一 波乱の藤原式家 藤原広嗣の乱
七三九年(
七三九年(天平十一年)の春。
三月二十三日の早朝に、
みかの原は
木津川の北側は山が迫って平地がせまく、その平地も北から南へのゆるい坂になっているが、川をこえた南側には広く平らな土地が開けていて明るくのどかな場所だ。平城京とそれほど離れていないので、早朝に都を立てば午前中に着ける。
天皇が都に戻るのは三月二十六日だから、内裏に残った
都の人口を半減させるほどの猛威を振るった
宇合が
なにかをしなければと思っても、しなければならないことを後回しにしているせいで、気だけはあせるのに何事にも身が入らない。宇合を亡くしてから、ずっと若女はこうなのだ。言いつけられることはできても、自分で決めたり動いたりすることが、めんどうでたまらない。
二十七歳の久米若女には、宇合とのあいだに今年で七歳になる息子がいる。宇合が亡くなったときは五歳で、まだ宇合の家族に紹介されていなかった。藤原一族に息子を認めさせたいが、どうすればよいのか、いまの久米若女には分からない。
許可をとって里帰りしても良いといわれたときに息子に会いに行こうと思ったが、「行こう」が「行かなくては」という義務感にかわって気が重くなる。息子が嫌いなわけではないし、会いたくないわけでもないが、なぜか、おっくうなのだ。
久米若女は、六歳のときから
若女は人形のように左右対称の整った顔立ちをした物覚えのよい子供だったので、早くから女官たちに覚えてもらえた。それが
成長すると女官になることのほかに、貴族と恋をしたいという夢が加わった。内裏で働く独身女性の多くが持つ夢だ。その夢を若女は手に入れた。だからかもしれない。宇合が亡くなったあとに、どうやって生きてゆくかの切りかえができない。
幼いころから内裏で働いてきた久米若女にとって、十八歳も年上の宇合は
宇合が生きていたころは、いまより、ひんぱんに実家である兄の家に帰っていた。
宇合が亡くなってからは、息子の成長を見聞きするのが辛くなった。一緒に喜び、一緒に心配する人がいなくなったからだろう。里帰りして息子に会っても、健康のことをたずねるぐらいで話がはずまない。
息子は年より小柄で、若女によく似た美しい顔だちをしている。もしも宇合の面影をしのべる子だったら違ったかもしれない。
なんとなく頭が重いから息子に会うのは明日にしよう…。久米若女は
「若女さん。久米若女さん」
いつの間にか眠っていたのだろう。顔見知りの
「お休みのところをすみません。もう
「ご用?」と起きて座った若女が聞く。
「
「あなたに使いをたのんだの? しょうがない人」
内裏につとめる女性の
若女のように子供のころから女童として仕えるのは下級官人の娘で、中、上級官人の娘は成人してから仕えはじめる。
大野仲千は、
そのほかに地方の
「そうねえ…」と若女。
内裏で働く女性たちの楽しみは
「お待ちしていますと伝えてくださいな。それから、わたし、今夜は食べたくないから」
「おかげんが悪いのですか?」
「そうではないけど、悪いけど仲千さん。伝えてくださいな」
「はい」
仲千が帰ったあと襖をたたみ、若女はあてがわれている場所を掃除した。若女のような
「若女」と低いささやきを聞いたときに、そら耳かと若女は思った。
「若女」まちがいではない。聞き覚えのない男の声がする。どうして内裏のなかで、男が自分の名を呼ぶのだろう。
「どなた?」と不思議に思った若女が外をうかがった。
「どなたは、ないだろう。久米若女。今夜、訪れると
「そのような文のことは存じませんが」
「こうして香を焚いて待っていたのに?」と石上乙麻呂。
「左大弁さま。なにか思いちがいをしておいでです」
「これまで何通も文をかわし、心を結びあった仲ではないか」
「たしかに二回ほど文をいただきましたが、読まずにお返ししました。このようなことをなさらないでくださいと、お使いの
「十二通、いや十三通だ。若女。おまえは、そのたびに喜んで返事をよこした」
「左大弁さまと文を交わしたおぼえはありません。
わたしは届けられた文も読まずに返しましたし、わたしから返事を送ったことはありません。なにか思いちがいをしていらっしゃるのでは、ございませんか」
「なかなか抜けだせなくて、さぞ待ち
それで、すねているのか」と乙麻呂。
ようすが変だと若女も気がついた。それに今夜は人がいない。
「お酔いになっておられますか。ここは内裏です。ともかく、すぐにお引きとり下さい!」と若女。
「やっと二人になれた。きげんを直してくれ。いま
「聞きわけのない。どうぞ、帰ってください。でないと人を呼びます!」と若女が乙麻呂を押しだそうとする。
「つれないそぶりで思わせぶりなことをする。そういうところが可愛いくてたまらない」と乙麻呂が、若女の腕をつかんで部屋に入ってきた。
「はなしてください。出ていってください。
この香は
わたしが待っているのは、ただ一人、宇合さまだけ。
左大弁さま。はなしてください!」
若女をおさえようとしていた乙麻呂が、いきなり若女の顔をなぐりつけた。たおれた若女のうえに馬乗りになって、さらに乙麻呂は若女をなぐった。
「宇合の名を口にするな! 宇合は死んだ。死んでしまった。藤原のやつらは、みんな死んだ!」とわめきながら、乙麻呂が若女の着ているものを引きちぎる。
若女は助けを呼ぼうとしたが、恐怖で声がでなかった。のしかかってくる乙麻呂が重く、
乙麻呂が若女の足を体で押さえつけた。足のつけ根に激痛が走しる。つづいて
そのとき勝部鳥女が入ってきた。
「……タスケテ」と若女が小さなカスレ声をだした。
「助けて! 鳥女さん。助けて!」少し声が大きくなった。
「なにをしているの!」と事情を理解した鳥女が、乙麻呂の肩を両手でつかんで離そうとしたが突き飛ばされた。ころがった鳥女は起きあがると、乙麻呂の
「痛い!」と乙麻呂の体が若女からはなれた。
「大変だ! だれか、だれか来て! 助けて! だれか助けて~! ケダモノ! 人殺し! ヘンタイがいるーゥ!」と、鳥女が大声で叫びはじめる。
乙麻呂が立ちあがって、着ているものを直しはじめた。鳥女は叫びつづけている。
人が集まってくる気配がしたが、若女は顔をうごかす力も残っていなかった。
「左大弁さま。ここで、なにをなさっておられます!」と、
「すぐに、お引きとりください。
笠目にうながされて乙麻呂が出て行く音がする。鳥女が若女の体を几帳でかくした。
「あの方、大弁官の石上乙麻呂さまでしょう?」
「なにがあったの?」と騒ぎを聞いて集まった女たちが、小声で話しているのが聞こえる。
「笠目さん。若女さんの鼻からもくちびるからも血がでています。
あのクソ野郎。女の顔をなぐったのよ。サイテイの畜生だよ!」と鳥女が、集まった女たちにも聞こえるように、大声で飯高笠目に告げた。
「けがをしているのですか。そばに寄っても良いですか」と言いながら、笠目が几帳のなかに入ってきた。
「たしか女医さんは、こちらに残っておられるはずです。
由利さん。連絡をして来てもらってください」と自分が連れてきた女需に、笠目が命じる。
鳥女が若女を抱き起そうとしたが、若女が悲鳴をあげた。
「どうしたの。ここが痛いの。
笠目さま。きっと足のつけ根の骨がはずれていますよ。
「なぐったの!」「最低」「本気で抵抗したのね」と集まった女たちの声の調子が、好奇心から怒りに変わってきた。
「どなたか、骨接ぎの先生を呼んでください」と笠目が言う。
「わたしがやります」と大野仲千が答えた。
「女儒たちは熱いお湯と、きれいな布を持ってきてください。ほかの方は、お引きとりください!」と笠目が女たちをさばく。
それらのようすをぼんやり聞きながら、若女は粉々に
いま死んでしまったら、父親のいない幼い息子はどうなるのだろう。こんなわたしが、息子のために何かできるのだろうか。
鳥女と笠目が、若女を着がえさせて寝かしてくれた。日が落ちて暗くなった室内に鳥女が明かりを
勝部鳥女は二十六歳になる采女だ。飯高笠目も
笠目がつれていた女儒が戻ってきて「女医さんは、すぐに来てくれるそうです」と伝えた。
「紹介しましょう。わたしのそばにおいている新しく入った女儒の
「お見知りおきください」と由利が頭をさげた。
「骨接ぎの先生をむかえに舎人をやりました」と大野仲千も報告にきた。
「お湯の具合を見てきましょうか」と由利。
「由利さんと仲千さんは、ここにいてください。
体を拭くのは女医さんが来てからにしましょう。
それで、若女さん。このあとは、どうしましょう」と若女のそばに座った笠目が聞く。
「どうするって。若女さんを見てよ。傷だらけよ。
左のほほが赤くなって目がつぶれている。決まっているでしょう。
あのケダモノを罰してもらいましょうよ」と鳥女。
「鳥女さん。あなたにも関係することなのですよ」と笠目。
「わたし?」と鳥女。
「だれが見ても、若女さんは暴力をふるわれて犯されています。
でも、これを訴えると、内裏での
「そうよ。まちがいないわよ」と鳥女。
「内裏での強姦罪は、犯した者も犯された者も罪になります。両方の友人も
「そんなバカな・・。悪いのは、あの男よ」と鳥女。
「鳥女さんの場合は連座でなくても、暴行罪でしょうか、それとも上官への反抗罪でしょうか。りっぱに犯罪者にされるでしょう」と笠目。
「ナゼ?」と鳥女。
「左大弁さまに手をあげて、烏帽子をとったでしょう?」と笠目。
「止めようとしただけよ。つかみやすかったから引っぱったら烏帽子がとれたのよ」と鳥女。
「こちらが騒がなければ、むこうも恥の
今夜、ここに残っていた女官や采女や女儒には口止めをします。そうすれば罪に問われません」と笠目。
「わたしは若女さんを助けようとしただけよ。
若女さんは、あいつに暴力をふるわれて大けがをしているのよ。被害者でしょ。
どうして、あのヘンタイを訴えると、若女さんや、わたしが裁かれるのよ。おかしいじゃない!」と鳥女。
「そう決められているのです」と笠目。
「笠目さん。もし、わたしが罪になるとしたら、どんな
「まさか。
「流罪って何年ぐらい。どんな扱いをされるの?」と鳥女。
「おそらく、つぎの
経験がありませんから、流刑先での扱いはしりません。
想像ですが、出身国の
「たしか下道由利って聞こえたようだけど、あなたは
吉備は国ではない。もっと、ずっと古い時代に、今の
「はい」と由利。
「わたしは
さすが出雲を滅ぼした吉備人だよね。よくもまあ新入りが、えらそうに言ってくれること!」と鳥女。
「知っていることを言っただけです。知らないことは口にしていません!」と由利。
「何百年も昔のことで、ケンカをしてるときですか!
いまは二人とも、内裏に仕える仲間でしょう」と笠目。
「あなた、いくつなの?」と鳥女が由利に聞く。
「二十一
「ふーん。いま言ったことホントだよね」と鳥女。
「はい」と由利。
「それなら、わたしは流刑になってもいい」と鳥女。
「鳥女さん?」と若女が、鳥女に顔を向けた。
「わたしは来たくて、ここに来たわけじゃないのよ。
わたしの夢は出雲の国で、わたしの言うことを何でもハイハイときく男を見つけて、子供をたくさん産むことだった。
だれも都に行きたがらないから、わたしが引きうけただけ。
どこに流されようと、たった一年でしょう。ひどい扱いをされないのなら行ってやるわよ」
若女が片手をついて半身を起こした。
「ありがとう。こんなことに巻きこんでしまって、ごめんなさい。
勝部鳥女さん。この、ご恩は生涯わすれません。
笠目さん。わたしは藤原宇合の妻で息子もいます。
亡くなったときに、宇合さまは正三位の
宇合さまのためにも、息子のためにも、あんな男と
「おおやけにしてしまうと、いずれは出仕されるご子息に、このことを背負わせることになりませんか?」と笠目。
「隠しても同じだと思います。噂はおさえられませんんし、あいまいにすると、かえって何を言われるかわかりません」と若女。
「そうね。どっちみち若女さんの子は、これを背負って宮仕えをしなければならないでしょう。なら裁いてもらって、あのクソが力ずくで強姦したことを、はっきりさせたが良いわよ。
そのほうが、あることないことを付け加えた噂よりはましよ」と鳥女。
「わたしも、そう思います」と若女。
「分かりました。若女さんは、藤原氏のどなたかと
「いいえ。宇合さまが亡くなられたときに息子は五歳でした。
五歳になったら、お
でも痘瘡の流行で正月の祝いもなく、連絡も取れないままに亡くなられたので、式家の方々は息子のこともご存じないでしょう。
まだ息子は、藤原式家に認められておりません」と若女。
「あのう…若女さんと宇合さんのあいだに、お子があることは、藤原
みかの原行幸の供ををしている藤原百能は、藤原
「子供の認知なら安心なさい。宮中の女たちが、あなたが宇合さまの妻だったことも、お子が生まれて宇合さまが喜んでいらしたことも知っています。
噂なら
お子の名は? いまは、どちらにおられます」と笠目。
「名は
「帝のお供で高位の方々は、みかの原におでかけですが、
明日、わたしが皇后宮に
「笠目さん。そのときに女医さんと骨接ぎの先生の診断書をもっていってください。明日になれば、若女さんの顔はもっとはれあがって、ひどくなります。似顔絵もお持ちになったらいかがでしょうか」と由利が助言した。
「あなたって、知恵がまわるのね」と鳥女。
「
「皇太夫人って、帝のお母上の?」と鳥女。
「はい。お耳に入れても何もなさらないでしょうが、皇太夫人もご存じだということが力になるかもしれません」と由利。
皇太夫人とは聖武天皇の母の藤原
「皇太夫人は、ずっと中宮院に引きこもって、帝にもお会いになったことがなく…そういえば去年の暮れに、なんて方だっけ? 長く
まって。ちょっと変な噂を聞いたわ。皇太夫人と、その看病禅師の仲が怪しいとかって」と鳥女。
「鳥女さん! あなたも流刑になるのですよ。いま、ここで、そんな話が必要ですか!」と笠目が叱る。
「その看病禅師は
身ごもった母を残して唐に渡った、わたしの父です。そのあいだに、わたしの母は亡くなりました」と由利。
「アララ…」と鳥女。
「若女さん。ご存じだと思いますが、宇合さまのご嫡子で、式家の当主の
わたしも父とのなじみは浅いのですが、広嗣さまが嫌われるほど悪い人とも思えません。父を通して、皇太夫人のお耳に届くように玄昉法師に知らせても良いでしょうか」と由利。
「広嗣さまは
おおやけにするのですから、どうぞ皇太夫人のお耳にも入れてください」と若女。
「女医さまがこられました」とお湯を運んできた女儒たちが知らせる。
若女は部屋に残っている石上乙麻呂の臭い臭いを消そうと、香炉を引き寄せて宇合が好んだ香を吸いこんだ。
もし光明皇后と宮子皇太夫人が助けてくれれば、きっと藤原氏が息子を守ってくれるだろう。おきてしまったことは、もう戻せない。これからは過去を
この夜のできごとが、宇合を亡くした
三月二十六日。
若女がおそわれてから三日後の早朝に、
二年余りつづいた痘瘡の流行で働き盛りの人が亡くなってしまったので、藤原一族も年長者がなく、いまの藤原氏のなかで一番年かさなのが三十五歳の南家の豊成だ。
「どうも、すいません。おまたせしました。ずいぶん早くお帰りになりましたね。
真夜中に、みかの原を立ったのですか?」と宿奈麻呂。
今日は天皇が平城京に戻られる日だということは知っているが、一緒に行った豊成が空が白みはじめたときに、なぜ式家に来たのか分からない。
豊成と宿奈麻呂はイトコだが、父親が十四歳も年の差がある兄弟だったので、宿奈麻呂は二十三歳。豊成は従四位下の
「お許しをいただいて、昨夜、帰ってきた」と豊成。
「兄がなにか?」と、まず宿奈麻呂が聞いた。
宿奈麻呂の兄で式家の当主の
「また広嗣が、なにかしでかしたのか?」と豊成。
「いや、そういうわけでもありませんが…。先月、兄が
「綱手は、たしか四男だったか。まだ二十歳になったばかりだろう」と豊成。
「そうです。綱手は、お
「たしかに気がかりだが、まあ九州は遠いから心配することもないだろう」
「そうですよね。大宰府にいてくれれば大丈夫ですよね」と宿奈麻呂。
「兄弟のことは、
わたしも、いつか弟の
「どうして仲麻呂さんが豊成さんを?」と宿奈麻呂。
「仲麻呂は、わたしの同母の弟で二歳下だ」
「ええ、それが?」
「それが、仲麻呂にとっては大問題なのだ。
たった二年だけ早く生まれた
仲麻呂は、それが腹にすえかねるらしい。
幼いころから嫌われていると思っていたが、このごろは敵意さえ感じることがある」と豊成。
仲麻呂は三十三歳。いまの藤原四家の中で豊成につぐ二番目の年長者で、叔母の光明皇后のお気に入りだ。世間では
「今回の、みかの原の
ところで宿奈麻呂。たしか、お母上は亡くなられたはずだな」と豊成。
「はい。痘瘡で亡くなりました、葬儀にきてくださったでしょう」と宿奈麻呂。
「あのころは、わたしも父上の葬儀の手配をして、そのうえ、毎日、毎日、叔父たちや親族や知人の葬儀がつづいたから、どれに出たのか、どれを代理ですませてもらったか、どなたが亡くなったのかの記憶があいまいで…。
そうだ! 思いだした。まちがいない。たしかに、おまえのお母上の葬儀にうかがった。亡くなっていた…それは良かった。なによりだ」と豊成。
「豊成さん。いま、母が亡くなって良かったって言いましたか?」と宿奈麻呂が怖い顔でにらみつけた。
「イヤイヤ、宿奈麻呂。怒らず気をしずめて聞いてほしい。
「話を、そらしましたね」
「そらしてない。そのうち分かる。久米若女を知っているか?」と豊成。
「会ったことはないけど、名だけなら知っていますよ。宮中一の美女と噂に高い女官でしょう」と宿奈麻呂。
「その久米若女が、宇合叔父の息子を生んでいる」と豊成。
「へえー。初耳です。父もやるもんですねえ」
「内裏では良く知られていて、わたしも百能から聞いて知っていた」と豊成。
「父の子なら、わたしの弟ではないですか。名や年は?」と宿奈麻呂。
「
そこでだ。
「豊成さん…。知っているもなにも、乙麻呂は、わたしの母の弟で、わたしの母方の叔父で、わたしは乙麻呂叔父の邸で生まれて育ち、兄が大宰府に赴任した三か月まえまでは、その邸に住んでいました。
どうしたのです? 熱でもあるのですか。それとも頭を叩かれでもしました?」と宿奈麻呂。
「どんな人だ?」と豊成。
「どんな人って・・・。なんなら医者を呼ばせますが」と宿奈麻呂。
「石上乙麻呂のことを、おまえが、どう思っているか教えてくれないか」と豊成。
「どうしてもというのなら…いいですよ。
乙麻呂叔父さんは、
「そこは知っているから、はぶいていい。おまえが感じたことを教えてくれ」と豊成。
「そうですね。固くて几帳面な人です。教養があって
「それも知っている。一緒にいて、どんな感じだ?」と豊成。
「一緒にいてですか。面白くないというか…。いえ。そうですねえ。
どう言えば良いかな。なんというか、父上と一緒にいると色々話すことができました。叱られたり笑ったりしてね。
石上の叔父さんと一緒にいると疲れます。そうしてか分かりませんが、長くいると頭が痛くなります。
そういえば、もしかしたら石上の叔父さんは、父を嫌っているのじゃないかと思ったことがあります。石上の叔父さんの父上を旧都に置き去りにしたのは、わたしたちのおじいさんの不比等ですからね。
それに父は亡くなったときに正三位でした。石上の叔父さんは、いまも豊成さんとおなじ従四位下でしょう。年は父と変わらないのに出世に開きがありましたから、
「やはりな」と豊成。
「石上の叔父さんには、
それで、どうしたのです? 急に石上の叔父さんの話などして」と宿奈麻呂。
「良いか。気をしずめて聞いてくれ」と豊成。
「なにを?」
「石上乙麻呂が、内裏で久米若女を強姦した。
そのことは内裏にいた女官たちが証言して、すでに皇后さまも皇太夫人さまもご存じだ。帝も知らせを受けとられた。明日にでも判決がでる。二人とも流刑だろう。
皇后さまは、残される若女の息子の身を案じておられる。宇合叔父の子だ。
どうした? 宿奈麻呂」と豊成。
「まってください。ついていけない。…ぜんぜん分かりません!
そういう難しいことは、だれか、ほかの人に言ってください。
わたしは次男で、まだ正七位下で、自分の邸もなくて、兄に代わって亡き父の邸をあずかっているだけで、まだ二十三歳で」と宿奈麻呂。
「もう二十三歳だろう。宿奈麻呂! 宇合叔父の嫡男は広嗣だ。広嗣はどこにいる!」
「…大宰府」
「頼れる兄か? 信用できるのか? さっきは気をもんでいただろう。
広嗣は素直ともいえるが、単純で気が短く物事の筋道が分からないうえに、早とちりをして、すぐに、かんしゃくを起こす乱暴な男だぞ。
それに、ここにいない。おまえはいる。
いいか。良く聞け。いまの式家の代表は、おまえしかいない!」と豊成。
「イヤだ!」
「嫌でも聞け! 光明皇后さまは、若女の息子の雄田麻呂を式家の子として育てて欲しいと望まれている。これは皇后さまの命令だ」と豊成。
「子供を引きうけることはできます。はい。弟ですから、それはできる。
でもバカな。なんとバカな。あんなに真面目な叔父が、どうしてです。どうして?
雄田麻呂ですね。わたしの弟。その雄田麻呂と、宅嗣を…。
宅嗣はイトコです。母が可愛がっていた、わたしのイトコです。
生まれたときから知っていて、わたしを兄のように慕ってくれて、わたしも弟だと思っています。なぜ叔父は、こんなバカなことを」と宿奈麻呂。
「たしかなことではないが、痘瘡の流行で多くの人が亡くなった。
あれから、だれもが悲しみや恐怖を引きずっている。それで心を病んだ者もいると聞く。乙麻呂も心の
乙麻呂は、何通もの文を持っていたそうだ。若女どのとの
心を
「ハアー」と宿奈麻呂がためいきをついた。
「フーッ」と豊成も息をはきだした。
三月二十八日。石上乙麻呂は久米若女を犯した罪で
石上氏は、古代豪族の
乙麻呂の事件のあとで、聖武天皇は行幸(天皇が宮城から出ること。
つぎの年の七四〇年二月、聖武天皇は
この二人は、このさきも、たびたび留守官に任命される。
五月に聖武天皇は右大臣の
そして六月十五日に天皇から
「七四〇年六月十五日
七月になって、一年五カ月ぶりで久米若女が下総国から奈良の都に帰ってきた。
秋七月も終わりのころに、久米の家に戻ってきた若女のもとに藤原式家から迎えがきた。
式家が息子の雄田麻呂を引きとることは流刑の前に知らされていたが、その式家の次男の母が石上乙麻呂の姉だということは、帰京したあとで若女は知った。そのときから雄田麻呂が、どんな扱いをうけているのか不安だった。
迎えの
女官は立ち仕事も多いから、無表情な顔をしていくらでも立っていられる。
すぐに若い男が入ってきたので、若女はていねいに
「藤原宇合の次男の、
「雄田麻呂の母の久米若女です。このたびは、お世話になりありがとうございます」と若女も名のる。
「どうぞ」と宿奈麻呂が椅子をすすめて自分も座った。若女も座る。そのまま会話がない。
乙麻呂の姉で宿奈麻呂の母が亡くなっていることは確かめているが、宿奈麻呂は乙麻呂の甥になるから若女に対してこだわりもあるだろう。無言で座っているのは息苦しいが、呼ばれた方だから話かけることはしないで、若女は静かに成りゆきを待つことにした。
黙ったままの宿奈麻呂の目線が若女に向けられて、頭の上でとまっている。結いあげた
「それ…」と、宿奈麻呂が自分の頭を指さした。
若女も手を頭にかざして「かんざし、でしょうか?」と聞きかえす。
「もしかしたら、父から?」
「はい。いただきました。見おぼえがおありですか」まさかと思うが、この人の母親と
「いいえ。はじめて見ました。いま、雄田麻呂を呼びに行かせます」と宿奈麻呂。
「なにをしているのでしょうか」と若女が聞く。
「さあ?」と宿奈麻呂が、若女を出むかえて傍らにひかえている女性を見た。
「
「息子と会う心がまえができておりません。さきに、そっと姿をのぞかせていただけませんでしょうか」と若女が切りだした。この邸で雄田麻呂が、どう扱われているのか普段の姿を知りたいからだ。
宿奈麻呂がためらいをみせた。そのあとで宿奈麻呂は、黙って若女のかんざしに目をすえる。またも無言の時に、若女の胸は不安でしめつけられる。
「わかりました。ヒナ
ヒナ女は目を上にむけて考えると「ございます!」
「若女さまを案内してください」と宿奈麻呂。
「宿奈麻呂さまは、ご一緒されないのですか」とヒナ女。
「わたし? 行く。はい。行きます」
そのやりとりを見て聞いて、宿奈麻呂の不愛想な態度に若女は世なれていない若さを見つけた。
宿奈麻呂は二十四歳と聞いている。
たがいの立場が複雑だから社交辞令もなく、ぎこちないのもしかたがない。わざわざ呼んでくれたのは、この子の親切心なのだろう。
若女は四歳違いの宿奈麻呂を、わが子の兄だから子もおなじと思うことで気が軽くなった。
若女は貴族の邸を知らない。呼ばれたことがないので、なかに入ったことがない。貴族のなかでも宇合は
若女が案内されたのは、新しい建物が見える低い
「わたしは次男で妻も子もおりません。式家の家長は長男の広嗣です。広嗣は知っておられますか?」と宿奈麻呂が庭に目を向けたままで、若女に聞いた。
「宴の席につかえましたから、お姿は拝見しております」と若女。
「兄とわたしは子供のころから勉強より体を動かしていることが好きで、このような遊び場を父がつくってくれました」と宿奈麻呂。
建物のまえは広く開けられていて、
「ご存じでしょうが、長兄の広嗣は
三弟は
「おいくつです」と宇合の孫になる子に目を向けて、若女が聞く。
「三歳で、
秦のおじいさんが感染を恐れて、妊娠中のアヤさんを都からはなれた
秦氏は
「四弟は
「どうして太宰府へ行かれたのですか?」と若女。
子供たちを見て説明していた宿奈麻呂が振りかえった。それまでは似ていないと思ったのだが、振りかえるしぐさがドキッとするほど宇合とそっくりだ。
「どうしてだか、わたしも知りたいです」と宿奈麻呂。
「広嗣さんと綱手さんは、同母のご兄弟ですか?」と若女。
「いいえ。二人とも武芸が好きで気が合ったようです」と言って、また宿奈麻呂は庭を向く。
「雄田麻呂の横で本を読んでやっているのが、十八歳になる五弟の
雄田麻呂は本を読んでもらっているのか。
「田麻呂は兄弟の中で一番やさしく、頭も良いので信頼して良い弟です。
そして種継と一緒に丸太に乗っている大きい方が、
父には雄田麻呂のほかにも認知していない息子が残されていると聞いて、南家の豊成さんが探してくれました」と宿奈麻呂。
「雄田麻呂とおなじ年ぐらいですね」と若女。
「体は大きいけれど雄田麻呂は八歳。蔵下麻呂は六歳です。
蔵下麻呂の母親は佐伯氏ですが、痘瘡で亡くなっています。そこで相談して、こちらに引き取ることにしました。ここから見える家屋に雄田麻呂と蔵下麻呂が住んでいます。下働きの
ほかには夫のいる姉が二人いて、そばに住んでいます」と宿奈麻呂。
涙がでそうなほど若女はホッとした。式家は、へだたりなく雄田麻呂をうけ入れて育ててくれていた。でも一人だけ田麻呂を真ん中にして座り、雄田麻呂と親しげにしている子を紹介していない。
「田麻呂さまの左側に座っておられるお子は、どなたでしょうか」と若女が聞いた。
宿奈麻呂が、ゆっくり若女に向きあった。
「若女さま。わたしの母が石上乙麻呂の姉だということは、ご存知ですか」と宿奈麻呂が聞く。
この話はさけて通れないだろう。若女も静かに宿奈麻呂と目を合わせようとしたが、宿奈麻呂の目線は若女の目より上にあって、翡翠のかんざしに向けられている。
「わたしの母は、父のあとを追うように亡くなりました。痘瘡です」
若女のかんざしに向かって、宿奈麻呂は言わなければならないことを話そうとしている。若女はだまって聞くことにした。宿奈麻呂が両手を握りしめたが、怒りを感じないから緊張しているだけだろう。
「うちも、ほかの方たちとおなじように、親戚縁者が近くに住んでいます。
石上乙麻呂の邸は路をへだてた西の辻向かいで、こことおなじ右京四条二坊のなかにあります。わたしの母は、亡くなるまで乙麻呂の邸の一部を区切ったところで暮らしていました。
わたしが生まれて育ったのは、その母の邸です。母が亡くなってからは、それを自分のものにしましたから、わたしの邸は石上乙麻呂の邸の一部になります」と宿奈麻呂。
邸は小さいが、久米氏も親類縁者が近くに集まっている。婚姻は
夫と一緒の邸に住むのは身分の高い正夫人だけだ。宇合の夫人のなかでは、先の左大臣の石上麻呂の娘である宿奈麻呂の母の身分が一番高いが、同居をせずに近くの石上乙麻呂のところにいたらしい。
人形のような顔の表情を変えず、若女は心のなかで乙麻呂をののしった。バカ。大バカ者! どうして、こんなに複雑な罪を犯した。なぜ、わたしだった?
「父に同居する妻はいませんでしたが、子供たちが遊びに来て泊まれるようにと、子供の家と遊び場を造ってくれていました。そこを改築して雄田麻呂と蔵下麻呂の家にしています」と宿奈麻呂が、かんざしに語りかける。
「おたずねの田麻呂の横で、雄田麻呂と一緒に本を読んでもらっている子は、石上乙麻呂の息子の
「痘瘡ですか?」と若女。
「いえ。産後の
「そうですか。それでは生まれたときからお母さまがなくて……」と若女が言いよどむ。
「父親は流刑中です」と宿奈麻呂がつづける。
「…かわいそうに。あのお子は、おいくつですか」と若女。
「十一歳です。わたしの母が、わが子のように可愛がっていました。
宅嗣は性格も頭も良い子です。幼いころから、いつも、ここで遊ばせていました」と宿奈麻呂。
若女は、思いっきり乙麻呂をぶん殴っている自分を想像した。守るべき石上家の家族があり、支えあうべき縁族の藤原式家がありながら、あのクソ麻呂。流刑先で
そして、おだやかな表情で静かに言う。
「わたしが穏便にすませれば良かったのでしょうね」と若女。
「そんなことをしたら父が怒ります」と宿奈麻呂が、かんざしに向かって首を振る。
「乙麻呂は、父の大切な家族を軽んじたのです。わたしの弟の母に暴力を振るったのです。叔父であっても、わたしは乙麻呂をゆるしません。
でも、わたしの母は、宅嗣を見捨てないでとたのむでしょう。子供に罪はありません。あの子たちも、いつかは官人として
雄田麻呂も可哀想ですが、父の罪を背負う宅嗣も哀れでなりません」と宿奈麻呂。
「子たちは事情を知っているのでしょうか」と若女が聞く。
「わたしは話していません。家のものにも口どめをしています」と宿奈麻呂。
「隠しごとは、もれやすいものです。とくに子供は思がけないところにいますから、色々なことを耳にしています。十一歳の宅嗣さまは,うすうす感じておられるでしょう」と若女。
「そういうものですか?」と伝えづらいことを伝えて気がゆるんだせいで、宿奈麻呂は全身に汗をかいている。秋七月といっても暑い。
「いずれ二人は宮中につかえますから、いまのうちから互いの人となりを知って欲しいと考えられたのですね」と若女。
「いいえ。わたしは考えると疲れるたちですから考えたわけではありません。ただ雄田麻呂も宅嗣も二人ともが哀れで、わたしにできることは二人の味方になることだけだと思っています」と宿奈麻呂の口調から堅さがなくなった。
「これからは宅嗣さまの方が、雄田麻呂より大変でしょう。
おっしゃるように子供に罪はありません。わたしも、できるかぎりのことをしましょう」と若女。
「良かった。そう言ってくださったのでホッとしました。若女さまは
「まだ好奇の目で見られるでしょうから、当分は家にいます。お声がかかりましたら、宮中で働かせていただきたいとは思っています」と若女。
「それなら、いつでも雄田麻呂を訪ねてください」と宿奈麻呂。
「ありがとうございます。そうさせていただきます。ところで宿奈麻呂さま」と
若女。
「はい」
「わたしのために、二度と式家の正門を開けないでください」と若女。
「はい?」
「式家の正門は格式高く世間にかまえているものです。
朝廷からのお使いや、藤原一族の方々のお出入りのほかは、めったなことで開けてはなりません」と若女。
「はい」
「わたしを通された部屋も、藤原氏の集まりや
「なんと呼べば?」と宿奈麻呂。
「ワクメ。さまは、いりません」と若女。
「呼びづらい」
「じゃ、若女さん」と若女。
「わたしも、宿奈麻呂さんと呼んでください」と宿奈麻呂。
「あなたは式家の方なのですよ。いずれ
「落ちつきません」
「しかたない。ウチウチでは、そうお呼びしまじょう。では宿奈麻呂さん」
「はい」
「このかんざしの向こうに、なにか見えるのですか?」と若女。
「そこから父が見ているようで‥…」と宿奈麻呂が赤くなってうつむいた。
「そういうことですか。
では心がまえもできましたので、雄田麻呂に会いに行きましょう」と若女が言う。
「お母さま! 来てくださったのですか」と雄田麻呂の顔がほころんだ。
若女は、かがみこんで息子の右手を両手でにぎった。暖かな小さな手だ。
「お母さまが来られるのを、ずっと待っていました。
もしかしたら、わたしがいるところを、ご存じないのかと心配でした」と雄田麻呂。
もともと久米の家にあずけていたから、始終、会っていたわけではないが、それでも月に二、三回は顔を見ていた。二年近くも遠ざかっていたのは、はじめてだ。
「元気そうで安心しました。みなさんと仲良くできていますか」と若女。
「田麻呂兄さんは、色々なことを知っているのですよ」と雄田麻呂。
「お世話になっています」と若女が、田麻呂に頭を下げた。田麻呂のはにかんだ笑い方は宇合の笑みに似ている。田麻呂は邪気のない目をした十八歳だ。
「宅嗣さん。雄田麻呂と仲良くしてくださってありがとう」
居心地が悪そうにしている宅嗣には、若女から声をかけた。どうしてクソ麻呂のところに、この子が生まれたのかと思うほど、利口そうな澄んだ目に光がある美少年だ。。
「わたしは、このようなお邸をはじめて拝見します。宿奈麻呂さん。子供たちに案内して見せていただいてもよろしいでしょうか」と若女が聞く。
「ええ。どこでも見てください。わたしも一緒に行きましょう」と宿奈麻呂。
「宿奈麻呂さんは、お気をつかってお疲れでしょ。
さあ、宅嗣さん。雄田麻呂。連れていってくださいな」と若女が二人の手をしっかりとにぎった。
女官は、色々な特技を持っている。
顔と名前のおぼえは良い。天皇のそばに上がれる五位以上の貴族の位や職や、それぞれの性格や好みや交友関係も記憶する。はじめて式家を訪れて、久米若女は宇合が残した藤原式家の家族をおおざっぱに
雄田麻呂を藤原氏が認めてくれれば安心だと思っていたが、その式家は頼りない青少年の集まりだった。でも、その青少年たちは、どこかが少しづつ宇合に似ていた。
八月に若女は式家をたびたびたづねて、宿奈麻呂や子供たちや邸につかえる従者とよぶ使用人たちとなじんでいった。
そして若女が都にもどって一か月半が過ぎた秋、八月二十八日の陽が落ちはじめるころに、再び宿奈麻呂が「すぐ来ていただきたい」と若女に輿を寄こした。
邸に着くと待ちかまえていたヒナ女が、はじめての日に通された部屋に案内する。
そこには、すでに藤原南家の豊成と、宿奈麻呂と田麻呂がいた。
「これは、久米若女さん。あいさつは抜きです。椅子にお座りください」と豊成が声をかける。
「わたしは立っております」と若女。
「急をようする家族会議だ。あなたにも、たのみがありますから席についてください。ヒナ女も、どこかに座って、いや。そのまえに、ここの
「
「それそれ、彼らも呼んできて立ち会わせなさい。それから、のどが
雄田麻呂を心配してきた若女は、それとはちがう大事が起こったことを悟って椅子に座った。すぐに子虫と弓明とヒナ女が座り、
「そろったところで、はじめよう」と豊成があらたまった声をだす。
「本日、
「まえに、それをして大宰府に左遷されたのに、どうして、また同じことを
「わたしもヤツの気がしれん。藤原一族のなかでは、わたしが一番高位にいて
なにを血迷ったかと思うのだが、近日中に広嗣が
ほかのものは訳もわからず、
「かなりまえから広嗣の不審な行動が、大宰府から報告されていたようだ。すでに帝や大臣は知っておられたらしい。
今日になって太政官会議で
わたしは、はじめて知った」と豊成は、みんなを見まわして言葉をついだ。
「朝廷は、広嗣の動きに関係なく、準備ができたら、すぐに討伐のための軍を編成するときめた」と豊成。
「朝廷の討伐軍って、兄を討伐するのですか。兄一人のために軍を作るのですか?」と宿奈麻呂。
「
「エーッと」と宿奈麻呂。
「大宰府に着かれて一年と九か月になります」と家司の子虫が答えた。
「綱手は?」
「二か月おくれて出発されました。到着なさったとの、ご連絡はございません」と子虫。
「広嗣から連絡は?」と豊成。
「到着なさったあとで、足りないものを送るようにと手紙が届きました。それを送りましたが返事はございません。そのあとは季節が変わるときに、大宰府に手紙と衣類を送っておりますが、ご返事がありません」と小虫。
「どんな文をだした?」と豊成。
「ごあいさつと、こちらの、みなさまのごようすと、必要なものはないかとか…お体をお大切にとかですね」と思いだしながら子虫が答える。
「広嗣から便りはなかったのだな」と豊成が念をおす。
「一度もありません。だから返事がないから心配だとか、ごようすを知らせて欲しいなどグチめいたことも書きました。余計なことをしたのでしょうか」と子虫。
「宿奈麻呂は、広嗣と連絡をとったか?」と豊成。
「いいえ。兄もわたしも手紙は書きません」と宿奈麻呂。
「田麻呂は?」
「連絡していません」
「子虫。おまえの手紙は広嗣には渡されずに、大宰府があずかっていると思う。
都にいる弟たちが、広嗣と関係がないことを示す証拠になるだろう。
大宰府に行ってから、広嗣と綱手は
隼人というのは九州南部を中心とする、まだ大和政権に完全に服従していない人たちのことだ。
「隼人の軍! なんのために? 玄昉と下道真備を討つためにですか。
九州から隼人をつれて都に攻めいり、宮中にいる僧侶と官人を討つつもりですか。
ワケが分からない。兄は
「たった一年九か月で南九州の隼人をまとめた。
そんな大声をださなくても、思っていたほど馬鹿でないことは分かる。
それだけの力と魅力があるのだろう。
だが宿奈麻呂、そういう疑問はあとにしてくれ。
いまは、この式家を守ることが問題だ。一両日中に広嗣は謀反人とされる。
軍を起こして帝にそむけば
連座というのは、事件に関係がなくても、罪人の家族や親しい友人を同罪として裁くことをいう。
「兄や綱手はどうなるのです」と宿奈麻呂。
「宿奈麻呂。そういう話はあとでしろ。
式家では、宿奈麻呂と田麻呂が成人しているが、あとは未成年だ。
連座になるのは宿奈麻呂と田麻呂だけですむはずだが、軍をひきいての反逆とは、ことが大きすぎる。いいか。みんな。
すぐにでも宿奈麻呂と田麻呂は
「わたしが?」と宿奈麻呂。
「罪状が決まるまでは邸で
邸で謹慎することができたら、門を閉めて
子虫。ヒナ女。弓明。日常の動きもひかえめにしろ。監視のものに疑われないようにしてくれ」と豊成。
「はい」「わかりました」と良く理解できないまま、子虫とヒナ女と弓明が答える。
「久米若女さん。痘瘡で式家は手慣れた奉公人も失った。もとから
それに宇合叔父の妻で残っているのは、あなただけなのだ。
宿奈麻呂と田麻呂が
「配流?」と宿奈麻呂。
「宿奈麻呂。わたしが帰るまで、その口を閉じていてくれ。
若女さん。わたしは式家をつぶしたくない。
あなたは女官としての経験がある。しばらくのあいだで良い。この式家を守ってくれないだろうか」と豊成。
「若女さま。弟たちをお願いします」と、それまで黙っていた田麻呂が静かに頭を下げた。
……雄田麻呂を藤原式家の一族に紹介するまえに、痘瘡が流行して宇合が亡くなって、石上乙麻呂に強姦されて、
「わかりました。できる限りのことはいたします」
「じゃ、わたしは
若女さん。心えておいてほしいが、藤原四家の中では、わたしの
若女は豊成の表情を読もうとした。南家の嫡男の豊成と次男の仲麻呂は、宴の席で同席しても言葉を交わすことがない。豊成は、仲麻呂のことを言っているのかも知れないが、表情からはうかがえない。
「わかりました。わたしは今夜から、こちらに泊まります。それから久米若女は誤解されやすい名ですので…」と若女。
「宿奈麻呂と田麻呂は成人していることだし、そうだな。少しのあいだ藤原
連絡ができるようなら家のものに状況を伝えさせる。わたしは、あちこちをまわるので、では、これで」と豊成はあわただしく去っていった。
豊成が式家に来たのが八月二十八日。
九月二日には、式家は
九月三日に、聖武天皇は藤原広嗣が兵を動かして反乱したことを告げ、大将軍に
九月五日には軍事担当の
平城京から九州まで十七日間。そのあいだに朝廷軍の兵士の数は四千人になっていた。
九月二十四日に、朝廷軍は北九州の隼人の
九月二十五日に
二十九日に、聖武天皇が大宰府管内の諸国(九州全域)に「広嗣の仲間であっても、広嗣を殺した者には高い位をあたえる。本人が殺されたときは子孫に位を与える」と
十月九日。藤原広嗣と朝廷軍が向きあった。
九州の南から北に向かっていた広嗣は、この日、隼人軍の
朝廷軍の勅使の佐伯常人と阿部虫麻呂が六千人の兵に命じて弓を射て
朝廷軍は都から連れてきた味方の隼人に「広嗣に従って朝廷軍に弓を引くと、罪は妻子や親族におよぶぞ!」と隼人語で呼びかけさせた。そのため広嗣軍の隼人は弓を射なかった。
「藤原広嗣。われわれは
「勅使がやってきたと聞いたが、勅使とはだれか」と川をはさんで広嗣が問いかける。
「佐伯常人と阿部虫麻呂だ」
「いま初めて勅使だと知った」と広嗣は馬をおり、二人に二度、二回の
「兵を集めて押し寄せてきたのは、なぜか」と佐伯常人が聞いた。
これに広嗣は答えず、
この日に隼人二十人と、広嗣に従っていた十人が川を渡って朝廷軍に下った。
朝廷軍と広嗣が向き合ったのは、この一回だけで、広嗣軍は矢を射返さなかったから戦闘はなかった。
十月三十日の夜に、約二か月ぶりで藤原豊成が式家を訪ねてきた。
「こちらにいらして、おとがめはないのでしょうか」と久米若女が気づかう。
「昨日、帝は旅にでられた」と豊成。
「どちらへ行かれたのですか」
「まず近江を通って
帝の供に四百人の騎兵を、
張りきって出かけた。
恐らく長い
いま都に残っておられるのは
太政天皇とは、聖武天皇に皇位を譲った
「どうして、こんなときに?」と若女。
「痘瘡で多くの人が亡くなったころから計画しておられた。六月に国ごとに
九月には、広嗣を討伐して国の
塔の高さや菩薩像の大きさから考えると、そこに造られる各国の
宿奈麻呂と田麻呂は、おとなしくしているか」と豊成。
「はい。この二ヶ月のあいだ部屋から出ておりません」と若女。
「九州から都に伝えられたことは従者に文を持たせて知らせたが、宿奈麻呂たちも知っているのか」と豊成。
「朝晩の食事の世話は、わたしがします。そのときに話しています」と若女。
「細かいことまでは書けなかったが、九州から都にとどいた知らせによると、官軍が広嗣を見たのは一度だけらしい。
そのとき広嗣は、天皇の勅使が官軍を率いてやってきたことが理解できなかったようだという。帝の命に背くつもりはないとも言ったそうだ。
広嗣が率いていた隼人軍は、途中で参加するものが増えて、板櫃川に現れたときには一万
ほかの道で綱手と、
もし広嗣に反逆心があれば、全軍を集めて戦闘ができただろう。
しかし広嗣は一矢も放たずに軍を解散して、自分は逃亡者となって行方をくらました。
広嗣は困った男だが、帝にむかって挙兵すれば大逆罪だということぐらい分かっている。知っているからこそ、板櫃川で勅使と話をしたのだろう。そこが、どうにも
わたしは帝の密命だといつわって、広嗣に挙兵をそそのかした者がいるような気がする」と豊成が言う。
「豊成さま」と若女が改まった。
「なんだ」
「大切なことで思いちがいがあっては困りますので、はっきりおたずねします。
豊成さまが考えておられる広嗣さんをそそのかした者とは、豊成さまの弟君の仲麻呂さまのことでしょうか」
整った美しい顔をしているから、真剣な表情になると若女の顔は
「どうして、そのように思われます」と若女。
「子供のころから相性が悪かったから、わたしの
だが、あれは異常なほどの
あれは人を
「広嗣さんを反逆者にして、仲麻呂さまが
「ない。しかし広嗣が非難しているのは玄昉と下道真備だ。
この二人を非難しても、広嗣には何の得もない。玄坊は
「下道真備さまは優秀な留学生です。皇太子の
「あるな。ある。唐の皇帝が認めたほどの秀才だから、これ以上の学士はいない。すると
仲麻呂は光明皇后に取り入っている。あとのお二人も取り込みたいだろう。
それなら玄坊と真備はジャマだ」と豊成。
「仲麻呂さまは、そんなに回りくどいことをなさるのでしょうか」と若女。
「あれはクモが糸を張るようなワナをしかけて、先の
まあ、すべて、わたしの
「広嗣さんと綱手さんは、どうなるのでしょう」と若女。
「軍を立ち上げたのだ。どうなろうと、もはや救うことはできない。
宿奈麻呂と田麻呂は連座で裁かれるだろう。
ただ光明皇后が、式家を残そうとしてくださっている。それだけが頼りだ。
久米
「お心配りをいただき本当にありがとうございます。
豊成さまの式家に対するご配慮を子供たちに聞かせ、生涯、忘れないようにさせます」と若女は、すっかり藤原式家の刀自になっていた。
次の日の十二月一日。
藤原広嗣と綱手の兄弟は、
広嗣たちは五島列島の
伊勢や
十二月十五日に、みかの原まで戻ってきた聖武天皇は、いきなり「ここを
一カ月半の長旅で近江国、美濃国、伊勢国の
みかの原には
つまり都でも町でもない田舎の別荘地だ。
遷都の
七四一年の元日の
豊成は叔母の光明皇后の同意をもらって、藤原氏がもらっていた五千戸の
一月十五日。不比等の食封を返納するという豊成の奏上にたいして、聖武天皇が三千戸は諸国の
一月二十二日に、死罪二十六名。官位はく奪五人。
外からの陽光が入らない部屋に、冬の寒さが居すわっている。
四か月半の
「二人とも良く耐えましたね。明日の早朝に
「流刑先で、どんな、あつかいをうけるのでしょう」と宿奈麻呂。
「それよりも、まず護送車です。窓がありませんし、座る場所もなく床だけです。
つまり
さいわい柱や
「若女さんも、そうしたのですか」と宿奈麻呂。
「わたしは怪我が治っていなかったから大変な思いをしましたが、
若女の姿を想像した田麻呂の口もとがゆるんだ。
「そうやって笑ってください。いいですか。
どんなときでも、なにか楽しいことをみつけてください。
あなた方には罪も責任もありません。広嗣さんと綱手さんは、自分で自分の道を選んだのです。お二人の最期を思いうかべて悲しむのは、なるべくやめてください。
心が痛むときは本を読みなさい。それでも苦しいときは大声で
一番苦しいのは
笑えるなら護送車が揺れるたびに、わたしの姿を思いだしなさい。
いつも心はすがすがしく
流刑地に着いたら、疑われるようなことを言ったり、したりしないでください。
あなたたちは連座で流刑される藤原一族です。やがて
藤原氏は、どんな手段を使ってでもジャマ者を除いて権力をにぎる一族として恐れられています」と若女。
「そうなのですか」と田麻呂。
「はい。恐れられて嫌われています。
だから安心なさい。あなたたちをムダに苦しめる人はいないはずです。
静かに恩赦になるときを待ってください。
藤原式家は、あなた方が引きついでいかなくてはならないのです」と若女。
残される
「宿奈麻呂兄さん。田麻呂兄さん。必ず元気で帰ってきてください」
そして宿奈麻呂は伊豆へ、田麻呂は
「広嗣の乱」は式家には一大事だったが、遠い九州でのできごとなので都の人への影響はなかった。しかし
天皇の
これで貴族たち(五位以上の官人)は、恭仁京からはなれることができなくなった。
犯罪者の家族として平城京に残された式家を、久しぶりに南家の藤原豊成がたづねてきた。
「鈴鹿王は恭仁京に呼ばれたが、わたしは留守官のままで、
「広嗣さんを討伐に行かれた官軍の大将軍ですね。娘の
「あの方は高齢で、広嗣を打ちとった功で官位もわたしより上だ。
私的な話はされないし、仕事は
今日うかがったのは、式家も恭仁京に宅地が与えられると決まったことを知らせにきた」と豊成。
「それは、ありがとうございます」と若女。
「いただいた宅地に邸を建てなくてはならないが、急な遷都で材木が不足している。ご存知かもしれないが、木は
宮城でも
わたしも遷都は始めてで、なにも分からない。
建材として使う材木の調達がむずかしいので、平城京の邸をこわして古材を使うことになるだろうと、だれもが頭を悩ませている。
助けにはならないが、あらかじめ心えて欲しいと知らせにきた」と豊成。
「わざわざ、ありがとうございます」と若女が丁寧に頭を下げた。
青葉が美しい季節なのに、豊成が帰ったあとで若女はため息をついた。式家の内情は楽ではない。
相続の配分は律令で決められていて、
式家の嫡子は広嗣で、広嗣が四、正妻は痘瘡でなくなっているから相続なし。認知されていた
宇合が残した式家の財産は、反逆者の広嗣が四、綱手が二の割合で相続していたが、これは国に没収された。
「広嗣の乱」のあとで、聖武天皇が「
そのうえ成人している二人が流刑中で、あとは子供ばかりだから
遷都のときは、土地は国が場所を決めて無料で提供してくれる。邸を建てるための費用も国が用意してくれて稲が支給されることが多いが、今回は
財政面は国がささえてくれるのだが、支給される額で全てをまかなえるわけでもない。
むだな出費はおさえて子供たちのために貯蓄したいのに、建材不足のなかで邸を建てろといわれても若女にはため息しかでない。
「久米刀自さん。豊成さんがいらしていたけど、また困ったことがおこったの?」と明るい声をかけて、亡くなった式家の三男の清成の未亡人の
「アヤさん。女は無力よね」と若女。
「なに、なに」とアヤと呼んでいる彩朝が、若女のそばに座って身を乗りだした。
今年で五歳になる宇合の孫の種継の母で、若女より八歳年下の二十一歳だ。
「恭仁京に、式家も宅地がいただけるそうです」と若女。
「それは悪いことかしら。恭仁京が都になったのだから、式家が宅地をいただけるのは良いことでしょう。どうして、ため息ばかりついてるの」とアヤ。
「お邸を建てなければならないけど、どうすれば良いのか分からなくて。
これ以上、ほかの藤原氏の方々にご迷惑はかけられないし、久米の兄に相談してみるけれど大した力にならないでしょうし」と若女。
「恭仁京の石垣の工事は秦氏が
父に頼んで、だれか相談できる人を紹介してもらいましょう。
ねえ。久米刀自さん。わたしも恭仁のお邸に一緒に住んでもいいかな」とアヤ。
「邸といっても、造ることができるのは恐らく小さな小屋だけよ。
アヤさんは若いし、罪人をだした式家に義理立てしないで、自由に生きたらどうなの」と若女。
「式家が栄えていたら、そうする。でも、いまの式家は見放せないわよ。
それに息子は藤原氏だし、子供たちのために、やるっきゃないでしょう」とアヤ。
秦氏は古くから日本にいる
「あなたって人は! ありがとう。
じゃあ子供だけの小さな所帯だから、みんながおなじ
「うん。それも楽しいかも」とアヤ。
「
「久米刀自さんは?」とアヤ。
「わたしは自分の部屋を持ったことがないの。子供のころは
アヤの実家の秦氏の助けで、若女は宇合が造った平城京の邸をこわすことなく、恭仁仁京に与えられた宅地に家族や使用人が一緒に住める一棟だけを建てて移って行った。
七月十日に、それまで平城宮を離れることがなかった六十一歳の
その行列を見るために、若女とアヤは子供たちを連れてでかけた。すでに多くの人が集まっている。恭仁京は宮城になるはずの北が高く、木津川に向かってゆるやかに低くなっている。その木津川を挟んだ南側は大きく開けている。
「長屋王の変」で妹の
遠くて良く見えないのだが、ときどき歓声があがるのは天皇が動くからだろう。
「見えるか? 種継」と雄田麻呂が聞いた。
いまの式家の最年長者が九歳の雄田麻呂だ。
「見える」と四歳の種継が答える。
「
「大丈夫だよ。雄田麻呂兄さん」と七歳になった蔵下麻呂。
「キタ、キタ!」と雄田麻呂のとなりで見物していた男の子が声をあげた。
太政天皇の行列が近づいてくると、庶民の歓声が大きくなった。
「キタ。ドコ。見えない」と、となりで見物している男の子がさわぐ。
「ふつうは見えないのが天皇や太政天皇よ。帝は太上天皇に育てられた方だからね。太上天皇が恭仁に移ってこられるのは、人前に姿を現すほどうれしいのでしょうけどねえ。今の帝がヘンなのよ。
それに、なんだって、こんなところに都を移しちゃったのだろう。真んなかを川が
天皇のことを批判すると罪になる。若女とアヤは母子の会話を聞いて二人を見た。見て、さらにビックリした。
息子は種継と同じような歳ごろだ。貴族の子のような
母親はアヤと同じ歳ぐらいだろうか。結いあげた髪の上に
女性の
若女とアヤに見られた母親が、気さくに声をかけてきた。
「ねえ。そう思うでしょう。でも、こうやって太上天皇を待っている帝を見るとね。親しみが
太上天皇と皇后に
若女とアヤは少しだけうなずいた。
「
「ギョーキサン、いない」と、その女の子供がいう。
「太政天皇のおでましだもの。あんなボロ服集団は、見苦しいから追い払われたのよ」と息子に答えながら、母親がキラキラ光る眼差しを若女たちにむけて指をさした。
「ホラ。そこの河原に石や丸太が積んであるの、見える?
一度、見にくると良いわよ。すごい。
川の流れや、雨で増水したときの水の深さを測って、橋の強さや高さを計算して架けるんだから」とハデな女。
行基という僧の噂は、若女も聞いている。
はじめの内は
朝廷の
行基の弟子は、土地を捨てて逃げてきた
行基は工事をする土地のそばに道場をつくり、そこに彼らを寝泊りさせた。行基の集団は、水田に水を確保する
国からの援助もない
金銭が必要になると
さいしょは
「そろそろ帰ろうか。みんなが引きあげるのにぶつかると混んじゃうから」と母親が息子をさそう。天皇が自分の
「太政天皇、見てナイ」と息子。
「待っても輿から出てこられないよ。帝も車に戻られたから、あとは帰られるだけよ。では、おさきに。
あとを追いながら男の子が振りむいて、「オダマロ。クラジマロ。タネツグ」と一人一人を指して「ジャーァナ」と手を振った。
「横で聞いてただけなのに、あの子に名をおぼえられた…」と雄田麻呂。
「呼びすてにしたよ」と蔵下麻呂。
「変わってるわ。山部って
「それはないでしょう。あの衣装は高価なもの。でも話し方はきどりがなさすぎるし、行基さんのことを親しそうに話していたし、いったい何者かしら。
さあ、わたしたちも混まないうちに帰りましょう」と若女も子供たちをうながした。
八月二十八日に、平城京の東西の
九月八日。恭仁京遷都を祝って
「広嗣の乱」で連座した宿奈麻呂と田麻呂は半年余りの流刑で、この大赦で許された。
このときに石上乙麻呂も許されて帰京することになった。こっちは二年半弱の流刑だから、久米若女が暴行されてから、まだ二年半しかたっていないのだ。
若女が襲われたときに助けてくれた
その笠目からは慣れた女官が必要なので、いつでも戻ってきて欲しいと若女に手紙が届いている。しかし若女は式家にとどまって、帰ってくる宿奈麻呂と田麻呂のために新しい棟をそれぞれに建てはじめた。式家が立ち直るまで若女は式家をはなれる気がない。
出雲に帰った
新入りの
十八年も留学した唐で
伊豆から戻ってきた二十五歳の藤原宿奈麻呂は、
宿奈麻呂も妻をもらって、翌七四二年には
十九歳になった田麻呂は流刑中に色々思うことがあったようで、隠岐の島から帰ってくると
それでも
いまの世の中は不安定で、さきが分からない。
四年前の七三七年(天平九年)は
三年前の七三八年正月に、四人の兄を亡くした光明皇后に泣きつかれて、聖武天皇は二人のあいだに生まれた二女の
これが、いま問題になっている。このまま阿部皇太子が即位したら安積親王に皇位を渡さないのではと、あやぶむ人が多い。元正太上天皇も、その一人だ。
それには訳がある。
十四年前の七二七年に、まだ聖武天皇の
基皇太子が亡くなった年、別の夫人の
光明皇后をはじめとする藤原一族は、基皇太子が亡くなったのは広刀自夫人が
生まれたときの基親王と安積親王は、長男と次男の差はあったが臣下出身の夫人を母とする同格の皇子だった。
基親王が夭折したのだから、つぎの安積親王が第一皇子で皇位継承者になる。
律令に忠実な左大臣の長屋王が、国家を呪っていると、えん罪をきせられて殺されるのは、基皇太子が亡くなって五ヶ月後の七二九年二月で、その六ヶ月後の八月に光明皇后が正妃になった。
これれで光明皇后が皇子をもうければ、その皇子が夫人所生の安積親王をおさえて皇位
長屋王一家を葬り去ってまで、藤原氏は安積親王に皇位を渡したくなかった。
ところが十六歳で父になり二男三女に恵まれていた聖武天皇が、二十七歳のときに生まれた安積親王を最後として子に恵まれなくなった。
聖武天皇と光明皇后は、今年で四十歳になる。これから二人のあいだに皇子が産まれることは、ほぼない。
だから阿部皇太子が即位したあとで、安積親王に皇位を渡すかどうか、先がまったく分からない。
敏達天皇・・・・・美努王
‖――――――――――――橘諸兄(右大臣)
‖ 橘佐為
橘三千代(県犬養氏)
‖――――――――――――光明皇后
藤 原不比等 ‖
‖――――阿部皇太子
元正天皇(文武姉・太上天皇) ‖――――基親王(夭折)
文武天皇 ‖
‖―――――――――――聖武天皇
藤原宮子(不比等・長女) ‖――――安積親王
県犬養広刀自
藤原式家 宇合――――――――――――広嗣(謀反で斬首)
宿奈麻呂
清成(死亡)――種継
綱手(謀反で斬首)
田麻呂
雄田麻呂
蔵下麻呂
宇合
‖―――――――――――――藤原宿奈麻呂
姉
石上麻呂――乙麻呂――――――――――――石上宅嗣
×
久米若女
‖―――――――――――――藤原雄田麻呂
宇合
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