第24話 月虹
向日葵がタブレットでYou Tubeを開いて延々と旅人You Tuberのリポート動画を眺めている。
彼女は時々発作的に『ここではないどこか』へ行きたくなるらしい。椿と一緒に暮らし始めてからもワンシーズンに一度は一泊二日の旅に出かけている。「近場で」と言いながら平気で東京や名古屋に行く。出不精な椿からしたら大遠征だが、置いていかれるのも嫌でしぶしぶついていく。
生活の拠点としては実家を出る気はないそうだから、逆に帰れる場所があるからこその無茶なのかもしれない。それはそれで幸福なことだ。経済的にも時間的にも体力的にもゆとりがある証拠だ。行く先々で友達とも会うようだし、向日葵は自分とは対照的な人生を送っている。
「ねえ椿くん」
また旅行に誘われると身構えた。
「飛行機乗ったことある?」
「あるよ。高校の修学旅行が北海道やった」
そこまで馬鹿にしないでくれるか、と言いそうになったが、やめた。何せ向日葵は学生時代にアジアをさまよい歩いた女だ。椿と結婚する直前の夏にも美也子とウズベキスタンを旅行したらしい。国境を渡るなど椿にはとてもとてもできない。
「……乗りたいん? 飛行機」
椿からしたら新幹線でも結構な冒険なのに、今度はどこと言い出すのだろうか。
「あのさあ、静岡空港からさあ、沖縄行きの便が出てるんだよねえ」
「沖縄……」
「そろそろ寒くなってきたし、南国へ」
「僕からしたら沼津も南国やで」
「もっとあったかいところ」
「静岡県民寒さによわない? 去年の冬最高気温が15℃くらいあった日でもダウンジャケット着はった人めっちゃ歩いてたな」
寒いうちに南国へ、ということは、二、三ヵ月以内に沖縄へ行くということだろうか。飛行機に乗るようなところはもっと計画を練り込んで準備をしてから行くものだと思っていた。
「石垣島で、星を……天体ショーを……」
「石垣島て沖縄の向こうやない……?」
向日葵が溜息をつく。
「これでも譲歩してるんだよ、椿くんがパスポート持ってないから」
「ちなみに譲歩せずどこでもついていくよと言うたらどこ行く気なん?」
「イラン」
「イラン!?」
「そろそろガチなイスラーム国家に行きたい」
「イランて危ない国やないん? チャードルとかかぶらなあかん」
「ぜんぜん安全だよ、テヘランもイスファハンもめちゃめちゃ都会だし」
「イスファハンという固有名詞を聞いたの高校の世界史以来や」
「イスファハンはイランの京都で世界の半分だよ」
「もう何朝やったかも忘れたわ」
テーブルの上にべったりと頬をつけた状態でタブレットを操作する。CMを飛ばしたらしい。
「もっと椿くんと出かけたいなあ。椿くんにいろんなものを見せてあげたい」
「自分が出かけるついでやなくて?」
「わたしぜんぜん一人旅行平気だから本気で行きたかったら椿くん置いてくよ」
ちょっと心が温まる。
「結婚式はいらないけど、新婚旅行は百回くらい行きたい」
そう言われると、椿も気持ちが揺らいだ。百回くらい行こうではないか。彼女の行きたいところへ。
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