印げいん(太政官印)を押してもらいます。そのあとのことは知りません」と浄三。

「外印は、田村第に保管されているのですか?」と白壁王。

「はい。橘奈良麻呂の変のまえから押勝が握っていて自邸に保管していますよ」と浄三。

「そんなに前から」と白壁王。

「まず、今は太政官が足りません。

現在は大師の押勝を除いて、大臣はおかれていません。

大納言は石川名足さんとわたしで、中納言は藤原永手だけです。

参議として太政官になっているのは、押勝の弟の藤原恵美巨勢麻呂こせまろと、氷上塩焼ひかみのしおやきと、長男が亡くなっているので嫡子ちゃくしになる押勝の次男の藤原真先まさきと、永手の弟の藤原真盾またてです。

一応、七人はいるのですが、石川さんは病気で、真盾は太宰府にいますから、この二人は出てきません。

のこりの五人の内の一人がわたし。一人は押勝の息子で、一人は押勝の弟。あとは塩焼と永手です」と浄三。

「塩焼も永手も、押勝の縁族ですからねえ。

永手さんの妹の宇比良児さんは、参議の真先の母君でしょう。

わたしの妻の井上いかみさんは、妹の不破ふわさんと仲が良い。

そして二人は、塩焼の姉妹の石田女王や陽候やこ女王や忍坂おしさか女王と親しいですからねえ。陽候女王も押勝の妻です。みんな親しい親戚です」と白壁王。

「なにを人ごとみたいに。あなたも、その一人でしょう」と大市。

「わたしは、井上さんの親戚とは親しくありません。

それじゃ太政官で押勝に反対できるのは、浄三さんだけですか?」と白壁王。

「わたしだって、一人では反対しません。

だから太政官など、あってないものと思ってください。

だいじなことは田村第で押勝が決めて、太政官印を押しています」と浄三。

「上台さまが大師のことを知られて、それから、どうなります?」と白壁王

「淳仁天皇は、正式に即位されていますからねえ。

淳仁天皇を退位させないかぎり、なにも変えられないでしょう」と大市。

「なんとか、さっさと今の帝を退位させる方法を考えてください。

今の帝は勅をだして、私物を押勝に与えてしてしまうのですよ。ロクなお方じゃありませんよ!」と白壁王。

「あなたが持っていた近江の鉄穴てっけつのことですか。官が買いとるとか、ナシで?」と大市。

「ナシで。勝手に。わたしに相談もなく。いきなり勅を出して押勝に与えました」と白壁王。

「アララ。それは、お気の毒でした」と大市。

「あの帝なら、そのうち押勝に国を禅譲ぜんじょうしてしまうかもしれませんよ。即位のときに押勝は父で、宇比良古は母、押勝の息子を兄弟と思うという詔をされていますから、カンタンに禅譲するでしょうよ!」と白壁王。

「そうか! 白壁王。禅譲がありましたか」と文室浄三。

「なんです?」と大市。

「最初に紫微令しびれいというふざけた名をつけたので、押勝が大保や大師と名乗って官庁名や職名を唐風とうふうに変えても、ただの唐かぶれだと見過ごしていました。

大市さん。押勝が名乗った太保や太師は大陸の皇帝の補佐官です。

そして大陸では、皇帝が太保や太師に国を譲ることを禅譲ぜんじょうと言います。

われわれが使者を送っていた唐のまえのずいだって、禅譲されて出来た国です」と浄三。

「臣下に国を譲ったのですか?」と山部王。

「ほんとうは軍事権をにぎった臣下が国を奪ったのですがね。大陸でも臣下が皇帝から国を乗っ取るのは大逆になります。だから譲ったという形をとるのですよ」と白壁王。

「ジョウダンじゃない。それはいけません。うちは隋でも唐でもなく日本です。

八百万やおよろずくにかみをお祭りする大王おおきみの血筋から、天皇を選ぶと決めています」と大市。

「押勝を早く除かなければなちませんね。

上台さまに理解していただきたいので、先ほどの使者には洗いざらい話しました。

これで押勝への疑いを強くもたれたでしょうが、さて、これを、どう生かせば良いでしょうかねえ」と浄三。

離間りかんけいで淳仁天皇と上代さまを引き離して、対決へともって行けるといいのですがね」と白壁王。

「おじさま方。ちょっ引っかかることをがあります」と山部王。

「なんです?」と浄三。

「正月から上台さまの元に、看護禅師が住みついているそうです」と山部王。

「ああ、聞いています。なんでも良弁さんの弟子で鎮護道場から呼んだそうですから、押勝が良弁に言って世話をしたのでしょう」と大市。

「おそらく大師さまの仕込しこみではないかと思います」と山部王。

「どうして?」と大市。

「上台さまの、ご年齢をご存じですか」と山部王。

井上いかみさんと一歳違いだから、四十四歳だろ」と白壁王。

「その僧は四十歳ぐらいで、さわやかな見かけをしているそうです。

宮子皇太夫人こうたふじんと看病禅師の玄坊げんぼうのことがあったのですから、上台さまを気遣きづかうなら老齢の枯れた僧を送るべきだと思いませんか?」と山部王。

「まあ、たしかに」と大市。

「大師さまは、上台さまと看護禅師の艶聞えんぶんを流して、上台さまの力をそごうと企んでいるのではないでしょうか」と山部王。

「そうねえ。男盛りの僧が宮室きゅうしつに住んでいて、夜間も寝殿に出入りするとなると、妙な噂は立ちやすいですね」と大市。

「押勝に造反する者たちが担ぎ上げるとしたら、上台さましかいません。

となると上台さまの権威をおとしめて、幽閉でも企んでいますか」と白壁王。

「それに乗っかりましょう」と山部王。

「乗っかっる?」と浄三。

「利用するのです。浄三おじさん。あくまでも噂が立ったらの話です。こちらから上台さまを貶めるような噂は流しません。噂が流れなかったら計画も取りやめます。

でも、もし噂が出たときは、離間りかんさくが使えます」と山部王。

「どうやって?」と大市。

「淳仁天皇は心に鬱憤うっぷんを抱えておられるらしく、上台さまのこともしざまに話されることがあるようです。

とくに大師さまが参上されたあとは、上台さまを批判されることが多いと聞きます。

いまは、淳仁天皇と上台さまは同じ宮室に住んでおられますから、上台さまと看病禅師の艶聞を淳仁天皇が口にされて、それを上台さまが耳にされると、どうなるでしょう」と山部王。

「腹を立てますね。とくに噂されるようなことがなければ、ひどく怒られるでしょうが、そんなことが上手くできますか?」と大市。

「たぶん、できると思います。わたしがするのは、そこの部分だけです。

やってみても良いでしょうか。子細しさいは、かならす報告に来ます」と山部王。

「山部。怪しまれずに吉備真備を呼びもどすための方法は思いついたのか」と浄三。

「はい。思いつきました。

こちらは呼び戻すだけですから、大師さまを真似て手の込んだ策を練りました。

説明しますから聞いてください」と山部王がうなずいた。



保良宮の宮室は、住む建物はちがっても庭は共同なので、淳仁天皇と孝謙太上天皇の暮らしぶりは互いに良く分かる。

淳仁天皇に仕えているのは、恵美押勝の妻で女官の長官である尚持しょうじ尚蔵しょうぞうをしている藤原宇比良古うひらこと、淳仁天皇の母で大夫人の当麻たいまの山背やましろと、皇太子になったときと即位してから増やした女官だ。

立坊されたのが八年前、即位したのが四年前だから、それから集めた女官たちは、まだ若い。宇比良児が教育しているが古参の女官がいないので、どうしても開放的になる。

この女官たちが、孝謙太上天皇と道鏡の仲が怪しいとささやきはじめた。

 

五月二十二日の朝に、いつものように大師の押勝の訪問をうけた淳仁天皇は、押勝が帰った九時すぎに気晴らしのために庭をそぞろ歩いていた。

まだ皇后を立てていない二十九歳の天皇をとりまく若い女官たちの集団だから、大声で話しながら庭を散策している。

「ねえ。上台さまの愛人の道鏡って方を見たことある?」と一人が聞いた。

「ナイ。四十過ぎの僧侶でしょう。見なくたっていい」

いつもよりは孝謙太上天皇の棟に近いところを歩いているようで、外の声が孝謙太政天皇の耳にも届いた。

笠目や仲千が、あわてて太政天皇を別の部屋に移そうとした。眉をつり上げた孝謙太政天皇は、笠目たちを振り払う。

「帝は、道鏡をご覧になったことがあるの?」と若い女官の一人が、大きな声で聞いた。

「ない。バアさんと坊主が愛欲に狂っている姿など、想像するだけでヘドがでる。

この国の災いは、すべて、あのバアさんが皇太子となり皇位を継いだことからおこった。

あわれにもちんは、その尻拭いを押しつけられた」と淳仁天皇の声がはっきり聞こえる。

孝謙太政天皇はスッと立つと、庭に面したひさしに歩みでた。追いかけた太上天皇つきの女官たちが、そのうしろに居並ぶ。

道鏡も行こうとしたが、由利が袖をつかんで「隠れていなさい!」と奥へ引っ張っていく。

「かわいそうな帝」と淳仁天皇つきの女官は、廂に立つ孝謙太上天皇に気づかずに話している。

「そうだ。朕は帝という名の囚われ人だ。

あのバアさんがいるかぎり、帝と呼ばれても満足に息もできない。

ボウズが好きなら、サッサと二人で山寺にこもれば良い」と淳仁天皇。

一緒に散策していた宇比良古が、まず広庇ひろにさしに立った孝謙太政天皇に気がついて、顔を凍りつかせて立ちとまった。

宇比良古のようすをみて、淳仁天皇が孝謙太政天皇に顔を向けた。

血の気の失せた蒼白な顔の孝謙太政天皇が、淳仁天皇をにらみつける。

なにも言わずに、にらんでいた孝謙太政天皇が、クッルっと向きをかえて部屋にもどった。それぞれが目のまえの人をにらんでいた太上天皇つきの女官たちも、あとについて部屋にもどる。

「看病禅師を解任して、わたしに罪を与えてください」と道鏡が床に平伏する。

「人に、とがめられることはしていない。道鏡は、このまま仕えるように。

すぐに都に戻る。輿こしを用意させて授刀舎人に出立を告げよ」と孝謙太政天皇が命じた。

「おまちください!」と笠目。

「なぜ、とめる」と太上天皇。

「光明皇太后さまも文室浄三さまも、必ず内裏に住まれるようにと申されています。いま動けば、すぐに大師さまが止めに来られます。

それを押し切って帰ろうとしても、内裏に入れるかどうか分かりません」と笠目。

「上台さま。まず文屋浄三さまに、ご相談ください」と由利。

「どうぞ怒りをしずめられて、みなさまのおっしゃることをお聞きください」と床に伏したままで道鏡が口添えをすると、孝謙太政天皇が冷静になった。

「どうすればよい」

「わたしを、文室浄三さまのところへ使わせてください。そのあいだ上台さまは、帝に悟られないように、いつものようにお過ごしください。

帝も宇比良古さんも、ご自分の失態を大師さまに報告されないでしょう」と由利が言った。


由利たちが急に訪ねてきたので、呼び集められた大市と白壁王と山部王も隠れずに保良宮の文室浄三の邸の部屋にいる。

「そうですか。決心されましたか。

平城京へ戻られるなら、必ず内裏を占拠せんきょしなければなりません」と文室浄三。

「もともと保良宮に移ったのも、帝を内裏に入れるためですからねえ。うまく立ち回ることです」と大市。

「上台さまが使えるのは授刀舎人だけですが、授刀えいかみは大師さまの娘婿の藤原御楯みたてですから、出立を命じたら大師さまに報告します。

おそらく授刀舎人を監視するために、ほかにも従刀衛のなかに腹心の配下を入れているでしょう」と白壁王。

「上台さまが還都かんと(都に帰る)されると聞いたら、さきに大師は淳仁天皇を出立させるでしょう。そうなると内裏には入れません」と大市。

「大師さまに気づかれずに、内裏に帰るのは無理なのでしょうか」と由利。

「それでも授刀舎人を使うしかないでしょう。

従刀舎人は、そちらで選んでもらわないと、われわれには分かりません。

信用ができる舎人を選んでください」と浄三。

「授刀舎人を選んだら、まず騎馬で平城京に走らせて先に内裏へ入れます」と白壁王。

「それには馬がいりますが、馬は馬寮めりょうがあずかっています。

従刀衛が馬を用意すると、なにかを企てているとバレませんか」と大市。

「バレますね。馬は、こちらから用意させるほうが良いでしょう」と白壁王。

「馬寮にも、大師は配下を入れているのでしょうか?」と山部王。

「いまの馬寮かみは、どなたでしたか」と白壁王。

「いまはね。馬寮頭じゃなくて兵馬正ひょうばしょうというそうですよ。たしかみちの真人まひと野上のがみさんです」と大市。

「野上さんなら、どっちつかずの態度をとる人ですから、押勝の配下ではないでしょう。今のところ押勝は、馬寮を重く見ていないのでしょうよ。

ともかく野上さんを説得して、馬の用意はこちらでしましょう」と白壁王。

「宮城へ行く道なら、ここの宅地を用意してくれた藤原田麻呂に手伝ってもらいます」と山部王。

「そうですね。途中で水や干し飯ぐらいは用意しておいた方が良いでしょう。

荷物はあとで送らせますから、なにも持たずに身軽な格好で行幸してくださいよ。

では野上と田麻呂をよんで、馬や路のことなどは相談してみましょう。

結果は報告します」と浄三。

「つぎに上台さまを、こっそり保良宮から出さなければなりませんね」と白壁王。

「帝とおなじ宮室におられますから隠せないでしょう」と大市。

「出立を淳仁天皇が眠っておられる未明の前にしたらどうですか。

気づかれても対応が遅れます」と山部王。

「それが良い。夜明け前の暗いうちに、ご出立くださいと伝えてください。

由利さん。こちらへ来られるときに何台の輿こしを使われましたか」と白壁王。

「三台です」と由利。

「その三台分の担ぎ手を上台さまの輿だけにあてて、担ぎ手を交代させながら平城宮まで休みなく走らせたらどうでしょう」と白壁王。

「そんなことをしたら、上台さまのお体が持ちませんよ。輿で揺られるのも、きついですからね」と大市。

「イヤだとおっしゃれば、それまでですが、一応、お勧めしてみてください」と白壁王。

衛門えもんかみは、まだ百済王敬福きょうふくさんですか」と山部王が、百済王明信めいしんにたずねた。

由利についてきた明信が、下を向いたままで答えない。

「なにを緊張してるの」と由利が、ピシャンと明信の膝を叩いた。

「たしか司門衛督しもんえいとくは、栗田あわたのなんとか麻呂に代わったはずです」と大市。

「大市さん。やけに新しい官名にこだわりますねえ」と白壁王。

「苦労しておぼえましたから」と大市。

「その方は、保良宮に来ているのでしょうか」と山部王。

「宮室の門の警備の責任者として来ているはずですね」と大市。

「じゃあ平城宮の門を警備している責任者は、まだ若く官位も低いはずです。

騎馬の授刀舎人が宮城についても、どういう態度をとるか分かりません。

上台さまの勅書ちょくしょをいただきましょう」と山部。

「山部。勅書には大弁官だいべんかんの署名がいる。詔書しょうしょなら太政官の署名がいる。どうやって署名をもらうつもりです。

それに上台さまは、詔勅しょうちょくをだすときに必要な内印ないいんを持っておられません。内印は、淳仁天皇が持っておられます」と大市。

「でも上台さまは、よく勅をだされていたではないですか」と山部王。

「あれは、すべて口勅こうちょくですよ」と大市。

「口勅って?」と山部王。

「口で命じられただけ」と大市。

「口で命じられたことでも勅になるのですか? つまり上台さまの許可さえあれば、証拠はいらないってことですか?」と山部王。

「そうではありませんが、上台さまが太上天皇なのはまちがいありませんから、その口勅には重みはあります。ただ重大なことは大弁官や公卿を集めて発表なさいますがね」と大市。

「上台さまが還都かんとされたと知ったら、大師たちが追っかけてくるでしょう。あちらは中衛府ちゅうえふの騎馬舎人を先行させると思います。

それを止めるときや、平城京の衛門舎人えもんとねりに門を開かせるときに、上台さまの口勅だと言ってもバレないのですか?」と山部王。

「事前に上台さまが認められていたら、それは本物です」と大市。

「山部。いろいろな局面を考えて、どんなときにも使える口勅の草案そうあんをつくれ」と白壁王。

「はい」

百済王明信が、さっと部屋の置かれた文机によってすみをすり始める。

「まずは、こんなところでどうですか。信用できる授刀舎人を見つけることが肝心かんじんです。それが決まったら知らせてください。

あとの手配は、こちらでします。明日のこく(午前六時)まえには出立できるようにしておきましょう。

ところで、由利さん。お父上はお元気ですか?」と浄三が聞いた。

「はい。そのようです」と由利。

「上台さまが無事に内裏に入られたら、あなたに相談したいことがあります。

連絡をしますが、よろしいでしょうか」と浄三。

「はい」

怡土城いとじょうは、どのくらい完成したのでしょう」と大市。

「さあ。あと二、三年は掛かりそうだと書いてきてますが」と由利。

「見たいでものすねえ」と浄三。

「この内裏だいり占拠せんきょ競争に負けて、われわれが陰で動いたのが大師にバレると、太宰府に流されるかもしれません。そしたら見ることができますよ」と大市。

「そのまえに、牢で死ぬかもしれません」と白壁王。

「イヤなことを言わないでください! 

上台さまには、わたしや、ここにいる者のことは大師さまにはさとられないようにとお伝えください」と浄三。

「はい。では、わたしどもは目立たぬように帰ります。明信」と由利。

「えっ・・・はい。皆さまのことを内密にされるようにと、命に代えましても上台さまにお約束していただきます」と墨をする手を止めた明信。

「いいから、さっさと、おいとまのご挨拶をなさい!」と由利が叱った。


「思いのほか早く対立しましたね。

なぜ急に都へ帰る気になったのか聞きませんでしたが、おそらく例の噂が原因でしょうね。

あなたが女官を口車くちぐるまにのせて、上台さまの耳に入るようにしたのですか」と、由利たちが帰ったあとで大市が山部王に聞いた。

「いいえ。淳仁天皇のもとに出入りする中務なかつかさしょう大輔だいすけの大伴家持やかもちさんが、上台さまの御座所の脇に咲いているアヤメの花が見頃だと、淳仁天皇つきの女官たちに勧めてくれたのです。

家持さんとは花の話しか交わしていませんが、なにかを察しておられても大師さまの味方はなさいません。淳仁天皇が朝の散策で、上台さまのことを悪し様に言われると教えてくれたのが家持さんです。

上台さまの耳に淳仁天皇の言葉が届くかどうかは運でしたが、上手くいったようです」と山部王。

「ともかく、これで打倒大師の旗頭はたがしらができましたね」と白壁王。

「大市と白壁王は、われわれの味方になりそうな心当たりの人を探ってください。

山部は、はやく吉備真備を都に呼び戻せる状況を作ってください。それから任官前の若い人や、冷遇されている皇嗣系の官人で、上台さまの側に置けそうな人を探してください。

では、明日の内裏だいり占拠せんきょのための、おこし競争の細部を決めましょう」と文室浄三がうながした。



宮室では孝謙太上天皇が倒れられたと、淳仁天皇の棟から遠い寝所に女官も集まっていた。そこで孝謙太上天皇は、由利からの報告を受けた。

「授刀舎人ですが、わたしの一族で授刀えいにつとめている伊勢いせの老人おきなという若者がいます。ただの舎人ですが、この者は信用できます。

まず、この者を呼び出して、内情ないじょうをくわしく聞き出してまいります」と飯高笠目が、大野仲千を連れて出ていった。

「輿の担ぎ手をあつめて、出立できるように用意させてまいります」と久米若女が藤原人数を連れて出て行く。

「文室浄三さまから文がきました」と諸姉が持ってきて、由利に渡す。

「大師さまが追ってこられたこられたときや、宮城の衛門府えもんふが門を開けるのを渋ったときに使う、上台さまの口勅こうちょくの草案が入っています。

これを、お使いになりますか」と由利がなかを確かめて太上天皇に渡す。

草案に目を通した孝謙太上天皇が「許す」と許可した。

「馬を支度させておくから、人数にんずうが分かったら知らせるようにとのことです。

それから水と干飯ほしいいとワラジは補給すると書いてあります。

この草案を、何枚か書き写して参ります」と由利が女官を選んで別の部屋に連れて行った。

「上台さまの、お食事はどういたしましょう」と阿部古美奈。

「みなと同じものにする。道鏡にも輿を用意せよ」と孝謙天皇。

「上台さま。わたしは修験しゅげんそうでした。走ることになれております。お輿のそばを走らせてください」と隅で小さくなっていた道鏡が伏した。


「三十五人の担ぎ手が準備しています」と手配をおえて帰ってきた久米若女。

「担ぎ手たちには、明日の未明に行幸ぎょうこうがあるからと言いましたが、行き先は伏せています」と若女。

飯高笠目と大野仲千も帰ってきた。

「授刀舎人のことですが、大尉たいじょう佐味さみの伊予麻呂いよまろは大師さまの腹心でした」と飯高笠目が報告する。

「授刀衛のなかにまで、自分の配下を潜り込ませているのか!」と孝謙太上天皇が眉間にしわを寄せる。

「その大尉の佐味伊予麻呂は、ちょうどかみの藤原御盾みたてさまの邸に呼ばれていて、今は衛府を空けています。

殿上でんじょうできる五位以上の身分ではありませんが、少尉しょうじょう坂上さかのうえの苅田麻呂かりたまろを連れてまいりました。

この者は長く授刀舎人をしていて、現場で舎人たちをまとめています。

大師さまとの関わりはなく、舎人たちの信頼が厚いと、わたしの一族の者が言っております。御前ごぜんに召しても、よろしいでしょうか」と笠目が聞く。

「坂上…。坂上犬養いぬかいの縁族か?」と孝謙太政天皇が聞いた。

「ご子息です。坂上犬養さまは忠臣でございます」と笠目。

「許す」

苅田麻呂の父の坂上犬養は、聖武天皇が亡くなったときに生前にうけた恩を感謝して、御陵ごりょうに仕えたいと申しでて孝謙太上天皇が許可した。いまも聖武天皇陵につかえていて、それを太政天皇もおぼえていた。

大野仲千が、りっぱな体格をした舎人をつれてきた。

坂上苅田麻呂は、正六位上で三十四歳になる。みんなのまえで笠目が要領よく苅田麻呂に説明する。

「大師に気づかれないように、騎馬の授刀舎人を内裏に向かわせることはできるか?」と孝謙太政天皇がじかに声をかける。

直答ちょくとうをゆるされております」と笠目。

「はい」と、しばらく苅田麻呂は考えた。

「先に選りすぐった二十人の舎人を騎馬で宮城に向かわせます」と苅田麻呂。

「二十人だけか」と孝謙太上天皇。

「こちらの寮が狭いので、来ているのは授刀衛の半数の二百人だけです。

都に着いたら残っている二百人を集めて、すぐに内裏の警備をさせます」と苅田麻呂。

「大師と通じている者が、こちらの動きを知らせるのではないか」と孝謙太上天皇。

「大将は、夕には邸に帰ります。

大将に報告しそうな者たちは、今夜の宮室の警備にまわして、この庭に配置します。

仕事中は持ち場を離れることができませんし、気心の知れた者に彼らを見張らせます。

残りの者は従刀衛で出立の準備をさせ、いつでも動けるようにしておきます」と苅田麻呂。

授刀衛じゅとうえいに命ずる。これより内裏を占拠せんきょせよ」と孝謙太上天皇。

「はっ! うけたまわりました」と苅田麻呂。

「まってください!」と思いきったように、大野仲千が声をあげた。

先駆さきがけの舎人といっしょに、わたしを騎馬で平城京に向かわせてください」と仲千。

「え?」と由利。「馬に乗る気ですか?」と笠目。

「若いころには乗馬が好きでしたので、乗れるはずです」と仲千。

大野仲千は四十二歳。父親が従三位で亡くなった公卿なので出世が早いエリート女官だが、本人はまじめで謙虚けんきょで大人しい。

馬に乗る姿など想像もできないが、大野氏は武人が多く父の東人あずまびと鎮守府ちんじゅふ将軍しょうぐんとして「広嗣ひろつぐの乱」を収めているし、恭仁くに京から難波なにわ京へ馬を飛ばして内印ないいん駅鈴えきれいを聖武天皇の手に渡したことのある功労者でもあった。

「仲千さんが先に行ってくださるのなら、法華寺ほっけじに残った和気わけの広虫ひろむしさんたちを呼ぶことができます。

仲千さんと広虫さんたちが内裏に入り、上台さまのお身の周りの品を内裏にそろえてしまえば、淳仁天皇も内裏を明け渡せと強制できないでしょう」と吉備由利。

「すると、わたしたちは急ぐ必要がなくなります。上台さまも途中で休息がとれます」と笠目。

「本当に、だいじょうぶですか。仲千さん」と阿部古美奈。

「やらせてください。やってみたいのです。上台さま。お申し付けください」と仲千。

「許す」と孝謙太上天皇。

「明日は、百八十人の授刀舎人が警護させていただきます。

わたしは、しんがりをつとめます。追いかけてくるものを止めるために、なにか、お言葉をいただけますでしょうか」と苅田麻呂。

「これをお持ちください。追いかけてくるものを止めるときの上台さまの勅です。

仲千さんにも、お渡しします。

それから坂上さま。何時に騎馬の者を出立させるのか、馬の手配がありますので、

人に見られないように文室さまのお邸を訪ねていただけませんか」と由利が言った。


「はい。これ」と由利が、浄三が送ってきた口勅の草案を差しだした。

「あ…」と寝じたくをしていた明信。

「分かりやすい人ね。あなたが好きなのは山部王。

山部王の手書きは欲しいでしょう。

でも、あなたは藤原継縄つぐただ夫人なのよ。去年、お子にも恵まれたでしょう。妙な気を起しちゃダメよ」と由利。

「山部王は始めて好きになった人よ。今でも顔を見るだけで、苦しいほど胸がドキドキする」と明信。

「初恋? それじゃ継縄さんより前から知ってるの?

それほど好きな人がいたのなら、どうして継縄さんの夫人になったのよ。

親に打ち明けて、山部王との婚姻を進めれば良かったじゃない。

山部王なら、あなたのお爺さまと白壁王が親しいからまとまったでしょうに」と由利。

「そのおじいちゃんが、わたしが不幸になるからって猛反対したの」と明信。

「分かる気がする」と由利。

「本当に好きなら、わたしが女官としての実力をつけて山部王を支えれば良いって。そして女官は、後ろ盾となる夫次第で出世が決まるって」と明信。

「それは確かよ」と由利。

「あんなに真剣で恐い顔をしたおじいちゃんを、見たことがなかった。

ともかく山部王はあきらめろの一点張りでね。

ちょうど継縄さんが求婚していたから、そっちにしろっていわれて、うちでは、おじいちゃんの意見は絶対だから従ったの」と明信。

「チョット待って。分かるようで分からない。

あなたが継縄さんと結ばれたときには、豊成さんは右大臣を降ろされて没落したあとだったでしょう。どうして大師に睨まれている豊成さんの息子が、あなたの後ろ盾になれると百済王敬福さんは思ったのかしら?」と由利。

明信の夫の継縄は、恵美押勝の兄の藤原豊成の次男だ。「奈良麻呂の変」のあとで、豊成は粛清しゅくせいされて太宰員外帥いんがいのそちとなり、難波なにわで病気療養をしている。

豊成には四人の息子がいるが、第一子は出家して、第二子の継縄と第四子の縄麻呂は地方官として関東に送られ、奈良麻呂と親しかった第三子は連座の罪で日向ひゅうが国(宮崎県)に流刑にされている。

「おじいちゃんの気持ちなんて知らないわよ。でも継縄さんの気持ちは、わたしには良く分かった。

あの人は、わたしが山部王を想うように、わたしを想っている。それを見ていると、これって辛いよなァと思った」と明信。

「同情したの?」と由利。

「少しはしたかも。それより共感のほうが多い。

継縄さんといると刺激もないけれど、自分をつくろう必要もなくて気が楽よ。善い人だし嫌いではないし、ほかに夫人がいても平気だし。

いまは国司として地方に行って、ずっと会ってないけど、元気ならそれでいい。

これが山部王だったら、ほかの夫人は呪い殺すか、毒を盛って殺してやる。地方に赴任するなら女官をやめてついて行く。あの人を独占するためなら何でもする。

そんなことをすれば、すり切れるでしょ。幸せになれないってのは、良く分かっているのよ。

でもね。山部王をあきらめた訳じゃない。

いつか、わたしは、あの人が必要として手放せない女官になるの」と明信。

「そんなものかしらね」と由利。

「由利さんは、好きになった人がいるの?」と明信。

「早く寝なさいよ! 明日は大変な一日になるから」と由利。

「うん」と山部王が書いた草案を折りたたんで、百済王明信は胸元に入れた。

太上天皇の棟は早い内から寝静まった。

となりの淳仁天皇の棟では、孝謙太上天皇が寝込まれたと知った淳仁天皇と宇比良古が、なかなか眠れなかった。



五月二十三日。

午前三時に大野仲千は宮室の門を出て、二十人の授刀舎人をつれて闇のなかを馬場に向かった。馬場までは話もせずに歩いたが、馬場について馬を選んで引いてきた授刀舎人が名乗った。

小志しょうさかん牡鹿おじかの嶋足しまたりです。この馬をお使いください」

物部もののべの広成ひろなりです。すべて大野さまの命に従うように言われております」

伊勢せの老人おきなです。何なりと申しつけてください」

きの船守ふなもりです」

「保良宮を離れるまでは、音がしないように間をあけて行きますが、すぐに駆けつけられるところにいますから心配なさいませんように」と嶋足。

衣袴きぬばかまを着けた仲千は、男のように馬にまたがった。

昨夜は興奮して眠れないだろうと思ったが熟睡できた。馬の匂いは若いころを思いださせる。大将軍だった父が、どこかで、きっと見守っていてくれる。

午前三時半には、大野仲千と二十名の授刀舎人たちが、ひずめの音を防ぐ布草鞋ぬのわらじをつけた馬に乗って保良宮の馬場をしずかに去った。



孝謙太政天皇の輿こしが保良宮を出たのは、空が白みはじめた午前五時まえだ。女官や授刀舎人が多数したがっているから、太上天皇の移動は、すぐに大師たいしの藤原恵美えみの押勝おしかつに知らされた。

押勝が淳仁天皇に会いに来たのは六時で、すでに孝謙太政天皇の姿は無かった。

「なにがあったのです。なぜ急に上台さまは行幸されたのです。

心当たりがあったら話してください」と押勝が淳仁天皇に聞く。

淳仁天皇は答えない。

「なにがあったか分からないでは、手の打ちようがありません」と押勝。

「上台さまが話を聞かれて、ご気分を害されたようです」と押勝の妻の宇比良古うひらこが答えた。

「なにを、お耳に入れた?」と押勝。

「上台さまと看病禅師のことです」と宇比良古。

「そのような噂がちまたに広がっているのは知っているが、なぜ上台さまは出立なさった?」と押勝。

「こちらで話しているのが、お耳に入りました」と宇比良古。

「おまえたちが話しているのを聞かれたのか。いつのことだ?」と押勝。

「昨日です」と宇比良古。

「昨日、帝のもとに伺ったときには、なにも聞いていないが」

「そのあとです」

「なぜ、すぐに知らせなかった。だれが上台さまの前で噂を口にした?」と押勝。

宇比良古が黙った。

「話した者の名を言いなさい。そのものを処分して、ご機嫌を直していただく。

そして誤解されるような言動をされる上台さまにも非があると、ご注意申し上げる。看病禅師が離せないほどのお体で、政務もられないのなら、宮城を出て別の宮に移り完全に引退されてご静養されるようにと進言する。

だれが言った?」と押勝。

「…帝です」と宇比良古が小さな声でつぶやいた。

「だれ?」と押勝がもう一度、聞く。

「帝が申されたのを、上台さまがお聞きになりました」と宇比良古。

「では上台は気晴らしに出かけたのではなく、平城京へ戻ったのか!」と押勝。

淳仁天皇は二世王だがつつましく暮らしていた。それを引きとって育て、天皇にまでしたのは押勝だ。

保良宮に来たのは内裏の修理のためで、修理が終われば華々しく淳仁天皇を先頭にした行列を作り内裏に入れるつもりだった。

自分の息子なら殴ってやりたい。その怒りを押勝は妻の宇比良古に向けた。

「この馬鹿者。役立たずの能無しが!」と押勝は、宇比良古の肩をつかむと突き飛ばした。それでもおさまらずに「二度と、わたしの前に顔を見せるな」と大声を出した。

「帝。還都の用意をなさい。すぐに平城京へ向かって、上台より早く内裏に入りなさい」と押勝が言う。これが六時半だった。



官人たちは夜明けとともに登庁するが、保良宮には朝堂や各省の役所がない。十六年も近江守おうみのかみをしている押勝の邸だけは広くて、多くの建物をもっている。

保良宮にきてからは押勝の邸の一棟を仮の太政官庁として、六時半には太政官たちが集まっていた。

「なにか起こったのでしょうか。さわがしいような気がいたしますが」と大納言の文屋浄三ふんやのきよみが、中納言の藤原永手ながてに声をかける。

「上台さまが還都かんとされたようなのですが」と永手。

「還都? それは、まあ。また急なことで。

わたしは上台さまが戻られると聞いておりませんが、塩焼さんはご存知でしたか?」と浄三。

氷上ひかみの塩焼しおやきの父の新田部にいたべ親王しんのうと、文屋浄三の父のなが皇子のおうじは天武天皇の子で異母兄弟だから二人はイトコになる。

天皇の子息の呼び名が皇子から親王に変わったので、亡くなった年代で呼び方がちがうだけで、浄三の方が塩焼より二十歳ほど年長で位も上にいる。

「知りません。真先まさきさんなら知っているでしょうが、まだ来ていまませんね。巨勢麻呂こせまろさん。どうしたのでしょう?」と塩焼。

「調べてまいります」と押勝の四弟で、参議の太政官の巨勢麻呂が部屋から出て行った。

北家の永手の六弟で、授刀かみの藤原御楯みたては、知らないあいだに授刀舎人が孝謙太政天皇の供をして平城京に帰ってしまったと聞いて、病と称して邸からでてこない。



参議の太政官の一人で、押勝の嫡男の恵美真先まさきは、中衛府の少尉をしている。

すぐに平城京へむかい内裏をおさえろと命じられた恵美真先は、このとき中衛舎人たちを集めていた。恵美真先が騎馬舎人を率いて保良宮を出発したのは、孝謙太上天皇の輿が出発してから二時間近くあとの六時四十分ごろだった。

恵美真先と中衛舎人たちは瀬田川せたがわから宇治路うじみちに入るところで、孝謙太政天皇つきの女官や授刀舎人たちが歩いているのに追いついた。

坂上苅田麻呂が、十騎の騎馬舎人を連れて最後尾を警備している。

苅田麻呂が馬をとめて、馬首を巡らせて中衛舎人に向き合った。苅田麻呂が連れている十騎の騎馬舎人が道をふさいだ。


「中衛府の方々か」と騎乗したままで苅田麻呂が問いかける。

「中衛少尉、藤原恵美真先。帝の命で先を急ぐ。道をゆずられい!」と恵美真先。

「授刀少尉、坂上苅田麻呂です。ただいま上台さまが平城京に戻られるために行幸ぎょうこうしておられます。

行幸を乱すものは、なん人であっても通してはならないと、上台さまから命じられております」と苅田麻呂が大声をだした。 

「帝の命で道を譲れとのことですが、帝の行幸でしょうか。それとも帝の勅使ちょくしさまでしょうか。

勅使さまでしたら上台さまにお取次ぎいたしますが、勅書もなく上台さまの行幸に乱入されるおつもりなら、力で阻止そしするようにと命じられております」と苅田麻呂がにらみつける。

国一番の武勇の人と名が知れ渡っている坂上苅田麻呂は、目力と気迫がただならない。太上天皇の行幸の行列を、中衛舎人だけで乱すこともできない。

「出直してくる」と、恵美真先たちが引き返したのが七時すぎ。

苅田麻呂のまえを歩いていたのは足が弱くて遅れた人たちだったから、そのころ騎馬で先行した仲千と授刀舎人たちは、すでに宇治橋を渡っていた。

「抜け道はあるのか」と恵美真先が引き返すのを見とどけて、なにげなく刈田麻呂が聞いた。

「このさきの竜門りゅうもんから田原道たわらみちと呼ばれる道を通って田原村に行けますが、今日は保良宮を建設している労役ろうえきの民に使わせているはずですから、人払いに手間がかかるでしょう」と一人が答えた。

このとき刈田麻呂に従っていた授刀舎人も、恵美真先と引き返した中衛舎人も、この抜け道を一緒に駆ける日がくることを想像もしなかった。



孝謙太政天皇の輿は、予定より早く宇治橋に向かって「ワッセ!」「ワッセ!」と走っていた。輿のそばを、道鏡がピッタリと伴走ばんそうしている。

ところどころに補給所があり、そこで竹の筒に入った水や干飯ほしいいやワラジを渡してくれる。つぎの補給所にも同じものが用意してあるので、空になった竹筒を返して新しいのを受けとればよい。

この補給所は、保良宮造営のために物資を運ぶ役夫えきふのために藤原田麻呂たまろが常設していたから、便所も馬の水も飼葉かいばもそろっている。いつもより多くの補給の品をそろえて、早朝から係員が待っていた。

補給所で、輿の担ぎ手が交代する。

輿にゆられて四十キロを走行するのも体力がいる。世話をするために同乗している女儒はグッタリしていたが、孝謙太政天皇が輿をおりて休息をとることはなかった。

輿の窓から道鏡が見える。

水筒を何本もぶらさげた道鏡は「蒸し暑いから冷やされるとよいでしょう」と水でぬらして固くしぼった絹の手巾しゅきんを、ときどき交換して女儒に手渡す。

香りの良い葉を見つけると筒の水で洗って「すがすがしい香りがしますが興におかれますか」と聞いてくるし、鳥や蝶を見つけると「あそこにいます」と教えてくれる。

道鏡は看病禅師として孝謙太政天皇を心配しているのだが、朝廷のシキタリになれていないので素朴な行動をする。

多くの人にかしずかれてきた太上天皇だが、これまで道鏡のように接する者はいなかった。

もともと孝謙太上天皇は、弱い立場の人を守ろうとする情が厚い。

輿のよこを走りながら気遣ってくれる道鏡はいじらしく、孝謙太上天皇のかばいたいものによせる情をわかかせた。

官人としての出世は五位以下で止まる弓削連ゆげのむらじ氏の出身で、おそらく口らしのために寺に預けられたのだろう道鏡が、ひたむきに仕えてくれる姿は、孝謙太政天皇の保護本能ほごほんのうを刺激した。



淳仁天皇の紫色の輿が、保良宮を立ったのは午前八時。

黒の地に赤と黄の線が入った甲版こうばんをつけた、派手な揃いのよろいを身につけた四十人の田村第資人たむらだいしじんと呼ばれる私兵に囲まれて、恵美押勝の輿もつづく。

戻ってきた恵美真先と中衛舎人たちも合流した。

しかし、かれらが道の半ばまで来た十一時には、すでに大野仲千と先行すぃた授刀舎人たちが平城宮の朱雀すざくもんに着いていた。

宮城が改修中なので南にある朱雀門、わか犬養いぬかいもん壬生みぶもんは固く閉められて、衛門府えもんふの舎人たちが守っている。

「上台さまが内裏に帰られます。門を開けてください」と仲千が告げた。

「上から聞いておりませんから、お待ちください」

いきなり二十人の授刀舎人をつれた騎馬の女性に命じられた衛門の舎人は、驚いて上官を呼びにいった。

衛門府えもんふ少尉しょうじょう佐伯さえきの伊多治いたじです」と、すぐに朱雀門の外に若い男がでてきた。

平城京に残された衛門府の責任者だ。

「上台さまに仕える女官の大野仲千です。上台さまが戻られます。

すぐに門を開けて通すように」と仲千。

門を守る衛門舎人も官人だから、いまの政局は知っている。保良宮に移ったのは、孝謙太上天皇を内裏から移して、淳仁天皇を入れるためだろうと推測もしている。

太上天皇つきの女官が授刀舎人をつれて駆け戻ってきたのは、太上天皇のために内裏を占拠するためだと見当もつく。

仲千たちのようすから、淳仁天皇と孝謙太上天皇のあいだに亀裂きれつが生じたと、衛門少尉の佐伯伊多治は理解した。

「分かりました。壬生門を空けますか?」と伊多治が聞いた。内裏に入るには壬生門のほうが近い。

「工事中ですが、壬生門から内裏まで通れますか?」と仲千。

「はい。上台さまが還宮かんぐうされます。壬生門を開けなさい。内裏の正門も開けるように知らせなさい。

すぐに壬生門から内裏への道を片付けるように通達しなさい」と伊多治が命じる。

ホットした仲千が聞いた。

「衛門府は、大師さまの下におかれているのではありませんか」

「はい。しかし大師さまに命を下すのは、帝と上台さまだと心得ております。

帝からは何も聞いておりません。今回は留守官が置かれておりませんので、衛門府が上台さまの使者を内裏まで、ご案内します」と伊多治。

「では、だれか使いを法華寺ほっけじにやって、上台さまが戻られるから内裏に戻って支度を整えるようと伝えてください」と仲千。

「はい」

保良宮の馬場を出てから六時間。

大野仲千は内裏に入り、授刀舎人は残っていた舎人を集めて内裏の警護を始めた。

法華寺に残っていた和気広虫らの女官たちも戻ってきた。

「広虫さん。内裏を大師さまに明け渡さないようにしてください」と仲千。

「あとは、わたしたちにまかせてください。調度品も運び始めました。

わたしたちが根が生えたように居すわって内裏を守ります。

上台さまがお着きになるまで、お休みになってください」と広虫が寝床をとってくれたので、仲千は眠ってしまった。


「仲千さん。仲千さん」とよぶ広虫の声で仲千は起きた。

「いま、何こくかしら」と仲千。

「そろそろ夕方、とり(午後五時)の刻に入ります」と広虫。

「上台さまは着かれましたか」

「はい。着かれました。

仲千さんたちが内裏に入られたのを確かめられて、法華寺に入られました」と広虫。

「法華寺へ。なぜ?」と仲千。

「さあ…。歩かれた方たちが到着されはじめています。

みなさんは内裏で休養をとるようにと、上台さまがおっしゃっております。

内裏は授刀衛が警護していて、上台さまの許可がない限り誰も入れません」と広虫。

「帝は?」

「到着されています。帝は中宮院にお入りになりました。

大師さまは田村第に引きあげられました」と広虫。

結局、保良宮に行くまえと同じように、淳仁天皇は内裏を御座所ござしょにできなかった。

「内裏を守れたのね」と仲千。

「仲千さんのお手柄ですね。このまま内裏を守ってくださいとのことです」と広虫。

「広虫さん。こっちに残っていた元気な女儒で、わたしの足や腰などを揉んでくれる人はいないかしら」と仲千。

「腰ですか。うつぶせになってください。わたしが揉みましょう」と広虫。

「ほかには、なにかあった?」と揉まれながら仲千。

「上台さまが、鑑真がんじん大僧都だいそうずのところに使いをだされましたが、大僧都は体調がとてもお悪いそうです。それで東大寺の良弁ろうべん大僧都に、明朝、法華寺にくるようにと使いをだされました」と広虫。

「なんの、ご用かしら」

「もしかしたら上台さまは、ご出家をされるおつもりではないかと思います」と広虫。

「ご出家?」

「すでに鑑真大僧都さまから菩薩戒ぼさつかいを受けておられますから、すぐにでも、ご出家できます」と広虫。

「せっかく内裏を御座所にしたのに、どうして? いま? なぜ?」と仲千。

「さあ…。わたしたちには何もおっしゃっていませんが、良弁大僧都さまをお呼びになるのは、ご出家のためのようです」と広虫。


 

平城京に帰って五日後の五月二十八日に、淳仁天皇が大師の藤原恵美押勝の帯刀たちはき資人しじんを六十人増加する勅を出す。

すでに四十人の帯刀資人を連れ歩くことを許可されているから、合わせて百人の私兵が、四六時中、押勝の周りを警護することになる。これは異常な数だ。

内裏を孝謙太上天皇にとられたのは、恵美押勝にとっては痛恨つうこんきわみみだった。



六月三日。

みことのりをだすから、すべての官人を朝堂院に集めるようにと、孝謙太政天皇が通達してきた。

「どういたしましょう」と大納言の文屋浄三。

「詔の内容をご存じですか?」と藤原永手。

「こちらには、まだ届いておりません」と浄三。

「すると我々が署名するのは、いかがいたしますか」と永手。

「先の元正げんしょう太上天皇の詔には、太政官の署名や内印ないいんがないものもありました。先例せんれいがありますから、太上天皇の場合は署名や内印がなくても良いのではありませんか」と浄三。

「先例がありますか。それなら問題ないでしょう。

詔が届いてから、われわれが写しを作って署名いたしましょう。大師さまは、このことを、ご存じでしょうか?」と永手が、恵美氏の太政官たちにたずねた。

「田村第におられますから、知らせをやります」と押勝の嫡子の恵美えみの真先まさき

押勝には十一人の息子がいるが長男が早世していて、次男の真先が嫡子になっている。

藤原北家の永手も同じで、長兄が早世したので次弟の永手が氏の長者になっている。

真先の母は永手の妹の宇比良古なので、真先は永手の甥にもなる。

「帝には、わたしが知らせます」と淳仁天皇の兄の船親王が言った。

「お席は、どう作れば良いのでしょうか。大極殿に帝の玉座ぎょくざと上台さまのお席を並べますか」と押勝の四弟の藤原恵美巨勢麻呂えみのこせまろ

「臨席なさるとは決まっておりません」と船親王。

「本日、登庁していない散位さんいにも知らせるのでしょうか」と氷上塩焼。

「急にはムリでしょう。登庁している官人たちを集めるだけで良いでしょうねえ」と浄三。

そして二時間後に、五位以上の官人たちが朝堂院に集められた。淳仁天皇と孝謙太政天皇は出御しゅつごせず、大師の藤原恵美押勝も田村第から出てこなかった。

届けられた詔をみて太政官たちがためらったので、しばらく官人たちを待たせたあとで、藤原永手が孝謙太政天皇の詔を読んだ。


「このままでは草壁くさかべ皇子おうじ持統じとう女帝の息子)の血縁がとだえるから、女子ではあるが聖武天皇のあとを継ぐようにと、ちんは母の光明皇太后からいわれて政治をおこなった。そして淳仁を立てて今の帝にした。

それから時がたったが、淳仁は朕をうやまい従うこともなく、言ってはいけないことを言い、してはいけないことをした。そんなことをされるおぼえはない。きっと仏が修行のために与えられた苦難だと思って、朕は仏弟子となって出家した。

ただし政治に関しては、いつもやっている祭祀さいしなどの小さなことは淳仁が行えばよい。国家の大事だいじ賞罰しょうばつの二つの大本おおもとは朕が行う。そのように、みな理解せよ」


保良宮から帰ってきたときから、淳仁天皇と孝謙太政天皇が対立したことを官人たちは知っている。その原因は、孝謙太政天皇が寵愛ちょうあいしている道鏡という看護禅師にあるという噂も広がっている。

そして孝謙太政天皇は出家して、叙位じょい任官にんかん刑罰けいばつなどの国の政治は自分がやるから、淳仁は儀式だけをやれと宣言した。

詔をだしても淳仁天皇が無力になるわけではないが、内裏にいる孝謙太政天皇の存在は、ますます無視できなくなった。

孝謙太上天皇と淳仁天皇が対立したことで、二人をあやつる藤原恵美押勝の統制下に置かれていた都は、なにが起こるかわからない一触いっしょく即発そくはつの緊張状態となった。



六月二十三日。

保良宮からおくれて帰ってきて、そのまま実家に戻って寝込んでいた押勝の妻の宇比良古うひらこが亡くなった。

葬儀は、宇比良古の実家の北家の藤原永手が行った。

宇比良古の息子の、恵美真先まさき、恵美訓儒麻呂くすまろ、恵美朝苅あさかりはやってきたが、代理を立てて押勝は現れなかった。


 

八月十一日。

中宮院に住む淳仁天皇が、自分の勅旨ちょくしを太政官院(朝堂)に告げる者を決めたので、授刀衛じゅとうえいにも小さな変化がおこった。

大尉だった佐味さみの伊予麻呂いよまろが勅旨を告げる者になって、淳仁天皇の住む中宮院に仕えることになり授刀衛を離れたのだ。上官が離れれば下官だけで騒ぐこともない。

これで授刀衛のなかで、押勝の息がかかったものは授刀督じゅとうのかみの北家の藤原御楯みたてだけになった。



十月十四日。

聖武天皇夫人のあがた犬養いぬかいの広刀自ひろとじが亡くなった。

恭仁京で亡くなった安積あさか親王と、井上いかみ内親王と、不破ふわ内親王の母だ。朝廷が早々とあしぎぬや絹糸や麻布や米をとむらいに送ったから、密葬ですませるわけにもゆかない。

葬儀の日には、多くの官人が参列した。

遺族の席には聖武天皇の長女で二品の井上内親王(四十五歳)と、その夫で従三位の白壁王(五十三歳)。次女で四品の不破ふわ内親王(四十二歳)と、その息子の氷上ひかみの川継かわつぐと娘たち。従三位で参議さんぎの太政官と中務なかつかさのかみを兼任する不破内親王の夫の氷上塩焼(五十四歳)がならんだ。

伊勢斎王さいおうを長くつとめた井上内親王は、皇族のなかでも高い二品という地位をもっている。井上内親王は晩婚だから葬儀の席に幼い子をつれてきていない。夫の白壁王は仕事をしたことがないから、これまでに業績ぎょうせきもないが失敗もない。

不破内親王は十代半ばで結婚して四人の子がいる。夫の塩焼は若いころから次々と官職を歴任して、いまは中務卿で太政官という重職についている。

ずっと仕事をしているから、聖武天皇を怒らせて流刑された経験があり、「橘奈良麻呂の変」のときは次期天皇候補とされて孝謙天皇から警告されて、皇族から氷上塩焼に臣籍降下しんせきこうかした。


山部王は使用人が着る茶色の服を身につけて、従者たちに交じって葬儀の行われる本堂の入り口で参列者をながめていた。

登庁まえで顔を知られていないから、人が立て込んでいる入り口で貴族たちの姿と交友関係を、自分の目と耳で確かめたかったのだ。

「バカなまねは、およしなさい」と言いながらも、子供のころから山部王の世話をしてきて「ジイ」と呼ばれている土師はじの芳岳よしたけが、そばにいる。

淳仁天皇の兄の船親王と池田親王が通る。

藤原恵美押勝えみのおしかつの代理で、弟の巨勢麻呂こせまろもきた。巨勢麻呂は、いまは藤原恵美氏を名乗っている。

大納言で六十九歳になる文屋浄三は、代理をたてずに杖をついて通った。

もう一人の大納言の石川名足なたりは二週間前に七十四歳で亡くなったので、二人居るはずの大納言も文室浄三しかいない。

五位以上の貴族たちも、従者たちの案内で堂内どうないに入って行く。

従五位上になった四十五歳の藤原宿奈麻呂すくなまろがきて、「宅嗣やかつぐじゃないか」と声をかけている。中央官になった宿奈麻呂は、いまは造宮司をしている。石上宅嗣は従五位上で三十三歳になる。

従四位下で四十三歳になる造東大寺つかさ長官のかみの佐伯今毛人いまえみしと、従五位上で四十三歳の大伴家持やかもちが宅嗣といっしょにいた。亡くなった安積親王の内舎人うとねりをしていたことがあり、母の広刀自とも面識があった家持は、複雑な表情を浮かべている。

宿奈麻呂が、宅嗣と家持と今毛人の三人を呼びよせて、いっしょに堂内に入って行った。

しばらく間をおいて、宿奈麻呂の弟の田麻呂と雄田麻呂がきた。

それを見て山部王が近づこうとすると、からんできた男がいる。棒術ぼうじゅつの天才と評判の高い奈貴王だ。

「オイ。さっきから案内をまっているのに、わたしをムシするのか!」と奈貴王。

「えっ?」と山部王。

「わたしの案内はいつするのだ。しつけのできてない従者をおくな!」と奈貴王。

「お気にさわることをいたしましたか。申し訳ございません」と芳ジイがあやまったが、奈貴王は山部王の胸倉むなぐらをつかんだ。

「ここでは迷惑だから、こい!」と奈貴王が、山部王を引きずって人混みから離す。

「なんのつもり? わたしですよ」と山部。

「ペコペコあやまりながら聞け。山部」と奈貴王。

「奈貴王。なんのつもりですか?」と山部王。

「はやく、あやまるふりをしろ」と奈貴王。

「どうして?」

「この葬儀に来ているものは、田村第たむらだいに出入りしている者が多い。

そんな格好をして身元を知られると、へんにカンぐられる。はやく消えろ」と奈貴王。

「塩焼さんの従者は田村第に出入りするでしょうが、わたしの顔は知らないでしょう?」と山部王。

「ペコペコする。だれが、なにを考えているか、なにを知っているか、油断のならない時だから注意したほうがいい。目立つようなことはするな。腹をさぐられる」

「もしかして、心配してくれているの?」と山部王。

「バカ。手などつかむな! 謝っているマネをしろ。しないなら殴らせてもらう」と奈貴王。

「やめて」

「それでいい。しょんぼりして失せろ」

「ありがとうございます。どうぞこちらに、ご案内します」と芳ジイが、ペコペコしながら奈貴王を案内して堂内に入っていった。


「失せろ」と言われても、どこへ失せればよいのか困った山部王が、たぶん遺族いぞく控室ひかえしつには誰もいないだろうと、本堂の裏口から控室をのぞいたら人がいて、すぐに大声で呼びとめられた。

「どちらの従者ですか?」

青い服を着た三十歳ぐらいの女で、貴族の邸に仕える女従じょじゅう(女性の使用人)らしい。

「白壁王の…」と山部王が言い終えないうちに「あら、白壁王さまの。良かった。助かった」と女が近寄ってきた。かすれた声で、目も口も歯も大きい女だ。

「熱があるようなので、冷たい井戸の水をくんできてもらえますか」

見るとふすま(布団)をかけて少女が伏せっていて、同じ青い服を着た、もう一人の女従が経本きょうぼんを手にして風を送っている。

「聞こえていないの。おけに水を汲んできてちょうだい!」

「あなたは、だれ?」と山部王。

「わたしは井上内親王のご息女の、酒人さかひと女王に仕えるかさの理恵りえです」

「酒人…具合が悪いのですか?」と山部王。

「さっきから熱があるようだと言ってるでしょう。早く水を汲んできてよ」と理恵。

「わたしは、白壁の息子の山部です」

「息子。山部。知ってる? 毛野けのさん」と理恵が、少女の枕もとで風を送っている女を振りかえった。

「はい。お母上はやまとの新笠にいがささま。白壁王の夫人です。山部王は二十五歳で、まだ任官されておりません。酒人さまの異母兄にあたる方です」と小さな声で毛野と呼ばれた女が答える。

「ヘーエ、そう。あなたは二十歳ぐらいに見えるけど、カタリ? タカリ? それともユスリ?」と理恵。

「ハーアッ?」と山部。

「ともかく、さっさと水を汲んできなさい!」と理恵。

「わたしが?」

「見てよ。ほかに男はいないでしょう。さっき襖をもってきてくれた小僧さんがいるから、その辺を探して頼むのね」と理恵。

葬儀がはじまっているから小僧はいなかったが、寺の奴婢ぬひ(奴隷)がいたから水を頼んで、山部王は控室にもどった。

「すぐに水はきます。父の輿こしを用意させますから、お邸にもどられたらどうです」と山部王。

「父ねえ…」と理恵が山部王をジロジロ見た。

「かわいい顔して、いい度胸してるじゃない。あんた! 

どこまで成りすます気よ!

でも、ほんとうに白壁王の輿が用意されても帰るわけにはゆかないの。

まあ、聞いて。一昨日から具合が悪かったのに、今日の葬儀には出るようにと内親王さまの言いつけだから、途中で帰るわけにもゆかない。

いつもは、そばに呼びもしないくせにさ。貴族の家って色々あるのよ。

あなたが本物の白壁王の息子だったら、そんな使用人みたいな恰好で、葬儀の最中にこんなところに居るはずがないでしょう。

もしも万一本物だったら、それこそ色々あるのねえ」と理恵。

「ええ、まあ色々と。あなた方は乳母うばですか」と山部王。

「ちがう。乳母はいたそうだけど、体をこわして暇をとったらしい。そのあとで、わたしたちが雇われたってわけ。

あっちにいる人は山背やましろ毛野のけのさん。すっごく頭は良いけど、きもが小さくてねえ。

わたしは肝だけは大きいけど、あとは、からっきしダメ」と理恵。

「口も達者なようですが」と山部王。

「そんなことないわよ。毛野さんは子供のいない未亡人で、わたしは夫が通ってこなくなった女でね。どっちも子供はいないの。

内親王さまにとってはチリみたいなものだから、楯突たてつかないことにしてる。機嫌をそこねないほうが、酒人さまが楽だからね」と理恵。

聞いてはいたが、酒人女王は母親に可愛がられていないようだ。

「あなた方が雇われたときに、他戸おさべ王はご誕生されてましたか?」と山部王。白壁王は保良宮に行く直前に、他戸王の出生届をだしているはずた。

「誕生されていたわよ。わたしたちは働きはじめて、まだ二ヶ月だからね。

あら、どうして名を知っているの?」と理恵。

「気にしないで。ねえ理恵さん。

井上内親王は、他戸王を可愛がられておられるの?」と山部王。

「んー。どういうのかしらねえ。

庶民とはちがうから、それが普通なのかも知れないしね。

内親王さまも、子供のときから一人でいらしたと聞いているし。

でも、わたしの目から見れば、内親王さまは、お子たちをかまってない。って言うか、薄情はくじょうな母親よ。子供が好きじゃないのかもね。

白壁王は、お邸に見えると、必ず酒人さまに会いに来てくださって、寝つくまで遊んだり話をしたりしてくださるけどね。

でもね。あの方だって息子の他戸王には会いに行かないのよ。冷たいものねえ。貴族なんて」と理恵。

奴婢ぬひが水を運んできたので、「頭を冷やすのにお使いください」と山部王が手巾しゅきん(ハンカチ)を取りだした。

手巾は自分のものだから、薄紫の絹に白菊を刺繍した豪華なものだ。

「あら。きれい。あなた、ホントの本物なの?」と理恵が毛野に手布を渡す。

毛野が伏せっている酒人に見せた。

染色や織ものや服のデザインや香合こうあわせなどのファッション系は、山部王の母の新笠にいがさが大好きで、渡した手巾も新笠の好みの合わせ香がき染められている。

「お父さまの匂い」と手巾を手にした酒人が、上半身を起こした。

ふわっと甘い少女の香りが広がる。万人が納得する整った美少女ではないが、万人が妖艶ようえんだと感じる少女だ。

まだ八歳のはずだが、頬に張りついたおくれ毛や、かたむけた首筋や、手巾をにぎった指の先まで色気がある。ウトウトしながら、それまでの話を聞いていたのだろう。

「お兄さま?」と酒人女王が熱でうるんだ目を向けた。

山部王は生まれて始めて固まった。




           孝謙太上天皇(上台)

           淳仁天皇


藤原恵美氏      藤原宇比良古(北家) 一男 真従まより(故人) 

              ‖―――――――二男 真先まさき(太政官)

           恵美押勝(大師)   三男 訓儒麻呂(くずまろ) 

                      四男 朝苅(あさかり)  

        四弟 巨勢麻呂(太政官)

                         百済王明信

                          ‖

                      一男 嗣縄

藤原南家       豊成(左遷)―――――二男 縄麻呂(母 北家)       

                      三男 乙縄(流刑)


藤原北家    二男 永手(中納言 太政官)

        三男 真盾(大宰帥 太政官)

        五男 魚名

        六男 御盾(授刀督)     

            ‖

           恵美児従こより(押勝娘)

        七男 楓麻呂           


長皇子――――――――文室浄三(大納言)

           文室大市

            ‖

志貴皇子―――――――坂合部女王

           白壁王           酒人女王

            ‖――――――――――――他戸王

聖武天皇       井上内親王

  ‖――――――――安積親王(故人)

県犬養広刀自     不破内親王

            ‖――――――――――――氷上川継

新田部親王――――――氷上塩焼(太政官)

           陽候女王(押勝室)


      陰陽師  大津大浦

      看護禅師 弓削道鏡

      女官   飯高笠目

           大野仲千(永手室)

           久米若女(式家 雄田麻呂母)

           吉備由利(吉備真備娘)

           和気広虫

           百済王明信(南家 嗣縄室)

      女儒   藤原諸姉(式家 宿奈麻呂娘 雄田麻呂室)

           藤原人数(式家 宿奈麻呂娘 北家 魚名の息子室)


      授刀舎人 坂上苅田麻呂

           牡鹿嶋足

           伊勢老人 




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