第19話 クリーニング屋

 いい加減冬に突入するだろう、さすがの沼津とて十一月も半ばになったら最高気温が20℃を超えることはあるまい。そう信じて、椿は薄手の羽織をクリーニングに出すことにした。普段着は洗濯機で適当に洗うが、この羽織は絹だ。


 スーパーに寄生しているチェーンのクリーニング屋に行く。向日葵の母に会員カードを持たされたクリーニング屋である。徒歩圏内なので椿もひとりで『おつかい』に行ける。


 店に入る。入店のチャイムが鳴る。奥から店員の中年女性が顔を出す。


「すみません、これをお願いしたいんですけど」

「はいはい」


 羽織を受け取って広げる。


「あら、お着物? 絹かな?」

「はい」

「いくらだろ。ちょっと確認するからお待ちくださいね」

「はい」


 どうやら彼女はまだこの店に慣れていないようだ。奥からたぶん上司か先輩だと思われる別の女性が出てきて、羽織をしげしげと眺めてから、料金表を広げて指さした。


 椿は真顔になった。


 高い。


 実家にいる時は使用人が悉皆しっかい屋に出していたので相場を知らなかった。こっちに引っ越してきてから金額を知り、毎度毎度、ヤバい、と思っている。家族の冬物ダウンジャケットなど比ではない。もはや絹などと贅沢を言わず化繊でも着れば、と思うがそれはそれでいろんな意味で貧しい。向日葵に「ふがいない妻でごめんね」と泣かれたらどうしよう、ただでさえこの前オーダースーツがどうとかで微妙な空気になったばかりなのだ。


 選択肢はない。椿はスマホを取り出しながら「ペイペイで」と呟くように言った。店員がバーコードを読み取る。


 しょぼくれて溜息をつきながら店を出た。


 ペイペイに紐づけている銀行の口座は京都にいた時に作ったものだ。学生時代に毎月多額のこづかいを与えられていた椿は使い切れなかった分を貯金していた。各種キャッシュレス決済用のあれこれは今でもまだその京都銀行の口座から入金しているので、向日葵やその家族に迷惑をかけているわけではない。

 もう実家に頼ることはできない。

 この口座の金を使い切ったらどうなるのだろう、という漠然とした不安を感じると――正直なところまだキャッシュで車を買えるくらいは残っているが、減る一方で増えることはないのだと思うと――働きたい、と思うのだが、はてさて。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る