深淵の殺戮者①

 ヌルベン王国とレガルス教会国の国境沿い。その近くにある森の中で、深淵蜘蛛アビススパイダーのベオークは静かに息を潜めていた。


(数はおおよそ5万。小国にしてはかなりの兵力........)


 ヌルベン王国に攻め込むのを今か今かと待つ兵士達は、夜の番を取りながら闇の中を照らす焚き火に当たっていた。


 月明かりすらも覆い隠す曇天。その闇から解放されるかの如く揺らめく炎は人々に安らぎを与える。


 誰もが落ち着いた表情の中、その影の中に自分達を容易く殺しうる魔物が潜んでいるとは思いもしていない。


(それにしても、ヌルベン王国はなぜこれだけの兵力が集まっていることに気づかなかった?少し監視していればわかりそうなものなのに)


 ベオークは、ヌルベン王国がなぜこの現状を手遅れになるまで気づけなかったのか理解できなかった。


 兵を動かすということは、それだけ物資や人が動くという事だ。


 例え移動する兵士達を見逃していたとしても、戦争が起こる兆候がどこかで見られるはずである。


(“千里の巫女”とやらに頼りすぎた弊害?密偵などは送らずに、“千里の巫女”の目だけで見てきたからそれに頼ってた?)


 半分正解である。


 ヌルベン王国は代々、“千里の巫女”の目に頼ってきており、他国の情勢はその目を通して把握している。万が一、“千里の巫女”を失った場合も想定して、色々と対応する為のマニュアルもあったのだが、“千里の巫女”の死因を探るために力を注ぎすぎて対応が遅れてしまったのだ。


 これが半分正解。


 もう半分は、レガルス教会国に幻術を使う者がいるという点だ。


 持っている魔力量が多ければ抵抗出来る程度の幻術だが、一般人にはかなりの効果がある。


 物資の移動などにもかけられた幻術は、本人の意思がなければ解除されることは無い。


 その為、商人達は戦争の動きを捕えることが出来ず他国にその情報が流れることもなかった。


 レガルス教会国の白金級プラチナ冒険者“幻影”ゲートルがなせる技である。


 尚、本人はとんでもない量の仕事を押し付けられ、過労死寸前にまで追い詰められていたが、それも今日でおしまいだ。


 その幕引きが死である辺り、ある意味過労死と言えるだろう。


 現在もゲートルの異能は展開中であり、ヌルベン王国から見た国境部は実に静かなものだ。


 保有魔力の多いベオークやその子供達の目を騙すことは出来ないが、一端の兵士程度の目は簡単に欺ける。


(この調子だと明日の早朝辺りに攻撃を仕掛ける。ジン、早くしてくれないかな)


 ベオークは、ウズウズしていた。


 他の厄災級魔物達が国を滅ぼす仕事を与えられる中、ベオークは情報収集と言う地味な仕事を任せられた。


 ベオークもこの仕事を初めて二年近くたっている。情報の重要さは分かっているし、自分達の仕事のデキによって仲間の行動も変わってくる。


 他の厄災級魔物達は毎度仁に褒められるベオークの仕事を羨んだが、ベオークとしては偶にでいいので派手に暴れてみたかった。


 今の仕事に不満はない。毎度毎度優しく頭を撫でてくれる仁やお礼を言う花音を見て悪い気はしない。


 しかし、力は時として振るわれるべきであり、己の力の限界を試してみたかった。


(子供達には逃げられないように国全体を覆ってもらっている。かなりのリソースを吐いたけど、まぁ、我儘の1つぐらいいいよね)


 ベオークが心の中で独り言を言っていると、念話蜘蛛から報告が入ってきた。


 “こちらの作戦は終了した。後はお前達の出番だ。頼んだぞ、ベオーク”


 ベオークは“任せろ”と言わんばかりにその手を軽く上げると、念話蜘蛛にその場から撤退するように指示を出す。


 そして、念話蜘蛛が撤退したのを確認した後、ベオークは動き始めた。


 「シャー、シャシャ(誰一人として生きられると思うなよ)」


 魔力は高まり、彼らは深淵の世界を覗く。


 深くどこまでも落ちていく闇の世界に誘う為の第一歩。


 ベオークは告げた。


 終わりの始まりを。


 「シャ(深淵アビス)」


 ━━━━━━━━━━━━━━━


 国境部で身体を休める兵士の1人は、明日の戦争に備えて武具の手入れをしていた。


 その隣では、床に寝転がって欠伸を大きく開ける同僚もいる。


 「遂にこの剣が輝く時が来るのか........そう思うと、震えてくるな」

 「震えるって何がだよ。もしかしてビビってんのか?」

 「び、ビビってねぇよ!!これは武者震いって奴だ!!」

 「ハハッ、声が震えてるじゃねぇかよ。やっぱビビってんだな」


 比較的平和なレガルス教会国は、ここ百数十年戦争をしていない。彼が初陣を済ませまのも盗賊を討伐した時だ。


 戦争を経験したことがなければ、震えてしまうのも無理はない。彼らが赴く戦場と言うのは、血を血で洗う殺し合いだ。盗賊とは訳が違う。


 しかし、英雄に憧れた彼はここで怖気付く訳には行かなかった。


 「ここで戦果をあげれば母さんや妹を楽にしてあげれるんだ。頑張るよ」

 「あー確か、母親が病気になったんだっけ?しかも、かなりの難病だとか」

 「うん。治せるには治せるんだけどね。お金が凄いかかるから、妹も必死に働いてるよ」

 「あの店だったな。料理の修行をするんだっけ?」

 「一流料理店に務めれるようになれば、給料もいいからね。妹は手先が器用で物覚えもいいから、行けるはずだよ」

 「大変だな」

 「まぁ、ね........ところで、どれだけの人が集まったんだい?」


 ほんの少し気まづくなってしまった空気を変えようと、彼は話題を変えた。


 彼と話す同僚には親が居ない。孤児から実力で這い上がり、教会騎士の一員になった叩きあげだ。信仰心はほとんど無いが、その分実力がある。


 親の話はあまりしないようにしているのだが、どうしても会話の流れで話す時は多々あった。本人は気にしてないようだが、やはり気を使ってしまう。


 同僚もそれがわかっている為、強引な話題転換に乗ることにする。


 「約5万だそうだ。農民と奴隷も来ているようだな」

 「奴隷も?肉壁役って事かな?」

 「だろうな。まぁ、魔物モドキが何人死のうがどうでもいいだろ。所詮人には劣る下等種族だしな」

 「そうだね。僕らの役に立てるんだから感謝して欲しいぐらいだよ」


 正教会国側のイージス教を信仰する彼らにとって、人間ではない種族は全て魔物と同義だ。


 これが彼らにとって当たり前であり、自然の摂理である。


 そこに悪意はない。ただそれが当然だと受け入れている。


 「農民は大丈夫なのかな?彼らはまともな戦闘訓練を受けていないだろ?」

 「知るか。俺に聞かずに本人に聞きにいけよ」

 「そんな言い方はないだろ?彼らは僕達と同じ人間なんだ。心配のひとつでもするのが人さ」

 「はいはい。信仰心の高いお方は随分と志がこうございますね」

 「おい──────」


 その時だった。


 突如として膨大な魔力が渦巻き始めたのは。


 彼と同僚は、魔力が渦巻く方向を見る。


 「なんだ?誰か魔法でもぶっぱなすのか?」

 「いや、そんなレベルじゃないぞ!!人間が保有する魔力を逸脱している!!」


 彼が慌ててテントから飛び出すと同時に、足元が黒く染まる。


 焚き火の火は消え、月明かりすらも無い空の下で暗黒だけが世界を支配する。


 「な、何が起きて────────」


 彼の言葉はここで途絶えた。







新作あげてます。一万字程度の短編なので、よかったら読んでみてください。

『一万歩の旅路』

https://kakuyomu.jp/works/16817139557632318349/episodes/16817139557636151826

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